噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2011年 08月 ( 10 )   > この月の画像一覧

 先日(8月22日)の人形町らくだ亭の余韻がまだあり、ネットで何気なく調べていたら、これまで知らなかった「雲助」のサイトを知り、そこに、かつて「雲助蔵出し」という会を行っていた時のネタや噺の解説なども掲載されているのを発見した。「雲助」HP

 せっかくだから(?)、師匠十代目馬生の思い出から、一つだけ引用。

実戦の芸
 亡くなった圓生師匠が私の噺は道場の芸で志ん生は実戦の芸だと言ってましたけど、そうした意味ではあたしの師匠も実戦の芸だったと思います。ノって演った時の良さてぇのはなかったですからね。人形町の末広で師匠が真打でした。寒い時分で客はそこそこの入り。仲入りが圓生師匠でひざ前が小さん師匠でした。その晩珍しく早くから出演者が楽屋に揃いました。末広の楽屋は高座の脇で高座の様子が良く分かります。圓生師匠が上がって「夢金」をやりましたが、これがよい出来だったんですね。「はい、お先に。てへへ」と機嫌良く帰っていきました。続いて小さん師匠が「睨み返し」を。これが又良かった。「お先ぃ」と帰りました。これをずっと楽屋で聴いていた師匠は「らくだ」を演りましたが、これがあなた、「らくだ」を数聴いた中で一番の出来。ほんと凄かった。ハネてからお客が数人楽屋に訪ねてきて、「今日は本当に良い思いをさせて貰いました」と興奮気味に言ってましたが、そりゃあの晩のお客は幸せでしたでしょう。


 この顔ぶれとネタ、その場にいた人はさぞかし幸せだったろうなぁ。
 
 さて、「蔵出し」については次のような説明があった。

不定期に催している勉強会です。つまり今まで演った根多がお蔵入りにならないように虫干しをする会です。長い根多はそうそうかける場所がありません。寄席ではトリでもせいぜい三十分ですか ら、せっかく覚えてもついついお蔵入りになってしまうんです。ところが「蔵出し」ももう二十数回となりますと、始めの頃虫干しをした根多がまたぞろ蔵入りしかかってきました。そこでこうした根多をもう一度風にさらそうと始めたのが「雲助聴かせやせう」です。もっとも根が無精者ですから、この会はまだ一回やったきりです。(^^;;


 「雲助聴かせやせう」が、その後何回続いたかは知らない。

 このホームページは、落語協会のプロフィールに「趣味 パソコン」と書く位だから開設は早かったようだが、しばらく更新されていないように見受ける。しかし、噺の紹介や、師匠馬生の逸話なども紹介されていて、なかなか楽しい。

 「蔵出し」の第19回が平成6年7月10日(そうです、「四万六千日」です)に開催され、なんと「お初徳兵衛」と「船徳」を演じていたようだ。「雲助」HPの該当ページ

第拾九番蔵出し
 鼻の圓遊は偉かった ト云フ回

  平成六年七月十日  於・浅草舟和亭

一、お初徳兵衛 一、船徳  

一、お初徳兵衛

 本来は「お初徳兵衛浮名の桟橋」の「馴れ初め」で、曽根崎心中の名前取りになっています。この後は油屋に二人の仲を嗅ぎ付けられて心中立てになってくると云う典型的な世話噺です。志ん生師匠からあたしの師匠へと伝わったもので、その前は分かりません。数ある噺の中でも、女から男を口説くというのは他に知りません。「宮戸川」が少し其の気がありますけど、この噺ほどお生には口説きません。それだけに演っていて照れ易く、といって照れていては今度はお客様が照れる、といった案配で、なかなかに難しいのです。ある仲間の噺家が「俺にはとても出来ねぇ」と言うのを「うん、とてもお前には出来ない」と言っておきました。柄があるんですよ柄が。ちょっとあの顔ではねぇ。誰とは言いませんが。いずれこの先も演ってみようと思ってますが・・・・。覚えるのが、ねぇ。
 
一、船徳

 右の典型的な世話噺を、落し噺の傑作に作り替えたのが、かの鼻の円遊であります。この他にも因果噺の「野晒し」やら、黒門町の師匠でお馴染みの、酔態の甚だ難しい「素人鰻」を現在の「鰻屋」に直して、徹底的に陽気な噺にしたのもみんな鼻の円遊であります。当時としては批判もあったようですが、人気がそれを上回ったようです。時代的にも地方からどっと東京に人が流入して、好みが変わってきたのも円遊に味方したのでしょう。現在円遊の速記を読み返してみると、恐ろしく口の廻る人だった事が知れます。能弁にくすぐりを立て続けに喋りまくるおかしさは、それまでになかったのでしょう。絶大な人気を博したのもよく分かります。
 
 今回は世話噺と、落し噺の競演になりましたが、実はあたしは落し噺のが好きなのです。



 かれこれ17年前だから、昭和23年生まれの雲助が46歳の時。先日のなんとも堂に入った高座を考えると、まだ当時は 、“演っていて照れ易く、といって照れていては今度はお客様が照れる、といった案配で、なかなかに難しい” という思いが強かったのだろうと察する。

 近松門左衛門の「曽根崎心中」を素材として、「お初徳兵衛浮名桟橋」として一つの噺にしたのは、初代古今亭志ん生だと言われる。初代円生の弟子で、二代目円生襲名争いに敗れ悲嘆のあまり上方に放浪の旅に出たと言われる名人だ。円朝に与えた影響も大きかったようだ。この噺、初代志ん生の作品という意味で、“古今亭-金原亭”ラインの重要な持ちネタである。

 そして、この噺を「船徳」として滑稽噺に改作した初代円遊は円朝の弟子。「ステテコの円遊」あるいは「鼻の円遊」と言われ明治期の落語を支えた、これまた名人と言っていいだろう。人気の絶頂期には一日に36席の寄席を掛け持ちしたと言われる。寄席では「ステテコ」を踊るだけでも客は喜んだらしい。ルーツは三遊派-古今亭の噺ではあるが、今では柳派を含め幅広く演じられる人気ネタ。

 その後、雲助は、横浜にぎわい座などの独演会でもこの二席をかけている。両方の噺を自分自身で演じ客に聞き比べてもらおう、というなかなか味な企画。今後も機会があれば、ぜひ聞いてみたいものだ。

 一門にとって重要な噺を長年に渡って練って磨いてきた雲助、地味なようでいて結構幅広く落語愛好家の支持を得ているのもむべなるかな。ただし、女性に熱狂的とも言えるファンが多いのは、ちょっとだけ妬ける。
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by kogotokoubei | 2011-08-26 16:20 | 落語のネタ | Comments(6)

 ロシアとの交渉で北朝鮮が、核実験の一時凍結やウラン濃縮を中止することを“カード”としてちらつかせたようだ。

 核である以上、それが兵器用ではなくても、研究用だろうが原発用であっても管理を徹底しないと危険性があるし、もしテロリストの手に入れば大変なことになることは明白だ。犯罪者が放射性物質を手にしたら、使い方次第でとんでもない武器になりえるし、相手を意のままに操るための脅威を与えることができる。日本にはとんでもない量のプルトニウムがあるし、放射線治療用の放射性物質も病院などで保管されている。それらがどれほど厳重に管理されているのか、などということは、マスコミは一切突っ込んだ記事を書かないように思う。触れたくないのだ。

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マイクル・コナリー著『死角』(講談社文庫)

 マイクル・コナリーの最新邦訳『死角-Overlook-』には、「セシウム」が登場する。
 
 実は、マイクル・コナリーの傑作である“ハリー・ボッシュ”シリーズでアメリカでは2008年、日本で昨年12月発行の本書は、“3.11”をはさんでしばらくツンドク状態だった。ようやく最近読んで、その題材に、ある意味で深い思いを抱いた次第。

 ハリー・ボッシュはベトナム戦争従軍時代の心の痛みを引きずるロサンゼルスの警官。『ナイト・ホークス』から始まるシリーズの13作目が本書。既刊の書はアメリカでは常にベストセラーとなり、日本でも当初の一部のミステリファンからの支持を超え、次第に人気が高まってきた。昨年発行された『エコー・パーク』は、数々のミステリーベストテンで第一位となっている。その『エコー・パーク』の次作が本書となる。
 引用する部分に登場者(名前だけの人も含む)のみ先に紹介しよう。

 ハリー・ボッシュ      ロス市警殺人事件特別捜査班の刑事 
 レイチェル・ウォリング   FBI戦術諜報課の特別捜査官
 スタンリー・ケント     医学物理士、殺人事件の被害者

 ロサンゼルスのマルホランド・ダムの上の展望台で一人の男の死体と乗り捨てられたポルシェが発見された。現場に駆けつけたボッシュは、そこでかつての恋人だったレイチェルと遭遇することになる。殺人事件として自分の領域の仕事と認識するボッシュに、なぜか被害者のことを知っており、単なる殺人事件ではないことを匂わせる発言をするレイチェルとの、ボッシュの車の中での会話。

 ボッシュは座席の上で座り直し、まっすぐレイチェルを見た。彼女が話をはじめるまで、車を動かすつもりはなかった。
「きみはスタンリー・ケントが何者であり、どこに住んでいるのか、明らかに知っていた」ボッシュは言った。「おれに嘘をついたわけだ。では、ケントはテロリストなのか、違うのか?」
「さっきも言ったように、テロリストじゃない。それは本当のことよ。一民間人にすぎない。職業は医学物理士。監視リストに載っていたのは、ケントが扱っている放射性物質が —間違った者の手に渡れば— 一般大衆を害するために用いられうるものだからよ」
「なんの話だ?どうすればそんなことが起こりうるんだ?」
「被曝によって。そしてそれはさまざまな形で起こりうるの。特定個人への攻撃—ロンドンでポロニウムを盛られたロシア人が去年の感謝祭にどうなったか覚えている?あのときは特定の標的だったわ。副次的な被害者が出たけれども。ケントがアクセスできる物質は、もっと大きな規模で用いることができるものなの—ショッピングセンターや地下鉄やいろんなものに。すべては使用される量と、そう、放出装置によるは」
「放出装置?爆弾のことを言っているのか?何者かがケントの扱っている物質で汚い爆弾(ダーティー・ボム)をこしらえかねないというのか?」
「なんらかの使用法でね、ええ」


 この後、二人はスタンリー・ケントの自宅へ向かうと、そこには裸にされ猿ぐつわをされ、両手を後ろに回されて両足と一緒に縛られていたケントの妻アリシアがいた。そして、机上のパソコンからアリシアのアドレスで夫に送られたメールがあるのが判明した。

 その電子メール本文には、アリシア・ケントがベッドの上で裸で手足を縛られている写真が埋めこまれていた。その写真の衝撃は、夫だけではなく、だれにとっても明白なものだろう。
 写真の下に、次のメッセージが書かれていた—
 われわれはおまえの妻をとらえている。おまえが手に入れることのできるセシウム放射性物質をすべてわれわれのために回収せよ。安全な容器に入れて八時までにおまえの家の近くのマルホランド展望台に持ってこい。われわれはおまえを見張っている。もしだれかに話したり、電話をかけたら、われわれはわかる。その結果、おまえの妻は犯され、拷問にあい、数えきれるほどばらばらにされるだろう。放射性物質をあつかう際にあらゆる防護策を講じろ。遅れるな。そうしないと、われわれは彼女を殺す。
 ボッシュはそのメッセージを二度読み、スタンリー・ケントが感じたはずの恐怖をわがことのように感じた。
 「『われわれは見張っている・・・・・・われわれにはわかる・・・・・・われわれは殺す』」レイチェルが言った。「くどいわね。『数えきれない』とすべきところを間違えているし、文章の組み立てにおかしなところもある。このメッセージは、英語が母国語の人間が書いたものじゃないわ」



 この後、ボッシュはケントの車に残ったIDカードをヒントに聖アガタ病院へ向かい、保管されていた放射線治療用のセシウムがそっくり丸ごと盗まれていたことを知ることになる。
 殺人事件として犯人を追おうとするボッシュ。国家安全保障の観点からセシウムを探し、併せてテロリスト逮捕を模索するレイチェル達FBI。緊迫した捜査活動が続き、警察とFBIとの牽制があり、ロサンゼルス市警内の足の引っ張り合いも、いつものごとく描かれていく中で、路上に倒れていた男が病院に運び込まれた。右腰と右足に酷い火傷のような症状があることに加え、急激に免疫能力を失って死にかけていく。さぁ、これから物語は意外な展開を見せるのだが・・・・・・ご興味のある方はぜひお読みください。

 マイクル・コナリーという当代きってのミステリ作家が、癌治療用に病院で保管されていたセシウムの盗難事件という題材を描いていたということを紹介したかった。ありえる話である。もし、これがプルトニウムならもっと酷い展開もありえる。プルトニウムがあれば、大学生くらいの科学知識で原爆が作れると言われている・・・・・・。

 せっかくなので(?)、ボッシュ・シリーズのことを。私は年代順に全て読んでいる。一冊を除き、シリーズ前半は扶桑社、後半は講談社の文庫。読み始めたのはそんなに昔ではなく、ほとんどは古書店で一冊100円、あるいは定価の半額で買った。紹介した『死角』は一冊ものだが、大半が上・下の二冊。それでも200円で買えることもある。もちろん図書館で借りて読むこともできるだろう。

 ご興味のある方は、ぜひ次の年代順にお読みいただきたい。

 『ナイト・ホークス』(扶桑社ミステリー)
 『ブラック・アイス』(扶桑社ミステリー)
 『ブラック・ハート』(扶桑社ミステリー)
 『ラスト・コヨーテ』(扶桑社ミステリー)
 『トランク・ミュージック』(扶桑社ミステリー)
 『エンジェルズ・フライト』(扶桑社ミステリー)
 『夜より深き闇』(講談社文庫)
 『シティ・オブ・ボーンズ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)
 『暗く聖なる夜』(講談社文庫)
 『天使と罪の街』(講談社文庫)
 『終結者たち』(講談社文庫)
 『エコー・パーク』(講談社文庫)
 『死角』(講談社文庫)
 
 こうやって並べてみると、それぞれのストーリーが甦る。どれもワクワクして、あっと言う間に読んでしまったなぁ。
 なお、『天使と罪の街』は、クイント・イーストウッドで映画化された『わが心臓の痛み』(扶桑社ミステリー)の主人公テリー・マッケイレブも登場するので、できれば先に『わが~』を読まれることを推奨。ついでに言うと、コナリーの著作ではボッシュ・シリーズ以外にも『リンカーン弁護士』という大変楽しいシリーズが始まった。これまた、時間を忘れて読んでしまう傑作。
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by kogotokoubei | 2011-08-24 19:14 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(0)
盆休み明けの最初の落語会として、大いに楽しみにしていた会である。前回が「おせつ徳三郎」の通しで小満ん&さん喬のリレー。今回は、ある噺の“原作”と“改訂版(?)”を聞けることに加え、珍しい音曲噺にも期待していた。
 次のような構成だった。
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(開口一番 春風亭朝呂久 『権助魚』)
鈴々舎馬るこ 『親子酒』
春風亭一朝  『植木のお化け』
五街道雲助  『お初徳兵衛浮名桟橋』
(仲入り)
古今亭志ん輔 『船徳』
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春風亭朝呂久『権助魚』 (18:50-19:01)
 この会のレギュラーである一朝門下の前座ということで、結構頻繁に開口一番を務めている。これまでもそんなに悪い印象はなかったし、入門して5年目、前座になって4年目なら上出来と言えるのだろうが、旦那もお内儀さんも、少し怖すぎる。これからだろうなぁ。体と同様にスケールの大きな噺家になることを期待したい前座さん。

鈴々舎馬るこ『親子酒』 (19:01-19:19)
 朝呂久と違って、出演する理由が見つからない。らくだ亭のレギュラーに師匠馬風は入っていない。二ツ目は他にもたくさんいる。昨年11月の菊六の横浜にぎわい座・のげシャーレでの落語会(菊六開花亭)に客演で出た時の『紙屑屋』を酷評した覚えがある。あの時ほどではないが、あまり良い後味とは言えない。親爺が酒の肴をカモフラージュするため、最中(もなか)の餡を抜いて塩辛を入れるなどのクスグリを入れるのだが、私は感心しない。こんな下手な細工をするより、本来の噺の基本と、酒の飲み方などの技術をしっかり稽古して欲しいものだ。何か勘違いをしているような気がする。

春風亭一朝『植木のお化け』 (19:20-19:43)
 楽しみにしていた噺。その昔、七代目春風亭枝雀という音曲師が十八番にしていた、ということだけは知っているが、音源でも生の高座でも聞いたことはなかった。さまざまな草花がお化けになって、その草花の地口や何らかのつながりのある唄や芝居をお化けが繰り広げるというネタ。恩田えりさんの三味線、控えの前座さんの太鼓など鳴り物入りの賑やかな噺。途中で一朝独自のクスグリなのだろうか、観客の手拍子で、「次は韓国・・・あ~コーリャン」とか「最後は歯医者で・・・は~どうした」などという掛け声も可笑しかった。さまざまな音曲の種類や芝居が登場するが、私のような勉強不足の者は、半分も分からない。なるほど今ではなかなか高座にかけれる人はいないだろう。しかし、その昔、芝居や音曲が一般市民の娯楽であった頃には、これほど楽しい噺もなかっただろうと推測はできた。一朝師匠、「いっちょうけんめい」でした!

五街道雲助『お初徳兵衛浮名桟橋』 (19:44-20:18)
 先代馬生一門としての自負のようなものが高座から感じられた。馬生の音源は最近も聞いたのだが、その本筋を変えず、かつ噺の時代背景をより一層鮮やかにするような雲助自身の味つけなどもあり、圧巻の高座。後で紹介する本にも話題になっている、師匠十代目馬生が描くお初の優しさを、しっかり継承している。もっと暗くなるかと思ったが、そこは雲助。折り目正しい高座、と言う表現が合いそうだ。
 近松門左衛門の『曽根崎心中』を下敷きにして、徳兵衛は平野屋の手代から若旦那に、お初は遊女から芸者に役柄を変えているわけだが、油屋も天満屋も登場する。この油屋が効いている。時代劇に登場する「越後屋」的な役柄で、この噺に貴重な脇役。お初が「男ぎらいなことは、油屋の旦那がよくご存知でしょう」と言うと、テレ笑いをしながら扇子であおぐシーンなどは、なかなかの芝居だ。大師匠志ん生は、サゲを『宮戸川』的な色っぽいものにしているが、雲助は師匠と同様のほどほどに品のいい終幕。「なれそめでごさいます。」として下がったが、次の筋書きが聞きたくなった。

古今亭志ん輔『船徳』 (20:28-21:05)
 雲助の後で、「志ん輔は、やりにくいだろうなぁ」と思っていたが、結構開き直った感のある、雲助に負けない高座だった。雲助同様に余分なマクラなく本編へ。この人の持ち味である、顔を含め手ぶりなどを目一杯生かした船頭徳の奮闘ぶりが楽しい。独特のリズミカルな中での間も心地よかった。
 雲助が師匠馬生のDNAを継承する一人なら、間違いなく志ん朝の芸を伝える人なのだが、語り口だけではない、体全体での表現は、あくまで独自の世界であると思う。人によっては、クサイと言う指摘もあるだろうが、私は好きだ。船宿の女将が泣きながら船を送る場面や、竹屋のおじさんの心配ぶりなども、私は大げさとは思わない。やや飛ばしすぎた感もなきにしもあらずだが、そのスピード感もこの人の魅力だと思う。最後に客の背に徳がおぶさる演出は誰がオリジナルかわからないが、ちょっと照れて演じたように思ったのは気のせいか。小朝が最初かなぁ。とにかく、原作を初代円遊が改作した滑稽噺を、しっかり聞かせて、見せてくれた。


 石井徹也編著『十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋』(小学館)の中で、末広亭の席亭北村幾夫さんが、こんな話をしている。石井徹也編著『十代目金原亭馬生-噺と酒と江戸の粋』

 圓生師匠の描写が凄いっていうけれど、圓生師匠は最後まで自分がいたから、どこまで行っても圓生しかいなかったんで・・・・・・。馬生師匠は自分がいつの間にか消えちゃう。高座に溶け込んじゃうみたいな・・・・・・ね。落語ってやっぱり視点を変えると凄い部分があって、それをこう、障子一枚、襖一枚の向こうに何があるかを見せる、その怖さは馬生落語にありましたね。
 『お初徳兵衛』の最後、「いつまでもいつまでも・・・・・・」って馬生師匠が言うと、高座に、大川に浮かぶ船が見えたもんね。「ウチの高座。船着場だった?」ってくらい(笑)


 なるほど、師匠の芸を継承する雲助の高座、最後、首尾の松の脇に浮ぶ船とお初と徳兵衛二人のシルエットが、しっかり見えたなぁ。
 
 余談だが、北村幾夫席亭の馬生と圓生の喩えは、夏目漱石が三代目小さんと、初代圓遊について作品(『三四郎』)の中で語った内容と相通じる。しかし、この喩えって、志ん生と文楽の比較論で、誰かが語っていたような気もする。噺し手が主役か、登場人物が主役か、っていういうのは永遠のテーマなのかもしれない。

 さて、この落語会のこと。企画自体も良かったが、それに応える高座がなければこうはならない。
 映像がしっかり浮かんだ雲助の高座、そして対抗するように船頭徳の汗を感じたエネルギッシュな志ん輔の高座、“それぞれの徳”を今年のマイベスト十席候補としたい。
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by kogotokoubei | 2011-08-23 08:34 | 落語会 | Comments(8)
一昨日8月10日から三夜連続で放送されている、NHKの「追跡!AtoZスペシャル」が、なかなか見ごたえがある。

 二日目の昨夜放送された「過熱する日本人技術者争奪戦」も、私も仕事がら身近で感じていたことでもあり、興味深く見た。“モノづくり”は“人づくり”から始まることを、ここ数年の日本の製造業が忘れつつあったことによる“しっぺ返し”を受けている。日本の優秀な技術者のやりがいや働き甲斐が希薄になった職場からは、優秀な人材から抜けていく。そして、ヘッドハンターを駆使した中国や韓国企業が彼らを採用し、優遇する。どんどん日本の水準に追いつく背景には、こういった人的資源の移動も大きな要因に違いない。なかには、高報酬で短期的な雇用期間の中で、その人材から盗めるだけ盗んだら“サヨナラ”という場合も少なくはないが、いずれにしてもモノづくりニッポンの力は弱まり、逆に優秀な人材で活性化された企業はパワーアップする。ゴルフで言えば、日本がボギー続きで、競争相手がバーディーラッシュ、差は詰まるどころか一気に逆転される構造にある。

 さて、今夜はフクシマだ。このところNHKが結構粘り強く取材している現場作業員の問題。テレビ朝日の「報道ステーション」でも現場作業の下請けの構造を取り上げていたが、NHKは多くの作業員や中間業者への取材が期待できそうだ。
 NHKサイトの番組紹介には、次のように案内されている。NHKサイト内の番組紹介ページ

8月12日(金)午後10時55分~

【第3夜】福島第一原発 作業員に何が?

 この先数十年かかるともいわれる福島第一原発の事故処理。
そこでは常時、全国から集められた3000人もの作業員が事故処理にあたっているが、今も非常に高い線量の放射線が計測されている。
東京電力によると、政府が定めた被ばく線量の限度を超えた作業員は6人。
また、これまでに作業に当たった人たちの内部被ばく線量を計測しようとしたところ、143人の作業員の所在が把握できないという。
事故現場で働く作業員の安全は本当に守られているのだろうか。
なぜ、厳重に放射線量が管理されているはずの作業員と、連絡がつかないなどという事態が生まれるのだろうか。
我々は、福島第一原発での安全管理の実態と、作業員がどのように集められているのかを追跡した。
すると、作業現場の過酷な実態と、そこに人を送り込む闇社会の姿が浮かび上がってきた・・・。


 6次や7次までもあると言われる下請け構造で人海戦術をしなくてはいけないために、闇社会が活躍する余地が生れる。さぁ、フクシの現場がどうなっているのか、原発を考える上で見逃せない。
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by kogotokoubei | 2011-08-12 16:29 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 今日8月11日は三遊亭円朝の命日である。天保10年4月1日(1839年5月13日)に生まれ、明治33(1900)年8月11日没。本名は出淵 次郎吉(いずぶち じろきち)。

 8月7日の日曜日に全生庵で行われた落語協会の円朝まつりは、10年目の節目となり、境内での屋台を出すような形式のイベントは、今年で終了するとのこと。数多くの落語愛好家の方がブログで書かれていた。
 私は一度も行ったことがないが、実は残念とは思っていない。円朝や、全生庵をつくった山岡鉄舟が眠る場所に、普段の何倍もの人が集まって“お祭り”をすることが、円朝を偲ぶことには、まったくならないと思っていた。もし落語協会が円朝の命日に合わせて“ファン感謝デー”的なお祭りをしたいなら、近隣の住民の方などに迷惑のかからない、もっと広い場所で行えばいいとも思っていた。そもそも私は雑踏が嫌いだ。落語会でも定席かせいぜい300人位の会場が一番落ち着く。1,000名を超える会場に行くこともたまにあるが、正直なところ居心地はよくない。

 円朝まつりの会場だった谷中の全生庵の由来を、ホームページから引用。全生庵のホームページ

由来
 当庵は山岡鉄舟居士が 徳川幕末 明治維新の際 国事に殉じた人々の菩提を弔うために 明治十六年に建立した 鉄舟居士は慶応四年三月 江戸城総攻撃のため官軍東征するや 徳川十五代将軍慶喜の命を受け 単身で 静岡まで進軍して来た官軍の大本営に赴き 総参謀西郷南州に面接し 江戸城無血開城の道をひらき 江戸市民を戦火の災厄から救い 徳川家の存続をも全からしめた 明治五年から十年間 明治天皇の侍従となり天皇を精神的に教導申し上げ 英邁な明治大帝を育成した また剣 禅 書の奥義を極め 剣の無刀流を開いた

 
 明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために山岡鉄舟が建立した禅寺である。本来は喧騒とは相反する場所。円朝の菩提寺としての縁で落語協会に場所を提供してくれていたとは言え、あの“まつり”を鉄舟や円朝が喜んでいたとは、私には思えない。

 本題の円朝に戻る。円朝の本に関しては、今年の3月10日付で文庫で発行された森まゆみ著『円朝ざんまい』のことについて先日書いた。
2011年7月19日のブログ

 この本の冒頭は次のように始まる。
森まゆみ著『円朝ざんまい』(文春文庫)

 中学三年生の夏、私は家の改築のため荒川区日暮里の路地裏、木賃アパートの二階に住んでいた。生意気ざかり、反抗期であった私は、狭いアパートでよく家族、ことに父親と衝突し、それを避けるためになるたけ家に帰らず、台東区谷中や日暮里の町を徘徊していた。昭和四十四年(1969)の話である。
 夏休み、谷中三崎坂中腹のとある寺、入っていくと古びた庫裏の玄関に鉦があって、近代不世出の噺家、三遊亭円朝の収集による幽霊画の参観を希望する方はどうぞお上がりください、とある。上がると、畳の広間の周囲にお化けの描かれた軸が何十幅も、開け放した窓から入る風にハタハタと揺れていた。怖かった。落語の神様といわれる三遊亭円朝の名を知ったのはこのときである。この人の墓もこの寺全生庵にあった。


 谷中の専門家(?)である著者の“原体験”ということかもしれない。この本は、『牡丹燈籠』他の名作の解説の役割もあるので、落語愛好家の方の必読書だと思う。女二人連れの円朝の噺を巡る旅の記録も楽しい。

 円朝に関する書としては、森さんも参考にしている永井啓夫著『三遊亭円朝』(青蛙房)をはずすことはできない。

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 私は平成16年発行の新版三刷を持っているが、7月に新たに重版されたようだ。

 私が持っている本は、神保町で落語関係書ではもっとも頼ることのできた豊田書店で、閉店する直前に買った思い出の本。豊田書店亡き今(?)、落語関係書の品揃えで際立った古書店はないなぁ。せいぜい小さな店舗だが手塚書店位かなぁ。

 さて、この本から円朝と鉄舟の交流における「桃太郎」にまつわる有名な逸話を、少し長くなるが引用したい。ここにある「伝」とは、明治22年に円朝の談話により刊行された『三遊亭円朝子の伝』(朗月散士編・三友社)のことである。
 「伝」には、鉄舟と円朝の交流を次のように述べている。「桃太郎」をめぐる一挿話は後の円朝の芸風を考えるうえに貴重な資料といえよう。

   既にして円朝は泥舟君の紹介をもって山岡鉄舟君に面会せしに、
  初めての時は事もなく話をなしつ、馳走を受け、立帰りしが、其後、
  再び招かれし時なりき。円朝は其の話をなすに先立ちて問へる様、
  前には面白からぬ話をなせしが、今日は落語にまれ又は続噺に
  まれ、何れにもせよ、面白きものをば演ばなんに、何れを好ませら
  るるにやといへば、鉄舟君は左ればなり。我が所望は桃太郎の話
  なるが、円朝、今日は是をば演じねとの事なるにぞ。円朝は不審に
  堪へざるものから、そは昔の赤本なる桃太郎なりと答へらる。円朝
  は是に於て思へらく、こは必ず鉄舟君の我を困らしめんとての戯れ
  なるべけれど、我も桃太郎の話に於ては、よくも是を覚えざれば、
  如何なさんと考へつつ、鉄舟君に向ひていへるは仰の如く桃太郎の
  話演ずるに難き事はなきも、可笑しくもなし、面白き事とてなきは、
  誰彼も知れるが如き話なれば、よく話すとも其の甲斐なからん。
  他に面白き話多きに、それに代へられてこそ面白からめと、成る
  べくこれを遁れんとせしに、鉄舟君は微笑みつ、いやとよ円朝、
  さのみの事かは、我幼き折、母は我を喜ばせんとて、此の噺を
  縷々なせしが誠に面白く聞き居りつつ、今に其時を思ひ出せり。
  母は元来、上手にあらねど斯の如し。其方は落語家なる事ゆゑ、
  一際面白き事ならんに、赤本の話とて遠慮させそと類に迫られ、
  円朝は今は大に困じつつ、遂に其の話し得ざるを謝し、他の話を
  演じつつ、漸くにして邸を出でぬ。
   円朝は山岡鉄舟君に、桃太郎の話を望まれて大に困じたりし
  かば、如何にも口惜しく思ひつつ、我家へ帰るや否や頻に考へ
  居る様なしりが、やがて桃太郎の話をば新に作り出したり。され
  ばよき折のあれよかし、鉄舟君に面会し、今回は我より是を強ひ
  ても桃太郎の話演ぜずば、円朝が恥辱なりと思ひ居れる内、浅草
  海禅寺に法会ありて円朝も是に赴きしに、計らずも鉄舟君に向ひ
  つつ、前には桃太郎の話をば、いたくお望みありしかど、生憎其
  折は差支へて口惜しく存ぜしをもて、帰宅の後に是を考へ、桃太
  郎の話を新作したり。今これをば演ぜんに、聴きたまはずやとい
  ひ出せば、鉄舟君は是に答へて、折角其方の言葉なれど、彼の時
  は我も彼の話を何となく聴きたかりしが、今は其の念も失せ去り
  て、却ってそを聴くことを厭ふなり。其方には気の毒の至なれど、
  最早、桃太郎の話は演ず可らずとの言葉なるにぞ。円朝は是に至
  りて我が思ひし事の画餅に属し、あたら新作の桃太郎の話を為さ
  ん術もなく、落胆しつつ居たりしが、こは必ず鉄舟君が我が心を
  試みんとて、前の日より企てられ、斯かる事をこそいはるるらめ
  と、其の俊傑なるに感じ、是より鉄舟君を敬ひけり。

「全生庵記録抜粋」(全生庵蔵版)には、この逸話を次のように述べている。
   居士(鉄舟)或時三遊亭円朝を召んで予子供の時母より桃太郎
  の談を聞き、其面白く感じた。予今日は桃太郎を一席語り呉れよ
  と命じられた。そこで円朝其得意の弁に一層捻掛けてこれを演じ
  た。然るに居士サモ不興げに子は下で語るから肝心の桃太郎が死
  んで了ってゐると云われた。流石の円朝もこれには大に面目玉を
  潰したが、心窃にこの先生は禅を行って居られるから、こんな
  変挺子なことを云はれるのだと思ひ其儘引退がった。がそれ以来
  円朝は、世人がその落語にヤンヤと騒いで呉れるに係らず、なん
  だか自分に物足らぬ気がしてならぬので、一日居士邸へ罷出て、
  具に其実を明し、私如き者にでも出来る事なれば、禅をやりたい
  と存じますといふと、居士はソハ然うあるべき筈だ、今は芸人は
  兎角人さへ喝采すれば直ぐ自惚れて名人気取になるが、昔の人は
  自分の芸を始終自分の本心に問ふて修行したものだ。
  (中 略)*小言幸兵衛による   
  それより円朝二年間苦辛の結果一旦を無学に撞着し、趨って居士
  に参見した。居士デハ桃太郎を語ってみよと云われ、円朝、直に
  之を演じた。すると居士、ウン今日の桃太郎は活きてゐるぞと
  いはれた。其後千葉立造宅で滴水老師が居士に相談して、無舌
  居士の号を附与された。

 「伝」と「全生庵記録抜粋」の内容の違いは、どちらを信ずべきか迷うところだ。「桃太郎」を語ったのか、語らなかったのか・・・・・・。“話”としては、不出来な「桃太郎」にダメ出しをされ心機一転を図った、というほうが物語りとしての起伏があってよいのだろうが、「伝」のように語る機会を失ったのかもしれない。どちらの説もありうる、ということで永井さんも両方並べてくれたのだろう。

 昨年7月19日の命日にブログで山岡鉄舟のことを書いた。
2010年7月19日のブログ

 その際に引用した部分と一部重複するが、小島政二郎の小説『円朝』で描いた円朝と鉄舟との出会いを紹介したい。
 この本には「桃太郎」エピソードを含まずに「無舌居士」へのいきさつが語られる。
小島政二郎著『円朝』
 そうした矢先、円朝は山岡鉄太郎と会った。
 会うについて、ちょいとしたイキサツがあった。高橋泥舟、成島柳北、栗本鋤雲、その他の幕臣十人ほどが集まって談笑する会が、毎月不忍の池のほとり、上野の山添にあった無極という貸席で催された。
(中略)
 円朝は、この無極の会に招かれて、毎回一席ずつ話を寄付していた。
 そんな関係で、高橋泥舟とも彼は昵懇にしていた。ある日、泥舟が山岡鉄太郎に会った時、山岡の家で客をするについて、二三芸人を招きたいという話が出た。
「そんなら、円朝を一度呼んでみたまえ」
 泥舟がそう云って、彼を推薦した。ところが、鉄太郎は眉をしかめて、
「あいつはいかん。思い出しても虫唾が走る。」
と、はき出すように云った。と云うのは、昔、まだ円朝が若い売り出しのころ、赤い長襦袢などチラチラさせていた頃に一度聞いたことがある、それをすぐ目に思い浮かべたからだった。人に媚びるような彼の話っぶりが、鉄太郎には鼻持ちがならなかったのだ。
「そりゃ君に似合わんことを云う。例えにも、三日見ざればと云うじゃないか。だまされたと思って、一席呼んで聞いて見たまえ。もし相変らずの円朝だったら、おれは軽蔑されてもいい」
 泥舟がそれほど云うのだからと思って、鉄太郎は円朝の周旋を頼んだ。
 一度聞いて、鉄太郎は舌を巻いた。円朝はあまりにも変り過ぎていた。鉄太郎は高利貸に金を借りて、証文に「なくて七癖、私の癖は、借りりゃ返すがいやになる」という都々逸を書いて渡したというシャレの分かる人だから、円朝の芸のうまさがすぐ分かった。これが縁で、大層贔屓になった。円朝の方でも、この茫洋としてつかまえどころのない人物に心を引かれた。
 もっと親しくなった時、
「円朝さん、あなたは舌でしゃべっているね」
 そういう思いも掛けぬことを突然言われた。
「へ?」
 と云ったきり、円朝は目を白黒させるばかりで返事ができなかった。
「へ?」
 というのは、説明を求めた自然の発声だった。ところが、鉄太郎はそれっきり涼しい顔をしていて、なんの説明も加えてくれなかった。
「自分で考えろ」
 と、突っぱなされたことを円朝は悟る外なかった。

 この後、鉄舟の謎めいた一言が日夜忘れることができない。素行の悪い長男の朝太郎は行方知れずになっており、女房おやいも心理的に動揺していた時期で、二人で俳句やら裏千家のお茶を習っていたが、そこに禅の修業が加わった。円朝の修行の場は全生庵に限らなかった。

 円朝は、興行で上方へ行った時、鉄舟の添書をもらって嵯峨の天竜寺へ滴水禅師を訪れて、そこでたびたび参禅した。
 自分を否定して否定して否定し尽くしたところに残るものは、なにもなかった。無だ、虚無だ。人間、粘土の器。すべて空(くう)なり。いずれも皆、風の道のごとくならざるはなし。
「だから、どうだと云うのだ?」
 どうと云うことはないのだ。それでいいのだ。そこに腰を据えていればそれでいいのだ。
 寒い時は寒いと思い、暑い時は暑いと思えばいいのだ。あとは、自分の仕事に身を入れて励めばいいのだ。明日があると思わず、今日という日を十全に生きるのだ。


 “悟った”と思った円朝は、おやいと一緒に鉄舟を訪れる。

 二人を迎えると、彼は黙って自分から坐禅を組んで見せた。
 そこで、二人も黙って静かに坐禅を組んだ。
 その間、一時間ばかり。突然クゥッと目を見開いた鉄舟が、
「円朝、舌はどうした?」
 いきなりそう云って聞いた。すると、彼はとっさにペロリと舌を出して見せた。
「おやい、朝太郎の行くえは分ったか」
 鉄舟は続いて痛いところを突いて来た。
「はい、ここにおります」
 おやいはそう云って、自分の胸を押さえて見せた。
 鉄舟はニッコリ笑って二人にうなずいて見せた。彼は筆を取ると、「無舌居士」と書いて円朝に与えた。


 著者小島政二郎は明治37(1894)年1月31日に生まれ、平成6(1994)年3月24日に満100歳の長寿を全うした。この本にも登場する寛永寺お出入りの大工の棟梁であった利八が祖父であり、円朝の幼友だちであったという、ある意味で恵まれた環境にあったから書けた本だと思う。幼い頃に祖父から聞いた円朝の話、そして当時まだ聞くことができた円朝ゆかりの人達の昔話も、この著作には大きく反映されていると思われる。

 禅寺全生寺に鉄舟と円朝は眠っている。鉄舟によって得られた「無」の悟りは、晩年の円朝にとって大きな心の拠り所となったに違いない。

 まだまだ「無」の境地などにはほど遠い我が身にとって、鉄舟と円朝の爪の垢でも煎じることができるのなら、来年の夏は谷中を訪れてみようか、そんなことを思う命日だった。
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by kogotokoubei | 2011-08-11 08:53 | 今日は何の日 | Comments(2)
地下の“のげシャーレ”で始まり、その後に芸能ホールに「昇格」した会に、久しぶりに来ることができた。今は、三遊亭兼好、春風亭一之輔が、白酒の後を追って昇格すべく地下で健闘している。先週金曜日の三三の記憶がまだ耳に残るにぎわい座へ今週もやって来たわけだ。一階はほぼ満席。ニ階にもチラホラお客さんがいた。

 構成と所要時間は次の通り。古今亭で固めた顔ぶれ。
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(開口一番 古今亭きょう介『たらちね』 (19:00-19:15)
桃月庵白酒  『井戸の茶碗』 (19:16-19:59)
(中入り)
古今亭駒次  『泣いた赤い電車』 (20:10-20:27)
桃月庵白酒  『千両みかん』   (20:28-21:03)
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古今亭きょう介『たらちね』
 初めてである。落語協会のホームページによると2009年11月に志ん橋に入門した前座さん。細身で、それほど顔色も良いようには見えず、言葉は悪いが健康そうには見えない。しかし、そもそも健康的な噺家という存在そのものが矛盾しているかもしれない(?)。前半はなんとかこなしていたが、八五郎の長屋に新婦(亀さん)が大家に連れられて来てから後、二人の会話の上下(カミシモ)が逆。本人は途中で気がついたのかもしれないが、もう変えられない。途中で科白を忘れ「え~と・・・」という合いの手まで入り、ややパニック気味。新婦が翌朝の朝食のために八百屋からネギを買ったところ、という珍しい場面でサゲた。制限時間ぎりぎりで、この内容で時間が押して白酒に迷惑をかけたくなかったのだろう。途中までの高座は、それほど悪い印象ではない。今後の精進に期待したい。

桃月庵白酒『井戸の茶碗』 
 きょう介のことから切り出した。この会の開口一番を連続して務めているようだ。持ちネタが『子ほめ』『手紙無筆』『たらちね』の三つらしく、白酒から今夜になって、予定していた『子ほめ』には飽きたから『たらちね』に変えて、とリクエストされたらしい。本人には結構ハードルの高いチャレンジだったのだろう。舞台袖の立話で、「上下(カミシモ)間違えちゃったね」と白酒が言うと、「いろいろ間違えました・・・・・・」とガックリしていたらしい。三年目の前座さんへの先輩からの“愛の鞭”ということか。その後、古今亭一門のことになり、「洒落ですから、ブログで書かないでくださいよ」「白酒、古今亭批判、とか書かれると困る」、と笑いながらも本人から念押しのあった、持ち味のややブラックで刺激的な話もあった。もちろん、詳しくは書かない。
 人間素直すぎても、正直すぎても困る、という自分や馬石のエピソードから本編へ。きょう介へのイジメ(?)への因果応報であったかのような高座。千代田卜斉が、「昼は近所の子どもを集めて素読の指南」の後で、「夜は町に出て、売卜(ばいぼく)の指南」とやってしまい慌てて誤魔化したが、その後もところどころ噛んでしまう、この人にしては珍しい不出来。これは、後輩イジメの罰が当たったということだろう。こういったちょっとした言い間違いは、滅多にブログに書かないのだが、きょう介のネタ選びとセットの話としてあえて書かせてもらった。お客さんの大半は満足していたように思うが、私の白酒への期待度には届かない。

古今亭駒次『泣いた赤い電車』 
 初めてのお客さんのために、マクラで自分が電車オタクであることを表明し、「電車ネタの新作もあるんですが、それだけじゃないということをお見せしたいので、今夜は昔話の『泣いた赤鬼』の現代版をやります」、と言ってオリジナルのあらすじを解説した後に舞台袖に引っ込んだ。さて再登場した駒次が持ってきたのは自作の紙芝居。結構大きな用紙に分かりやすい絵が描かれており、後方の座席からも十分に読める。その表紙に書いてあるお題が「泣いた赤い電車」。赤い電車が京浜急行、青い電車がJR京浜東北線。京浜東北をいじめるのが東海道線、という構図。詳しいあらすじは割愛するが、「日本昔ばなし」風の田舎言葉で語られる新作紙芝居、なかなかのものだった。神奈川、東京在住のお客さんが多いだろうから、特定の駅のエピソードでも笑いは起こるし、某私鉄の客層が悪い例を、酒瓶と人間が電車の床に横たわる絵で表現するなど、ほぼ絶え間なく笑いが起きる。
 入門8年目の二ツ目として、これだけオリジナリティのある新作を作ることのできる噺家さんは、そうはいないだろう。白酒もこの後の高座で、自分は新作を作ろうと思って挫折したが駒次には頑張って欲しいと言っていた。
 昨年は厚木で『半分垢』、にぎわい座で『生徒の作文』を聞いている。音源として『鉄道戦国絵巻』も聞いているが、この紙芝居も結構だった。そういえば、厚木の落語会では師匠の志ん駒が高座を降りる際に肩を貸して寄り添っていた姿が思い出される。私は、そんな優しさのあるこの人の新作の可能性を買っており、将来を期待している。もちろん、古典も磨いて欲しい。結構化けると凄い噺家になるような気がしている。

桃月庵白酒『千両みかん』 
 冒頭、「北関東では受けないでしょうね」と、駒次のネタに一言。いや、北関東版もあるはずだ・・・・・・。
 昨夜は渋谷に新しく出来た会場「渋谷区文化総合センター 大和田」の広いほうの「さくらホール」で落語会だったらしい。その顔ぶれは、昇太、白鳥、彦いち、白酒、そして一之輔。なんとも言えない五人。冒頭に昇太と白酒との対談があったようで、元々人見知りの二人への「嫌がらせ?」のような企画と言っていたが、さてどんな内容だったのだろうか。渋谷はこれまで滅多に落語会で行くことがなく、昨年からこの会場に行き出して、若者の街渋谷の情景に関するこの人らしい少しブラックなマクラが続く。初めて「109」に行った時の、あの女性ばかりの空間の、なんとも言えない臭い(香り?)には、喜多八も閉口いたとのこと。そして、その後すぐに喜多八は入院した、と続く。
 さて、「夏らしい、今しか出来ない噺」とふったので、内心は『船徳』を期待した。8月9日は旧暦の7月10日だったからだが、期待に反してネタは『千両みかん』。確かに、これも夏らしい噺には違いない。
 真夏にみかんを食べたい、と思い焦がれるあまりに病に伏せる若旦那、対象的に無駄に元気な番頭。この対比も良い。もし、みかんを見つけ出さなければ、主殺しの罪で「磔」だ、と脅す主人。汗を拭いながら必死にみかんを探し歩く番頭の暑がりようは、この人のことである、演技ではなかろう。文字通りの“熱演”だ。
 果物問屋を“千惣”としたのは、もちろん大師匠馬生の型。この千惣の主が、ようやく探し当てた一つのみかんを番頭に差出し、「どうです!」と言ってから、「腐ってます」とオトスあたりは、この人ならでは。こういった、いわば“フェイク”が、白酒の持ち味の一つだと思う。いわば、“かわしの芸”とでも言うものか。
 その後、腐っていないみかんを一個見つかり、喜び勇んで持ち帰る番頭。みかん一個千両に驚かない主人と若旦那への疑心、違和感が募る番頭。若旦那がみかんを三房一緒に口にほうばる様子を見ながら、「あぁ、三百両」とわめく番頭。そして、七房食べた後で三房を残した若旦那、「一つは父上、一つは母上、そしてもう一つは、苦労をかけた番頭、お前にあげるよ」と貰った後の心の葛藤も、なかなか魅せてくれた。今年のマイベスト十席候補としたい。


 先週の三三の印象がまだ強く残る、にぎわい座。そのせいで、一席目などは少し厳し過ぎる目で白酒の高座を見ていたかもしれない。しかし、それは、めぐり合わせなのでご勘弁願おう。
 そして、白酒にも三三のような新ネタへの挑戦などを、ぜひ期待したいものだ。そうだ、『大坂屋花鳥』は大師匠からの伝統がある噺ではないか。ぜひ挑戦して三三に対抗してもらいたい、などど勝手な願望を抱きながら、残暑厳しい中を桜木町の駅へ向かっていた。
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by kogotokoubei | 2011-08-09 22:52 | 落語会 | Comments(6)
 7月7日の第三夜の中入りでなんとか入手した、久しぶりの二階席も、ほぼ9割は埋まっていた。一階はもちろん満席。この企画は見事に当たったと言える。負け惜しみではなく、二階席もまんざらではなかった。鳥瞰することの楽しさもあり、この構図も楽しめた。

 構成と所要時間は次の通り。
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開口一番 柳亭市楽 『雛鍔』(19:00-19:20)
柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第四夜の壱(19:21-20:03)
(中入り)
柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第四夜の弐(20:20-21:14)
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市楽『雛鍔』
先月の『兵庫舟』よりは好感が持てた。マクラでの夢のネタが、なかなか可笑しかったが、詳しくは明かさない。少しだけバラすと、学校寄席に師匠の市馬と三三と三人で行き、市楽は『転失気』でまったく受けず、三三と市馬は、生徒を相手には受けないだろうという古手の客相手のネタで、生徒を爆笑させる、というもの。意外に、本当に見た夢かもしれない。

柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第四夜の壱
 今日では少ないこのような“続きもの“について、「朝の連続ドラマのようなもので、毎回凄いことが起こるわけではない」と、本人曰く“言訳”からマクラが始まった。たしかに、そうだろう。一席の高座にだって、中だるみはある。しかし、そういうダレ場も全体の構成としては必然性がある。
 今回も第三夜までの粗筋が受付で配布されたが、手短かに説明して今夜の前半が始まる。主な登場人物は三宅島に流された罪人仲間の三人。“大坂屋花鳥”こと、お虎、千住の博徒の勝五郎、その勝五郎を兄貴と慕う巾着切り“三日月小僧”庄吉。お虎が二人に三宅島に流された理由をさりげなく聞き出すところから始まるが、その回想の中で、三人の共通する接点が佐原の喜三郎だということが分かり、不思議な縁を感じることになる。そして、三人ともに“娑婆”に未練があるということで、島抜けへの連帯感が形成される。
 確かに、このパートは会話中心で、動きが少ない。なかなか“映像”が浮かびにくい部分。三三がマクラで“言訳”する理由も分かる。しかし、後半、喜三郎が八丈島に流される途中で体調を崩し三宅島に留まり物語が動き出す。なかなか結構な情景描写があった。島の人が入れ替わりで、「勝五郎さんに言われて」と看病に来てくれたお陰で喜三郎は回復。教えられた湧き水の場所に喜三郎がたどり着いて見た光景の描写が秀逸だった。海がどこまでも広がっており、風もなくさざなみが立ち、のどかに「春がどこまでも続いている・・・」という言葉に、はっきりと三宅島の海の情景が浮かんできた。なるほど、わざわざ三宅島に出向いただけのことはあったようだ。
 海を見ながら、つい喜三郎が「こんなところで死ぬわけにはいかねぇ、娑婆に戻って、(宿敵)馬差しの菊蔵を探さなければ・・・・・・」。その声を陰で聞いていた勝五郎が顔を出し、喜三郎をお虎の家に案内して涙の再会。さぁ、喜三郎が登場して、この後どうなるかというところで前半修了。

柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第四夜の弐
 去年、三宅島に行った時のエピソードからマクラが始まった。ちょうど映画「ロック わん子の島」の撮影中に訪れたらしい。道ですれ違ったのが権太楼の同級生の、ある女優だったとか、島は未だに防毒マスクが上陸時に必要で、売店でマスクを買った時のエピソードなどにつながっていく。マスクをした時の姿のたとえ話から、ジブリ映画のネタが膨らんだ。大好きらしい。トトロとラピュタなら一人でしゃべれる、と自慢する。一番好きなのが・・・という具合にジブリ映画ネタの勢いが止まらない。柳家喬之助と熊本の宿で相部屋になった際、テレビで、ちょうど「平成狸合戦ぽんぽこ」をやっていて一緒に見たと回想し、その流れで三三の寝言の話題に移った。さぁ、ほぼ20分。「さぁ、どこまでマクラは続くか・・・・・・」と、やや気になり始めた頃、「三宅島には川がない」と、三宅島に戻り、本編へ。
 噺の重要な小道具となる、雨乞いの儀式に使われる壬生の宝剣と金無垢の釈尊像のことを説明。お虎、勝五郎、庄吉、そして佐原の喜三郎の四人とも娑婆に戻りたい思いは一緒。さぁ島抜けをしようということで、あえて海に出ない忌日の七月十六日に実行することが決まった。喜三郎とお虎が、さぁ行こう、と思ったところに雨乞いの儀式を終えた壬生大助がやって来る、というところから“島抜け”の場は動き出す。
 島抜けメンバーには、湯島の麟祥院の納所坊主で、お虎の花鳥が放火したことによる吉原の大火事のために殺人が露見して島に流されてきた玄若が加わった。この玄若が、この噺に数少ない笑いのリズムをもたらす貴重な脇役になる。 これからの詳しい筋書きは書かないが、ヤマ場は「船幽霊」が登場する場面。太鼓と三味線の鳴り物入りで怪談じみた演出が効果的だった。なんとか壬生大助から奪った釈尊像と宝剣の力で幽霊を追い払ったが、壬生家に伝わる雨乞いの道具を使ったわけだから、雨を呼び嵐となる。二日二晩の漂流の結果、なんとか五人とも無事に銚子の浜に打ち上げられ、さぁ、これから五人にどんな運命が待ち受けているか、で切れ場。


 昨年もらった三夜の筋書きによると、三夜目のエンディングでここまでだった。そして、三三の手書きの文(もちろんコピー)は、その筋書きを綴った後で、こう補足がある。

「実はこの噺、もう少し続きがあるんですが、またいつか機会を見て申し上げるということで・・・。」

 
 だから、9月と10月の残り二回の高座は初公開の内容となる。残念ながら私は行けそうにないし、あえて行かないということもある。それは、昨年の三夜の一日目に行き(2010年11月16日のブログ)、今年は六夜の中盤の三夜(2011年7月7日のブログ)と四夜に来ることができた。
 来年、にぎわい座に限らず都内で企画されると予想しており、新たな後半は来年の楽しみにとっておこう、という思いもあるからだ。

 もちろん来年もあるかどうかは分からない。しかし、毎月会場を満席にする企画である。必ずしも横浜近郊の方ばかりではないだろうが、来たくても遠くて来れない落語ファンも多いだろう。国立演技場あたりで六ヶ月連続口演があっても、間違いなく商売になるし話題にもなるだろう。それだけ、歴史的な口演だと思う。

 前半は三三の言うとおり、動きの少ない部分で、これは全体のためには必要なダレ場の部分として仕方がない。後半は、ややマクラがジブリのネタで長くなったものの、本編は鳴り物の演出もよく、『島抜け』として、『大坂屋花鳥』と同様に十分に“抜き読み”として独立した噺になり得る内容。後半を今年のマイベスト十席の候補とする。

 二階席から見た、あの青々とした三三の頭の映像が残ったまま、桜木町の駅へ向かった。ほとんど、坊主頭だったなぁ。
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by kogotokoubei | 2011-08-05 23:13 | 落語会 | Comments(8)
国立演芸場での一之輔の会に初参戦。夢空間の落語会は久しぶりだ。人気落語家を集めただけの1,000人以上収容できるホールの会には行く気がしないが、こういう企画なら一度は来てみようかと思っていた次第。
 300席の会場の入りは九割ほどだろうか。構成は次の通り。
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(開口一番 立川こはる 『権助魚』)
春風亭一之輔 『あくび指南』
春風亭一之輔 『千両みかん』
(中入り)
寒空はだか   漫談
春風亭一之輔 『不動坊』
---------------------------------

立川こはる『権助魚』 (18:30-18:45)
 久しぶりだが、しっかり成長している、という印象。女性噺家の限界を感じさせない高座。権助の田舎言葉も厭味がなく、味わいがある。やや艶っぽい科白などもさり気なく語り、女性のハンディを逆に武器にさえしそうな能力を感じるのは私だけではないだろう。ボサボサ頭だけは、主役の一之輔の坊主頭との比較を含め、ちょっとなぁ、とは思うが、きっと床屋に行く暇もない程忙しいのだろう(?)。今年6年目のこの人が二ツ目になれない理由は、まったく理解できない。

春風亭一之輔『あくび指南』 (18:46-19:15)
 半蔵門の駅でこはると偶然会い、90度のお辞儀で大きな声で挨拶されて驚き、さすが一朝一門とは躾が違う、というマクラから、江戸時代の稽古ごとは女性の師匠目当てが多かった、という話に進み本編へ。
 今夜聞いた一之輔のこの噺にはヤマが明確に二つある。「あくび稽古指南所」の開設準備(?)をしていた美人が師匠だと思っていた八五郎が、師匠は実は彼女の旦那だったということで落胆するまでが最初のヤマ場。師匠のお内儀さんに精一杯の思いで自己紹介をする場面が、なんとも可笑しい。「商売は大工です。・・・・・・家(うち)、建ててます。」の絶妙の間が爆笑を誘う。その後に実際の師匠が登場し、稽古そのものの可笑しさへと続く。やや慌しい印象もあるが、“あくび”という妙な稽古ごとに行くための動機づけとしてお内儀さんに焦点を当てるのは納得がいく。
 ここまではいい。しかし、サゲを少しひねった。その効果というと、難しいところだ。二席目のマクラで、やや反省めいた一言もあったが、自分でも分かっているのだろう。チャレンジ精神は良いが失敗もあるし、彼はまだ失敗も許される。しかし、サゲ直前までは今年のマイベスト十席候補に入れるつもりで聞いていたので、ちょっと残念だ。

春風亭一之輔『千両みかん』 (19:16-19:46)
 冒頭、あくび指南のサゲを思いつきで変えたことを反省する弁。こういうことをやるから叱られる、ということで、以前に、ある師匠から楽屋に呼び出され、「オマエは絶対ダメになる」と言われたことがある、という回想。何をやらかして、どの師匠に言われたのかが気になるところだが、叱られるうちが幸せというものだろう。
 師匠一朝はそれほど細かいことは言わないようだが、我がままではあるらしい。トマト好きの師匠が、あるチェーン店の居酒屋での一門の飲み会で、“冷やしトマト”を切らずのそのまま出してくれ、と注文したがダメだった、というエピソードから本編へ。
 この噺は、まだ自分のものになっていない印象。若旦那の刹那さ、番頭の当惑など、深層心理がうかがえるようなところまでには至っていない。見た目での演技力はあるが、軽さを感じる。今後の稽古に期待。

寒空はだか『漫談』(『スタンダップ・コメディー』と言うらしい・・・) (19:55-20:15)
 名前だけは知っていたが、初めてである。一之輔自身が好きなのでゲストとして呼んだようだが、私は楽しめなかった。加えて、私の席の近くに、とんでもない“ゲラ男”の客がいて、どうでもいいギャグも含め大声で笑い続けており、そっちが気になって舞台の芸を集中して聞けなかったことも、楽しめない原因の一つであった。
 それなりの工夫はしているのだろうし、歌とブラックジョークが売りなのかもしれない。しかし、寄席の漫才や漫談に、もっとブラックジョークが程よく効いて楽しい芸人さんはたくさんいる。歌の駄洒落も私には可笑しくないし、どうも相性が合わない笑いだ。しかし、相性のいいお客さんもいるのだろう。人それぞれ、それでいいと思う。

春風亭一之輔『不動坊』 (20:16-20:56)
 はだかの出番を脇から見ていて、間違いなく怒っている人が一部いた、とマクラで言っていたが、私も含まれていたかもしれない^^
 このネタは一之輔で初めて聞くが、結構楽しめた。前半は、旅の途中に亡くなった講釈師の不動坊火焔の女房お滝を、その借金を含めて女房にもらうことになった吉兵衛が主役。湯屋の湯船に浸りながらの、お滝との会話の妄想が楽しい。後半は、同じ長屋の独身三人連れによる、吉兵衛への復讐作戦が中心だが、アルコールと間違って“アンコロ”を買ってきて、リーダー格の漉返し屋の徳さんに罵倒されるチンドン屋の万さんの、そのいじけ方が可笑しい。なかなか楽しかったが、マイベスト十席候補にするには、あと一歩という印象。


 一之輔の持ち味はいくつかあるが、やはり、“目の演技力”が秀逸だと思う。『あくび指南』の八五郎、『千両みかん』の若旦那、そして『不動坊』のチンドン屋の万さんなどに、その技が生かされていた。そして、彼独特の“間”のことも指摘しないわけにはいかない。この日もっとも印象的だったのは、『あくび指南』の八五郎が、あくび稽古の師匠のお内儀さんへの思いいれたっぷりの自己紹介で、「商売は大工です・・・・・・家(うち)、建ててます。」の部分に凝縮されていたように思う。本寸法な噺でも効果的な間の取り方で味を出すこともあるが、オリジナルのクスグリでは、いっそう噺を引き立たせるようにも思う。

 ゲストとの相性はしょうがないとして、三席しっかり一之輔を楽しめた。なんと言っても一席目を普通にサゲていてくれたら、マイベスト十席候補だったのになぁ、などど独りよがりのことを考えながら、ゲリラ夕立の上がった街を、永田町の駅へ向かった。
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by kogotokoubei | 2011-08-03 23:04 | 落語会 | Comments(3)
落語芸術協会のホームページで、来春の真打昇進者5名が発表された。桂平治の十一代目桂文治襲名のことと併せて、一昨日下記の内容が掲載されている。落語芸術協会HPの該当ニュース

平成二十四年真打昇進と桂文治襲名披露について

平成二十四年春、下記の五名を真打昇進いたします。

昔昔亭健太郎 (昔昔亭桃太郎門下)
春風亭柳太 (春風亭柳好門下)
昔昔亭笑海  (昔昔亭桃太郎門下)
瀧川鯉橋 (瀧川鯉昇門下)
笑福亭里光 (笑福亭鶴光門下)
披露興行は平成二十四年五月上席より執り行います。

また、平成二十四年秋、桂平治が「十一代目桂文治」を襲名いたします。
披露興行は平成二十四年九月下席より執り行います。

何卒よろしくお願い申し上げます。



協会HPから、簡単に紹介。
昔昔亭健太郎
・平成9(1997)年12月 春風亭柳昇に入門
・平成14(2002)年2月 二ツ目
・平成15(2003)年7月 柳昇死去により、昔昔亭桃太郎門下へ

春風亭柳太
・平成9(1997)年11月 春風亭小柳枝に入門
・平成14(2002)年3月 二ツ目
・平成15(2003)年6月 五代目柳好門下へ
 *HPには、平成15年に「小柳枝門下」となっているが、兄弟子の柳好の間違い。HPは速やかに修正すべき!

昔昔亭笑海
・平成10(1998)年4月 春風亭柳昇に入門
・平成14(2002)年6月 二ツ目 
・平成15(2003)年6月 柳昇死去により、昔昔亭桃太郎門下へ

瀧川鯉橋
・平成10(1998)年4月 瀧川鯉昇に入門
・平成14(2002)年6月 二ツ目

笑福亭里光
・平成10(1998)年6月 笑福亭鶴光に入門
・平成14(2002)年7月 二ツ目

 平成9年と平成10年の入門組が5人。全員が平成14年に二ツ目昇格者。来年が入門から14年目と15年目になる。香盤通りの年功。
 これからホームページでプロフィールを見る人も増えるだろうから、間違いを修正し、もっと自分をアピールすべきだろう、そういう意味では柳太の芸協HPのプロフィールは問題だ。柳太は小柳枝に最初に入門したが、その後兄弟子の柳好門下になったはずなので、芸協ホームページのプロフィールは、早急に修正すべきだろう。HP担当のミスかもしれないが、小柳枝には失礼な誤りである。
 この五人で生の高座を見たことがあるのは、鯉橋だけだと思う。今年4月、喬太郎をゲストに迎えた桂平治独演会で、『厩火事』を聞いた。地味ながら結構本寸法の高座には好感が持てた。
 
 今年の真打昇進がないのは、五代目円楽グループ(現状じゃ“六代目円楽グループ”と言えなくもないか?)の芸協加入問題があったことが影響していると察する。
 しかし、昔昔桃太郎が、ある落語会で、円楽グループの芸協加入の可能性は消えた、と語ったらしい。落語愛好家仲間から桃太郎の語った内容を伝え聞いたが、それを暴露することは差し控えるものの、円楽グループ問題にケリがついたことで、来春の昇進を発表するに至ったのだろう。


 落語協会は、いつ発表があるのだろうか。実力主義で決めるだろう、という憶測のある小三治会長の選考の中に、果たして一之輔が入るのか否か。それとも、しばらくは従来通りの年功で決めるのか。なかなか興味深いものがある。
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by kogotokoubei | 2011-08-03 10:30 | 真打 | Comments(2)
今日から8月。8月1日を「八朔(はっさく)」と言う。本来は旧暦8月1日に「八朔」の行事があるべきなのだが、新暦にそのまま移行していることも多いのは、ある程度やむを得ないかかもしれない。ちなみに今日は旧暦では7月2日。旧暦8月1日は今年は8月29日。
 京都から「八朔」行事のニュースを紹介。MSN.産経ニュースの該当記事

八朔の京都、芸舞妓「おたの申します」
2011.8.1 13:13

 京都の芸舞妓(げいまいこ)が芸事の師匠やお茶屋に挨拶(あいさつ)まわりをする行事「八朔(はっさく)」が1日、京都市東山区の祇園一帯などで行われ、辺りは華やいだ雰囲気に包まれた。

 八朔は旧暦の8月1日をさし、お世話になった人にお礼や贈り物を届ける風習があった。花街では、新暦移行後もこの習わしが続けられており、夏の京都の風物詩となっている。

 京都五花街の1つ、祇園甲部(同市東山区)では、黒紋付きの正装をした芸舞妓が京舞井上流五世家元の井上八千代さん宅などを訪問し、「おめでとうさんどす」「相変わりませず、おたの申します」などと挨拶した。

 舞妓の真咲(まさき)さん(15)は「とてもおめでたいことです。今年が初めてで緊張していますが、気持ちを新たに頑張りたい」と話していた。



 「八朔」について何度も引用させてもらっている小林弦彦さんの本には、こう書いている。小林弦彦著『旧暦はくらしの羅針盤』

徳川家康が江戸城に入った日とされ、江戸時代は公式の祝日でした。八朔は中秋の入りでもあり、季節の変わり目でもあり、草餅やぼた餅などを作ったところもありました。庶民の間では、この日から「よなべ」が始まりました。よなべとは、夜の残業のことで、奉公人にとっては嬉しくない節日でした。



 「土用」の話の時にも引用した荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』から、「八朔」のことを紹介したい。京都の芸舞妓の「おたの申します」も色っぽいけど、江戸の色街では、京都とはちょっと違った慣習があったのだ。
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 荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

八朔 
 8月1日のことを「八朔」といいます。一般には、徳川家康が江戸城に初めて入城した日だったり、その年の新しい穀物を贈答したりして祝う日なんだけど、八朔というと、あたしたちにとっては吉原をイメージするくらい色っぽいことのような気がするのね。
 というのは、吉原芸者たちが新しい出し物をやって見せたり、新しいおべべを着たりするんです。遊女じゃなくて、吉原芸者だよ。たとえば新作の吉原俄(にわか)が始まるんだけど。俄というのは特別な出し物みたいなもの。踊りが多いけど、博多俄なんかは漫才みたいなのをやったりもする。企画ものという感じですね。
 この日は吉原の紋日です。紋日は旗日(祝日)のことですが、廓の紋日というのは、世間一般の旗日とは違って、この日遊女たちは白無垢小袖に衣がえをする。なぜ衣がえが旗日になったかというと、着物からなにから全部替えるのは、たいへんなお金がかかる。どれだけの衣装を用意できるか。たとえば一流の花魁といわれる人が、新しい衣装を身にまとえなかったら、その人はもう落ち目になったと思われるでしょう。超一流が二番手、三番手になっちゃうわけだから。そういう、権勢を誇る特別な日でもあるんですね。だから、八朔は廓の旗日だというのが、「いいね、色っぽいね」という感じがするんだよね。
 そんなふうに、一般の人の知らないような行動がいっぱいあるんです。


 京都の芸舞妓の風習とは、ちょっと違う吉原芸者の八朔の行事。そして、落語愛好家には何と言っても馴染み深い(?)、吉原花魁のこと。「紋日」という言葉は、『品川心中』で落語ファンにはお馴染み。品川の白木屋で板頭(いたがしら=筆頭女郎)を張ってきたお染が、紋日前になっても“移り替え”ができそうになく、誰かを道連れに心中しようと思い立って・・・・・・という噺。すべては書きません。上下ある長い噺だが、下を聞く機会は、そう多くない。

 “移り替え”は、着物を紋日ごとに季節のものに新調するだけではなく、お店のやり手婆さんや牛太郎などの従業員にも酒や肴を振舞って小遣いまであげる行事なので、それ相応のお金持ちの客(パトロン)がいなくては、とてもトップ(板頭)の座を維持できないわけだ。「巻紙も 痩せる苦界の 紋日前」ですよ!
 
 まぁ、旧暦時代の歳時が、新暦にせよ残っていれば、その背景や物語をたどることもできるから、有難いと思うべきなのかもしれない。そう言えば、果物のハッサクは、旧暦8月1日頃に採れるので名がついたらしい。あくまで、旧暦八朔の頃ですよ。
 
 昨日から旧暦の7月に入ったから、秋が始まったわけだ。今週6日土曜日が旧暦7月7日の七夕。半月の夜だから天の川を見るのが、ちょうどいいわけだ。そして来週8日の月曜日が「立秋」。ついでに言うと、翌9日が旧暦7月10日の「四万六千日」。ただし、浅草寺では、先月新暦ですでに「ほおずき市」は終っている。
 季節の歳時を旧暦に少しでも近づけようとしているのが、仙台など北国の七夕まつり。毎年8月7日に行われる。今年も仙台で開催されるようで何より。仙台七夕まつり公式サイト
 震災からの一日も早い復興を祈るまつりになるのだろう。珍しく締めの一句。

 「被災地の 祈りよ届け 天の川」(オソマツ)
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by kogotokoubei | 2011-08-01 16:57 | 旧暦 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛