噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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通算で十一回目らしい。ドイツ行脚の話も期待し、蒸し暑い中を野毛の“地下秘密倶楽部”のげシャーレへ。141席の会場のチケットは完売かと思っていたのだが当日券もあり、実際にいくつか空席もあった。“ぴあ”も、にぎわい座でも売り切れになっていたように思うが、私の記憶違いだったかな。
 ともかく、次のような構成だった。
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三遊亭兼好 『犬の目』
桂宮治   『禁酒番屋』
三遊亭兼好 『一分茶番』
(仲入り)
三遊亭兼好 『死神』
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兼好『犬の目』 (19:00-19:27)
 マクラは期待通りドイツ行脚のネタ。兼好と木久扇の弟子林家ひろ木、そして通訳とコーディネーター役のドイツ人女性の珍道中(?)の話が楽しかった。ウィーンに始まり、ベルリン、ボンと続く落語会で『親子酒』などを披露したという話の中で、他のネタの名を伏せていた。私はある情報源から他に用意していたネタ情報を入手していたので、「きっとそのネタを今夜かけるな」と推理していたが、その読みは三席目で当たった。
 マクラの中でも可笑しかったのがベルリンからボンへ向かう際に乗るはずだった寝台電車の手配にミスがあって乗ることができず、急遽ベルリンで一夜を明かすことになったという話。観光シーズンでどこのホテルも満室、結局ベルリン駅近くの高級ホテルと交渉し、「バーで寝ずに朝まで飲んでいれば、いてもいい」、ということになったらしい。寝たらホームレス扱いで追い出されるとのこと。眠りかけた桂ひろきの閉じた瞼の上に、兼好が目を描いたところ本物の目にそっくりで、携帯音楽プレーヤーを聴きながら舟を漕いでいるひろきが、まるで目をパッチリ開けて音楽に合わせて体を揺らしているように見えた、というのはなんとも可笑しかった。近づいてきたウェイターが、飛び上がって驚いたという。15分のマクラより短めの本編は、ギャグ満載で、軽いながらも楽しい高座。ゴミが入って見えなくなった眼を取り出し、間違って犬の眼を入れてしまうという荒唐無稽な落語らしいネタだが、ヘボンの弟子の弟子の知り合いとかいう医者の新井シャボン(シャモン?)が「ケメヅカ君」と助手を呼ぶ声でさえ、なんとも笑える。

宮治『禁酒番屋』 (1928-19:46)
本来の「開口一番」が「二番」となり、「(兼好)師匠のイジメ」などと言っていながら、大師匠文治の十八番に挑戦した。来年二ツ目というのは順当だろうと思うし、いつまでも前座噺ばかりではないだろう、と期待して聞いていた。定席の前座の出番ではかけれないネタだろうから、もちろんこなれていないのだろう。ところどころで言い間違いなどもあったが、それには目をつぶろう。十分に今後が期待できる高座だし、ニンである。私はこの人の将来性を買う。

兼好『一分茶番』 (『権助芝居』) (19:47-20:17)
 マクラは中村吉右衛門の人間国宝のことから。確かに弟が人間国宝になったということは、兄の幸四郎をスルーした、ということだろうなぁ。そして海老蔵に話題が移り、あの事件を素材にした仮想歌舞伎で会場を爆笑させてから本編へ。このネタは、いわばこの人の“鉄板”ネタだと思っている。以前にも聞いたが、主役である飯炊きの権助が生き生きとしており、好きな噺。急に番頭から芝居の出演をされる時の二人の会話が前半のヤマ場。特に権助が、かつて村芝居の「七段目」でお軽を演じた時を振り返る部分が楽しい。芝居そのものの観客と権助との掛け合い、これまた結構だった。

兼好『死神』 (20:26-21:04)
 ドイツでは落語会の間に、国立民族博物館で講演も依頼された、とい話から。兼好の出身が福島県会津ということもあって声がかかたようだ。あちらでは多くのドイツの人から「よくぞ無事で!」と声をかけられたらしい。正しい情報が海外で伝わっていないこともあって、「地震と津波」に「原発」の福島の人はほとんど亡くなっているように誤解されているようだ。確かに、そのへんは分からんだろうなぁ。「脱原発」の「脱」という言葉の強さのついてもふれて、そこから川柳川柳が「脱ガーコン」と言えば「禁ガーコン」よりは強い意志で「もうガーコンは二度とやりません!」ということになる、などの喩えが可笑しかった。本編に入った時に、一席目の予感が当たり、妙にうれしかった。兼好では初めて聞く。
 主人公の八っつぁんが、死神から“やってはいけない”と言われていたことをやって病を治した伊勢屋の主人が、これまでにかかったという医者のクスグリがタイムリーな内容で笑えた。最初の医者が“マツモトフッコウ”、次が“カンソウリ”、そして三人目が中国人の“シンカンセン”とくれば、皆さんもどんな話になるか想像がつくと思う。この噺は、どうしてもサゲへの関心が強くなるが、なかなかユニークなサゲ、とだけ書くことにする。兼好自身もいろんなバージョンがあるのだろうし、後日別なサゲで喜ばせて欲しいものだ。


 7月16日の「マクラ王」では、あまりに「マクラ」を意識したこともあるのだろう、ややギクシャクした高座だったが、流石にホームグランドでの家族的雰囲気での三席は、ドイツの土産話を含め楽しむことができた。今夜のほうが“マクラ”が充実していたなぁ。都内の広い空間で不特定多数を相手にするのとは違って、いつもの場所と見知った人の多い客席が、高座を楽しいものにしているのだろう。。そして終演後にいつものように、本人がお客さんを見送る姿も含め、こういう会に来るとホッとする。どれか一席、ということではなく、落語会としては非常に満足度の高い会だった、そんな思いで、小雨が降る中を桜木町駅へ向かった。

p.s.
 兼好のドイツ落語会行脚については、ブログ「クララの八百八町」に詳しく報告されていますので、ご興味のある方はご覧のほどを。ブログ「クララの八百八町」
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by kogotokoubei | 2011-07-28 22:41 | 落語会 | Comments(5)
三枝の文枝襲名の件、次の記事を読んで、また小言を言いたくなったので書くことにする。スポーツ報知の該当記事

桂三枝、異例の二刀流プラン!「文枝」襲名後も「三枝」使う

 来年7月に「六代桂文枝」を襲名する落語家・桂三枝が、68歳の誕生日となる16日、都内で会見し、襲名後もタレントとして「桂三枝」の名を併用する意向を明かした。司会を務めるテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」(日曜・後0時55分)などのバラエティー番組には「桂三枝」として出演を続ける考え。今後、関係各所と協議を重ねるが、過去に同様の例はなく、実現すれば異例の“二刀流”となる。

 上方落語の大名跡「桂文枝」が復活しても「タレント・桂三枝」は生き続ける。一代で名前を大きくした三枝が、仰天の腹案を披露した。「(三枝の名を)誰かに継がせることは考えていない。テレビ局や(所属する)吉本興業と相談して、うまく残せていけたら」。高座名とタレント名を使い分けるという、前代未聞の計画だった。


 まったく理解できないし、賛成できない。こんな中途半端な襲名なら、やめて欲しい。

 関山和夫さんの『落語名人伝』から、初代桂文枝に関して引用する。関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 明治初年の大阪落語界で最高の名人といわれた初代桂文枝は、明治7年4月3日に没した。惜しいことだったが定命はやむをえない。この人が自分の得意とした落語『三十石』を百両で質入れしたという話は有名で、なかなか面白い。初代文枝は三代目文治の弟子で、上方落語の歴史の上では、桂派中興の祖と賛える人が多い。すぐれた人物は幾多の門弟を育成するもので、年とともに人格の方も深みを増すことがある。初代文枝の門下から多数のすぐれた噺家が出たために上方落語は黄金時代を迎えることができた。



 その初代文枝門下の弟子達は次のような顔ぶれ。

文枝門下の四天王は、初代文三(のちに二代目文枝となる)、初代文之助(のちに曾呂利新左衛門となる)、初代文団治、初代文都(のちの月亭文都)である。これらの人々がそれぞれ一家をなして、はじめて初代文枝が目ざした桂派全盛時代が現出したのである。


 その後、この弟子達によるいろんな葛藤もあることはあるが、ここではそれがテーマではない。あくまで、文枝という名跡のこと。
 
 中途半端に襲名する名前ではないし、どんな名跡だって、それは同じだろう。

 それほど三枝という名前にこだわるなら、文枝を継ぐべきではない。

 「テレビのバラエティは三枝、高座では文枝」などという、いい加減な気持ちで襲名するのなら、大名跡そのものへの冒涜であろう。今ならまだ間に合う、襲名はやめるべきだ。もし、創作落語について文枝を名乗りたくないのなら、本名かペンネームを使えばいいだろう。

 文枝を襲名するなら、高座もテレビ出演も日常生活も、すべて文枝なのである。その重さに耐える覚悟がないのなら、襲名などすべきではない。十年後にでもいい、かい枝が襲名することを望む。それでも、十分に大名跡は残るではないか。

 吉本と三枝の商売優先の襲名、まったく不愉快である。師匠だって「いらっしゃ~い!」とは言ってくれないだろう。
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by kogotokoubei | 2011-07-25 18:33 | 襲名 | Comments(6)
昨日は「朝まで生テレビ」の録画を見てから、新宿へ向かった。友の会の7月末までの入場券があり、今年は芸協強化年間(?)でもあるので下席にしようと思っていた。どうも来週は行けそうにないので、代演はある程度覚悟で出かけた次第。夜席の主任は小柳枝だが、土曜は昼の落語会しか行かない主義なので、歌春が主任の昼席。歌春の高座を一度は聞きたかったということもある。二代目桂枝太郎の最後の弟子にして、歌丸の総領弟子であるこの人がどんな落語をするのか、興味があった。

 新宿三丁目の某ラーメン店でつけ麺で昼食をとってから12時15分頃に末広亭に到着。代演の多い日で、お目当ての一人である遊雀も南なんに代わっていた。これも、寄席なのだ。中に入ると北見翼の奇術の最中。奇術の後で前のほうの座席が空いていたので着席。席に座ってから12時20分以降の演者と感想を書く。()内は所要時間。代演には別な色をつけた。

瀧川鯉太『ぜんざい公社』 (15分)
初である。帰宅してからネットで芸協のホームページで「二ツ目}を探したがないので真打を探したら、二年前に真打昇進していた。鯉昇の三番弟子らしい。なんともリズムの悪い高座。まぁ、今後精進してもらおう。

三遊亭遊史郎『たがや』(15分)
初である。米多朗の代演で小遊三門下。結構本寸法で演じていた。声の性質は好みが分かれるところで、最初は馴染めなかったが、だんだん慣れてきた。それなりの実力を感じさせる。別なネタを聞きたい気がした。

ぴろき(9分)
本来は“青年団”の番だが、早めに登場。たった9分というのは、後で確認したのだが、とてもそうは思えな芸。同じネタでもこれだけ笑えるというのは、やはり凄い。

桂竹丸『漫談』(11分)
初である。その昔(?)、「お笑いスター誕生」(日本テレビ)という番組への出演が縁で米丸師匠に入門し、20年前の1991年、当時は落語も漫才も含めて行われていた“NHK新人演芸大賞”で大賞を受賞した人。漫談で笑わせる技術は、もちろんある。しかし、ほぼ同世代(私より少し若いが)で、その茶髪を含め、なんとかならんかなぁ、とも思う。噺家の茶髪は一人でいい。

神田紅『講談』(14分)
初である。後で調べたら、同世代、少しだけ私が後輩。武田信玄と上杉謙信の「竜虎の戦い」を語る“虚と見せては実と変り、実と見せては虚と変る」の文句が、「赤穂浪士」でも使われているということで、この二つが入り混じったことがあったが、聞いている客は分からなかったというのが可笑しかった。本編は笹野権三郎が、海賊西海灘右衛門一党を一掃する「海賊退治」のさわり。講談をまた聞きたくなる、そんな楽しい芸だった。

国分健二『ワンマン笑』(14分)
初である。青年団の代演。この”ワンマン笑”というタイトルは、芸協のHPから引用した。それにしても芸協のプロフィールの写真は、何十年前の写真だろう、ほとんど詐欺だぞ^^基本はモノ真似。特に小林旭。懐かしい歌のオンパレードでうれしかった。

桂南なん『大安売り』(15分)
この人は初席以来。初席では『動物園』だった。なんとも言えない味のある人。小南師匠門下。もちろん遊雀の休演は残念だが、何度も言うように、これが寄席なのだ。帰宅してから調べたら、遊雀は東村山での営業だったようだ。

桂伸乃介『真田小僧』(13分)
初である。金太郎の代演。十代目の文治が伸治時代に入門したベテラン。 この人が文治一門の総領弟子のようだ。次が蝠丸、その次が伸治の順。なかなか若々しい高座。

桧山うめ吉『俗曲』(13分)
久しぶりだ。噺家に挟まれた、オアシスのような時間(?)。「米山甚句」に始まり、踊りで締めた。芸なら小菊、陽気さなら小円歌、若さと色気ならこの人。そして、いつまでもお元気に玉川スミ師匠!

桂米丸『ジョーズ』(14分)
中トリは大正14年(1925)生まれの86歳の重鎮。元気な高座がうれしい。マクラのネタの一つを忘れたという場面もあったが、それもご愛嬌。初席と同じネタになったが、なかなかこの新作は秀逸。サゲの工夫も楽しい。

春風亭柳之助『ちりとてちん』(12分)
初である。春馬の代演。夜席出演だったので、春馬と昼夜交換なのかもしれない。柳昇に入門し、今は小柳枝門下。なかなかの男前で、髪もしっかり短めに揃え、本寸法な高座で、笑いも多かった。5年前に真打に昇進した、今年45歳の人。この日一番の発見である。噺家としては顔が整いすぎ(?)かもしれないが、今後が楽しみな人。

Wモアモア『漫才』(14分)
この二人は、好きだ。結構“毒”のあるギャグを言うのだが、嫌味にならないし可笑しい。もっとも会場が笑ったと思う。20数名の団体が二組ということを、二人の話で知ったが、道理で後半から二階席も開いた訳だ。

桂伸治『お菊の皿』(15分)
蝠丸の代演。久しぶりだが、結構な高座だった。最近の私にとっては、期待している前座、宮治の師匠という認識。師匠の二つ目時代の名跡をもらいながら、文治の名跡を後輩の平治に譲ったやさしさのようなものが、高座からも伝わる。大袈裟に言えば、この人には客をホッとさせてくれるオーラのようなものを感じる。

三笑亭夢太朗『替り目』(15分)
初である。夢楽門下で夢之助の少し先輩に当たるようだ。しっかりした高座で、楽しめた。この日の本寸法な高座という意味では一番。こういう人たちが芸協の寄席を支えているのだと思うと、楽太郎一派などの入る余地はないわなぁ。

ボンボンブラザース『曲芸』(8分)
プログラムに書いたメモを後で見て驚いた。あれがたった8分だったの!?
チャップリンを彷彿とさせるような軽妙な表情の味といい、お客さんを自然に巻き込んだ帽子の芸の楽しさといい、10分以上の印象。それだけ中身が濃かったということだろう。紙切れ芸がなかったが、十分に楽しませてもらった。

桂歌春『鮑のし』(25分)
テレビでは顔を何度か見かけたが、高座は初めて。どうしても昭和24年生まれ、今年で62歳には見えない。私と違ってフサフサの髪の毛を自慢するかのような(あくまで僻みです)姿も、若々しく見させている。そして高座も語り口が軽く(よく言えば軽快)、若さを感じる。好みになるが、私はもう少し年相応のものを期待してしまう。爆笑の高座ではあったが、サゲまで行かなかった。主任なら、マクラを短縮してでもサゲまで願いたいところ。


 代演がなんと6名。これが寄席とは言え、この人数の多さは初めてだ。芸協の噺家さんも土曜となるといろいろ営業が入るということかもしれない。
 たまの寄席は、やはりいい。初めて高座を見る人も多く、いくつか発見もあった。特に色物にハズレはなかったなぁ、などと思いながら、暑さの残る夕方の新宿の雑踏の中を地下鉄の駅へ向かった。
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by kogotokoubei | 2011-07-24 07:48 | 落語会 | Comments(10)
 たまたま昨夜、家の近所の鰻屋さんで鰻を食べた。土用の丑の日には食べないことにしているので、前倒しして、馴染みの店で連れ合いと食べた鰻は上手かった。養殖とはいえ、静岡県吉田町産で、肉厚の美味しい鰻を、良心的な価格で食べさせてくれるお店。普段は夫婦二人で切り盛りしている鰻屋さんだが、明日21日の丑の日は助っ人数人がやって来て臨むとのこと。しかし、いつもと同じ品質の鰻を通常より多く確保するのは大変な苦労らしい。長年のお付き合いがあって初めて確保できるとのこと。

 鰻屋のご主人と四方山話をしていたら、台湾産鰻が国内産より高くなったということを聞いた。
 
 帰ってからネットで調べたら、なるほど、NHKのニュースでも取り上げていた。NHKオンラインの該当ニュース

台湾産うなぎ価格 国内産上回る
7月13日 18時5分

「土用のうしの日」を前に、台湾では、日本向けに輸出する養殖うなぎの出荷作業が最盛期を迎えていますが、ことしは、稚魚のシラスウナギの不漁が原因で、日本国内の卸売価格は過去最高値となり、台湾産のうなぎが国内産を上回る事態となっています。

養殖したうなぎの9割以上を日本に輸出している台湾では、来週21日の「土用のうしの日」を控え、出荷の最盛期を迎えています。台湾北部の空港近くにあるうなぎの輸出会社の施設では、台湾各地で養殖されたうなぎが運び込まれ、日本に空輸するため、氷の入った水と一緒に袋に入れられ、箱詰めされる作業が行われていました。台湾では、日本と同じように稚魚のシラスウナギの不漁が原因で、ことしの日本国内での卸売価格は過去最高値となり、ことし5月から6月にかけては、台湾産のうなぎの値段が国内産を上回る事態となっています。日本の輸入業者によりますと、今週の台湾産のうなぎの国内での卸売価格の相場は、1キロ3350円と、去年の同じ時期に比べ70%以上、値上がりしているということです。台湾から日本への輸出量は、今月に入ってから、去年に比べ60%落ち込んでおり、台湾のうなぎの業界団体の代表は、「うなぎの価格が上がるのは望ましいが、これから先も不漁で高騰している稚魚を確保できず、台湾の養殖業全体が縮小してしまうことを心配している」と話していました。台湾では、稚魚のシラスウナギの高騰が続くなか、うなぎの養殖から撤退する業者も出ていて、今後、収穫量をどのように確保していくかが課題となっています。


 ニュース動画の最初の画像だけでもグラフが確認できるので、こちらも紹介。
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 中国産も台湾産も国産価格を上まわっている・・・・・・。
 いくら、稚魚のシラスウナギが不漁とはいえ、「土用の丑の日」を当て込んで、しっかり商売しているように思うのは、私だけではないだろう。

 土用の丑の日に、無理して普段より高かったり量が少ない中国産や台湾産の鰻を、騒々しくサービスの行き届かない店で食べなくてもいいと思うのだが・・・・・・。
 そもそも土用は夏だけではなかった。以前にも何度か紹介している小林弦彦さんの本から引用する。小林弦彦著『旧暦はくらしの羅針盤』
 土用は旧暦の「雑節」の一つ。
 *ちなみに、昨年「処暑」を取り上げた時に、下記の文に登場する「二十四節気」を説明したので、ご興味のある方はご覧のほどを。2010年8月23日のブログ

 雑節は、二十四節気や五節供以外に、「暦注」として旧暦時代の暦本に記載されていたものです。忘れられたものもありますが、多くは現在でも年中行事として使われています。
 雑節は、一般的には「節分」「彼岸」「社日」「八十八夜」「入梅」「半夏生」「土用」「二百十日」「二百二十日」の九つです。それ以外には、「初午」「盂蘭盆会」「中元」を加える説もありますが、ここでは九つのみ説明します。


 土用は次のように説明されている。

土用 
 旧暦では、立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前の十八日を、土用といい
ました。年に四回あったのですが、夏の土用だけが残りました。夏の土用は
猛暑の最中ですので、「土用うなぎ」を食べるのが一般に普及しました。


 補足すると、必ずしも18日間とか限らない。17日の場合も19日のこともある。wikipediaから引用する。

歴史 
 五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。
 土用の間は、土の気が盛んになるとして、動土・穴掘り等の土を犯す作業や殺生が忌まれた。ただし、土用に入る前に着工して土用中も作業を続けることは差し支えないとされた。また「土用の間日(まび)」には土用の障りがないとされた。



 さて、今日では夏の土用のみが日常で意識され、その間の「丑」の日に鰻を食べる習慣が残っているのだが、夏のこの時期、必ずしも鰻だけがお奨めではないし、その昔にはいろんな夏の風物詩があったということを、次の書から紹介したい。
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 荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 著者の荒井修さんは私より少し年長の“団塊の世代”で、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん。「はじめに」から、まず引用。

 あたしが生まれた昭和23年ころは、まだ戦災の爪あとが深く、東京中が仮住まいのバラックだらけだったそうです。それでも物心のつく三、四歳のころになると本建築の家が建ち始め、あたしの家にも大工さんが入り、その大工さんの弁当箱の大きかったことを今でも覚えています。
 あたしは浅草で三代続く扇子屋に生まれましたが、戦時中に踊りを踊っている人などいるわけもなく、扇子なんかそうそう売れるものではありません。当時は仕入れられるものならなんでもということで、万年筆からおもちゃの刀まで売っていたというのだから、祖父やおやじたちの苦労は相当のものだったと思います。
 (中略)
 この本は、あたしの生まれ育った下町と、江戸時代からの歳時記を加えて綴ったものです。もちろん下町とは、江戸城から江戸湾に向かった日本橋あたりから人形町方面をさした言葉で、江戸時代でいうところの浅草は下町エリアではありません。けれども庶民の町で江戸一番の盛り場ですから、下町文化という点では、この地のあれやこれを下町の歳時記とすることにっは間違いはないと思います。


 “あたし”であって、“わたし”や“私”ではないところが、ミソ!
 さぁ、荒井さんによる夏土用の下町の歳時記をご紹介。

夏土用と暑気払い 
 夏の土用となると、いろんなことをやりますが、土用の丑の日にうなぎを食うなんていうのは、一説には平賀源内がうなぎの売れ行きの悪かった時期に、うなぎ屋のために始めたものです。土用というと、それまでは丑湯なんていうのがあるんですよ。夏土用の丑の日に薬湯につかるんです。そうすると健康になれる。
 それから、丑浜なんていってね、丑の日に海に入るんですね。そうすると健康でいられるとか、いっぱいあるんだ。焙烙灸もそう。さっきの、お盆に使う焙烙があるでしょう。そこに山のようにお灸を据えて頭に載せるの。効き目があるとかなんとかではなくて、一つのおまじない的にね。
 夏土用のころっていうと、たいがい暑いんで、暑気払いに「直し」というものを飲む。直しというのは江戸の言い方で、上方では「柳陰」といいます。「青菜」という落語の中にも出てきますが、柳のある日陰で、ちょっと飲んで涼めるというところから柳陰というらしい。これは、焼酎をみりんで割ったものなんだけど、この焼酎はどうやら米焼酎のようです。
 みりんというものは文化文政から天保年間に、江戸で一番の料理屋「八百膳」四代目主人の栗山善四郎という人が書いた『料理通』という本がるんだけど、この中の一節に、「みりんを煮返して」っていうのが出てくるわけ。そうすると、みりんがちょっと焦げるんだな。それがおいしくするコツらしい。だけど、そうやって料理に使うだけじゃなくて、屠蘇散を入れてお屠蘇として飲んだり、飲み物としてのみりんもあるんです。
 で、この直しはとろっとして、リキュールみたいな感じ。甘くてね。これはがぶがぶ飲むもんじゃないね。みりんは、冷たくすると固まっちゃうからそのままで、井戸水の中に徳利ごとつけておいた焼酎で割る。その程度の冷え方でじゅうぶんなんだと思うよ。これを飲んで身体の中の熱を外に出すという、この知恵、素敵じゃない?
 (中略)
 直しの場合は、ある説によると、焼酎2に対してみりん1っていうんだけど、この前、実は割り方をいろんな比率で試してみたときに、上方の人間が一人いたんだ。そいつはみりん2に対して焼酎1でいいって言う。だけど東京の人は、「いや、焼酎2でみりん1だとう」って言ったりね。これでかなり度数が違うんですよ。
 ちなみに、あたしは1対1がうまいと思うんだけどね。


 ここで出てくる“焙烙”とは、荒井さんの説明では、「素焼きの大きな皿みたいなもの」である。

 出ましたよ、「青菜」!「直し」!
 直しのことが、よく分かる解説がうれしい。
 夏の土用の時期の暑気払い、必ずしも「鰻」だけではないわけだ。この後に、次のように書かれている。

夏を越す 
 夏っていうのは、たぶん、昔の人にとってはたいへんきびしい季節なんですよ。大人だけじゃなくて、幼児のうちに死んじゃったりする場合が結構ある。江戸時代は、寿命五十歳だったりするでしょう。だから、夏を越せたというのは、おめでたい話なわけですよ。夏には夏独特のいろんな病があったり、水あたりがあったりというのは、もう普通に起こりやすいことだから、それをどうやって越すかということは、その時代の人にすりゃたいへんなことですよ。
 だから焙烙灸にしろ、井戸さらいにせよ、みんな夏を越すための大切な行事ですよ。行事というか、なきゃならないものなんだろうな。
 当時の人が夏を恐れ、そして信心を持ち、それからなんとか乗り切っていくために、暑気払いというようなものがある。
 「蚊やり」っていう言葉があるでしょう。蚊は向こうに「やる」ものなんだ。殺しちゃうという了見じゃないんだよ。わかる?江戸の人間というのは、あくまでも最後に逃がすんだよな。そうありたいということだね。


 
 以前に飼っていた犬を思い出す。メスが十六歳で亡くなった翌年、オスが十九歳で天寿を全うした。亡くなったのは11月だったのだが、その年の夏が越せるかずいぶん心配したものだ。

 夏、そして土用、鰻だけではないことが少しはお分かりになったかと思う。鰻を食べなくても、「土用しじみ」なんてのもあるね。私はしじみ大好き。オルニチンが肝臓にいいから。

 丑湯に浸かって、“直し”をじっくり舐めるように飲みながら、青菜をつまみ、しじみ汁を吸う。

 よし、これで夏を乗り切ろうと思って、奥に「青菜はあるか?」と聞いたら、「鞍馬山から牛若丸がいでまして・・・・・・」(スイマセン)
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by kogotokoubei | 2011-07-20 16:08 | 旧暦 | Comments(4)
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森まゆみ著『円朝ざんまい』(文春文庫)

 実は、もっと早くに紹介するつもりだった本なのだが、入手したのが3.11直後で、どうしても他の本に目が向き、今になってしまった。
 初出は「月刊百科」の2002年4月号~2003年5月号の連載と「上州風」の2004年11月号掲載、単行本は平凡社から2006年10月発行。文春文庫で今年3月10日初版。この3月10日という発行日に、なんとも言えない思いがよぎる。

 森まゆみさんは作家であり、2009年まで地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の編集人を務めた下町のスペシャリスト(?)。その森さんが本書につながる連載を書こうと思った背景を、「第一章 闇夜の梅」から引用する。

 三遊亭円朝という人は、下谷本郷とゆかりの深い人である。天保(1830~44)に湯島大根畑(切り通し、のちの岩崎久弥門前)に生まれ、谷中、根津を転々とし、下谷万年町で死んだ。その話の中には谷中、根津、千駄木とその周辺が数多く登場する。
 そんな話を落語好きの編集者・山本明子にすると、円朝作品のあとを歩いてみたいといい出す。私が「円朝は鉄舟、泥舟、井上馨に渋沢榮一、エライ人につきあいすぎて疲れちゃったのかしら、出で湯へ行くのが唯一の道楽だったみたい。これがまた作中によく出てきてね」というと、温泉も好きだから「行きましょう行きましょう」とよけい張り切る。円朝の弟子ぽん太のように何でもいたしますから。というので、私は自称ぽん太を連れてまずは谷根千界隈をうろつくことにしたのだった。


 二人の円朝作品を巡る旅が、こうして始まった。

 作品名でつけられた全15章は次の通り。
 1 闇夜の梅 円朝、来し方の秘話(谷中・上野)
 2 士族の商法・家族の医者・世辞屋 “開花”を斬新に描く
 3 指物師名人長二 江戸屈指の男ぶり(本所・湯河原・谷中)
 4 怪談牡丹灯篭 足のある幽霊(根津・谷中・栗橋・宇都宮)
 5 心眼・明治の地獄 夢からさめた話
 6 熱海土産温泉利書 健脚娘、恋の仇討ち(三島・熱海)
 7 文七元結 江戸っ子の見栄もほころぶ親子の情(吉原・本所)
 8 七福神 不況もどこ吹く、見事なのんき(谷中)
 9 怪談乳房榎 不良息子の面影(高田・新宿十二社・板橋)
10 業平文治漂流奇談 きわめつき、すっきりしたいい男(本所・柳橋)
11 真景累ヶ淵 こりゃ因果の巡りすぎ(根津・小石川・水海道)
12 鰍沢 女はこわい(甲州・鰍沢)
13 雲陰伊香保湯煙 昔なつかし温泉道(上州伊香保・四万)
14 塩原多助一代記・上野下野道の記 「誠実・勤倹・正直」の人を追いかけて
15 蝦夷錦古郷之家土産・椿説蝦夷なまり 落ちのびた上野彰義隊士

 これらの作品名を眺めるだけでも、円朝の偉大さが分かる。

 実は、個人的には怪談ものがあまり好きではない。何とも複雑な因果関係の構図に、「何もそこまでしなくても」という思いを抱くのと、他の人情噺と違って、楽しめないのだ。これは、もうどうしようもないのだが、本書は、森さんと相棒ポン太の道中を楽しく追いながら各作品の筋書きが意外にスンナリ覚えられる効能もある。このポン太さんが書いた登場人物の相関図も掲載されていて、この本を読めば難解な『牡丹燈籠』や『真景重累ヶ淵』のストーリーが、結構楽しく理解できる。しかし、やはり怪談は好きではないなぁ。

 さて、第14章の「塩原多助一代記」から少し引用したい。
 *この名前、私は落語で知っているけど、普通は“団塊の世代”当たりがギリギリだろうなぁ。

 その昔、本所相生町に塩原太助という薪炭の商人がいた。寛保3年(1743)ごろ、上州利根郡新治村下新田、いまの沼田の近くで生まれ、刻苦勉励して身代を築いたが、本所に地面二十四丁所を持ちながら、その行ないの正しいこと、経済に長けていること、親に孝行なことも格別で、
  本所に過ぎたるこもが二つあり
    津軽大名炭屋塩原
 とうたわれたという。五代までつづいたとこの家に伝わる怪談話を日本画家柴田是真より聞いて興味を持った円朝は、多助の生れ故郷の実地検分のため明治9年(1876)の8月29日の朝、人力車夫酒井伝吉を供に、ふらりと上州への旅に出た。これが「塩原多助一代記」(太助を多助に変えている)に仕上げられ、明治17年(1884)、速記者若林玵蔵によって「速記法研究会」から発行され、芝居にもなり、なんと12万部の大ベストセラーとなる。そしてこの話は「勤倹努力の模範」として、修身の教科書に載るにいたる。つまり円朝の作品中、最も社会的影響を与えたものといってよい。
「何でも歩かなければ、実地は踏めませぬ」
 という円朝にならって、私は6月の初めの日曜日、久しぶりにぽん太を連れ、上州の旅に出た。幸い、円朝に「上野下野道(こうづけしもつけみち)の記」(以下、「道の記」と略す)がある。これは「塩原多助伝著作付実地調」と角書きがついたもので、綺麗に書いた薄葉の自筆本だという。


 
 こうやって、森さんと相棒ぽん太の道中が始まるのだが、その中からも少しご紹介。

 ずんずん日光街道をすすむと千住源長寺に出た。ここは関東郡代として活躍した伊奈備前守の建てた寺。以前、森鴎外の囲い者であった児玉せきさんのお墓を尋ねに来たが、ここに円朝が寄進した石灯籠がある。それは直線断ちともいうべき、曲のない質実なものであった。石工は高砂の吉田千太郎、寄進は明治4年(1871)。「心静に報恩の心」という史跡板は、心静かに、とも読めるし、この寺に心静という和尚がいて、円朝がその人の恩に報いて、とも読める(あとで調べてみると、前年没の尼僧・心静の供養塔とのことです!)。
 (中略)
 竹の塚でお昼になった。
「円朝は草加までがまんしてますよ」
 と朝ごはんを食べてきたぽん太は不承不承だが、
「相当な早立ちだったようね。草加で昼食でしょ」
 と私はさっさと駅前の鮨屋へ入る。鮎の塩焼き、カツオの刺身、シッタカの塩ゆででビールを一杯。
「円朝は玉子焼きとどぜう鍋ですよ、そんな昼からゼイタクしていいんですか。お酒入ると歩けなくなります」
 とぽん太、いさめにかかる。私、
「見たか、聞いたか、知ったかドロップ」
 なんてとぼけてシッタカで飲む。シャレのつもりだが、ぽん太の歳ではこのニイタカドロップのコマーシャルはご存じない。
 この近くの東伊興町に、太助の墓があるという。さっそくたずねた。曹洞宗の東陽寺といってもとは浅草にありここも円朝は訪ねているが、震災後、足立へ移った。瓦屋根の勾配のきつい、木造の清げな禅寺である。


 この本の味わいの一端がお分かりいただけるのではなかろうか。円朝の足跡をたどりながら森鴎外のおめかけさんまで知ることができる(?)。

 人情噺や怪談の名作だけでななく、第二章では、江戸と明治をほぼ半分づつ生きた円朝が感じた明治の世相を題材にした作品も紹介されている。森さんが円朝とその作品を巡りながら、あちらこちらで、オツな酒と肴を楽しむ姿も楽しいし、相棒のぽん太(山本明子さん)が、シャーロック・ホームズのワトスンのように、味のあるサポートをするのだ。

 円朝の作品とその舞台、創作の背景などを、森まゆみさんの目と足と、舌を通して知ることのできる好著である。ようやく紹介できてホッとした。8月11日の命日にかけて円朝に関わる落語会や、名人にまつわる様々な話題がメディアを少しは賑わすであろう。円朝に興味のある方には、ぜひお奨めします。
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by kogotokoubei | 2011-07-19 14:45 | 落語の本 | Comments(4)
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*ESPNより
 震災、原発以降で、もっとも明るく、そして日本人を元気にさせるニュースだ。
 今日が休日だったことも日本が勝ちそうな気にさせていたし、二度リードされても、1億2千万人の“負ける気がしないオーラ”が、極東からドイツに注がれたような、そんな気がする。PK戦の前の日本選手達の笑顔と、アメリカの選手達の緊張した表情を見比べて、私を含むテレビの前の多くの人が、「ひょっとしたら、いける!」と思ったのではなかろうか。
 サッカーの女神は、佐々木監督曰く、「ちっちゃな娘たち」に微笑んだ。

 海外、それもアメリカのメディアはどう評しているかというと、次のように讃えてくれていた。
 
Japan rewarded by the soccer gods
 アメリカのスポーツニュース専門局ESPN、Ravi Ubhaの署名記事は、なでしこジャパンの優勝をこう表現した。ESPNの該当ニュース

“rewarded“は、「かいがある」「見返りがある」とか「報酬がある」という意味だが、“その努力・功績にふさわしい報酬がある”というニュアンスなので、まさにこの大会での活躍にふさわしい賛辞と言えるだろう。
 ESPNは、佐々木監督に対して“Charismatic Japanese coach Norio Sasaki”と、カリスマ的な監督であると表しているのが、やや不思議な気もするが、アメリカではそのように見えるのだろう。インタビューでも常にニコニコしていて泰然としているからかもしれない。 彼の表情からは緊張感を読み取れない。澤というチームリーダとともに、佐々木監督の存在は、確かに大きかったと思う。また、ESPNは、日本がドイツ、スウェーデン、そしてアメリカに勝ったことを「ハットトリック」と称しているが、なるほどそうも言えるだろう。
 
 日本がもし負けていれば、スポーツ新聞の論調は、「よくやった、なでしこジャパン!」とか、「なでしこジャパン 栄えある準優勝!」「胸を張れ、なでしこジャパン!」というようなタイトルになりそうなものだが、スポーツというルールにのっとった戦いに関して、アメリカのメディアの姿勢は公正で公平な気がする。もちろん、ESPNは全世界のスポーツファンが見るメディアだから、こういう冷静客観的な記事にもなるのだろう。

 澤の延長後半12分、通算117分の同点シュート、PK戦での勝利の後で何度も繰り返し見直したが、どこで蹴ったかわからず、ESPNのサイトを見た次第。はっきりは映っていないが、右足のアウトサイドだろう。宮間とのコンビによる今大会のベストシュートだと私は思う。

 桧舞台の準々決勝、準決勝、そして決勝のなでしこ達の明るく堂々としたプレーぶりと冷静さは、練習の量と質が自信となってもたらしたものだろう。世界ランキング4位だから、ベスト4まで進むのは不思議でもなんでもない、とも言える。
 しかし、やはり決勝前半でのアメリカのシュートミスや、ゴールポストやバーに救われた場面を考えると、どうしても“神がかり”的なものを感じるのだ。


 震災、原発事故、そして何とも情けない政治の混乱とリーダーの不在。しかし、なでしこジャパンのワールドカップ優勝で、日本人に神がこう告げているような気がする。

 諦めるな日本、最後まで諦めなければ、私(神)は見ているぞ。

 そんな天からのメッセージを感じるのだ。しかし、なでしこ達のように、精一杯の努力をして、下を見ず明るく前向きな姿勢で、そして諦めないこと。それが神が報酬を与えてくれる条件なのだろう。歓喜の瞬間の後、そんなことを思っていた。

 まだまだ余韻に浸りたい人は、FIFAの公式サイトもお奨めです。ドイツ戦、スウェーデン戦のダイジェストも見ることができます。FIFAの公式サイト
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by kogotokoubei | 2011-07-18 09:24 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
“ぴあ”が主催する企画の顔ぶれが良かったので、初めての会場、草月ホールにやって来た。実は、私がお誘いした「居残り会」の7月例会(?)落語会でもあった。
 
 会場は七分の入り。実は“居残り三人組”は、このチケットのプリリザーブで、Yさんと私は最初の抽選でチケットを入手できたのだが、Sさんは二度抽選にハズレていた。そこまで厳選していて、この入りというには解せない。このへんから、この会そのものについて不安がよぎった。元々「この顔ぶれだからハズレはないだろうが、マクラを主役にしてどんな会になるのか?」という疑問もなかったわけではない。
 
 さて、その疑問への答えはどうだったのか。構成は次のようなものだった。
-----------------------------------------
(開口一番 立川こしら マクラ&『王子の狐』)
三遊亭兼好 マクラ&『蛇含草』
三遊亭歌之介 マクラ&『お父さんのハンディ』
(仲入り)
桃月庵白酒  マクラ&『松曳き』
-----------------------------------------

こしら(14:01-14:13)
プログラムのこの人の名を見て「えっ」と思ったが、この会の主催は“ぴあ”だが、制作は立川企画だし、この会場での夜の部では「柳家と立川」ということで、さん喬・志らくの二人会・・・なるほどと思った。夜も開口一番を務めるのだろうか。
初めてだと思うが、落語家というより、会場近くを歩いていた普通のお兄ちゃんが間違って高座に上がった、という感じ。持ち時間10分と言っておきながら、携帯ソーラーパネルのことなどのマクラ8分のあとでネタに入った。いくらなんでも『王子の狐』を2分でこなす芸当は、寄席に出ていない立川流の若手では無理。ネタ5分で時間超過で降りたが、開口一番は必要だったの、という疑問のみ残った。

兼好(14:14-14:47)
マクラは、ついこの前まで行っていたドイツでの落語会。会場の一つは医大の「解剖室」だったとのことなど、非常に新鮮なネタに、先代円楽を素材にした定番の話などを交えマクラ約20分の後で本編へ。12分ほどでの『蛇含草』での芸は結構笑えたのだが、持ち時間は30分だったのだろうか、この企画の「マクラ」に注力して時間を使いすぎたのを挽回しようというような性急さがあった。以前に聞いた内容の記憶では、餅を食べるシーンでのクスグリとサゲの前を少しカットしたと思う。マクラにいつも以上に神経を使ったことも力加減としてバランスを崩した印象。ドイツとオーストリア行脚のことは、もっと聞きたかったが、これは次の機会に期待しよう。まず、この兼好の高座から、「マクラはあくまでマクラだよなぁ・・・・・・・」という思いが募り始めた。

歌之介(14:48-15:14)
ほとんどいつものマクラ、というかこの人の場合はマクラ全体も一つのネタと言ってよい、こなれた芸。同じマクラを聞いても常に笑えるというのも凄いことだと思う。ほぼ20分経過してから『お父さんのハンディ』を7分ほどでこなした。「あれ、短かすぎない?」という気がしたが、こしら、兼好の超過分の調整だったかもしれない。あとの不思議な対談(?)で明らかにしたが、「マクラでアドリブは、なし」と言っていたので、やはりいくつかあるパターンのマクラネタからしっかり計算された構成されているようなので、歌之介のそれをマクラと言っていいのか、と思わないでもない。

白酒(15:25-15:53)
仲入りから戻る客のざわめきが続いている中で出囃子が鳴ってしまい、高座に上がった時にも席につく人の動きが終わっていない。これは、通常なら客の動きを見ながら出囃子を流すか、スタッフが、まもなく始まることを告げて着席を誘導すべきであり、主催者側の落ち度である。こういう時は噺家は落ち着いて噺の口火を切ることができない。「薩摩二人に会津若松一人で、楽屋は大変」とか円楽党や根岸を素材にした白酒らしいマクラもあったが、他の二人よりは短い15分で本編へ。三太夫の粗忽ぶりは楽しかったが、ところどころ噛みながら、ややドタバタした高座。

座談(15:54-16:18)
高座が少し片付けられたが、椅子は出ない。最初の“ぴあ”のTさんという人が登場。やや緊張気味。固い。その後、こしらを含め4人が壇上に並ぶが、司会者の固さが伝染し皆さんぎこちない。Tさんが、四人に質問するという妙な形式の対談が始まった。
 その質問が、少しピントはずれと言わないわかにはいかない。
・マクラはいつ考えるのか?
・どのネタにするか、マクラをふりながらどんなふうに決めるのか?
 緊張した口ぶりと、この質問の仕方では、盛り上がらない。
マクラは日常いつでも考える機会があるわけで、いつ、と限定できるものではなかろう。ネタは、ほぼ決めているか、せいぜい二つ三つの候補をしぼっていて客の温度を測りながら決めるものだろう。そして、ほぼ出演した噺家もそのように答えていた。お題はもっと違うもので欲しかったし、全員を立ったまま並べてでの「対談」というのは、あり得ない。
 唯一、まぁまぁなお題が、芸能人などでどの人のトークが上手いと思うか、というものだったろうか。
こしらは即座に「志らく!」と応えて白けたが、白酒の永六輔に関する話は、なるほど、というものだった。
途中で歌之介が同郷の白酒をいじって、「名門高校から早稲田に行かせたのに、落語家になったと言ってお母さんが泣いた」というネタに白酒が、「兄さんそれだけは、本当に勘弁してください」と弱っていたところが可笑しかったが、これだけの顔ぶれにしては盛り上がりに欠けた。こういう対談は難しいのだが、もう少し工夫のしようがあったと思う。 少なくとも椅子に座って行うべきだった。

 ぴあのサイトのこの企画の紹介では次のように書かれていた。「ぴあ」のサイトの該当ページ

昼公演の「マクラ王」は、“マクラ・本編・オチ”で構成される落語において、本編よりあえて“マクラ”に着目した落語会です。そのマクラの面白さに定評のある三遊亭歌之介、桃月庵白酒、三遊亭兼好が登場。45分にも及ぶ彼らの漫談マクラバトルは必聴です。


 いったい、この「45分」とは何のことだったのだろう。ぴあの落語会企画は意欲的な試みではあるだろうが、今ひとつ企画が練りきれていない印象。もっと、構成の仕方はあったように思う。

 さて終演後は楽しい「居残り会」である。Sさんお奨めの表参道で唯一の銭湯「清水湯」への15分ほどの散歩。外は暑かったが風がほどよいし、とことどころ日陰に入ると涼を感じる。Sさんが以前に来た頃の昔ながらの銭湯から近代的な設備に変っていたがさっぱりできた。場所がら、外人さんが多かったなぁ。
 湯上り、そして気持ちのよい風を受けながら、Sさんが事前にチェクしていた南青山5丁目の焼き鳥屋さんへ。それぞれが酒、焼酎、ビールと好みの酒と焼き鳥を楽しみながらの話題は、落語会のことから昔の居酒屋のこと、そして日本の将来のこと(?)などに広がり、楽しい宴はあっと言う間の2時間半。その中で落語会への共通意見として出たのが、次のこと。
・開口一番不要。
 Sさんからは、「この会のマクラを歌之介がやれば良かった」という秀逸なアイデア!
・対談は、司会者なしで、例えば白酒に司会役を任せて自由に対談させたほうが良かった。
・「マクラは、あくまでマクラ」ということ。
 噺家の好みは三人微妙に違うのだが、落語や落語会への評価についてはほぼ共感できるので、この「居残り会」は楽しいのだ。
 
 帰りの電車、気持ち良くうとうとしてきた時に、マクラが欲しかった。
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by kogotokoubei | 2011-07-16 22:14 | 落語会 | Comments(8)
本日、多くのメディアが取り上げているので落語愛好家の方はすでにご存知かと思うが、桂三枝が来年、六代桂文枝を襲名するらしい。aqsahi.comの該当記事

桂三枝さん「文枝」襲名へ 来年7月「一層精進」
2011年7月12日
 
 人気タレントで、上方落語協会会長の桂三枝さん(67)が、桂文枝の六代目を、69歳の誕生日にあたる来年7月16日に襲名する。今週末に記者会見して正式に発表する。文枝は上方落語の大名跡で、幕末に活躍した初代は「近代上方落語の中興の祖」と評され、上方で「桂」を名乗るすべての噺(はなし)家のルーツにあたる。

 三枝さんは堺市出身で、1966年に桂小文枝(後の五代目文枝)に弟子入り。間もなく、ラジオ・テレビ番組で一躍人気タレントとなり、長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」の司会など、第一線で活躍を続ける。高座では80年代から創作落語に精力的に取り組み、息子の塾の問題に悩まされる父を描く「宿題」、いけすの魚たちの物語「鯛(たい)」など、他の一門に受け継がれている噺も少なくない。2003年には上方落語協会会長に就任、定席「天満天神繁昌亭」(大阪市)の開設にこぎつけるなど、リーダーシップを発揮してきた。

 初代文枝は幕末から明治初めにかけての大看板で、話芸の実力のみならず、人望も厚く、明治の落語全盛期を担った優れた門人を残した。05年3月に亡くなった五代目は桂米朝さん(85)、桂春団治さん(81)、故・笑福亭松鶴とともに「四天王」と呼ばれ、戦後滅亡の危機にさらされた上方落語界を支えた。


 
 桂三枝は、吉本興業(持株会社に移行してからは正式には、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)の看板芸人の一人。五代目桂文枝に入門してから、テレビで一躍人気者になったことと、上方落語特有の語り口が出来ないため、師匠の数ある古典を継承することはなく、本人曰く「創作落語」という「新作落語」の噺家。
 彼の創った落語は、なかには楽しいものもあるが、私は本人よりも柳家はん治など他の噺家が演じる高座のほうが好きである。

 桂文枝という名前は小さくない。そして、先代は紹介した記事のように上方落語の歴史に残る人で、戦後の危機的状況を支えた一人である。
 上方落語が不振だったのは、かつて初代桂春団治や三代目三遊亭円馬などを擁し上方落語界を盛り上げた吉本興業が、戦後は落語から漫才に、経営の論理で重点を変更したことも一因である。

 漫才ブームを演出する一方で上方落語の衰退に拍車をかけた吉本所属の、創作落語の三枝が、上方落語の大名席を継ぐ・・・・・・。

 どうしても、襲名のニュースが報道された同じ日に共同通信が配信した次のニュースとの関係を考えてしまう。47NEWSの該当記事

吉本、「京橋花月」の閉館検討 「品川シアター」も 
 吉本興業が、同社運営の「京橋花月」(大阪市都島区)と「品川よしもとプリンスシアター」(東京都港区)の2劇場の閉館を検討していることが12日、分かった。観客数の減少が理由。ともに11月末に賃貸契約期限を迎えるが、更新しない可能性が高いという。

 京橋花月の座席数は500席。年間30万人の来場を目指して08年11月にオープンしたが、立地が悪く、観客数が伸び悩んでいた。

 一方、09年4月に品川プリンスホテル内に開場した品川よしもとプリンスシアター(433席)は東日本大震災後、ホテルの宿泊客が激減した影響で、劇場への入場者も大幅に減った。2011/07/12 15:32 【共同通信】



 吉本は昨年から持株会社に移行し現在は未上場企業。その財務内容の詳細は分からないのだが、決して順調ではないのだろう。漫才ブームの後に、吉本が制作にも関与して大勢の芸人をひな壇に並べて毒にも薬にもならない他愛ない楽屋噺で構成する「バラエティ」とやらで稼げたが、そのバラエティ人気も衰退してきた。

 今回の三枝の文枝襲名は、あくまで商売の論理が優先したように思える。好みの問題としてまったく相応しいと私は思えないし、同じ一門なら十年後位に桂かい枝に襲名して欲しいと思っていた。かい枝は新作も秀逸だが、師匠文枝の十八番に果敢に挑戦していて、今後に大いに期待できる人だ。

 しかし、吉本である。商売なのだ。落語から漫才、そしてバラエティ、それも不振になってきたから、単に算盤を弾いての襲名としか、私には思えない。そして、そろそろ古希に近づいてきた本人も、上方落語協会会長という肩書きや、吉本芸人のトップランナーという存在だけでは飽き足らず、大名席を継ぎたくなったのだろう。吉本と三枝の「Win-Win」なのだ。そこには、上方落語界を長期的に展望する視点や、同じ文枝一門の後輩への配慮などがあるようには、私は思えない。どうでもいいけど、三枝の弟子には「三」の字がつくが果たしてどう改名するのやら。

 この大名跡の復活で、吉本は商売になるかもしれない。しかし、上方落語界全体があらためて勢いをつけることになるようなことは、期待できないだろう。例えば、Sky-Aの「らくごくら」などの落語会が開催されていた「ワッハホール」は、大阪府橋下知事とのいざこざがあったとは言え、結果として「5upよしもと」と名を替えて、落語ではなく若手芸人のためのホールとなった。吉本は落語をする場所を減らしたのだ。

 東京の桂平治による文治襲名に刺激されたのかもしれないが、大賛成の文治襲名とは対照的に、文枝襲名は喜べないし、その背後に算盤が見えてしょうがない。
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by kogotokoubei | 2011-07-12 17:38 | 襲名 | Comments(15)
 昨年11月の紀尾井ホールでの三夜連続口演の初日に行って、この噺に三三の可能性を感じたネタ。
2010年11月16日のブログ
 
 今年は横浜にぎわい座で六ヶ月連続だが、その三夜になんとか行くことができた。補助席、二階席も使って、ほぼ満席。私がこの会場に来て以来の最多入場者数。

 昨年の会でのアンケートに「あらすじ希望」と書いて、三三直筆のあらすじを送付してもらっていたので、全体の筋書きを知っていたことと、一夜、二夜に関する他の方のブログから、今日が『大坂屋花鳥』と察していたので、楽しみにしていた。
 入場の際に渡されるチラシの中に第一夜と第二夜の要約が含まれていた。非常に気配りの利いたサービス。

構成と時間は次の通り。
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柳亭市楽 『兵庫舟』 (19:00-19:17)
柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第三夜の壱 (19:18-20:10)
(仲入り)
柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第三夜の弐 (20:22-20:51)
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市楽『兵庫舟』
どう言えばいいのか、悩ましい。会場は受けていた。特に船上での小三治や米朝を題材にした“なぞかけ”や、いわゆる「五目講釈」の場面。しかし、私は前座時代の市朗には、もっと違う方向での可能性を感じていた。この噺は自分なりのクスグリを入れることができるし、言わばギャグを挟めるネタではある。三三が講釈好きなので選んだのかもしれないが。表現が難しいのだが、個人的好みの問題として、市楽には、こういった“変化球”的なネタではなく、もっと“直球”を三三目当てにやって来た満員の会場でぶつけて欲しかった。

柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第三夜の壱
マクラで喫煙の話になり、「煙草→火→火事」と連想したのは、私だけかなぁ。缶ピース、私も若い時に飲み屋にキープしていたことがある。師匠の「すれ違い様の“フン”の違いで教わる」という深~いネタも良かった。そういった約10分のマクラから、なんとも余裕の高座。第一夜、第二夜のダイジェストを地口と語りを適度に交えて今本編へ。この部分は音源の残されている先代の馬生や、私は聞いたことがないのだが馬生一門のむかし家今松が手がけているので、いわば習うべきテキストのある噺。そういったこともあるのだろうが、この日演じる部分を自分のものにして全体を再構成している、そんな印象のある見事な出来栄えの高座だった。とにかく主役の“大坂屋花鳥”がいい。時に目を三角に吊り上げて脅し、はたまた艶っぽい仕草で誘い、そういった一瞬の仕草で梅津長門を翻弄する様子が分かる。そして、その挙句・・・という筋書きは書かない。

柳家三三 『嶋鵆沖白浪』第三夜の弐
マクラで「誰が言ったか忘れましたが・・・・・・」と、思い出した名言として、「予想を裏切り、期待に応える」ということを言っていたが、さて、一回目、二回目に来れていない身としては、「予想通り、期待に応える」と心の中で呟いていた。この“弐”では、梅津長門のために放火した花鳥は、花鳥から“お虎”として牢に入る。ここではお虎の脇役としてお鉄婆が効いている。命を賭けて追っ手から逃した長門と、その後に長門と夫婦もどきの暮らしをしている私娼お嬢お兼。三宅島に流される前の牢屋での酒盛りで嫉妬のあまりお兼を亡き者にしてから、三宅島にお虎が流される。その後、島の権力者である壬生大助をたぶらかして家を一軒もらうところで、切れ場。


 なんとも古くて新しい落語の可能性が開けてきた、と思う。円朝の怪談ものとも違うサスペンスの妙を掘り起こした三三が、すでに存在していた『大坂屋花鳥』にも、全体から部分という見方、森を見て木に息吹きを与えたような気がする。

 ちなみに、大坂屋花鳥という花魁と火事は事実を踏まえている。いつもお世話になっている「落語の舞台を歩く」から、馬生の「大坂屋花鳥」の章の一部を引用したい。
落語の舞台を歩く「大坂屋花鳥」

吉原の女郎大坂屋花鳥は実在の人物です。彼女は自分の部屋へ火をつけ、—旦は廓を抜け出しますがやがて召捕られて伊豆八丈島へ流されます。そこにいた男と島抜けをして江戸へ逃げ帰って来たのです。江戸で隠れているところを捕えられ、ついには処刑されます。

 この落語の噺は花鳥の逸話を下敷きに脚色されたものです。現実と噺とは違って当然。噺はフィクションですから、遊女屋の名前も違えば、梅津長門も登場しません。八百屋お七も、ネズミ小僧も、忠臣蔵も舞台用に改変されています。事実と噺は違うのです。



 中入りで、なんとか次回の席もギリギリ確保できた。この会に来れたことが僥倖、そんな高座だった。
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by kogotokoubei | 2011-07-07 23:00 | 落語会 | Comments(6)
録画を今見たところ。3月に『あくび指南』で出演していたので、このシリーズ二度目の出演。前回は震災後最初の放送で私は見ていないが、想像はつく。今回のネタは、一之輔にしては“おとなしい”印象。無理に笑わせるクスグリなどをはさむことはないが、若い女性のお客さんが多い会場だろうから、表情や仕草を大袈裟にしてもう少しドッカンさせるかと思ったので、意外だった。

 会場に会わせてネタを考えることはあっても、そのネタの演出を替えるのは本道ではないだろう。だからネタ選びが重要になるわけだ。どうだったのかなぁ、若い女性の多い会場でのこの噺。お客さんも大きな声で笑いにくかったかもしれない、とも思う。しかし、桃月庵白酒のこの噺、隠居と八とのやりとりで腹をかかえて笑えるのだ。そう考えると、今ひとつ、ということなのだろう。まだ一之輔にはこのネタを磨いてもらおう。
 
 演出ということで先日末広亭での小三治の高座を思い出す。師匠小さん仕込みの、無理に笑わせようとせず結果として会場が沸く素晴らしさだったが、なかなかそういう境地に至るのは難しいものだ。一之輔も、今その理想の境地に向かってもがいている途上なのだと思う。

 少し手放しでこれまで褒めすぎたかな、と思わないでもない。もちろん、二ツ目のレベルははるかに超えて、真打の真ん中から上に実力はあると思っている。しかし、人が成長するには周囲の厳しい目も必要で、彼を評するには、もう少し高い基準で見るほうがいいのかもしれない。「二ツ目にしては上手い」という評価は、もう卒業でいいのだろう。将来の落語界を背負って立つ噺家として見ていこう、と思う。
 

 来週は、菊之丞の『幾代餅』。古今亭のお家芸で、これまた楽しみ。
 兼好、吉坊、扇辰、百栄と二週連続放送が続き、また一週ごとの交代になるのかどうか、とにかく9月まで放送がありそうなので、良かった。
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テレビ朝日のHPより
テレビ朝日HP「落語者」次回予告ページ
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by kogotokoubei | 2011-07-02 07:31 | テレビの落語 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛