噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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録画を今ほど見た。先週の五明楼玉の輔も見たが、あえてコメントするプラスもマイナスも感じられず何も書かなかった。吉弥の『蛇含草』については、あえて小言を言いたい。真打クラスで、こんな笑えない『蛇含草』を聞いたのは初めてである。
 このネタは、餅を食べるシーンや食べすぎて帰宅する場面など、もっと表情も含めた演出で客を笑わせることができる爆笑ネタのはず。上方の噺家さんで、こんなあっさりとした軽い演出、というのは想定できないネタなのだ。
 終演後のインタビューでも話題に出たが、この人はテレビ出演も多く顔が売れたことが、噺家というか、芸人としての了見を誤らせているのではなかろうか。

 たとえば、東京の噺家さんだが瀧川鯉昇の『蛇含草』などが典型である。餅を食べる場面での、顔を目一杯にゆがめ、体全体を使って曲喰いを演じて会場を笑わせる。そういうネタなのである。別な例で言えば、私は桂雀々の『動物園』を初めて生で見た時の衝撃を忘れない。枝雀生誕70年記念の新百合が丘の麻生市民館での落語会だったが、あの前座噺を体全体を使って演じ爆笑落語に仕立てる芸に感動した。『蛇含草』は、そういった、お客さんを“笑わせるぞ”という一途な思いが発揮されるはずのネタのはず。もちろん、人情噺だって、笑わせどころがあるから、泣かせる場面が生きる。もっとも、人情噺も、噺家によっては滑稽噺になる、という例を、一昨日爆笑した桃月庵白酒の『幾代餅』で経験した。古今亭由来の人情噺をあそこまで爆笑噺にしてもらったら、笑うしかない。

 あらためて、吉弥だ。師匠の故吉朝は、たしかに人情噺の美しさや品というものがある噺家さんだ。しかし、吉朝が残す滑稽噺の音源は、何度聞いても笑いが止まらない。マクラも楽しい。

 この人は三三と入門は同じ平成5(1993)年だが、大卒なので年齢は三三より上で今年四十路。数々の受賞歴もありテレビで顔も売った。しかし、こんな綺麗ごとでこの噺を演じていればいいと思っているのなら、桂吉弥という噺家の将来はきわめて怪しい。そんな気にさせる軽さ、つまらなさを感じた高座。上方の落語愛好家の皆さんの吉弥への評価は知らない。しかし、私は三三との二人会などで生の高座も体験しているが、どうもしっくりこない。たとえば、桂かい枝の噺は、新作でも古典でも「上方落語を聞いた!」という印象が残るが、この人は違うのだ。何か、格好をつける感じがあって、高座と同期できないというか距離感を感じる。あえて言えば、「聞かせてやっている」という驕りが見え隠れするのだ。

 大阪の進学校である春日丘高校から神戸大学を卒業してからの入門。この番組のインタビューでも言っていたが、最初は学校の先生を目指していたらしい。なるほど、そういう経歴なのかもしれない。しかし、学歴などは関係ない芸の世界である。枝雀も神戸大学に入学はしたが、すぐに退学して米朝の門を叩いた。これは蛇足。
 いずれにしても、このネタをこんな綺麗事であっさりと演じることを、私は評価できない。もし、会場の客に合わせたつもりなら、それも失礼である。そして、これがいつもの吉弥の『蛇含草』なら、あらためて稽古をし直すべきであろう。

 あの番組を見てこんなことを書くのは、たぶん私だけだろう。しかし、この人はまだ若いし力がある。そう思うからこその小言である。
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by kogotokoubei | 2011-02-27 16:57 | テレビの落語 | Comments(8)
この二人会は昨年9月17日にも来て楽しかったので再び週末の日本橋へ。2010年9月18日のブログ
 近くの日本橋劇場では「らくだ亭」も開催されていて、体が二つあったらどちらにも行きたい落語会が水天宮近辺で重なった日だった。都内での仕事を終えてなんとか間に合った。構成は次の通り。
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(開口一番 春風亭昇々 『雑俳』)
桃月庵白酒  『馬の田楽』
入船亭扇辰  『徂徠豆腐』
(中入り)
入船亭扇辰  『天狗裁き』
桃月庵白酒  『幾代餅』
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昇々(18:46-18:56)
辰じんを期待していたが、昇太のお弟子さんの芸術協会の前座さん。大師匠の柳昇が十八番としていた一門のネタだが、なんとも形容しがたい。今どきの雑俳を並べるが、私には笑えない。若い人には受け入れられるかもしれないが、どうもオチケンの学生が間違って高座に上がった、という印象。18:45に開演なので持ち時間は15分あったかと察するが、10分ほどで唐突に切り上げた。
あとで辰じんが高座返しをしていたので会場には来ていたわけだ。辰じんでなかった理由が謎だ。

白酒『馬の田楽』 (18:58-19:25)
やはり昇々が予定より早く高座をおりたようで、1分以上の間を空けて登場。高座に上がるなり「前座さんが予定より早く切り上げたので楽屋で大変で・・・・・・」。そりゃあ、そうだろう。マクラは花粉症からパンダとなり動物つながりで本編へ。一昨日行った県民ホール寄席の『木乃伊取り』における飯炊きの清蔵もそうだが、田舎者を演じさせたらニンだ。特に馬方と耳の不自由な(差別用語を一応避けました)お婆さんとのやりとりが秀逸。馬方が「うま~」と言って、「ルンバ?」と返すあたりがなんとも可笑しい。結果として二席目ほどではなかったが、会場は大いに笑いに溢れた楽しい高座。

扇辰『徂徠豆腐』 (19:26-20:05)
マクラでは恒例(?)のように白酒を少しいじる。「白酒さんは花粉症ではないですが、肥満症で・・・」と会場の温度をキープするが、ネタは講釈物で笑いは少ない噺。昨年の銀座ブロッサムでの喬太郎・文左衛門との三人会でも聞いて良かったが、あの日は文左衛門の『らくだ』のパワーに結果として隠れた印象。今日は、この噺が堂々の主役と言える。何と言っても荻生徂徠が宝井其角と隣同士で住んでいたのが日本橋茅場町である。この噺は志の輔がパルコで演じた映像をWOWOWで見たが、私は扇辰に軍配を上げる。古典落語ファンの悪弊として指摘されるものに、「蕎麦を食べる仕草がいい」とか「あのうどんの食べ方がなんともいえない」という細かな仕草を褒めるのは噺の本質的な評価ではない、という指摘がある。しかし、そういった仕草も含めての高座であるわけで、この高座については、あえて言いたい。扇辰が演じる徂徠が冷奴を食べる仕草は秀逸だ。一日の食事の全てである一丁の豆腐。あの豆腐を無心に、そして大事に食べる姿に、いつか世に出ることを夢に極貧の中で勉学に励む徂徠の姿が語られている。また、豆腐屋の上総屋七兵衛が徂徠の姿に感心する言葉、「えらい!」を、リフレインの中でそれぞれ演出を変えているが、これも巧な“間”の効果もあって高座と期待する客とのキャッチボールのような楽しさがある。 講釈では噺の中に赤穂浪士の討ち入りがからむらしいが、今後どのように変わるかも含めて、この人のこの噺には注目したい。
二席目の高座のマクラで解説してくれたが、締めの宝井其角の句は「梅が香や隣は荻生惣右衛門」 。「荻生徂徠かな」ではなく「荻生惣右衛門」とするのが本来の俳句、とのこと。勉強になった。文句なしで、年間マイベスト十席の候補。

扇辰『天狗裁き』 (20:17-20:44)
上述したように、一席目の其角の句の説明から始まった。「(講)釈ものは、いい話ではあるんですが、笑いは少なくて・・・・・・」というような言葉もあったが、たまには、“いい話”も聞きたいのだ。短いマクラから本編へ。このネタを知らなかったお客さんは、「女房が聞きたがり」+「隣家の男が聞きたがり」+「大家が聞きたがり」+「奉行が聞きたがる」という、夢を聞きたがる、熊五郎にとっては困った人たちが増える度に笑いが起こる。しかし、この噺を知っていると、この“夢を聞きたがる人の足し算”と“鸚鵡返し”の効果は、なかなか活かしにくいように思う。このネタは噺の筋そのものが主役ともいえるので、客が古手の落語ファンであればあるほど笑いを誘うのが難しい。そういう意味では、ネタ選びそのものが、この“通ごのみ”の会に適していたのかどうか、と若干疑問に思う。一席目の良さもあっての相対比較かもしれないが、そんなことを思いながら聞いていた。

白酒『幾代餅』 (20:45-21:15)
こんな爆笑の“幾代餅”は聞いたことがない。古今亭一門は『紺屋高尾』ではなく『幾代餅』というのはお決まりだが、一門の中で、こんな滑稽噺に仕立てた人を知らない。なんと言っても搗き米屋夫婦が揃いも揃って清蔵が“恋煩い”だと聞いて、文字通り“腹をかかえて”笑い転げる部分で、涙が出るほど笑った。多くの落語通のお客様も、途中からは「これは白酒の幾代餅なんだから、笑ってしまえ!」みたいな気持ちの切り替えを自然にしていたのではなかろうか。時間の関係なのか、本来の演出なのか、吉原での幾代太夫と清蔵との艶めかしいやりとりはほとんどカットしたが、それもやむなしだろ。この噺は、間違いなく白酒でなくては出来ない『新版・幾代餅』として記憶に残る。最終的には除外するかもしれないが、年間マイベスト十席候補としておく。


 この会は主催のオフィス・エムズさんによる手作り感いっぱいの落語会で、開演前や終演後も、常連さん同士という感じの歓談があちこちで見かけられる。エムズさんの落語会は、大手興行会社が1,000人を越える会場をとりあえず押さえて人気者だけ集めた落語会とは一線を画しており好きだ。今回は私も落語ブログ仲間のYさんと誘い合って来ていた。そして、近くの日本橋劇場の「らくだ亭」に行かれていた、これまた落語ブログ仲間のSさんと某居酒屋で待ち合わせての反省(?)会となった。落語や相撲やその他楽しい話を肴にした酒が頗る美味しく、つい日付変更線を越えての帰宅。そりゃあしょうがないよね、飲み始めが九時半では。さて、昨年のこの会の二人の高座も年間マイベスト十席に一席づつリストアップしたのだが、最終的には残らなかった。今年はどうなることやら、我ながら楽しみ。対照的な二人の芸達者による噺に酔い、その後には噺を肴にした美味しい酒にも酔った日本橋の夜だった。
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by kogotokoubei | 2011-02-26 09:09 | 落語会 | Comments(4)
「県民ホール寄席」と銘打った会の通算269回目。なんと昨年は一度も来ていなかった。2009年11月の、さん喬・権太楼の二人会以来、というのは自分でも意外だった。会社から近いようでも、にぎわい座よりは少し交通の便が悪いことと、開演時間が18:30だからねぇ。もちろん、出演者と私の都合とのめぐり合わせ、ということもある。できればもっと来たい、手作り感のある落語会。構成は次のようなものだった。
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(開口一番 古今亭きょう介 『手紙無筆』)
桃月庵白酒 『火焔太鼓』
柳家喬太郎 『うどん屋』
(中入り)
桃月庵白酒 『木乃伊取り』
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きょう介(18:31-18:43)
なんとか急いで開口一番にも間に合ったのだが・・・・・・。2009年入門の前座さんらしいが、頑張って精進していただきましょう。

白酒『火焔太鼓』 (18:44-19:16)
マクラは、自主興行である「白酒ひとり」の会場(内幸町ホール)でかけたBGMを巡るJASRACとの戦い(?)について。ブログの内容が、ある意味で犯人(?)ということだ。詳しく書くと、また白酒を困らせることにもなりかねないので、この位で。ともかく笑った。甚兵衛さんがこんなに可愛い『火焔太鼓』も珍しい。この人のキャラクターによる可笑しさに、独特のクスグリなども違和感なく融和して、笑いながら感心し、あっと言う間に終わった、そんな印象。たとえば、太鼓の音を駕籠の中で聞いた殿様の命で侍が道具屋を訪れた際、「叱られる!」と勘違いした甚兵衛さんが太鼓を叩いた定吉を紹介する時の、「橋の下で拾ったんです」は可笑しかった。会場には、私も含めて、子供の頃に悪さをすると親からそんなことを言われたような年齢層のお客さんが多いと思われるので、結構ハマったくすぐりだったと思う。また、太鼓の代金として侍から三百両を五十両づつ受け取る際の甚兵衛さんの意味不明なことを言いながらのうろたえぶりなども含め、しっかり白酒ならではの噺に仕上がっている。文句なく年間のマイベスト十席候補としたい。

喬太郎『うどん屋』 (19:17:19:46)
マクラで、「バレンタインデーなんていらないでしょ」の次に、「恵方巻って、昔はなかったでしょ、あれおかしいでしょ」となった時は、“まさかオレのブログを読んだわけではあるまいし・・・・・・”と思いながら何度も頷いていた。ほぼ2月3日の私のブログと骨子は近い。2011年2月3日のブログ
こういうマクラをふっているから、喬太郎を知るお客さんの八割位は、「きっと『白日の約束』だなろうな、主役も“白”酒だし」と思ったはず。しかし、うれしい誤算、というやつで私が期待していた古典。それも、柳家伝統の、このネタ。酔っ払いがうどん屋相手に繰り返す「仕立て屋の太兵衛、知ってるだろ?」の科白の可笑しさにばかり頼らない、しっかりした芸を楽しませてもらった。 むしょうに、うどんが食べたくなった。
さて、このネタになった背景は、いかに・・・・・・。
(1)最初からこのネタに決めていた
(2)最初は新作の予定が、会場の様子を探っているうちに古典に替えた
のいずれかだろうが、本来は主役である白酒とネタがつかない(かぶらない)ように打合せをするだろうから、通常は(1)のはず。しかし、勝手な思い込みでもいいので、(2)と考えたい。お客さんの様子を見て、“古典を期待しているんだろうな!”と察してくれたのに違いない!

白酒『木乃伊取り』  (20:04-20:42)
マクラでは、具体的なことは言わなかったが、たぶん来週WOWOWで放送される番組と思われる、素人に噺を教えることの難しさという話。ベテランの落語愛好家の方が多い会場を考えてのことだろう、いつもよりは毒が少ないと思われる短いマクラで本編へ。内幸町ホールでの「白酒ひとり」の前身の会、という位置づけだったかのかどうかは分からないが、かつてお江戸日本橋亭で「白酒ひとり会」があって、2009年4月28日の会(WAZAOGI落語会)に行ったことがある。この噺はその時に聞いて大いに感心した。その年のマイベスト十席にも入れた。2009年4月28日のブログ
あの、お江戸日本橋亭での印象があまりにも強いので、どうしても今回の高座を比べてしまう。だから、飯炊きの清蔵の弾け具合にしても、全体のリズムやスピード感なども、ややおとなしく思えてしまうのだ。加えて、一席目が凄かったので、ついもっと上を期待してしまう、ということもあるだろう。ただし、会場、客層などの落語会のTPOの違いもあるだろうし、二年間近い時間の経過による熟成の結果なのかもしれない。全体的には頗る良い高座だったのは間違いがない。両方を聞いた場合、人によっては今夜の高座に軍配を上げるかもしれないなぁ。好み、感性の問題なので難しい。


 いつもの少しブラックなマクラは会場の品格(?)に合わせて抑えたとはいえ、本編ではしっかりその実力を横浜のベテラン落語愛好家を前に披露した白酒。そして、予定通りか咄嗟の判断かは不明だが、爆笑のマクラと柳家伝統の古典で唸らせた喬太郎。 やはりこの落語会はいい、とつぶやきながら心地よく帰路についた。
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by kogotokoubei | 2011-02-23 22:38 | 落語会 | Comments(6)
桂枝雀のABC朝日寄席の映像による落語会、「桂枝雀カムバック」が、2月28日から三日間、昼夜六回に渡って大阪のサンケイホールブリーゼで開催される。
SANSPO.COMの2月1日の記事
 同ホールHPの公演情報には、演目も含め次のように案内がある。サンケイホールブリーゼHPの公演情報

枝雀カムバック
2011.2.28(月)~3.2(水) 各14:00・18:30開演
出演 桂枝雀 ほかトークゲスト
入場料(税込) :\2,500(6回通し券12,000円)
※6回通し券はブリーゼチケットセンター(電話・窓口)のみ取り扱い
一般発売開始 1月29日(土)10:00
笑いの春一番にのっかって、あの枝雀さんが、朝日放送「枝雀寄席」の映像で戻ってきます。急なこって・・・スビバせんね!

【演目・トークゲスト】※他一席は当日のお楽しみ!
○2/28(月)
(昼)「鷺とり」「天神山」「おたのしみ」 トークゲスト/イーデス・ハンソン
(夜)「延陽伯」「寝床」「おたのしみ」 トークゲスト/桂南光
○3/1(火)
(昼)「時うどん」「高津の富」「おたのしみ」 トークゲスト/三遊亭円楽
(夜)「道具屋」「鴻池の犬」「おたのしみ」 トークゲスト/笑福亭仁鶴
○3/2(水)
(昼)「七度狐」「一人酒盛」「おたのしみ」 トークゲスト/道上洋三
(夜)「代書」「貧乏神」「おたのしみ」 トークゲスト/桂ざこば

司会/三代澤康司、伊藤史隆(3/1夜のみ)



 ネタ出しされている十二席のうち五席は、生誕70年となる2009年に東芝EMIから発売された下記の「枝雀十八番」の素材と察する。 東芝EMIサイトの枝雀のページ

[Disc.1] total time 58分
「宿替え」 *1980.8.24「枝雀寄席」(ABC)
「寝床」*1993.6.14「枝雀寄席」(ABC)
[Disc.2] total time 51分
「蛇含草」 *1983.8.7「笑いころげてたっぷり枝雀」(MBS)
「代書」 *1982.8.19 「とっておきの米朝噺し」(KTV)
[Disc.3] total time 62分
「天神山」 *1985.4.16「枝雀寄席」(ABC)
「くしゃみ講釈」*1986.12.14「枝雀寄席」(ABC)
[Disc4] total time 64分
「延陽伯」 *1984.5.8「枝雀寄席」(ABC)
「高津の富」 *1986.12.14「枝雀寄席」(ABC)
[Disc.5] total time 56分
「鴻池の犬」 *1984.8.14「枝雀寄席」(ABC)
「つぼ算」 *1979.11.4「枝雀寄席」(ABC)
[Disc.6] total time 66分
「仔猫」 *1996.11.8「枝雀寄席」(ABC)
「夏の医者」 *191980.7.27「枝雀寄席」(ABC)
[Disc.7] total time 59分
「鷺とり」 *1983.4.17「笑いころげてたっぷり枝雀」
「口入屋」 *1982.1.24「枝雀寄席」(ABC)
[Disc.8] total time 51分
「八五郎坊主」 *1980.11.23「枝雀寄席」(ABC)
「くやみ」 *1982.4.25「枝雀寄席」(ABC)
[Disc.9] total time 55分
「愛宕山」 *1990.3.12「枝雀寄席」(ABC)
「親子酒」 *1984.3.18「枝雀寄席」(ABC)



 残る七席のうち次の四席は、「枝雀落語大全」として以前に発売された素材を使うのだろう。
『鷺とり』 :「落語大全」DVD第二集、昭和58年1月30日放送ABC「枝雀寄席」より
『時うどん』 :「落語大全」DVD第二十二集、昭和58年1月23日ABC「枝雀寄席」より
『七度狐』 :「落語大全」DVD第三十四集、昭和55年4月27日放送ABC「枝雀寄席」より
『一人酒盛』 :「落語大全」DVD第二十九集、昭和57年11月28日放送ABC「枝雀寄席」より

 しかし、残るネタ三席は、『道具屋』は「落語大全」にはあるが、昭和58年8月21日放送、MBS「笑いころげてたっぷり枝雀」(MBSミリカホール)より収録したもの。 『代書』は「落語大全」も「十八番」と同様に関西テレビの素材(平成4年8月14日放送、関西テレビ「トナマリnoとなり」より収録)、「十八番」にはない『貧乏神』も、「落語大全」は関西テレビの素材(平成4年7月17日収録、関西テレビ「ハイビジョン米朝一門会」)である。
 しかし、『道具屋』は、生誕70年記念ライブと一緒に発売されたDVDに1984年9月11日放送のABC「枝雀寄席」の映像があるので、これだろう。
  ということは、『代書』と『貧乏神』の二席が、謳い文句通りのABC寄席の映像なら、初出しのはずである。 *もしかすると、私のチェック漏れで、すでに発売された映像があるかもしれませんが、そのへんの誤りはご容赦のほどを。

 実は、私自身はCDの音源のみを聞いてイメージを膨らませるのが好きで、「落語大全」「十八番」のDVDは持っていない。映像を見るとせつなくなる、という理由もないではない・・・・・・。「落語大全」のCDの大半はTSUTAYAで借りた。経営者の増田さんの好みなのかどうかは知らないが、米朝、枝雀のCDは数多く揃っている。志ん朝のCDは、残念ながらほとんどない。これも、経営者の好みなのかどうかは不明。
 いずれにしても、落語は生が一番、次は音だけ、と思っている。しかし、2009年の生誕70年記念の麻生市民館での落語会で、あの広い会場で見て聞いた『つる』(素材は1995年9月10日放送のABC「枝雀寄席」)には感動した記憶がある。なんとも言えない会場の一体感があった。 2009年12月4日のブログ
 今回の映像落語会、関西在住なら初出しと思われるネタだけでも行きたい思いはする。もちろん、新幹線にまで乗っては行かない。この時期に出張もないしねぇ・・・・・・。

 今月発売されたCDマガジン、小学館の「昭和の名人」完結編の第一回「桂枝雀」は、東芝EMIから既発売の音源だろうとは思いながらも“縁起もの”として490円で買った。想像通り「落語大全」のCDと同じ『代書』と『親子酒』だった。しかし、枝雀を知らない落語愛好家の方には、非常に良い贈り物だったと思う。今後、他のCDを買ったり、TSUTAYAで借りたりするきっかけになったに違いない。小学館 「昭和の名人」完結編のHP
 ちなみに、二年前に志ん朝をスタートとして始まったこのシリーズについて書いた内容にご興味がある方は、こちらをお読みください。2009年1月10日のブログ

 今回の映像落語、場所が“商都”関西であるから、ほぼ間違いなく東芝EMIのCDやDVDを販売するコーナーがあるに違いない。ソニーとの協調キャンペーンのカレンダーが残っているなら、カレンダーの附録と含めて会場で購入する人も多いかもしれない。 それはそれで結構なことだ。
 誕生日(8月13日)でも、命日(4月19日)でもないのに、枝雀の映像落語会があり、またCDマガジンの第一回配本になるということは、枝雀ファンとしては、素直に喜ぼう。
 この映像落語会で、一つだけ疑問があるとすれば、二日目の昼のゲストかなぁ。どうして、あの人なのだろう。交流はあったのだろうが、関西の人を前にどんなことを語るのか。また、イーデス・ハンソンさんや仁鶴など他のゲストも含め当日の様子には興味がある。ご覧になった上方の落語愛好家の方のブログを期待したいところだ。
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by kogotokoubei | 2011-02-21 13:56 | 落語会 | Comments(6)
2月20日は、旧暦で1月18日。明暦3(1657)年の1月18日は、あの「明暦の大火」が発生した日である。杉浦日向子さんの師匠であった時代考証家の先駆者、稲垣史生さんの著『考証 江戸を歩く』の第七章「隅田川両岸の事件覚え帳」から引用する。

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   稲垣史生『考証 江戸を歩く』
 

 明暦三年(1657)年正月十八日の昼すぎ、本郷丸山町の本妙寺から出火、十九日の朝と晩に一帯を焼き、さらに火勢を改めて二日間燃え続けた。「明暦の大火」または「振袖火事」といい、家康入国以来、六十七年間に発展した江戸の町は大半が焼けた。その数は、
  大名屋敷五百 旗本屋敷七百七十 寺社三百 蔵九千余 橋六十
  町家四百町 片町八百町 死者十万七千四十六人
 焼けた町名をその順序で書けば、神田辺、浅草、八丁堀、霊岸島、鉄砲洲、佃島、深川など隅田川両岸がまずやられている。山手などは翌日の風向きで新規焼き直しの形であった。だからこの大火は、本所・深川と墨田川両岸がいちばん被害がひどかったのに、鎮火と同時に浅草裏へ吉原が移転の準備を始めた。槌音が空高くひびき、景気のよい職人の声がはじけた。
 ばかに手回しがいいじゃねえか。その通り。人口増加で吉原は江戸の中心になり、風教上害があったことと、何しろ狭くて客がぶつかり合うので、かねて浅草裏への移転は申請してあった。そこへ明暦の大火だったので、移転が促進された形で工事が進められたのである。
 その日、焼け出されたはずの遊女たちが、どこから探し出してきたか、花魁の満艦飾で屋形船に乗り、お囃子入りで浅草山谷堀へ乗り込んだ。あとは駕籠を連ねて新吉原へ向かったが、途中の日本堤には、この合同花魁道中を見ようとして、火事などあったかという顔つきで見物人が集まった。
「凄い!孫末代までの語りぐさじゃ」
 と、やたら喜ぶ奴がいた。前も後ろも焼け跡だというのに、江戸も大きくなったものだ。

 
 江戸の約六割を焼いたといわれる火事の被害の甚大なことに驚くが、一方、そのどさくさに紛れて吉原が引っ越しをすることになり、急遽始まった花魁道中を見守る江戸の人たちには、ある意味で尊敬してしまう。
 この本、この記述の後に落語と関連もある内容があるので、こちらもご紹介したい。
 

 万治二年(1659)年十二月五日、新吉原の名妓高尾が、十九歳の花の盛りに散った。絶世の美女で和歌をよくし、筆跡は一流の書家にも劣らないといわれた。
 仙台藩主伊達綱宗が惚れ込み、高雄の体重と同じ目方の小判を積んで身請けしたという。そして船で隅田川を下る途中、高尾が浮かぬ顔をするのを問い詰めると、
「あちきには島田重三郎という恋人がありんす」
 とぶちまけた。綱宗公、カーッと頭へ来て船から乗り出し、左手に高尾の体を吊り下げ、右手の刀で両断して水中に捨てたという。物理的にはちとおかしいが、たとえ伝説にせよ花魁が、六十二万石の太守を振ったというのは爽快である。


 八代目三笑亭可楽の十八番であった『反魂香』は、この高尾の逸話がベースとなっている。島田重三郎が反魂香を焚いてから現れる高尾とのやりとりが、いいんだよね。

 さて、明暦の大火は、別名“振袖火事”と呼ばれる。由来は、本妙寺で、ある娘の供養している時に和尚が読経しながら娘の振袖を火の中に投げ込んだ瞬間に、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となったということからで、この娘にもドラマがあるようだが、その話は割愛。
 ただし、違う説もある。実際の火元は老中・阿部忠秋の屋敷であったが、老中の屋敷が火元となると幕府の威信が失墜してしまうということで、幕府の要請により阿部邸に隣接した本妙寺が火元ということにし、上記のような“振袖”の話を広めたのだとする説。この話は、本妙寺が大火後も取り潰しにあわなかったどころか、大火以前より大きな寺院となり、さらに大正時代にいたるまで阿部家より毎年多額の供養料が納められていたことなどを裏付けとしている。実は、本妙寺も江戸幕府崩壊後はこの説を主張している。しかし、真実は闇の中だ。

 また、大火になった原因は翌日に起こった新たな火元にも理由があるらしく、一つは小石川伝通院表門下の新鷹匠町から出火したというもの。他に、麹町五丁目からも出火したらしい。長期間にわたって雨が降らず乾燥していた上に、強風という天候も災いしたようだ。

 そして、この大火で亡くなった約十万八千人の供養のために建立されたのが、ご存知の回向院。回向院のホームページの「開創」のページには、次のようにある。回向院のホームページ
  

 回向院は、今からおよそ350年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
 この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきた当院の理念です。


 “人・動物に関わらず”、ということで、落語『猫定』に登場する“猫塚”のあったのもここ。(現在ある猫塚は、この落語のものとは違うらしい)

 また、回向院には山東京伝や鼠小僧次郎吉に墓がある。巷に馴染み深く落語にも関わりのある鼠小僧次郎吉の墓に関して、回向院のホームページではこう説明している。

 時代劇で義賊として活躍するねずみ小僧は、黒装束にほっかむり姿で闇夜に参上し、大名屋敷から千両箱を盗み、町民の長屋に小判をそっと置いて立ち去ったといわれ、その信仰は江戸時代より盛んでした。長年捕まらなかった運にあやかろうと、墓石を削りお守りに持つ風習が当時より盛んで、現在も特に合格祈願に来る受験生方があとをたちません。


 実は“義賊”だったというのは誤り、というのが通説だが、日本人は、“強きをくじき、弱きを助ける”という美談が好きだからねぇ。受験生が合格祈願に来る、という話を聞くと、その祈りは「どうぞカンニングが上手くいきますように」と祈っているのではないか、と私は勘ぐってしまう。鼠小僧は、盗んだ金のほとんどを博打や遊興費に使っていて、貧しい者に恵んだことはない、というのが、どうやら本当らしい。しかし、あえて“義賊”ということにしておきましょう。落語で鼠小僧次郎吉と言えば、やはり『しじみ売り』を思い出す。古くは志ん生の音源がいいが、今では、その解釈を少し替えた志の輔の十八番としてのほうが有名かもしれない。
 
 そして、回向院と言えば、相撲である。現在につながる相撲興行は回向院から始まったが、ふたたび回向院のホームページから引用。

 日本の国技である相撲は、江戸時代は主として公共社会事業の資金集めのための勧進相撲興行の形態をとっていました。その勧進相撲が回向院境内で初めて行われたのは明和五年(1768)のことで、寛政年間を経て文政年間にいたるまで、勧進相撲興行の中心は回向院とされてきました。やがて天保四年(1833)より当院は春秋二回の興行の定場所となり、明治四十二年の旧両国国技館が完成するまでの七十六年間、「回向院相撲の時代」が続いたのです。力塚の碑は、昭和十一年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立したものですが、その後も新弟子たちが力を授かるよう祈願する碑として、現在も相撲と当院とのつながりを示す象徴になっています。


写真は回向院のホームページから借りた力塚。
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 根深い問題を抱え再生を目指す相撲界の責任ある人々は、あらためで力塚に頭をたれ、今後のことを真剣に考える必要があるだろう。このままでは日本の伝統、文化、芸能として貴重な相撲そのものの存続の危機である。三流マスコミの論調に惑わされず、きちんと今後に向けてなすべきことをやって欲しい。「過去に八百長はなかった」「いや、八百長はあった」、というなんとも馬鹿馬鹿しい論調に釘をさして、ぜひ場所再開に向けて対策を打って欲しいものだ。
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by kogotokoubei | 2011-02-20 16:01 | 今日は何の日 | Comments(2)
あのSWAが、年内の活動をもって解散するらしい。ZAKZAKの記事から少し引用する。
ZAKZAKの2月14日の記事

 昇太らは、「結成当初の目的であるチームとしての落語創作活動の充実と普及、落語界の活性化はある程度達成できた」として解散に踏み切った。


「下北沢演芸祭」の13日の最終日に発表されたらしい。私は一度もこの会には行ったことがない。理由は、新作より古典が好きだということと、もし行こうとしても、チケットがほとんど取れないだろうと諦めていたから。でも、下北沢というところは何か気になるところで、あまり行く機会がないため一度は行きたいとは思っていた。

 たしかに、提唱者の昇太の言うとおり、このプロジェクトは落語の活性化、特に若い人への普及に大きく貢献したと思う。その意義は十分に認めたい。個々の実力もあったと思うが、いわゆる円丈チルドレンが単独で活動するだけではない、大きな相乗効果があったと思う。人気があるうちに惜しまれながらの幕切れも、よいだろう。
 
 このSWAの成功は、ぜひ今後につなげて欲しいと願う。新作に限ったことではない。一人一人ではなかなか難しいことを、意志(思い)と力量の伴った複数の噺家のプロジェクトとして、落語界の活性化につながる動きが、今後もあって欲しい。たとえば、中堅や若手が一緒になって埋もれた古典を発掘する、なんてのもいいのではなかろうか。
  相当前に紹介した長井好弘さんの『新宿末広亭のネタ帳』には、2001年から七年間に渡る末広亭のネタ帳の分析があるのだが、この七年間で一度もかからなかった主なネタとしては次のようなものをあげている。 2009年7月16日のブログ
<一度も演じられなかったネタ>
・石返し
・近江八景
・菊枝の仏壇
・鍬潟
・ざこ八
・紫檀楼古木
・大仏餅
・搗屋幸兵衛
・一つ穴

『大仏餅』は、あの文楽最後のネタだ。それが、2001年から七年間でまったく演じられなかったわけだ。

 長井さんは、次に一度だけかかったネタをリストアップしている。
<一度だけ演じられたネタ>
・坊主の遊び(01年、志ん朝)
・高尾(01年、文治)
・首提灯(02年、雲助)
・備前徳利(02年、小満ん)
・猫定(03年、円窓)
・帯久(03年、今松)
・なめる(04年、円遊)
・尼寺の怪(04年、さん福)
・柳の馬場(04年、小満ん)
・宗の滝(05年、志ん橋)
・松曳き(05年、小満ん)
・囃子長屋(06年、燕路)
・稲川(06年、円王)
・後家殺し(07年、正雀)

 七年間で一度しか演じられなかった14席のネタの演者として、なんと小満ん師匠の名が多いことか。
 他にもいくらでも江戸、明治、大正や昭和初期には輝いていたネタが埃をかぶっているはず。こういった埋もれた噺を、ぜひよみがえらせ欲しい。

 古典発掘と言えば歌丸師匠を思い出すが、一人がコツコツと発掘し続けるだけでは、せいぜい歌丸一門に継承されるのが精一杯だし、披露する場も限られている。
 たとえば、『擬宝珠』などは喬太郎が発掘し、数多くの落語ファンが聞く機会を得たからこそ、生き返った噺だと思う。内容が古くてそのままでは難しいとか、サゲが今では分からない、などいろいろ悩みも出てくるだろうが、個人の力でその壁を突破するのは骨が折れるだろう。しかし、“三人寄れば・・・”という諺もあるではないか。どうしてもそのままでは演じられない幻の古典を、いわば“古典掘り起こし連”のメンバーが知恵を出し合って現代に甦らせる、なんて非常に結構なことではなかろうか。そういう了見のある有志は、意外にいるはず。ぜひ、定席寄席や限られた持ち時間での落語会ではかけにくい遺物化したネタを復活して披露するようなプロジェクトの発足を期待したい。指南役には、ぴったりの人がいるじゃないですか。

 発表の場は、人形町あたりがふさわしいような気がするが、それは問わない。下北沢だったいいよ。

 チームの名として Umoretakoten Horiokoshi Association の頭文字を取って、“UHA”を提唱したい! これで、今まで聞けなかった幻の古典にめぐり合えたら、それこそ、ウハウハだ!
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by kogotokoubei | 2011-02-17 17:43 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)
東京音協主催の<噺小屋スペシャル>と銘打った会。昨年のこの会の印象が良く、また銀座へやって来た。と言っても最寄駅で言うと新富町か東銀座であるが。たぶんチケットは完売なのだろう、一階はほぼ満席である。
 ちなみに昨年は、喬太郎『幇間腹』、扇辰『徂徠豆腐』、文左衛門『らくだ』だった。マイベスト十席には文左衛門の『らくだ』を選んだ。彼の可能性を再認識した高座だったことを覚えている。さて、今夜はこんな内容だった。

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入船亭辰じん 『道具屋』
橘家文左衛門 『寝床』
柳家喬太郎  『ハンバーグができるまで』
(中入り)
入船亭扇辰  『明烏』
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辰じん『道具屋』 (18:45-19:01)
昨年も開口一番はこの人だった。今年は、二つの協会とも、なぜか真打昇進がないらしい。しかし、前座から二ツ目へのステップアップはあるのだろうと思うが、この人は通常なら今年、あるいは来年には二ツ目。しかし、すでに真打の域に限りなく近づいている。ここ数年で聞いた『道具屋』ではベスト3に入る。与太郎が“葉唐辛子”売りをしてしくじった、という内容がしっかり入っているのもうれしい。結構この部分をやらない人が多いからねぇ。語り口の良さは師匠譲りとも言えるだろう。粋、イナセという言葉が似合う若手噺家さんで、早く羽織姿が見たいものだ。

文左衛門『寝床』 (19:02-19:39)
2時間前に注射を打った、という理由は想像するしかないが、喉の関係のようだ。風邪かもしれないが、いずれにしても体調が万全ではない、ということには変わりがない。今日は落語ビギナー風なお客さんも少なからずいらっしゃったようで、噺本来の可笑しさでも笑いがとれるし、今風のクスグリを含む、三人それぞれの個性的な芸でも沸く、という有難い会場。この高座でも結構湧いた。たしかに、私も感心した部分もないではないが、昨年の『らくだ』と比べるのは無理がある。もっとも笑いをとったと思われるのは、この人の定番とも言える当日の共演者を盛り込んだクスグリで、旦那の義太夫会に参加できない言訳として、「扇辰はフォー○ソングの練習」「喬太郎は、フーゾ○」と言う場面だろう。(○の中には同じ文字が入る)
会話の部分と地噺の隙間で、一息つく仕草も含め、少しつらそうな高座。精一杯やったのだろうが、体調万全の古典本寸法を、近いうちに聞きたいものだ。旦那の義太夫で長屋の連中が寝てしまうところで、「ここが分からない。下手くそなら寝れないでしょう。私は円生を聞いて寝てました・・・・・・」という閑話休題があったが、あれも流れを止めることを含め、私は感心できなかった。

喬太郎『ハンバーグができるまで』 (19:40-20:16)
マクラの15分は、大腸内視鏡検査の話。昨年9月に大腸内視鏡の検査でポリープが見つかり、当日の簡易的な内視鏡手術では除去できない大きさと判断され、一月に入院して除去したらしい。検査の前日の食事のことや、当日に飲む2リットルの液体の下剤のこと、そして検査できるまで腸を綺麗にせんがためのトイレと軽い柔軟体操の様子など、この人らしいジェスチャーたっぷりの演技に、会場は大爆笑。私は大腸内視鏡検査を過去に二度やっているので、ある意味、「そんなに可笑しいかな・・・・・・」と思うフシもあるが、これが喬太郎の芸とも言えるのだろう。また、入院中の隣室のお婆さんのネタも、なかなかのエピソードではある。私も怪我の治療で入院したことがるが、たしかにいるんだよね、頻繁に看護士さんを呼ぶお婆ちゃん。
本編は、昨年の大手町落語会以来の二度目だが、前回よりもネタとしての成熟度のようなものを感じた。20分に刈り込んでも、この噺としての訴求力は十分。それぞれに個性的な登場人物も楽しい。しかし、残念ながら、今回は期待した古典ではなかった。私は、喬太郎の古典が聞きたいのだが。これも巡り合わせと思うしかないねぇ。

扇辰『明烏』(20:29-21:10)
マクラで、三人の趣味について語るということで、最初にイジラレタ文左衛門にきっちりお返しして、早めに本編へ。今回は、この『明烏』がベスト。もちろん、辰じんの開口一番を除く主役三人で、本寸法の古典がこれだけ、ということもあるが、その出来栄えが素晴らしい。途中、源兵衛(太助?)の科白で若干噛んだが、そんなことはまったく関係のない、見ごたえのある高座だった。この人でこのネタは初めて聞くが、十八番の一つになりそうな気がする。リズムの良さは志ん朝を彷彿とさせる一瞬もある。しかし、顔の表情の持ち味などを生かした、あくまで扇辰としての個性がある高座。最後に、源兵衛と太助が“お篭り”の翌朝、時次郎を迎えに行った場面で、浦里花魁に手を握られ、くすぐられて、にやけてよじれる時次郎が、なんとも可愛いくて可笑しい。この人には、こういう噺も似合うことを再認識した。今年のマイベスト十席の候補になりえる高座。


 体調が悪いながらも文左衛門の頑張りには、若干ひやひやもので笑っていた。喬太郎のマクラを楽しみながら、「あ~、これは新作だな」と思いながら、内視鏡検査の解説に頷いていた。扇辰の高座には、おっ!最後には締めてくれるじゃないか、と喜び感心しながら聞き入っていた。
 会場全体の四割から五割は、噺そのものの可笑しさで沸いていたような気がする。日本橋劇場や国立演芸場、横浜にぎわい座などでは、それほど湧かないだろう場面でも、結構爆笑の渦があちこちにできる。それを感じたのか、喬太郎はマクラでの会場の反応に、「笑いすぎ~、そんなに可笑しくない!」と言っていたが、文左衛門の高座の反応に対する彼なりの思いの表出だったのだろう。
 噺家さんにとっては、今回のような会場がやりやすいのかどうか、そこは疑問だなぁ。クスっともしない客も困ったものだが、個別のゲラ男さんやゲラ子さんではなく、会場の大半において笑いの沸点が低いのも、噺家さんは手放しでは喜べないだろうと思う。でも、お客さんの多くは“笑い”に来たんだし、笑うことは健康にもつながるだろうから、私なんかより沸点の低い人のほうが幸せではないか、などとも思う。そんな妙なことを考えながら、久しぶりに銀座のネオンを見ながら、寄り道をせずに(?)家路を急ぐのだった。
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by kogotokoubei | 2011-02-16 23:22 | 落語会 | Comments(2)
当日券があったほどで、会場は七分程度の入り。この二人とは言え、平日では厳しいのかなぁ。チケットが取りにくくなるよりはいいが、実力者同士の二人会なのだから、もう少し入ってもいいように思う。

 開演前にちょとしたハプニング。やたら大声で叫ぶ酔っ払いがいて、いつもの開演前の注意事項説明の後、にぎわい座の方と手伝いに来ていた桂宮治が連れ出し、あらためて開演挨拶となって、場内から拍手。会場にはなんとも不思議な連帯感のようなムードができてから始まった。
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ご挨拶 桂かい枝・三遊亭兼好 
笑福亭笑助  『池田の猪買い』 
桂かい枝    『丑三つタクシー』
三遊亭兼好  『蛙茶番』    
(中入り)
三遊亭兼好  『バレンタイン』 
桂かい枝    『天王寺詣り』  
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◇ご挨(19:01-19:10)
緞帳が上がると高座に二つの座布団があり、ご両人登場。兼好が「今日はバレンタインデーで・・・」とふるが、かい枝はまともに受けず「グラミー賞で日本の人が・・・」と返す。例のハプニングのせいもあって、ちょっとちぐはぐな立ち上がりか、と心配したが、エジプトのネタとなり兼好が(なぜか)行ったことがあるということで、少しづつ会話も盛り上がる。日本のバスがそのまま輸出されており、「早稲田行き」のバスが走っていた、など。海外のネタとなるとかい枝も受けは万全。英語落語会で行ったことのある国が14か国、90都市というから、凄い。かい枝が家族でキャンピングカーで行脚したことに対し、兼好は、「ありえない!」と反応。そうなのか、兼好一家は。とにかく、なかなか楽しいオープニングだった。

◇笑助 (19:11-19:28)
宮治が高座返しに登場すると、開演前のハプニングがあったので、会場から「宮治がんばれ」の声。なかなかご通家さんが多い会場だ。しかし、彼はあくまで今夜はお手伝いで、開口一番は笑助。 昨年2月6日の相模原市民会館の仁鶴独演会以来。ネタは『つる』だったが、コメントを割愛した。今日は、少し書きたい内容。笑瓶のたった一人の弟子だが、ホームグランドは関東らしい。本来なら挟まれる池田までの道筋を通りすがりの他人に聞くドタバタを省いたが、若干時間が押したようだ。次のかい枝がやや慌て気味で登場したから、持ち時間は15分だったのだろう。しかし、前座と考えると、このネタでこの高座なら褒めていいだろう。なぜあの師匠なのかは、おいといて、上方落語を関東で頑張ってかける貴重な存在になって欲しい。 昔々、三遊亭百生という方がいらっしゃったからね。

◇かい枝『丑三つタクシー』(19:29-19:49)
なかなか楽しいマクラの後でNHKの「笑神降臨」で演じた三作のうちの一つを登場させた。ネタ出ししていない方の一席だが、NHKのエの字も言わずに始めるところが、この人のいいところだと思う。ネタ出しは二席目の古典なので、きっと、兼好も新作を出すのを知って選んだに違いない。かい枝が二席とも古典では新作の雄としてのプライドが許さないだろうからね。マクラでは、相撲の八百長ネタにひっかけ、「落語には八百長はありません。」と言いながら、「笑点」のことで笑わせた。八百長を依頼する携帯メールにひっかけて、兼好に「トリ(かい枝)を立てるように、最初ぶつかって、あとは流れですべるように」とメールを送ったというネタも可笑しかった。本編は短い時間ではあったがあらすじを知っていても、十分に楽しめた。運転手と客、そして運転手の娘の三人しか登場しないのだが、はめものも生かした秀逸な新作だ。会場の初めて聞くお客さんは、私よりもっと楽しめたに違いない。 笑いも多かった。

◇兼好『蛙茶番』(19:50-20:16)
歌舞伎にからめて芸能における家柄のネタとなり、軽く落語家の家系についてマクラで笑わせる。女形に似合う顔の話や、歌舞伎ネタのマクラはなかなか可笑しかった。こういったマクラがあった後での本編なので20分はなかったのではなかろうか。それでも達者な高座。舞台番は、通常は建具屋の半公なのだが、なぜか竹さんだった。小間物屋のみい坊の相手とくれば半公となるが、これが三遊亭の型なのかどうかは不明。そんなことはまったく重箱の隅の話で、高座全体は、ともかく楽しい。中入り後にかい枝が指摘したが、ちょっとしたいい間違いも気にならない出来栄え。この人は以前に聞いた『一分茶番』も良く、歌舞伎ネタは十八番の一つと言えよう。そのうち『四段目』『七段目』も聞いてみたいものだ。マクラと本編の総合で、今年のマイベスト十席候補とする。

◇兼好『バレンタイン』(20:27-20:42)
なんとも驚いた。この人の新作を聞くのは初めてである。それも、まさにバレンタインデーにこのネタとは。自分のオリジナルかどうかは知らないが、なかなか楽しい。おやじギャグを連発する主人公には、大いに親近感をもった。リアルな十二支をかたどったチョコのどの動物を誰にあげるか、ということで笑いをとる内容だが、この後にかい枝が、「今日しか出来ないネタ」と茶化していたが、2月~3月の二ヶ月くらいはかけて違和感はなさそうだ。サゲは予想できたものの、まさに旬の新作に巡りあえて良かった。

◇かい枝『天王寺詣り』(20:43-21:13)
いやぁ、いいものを聞かせていただいた。ネタ出しされており、楽しみにしていたが期待以上。マクラで、「風情のある噺をやらせていただきます。風情のある、ということは、あまり笑えないネタということで・・・・・・」とふったが、とんでもない。風情と笑いがふんだんであった。そして、何よりも会場が上方のこのネタでこれだけ沸くのがうれしい。「ここは繁昌亭か?」と思ったほど。筋は詳しく書かないが、愛犬のクロを弔うために天王寺に引導鐘をつきにいく男と、連れで案内人役の二人連れの噺。天王寺の境内の様子や、たくさんの出店-覗きからくり、立ち食い寿司屋、昔ながらの玩具屋、などなど-の描写を、可笑しな二人のやりとりを通して描写する。途中で、玩具売りの符牒を言いながら、「なんのこっちゃわかりませんが、師匠から習った通りやってます」とやったのも良かった。そう、師匠桂文枝は、笑福亭のネタと言われるこの噺を、笑福亭一門以外で十八番にしていた代表的な一人で、他には前述した三遊亭百生も得意だったらしい。この珍しい上方ネタで、雪のそぼ降る横浜を、一気に彼岸の四天王寺に連れて行ってくれた高座。文句無く今年のマイベスト十席の候補である。


 この会の副題に「第11回 にぎわい倶楽部」とあるのを、帰り際でチラシを見て気付いた。そういえば、会場には、顔見知りの常連さん同士、と思われる挨拶の光景があちこちで見受けられた。きっと、かい枝のファンも多数いらっしゃったのだろう。だからこそ、本寸法の上方噺で、あれだけ会場が湧いたのだ、と納得。開演前のハプニングの後の、連帯感的なムードも、にぎわい座の常連さんが多かったから自然に出来上がったように思う。
 終演後には、いつものように階段の手前で二人揃ってお見送りだ。常連さんの多くが、二人に笑顔で声をかける光景が、この会のなんとも言えない温かさを物語る。
 帰り道、外は大雪になってきたが寒さが気にならない、心地よい余韻が残る二人会だった。
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by kogotokoubei | 2011-02-14 23:00 | 落語会 | Comments(6)
録画を見た。志らくの『疝気の虫』よりは、ストライクゾーンに入っている。調子に乗って野球でたとえるならば、先発ローテーションに入っているピッチャーが、普段はもっとカーブやスライダー、そしてフォークボールも交えて投げて、たまには暴投にもなるのだが、今回はテレビ放送があるので直球中心に少しスライダーを混ぜたピッチングで無難にまとめた、そんな感じ。
 短い時間で無駄玉を投げずに完投はしたが、彼を知るファンにしてみると、「えっ、これで終わり・・・・・・」という印象かもしれない。
 
 やはり、今や白酒には、どうしても毒気のあるマクラを期待するし、落語本編においても彼ならではセンスのある演出やクスグリを求めてしまう。主役の子供だって、普段の高座ならもっと弾けているのでは、とも思う。

 しかし、彼の持ち味とも言えるそういったブラック・テイストは、テレビではできにくいのも事実だなぁ。マクラを長くふっていたら本編の時間がもっと短くなるしねぇ。
 本寸法の噺に、彼ならではの味付けはあった。限られた時間でのテレビの高座なのだから、これで良しとしないといけないのかもしれない。来週は五明樓玉の輔の『宮戸川』らしい。テレビ朝日HPの番組紹介ページ
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by kogotokoubei | 2011-02-13 22:00 | テレビの落語 | Comments(2)

司馬遼太郎さんと相撲

昨日は司馬さんの命日ということで、司馬さんご自身の、まるで古典落語のように練り上げたネタのことを紹介した。そして、参照した和田宏さんの『司馬遼太郎という人』(文春新書)には、司馬さんの相撲に対する実に純(ピュア)なエピソードも書かれているので紹介したい。

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和田宏著『司馬遼太郎という人』

 この本は、見出しの全てが著者である和田さんが記憶に残る司馬さんの言葉で統一されているのだが、この部分の見出しは「大相撲に八百長はありえない」、である。

 はっきりとは憶えていないが、大相撲の話をさかんにするようになったのは90(平成2)年より少し前からではなかったか。もっぱらテレビ観戦で、桟敷席まで足を運ぶといった入れ込みようではなかったと思う。このあたりの司馬さんのプライベートな生活は、まったくといっていいほど知らない。
 結構テレビ好きだったと聞く。ソファに寝そべって、チャンネルをリモコンで頻繁に変える人だったというのだが、本人からもみどり夫人からもそんなことを聞いた覚えがない。
 そのころ「週刊朝日」の「街道をゆく」の担当者であった浅井聡さんは、同じ三重県出身の双羽黒に似ていると司馬さんに書かれて、釈然としない思いだったと書いている。たしかに横綱にはなったが、なにやら変人の匂いのするお相撲さんだった。
 浅井さんと同じ社のHさんは司馬さんの前でうっかり「大相撲では八百長がある」といったばかりに、猛反撃されたらしい。のちに司馬さんは浅井さんに「H君もかわいそうになあ、悪い先輩からああいうふうに思い込まされたのや」といったという(司馬遼太郎記念館誌「遼」第九号・2003年秋季号)。おおまじめなのだ。
(中略)
 私も、大相撲にはなぜ八百長がないかという司馬理論を延々と聞かされたことがある。それは室町期の芸能論から始まる堂々としたものであった。しかしそれを支えているのは少年のような純真さである。めずらしく、反論は許さんぞ、といった気迫があった。大相撲関係者は惜しいことをした、これをどこかに発表してもらうべきであった。


 和田さんが指摘している通り、司馬さんの主張は残念ながら文章としては残っていない。文明や文化を大ぐくりで論じる文章や対談は多いが、個別の芸能、たとえば落語や歌舞伎、そして相撲などについて書かれた著作は少ない。(私が知る限り、ではあるが)

 少なくとも、平成の始め頃に相撲界にあったものは、“八百長ではない”と司馬さんは主張していたのだ。ある意味では、それだけ相撲という芸能の世界もその芸を上手く魅せていたのだろうし、マスコミも客も大人だったのだろう。今のような煽るだけ煽って責任は取らないメディアばかりではなかった、と言えよう。

 私も、司馬さんが少年のような純な目で「相撲に八百長はない!」と力説する姿を、ぜひ聞いたり見たりしたかったものだ。勝手な思い込みだが、きっと杉浦日向子さんが江戸時代について指摘した“抽象的ロマンティシズム”と通じるものがあったに違いない。
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by kogotokoubei | 2011-02-13 15:33 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛