噺の話

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野毛の地下“秘密倶楽部“(菊六もマクラで同じことを言っていた)での菊六の独演会の第一回。満席のお客さんは菊六の支援者も多かったようだが、半数以上が落語をあまりお聞きになっていない方と見受ける。かつ、“ゲラ”さんが多かった。だから、会場は沸いたのだが、その高座内容は今一つの出来。ちょっと期待しすぎたかもしれないが、まだ二ツ目であることを思い出させてくれた、と言うこともできる。

構成は次の通り。
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(開口一番 林家はな平 『牛ほめ』)
古今亭菊六 『厩火事』
鈴々舎馬るこ『紙屑屋』
(仲入り)
古今亭菊六 『井戸の茶碗』
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はな平(19:00-19:14)
三年前に正蔵に入門した前座さん。落語会で聞くのは三回目なのだが、残念ながらもっとも悪い内容。菊六とは学習院卒つながりのようだが、選んだ師匠の若い時(今でも若いけど)は昔は元気だけは、あったのだが今日の高座は暗い。もっと、弾けなきゃ、何のために彼に弟子入りしたのか・・・・・・。

菊六『厩火事』(19:15-19:52)
“なぞかけ”をネタにしたマクラで、「落語家が皆なぞかけが上手いと思ったら大間違い。・・・・・・あの日曜のテレビは事前に・・・・・・。」と言ってしまったなら、この横浜にぎわい座の館長のことも引っ張り出して欲しかった。まだ、そこまでのウィットやブラックな味のあるマクラを求めるのは難しいということか。一之輔ならやるだろうな。本編は、やや緊張感は漂ったが、無難な出来ではある。特に最後に登場するお崎の亭主新吉の語り口などは粋である。しかし、この人なら想定範囲内。もっと上を期待していたが、やはり二ツ目だったなぁ。

馬るこ(19:53-20:22)
あまりコメントをしたくない内容。箇条書きで問題点を書く。
・ネタのテイストは違うとはいえ、トリの『井戸の茶碗』と商売が屑屋でツイテ(かぶって)いる。 独演会とはいえ客演としてあってはならないことだろう。
・客層に迎合するようなナツメロ(藤山一郎)やトラさん、森進一などの選択の不味さとその芸の不味さ。 私のほうがもっと似ているぞ!
・紙屑屋の主人に叱られてからの苦笑いなども含む、照れ笑いの素人っぽさ。
ともかく、ひどい高座に呆れた。落研クラスである。 今夜のお客さんだから笑ってくれたんであって、この会場で兼好や一之輔のお客さんなら、完全に浮いていただろう。

菊六『井戸の茶碗』(20:34-21:16)
一席目よりは固さもほどけてきた様子。お約束のヤマ場である屑屋の清兵衛が二人の武士の間に入ってのドタバタの演技などは、ソツなくこなしていたが、全体の出来は一席目のほうが味があったかもしれない。よく笑うお客さんが多く、ネタの筋そのもので受けていた。決して、芸で会場を唸らせたのではない。


 この“秘密地下倶楽部”では兼好、一之輔も高座に上がるが、近所の方などを含め支援者の方が多かったようで、会場全体の様子が、先輩たちのそれとは大きく違っていた。馬るこの酷い唄や、マイクを持って会場に下りるという下衆な演出でさえ、結構受けていた位である。だから、今夜の会場の笑いや反応で出来栄えを勘違いしないことが肝要だろう。

 せっかく、上の芸能ホールでの独演会にもつながる独演会を始めたのだから、ぜひ普通の落語愛好家の間で、「のげの菊六はいいらしいよ」と噂され、知り合いに頼まなくても満席になる会にまで頑張って欲しいものだ。そしてスケ(助演)は前座時代の仲間10人の“テン”のメンバーにこだわる必要はなかろう。ここは神保町の“らくごカフェ”じゃないのだから。 真打の先輩のスケだっていいじゃないか。そのほうが張り合いもあり、勉強にだってなるだろう。前座仲間などとは一線を画す位の料簡でなければ大成しないぞ、サラリーマンじゃないんだから。
 まだ31歳という若さと見事に刈り上げた坊主頭の青さがやけに目立つ初回の高座だった。今夜の出来には、もう一人の二ツ目の成長株一之輔との差が目立った。しかし、今後には期待したい。次に行く時にはぜひ成長を見せてもらいたいものだ。
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by kogotokoubei | 2010-11-30 23:18 | 落語会 | Comments(2)
「東西落語名人キャンペーン“東の志ん朝、西の枝雀”EMI&SMD2社共同で実施」というタイトルの記事が目に入ったので、どんな内容かと思い読んでみて、“う~ン”と首をひねった。
asahi.comのニュース

 のっけは威勢がいい。

株式会社EMIミュージック・ジャパン
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
==============================================
EMI Music Japan&Sony Music Direct共同施策!
東西落語名人キャンペーン
“東の志ん朝、西の枝雀”実施
==============================================
株式会社EMIミュージック・ジャパン(本社:東京都港区、代表取締役社長兼CEO:市井三衛 以下、EMI)と株式会社ソニー・ミュージックダイレクト(本社:東京都千代田区、代表取締役:古澤清 以下、SMDR)は、2社共同で古今亭志ん朝と桂枝雀の店頭旧譜キャンペーン「東西落語名人キャンペーン“東の志ん朝、西の枝雀”」を行なうことになりました。SMDRが発売している古今亭志ん朝の旧譜全商品とEMIが発売している桂枝雀の旧譜全商品を対象とし、東で上方落語、西で江戸落語の魅力を相互的に伝える本キャンペーンで落語全体の活性化を図ります。


 ほう、確かに志ん朝はSony、枝雀は東芝EMIが豊富な音源を誇るが、“共同”でいったいどんな「活性化」策を実施するのかというと、こんな内容。

■期間:2010年12月13日(月)~2011年1月31日(月)
■対象商品:EMI発売の「桂枝雀」全商品、SMD発売の「古今亭志ん朝」全商品(CD、DVD、BOX SET)
■特典:対象商品購入1タイトルにつき1冊「オリジナル特製カレンダー(志ん朝Ver. または、枝雀Ver.)」
    *特典はなくなり次第終了とさせていただきます。

   

 私のように、すでに二人の音源を数多く持っている落語愛好家は別として、これから二人の落語を楽しもうとする人にとって、1タイトルにつき1冊のカレンダーって、魅力があるのだろうか?
 早い話が、二人のカレンダーを欲しい場合は、最低2作品購入で手に入るということだ。そして、そのアイデアの貧困なのは、「欲しい人は品切れになる前に早く買って!」と煽っていること。印刷すればいいんだから、期間中購入者には全員付けなさいよ。!
 大そうに掲げた「落語全体の活性化」、ってこういうことなの。

 この2社が「共同」するなら、活性化策としては、こんなんじゃなく次のようなアイデアではないかと思う。
□案-その壱-
「東西で演出が違う同じ(ルーツの)ネタを二人の名人で聴くカップリング企画」
(例)
・志ん朝『堀の内』&枝雀『いらちの愛宕詣り』
・志ん朝『愛宕山』&枝雀『愛宕山』
・志ん朝『宿屋の富』&枝雀『高津の富』
・志ん朝『千両みかん』&枝雀『千両みかん』
・志ん朝『佐々木政談』&枝雀『佐々木裁き』
など。
一枚のCDに収めるのが難しければCD2枚セットで、単品を2枚買うより割引したセットにしたら、これから二人を聴く人にとっては魅力的ではなかろうか。もし割引しないのなら、カレンダーを2枚付けましょう。

□案-その弐-
「志ん朝厳選10作&枝雀厳選10作のセット企画」
この10作は、インターネットで落語ファンの投票で決めればいい。そうすれば、古手の落語愛好家を巻き込んだ「活性化」策になるんじゃないの。「ファンが選んだ10作セット!」というふれこみだ。

 この2社の今回の「共同」企画は、すでに所有するライブラリーの商品形態はそのままで、オマケだけで販促するための「協調」企画であって、別に両社が別々に実施してもいい内容であり、何ら“シナジー”を感じない。作品そのものを共同のコンテンツにしないで、何の「共同」の意味があるのか、私には疑問だ。 昔のフォークソングなどでも複数のレコード会社の共同企画なら、各社の音源を一つのCDに収めたコンテンツにするではないか。

 せっかく豊富な昭和の名人二人の音源を所有する両社が手を握るのであれば、もうちょっと企画立案段階において、当事者たちのアイデアを「活性化」して欲しいものだ。私はまったく魅力を感じない。
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by kogotokoubei | 2010-11-27 09:57 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
四十九日もとうに過ぎ、落語協会のホームページにある下記の「当期役員」のページから、常任理事だった故志ん五師匠の名が消えた。これは、ある意味当然なのだが、私は勝手に各派のバランス維持のために志ん輔が常任理事に昇格するものと思っていたので、この単純な更新に疑問を感じる。
落語協会HPの役員のページ

当期役員 (任期:平成22年6月25日より2年間)
会長 柳家小三治
常任理事 柳家さん喬・林家正蔵・柳亭市馬・三遊亭吉窓
理事 桂文楽・古今亭志ん輔・入船亭扇遊・三遊亭歌る多・五明楼玉の輔
監事 三遊亭圓丈・柳家さん八・柳家小さん
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相談役 柳家さん助・橘家圓蔵・古今亭圓菊・三遊亭圓窓・
入船亭扇橋・林家こん平・林家木久扇
顧問 三遊亭金馬
最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風



 このまま、小三治会長を支える常任理事が、さん喬・正蔵・市馬・吉窓の四名体制でいくのか。
 私のブログに、時折、的確なコメントを頂戴する落語愛好家の大先輩から、今年6月の常任理事の人選は、各派のバランス調整である、という指摘を受け大いに頷けた。だから、単に志ん五師の名がなくなるだけということはありえないと思っていたのだ。それとも現在九州滞在中の志ん輔が帰京後に常任理事昇格を打診するのか・・・・・・。しかし、そのつもりなら、その結果を踏まえてからまとめて改訂するわな、普通は。

 正朝の“ひっそり”“こっそり”の協会復帰といい、この役員名簿の“ひっそり”更新といい、落語協会の“沈黙”の仕方にストレスがたまっているのは、私だけなのだろうか。 モグラのように自ら“保守的閉鎖的伝統芸能“という穴にズボッズボッともぐっていくような、そんな印象を受ける。

 六代目円生の流れを引くあのグループは芸術協会にSOSを発信したが、そう簡単にまとめて芸協が引き取るなんてことはできないだろう。近い将来、彼らは芸協と落語協会が協力して引き取らなければならないように思う。あるいはそうならないにしても、先代円楽一門の今後は落語界全体の問題なのだ。そういった状況において、常任理事に円窓の弟子の吉窓はいても、バックの円窓は先代円楽グループとの遺恨は消えていない。三遊派の代表として大所高所から問題を検討することなどできるわけがない。だから、本来の三遊派の流れを引く古今亭の名が残る必要があるのだ。
 あえて補足するが、初代古今亭志ん生は初代円生の弟子で、二代目の円生の名を争った名人だったことを忘れてはならない。円朝だって初代志ん生から多くを学んだのだ。『九州吹き戻し』を、円朝は志ん生が健在だった時に弟子に演じるのを禁じた。それほど、あの噺を自分のネタとして仕上げていたのが初代志ん生であり、人情噺で当時右に出る者はいなかった、と言われている。
 だからこそ、常任理事に三遊派のルーツにつながる古今亭の名が単純に無くなるのは、ともかく寂しい。
 ちなみに芸術協会は、歌丸会長、小遊三副会長の他は理事が二十人も並ぶという役員構成である。これは、正直どうやって何らかの論議がなされるのか疑問。“常任”理事という制度があるほうが、第三者には「そうか、名前だけではなく、何か決めたり相談する時は、会長とこの人たちが話し合んだな」という理解ができ、運営面でも納得度が高い。そして、今年6月の任命は、腑に落ちない点もあるにはあるが、バランスという面が人選の最大の理由だったのか、と理解した。
 その“腑に落ちない”顔ぶれだった正蔵や吉窓が常任理事になったのだから、香盤の上で志ん輔が常任理事になる資格には何ら問題はない、きっと昇格するだろう、と思っていたのだよ。

 以前にも書いたが、いっそ志ん輔と扇遊の同期二人が常任理事に昇格したっていいと思う。あっ、そしかすると協会はその時間稼ぎをしているのかもしれないなぁ・・・・・・。そんなことを期待しながら、今の何とも言えないストレスをおさめるしかなさそうだ。頼むよ小三治会長!
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by kogotokoubei | 2010-11-25 15:09 | 落語協会 | Comments(2)
バラエティに富んだ楽しい落語会の後の“反省会”(?)が楽しくて時間が経つのを忘れ、帰宅して風呂を浴びたら日付変更線を超えていた。まずは構成と時間。
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(開口一番 春風亭朝呂久 『道灌』) 18:50-19:00
三遊亭司  『干物箱』 19:01-19:24
林家染丸  『大晦日浮かれの掛け取り』 19:25-19:53
柳家小満ん 『厩火事』 20:03-20:26
春風亭一朝 『淀五郎』 20:27-21:02
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朝呂久
落語協会のホームページによると、2007年8月入門で翌年4月に前座になっている。大きなはっきりした声で、なかなかの出来。一本調子でなく、しっかり演じ分けもできている。師匠がいいから成長も早いだろう。現在の前座では辰じんが頭一つ抜けており、二ツ目の中に入れても上位にいると思っているが、この人にも期待できそうだ。とにかく師匠がいいからね。


初めてなのだが、“拾い物”をしたような、得をした気分。「こんな色っぽい二ツ目さんがいたんだ!」というのが聞き終えての正直な感想。四代目三木助入門後、しばらく落語を離れて歌司に再入門したらしい。プログラムの説明にも書いているが、日本舞踊や小唄(本人曰く高校時代から小唄が好きだったらしい)の素養を背景にした、艶のある噺家さんになりそうな気配がある。線の細さをどうカバーするかだろう。このネタをここまでしっかり演じることができるので、基本は結構しっかりしている。

染丸
マクラで「会場に早く5時頃に着いたんですが、守衛さんが5時半までは決まりなので、と楽屋に入れてくれんかった。さすがしっかりした守勢さんでんなぁ。一応、ご報告しときます。」と上方の噺家ならではの苦言。主催者と会場に向けた軽いジャブであるが、このへんが厭味にならないのが、上方でももっとも上品な噺家さんの部類に入るだろうと思うこの人の芸だ。こういう本寸法の掛け取りを聞くと、自分流の味つけをした噺家さんの高座とは違った安心感のような心地よさがある。もちろん、人によって唄あり踊りあり、いろいろ細工のできるネタだし個性を楽しむこともできるが、「狂歌」「浄瑠璃」「歌舞伎」「喧嘩」という定番のそれぞれの芸がしっかりしている上方本寸法の芸に出会うと、“基本”が出来て初めて個々の“応用”が生きるのではなかろうか、という当たり前のこと痛感する。下座さんの三味と太鼓も程よく、時節も師走目前で不都合はない。

小満ん
師匠文楽の十八番、そして前回の『小言幸兵衛』に圧倒されたこともり、あまりにも期待が高すぎたのだろう、前半の若干のもたつきが、少しだけ気になった。しかし、中盤以降は、頭の中で文楽の音源とダブらせながら聞いていた。お崎と旦那の掛け合いの間が、なんとも言えない。特に、旦那が「別れろ、別れちまいな」と言った後でモジモジしながら、「何も刺身を百人前とったわけでもなし・・・・・・」と反論する件から後、唐土と麹町の話あたり、小満ん流のクスグリもさり気なく挟んでの流石の高座を、“これが厩火事だよなぁ”という、故郷に帰ったような暖かい思いで堪能していた。

一朝
とにかく“芝居が好きなんだナァ、この人は”と思わせる、ニンな高座。『芝居の喧嘩』なども寄席でかけるが、いいんだよね。この日の高座も、いつもの丁寧な語り口、そして地噺の部分も過不足なく分かりやすい。侍も巧いのでこの噺は、現役の噺家さんで聞いた中では群を抜いている。特に感心したのは、“無言の芸”。市川団蔵にダメを出されて淀五郎が死ぬ気になって暇乞いに訪れた中村仲蔵が、淀五郎に稽古をつけるシーン。淀五郎の悩みを聞き出して、「どんな風にやってるんだい、見せてごらん」と煙草をくゆらせながらしばらく淀五郎の判官切腹の演技を無言で見つめていた時間は、実際は一分ほどだったかもしれない。じっと見つめた後で少し首をかしげ、「もういい、もういいよ」と止めるまでの無言の芸の味わいは、生でしか分からない。仲蔵と淀五郎との距離感をしっかり感じさせながら、身振りと表情だけの無言の芸に、私も会場全体も魅入っていたように思う。あの一分ほどの時間に、この高座のヤマがあったように感じた。


 将来を期待させる開口一番、初めて知った芸達者な二ツ目さん、上方の本寸法音曲噺、師匠文楽仕込みの名人芸、そして渋い演出を加えたニンな芝居噺まで、まったくダレない落語会に満足。だから、その後に飲む酒も美味いのであった。
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by kogotokoubei | 2010-11-25 08:36 | 落語会 | Comments(4)
12月の末広亭の余一会は通常と違って29日の開催だが、その案内に昼の部が「扇遊・正朝 二人会」、夜の部が「さん喬・権太楼 二人会」と案内されている。
新宿末広亭 12月29日の余一会

 本当に正朝が出演するのだろうか。末広亭は、この日から正朝出演が解禁?
たしか、事件のあったのは、末広亭で主任だった期間ではなかっただろうか・・・・・・。

 他の寄席にはまだ名が見当たらないが、これが謹慎明け定席への復活初日となり、その後他の定席でも復活していく先駆けとなるのだろうか。

 ともかく、落語協会も本人も、何ら“説明責任”っていうやつを果たしていない。
 夜の部の権太楼だって、復活できるのかどうか心配なので、この“余一会”そのものが告知通りに開催されるのかどうか・・・・・・。
 末広亭さん、大丈夫?!
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by kogotokoubei | 2010-11-24 10:57 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
落語協会のホームページの芸人紹介ページに、春風亭正朝の名が復活した。落語協会HP 芸人紹介
 いつ復活したのかは分からない。協会のニュースとしては何も告知はない。本人のブログ(正朝通信)にも何ら情報はない。
 “目立たず”“穏便に”“こっそり”と復帰させたいわけだ。席亭たちも認めたということなのだろうか。協会や本人は、波風立てずに元の鞘に戻したいつもりなのだろうが、そんなことでいいのか、小三治会長!
 ケジメをしっかりとつけるために、お詫びと復帰に向けた心構えなどを表明すべきではないのか・・・・・・。
 実際の事件は昨年9月だったが、マスコミで暴露されてしょうがなく(だろう)、11月20日付けで落語協会はHP上で次のように告知した。 *当時は鈴々舎馬風会長
 
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謝罪とお詫び

幣協会会員の春風亭正朝が去る9月11日都迷惑防止条例違反で現行犯
逮捕されました。世間をお騒がせ致しましたこと深くお詫び申し上げます。
落語協会理事会としては正朝に対して厳正なる処分を下すことに致します。
今後二度とこのようなことを起こさないよう肝に銘じ、寄席・演芸の普及に
全力を挙げる所存でございます。
重ねてお詫び申し上げますとともに今後とも何卒よろしくお願い致します。

平成21年11月20日
社団法人落語協会
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 この日から一年の謹慎だったようだが、実は“処分”の内容は何ら公にはしてこなかった
 だからこそ、
・一年謹慎させたこと
・本人も十分に反省している(?)こと
などを明確にして、ある意味“堂々と”を協会メンバーとして復帰させたと明言しないで、どうする。

 “こっそり”復帰、ということは、また何かやらかした時に“こっそり”と名前を消す、という含みがある気がしてならない。
 本来は閉鎖的な伝統芸能の世界だから、何でもかんでも公にしろとは言わない。
 しかし、公に「処分を下す」ことを明らかにしたのだから、 “年季が明けた”のなら、処分の“サゲ”もきっちりつけて欲しい。そうじゃなければ、落語愛好家は、彼を“身請け”できないのではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2010-11-22 11:29 | 落語協会 | Comments(4)
噺家さんのブログの中で、その更新頻度の高さと内容の楽しさで結構好きなものの一つに春風亭柳朝のブログ「総領の甚六」がある。昨日11月19日の内容に、あの正朝が11月19日に落語協会に復帰、と書いてあった。
柳朝のブログ「総領の甚六」 11月19日

池袋演芸場さんヨル席を勤めてから急ぎ光が丘IMAホールへ。謹慎中だった春風亭正朝師匠が本日より落語協会へ復帰に相成りました。去年の9月に光が丘へ玉の輔師匠と急遽代演に来た際には事件のことをワタシ自身も知らなかったので、『月日が経つのは早いものだと…』今日は少しホッとしております (^_^;) お弟子さんの正太郎君が一番ホッとして嬉しかったと思います。よく耐えたもんな…

我々芸人は舞台でしかお返しが出来ません…皆様応援宜しくお願いします!



最初は処罰に煮え切れなかった落語協会が、週刊誌によって事件が公になり、ホームページで処分を公開したのが昨年の11月20日。よって、一年間の謹慎が明けたということか。2009年11月20日のブログ

 まだ、本人のブログには今年の正月の挨拶のまま。落語協会のHPには何ら告知はないし、芸人紹介のページにも、まだ春風亭正朝の名は復活していない。まぁ、古い業界である、デジタルな反応は期待できないし、まだ手続きが残っているのかもしれない。協会幹部と一緒に定席席亭へのご挨拶あたりから始まるのだろう。

 彼のファンを含む落語ファン、弟子の正太郎、寄席や落語会の関係者など多くの人たちに有形無形の迷惑をかけた償いは、「舞台」で返すと言えば聞こえはいいが、それだけでは済まされない。もっと別の形での落語界への恩返しを考えて欲しいものだ。ボランティアでの落語会開催やチャリティなど含め、いろいろありえるだろう。

 私は、あの事件の後で、彼の著作を褒めたブログを削除した。だから、なおさら事件による落胆と怒りは強い。しかし、捨てようと思ったその本も付属のCDも、なぜかまだ持ったままである。あえて、「罪を憎んで、人を憎まず」を肝に銘じたからである。しかし、事件以降はその本を読む気にも、CDの内容を聞く気にもなれない。

 もし昨年の週刊誌上で一部の噺家の聞書きとして書かれたように、事件を起こした彼の性癖が根深いもので、かつ今回の処罰を軽く考えているようなら、再犯の有無にかかわらず、協会ではなく落語界から追放すべきだろう。
 柳朝のブログにある彼の笑顔に、どんな了見が隠されているのか、今後しっかり見届けたい。なぜなら、本来ならば、その歯切れのいい江戸弁と粋で東京の落語界を将来背負って立つ一人になることを期待していた人だからである。その周囲の期待をしっかり受け止めることができるだけの器量があるのか、器用なだけの噺家なのかが今後問われるということを本人がしっかり自覚して欲しい。これからが彼の噺家人生の勝負なのだ。一年後に、また彼のことを書く時にはどんな内容になるか、ある意味では楽しみである。
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by kogotokoubei | 2010-11-20 10:10 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

初代談洲楼燕枝

 三三が挑戦した『嶋鵆沖白浪』の作者である初代談洲楼燕枝は、天保8年10月16日(1837年11月13日)に生まれ、明治33(1900)年2月11日に没した。本名は長島傳次郎。ちなみに、円朝(本名、出淵次郎吉)は天保10年4月1日と燕枝の二年ほど後に生まれ、亡くなった年は燕枝と同じ明治33(1900)年の8月11日である。奇しくも同じ年に落語界は偉大な柳派と三遊派の巨星を亡くしたことになる。

 安政3(1856)年に初代春風亭柳枝門下で春風亭傳枝を名乗り次に初代柳亭傳枝。そして、文久2(1862)年に真打昇進し初代柳亭燕枝を襲名した時は25歳。今年映画化された『桜田門外の変』があったのは、その二年前のこと。幕末の騒然とした最中での昇進と襲名だったと言えるだろう。
 円朝ほどには燕枝に関して書かれた本は多くないが、それでもその人を偲ぶことのできる本が何冊かある。その紹介のされ方は、どうしても円朝との比較という形式が多いのは、致し方のないところだろう。
 まず最初に、二人の辞世の句の比較から始まり、談洲楼を名乗る背景なども紹介している関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)から引用。 関山和夫『落語名人伝』
 三遊亭円朝の辞世の句「目を閉じて聞き定めけり露の音」には仏教的な“悟り”が感じられて感銘深いものがあるが、談洲楼燕枝が残した「動くもの終りはありてこぶ柳」には悲痛な感じがただよっている。
 柳亭燕枝があえて談洲楼といったのは、むろん市川団十郎から来ているのだが、それが烏亭焉馬への憧憬の志を含んでいることは見逃せない。落語中興の祖といわれる烏亭焉馬は、五代目団十郎に傾倒して談洲楼焉馬と称したが、燕枝は焉馬を追慕したようである。燕枝は若いころから道具入りの芝居噺を演じたが、声色は河原崎権之助(のちの九代目市川団十郎)の真似が一番うまかったという。よほど成田屋が好きだったのであろう。

 円朝の辞世からは“悟り”が感じられ、燕枝の辞世からは“悲痛さ”が感じられるのは何故か、という問題に答えるのは、結構難しい。

 別な観点から燕枝の人柄を察するために野村無名庵の『本朝話人伝』(中公文庫BIBLIO)から引用する。
野村無名庵『本朝話人伝』
 「円朝は、高座のすがたが余りしなやかで、いささか厭味だと思うくらい色気があった。それからかなり謙遜の態度であった。その反対に、燕枝の高座は頗る傲然としていた。しかし燕枝の傲然さは、しっくり板についていた。円朝には、御召が柄にはまり、燕枝には無紋の黒羽二重がよく似合った。そうして、それがそのまま、二人の芸風であるということも出来ると思う」
 以上は軌道の大通たりし、故人増田竜雨氏の随筆中から、借用いたしましたものでありますが、まことに簡にして要を得たる、適切な批評であり紹介であると思います。実に燕枝は、東の横綱三遊亭円朝に対する西の大関に位し、団十郎に対する菊五郎(芸風はその反対でしょうが)でありました。
 この人、本名を長島伝次郎といい、小石川表町伝通院の生れで、父は長島清助という酒屋さんでしたが、後には今でいう請負師の仕事を始めたので、伝次郎も折には父の代りに現場へ出かけ、監督をしたこともあったと申します。しかし何分にも、幼少から風流を好み、文芸に親しんだ性格が、どうも家業に適しません。帳場にいても暇があれば句案に耽って、浮んだ想を帳面の端にかきつけるというようなこと、運座廻りをして夜を更かしたり、落語が好きで天狗連へ出たり、そんなことをしているうちに、とうとう初代柳枝のところへ弟子入りして、伝枝と名のる身となったのですが、天狗連で場数をふんだだけに進みも早く、二十五の時には真打となって、柳亭燕枝と称しました。
 なれども何分前に述べた二代目柳枝という兄弟子はありますし、当時は色物落語の席も、不振を極めた頃でありましたから、燕枝もかなり苦しんだ時代があり、田舎通りをしたり、道具入り芝居噺で団十郎の声色を使ったり、種々の経験を積んだ末、明治十八年頃には亭号を談洲楼と改め、素噺専門の大真打となったのであります。芸風も一本調子で武士や侠客は巧く描写しましたが、若い娘などは得手ではなく、晩年などは殊に団十郎型の渋好みになり、高尚に過ぎて色気に乏しく、一般受けはしなかったとのこと、しかしながらそのために、今までややもすると下等卑猥の嫌いありし落語が一体に品がよくなったのは、この人の功績であると言われております。

 増田流雨の随筆にある、“傲然な姿がしっくり板につく”高座姿か・・・・・・なるほど。今の噺家さんにおいては、立川流に多いように思うが、“傲然”な高座はあっても、それが“板につく”人は皆無だなぁ。あえて名を出すのなら談春の“傲然”さが将来板についてきたら、少しだけ燕枝の高座姿に似るのかもしれない。そんなイメージである。
 “武士や侠客は巧く描写”、“若い娘などは得手ではなく”というあたりも、談春のイメージとかぶる。三三は、結構若い娘などは巧いと思う。
 さて、燕枝の晩年のことを同じ書から拾ってみる。
 
 かくて燕枝は三遊の円朝に対して、柳派の重鎮と仰がれつつ、自分が談洲楼を名のるに因んで、落語中興の祖人たる、烏亭焉馬の名をつごうと志しましたが、その目的を達せぬうち、明治三十三年の春、痼疾の動脈瘤が次第に重り、病床に呻吟する身とはなりました。
 平素から交際の広かった人とて、見舞客踵を接し、臨終の前日まで枕頭は訪客で賑わったとあり、同年二月二十一日、家族門人囲繞され、本所南二葉町の宅で、遂に亡き人の数に入りました。時に行年六十三歳。葬儀は盛大を極めて浅草清島町源空寺に葬り、法号を柳高院伝誉燕枝居士と申します。

 そうか、最後は烏亭焉馬を襲名したかったんだねぇ・・・・・・。この人のことは詳しく説明しないが、談洲楼を名乗った時から、確かに団十郎つながりで、そうとう焉馬への思い入れがあったのだろう。ただし、焉馬は戯作者であり浄瑠璃作家で、「咄の会」の主宰者として落語“中興”の人ではあっても、噺家として名人という人ではない。大工の棟梁で“お旦”の側の人だったからねぇ・・・・・・。ここでは焉馬のことを詳しく説明しないが、興味のある方には延広真治著『落語はいかにして形成されたか』(平凡社選書)をお奨めする。
延広真治『落語はいかにして形成されたか』
 参考図書の最後に暉峻康隆著『落語の年輪-江戸・明治篇-』(河出文庫)から、今回三三がチャレンジしたネタなどについて書かれた部分を引用したい。
暉峻康隆『落語の年輪-江戸・明治篇-』
 
 もともと彼は俳諧をたしなみ、仮名垣魯文に師事して戯号を“あら垣痴文”と称して狂文を作った。かつ芝居好きであったから、その交際の範囲も円朝と異なり、演劇関係が多く、また森田思軒、饗庭篁村、幸田露伴、久保田米僊、幸堂得知、須藤南翠、関根黙庵などという、いわゆる根岸派の文士と親交を結んでいた。
 したがって円朝にはおよばないにしても、演し物に工夫をこらし、佐原の喜三郎や海津長門の活躍する「島千鳥沖津白浪」(明治二十二年六月春木座上演)や、「水滸伝」の花和尚魯智深の件を翻案し、それに曲亭馬琴原作の「西海屋騒動」をとり合わせた「御所車花五郎」など、彼の苦心の作である。あるいはまた円朝の翻案物に対して、彼もまた『レ・ミゼラブル』を脚色した福地桜痴の「あはれ浮世」を人情咄として高座にかけたりしている。

 以前に井上馨や伊藤博文のことを書いたのは、彼らが円朝と交流があったからだが、政治家との接点の多かったということは、それだけ権力者からお座敷がかかれば出向いた、ということも言えなくもない。あるいは、何らかの意図を持って、時の国のリーダー達とのパイプを作りたかったのかもしれない。
 かたや燕枝の交友関係に政治家の名は現れない。それは、ライバルとしての反応なのか、あくまで燕枝のポリシーなのか・・・・・・。 いずれにしても、その芸、作風、人脈などあらゆる面で、燕枝は円朝を意識しないわけにはいかなかっただろうし、円朝にしても同じだっただろう。それが、ライバル、好敵手というものだから。

 江戸後期から明治にかけて落語の歴史をダイナミックに胎動させるエンジン役であった三遊派と柳派のルーツと言ってよい二人のうち、どちらかというと忘れられていた一方の燕枝の名が、柳派の平成の世の若者の挑戦によって思い出されることはばしいことだと思う。
 そういう意味でも、この度の三三の試みは高く評価されてよいだろう。 燕枝を思うことで、あらためて三三の“快挙”に拍手と、今後の新たなチャレンジへのエールを送りたい。このたびの試みで、しばらく空白になっている燕枝の名跡を継ぐ資格ができた、とも言えるのではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2010-11-19 21:21 | 落語家 | Comments(0)
七代目円生襲名問題に関する話題については、落語ファンもそろそろ“どうでもいいよ”的なムードかと思うし、私自身も真面目に何か書くことに疲れてきた。しかし、先日「ふじ特撰落語会」という新たな催しの第一回として、円丈と鳳楽の“対戦”があることを書いたので、一応後日談としてフォローしたい。2010年10月20日のブログ

 朝日新聞のWebニュースasahi.comに昨夜のことが書かれていた。久しぶりに京須さんのコメントもあったので、後半を引用する。asahi.comの11月18日の記事

今回は円窓さんが不参加のため、円丈さんと鳳楽さんは、円生襲名をかけた落語会とは位置づけていない。が、フジテレビアナウンサーを交えた鼎談(ていだん)では、襲名問題の足踏み状態が続く現状を説明し、それぞれの正統性を改めて主張した。また、鳳楽さんは円窓さんから「円生を継ぐ」旨の文書が送られてきたことも明かした。

 終演後、鳳楽さんは「8月初旬に関係者が集まろうとしたが、円窓さんからは返事がなかった」。円丈さんは「今後も、襲名問題はオープンにしていきたい」と話した。

 落語プロデューサーの京須偕充(きょうす・ともみつ)さんは「襲名は衆目の認める芸や人気のある落語家がするもので、闘って決めるものではない。またメディアが襲名問題を興行化するのは好ましくない」と話している。


 今回の京須さんのコメントで同感できる点は、「襲名問題を興行化するのは好ましくない」の部分。まったくその通りであって、本人同士に戦う気があって精魂込めて高座をつとめるのならともかく、この記事の二人の和気藹々といった写真を見るだけで、この会が“円生”という名跡をダシに使ったただの“二人会”であることは明白。
 塚越という「お台場寄席」の“ナビゲーター”がこの会をナビゲートしているのなら、まったく悪い方向に誘導していると思わざるを得ない。たまにはなかなかいいことも「お台場寄席」のマクラで言うことがあるが、基本的にはしゃべり過ぎ、出しゃばり過ぎなのだ。だから、こんな会を企画してしまうんだよねぇ。
 
 さて、この記事には円窓が本気であるような情報もあるが、そうなら相手に誘われたら堂々と受けて、自分の主張を明確に伝えればいいじゃないか。この人は、やはりよく分からない。円丈のオープンな姿勢とは対照的だ。

 まぁ、こんな茶番はどうでもいいけど、円生という名跡は決して軽くはないので、その名を語って何かを企む動きはウォッチしておこうと思う。

 紀尾井町で柳派のルーツである談洲楼燕枝の大作の仕上げに三三がチャレンジしていた時、神楽坂では三遊派の大名跡をダシにした、まったく“チャレンジしない”二人会があったわけだ。ますます柳と三遊の差は広がるだろうと、ある意味で寂しい思いがする。ライバルが切磋琢磨しなけりゃダメなのよ芸もスポーツも!
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by kogotokoubei | 2010-11-19 11:42 | 襲名 | Comments(4)
 この会場での三三は、一昨年12月17日の「三三冬噺三夜」の第三夜目に来て以来である。その日の『夢金』と『富久』は、よく覚えている。
2008年12月17日のブログ

 今回は同じ連続三夜とはいえ、同じ噺の通し口演。しかも柳家のルーツである談洲楼燕枝の大作へのチャレンジである。円朝の怪談噺だけでなく“柳にもこういう噺があるのだ”という気概を感じて参上した。とは言え、残念ながら三夜通しでは来れない。せめて初日だけでもと四谷に駆けつけた。
 こんな構成と所要時間だった。
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(開口一番 桂三木男 『新聞記事』 19:00-19:23)
柳家三三 嶋鵆沖白浪 一    19:24-20:05
(仲入り)
柳家三三 嶋鵆沖白浪 二    20:18-20:58
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 三木男が「三三兄ィが、楽屋でまだおさらいしていて時間をかせげと言われて」、という能書きでムダなマクラとネタを披露したが、これも余興と我慢しよう。その後が凄かったから。
 ちなみに、燕枝作のこの噺は「しまちどり おきつしらなみ」と読む。今風に書くならば『嶋千鳥沖津白波』になるだろうが、今日のプログラムで上記の書き方をしている。

 燕枝とこの噺については、岡本綺堂が『綺堂芝居ばなし』(旺文社文庫)の“寄席と芝居と”の章で、こう書いている。*この本、すごく面白いので、ぜひ河出文庫あたりで復刊を期待したい。

 燕枝の人情話の中で、彼が最も得意とするのは「嶋千鳥沖津白浪」であった。大坂屋花鳥に佐原の喜三郎を配したもので、吉原の放火や、伝馬町の女牢や、嶋破りや、人殺しや、その人物も趣向も彼に適当したものである。これは明治二十二年六月、大坂屋花鳥(坂東家橘)梅津長門(市川猿之助)佐原の喜三郎(中村駒之助)等の役割で、通し狂言として春木座に上演された。


 このネタ全体を私も知らない。推測はつくが三三も、東京新聞に掲載された次の記事のように、筋の進み方についてはミステリアスなニュアンスだったので、なおさら楽しみである。
東京新聞Web版の11月7日の記事

 円朝ものに再三挑戦してきた三三。「『嶋鵆~』はせっかく柳家のご先祖さまが残してくださったんだから」と決意した。談洲楼が読み物として書いた文語体の本と、三代目春風亭柳枝が口演した速記本、講談の資料を基に台本を練っている。
 「以前は頭で考えた通りに物事を運ぶのが一番大事なことだったが、ここ数年、登場人物が思いもよらぬ行動を取るのが面白い。お客さんの反応に引っ張られて、その日その場で変わったりする。だから、この五人も誰がどんなふうに光ってくるか自分でも楽しみ」と表情を和ませる。


 ともかく登場人物が多いのだが、主役の一人は間違いなく佐原の侠客である喜三郎。今夜はこの喜三郎が際立っていた。分かりやすく言うと“カッコいい”のだ。喜三郎は彼を慕う美女“おとら”とその母親を助けようとして、敵対する相手の菊蔵の攻撃を受け拉致された。しかし、おとらと喜三郎の兄弟分の手助けを得て監禁先から脱出し、復讐に転じる。菊蔵を擁護する柴山の仁吉を仕留めることはできたのだが、肝腎の菊蔵には江戸に逃げられてしまった。さぁ、これから菊蔵を江戸に追いかけるぞ、というところで今夜の切れ場。
 終演後に、その噺の行く末にこれだけワクワクしたことは今までにない。今後の大活劇を予感させるし、筋を知らないだけに純粋に物語の顛末が気になる。これぞ通し口演の魅力、と思わせる初日の出来だ。
 と言いながら、実は明日も明後日も来れないのである。三三が仲入り後に、アンケートに「あらすじ希望」と書けば、ワープロやパソコンを使えないので“手書き”で時間がかかっても送る(つもり)と言ってくれたので、期待してアンケートに書いた。待ってるぜ!

 残る二夜がどう進むかは分からないが、順調なスタートだった。柳家に残る大事な噺を三三が復活させることに成功した歴史的な高座だったと確信する。二日目や最終日、あるいは三夜通しでお聞きいただけた方のブログにもぜひ期待したい。
 正直なところ、四谷の駅に向かいながら、悪魔が「明日も明後日も会社休んでしまえ!」と囁いた・・・・・・。しかし、そうもいかない、しがないサラリーマン稼業。ぐっと堪えて初日だけでも僥倖と我慢。
 
 三三の噺家人生のターニングポイントとなった夜に出会えた、そんな思いで帰路を急いだ。この噺は、確実に彼をより一層飛躍させることになるだろう。
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by kogotokoubei | 2010-11-16 10:13 | 落語会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛