噺の話

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<   2010年 10月 ( 12 )   > この月の画像一覧

台風が接近している中、半蔵門へ

構成は次の通り。
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(開口一番 春風亭ぽっぽ 『金明竹』)
三遊亭きつつき 『新聞記事』
隅田川馬石   『駒長』
神田阿久鯉    講談『慶安太平記』
春風亭柳朝   『蛙茶番』
(仲入り)
ポカスカジャン  ボーイズ
昭和のいる・こいる 漫才
古今亭菊之丞  『寝床』
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ぽっぽ(13:00-13:13)
今年は開口一番で、度々ぽっぽに出会う。悪い気はしない。一部ファンがいたのだろうか、開口一番にしては登場した時の拍手が大きかった。人気先行だったように思うが、実力も着実につけてきている。以前にも書いたが、この人と立川こはるの二人が女流落語家の新しい時代を切り開く、かもしれない。

きつつき(13:14-13:29)
円楽一門の中で聞きたいと思うのは、兼好とこの人、だけかもしれない。私の地元である相模原の若手落語家選手権で2007年に優勝してから注目しているが、相変わらずなんとも言えない魅力のある噺家である。このネタは“オウム返し”が演出上の鍵だが、途中の言い間違いをリカバリーする技を含め、そのスピード感やクスグリの可笑しさが非常に個性的で、かつ本筋を外していないところが良い。あの一門は真打昇進が早いが入門は2003年なので、しばらく「目の離せない二ツ目」の一人といえるだろう。

馬石(13:30-13:47)
地味な噺家さんが地味なネタをかけた。弟弟子が襲名披露興行中だが、良い意味で刺激を受けて欲しい。個人的には嫌いじゃない人なのだが、どこか一皮剥けていない、という印象。先輩白酒をはじめ、雲助一門なので名前は突飛だが芸は本寸法、というのがお約束とも言えるのだが、本寸法=地味、ではない。きつつきのインパクトが強かっただけに、その芸の“普通”さが、一層物足りなく感じた。 しばらくはもがいてもらい、近い将来この人ならではの味を身に着けて欲しい。

柳朝(14:10-14:39)
この人の持ち味は、“丁寧さ”と“明るさ”、それは師匠である一朝のDNAでもある。久しぶりに聞いたが、上手くなったし、幅と奥行きが出てきたような好印象。トリで菊之丞がパクッた“バーチャルリアリティ”という現代的なクスグリも違和感がなくはまった。しっかり芸を磨いていることが察せられるし、基本が出来ているのでこれからの成長が楽しみだ。 師匠と同様に寄席の看板となり、独演会でも人が呼べる中堅になりそうな予感。この人は「総領の甚六」という名のブログを書いているが、更新もしっかり行っているし、銭湯ネタなど趣味も多く、なかなか楽しいことを付け加えておきたい。

菊之丞(15:33-16:08)
高座に上がるなり、「楽屋でニュースを聞いてましたら、(台風の影響で)有楽町線と半蔵門線が“ふつう”らしいです」ときた。私も含め会場から「え~っ」の声。その後で、「普通に走っているんですよ」と落とす。このあたりが、流石である。本編もしっかりと本寸法に違和感なくオリジナルのクスグリが入り、ご隠居が浄瑠璃の会の出欠を繁蔵に確認する際に、長屋の住人のみならず「チリの炭鉱夫の人たちは?」まで加わる。もちろん、このあたりはマクラと同様、臨機応変のアドリブになるだろう。ともかく、今もっとも「安心」して古典落語を聞かせてくれる噺家さんの一人である。


詳しくは書かないが、ポカスカジャンも、ゲスト昭和のいる・こいるも大いに楽しめた。
木戸銭1,800円で、土曜の昼間にこれだけの顔ぶれ、天候以外は、まったく文句のない落語会であった。
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by kogotokoubei | 2010-10-30 18:24 | 落語会 | Comments(2)
一気に冬になったかのような寒さと雨の中、誤って社会教育会館に一度行きかけて軌道修正し、日本橋公会堂の会場へ向かったが、この天気でも駆けつけただけの収穫はあった。会場は約八分ほどの入り。ベテラン落語ファンがほとんどかと思わせる心地よい空間だった。

先に結論(?)から。小満ん『小言幸兵衛』に恐れ入った!もちろん、“小言”を挟む余地は微塵もなし。

構成は次のようなものだった。
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(開口一番 林家扇 『饅頭こわい』)
古今亭志ん輔 『佐々木政談』
柳家さん喬  『お若伊之助』
(仲入り)
柳家小満ん  『小言幸兵衛』
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(18:50-19:00)
木久扇門下で三年目の前座さんのようだが、女性とはいえ厳しく言えば、“会場を緊張させてどうするの!”という内容。本人が楽しむだけの余裕がないのはしょうがないが、もっと笑顔が欲しい。

志ん輔(10:01-19:33)
まだネタおろしして間がないのかもしれないが、主人公の四郎吉の可愛さ、小憎らしさは十分に伝わった。この噺を聞くと、どうしても師匠志ん朝を思い出す。もっと佐々木信濃守と子供とのやりとりが生き生きとして、そして楽しい。まだまだ師匠を目指しながら志ん輔独自の味わいに磨けると思うので、しばらくしてまた聞きたいものだ。マクラで、近くの甘酒横丁にあるお菓子屋さん亀井堂は、この佐々木信濃守を祖先にもつお店だと説明があった。せっかくだからお店のホームページから、信濃守の関連部分を抜粋。
人形町 亀井堂のHP

人形町亀井堂は、今より約百三十年前の明治六年、神戸元町に創業した亀井堂総本店より、昭和四年、江戸初期から東京に在住する旧家、人形町佐々木家嫡流に、のれん分けのかたちで任された店でございます。
 人形町佐々木家は平安時代より約千年にわたって続く宇多源氏の名族で、江戸時代には三千石を拝領する大身の旗本となりました。
なかでも幕末に江戸南北町奉行や外国奉行を歴任した幕閣の重鎮、朝散大夫(ちょうさんだいぶ)佐々木信濃守顯發(あきのぶ)は著名であり、本店にはその顯發に栄誉ある信濃守任官を宣下する朝廷の宣旨が掲げられております。


志ん輔は、「お店に行って、志ん輔に聞いた、って言わないでくださいね」と笑って言っていたが、落語と縁のある人形町のお店ということだ。紹介しないわけには行かない。次回はお店に寄ってこよう。

さん喬(19:34-20:14)
さん喬の出来は悪くなかったと思うが、どうもこの噺そのものが好きになれない。一つの理由は、志ん朝の音源への思い出によるものだ。志ん輔の『佐々木政談』で想起する音源が、志ん朝が三十九歳の頃、昭和52年12月3日の三百人劇場でのそれなのに対し、この噺を聞くと、志ん朝が亡くなる半年前の朝日名人会の高座の音源を思い出してしまう。
もう一つの理由が、後味の悪さ、ということ。同じ狸が出るネタでも『狸賽』や『狸の札』など一連の落とし噺とは違って、ややおどろおどろしい結末である。数少ない笑いどころは、棟梁が根岸の隠居と伊之助の間を行ったり来たりする場面だろうが、ここもとってつけた印象。円朝作とも言われるが、違う説も有力。人情噺なら他にもいくらでもある。さん喬のきめ細かい演出や語り口があっても、嫌いな噺にはのめり込めない。残念。

小満ん(20:25-20:56)
“至芸”と言っても過言ではないだろう。最初の師匠文楽の十八番を、文楽版を底流にしながら、二人目の師匠小さんの軽妙さも加わって、結果として小満ん落語として仕上がっており、ご通家の多い客席もツボを押さえた場面でしっかり笑いが起こっていた。高座と会場が作り出すその場にしかない得がたい時間と空間が30分間存在した。
この噺は、これまで喬太郎で二度感心させられた(2007年6月30日の“前進座”でのさん喬との親子会、2008年11月15日の“あつぎ寄席”)2008年11月15日のブログが、喬太郎ももちろん素晴らしいが、本寸法としては小満んに軍配が上がる。というか、小満んを慕う喬太郎は、きっと小満んのこの噺を手本にしているのだろう。
 また、小満んらしい細かな味付けも心憎い。たとえば「仕立屋だから“営む”かい。それじゃ提灯屋は張りなむ、飴屋はベトナムだ」などのクスグリは、最初の二つは文楽譲りだが“飴屋でベトナム”には笑えた。花火屋が登場するサゲまでをしっかり演じての大満足の高座だった。昨今、この人を賛美する声が同業者を含め多いが、非常に良い傾向だと思う。今、もっとも“江戸の粋”を感じさせてくれる噺家さんと言ってよいだろう。

 志ん輔は同じネタを少し先にまた聞きたくなり、さん喬は違うネタで近いうちに聞きたくなった。そして小満んは、どんなネタでもいいので、今後数多く聞きたいと思う。
 ともかくこの日の小満んの高座は、今年のマイベスト十席入りが確実。終演後、せっかく人形町まで来たので帰りに居酒屋に寄り道し、高座を思い出しながら飲む熱燗は格別に上手かった。
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by kogotokoubei | 2010-10-29 09:11 | 落語会 | Comments(4)
明治42(1909)年の10月26日は、伊藤博文がハルビンで暗殺された日である。

 なぜ伊藤博文を取り上げたかというと、井上馨(聞多)ほどではないが、三遊亭円朝との接点がある。
 司馬遼太郎は『坂の上の雲』の「日清戦争」の章で、外務官僚として日露戦争後のポーツマス会議の全権となった小村寿太郎を主役にしたエピソードを紹介しており、大隈重信邸の晩餐会の客で伊藤と円朝が登場する。
司馬遼太郎 『坂の上の雲』(文春文庫版第二巻)
 

 明治十三年、小村は、
「米国法律学士」
 という肩書きで帰国し、司法省につとめた。ほどなく外務省に転じ同二十一年三十四歳で翻訳局長になった。このころ、かれが書生のころブロマイドを買った大隈重信が、黒田内閣の外務大臣をしており、小村の上官であった。あるとき、大隈は自邸で盛大な晩餐会をひらき、元老、大臣、次官、局長といった大官連中を招待した。
 その席に、落語家の円朝が余興をやるためによばれ、酒席の末席に侍った。
 正面には、枢密院議長の伊藤博文がすわっている。伊藤が、
「円朝、盃をやろう」
 と、左手をあげた。が、末席の円朝は身分を考えて恐縮し、ひとのかげにかくれ、頭をさげたまま前へ出ようとしない。そのとき小村が、
「円朝、出るのだ。なにを遠慮することがある」
 と、大声でいった。そこまではよかった。
「この席に廟堂の大官がずらりとならんでいるが、このなかで当代もっとも偉いのは貴公ではないか。元老も大臣もいま死んだところであとに偉い後継者がひかえて(自分のことであろう)いるが、貴公に後継者があるか。ないだろう。だから円朝、堂々と前へ出ろ」
 といった。小村はこの時期、翻訳しごとだけでその自負心からすれば不遇のおもいがつよく、それでつい大官たちにとっては暴慢きわまることを方言したのだろう。が、この当時、維新後日がまだ浅く、官僚の秩序が、秩序感覚だけでうごくといったふうのものではなかったから、伊藤も大隈も苦笑するだけで小村をべつにどうもしなかったようであった。ただ不遇がつづいた。五カ年、小村は翻訳局長のまますえおきになった。


 もう一つ、伊藤博文と円朝との接点が円朝の正妻についても存在する。円朝の内儀さんになったお幸(おこう)は、その気風(きっぷ)の良さから柳橋で一二を競う売れっ子芸者だった。お幸のご贔屓は伊藤博文や井上馨といった一流どころで、円朝も柳橋のあちこちの宴席でお幸と顔を合わせてもいた。
 お幸は料理が上手だったらしく、永井啓夫さんの『新版 三遊亭円朝』に次のように紹介されている。永井啓夫 『新版 三遊亭円朝』(青蛙房)
 

お幸はまた、円朝とちがって和敬静寂といった風流の方面には関心がうすかったが、料理を作ることにかけては天才的な技量をもっていた。井上馨は「東京で板前の第一番は栗山善四郎(八百膳)、第二はお幸だ」と激賞している。


 当時の「八百膳」といえば、この店だけはミシュランで星3つで他は2つ以下か、という料亭である。井上がどれほどお幸の料理を評価していたかがわかる。そして、井上と言えば伊藤、という位のコンビであるから、伊藤が後に円朝の妻となるお幸と会った機会は、相当な数と想定できる。
*井上馨のことは命日の9月1日に書いたので、ご参照のほどを。 2010年9月1日のブログ

 伊藤博文は天保十二年9月1日(新暦1841年10月16日)、父林十蔵、母琴子の長男として生まれた。幼名は利助、のち俊輔(春輔、舜輔)と称した。父・十蔵が長州藩の蔵元付中間水井武兵衛の養子となり、その武兵衛が伊藤弥右衛門の養子となって、伊藤直右衛門と改名したため、十蔵、博文父子ともに伊藤姓を名乗ることになる。なぜ父が養子になったかは後で引用する内容で明らかになる。
 末に初代の内閣総理大臣となり、その後も第五代、第七代、そして第十代の総理大臣も務め、かつては千円札の顔として馴染み深く歴史上の大人物というイメージが強いが、決して平坦な道を歩んではいない。生家の極度の貧しさや、農民の出であることによる差別が、後に飛躍する大きなバネになったのだろうと思う。15歳で入門した吉田松陰の松下村塾でも、身分が低いので塾の外で講義を立ち聞きしていたという。

 桂小五郎の手下として江戸で英国公使館の焼き討ちに参加したりするが、当時はまだ若く“その他大勢”の一人にしかすぎない。
 伊藤がその後飛躍するきっかけは、文久3(1863)年に生涯の盟友である井上聞多らと共にイギリスに渡航し、ロンドンで英語を学ぶとともに見聞を広め、イギリスと日本との圧倒的な国力の差を目の当たりにしたことにある。使い古された言葉だが、「井の中の蛙」では国のリーダーにはなれないし、世界は自ら見て触れなければ分からない、ということだね。

 さて、なぜ父が養子になる必要があったか、そして伊藤の子供時分の貧困ぶりやその後「今太閤」と称させることなどについて、服部之総は『明治の政治家たち』で、評論家の池辺吉太郎の言葉も引き次のように書いている。服部之総 『明治の政治家たち』(岩波新書)

シガーのふかしかたまでビスマルクのスタイルをまねたと噂された伊藤博文のことをこれまでたれ一人日本のビスマルクに擬した評者がいないというのは、正直なものである。明治末期の政界評論家として定評のあった池辺吉太郎の伊藤博文論に、日本史上の出世がしらとして、水呑百姓—田一反歩、畑二反歩、山林六反歩の自作農が年貢の不始末から村を棄てて仲間奉公したのがかれの父伊藤十蔵であった—の小倅から出世した公爵伊藤博文を太閤さんに比したくだりがある。りこうで、名がすき、ほまれずきで、その名を誉を華々しく飾り立てることがまた大すきで、陽気なところも、また寡人有疾寡人好色ということろも、太閤さんに似ているが、だが、一生を通じてみたところで、勇気の欠乏という點があって、それがかれを国民的英雄にしなかった理由だろうとするものである。
 だが勇気ならば井上馨がもっていた。聞多のむかしから公爵のしまいにいたるまで、井上と伊藤のコンビは切れたことがない。このコンビをぬきにしても、伊藤の「消極的勇気」のことなら池辺大人はみとめており、消極的勇気こそは日清戦争を決断させた大勇だったと、ほめる側もでてくるというものである。しかしほめる側でもかれをビスマルクに擬するものはいない。にもかかわらず、日本のビスマルクがしとげなければならない基本的な工事をもののみごとにしあげた者は、かれであった。


 父が貧しさゆえに養子にならざるを得なかった子供時代の伊藤が、歴史的な転換期にチャンスを見出し、長州という生まれた国との幸運なめぐり合わせも相まって「今太閤」とまで出世していく。しかし、彼は“勇気”に欠けていた。その欠点を盟友である井上聞多が補い、“冷静さ”と大局観で秀でた伊藤とがシナジーを発揮して明治という新しい時代のメインストリートを闊歩していく。そんな姿が見えてくる。
 伊藤の目立った活躍は明治維新以降なので、『龍馬伝』での登場回数は少ない。ちなみに伊藤俊輔役はは尾上寛之。しかし、日清、日露の戦争時代には存在感が否応にも増してくる。だから、『坂の上の雲』では、肝腎な場面で登場するし、俳優は加藤剛になる。

 明治時代に伊藤や井上が自邸での晩餐会や、柳橋の料亭に円朝を招いて落語を聞く時代と、元首相が池袋演芸場にブラっと立寄る時代。どちらがいいとは言い難い。あえて言うならば、政治や芸能の「大衆化」による恩恵を我々は受けることができたのだが、反面それらの世界や従事者の持っていた「高さ」「重さ」や「内容の濃さ」を失った、ということであろう。

 そして、それぞれ個人の問題に踏み込んで考える時、昨夜放送されたNHKの「プロフェッショナル」を思い出す。引退する世界的なバレリーナ吉田都さんが、「プロフェッショナルとは?」という問いに答えたキーワードは「情熱」「誇り」
NHK プロフェッショナル 10月25日放送「吉田都」
 

情熱と誇り。それを持って一つの事をこつこつと続けられるという。自分のやるべきことをしっかりできるという人ですかね。



 幕末から明治の激動期に、坂本龍馬にしろ、桂小五郎、高杉晋作、西郷隆盛、そして井上、伊藤たちの“新しい国と歴史をつくる”ことに賭けた「情熱」「と「誇り」がなくして維新はなかっただろうし、明治という国家は存在しえなかっただろう。円朝にしても“落語の革命”を目指すための「情熱」と「誇り」がなくして、言文一致体文学の誕生にまで影響を与え、明治の元勲たちにさえ一目置かれる噺家にはならなかったはずだ。“たかが”噺家、“されど”噺家である。
 ところが、今日の政治家や噺家たちの「情熱」や「誇り」は、いかがなものなのだろうか。政治家たちの「情熱」は“国づくり”ではなく“自己保身”へのそれであって、噺家の「情熱」は、“芸”へのそれではなく、ややもすると“金”の方に傾注していると思わせるではないか。例えば、襲名披露を一年にも渡って続ける“セコ円○”を筆頭に、私には数千人規模の会場で落語会を開く人気も評価も高い噺家に対しても、同じような落胆を禁じ得ない。
 今の世の中には“たかが政治家”“たかが噺家”はたくさんいても、“されど政治家”“されど噺家”は、佐渡の朱鷺ほどの希少さである。残念ながら、どの世界でも「プロフェッショナル」は滅多にいない、ということだ。それを、“大衆化”のせいにはできないはずだ。あくまで、その個人の「了見」の問題なのである。
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by kogotokoubei | 2010-10-26 09:19 | 今日は何の日 | Comments(2)
フジポッド「お台場寄席」のことを何度か書いているが、同じフジポッドの新企画として「ふじ特撰落語会」というイベントが始まるらしい。
ふじ特撰落語会のHP

 「お台場寄席」や、そのコンテンツの一つである「目玉名人会」で司会を務めるアナウンサーの塚越孝が次のように口上を述べている。

こんにちは。フジテレビアナウンサーの塚越 孝です。
11月18日に神楽坂・赤城神社参集殿のこけら落しとして「ふじ特撰落語会」が開催される運びとなりました。
3月17日、浅草・東洋館での「圓生杯争奪」では、両師匠に評論家の方々も加わって、私が討論会の進行を致しました。
今回は小さなホールなので、両師匠を挟んで鼎談。私が互いに「圓生」を譲る気はないのかなど、質問をぶつけます。
あの討論会から8ヶ月後に実現した二人会。フジテレビの動画配信サービス「フジポッド」では、この模様を、11月22日から毎週月曜日更新の4~5話シリーズ(予定)で無料配信します。ぜひご期待下さい。


そして、第一回の「番組概要」として、こう書かれている。

第一弾は、今、落語界で大きな話題となっている「七代目圓生襲名問題」の渦中にある二人が、奇跡の揃い踏み。題して、「やっぱり圓生は俺だ!『円丈・鳳楽二人会』~あの対決から8ヶ月!!」。
1979年に古典落語の名人・先代三遊亭圓生が亡くなってから永く空席となっていた名跡。生前の円楽が弟子の鳳楽を圓生に指名。これに円丈が異議を唱え、ここから円丈・鳳楽による「圓生」を巡った争いが始まりました。
円丈が「芸の上で決着を」と呼びかけ。鳳楽がこれに「一回やりましょう」と応じたことから、3月17日に浅草東洋館で「圓生争奪杯」が開催されました。落語界内外の話題をさらった対決から8ヶ月。ついに両師匠が再び競演する日が訪れました。

【番組情報】
収録:2010年11月18日 第一回『ふじ特撰落語会』(神楽坂・赤城神社参集殿)
配信:
フジテレビ動画配信サービス「フジポッド」にて11月22日より無料配信。
毎週月曜日更新 全4~5回(予定)

【出演者】
三遊亭円丈 / 三遊亭鳳楽

【解説】
塚越 孝(フジテレビアナウンサー)


 HPには二人の写真、プロフィールも掲載されているが、円丈と鳳楽の“再戦”が、さて、あれから半年以上も過ぎて、落語界では「大きな話題」になってるの?
 主催は「粋まち」、制作協力がフジテレビジョン、協賛は冨士フィルムとなっている。

 まぁ、「神楽坂のまち興し」「赤城神社参集殿のPR]を考えるチームと、自前のコンテンツが不足で少しでも配信できる素材が欲しいフジポッドが意気投合し話題性のある落語会を企画した、つもりなのだろう。

 ちなみに「粋まち」という組織は、NPOから発展した株式会社らしい。
「粋まち」のHP


 会場の赤城神社のHPに、この神社の提唱する“キーワード”である「ヒトイキ」という言葉の説明が次のように書いてある。赤城神社のHP


赤城神社では、コレまでの伝統と地域に根ざしながら、これからのくらしを育む新しい文化活動をはじめます。
キーワードは「ヒトイキ」。
これは、一息であり、人息、人粋、人意気であり、神の域に接する人の粋と考えています。あわただしい日常の中で、自分を見つめて、気持ちを確認し、人が集い、つながる場をつくっていきたいと思います。



 「そうか、塚越が仲に入って円丈と鳳楽の抗争(?)をなだめ、あらたに二人を“つなげる”ためのイベントか」などと深読みしても、まず間違いなくハズレだろう。*分かってて書くな、と言われそう・・・・・・。

 まぁ、配信されるようだから聞いてはみようと思うが、とても神楽坂に行く気にはなれない。特に「鼎談」が想像できてしまい、とても“粋”な内容になるとは思われないからだ。盛り上がるとは思えないなぁ。

 さて、この企画が円生襲名問題に「一息」入れることになるのか、それとも「一息」入れるべきところを、マッチポンプ役がはしゃいで無駄な混沌を作り出すのか・・・・・・。どうしても後者のような気がしてしょうがないのだが、どうなることやら。

 正直、私の中では関心が急激に冷めつつある襲名争いであり、冷却期間をおいて近い将来に兼好に継いでもらいたいという思いもある。以前にも書いたが、円丈も鳳楽も、そして円窓も“ニン”ではない。誰が継いでも、芸風、力量、年齢(将来性)などで違和感がある。逆に言えば、誰が継いでも「セコ円生」として中継ぎをして、次につなげてもらっても結構。
 そんな思いで、秋の夜は過ぎていく・・・・・・。(なんてね!)
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by kogotokoubei | 2010-10-20 18:28 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
昨日10月16日に行われた平成22年度NHK新人演芸大賞<落語部門>の結果が、落語協会のHPや本人のブログ、さまざまなニュース、そして落語愛好家の方のブログで発信されているので、11月の放送の前に私も書くことにした。
落語協会のHPのニュース
春風亭一之輔のブログ“いちのすけえん”
MSN産経ニュス
 一之輔のブログに書いている通り、放送は、11月6日(土)15時50分~16時55分のNHK総合。

『初天神』だったんだ・・・・・・。

 さて、受賞するか否か関わらず、私は一之輔の来年真打昇進を期待しているが、受賞したほうが昇進はしやすいだろう。先日書いた通り、“年功”では先輩がたくさんいるが、十○人抜きがしばらくぶりにあってもよいだろう。2010年10月13日のブログ

 一之輔には、それだけの実力と人気が間違いなくある。落語協会が、来年は一之輔、再来年に菊六、この二人の昇進を英断することを強く期待している。
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by kogotokoubei | 2010-10-17 15:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
以前紹介した古今亭志ん輔のブログ「志ん輔日々是凡日」は、その“ライブ感”と飾り気のないところが好きで、“日々”立寄っている。落語協会の真打昇進披露興行の10月中席は浅草演芸ホールだが、志ん輔のブログによると、昨日15日の鬼丸の披露口上でも、私が出かけた10月7日の末広亭と同様、落語協会の三代の会長が揃ったらしい。
古今亭志ん輔のブログ「志ん輔日々是凡日」
2010年10月7日のブログ
 司会役が正蔵から志ん輔に替わったが、他の顔ぶれは7日とまったく同じ。舞台に七名が並んだようだ。
 今席での志ん輔は昼席で鈴本と浅草のかけもち。浅草へ向かおうと鈴本を出たところで、“あの人”と会ったらしい。

「鮑のし」を終えて表に出たら正藏さんと会った。「今日の浅草は口上が七人だそうですよ」と言っていた。いつもより二人も多く並ぶということだ。「欠伸指南」の後 今日の口上は下手から 志ん輔、木久扇、金馬、鬼丸、圓歌、馬風、小三治の七人。順番と肩書を間違えぬように勤めたてなんとか幕。疲れた。


 そう、誰かのように間違えると、その後が大変だ。七名も並ぶ時の“キーマン”は木久扇のようだ。末広亭でも浅草でも、予定された出番とは違う日なのに彼が現れて七名になっている。木久扇が鬼丸を支援していると、素直に考えてよさそうだ。
 
 さて、仕事と野暮用との間隙をぬって、あと一回でも今回の真打披露興行シリーズに行ければいいのだが、どうなることやら・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2010-10-16 10:38 | 真打 | Comments(4)
昨日10月14日の配信は、9月18日に開催された「第10回 目玉名人会」での瀧川鯉昇の対談。これが楽しい。
高座同様丁寧な語り口で、あの伝説の噺家である最初の師匠「八代目 春風亭小柳枝」のことや、二人目の師匠の柳昇の楽しいエピソードが貴重な内容であるとともに笑える。
フジポッド「お台場寄席」のHP

時折マクラに使う、八代目小柳枝から伝承(?)された「食べられる草と食べられない草」の見分け方の話や、駅での夜明かしのことはもちろん可笑しいし、珍しい大学時代のエピソードなども含め30分近いボリューム。
この日の高座も近いうちに配信されそうなので、これまた期待したい。

ちなみに、この「目玉名人会」は、第一回の権太楼の時に行ったきりである。対談などはそこそこ楽しかったのだが、ネタを会場の要望に応えるという趣向で、声の大きな客のリクエストをそのまま採用した結果の暑いさなかの『芝浜』。あれにはやや閉口もしたし、司会の塚○とやらのディレクションに疑問を持った。好みもあるが、構成やスタッフに今一つ気持が乗り切れないので生の会は第2回以降行っていない。しかし、スポンサーのロッテさんの頑張りで続いているポッドキャストの配信は、内容にもよるが楽しませてもらっている。

しかし、ブログに書こうと思いHPをあらためて見て驚いた。
プロフィールが次のようになっている。

<プロフィール>
瀧川 鯉昇 (たきがわ りしょう)
出身地: 静岡県浜松市
芸歴:
1896年4月 8代目 小柳枝入門 春風亭柳若
1898年1月 現 柳昇門下へ
1980年2月 二ツ目 春風亭愛橋
1989年5月 真打 春風亭鯉昇
2005年1月 瀧川鯉昇と改名

受賞歴:
1983年 NHK新人落語コンクール最優秀賞
1985年度 国立演芸場金賞銀賞のつどい大賞
1986、1987年度 にっかん飛切落語会 奨励賞
1996年 文化庁芸術祭 優秀賞



おいおい、鯉昇は明治時代の噺家か?

明らかな間違いがこれだけある。
・入門年(1896→1975)
・柳昇門下へ(1898→1977)
・真打昇進(1989→1990)
・にっかん飛切落語会奨励賞(1986、1987→1988、1989)


こういうことがあると“興醒め”なんだなぁ。
本人のホームページに「昭和52年 現 柳昇門下へ」となっているのはご愛嬌とするにしても、メディアで公開する場合は、二重・三重のチェックをして欲しいものだ。
個人のブログでさえ、結構神経尖らせてデータを確認しているんだよ。もちろん、間違いもあるけど。

「重箱の隅をつつくなよ!」という声もあるだろう。
しかし、メディアで発信される内容の正確性や内容から、その「モノづくり」に関わる人たちの「料簡」が分かると思うのだ。スタッフも含めて、自分たちが関わる番組への情熱がどれだけあるか、が問われているはずだ。

ネット時代でwebコンテンツはスピードが優先されるので間違いは必ずと言ってよいほど起こる。しかし、その間違いを直すことにおいても、スピードを活かせるのがネットの時代ではなかろうか。印刷されたコンテンツでの誤りを修正することの困難を考えれば、作成することも修正や改版することにおいても、ネットのコンテンツはスピードが最大の武器だと思う。

修正されるのは時間の問題だとは思っているが、配信から一夜明けても直っていないのは、ネットのスピード基準で言うと問題だろう。「ポッドキャスト」じゃなくて「ぽぉ~っとキャスト」である。*オソマツ・・・・・・
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by kogotokoubei | 2010-10-15 09:15 | インターネットの落語 | Comments(2)
 今週末16日(土)に、恒例の「NHK 新人演芸大賞」の落語部門の本選(決勝)が行われる。観覧募集はもう終了したが、今年は東京での開催。下記の案内にあるように、渋谷の「NHKみんなの広場 ふれあいホール」での開催。
「NHK 新人演芸大賞」の日程や場所
落語部門は午後1時半:から3時半の2時間で収録するらしい。たしかに一人の持ち時間10分余りしかなかったはず。審査も含め2時間あれば撮れてしまうわけだ。しかし、審査時間も1時間に満たないいうことだろうなぁ。声の大きな人の言いなりにならなければいいが・・・・・・。

テレビ放映は例年通りなら11月23日だろうが、芸能ニュースや会場へ行かれた落語愛好家の方のブログでその模様や結果が速報されることと思う。私もニュースやブログを楽しみに待つ。

本選出場者は、複数のブログ情報によると次の通りらしい。

春風亭一之輔、立川志らら、立川談修、桂まん我、笑福亭由瓶

それぞれの入門年と師匠は次の通り。
一之輔:平成13(2001)年に一朝に入門。平成16(2004)年に二ツ目昇進。
志らら:平成9(1997)年に志らくに入門。
談修:平成7(1995)年に談志に入門。
まん我:平成11(1999)年に文我に入門。
由瓶:平成9(1997)年に鶴瓶に入門。

一之輔は平成19(2007)年以来。三年前の演目は十八番の『鈴ケ森』。なかなかの出来だったが、桂よね吉の『七段目(芝居道楽)』には勝てなかった。私の採点では、二人はほぼ同点だったので異存なし。二人に続いて良かったのが菊六の『権助提灯』だったと記憶する。
志らら、まん我は一昨年、平成20(2008)年に出場。志ららは『壷算』、まん我が『野ざらし(骨つり)』だった。まん我も良かったのが、それ以上に感心したのは菊六の『やかん』。しかし、なぜか王楽が大賞。この結果にはブログで疑問を書いた。
2008年11月24日のブログ

 談修と由瓶はこれまで聞いたことがないので、コメントできない。

 さて今年の興味は、関東の落語愛好家の多くが本命と思うだろう一之輔が、果たして大賞を取るかどうか、ということ。
 昨年の菊六は入門年次でもっとも若かったが、四年連続本選出場という実力を発揮して栄冠を獲得した。まったく異存のない結果だった。
2009年11月23日のブログ
 菊六は平成14(2002)年の入門なので、一之輔の一年後輩だが、先に大賞を受賞した。だから、今年の出場者の中で入門年次がもっとも若いことは一之輔のハンディにはならないはず。同じ落語協会からの出場者はいないので、立川流二人と上方二人との戦いということ。予選に誰が出たのか知らないが、落語協会と落語芸術協会の二ツ目代表と言ってもよいだけの人気と実力を有していると思うので、個人的にはぜひ大賞を取って欲しい。予選の演目は分からないが、時間と彼の持ちネタから想像すると『短命』あたりかなぁ。どう刈り込んでも、とても『五人廻し』や『らくだ』をかける時間はないだろう。『抜け雀』もあるか・・・・・・。まぁ、それは当日の楽しみということにしよう。

 そして、大賞を受賞してもしなくても、小三治新体制になった落語協会には、一之輔を来年真打に昇進させて欲しい。もう十分に真打の実力と人気があるし、個人的にはチケットが取りにくくなり困ったものだが、独演会での動員力はたいしたものである。

 もし一之輔が昇進する場合、いわゆる“何人抜き”になるかを予想してみる。
彼より入門年次と二ツ目昇進の両方で先輩の二つ目は、次のような名が並ぶ。
(落語協会HPより。名前の五十音順)
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三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家右太楼:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
桂才紫:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家さん弥:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
柳家初花:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
古今亭志ん公:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
-------------------------------------------------------------
 同期は別として、同じ二ツ目の一之輔の先輩は、この二十一名。

 ちなみに、今秋の真打昇進者五名は、平成8(1996)年と平成9(1997)年の入門で、二ツ目昇進は全員が平成12(2000)年。入門年次と二ツ目昇進の時期を考えると、従来通りの年功序列なら次の方々は、よほどのことがない限り、来春の昇進当確者。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。

そして、春のもう一人と秋は、平成14(2002)年の二ツ目昇進者も対象となり、次のような名前が並ぶ。
三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。

この八名の次に入門が古く悩ましいのは、入門が平成10(1998)年で二ツ目昇進が平成15(2003)年のこの二人。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。

もし、この十人が来年の春と秋に真打に昇進すると、綺麗な従来通りのエスカレーターである。

さて、それでいいのか!?

 非常に身勝手な案を出す。

 春の昇進は小駒、つくし、天どん、金兵衛、そして亜郎の五名として、秋は年功基準を取りはずして、あえて思い切った実力主義で昇進者を決めて欲しい。競馬の天皇賞だって春と秋のレースは場所も距離も違うじゃないか。
*ちょっと無理があるか・・・・・・。

 たとえば、秋の昇進の基準は、「NHK 新人演芸大賞」本選出場の実績や大賞受賞、その他の賞の受賞歴、寄席席亭の評価などを加味し、決めるというもの。
もし一之輔が昇進したら、上述した春の昇進者五名以外の先輩十六人抜きである。
ただし、菊六が昇進した場合はあと六人ほど多い先輩を抜くことになるので二十二人抜き。過去にはそれ以上の例がある。実績、実力を考慮したら、まったく問題ないと私は思うが、一之輔が来年昇進するなら菊六は再来年でも結構。*少しは譲歩もしないと(!?)

 落語協会は、来年の昇進者の名をまだ発表していない。大幅な改革を水面下で検討しているのではないか、と内心期待しているのだが、まったく勘違いかもしれない。
志ん五師匠の四十九日過ぎに、新たな常任理事を含む役員の任命などがあってから、いろいろと動き出すのだろうとも思うが、ぜひ実力とやる気のある若手噺家に夢を持たせるような昇進者の選抜があることを望んでいる。
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by kogotokoubei | 2010-10-13 17:38 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
落語協会秋の真打昇進披露興行にどうしても来たかったのは、春の披露興行には結果として行けず、残念な思いをしたことが最大の理由。本音のところは小せんの日に行きたかったのだが、都合が合わず、仕事との兼ね合いで7日の鬼丸の日になった次第。決して小三治出演日を狙ったわけではない。どちらかと言うと、やたら混むので敬遠したかったくらいなのだが、めぐり合わせで選択することになった。

 新真打昇進披露興行の席は口上があることに加えて出演者も多く、日頃の寄席よりも短い時間での高座が続くのだが、この日は、その数分という時間と空間にかける芸の巧みさや凄みのようなものを感じた。そして、昇進者への噺家らしい賛辞も、それぞれに味のあるものだった。
 高座の順番に思い出しながら書いてみる。

雲助『夏泥』
お決まりのリフレインなのだが、笑えた。なんとも親切な泥棒に入ってもらえた(?)文無しの大工の決まり文句がこの噺の重要な横串。「その親切は涙が出るほどうれしいんだけどよぉ~」で、客席がドッと沸く。私は、この人のこういった滑稽噺のほうが好きだ。円朝の怪談ものを含め人情噺の評価が高いが、雲助本来の持ち味は落とし噺にあると思っている。師匠馬生の代表作の滑稽噺をもっと聞いてみたい。

円歌『漫談』*『中沢家の人々』のマクラ抜粋
年金をテーマにした話など定番のネタで何度も聞いているのに笑えるのは、やはり“芸”としての水準が高いからである。子供時分にはたっぷりテレビでの「山のあなあなぁ~」を聞いた。そして昨今は中沢家。後で登場する木久扇の彦六ものにも言えるが、「何度聞いても笑える」ということは、とんでもないことである。マンネリという言葉はネガティブな響きがあるが、安心して聞いて笑えるという落語も、寄席には欠かせない。

小三治『二人旅』
「青と緑で景色が綺麗だろ!」「それじゃぁ、病人が青い顔して黄色いふんどし締めていたら、綺麗か?」といった、何とも馬鹿らしい二人の会話が、なぜこれほど可笑しいのだろう。お決まりの都都逸も結構挟んだが、たった10分。実はもっと長く感じていたので、時計を見て驚いた。よく言われることだし、ご本人も師匠小さんの言葉として本などにも書いているが、「無理に笑わせようとしない」高座で、これだけ沸かせるということに、ある種の感動をおぼえる。円歌のスピード感と好対照の“ゆるゆる感”が、なんとも言えない味を醸し出す。私は特に熱烈な小三治ファンというわけではないのだが、古希を過ぎた名人上手の“枯れ方”の見本を提示するような至芸には、やはり感心する。

馬風『漫談』
この日のハプニングは、この人の漫談での正蔵(こぶ平)ネタが、結果として伏線になった。親である初代三平の真似を久しぶりに聞いたが、似ているし笑える。漫談から口上、そして正蔵の高座への殴りこみ(?)まで、大活躍の前会長だった。本当は小せん(わか馬)に対する口上を聞きたかったわけだが、それは今後の池袋、国立演芸場でトライしたい。

三遊亭鬼丸真打昇進披露口上
顔ぶれはすでに紹介した通り。特筆すべきなのは小三治の言葉。かつて池袋で行った「二ツ目勉強会」で、志ん朝と権太楼が揃って鬼丸(当時きん歌)の芸をコテンパンに批評した時、小三治だけが、「将来見所があるかもしれない」とポジティブに評価したらしい。しかし、そのことは鬼丸本人が覚えていて小三治に伝えたのだが、当の小三治はまったく記憶がない、というオチがつく。まぁ、そんなものだろうが、鬼丸にとっては、その日の池袋で、素晴らしいアメとムチをもらったということだろう。
師匠の円歌は、「入門のため楽屋に来たのも末広亭、奥さんも末広亭にお勤めだった方・・・・・・」と会場との縁を披露。なかなか、いい話だった。
馬風の紹介忘れで司会の正蔵が冷や汗を書いた時、金馬が、「いちばん(正蔵が)嫌いな人だから!」と合いの手を入れた際の会場の笑いもほどよいアクセントとなり、自然な笑いと励ましに包まれた口上を楽しんだ。
*六代目○楽とやらの襲名披露口上を、たまたまテレビで見てしまったのだが、あんな作為的で下衆なイベントとは比べ物にならない。

正蔵『ハンカチ』
正蔵の高座とハプニングは、(1)ですでに紹介した通り。寄席で前座がネタ帳を持って止めに入ったのを初めて見た。高座の正蔵も客席も、珍しい経験を共有したわけだ。

木久扇『彦六物語』
定番の彦六ものを数分で演じたが、私の周囲の女性客がころげ回って笑っていた。これも、間違いなく芸である。餞の言葉も堂に入っており、実は昭和12年生まれで、小三治や馬風よりも年上の73歳だということを最後に思い出させた。この人は、本当は相当に頭がいいと思うが、さて息子はどうなることやら。

金馬『四人ぐせ』
本日の出演者で最高齢、昭和4(1929)年3月生まれの81歳であることを考えると、膝を悪くして正座ができないので釈台で隠したのは、やむを得ない。しかし、高座はしっかりだったし、あの「お笑い三人組」を思い出させる陽気で元気な芸に感心。ぜひ90歳まで高座に上がっていただきたい。

円窓『半分垢』
会場で渡された出演者の予定に木久扇がなかったので、てっきり円窓の代演と思っていたらご登場。想像したよりは元気そうな高座。“五百席”の人である、どんなネタでもできるだろうから、その中からこのネタにしたのは、この人なりの鬼丸への戒めを含めた餞の言葉なのかと勘ぐったが、真偽のほどは分からない。

鬼丸『悋気の独楽』
本人が、口上の豪華な顔ぶれに一番感激していたのは間違いがない。「これも運です!」と言っていたが、その通り。「来年なら一人二人いなくなっていたかも・・・・・・」も、噺家らしくて結構な毒を保ち、なかなか落ち着いた導入部だった。「師匠もおっしゃってましたが、入門も末広亭、奥さんもここでお茶子だった。もう、他の寄席はどうでもいいんです!」とやってから、「あっ、今日はインターネット落語を収録してました。鈴本の席亭はパソコンが得意で見るなぁ・・・・・・」と慌ててみせた。そうなんです、ずっと会場の最後方でカメラが回っていたんです。(写ってないだろうなぁ)
本編は、まぁ無難な出来、と言える。眼鏡をはずしたのはコンタクトにしたということだろう・・・・・・。私自身が眼鏡をして、たまに酔った勢いで仲間うちで落語をするので、本当はかけ続けて欲しかった。でも、去年の「NHK新人演芸大賞」のことを書いた時に、眼鏡がマイナスに影響したかもしれない、と私自身が書いている。そういう意味では、賢明な対応なのかもしれない。2009年11月23日のブログ
新作と古典の両方を守備範囲にしているこの人の将来を期待している。師匠や歌之介という先輩のような、“定番”となる新作を作って演じる力量が、この人にはあると思っている。


真打昇進披露という大きなイベントでの、たまたまの巡り合わせなのかもしれないが、歴代の落語協会会長三名が集結した口上。そして、その口上での“しくじり”に伏線があった正蔵のネタかぶりのハプニング。とにかく印象深い披露興行で、鬼丸にとっても会場のお客さんにとっても歴史的な一夜だったように思う。さて、他の人の披露興行には行けるのかどうかは今後の都合との巡り合わせ次第である。平日昼席が多いこともあり結構きびしい現実があるが、そういったことを含めて、“縁”なのだろうなぁ。
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by kogotokoubei | 2010-10-08 18:46 | 落語会 | Comments(4)
都内での仕事が終わり駆けつけた時は、小燕枝の『手紙無筆』の途中。
さすがに錚々たる名前が並んだこの日の末広亭は、二階席も開放する盛況だった。幸運にも後ろの方であったが空席に座ることができた。
私が味わった内容の構成と時間を、まず列記する。
---------------------------------------------------------
五街道雲助『夏泥』(18:11-18:27)
アサダ二世 奇術(18:28-18:36)
三遊亭円歌『漫談』*とは言え立派な“芸”!(18:37-18:44)
柳家小三治『二人旅』(18:45-18:55)
鈴々舎馬風『漫談』*とは言え結構でした!(18:56-19:03)
(仲入り)
三遊亭鬼丸新真打披露口上(19:15-19:30)
林家正蔵『ハンカチ』(19:33-19:45)
ロケット団 漫才(19:46-19:54)
林家木久扇『彦六物語』(19:55-20:02)
三遊亭金馬『四人ぐせ』(20:04-20:12)
三遊亭円窓『半分垢』(20:13-20:24)
仙三郎社中 太神楽(20:25-20:31)
三遊亭鬼丸『悋気の独楽』(20:32-20:58)
---------------------------------------------------------

「口上」の顔ぶれは“歴史的”かもしれない。
客席から見て左から次の名前が並んだ。
----------------
司会:林家正蔵
林家木久扇
三遊亭金馬
三遊亭鬼丸
三遊亭円歌
鈴々舎馬風
柳家小三治
----------------

落語協会会長が三代揃い踏み
、というのは滅多にないことだろう。

そして、この口上の際に、司会の正蔵が順番を間違えて馬風の紹介を飛ばしたことから、「事実は小説よりも・・・・・・」というハプニングが起き、結果としてなかなか忘れ難い演出となった。
先にそのハプニングから書いてみたい。

口上が、木久扇→金馬と続き、本来は馬風のはずだが、正蔵が「続いて社団法人落語協会会長柳家小三治より・・・・・・」と言った途端、馬風が身を乗りだして正蔵を睨む。
正蔵が「大変失礼いたしました・・・・・・」と馬風に訂正。演出ではなく、正蔵がマジに間違ったようだ。
そして、このしっぺ返しが仲入り後の正蔵の出番で発生する。正蔵が高座に上がると、ステテコ姿の馬風が舞台に登場して睨みつけた。客席はもちろん大爆笑。
そして、正蔵が冷や汗をかきながらのマクラの後で『味噌豆』に入り始めた途端、袖から前座がネタ帳を持って現れた。いわゆる“ネタがかぶる”というやつ。昼席か夜席の早い時間で他の噺家がすでにかけていたらしい。正蔵は、口上の司会役の準備などでネタ帳を十分に見ていなかったようだ。
慌てまくる正蔵。結果として楽屋に向かって「夫婦ものは大丈夫?」と確認して、9月11日に国立演芸場で聞いた『ハンカチ』を演じた。高座を下がる時も、まだ動揺はおさまっていなかったようだ。

顔ぶれの豪華さ、ネタかぶりの珍しさもあって、忘れられない披露興行だった。
そして、それぞれの高座や口上についても書きたいことはたくさんあるが、それは明日のパート2ということで今夜はお開き。
ともかく、楽しい歴史的な夜だったということだけは、記しておこう。
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by kogotokoubei | 2010-10-07 23:07 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛