噺の話

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6月は「紫陽花のゼントルマン」だったが、今日は「秋の夜長のゼントルマン」。ようやく数日前から「秋」らしくなってタイトルに間に合った、という感じ。猛烈な残暑からいきなりの気温の変化で、やや風邪気味で会場に駆けつけた。

構成は次の通り。
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(開口一番 入船亭遊一 『悋気の独楽』)
柳家喜多八  『船徳』
(仲入り)
瀧川鯉昇   『千早ふる』
入船亭扇遊  『文違い』
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遊一(18:30-18:48)
同じ会場で8月5日に開催された「昔若庵 若手研鑽会OB会」以来だが、その時と印象はあまり変わらない。語り口が端正で聞きやすいのではあるが、何か足らない。そもそも、「昨年の今日9月28日に結婚して、ちょうど一年!」なんてマクラで言っているようじゃ、いけませんよ噺家が・・・・・・。もし、プライバシーをマクラにするなら、後述する鯉昇くらいに自虐ネタにしなきゃねぇ。

喜多八(18:49-19:24)
この人のこの噺は初めて。珍しく“病弱ネタ”のマクラはなく、「噺には旬というものがあって、まだ大丈夫かと思っていたら急に気候も変わって・・・これまでに二三回かけたのがちょうどいい練習になって、そろそろちょうどいい出来になっているだろうと・・・」という前口上で本編へ。口上通りの結構な喜多八『船徳』だった。特に、徳が船頭として悪戦苦闘する中で“切れ”かかるところが、この人らしい味。持ち味も口調も違うが先代の馬生師匠の音源を思い出した。船の二人の客が石垣を登る前でサゲたが、違和感はない。こういう噺を聞くと、この人の持つ底力のようなものを感じる。

鯉昇(19:38-20:13)
定番のマクラなのに、そして先週も聞いたばかりなのに、なぜか笑える。映画出演のネタで、「殿様の妾にいじめられる役で、女優さんが役になりきっていじめるものですから、まるで・・・我が家にいるような心持がして・・・・・・」でドッと沸く。可愛そうだが、遊一のマクラと比べると、プライバシーをネタにするにしても月とスッポン。ちなみに、鯉昇が出演した映画は藤沢周平の原作を元にした「必死剣 鳥刺し」である。URLご参照のほどを。「キャスト」では名前が出ていないが、「人物相関図」に写真入りで登場している。似合っている!今後時代劇への出番が増えるかもしれない。映画「必死剣 鳥刺し」のHP会場には初鯉昇のお客さんも相応にいらっしゃったようで、ころげ回って笑っていた。“知ったかぶり”のマクラでネタが分かったが、なんと今日も期待した“食べ物ネタ”ではなかった・・・・・・。しかし、後半はモンゴルを舞台にした“鯉昇千早”は、何度聞いても楽しい。

扇遊(20:14-20:48)
小学校中心に学校寄席が続きストレスがたまっていたので“郭噺”を、ということで本編へ。この人では初めてでうれしかった。騙し騙される男と女の世界を巧みに描いて、笑いも適度にとれる本寸法の芸。ともかく主役である新宿遊郭のお杉が光る。この人が演じる女性の魅力、“艶”っぽくて時に“恐”ろしくて“弱”くもある、といった一人の女性が持つさまざまな様相を表現する力量は、現役の噺家の中で際立っているかもしれない。現役ではさん喬のこの噺も好きだが、決して負けてはいない。学校寄席で出来なかった鬱憤を、十分発散させたことだろう。


 鯉昇は何度か聞いた十八番で大笑い、喜多八と扇遊は初めてのネタに感心、という会だった。やはり、この三人の会は安心できるとともに新鮮な驚きもあって楽しい。喜多八『船徳』と扇遊『文違い』は、今年の「マイベスト10席」の候補に入った。
 この会は国立演芸場と横浜にぎわい座という趣の違う会場で楽しめるのも魅力だ。レギュラーでの三人会というのは少ないが、この会はぜひ継続して欲しい。
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by kogotokoubei | 2010-09-28 22:45 | 落語会 | Comments(4)
 昨年7月の第六回に来て以来のこの落語会。副題は「天高く 笑い肥ゆる 秋の三人会」。台風の影響もあり歴史的な残暑から一機に冷え込み、高い“天”は雲に隠れて見えなかったが、“秋”の名には急に間に合わせたような気候となった。心配した雨は、開演前は我慢してくれていた。
構成は次の通り。
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(開口一番 柳家ほたる 『動物園』)
柳亭市馬  『締め込み』
瀧川鯉昇  『宿屋の富』
(仲入り)
柳家権太楼 『猫の災難』
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ほたる(19:22-19:39)
いわゆる“二ツ目シンドローム(症候群)”とでも言うものなのだろうか。前座時代には無心で一所懸命に数多くの高座をこなすことで日に日に成長していくのだが、二ツ目になり出番は激減し、後輩の姿に焦りを感じる。いろいろ悩む中、噺の本筋・基本を磨けばいいところを、つい余計なクスグリなどを入れ結果として噺が崩れていくことがある。ほたるは、今この二ツ目特有の病を患っているのかもしれない。この噺に「押尾学」のクスグリなど必要ないし、客席にあれほど媚びることもない。潜在力は体型と同様に大きいはず。もっと、本寸法の芸を磨いて欲しい。期待するからの小言である。

市馬(19:40-20:11)
得意の師匠五代目小さんネタをマクラにして有名な泥棒の事件につなげ、滑らかに本編へ。このへんは見事としか言えない。三人の登場人物のそれぞれのキャラクターが際立ち、ご自慢の喉を自在に操って口調もリズミカルで心地よい。泥棒が隠れた際の「ぬかみそ」という小道具も程よく効いていて、後から仲裁に入った際の泥棒の会話で楽しいアクセントになっている。市馬のこの噺は初めてだったが、後で彼をよく知る落語好きの知り合いに確認すると、十八番の一つのようだ。私にとっては、今日もっともうれしい高座だった。

鯉昇(20:12-20:48)
マクラは御馴染みの“シャボン玉ホリデー”、“新幹線4時間半停車”などで何度聞いても笑えるのだが、初めて聞くと思われるお客さんは転げまわって笑っていた。ただし、私自身は正直なところ、そろそろ新しいマクラが聞きたかった。
このネタは昨年一月の横浜にぎわい座の睦会以来。
2009年1月6日のブログ
 生でしか味わえない、「鯉昇の音なしの芸」とでも言えるヤマ場が二つある。一つは、文無しで宿に泊まっている客が一番富を確認する場面の、「子の千三百六十五番・・・・・・」を呟くシーンの繰り返し。もう一つは、二番富が当たると夢枕に神様が約束したという男が、当たった場合の夫婦の食卓に並ぶ“五百両の膳”の料理を、「うなぎがあって、刺身があって・・・・・・」と繰り返す場面。言葉を次第に飲み込んで、あの表情の変化で沸かせる芸は、誰も真似できないのではなかろうか。間違いなく楽しい高座だったが、この人は、やはり食べ物のネタが秀逸。次の機会に期待しよう。

権太楼(21:05-21:40)
高座から壁の時計を見て、「九時45分には終演のチャイムが鳴るらしいんです。・・・鳴る寸前にサゲまで行かなくてもやめようかなぁ・・・・・・」「それでは九時四十分までに終わりましょう!」と宣言(笑)
このネタは昨年十一月の神奈川県民ホールのさん喬・権太楼二人会以来。2009年11月25日のブログその時もトリのネタになり、終演時間宣言していた。時間管理をしやすいネタなのかもしれない。柳家の代表的な噺だが、そこは権ちゃんである、師匠小さん版とは味わいの違う権太楼ワールドのネタになっていて、会場のお客さんも満足したと思う。


 三人の高座は堪能した。ただし、この会の運営には小言がある。「なぜ午後7時20分開演なの?」ということ。ご高齢のお客さんも多い。7時開演で何か問題があるのだろうか。主催がミュージック・テイト「落語くらぶ」、協賛がソニー・ミュージックダイレクトとポニー・キャニオンで、ビジネスの場でもあるから、会場での演者のサイン付CDの販売の時間なども必要なのは分かる。だったらなおさら、スタートを早めて終演時間にも気配りして欲しいものだ。出演者も含めなかなか好企画を続けているので、今夜のように権ちゃんが終演時間を気にしないような時間設定への変更を、ぜひ期待したい。

 終演後に一杯やっても、その日のうちには帰りたいものだ。これは、つい駅へ向かう途中の焼き鳥屋の看板に誘われ帰宅が遅くなった男の呟きでもある。しかし、酒も肴も結構なものだった。落語会の後で高座を振り返りながらの一杯は、やはりうまい。
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by kogotokoubei | 2010-09-25 08:07 | 落語会 | Comments(4)
先日、“ネタ見せ”番組の終了について書いた際に、“トーク”ができる芸人、爆笑問題の番組と紹介したが、今週21日の対談相手が、1980年代に数多くの歴史に残るお笑い番組をつくった横澤彪さん。これは見ないわけにはいかない。しかし、当日は見ることができず、録画して今日になってようやく見たところだ。
 その概要はNHKのホームページに、この番組の“前回の放送”として紹介されている。
NHKのHP 爆笑問題のニッポンの教養 -横澤彪-
 横澤さんは昭和12(1937)年12月15日の生まれなので72歳。古今亭志ん朝師匠の一つ年上、ということになる。
*なぜかこのへんの年齢の方は、志ん朝師匠を基準に上か下かと覚えるクセがある・・・・・・。
 バラエティ番組、というキーワードに関する部分からトレースしてみる。

田中:横澤さんが80年前半ぐらいに変えた、いわゆるバラエティ番組、その
    言い方すらあのへんから始まっている・・・
横澤:バラエティなんてないもん、その概念がね、ないない
田中:そこで変わって、今でも結局その流れのまんまですよね
横澤:そうですね
太田:どう思います
横澤:決していいほうには行ってないと思いますよ
太田:じゃあ、どういう番組をやればいいんですか
横澤:やっぱりね、これからバラエティとかっていう枠を崩すことでしょうね
(ベルリンの壁を崩す映像に「枠を崩せ」のテロップ)
太田:報道、情報・・・
横澤:なんでも、なんでもとにかく進出していくのが一番いいと思いますね。
   だからニュースキャスターなさいよ。できますよ
太田:できますか?
横澤:それだけ口跡がはっきりしていてね、しかもちゃんと物事が
   わかるっていうね・・・
太田:からかってんじゃないの
横澤:ちがう、ちがう
田中:毎日謝罪してますよ
太田:それこそ青筋立てますよ
横澤:謝罪してるのが一番おもしろい


 この後、タモリという芸人の“受け”の素晴らしさを横澤さんが語った後の会話にキーワードとなる「勘」が登場する。

太田:絶好調の時に、ねぇ、漫才ブームの人達からタモリさんに切り替える
    勇気・・・落ちるかもしれない・・・
横澤:落ちましたよ。でもね、今、変え方がちょっと弱いというか、みんな
   ビクビクしておとなしいから、今、必要なのは、コレ日本の教養って
   言うけどね、教養じゃなくてね、今、大事なのは勘です、勘。自分の
   勘です。パッと見てコイツいい奴か悪い奴かっていう、一発でしとめ
   る、そういう鋭い眼光ですよね、匂いっていうんですか、なんていう
   んでしょうねぇ
田中:・・・空気感のような
横澤:空気感、空気感!おっしゃる通り


 ここで、「爆笑問題のニッポンの勘」とテロップが出る。この後の会話は上述のNHKのHPで、「今回の対戦内容」として紹介されているので引用する。

横澤:私は観察するんだ。スタジオで、ひとり。「今日は西川のりお」って
    いったらね、西川のりおをずっと見るの、一日中。
田中:オバQやってるのをずっと。
太田:ひょうきん族の現場に横澤さんが来るとみんなちょっと緊張して
   嫌がったっていう話はよく聞きます。
横澤:何も喋らないんだけどね、見てるんです。座ってこうやってじっと。
   すると、その人の今の置かれた・・・「ああ、きっと夫婦喧嘩して
   いるんじゃないか」とか、色々わかって来るんです。
太田:でもその勘、鈍ってないですか、今? 自信あります?
横澤:勘はね、鈍らせないように尖らせてますよ。


 この後に、その“勘”のルーツとして、横澤さんは、小さい時から「少数派」で「いじめられっ子」だったと述懐する。その話に太田も自分もそうだったと呼応。画面には「少数派だからこそ見えるものがある」というテロップが出る。
 あの“ネタ見せ”“ショートコントたれ流し”番組を他局に追随して作っていたテレビ界の人間に、この「少数派だからこそ見える」という発想はない。

 この後の会話には、横澤さんだから言えるのだろう「視聴率は忘れたほうがいい」という言葉もある。“ひょうきん族”は、あのお化け番組“全員集合”の裏番組だった。結果として主客は逆転し、“全員集合“に引導を渡すことになったわけだが、当時はさぞ「少数派」としての「勘」をめぐらしながらも、相当もがき苦しんだことだろう。
 その後に登場する、「気持ちよくだます」「真面目にウソをつく」などの言葉も、今のお笑いテレビ番組界の人たちは肝に銘じて欲しいキーワードだ。

 対談は横澤邸で収録されており、テーブルの固定カメラも含むアングルで三人の対談が、すぐそこに彼らがいるような感覚で捉えられている。

 紹介した部分は、ほんの一部。かいがいしく邪魔にならないよう接待する奥さんの姿も少し映っている。何より、紹介した会話はあくまで文字にしたらああなるだけで、会話は生きた言葉のキャッチボールであり、声の大きさや表情などを含むニュアンスは、実際の映像を見なけりゃわからない。。
 見逃した方は、まだチャンスはあるよ。HPに次のように再放送日時が書いてあった。
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9月27日(月)午後4:05~<総合>
28日(火)午後4:00~<BS2>で再放送予定です。
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 横澤さんも古希を越えられて、あの当時の切れ味のようなものは薄れて、今日のお笑い番組を批評する口調もソフトだし、爆笑問題へのヨイショも若干目立った。まぁ、それはしょうがないだろう。しかし、あの“神様”役のブッチー武者本人が登場して「ばくもん懺悔室」をする際に、今回は太田よりもシャープさが目立った田中が手を合わせながら、「この人テレビ何年やってんだかわかんねぇけど、こんなに放送できねぇこと言って・・・・・」ともらす。その「放送できない」部分こそ見たかった!
 ということは、一番おもしろい場面は、もはやテレビでは放送できない、ってことか・・・・・・。テレビには期待せず寄席か落語会に行け、ということなのかもしれないなぁ。そして、来週は田中優子さんが相手で、江戸や落語がテーマになりそうだ。これも見逃せない。
NHK HPの次回放送予告
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by kogotokoubei | 2010-09-23 09:49 | お笑い・演芸 | Comments(2)
今日9月19日の朝日新聞の「天声人語」で、明日が命日である(初代)林家三平のことを書いていた。噺家のことを題材にしてもらえたことは落語愛好家としてはうれしくもあるのだが、その内容にもう一つ納得できず、書くことにした。部分的に引用するが、全文はasahi.comでご確認のほどを。朝日新聞 9月19日付「天声人語」

 “マクラ”はこうだ。

ある時代、「型破り」はほめ言葉だった。逆に、無難を旨とし、勢いと遊びを欠いたデジタルの世からは、破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる▼若い頃の古典落語はとっちらかり、噺がまとまらない。ところが、生来の明るさゆえにそれがまた受けた。大御所たちの渋面をよそに、客席での人気はテレビの登場で全国区になる▼世相小話をつないで、歌あり客いじりありの異形の高座。



 “揚げ足”をとるような言い方になるが、かの「天声人語」なのであえて書く。
 この文章では誤解を招く。三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けた、ということはないはず。あくまで“異形”と筆者が評する芸が受けたのだ。人気が出てから唯一ともいえる古典(らしき)ネタ『源平』は別にして、若い時の三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けたという話は聞いたことがない。
 東宝名人会の専属であった七代目林家正蔵という偉大な父を持ち、強いプレッシャーや周囲の目があったはずだ。当時は、“親の七光り”でなんとかなる時代ではない。若い時に古典では芽が出ずもがき苦しんだ結果として、テレビという新たなメディアを意識したあの「異形」の三平の芸が生まれたはずだ。もちろん、はかま満緒たちブレーンの存在も大きかっただろうが、三平が経験したであろう過酷な修練の日々は想像できる。

 そして、文章の真ん中あたりに次のエピソードが紹介されている。

時事ネタを求めて7紙を購読していたそうだ▼出番前、共演者と談笑していても父親の手は冷たく汗ばんでいたと、次男の二代三平(39)が『父の背中』(青志社)に書いている。はぐれぬよう楽屋でずっと手を握っていた者だけが知る緊張だ。指先から血の気を奪ったのは「爆笑の使命」の重さだろう


 出番前には三平でなくても緊張はする。あの志ん朝師匠が、出番前に必ず手に「人」と指で書いて飲み込む御まじないしていた、という逸話だってある。「爆笑の使命」の重さを象徴するエピソードなら、別にあの次男の本などから引用する必要もなく、いくらでもあるはず。
 そして、サゲがこうだ。

型にとらわれず、目の前の客を笑わせたい。初代三平の誠心誠意は、皆が明日の幸せを素朴に信じた時代に呼応する。爆笑王への郷愁、詰まるところ右肩上がりへの憧れらしい。懐かしむつもりが、ついつい無い物ねだりになった。


 このサゲがもっともがっかりする。三平を題材にして、サゲがこれ?
 筆者は「三平に郷愁を感じる。そして、三平が活躍していた頃の右肩上がりの日本にも思いは募る。ついつい、三平への郷愁で今の日本の無い物ねだりをすることになってしまった」、ということを言いたいわけか?
 竜頭蛇尾というか、一貫性に欠け、なんとも味わいの不足した文章と言わざるを得ない。「昭和の爆笑王」の命日、ということで書き始めたはずなのに、最後がコレ?
 テレビというメディアに相応しい芸を生み出したから三平は時代の寵児になったのだから、例えば、“ネタ見せ”お笑いテレビ番組の終了を引き合いにして、サゲにすることもできたように思う。私ならそうするなぁ。例えば、「三平はテレビというメディアに相応しい芸を開拓した革命児ともいえるだろう。昨今相次ぐテレビの“ネタ見せ”お笑い番組の終了を思うと、取替えの可能なタレント達と唯一無二の芸人との大きな違いを考えざるを得ない」とかね。でもこんなこと書いたら、同じ系列のテレビの人間と喧嘩になるか・・・・・・。

 三平の最大の貢献は、テレビ的な演芸を生み出したことで人気者になり、結果として寄席にも大勢の客を集めたこと、と多くの方が指摘している。当時二ツ目で主任を務めたのは三平と円歌の二人だけのはず。三平が出る日の寄席に主演した噺家の“ワリ”は間違いなく多く生活の足しにもなっただろうし、何より三平をきっかけにして寄席に通い始めた客も多いだろう。

 テレビというメディアの存在は彼の人気爆発への必要条件ではあるが、「右肩上がり」の景気が三平人気の必要条件であったわけではなかろう。筆者がそういう連想をしたとしても、「天声人語」って、そんな個人的な感慨だけで書いていいの?そもそも、この筆者は落語やその歴史をどれだけ知っているのだろうか。

 ・言葉足らずのマクラ
 ・引用するエピソードの不適切さ
 ・サゲの唐突さ、話の一貫性のなさ、味わいのなさ
 天声人語って、いつからこんなレベルになったのだろう、と購読者として余計な心配をしてしまった。

 一時大学試験に頻繁に出題されるということで受験生の家庭で朝日新聞の購読が多かった、という時代があった。あるいは、未だに試験に出るのかもしれない。このような内容ばかり書いていると、数年後にこの筆者は、“大学受験のために『天声人語』を読みなさい、と高校の国語の先生が言っていた時代”への郷愁を感じるかもしれない。
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by kogotokoubei | 2010-09-19 18:04 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
扇辰と白酒の二人会は初めてで期待していた。会場は昨年七月の「百兼今」以来である。しかし、この周囲には「らくだ亭」が開催される日本橋劇場もあり、たびたび訪れる。歩いていてあきない“江戸の香り”の漂う場所で、好きだ。
チケット完売でほぼ満席の会場。構成は次の通り。
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(開口一番 入船亭辰じん 『道灌』)
入船亭扇辰  『茄子娘』
桃月庵白酒  『抜け雀』
(仲入り)
桃月庵白酒  『寿限無』
入船亭扇辰  『阿武松』
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辰じん(18:46-19:01)
9月11日の国立演芸場以来だが、今日は少しだけ落ち着きがないように感じた。もしかすると、この後に師匠から大食漢であることでイジラレルのを事前に聞いて緊張していたのか・・・・・・。

扇辰『茄子娘』(19:02-19:23)
まず白酒について「楽屋が暑苦しい」「入門した時はあんなに太っていなかった」といった先制攻撃(?)で会場を沸かせた後、弟子辰じんが大食漢であるというエピソード。詳細は秘密だが、その食べ物ネタをマクラとして、師匠扇橋の十八番であるこのネタへ。扇辰では初めて聞いた。このネタも、ある意味で落語らしい噺。お坊さんと“茄子の精”との間に子どもが出来て・・・・・・サゲは地口。軽い寄席向きのネタだが、落語的なロマンチックさがあり好きだ。弟子扇じんに、まず茄子をたらふく食べさせてから稽古をつけ、入船亭の伝統を継承してもらおう。

白酒『抜け雀』(19:24-20:10)
扇辰の先制のジャブに切り返して、これまた会場が爆笑。今日の会場は、この二人をよく知る、タイトル通り“お通家”さんが多いようで、笑いのタイミングやその大きさも最後まで心地よかった。少しマクラの内容を暴露するが、師匠雲助と地方の落語会に同行した際のシクジリを披露していきながら、タクシーで移動中に主催者の方が「雲助師匠!」と言う度に運転手が嫌な顔をした、という話には笑えたし、本編にも上手く導入し感心した。事実かどうかは別にして、雲助一門だから使えるマクラ、といえるだろう。
本編は、旅館相模屋のオンボロぶりは若干志らくのパクリか、と思わせるところもあったが、この人ならではのセンスのあるクスグリも効果的で、このネタでこれだけ笑ったことはないかもしれない。

白酒『寿限無』(20:24-20:44)
一門の名前のユニークさというマクラで笑いをとり本編へ。この人は、このあたりの構成が実に上手い。そして、誰でも知っているネタで笑いをとるのは難しいのだが、そのへんも抜かりはない。特に学校で先生が出席をとるという場面のオリジナリティが秀逸。旬な政治家を登場させたところに、程よいブラックさもあり、前座噺でも噺家によってこう変わる、という見本のような内容。流石だ。

扇辰『阿武松』(20:45-21:18)
二つのネタのどちらをかけるか本当に迷っていたようで、会場の拍手で決める、という楽しい趣向。「少し笑えるネタか、あまり笑えないがいい話」の二択で、私も拍手した後者に決定し『阿武松』になったが、もう一つは何だったのだろう?
以前に相撲界の騒動について書いた際に、このネタの読み方が普及した功績(?)はあったと書いた。そして、たしかに“いい話”である。この噺そのものも相撲界の人たちに聞かせたいものだ。阿武松にとってタニマチである板橋の旦那(橘屋善兵衛)や親方の錣山のような存在は“理想”かもしれないが、見習うべき存在には違いない。扇辰の細い体が大きく見えた高座。これまた結構な高座。


時間配分もゆったりあり演者が焦ることもなく、会場の大きさ(小ささ)もちょうど良く、何より落語を愛するお客さんが多かったようで、高座と会場が一体となった良い落語会だった。主催者の皆さんの“手作り感”もあたたかな気持ちにさせてくれる。週末でもあり、軽く一杯ひっかけてから帰宅。こういう落語会の後の酒は、さすがに上手かった。
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by kogotokoubei | 2010-09-18 07:12 | 落語会 | Comments(4)
昨日9月14日のMSN産経のニュースで、若手お笑いタレントの“ショートコント”や“ネタ見せ”ばかりをたれ流すだけのテレビ番組が相次いで終了していることに関する記事があった。少し引用する。
MSN産経ニュースの9月14日の記事

「エンタの神様」(日本テレビ系)や「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ系)など、ここ10年ほどブームだった若手芸人による“ネタ見せ”を中心としたレギュラー番組が、今年に入って次々と終了している。若手芸人の登竜門が消えることについて、お笑いの関係者からは「時代はネタよりトーク重視に移っている」「今後は“一発芸人”ではなく、実力ある芸人だけが残るだろう」などの声が聞かれる。


 こういった番組が終了するのは当たり前だろうし、実力者だけが残るのはどの世界でも同じ。気になったのは「トーク」の文字。この記事の中ほどにも次のように書かれている。

民放バラエティーに携わる放送作家は、ネタ見せ番組縮小の一因を「時代はネタよりトークだから」と説明する。「コストを抑えて視聴率も取れるのは、トークやクイズを主体とした番組。そこで必要とされているのは、じっくり練ったネタより、素早く気の利いたコメントができる頭の回転の早さだ」


 “ネタよりトーク”という言葉に違和感を覚える。視聴率優先で、かつ放送作家の仕事としては、「ネタよりトーク」なのかもしれないが、演芸・芸能というコンテンツで考えたら、「見るに耐えないショートコントより、鑑賞に耐える芸」ということじゃなかろうか。もちろん、視聴“率”ではなく、視聴“質”ということでの話だ。
 番組がなぜ終了するのか、よく考えて欲しい。どのテレビ局も、ほぼ同じ顔ぶれのギャラの安い若手お笑いタレントによる、ほぼ同じようなショートコントや瞬間芸を、“これでもか”と言わんばかりに揃いも揃って流していたから、飽きられたのだ。最初は視聴率も良かっただろうが、熱しやすく冷めやすい若者を中心とした視聴者である。仲間うちの会話で、「超~飽きた!」とか「あの二人うざ~い!」というコンセンサス(?)がとれたら、こういった番組が獲得していた彼らの時間は、携帯かゲームの時間に取って代わる。もちろん、本当におもしろい“芸”は、同じネタでも何度も笑えることは、寄席に行けばわかる。寄席で15分もたせる芸があるかどうか、そこが漫才やコントの芸の一つの指標となるはず。テレビに大勢出ていたお笑いタレント(お笑い芸人、ではない)の大半は、寄席で五分も持たないだろう。「レッドカーペット」での一分ネタを三本も寄席でやったら、私なら寝るか席を立つ。

 古い話になるが一昨年の年末に、このような番組について次のように書いた。2008年12月29日のブログ

多くの若い芸人さん達が切磋琢磨すること自体は結構。しかし、それぞれの漫才やコントの芸人さんの持ち味が十分にわかろうはずのない「瞬間芸」や「一発ギャグ」といわれるものばかりを、どこのチャンネルでも放送しすぎる傾向に嫌気がさすのだ。「嫌なら見なきゃいいだろう」という声も聞こえるが、広告費を商品購入という形で支払っているのは、我々視聴者である。
 今のテレビのお笑い番組、いや「お笑いを中心とするバラエティ番組」は、正直言って見る気がしない。別に落語を放送しろ、と言っているのではない。漫才にしろコントにしろ、優れた芸は見たいと思うし、理屈ぬきで笑いたいとも思う。しかし、テレビの、それもゴールデンタイムで「瞬間芸のカタログ」とでもいうものをたれ流しするだけの番組には魅力を感じない。


 そして、先日の谷啓さんの残念な訃報に接した後で昨日この記事を見て、あらためて一昨年書いたのと同じような思いを抱いた。恐縮ながら、自分のブログを再録。

そんなことを考えていると、最近は良質のお笑いのバラエティがないから、同じような番組ばかりになるのかと思い当たった。古くは「シャボン玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」少し前なら「花王名人劇場」や「オレたちひょうきん族」など。プロデューサー他の作り手の志にしても、芸人の意気込みにしても、そして「瞬間」ギャグのおもしろさにしても、今日とは雲泥の差だった。 さて現在のお笑いバラエティは・・・というと、どのチャンネルも同じような顔ぶれの芸人達が、ほとんど「素」のままで楽屋話をするだけの番組や、ある一部の人気者とその取り巻きたちが学芸会レベルの他愛ない、そして笑えないコントでお茶を濁すような番組しかないのではないか。その人気者たちもかつてデビュー当時は光るものがあったはずだが、昨今の過剰露出の結果、彼ら自身も構成作家たちも企画が枯渇し、そして若くして゛大御所゛としての傲慢さだけが目立ってくる。


 「ネタからトーク」という言葉で危惧するのは、このお笑いタレントの“楽屋話”の延長線上にある“トーク番組”が増えるのではないか、ということ。そして、その“トーク番組”の司会や出演者は、また同じような顔ぶれになるのではないか、ということ。そうなると、ゴールデンタイムは、「漢字検定」などを素材にしたどれも同じようなクイズ番組と、一部の“トーク”のできるタレントによる“お笑いトーク番組”で大半が占められそうだ。

 “瞬間芸に頼る瞬間的な高視聴率”は、長続きしなかった。しかし、その後は「ネタからトーク」ではなく「悪いネタから良いネタ」という発想はないものだろうか。BSでもいいので、コアな視聴者による“長期安定した視聴率”の演芸・芸能番組が欲しいものだ。

 一時楽しませてもらったテレビ朝日の「落語者」は復活しそうにない。BSでの再放送も今夜の玉の輔、来週の歌武蔵、そして再来週の菊志んで終了。BS朝日 落語者
 もちろん、落語そのものではなくて結構。落語は生が一番だからね。テレビというメディアを生かした第二の「シャボン玉ホリデー」「オレたちひょうきん族」と言える番組が欲しいものだ。
 決して無理なことを言っているつもりはない。今のところ、“平成のお笑い番組”として歴史に名を残すと思うのが、NHKの「サラリーマンNEO」。そして、“トークができる芸人”の筆頭と私が思う“爆笑問題”の見ごたえのあるトーク番組「爆笑問題のニッポンの教養」を放送しているのも、NHKだ。民放も頑張って欲しい、と私はエールを送っているのだ。
 世の中、少しは景気にも明るさが見えてきたように思う。腹の据わったスポンサーが視聴率に一喜一憂しないで、センスと骨のあるプロデューサーや構成作家とプロジェクトを組み、歴史に残る番組を作るような動きがあってもいいと思う。そもそも、“視聴率”という指標が、今日のように地上デジタルにBSやCSもある中での視聴実態を計るモノサシとはいえないだろう。いっそ、とことん口うるさい限定的な視聴者を意識した、“質”にこだわる「お笑い番組」を作って欲しいものだ。
 いずれにしても、今後増えるのであろう“トーク番組”が私の危惧する通りの内容ならば、そう遠くないうちに、“雨後の筍のように始まったお笑いトーク番組が次々に放送終了”というニュースを目にするはずである。
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by kogotokoubei | 2010-09-15 13:29 | お笑い・演芸 | Comments(3)
扇辰が主任の中席、土曜ということで初日に来ることができた。
会場は六割ほどの入り。このマッタリ感が、寄席である。
構成は次のようなものだった。いつもの如く、休演と代演のプラスマイナスのある顔ぶれ。
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(開口一番 入船亭辰じん 『寿限無』)
林家たこ平   『蛇含草』
笑組       漫 才
柳家小袁治   『金明竹』*東北弁版
ケン正木     奇 術
入船亭扇橋   『化け物使い』
(仲入り)
三遊亭丈二   『のめる』
林家正蔵    『ハンカチ』
大空遊平・かほり 漫 才
入船亭扇辰   『甲府ぃ』
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辰じん(12:46-12:59)
師匠が主任なので開口一番で期待していた。順調に修業は進んでいると思う。今の前座では頭ふたつほど飛びぬけている。力量は、十分に二ツ目クラス。久しぶりに江戸っ子の粋を漂わせる期待したい本寸法の若手である。

たこ平(13:00-13:15)
正蔵の弟子の二ツ目らしいが、開口一番の辰じんに大きく見劣りした。この噺のヤマは餅を食べるシーンだが、まだまだ修業してもらいたい。そもそも、客席に拍手を求めるような仕草はいただけない。

笑組(13:16-13:31)
東京ガールズの代演。ある意味“僥倖”である。いつもの、ほど良くブラックな笑いが心地よい。寄席で不可欠な人たち。

小袁治(13:32-13:50)
兄弟子である小三治、談志のエピソードから方言のマクラとなり、期待通りのネタへ。この噺は、円丈の名古屋弁、今月真打に昇進するきく麿の博多弁、そして談笑も東北弁で演じるが、東北弁の元祖はこの人。しかし、ご本人の出身は東京で、奥さんの出身の山形で味わった経験と研究の成果だろう、流石の十八番。

扇橋(14:06-14:31)
高座に上がっていただくだけで、結構。昭和6(1931)年5月29日のお生まれなので、79歳。どうぞ、いつまでもお元気で。

丈二(14:46-15:06)
クイツキは柳朝の代演でこの人。こちらは、少しガッカリである。初めてだが、何か足らない。それは芸の部分もあれば、見た目や立ち居振る舞いの部分でもある。同じ円丈一門の先輩である白鳥などは、最近はある種の貫禄もついてきている。この人も入門から20年、真打昇進から五年、来年で四十ということを考えると、まだまだ線が細すぎる。

正蔵(15:07-15:32)
後で調べると、“2丁拳銃”という漫才コンビの一人である小堀裕之が書いた新作で、昨年「第2回上方落語台本大賞」の優秀賞を受賞したものらしい。こういうネタは合っているかもしれない。無理に古典の大ネタなどに挑んで会場を“笑わす”『芝浜』などを演じるよりも、今の時代の新作のほうがニンだろう。マクラは自分自身が入門した当時の自虐ネタ。正直なところ、会場は結構笑っていたが、私はとても笑えない。

扇辰(15:45-16:16)
奥さんの出身が山梨、というマクラから本編へ。実に丁寧でメリハリのある結構な高座。いい人ばかりが登場する噺なので、ヘタをすると、「いい噺だけど、それで・・・・・・」とならないわけでものない。しかし、扇辰のいつもの顔の表情を生かした演出などで、中盤もダレない。ネタ選びを含め、中席主任の快調なスタートだったと思う。


演芸場の後、久しぶりの高校時代(北海道)のクラスの関東地域在住有志の同窓会へ。一クラスのうち9名集合は、決して悪い率ではないだろう。中華料理店の個室貸し切りでの一次会から、気分は一機に四十年近い昔にタイムトリップ。
皆、いい感じで年をとってきたように思う。二次会でも盛り上がり、昨夜は帰宅してバタンキュー。とてもブログを書ける状態ではなかった。一所懸命に思い出しながら、ようやく書いた次第。
 五十台半ば、昔の仲間に会いたくなる季節なのかもしれない。心も財布も少し余裕が出てきたのだろう。そもそも寄席など、心理的に切羽詰った時には行こうと思わんわなぁ。いいことなのだろうと、自分自身に言い聞かせる日々。
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by kogotokoubei | 2010-09-12 15:38 | 落語会 | Comments(4)
昨日行われた落語協会の秋の真打昇進者の記者会見で、鈴本の鈴木席亭が、なかなか厳しく楽しい(?)言葉を彼らに贈ったようだ。ZAKZAKの記事から引用。
ZAKZAKの9月7日の記事

「最近の若手の噺家は、服装の乱れが目立つ。Tシャツや短パンで寄席にくる。わたしは、楽屋へ顔を出して、襟のないシャツ、短パンは絶対にやめるように、注意をしていますけど、なかなか、直りません。職場にそんな服装で出勤したら、当然のように上司から怒られますよ。また、お客さんの前を平気で通るなど、品格が少しも感じられない人がいる。人としての常識を持って、もっと品格を向上させてほしい」


 ここまでは、まぁ、それほど楽しくはない、今風の若い落語家さん達への苦言。この後にこう続く。

 真打たちの背筋がピンと伸びる。よほど腹にすえかねていたのか、こんな例も引き合いに。
 「先日、若手真打の熱愛報道がありました。テレビのワイドショーで見ましたが、マスコミへの対応など、見ていて恥ずかしくなりました」
 実名はあげなかったが、NHKの荒木美和アナ(31)と交際中と報じられた林家三平(39)のことであるのは明らか。対照的に、5日のフジサンケイクラシックで激闘を制したプロゴルファー、石川遼(18)の姿勢は席亭を感動させたようだ。
 「プレーオフ4ホール目で薗田選手のパーパットが、カップに蹴られて優勝が決まった時、石川選手にガッツポーズはなかった。あそこでガッツポーズを作っていたら、ただの選手だと思います。海外の試合で身につけた人間味ではないでしょうか。私は、今回、真打へ昇進した噺家に、そんな大きな心をもって精進してほしいと思います」



 「三平と遼君とを比べるのは、ちょっと?」という声もあろうが、かたや十八歳、今月17日の誕生日を迎えても十九歳であの立派な態度にコメント。比べてその倍以上の年月をどうしてたのか、と思わざるを得ない、あの人。席亭とはいえ、なかなか腹の据わった発言だし、こういった“ご意見番”や“怖い人”がいないと、落語協会だって、相撲協会みたいにならないとも限らない。特に、幼年期や少年期から特殊な業界に入って、社会の荒波にもまれる機会が少ない中で育った人は、よほど自覚してかからないと人間性を磨くことが難しい。

 もちろん、環境のせいにはできない。人それぞれではあるが、例えば花緑などは、その高座の立ち居振る舞いから見て、相当若い時(今でも若いけど)からもがいてきたような印象を受ける。芸も間違いなく良くなってきている。そして、席亭が取り上げたあの人のお兄さんだって、その芸はともかく、一人の人間として自分を磨くように努めているように思える。たとえば、私と好みが似ていてちょっと嫌(?)なんだけど、ジャズや海外ミステリーを語らせると、なかなかのもんです。

 9月鈴本の下席から昇進披露興行が始まる。披露興行の日程などは協会のHPに掲載済み。
落語協会 真打披露興行のページ
 五人の昇進者は、入船亭扇里(34歳)、林家きく麿(38歳)、三遊亭鬼丸(38歳)、蜃気楼龍玉(37歳)、そして、うれしい名跡が復活した柳家小せん(36歳)と、皆さん三十台半ば以降で、あの人と年も近いなぁ。
 真打昇進の皆さん、これからが大事、鈴木席亭の言葉は肝に銘じること。そして、古臭いと指摘されそうだが、向上心とか気配りとか我慢といったことが、今後は重要だと思う。今の落語ブームなんてバブル気味だから、将来を見据えてよほどしっかりしないとね、師匠!
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by kogotokoubei | 2010-09-07 18:11 | 真打 | Comments(6)
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 写真は、落語『道灌』で有名な“山吹の里”の逸話の舞台と言われている、埼玉県越生(おごせ)町の「山吹の里歴史公園」。当地の陽山亭さんのホームページからお借りしたものだが、なるほど、藁葺きのあばら家から賎の女(しずのめ)が出てきそうだ。
越生町の陽山亭さんのホームページ
 さて、今日九月四日は旧暦では七月二十六日。文明十八年(新暦1486年)の七月二十六日は、太田道灌が家老として仕える扇谷(おうぎがやつ)上杉家の当主、上杉定正によって暗殺された日である。偶然だが、先日書いた幡隋院長兵衛と似て、風呂場を出たところで殺されている。どうも、事件は現場で、暗殺は風呂場で起こるらしい。

 まず、手抜きとの批判を承知で、Wikipediaから、太田道灌のプロフィールを引用。

太田道灌(おおた どうかん)は室町時代の武将。武蔵国守護代。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系である摂津源氏の流れを汲み、源頼政の末子で鎌倉幕府門葉となった源広綱の子孫にあたる太田氏。諱は資長。扇谷上杉家家宰太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城した武将として有名である。


 室町時代後期の関東地方は、上杉家が“関東管領”として統治を任せられていたわけだが、この上杉家には数多くの派閥があり、派閥抗争が激しかった。その中での二大派閥が、扇谷上杉家と、山内(やまのうち)上杉家である。扇谷上杉家は、足利尊氏・直義兄弟の母方の叔父である上杉重顕を祖とし、山内上杉家は足利尊氏・直義兄弟の母方の叔父上杉憲房の子で、上野・越後・伊豆の守護を兼ねた上杉憲顕に始まる家系。この関係からして、名前も似ていてややこしい。他にも衰退したが、いくつも○○上杉家というのがあって家系図を追いかけるだけでも結構疲れる(笑)。それに加えて関東公方という足利○氏がからんでくる。この公方も堀越公方やら古河公方と枝分かれしていて争いが生じる。そして管領と公方の戦いも頻発する、という具合。

 司馬遼太郎の数少ない室町時代を舞台とした小説に、後に戦国大名の元祖となる北条早雲を描いた『箱根の坂』があり、この本には早雲と同時代を生きた太田道灌が登場する。
司馬遼太郎 『箱根の坂』
 早雲こと伊勢新九郎は、故あって駿河の守護今川家に仕え、主君であった今川義忠の死によって生じる家督相続の混乱期に、太田道灌との接点があった。『箱根の坂』から引用。
 

 駿府の東方に、
「狐ケ崎(きつねがさき)」
 という地があって、そこに駿河人にとって外国の部隊ともいうべき二種類の他国の兵が駐屯していた。
 ひとつは、伊豆の堀越からやってきた堀越公方の軍隊であり、進駐目的は、
------駿河が相続問題のあらそいでみだれてほしくない。
 というものであった。
 堀越公方は、関東を怖れて伊豆堀越にとどまって御所をひらいたかぼそい勢力だけに、駿河今川氏がたよりなのである。今川氏が紛争で弱体化すれば、堀越は関東に呑みこまれてしまいかねない。
 早雲は、国人(こくじん)たちから、
 ------すべて早雲どのにおまかせする。
 という委託をうけたあと、この堀越軍の陣屋へゆき。公方の代官に会い、
 ------私にまかせてもらえば、駿河一国に波風はそよとも吹かせない。
 というと、
「ありがたいことだ」
 代官は、早雲の出現とその申し出を、渡りに舟とばかりに諒承してしまった。
 (中略)
 問題は、関東管領上杉定正がよこした関東勢である。
「相続者は、新五郎範満どのをこそ」
 というのが、立場だった。というより、新五郎の母の実家が上杉家であるため、新五郎としては、この関東勢三百の進駐こそ、なによりもの政治的な後楯なのである。
(このほうは、難物だ)
 早雲はおもい、駿河に入って早々、陣屋を訪ね、手紙を一通置いて、あいさつのかわりとした。上杉定正の代官には、かれが狩りをしている留守中だったために、会いぞこねた。
 代官は、上杉定正家(扇谷上杉家)の家老太田道灌なのである。その名は、京にまできこえていた。

 早雲にとって、かの道灌がこの駿河に駐屯していて、いずれは対面するということが、このうえもなくたのしみであった。


 早雲は今川義忠の嫡子竜王丸を後見していた。竜王丸派となる背景には、竜王丸の母との実に艶っぽい縁がある。その内容はぜひ『箱根の坂』でご確認のほどを。
 紹介した司馬遼太郎の文中に「狩りをしている留守中」とあり、『道灌』を連想できてうれしい。

 さて、扇谷上杉家の家老として権勢を誇った太田道灌の最後について、この本では、早雲にもたらされた諜者からの情報という形式をとって、次のように書かれている。
 

 その風呂場のそとにころがった死者は道灌ではあるまい、諜者がべつの事件を誤まり聞いてきたのに相違ない、と早雲は思おうとした。それほど、衝撃は大きかった。
 日が経つにつれて、様相がはっきりしてきた。
 上意討だったという。
「道灌どのがあるじ修理太夫(上杉定正)どのが、人をやって殺させたというのか」
 早雲は、ぼう然とする思いだった。
「関東における両管領家」
 といわれたのは、すでにふれたように、本家の山内上杉家と分家である扇谷上杉家である。
 上杉定正は、扇谷上杉家の当主である。分家ということもあり、また定正が傍流から出て家督を継いだということもあって、本家の山内上杉氏よりも勢力が弱かった。
 上杉定正に勢力を保たせていたのは、家老の太田道灌の働きのみであるということは、関東で知らぬものはない。
 しかも道灌が上杉定正に対してすこしも驕らず、つねに誠実をつくし、身を屈して仕えてきたことも、万人が知っている。
 ただ道灌の声望が大きすぎ、世間の目からは定正の影が薄かった。定正がまったく暗愚ではなかったことも、両者の関係の上でよくなかった。定正は並以上の教養をもっていたために、道灌が歌才によって都にもきこえた名声をもっていることについての不快な思いがはなはだしかった。
 さらに定正を特徴づけているのは、人間がわかりにくいことであったろう。かれは常日頃、口さきの上手な者を近づけてその言いなりになっているといううわさがあった。かねて早雲もこのことをきき、
 ------道灌どのが危ういのではないか。
 という不安から、関東の情報をいっそう綿密にとるようになった。まさかとおもったが、その不安が、こういうかたちで的中してしまった。


 道灌の暗殺には、他にも山内上杉家が仕掛けた、とか北条早雲その人が仕組んだなど、諸説あるが、当主上杉定正が道灌による「下克上」を恐れたのだとと思うし、その背景には深い嫉妬の念があったのだろう。

 最後に、道灌のエピソードとして、落語の素材になった“山吹の逸話”は今さら説明が必要ないだろうから、“猿の逸話”を『箱根の坂』から紹介したい。上洛中の時の話である。

 そのころ、将軍義政は性悪の猿をいっぴき飼っていて、地方の大小名が拝謁にくると、これを放ってとびかからせ、殿中装束をつけた者が、手足を舞わせてあわてふためくのを見るのをたのしみにしていた。
 道灌は、ひとの座興のために自分が滑稽を演じさせられることをこのまなかった。
 かれはひそかに猿使いに賄賂(まいない)をおくってその猿を借り、宿所の庭につなぎ、出仕の装束をつけて猿に見せると、はたして猿はとびかかってきた。道灌はそれをはげしくたたいて恐怖をおぼえさせたあと、猿使いにかえした。
 しかるのちに登営した。猿は道灌の姿を見て大いに畏怖し、地につくばったまま動かなかったという。義政はこれを見て、猿も道灌の威に服したのだ、と感じ入ったという。


 器量の大きさと知恵者である一端を物語る逸話だ。なるほど、あまりに完璧な部下は、上司から嫉妬され、挙句の果てに排除されるということだったのだろうか。もちろん、、“下克上”の世の常で、道灌が当主の定正を倒してしまえば生き延びたのだろうが、歌人であり芸道の人には、そのような思いは発想の外だったのだろう。

 道灌は永享四年(新暦1432年)生まれと言われ、享年五十七歳の生涯。扇谷上杉家家老としての活躍、知恵をふんだんに使った城づくり、足軽を使った戦法の創始者など、歴史に数々の偉業を残したが、我々落語愛好家にとっては、柳家伝統の前座噺の元となった“山吹の里”の逸話が、何と言っても最大の歴史的遺産である。
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by kogotokoubei | 2010-09-04 07:43 | 今日は何の日 | Comments(2)
8月の小満ん師匠との会は、気がついた時にチケットぴあで売切れていたので国立演芸場に切り替えていた。実際には当日券もあったらしい・・・・・・。今日も当日券はあったようだ。それでも、二階席は使わなかったようだが一階席はほぼ満席。三三の人気を裏付ける。
チラシに次のようにある。

五代目柳家小さん、柳家小三治と、柳家本流の芸を継承する柳家三三。
三三がゲストの芸談と高座を通し、昭和の名人---八代目桂文楽・五代目古今亭志ん生・三代目三遊亭金馬の芸と人となりに触れる・・・。


「なるほど」という企画。7月24日の“あつぎ寄席”と志ん駒師匠の内容がカブルだろうことは承知の上だった。
2010年7月24日のブログ
さて、今夜の構成はこうなった。
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(開口一番 古今亭駒次 『生徒の作文』)
柳家三三  『宮戸川』
古今亭志ん駒 『谷中慕情(序)』~三三との対談
(中入り)
柳家三三  『大工調べ』
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駒次(19:01-19:14)
7月の厚木よりも格段に良かった。この人は、いわゆる“鉄ちゃん”らしいが、好きな内容を盛り込むとマクラも生きる。この新作落語は、枠組みだけは与えられていて内容は噺家によって独創できるネタと言って良いだろうが、なかなかの出来。新作がニンな人なのかもしれない。

三三『宮戸川』(19:15-19:39)
演技だろうとは思うが、何を話すか決めていない云々という、ややマッタリしたマクラから本編へ。対談と二席目にパワーを温存した高座とも言えるが、安心して聞ける。今日はお客さんに“ゲラ”さんが多く、この軽いとも思えるネタでも十分に会場を沸かせた。私は、二席目に期待する思いで聞いていた。

志ん駒~対談(19:40-20:10)
前半は“あつぎ寄席”とほぼ同じ。覚悟していたので落胆はなかったが、体調も出来も客の反応も今夜の方が数段良かったようだ。途中で「志ん生を見たことがある人?」という会場への質問に、隣の席のご高齢の男性が即応して手を上げた。少しだけ、嫉妬した。
杉良太郎の遠山の金さんの舞台を再現をしたあたりでやや息切れしたようで前座さんを呼び出し、「まだ時間あんのぉ、一緒になぞかけでもするか!」と始まり、慌てたように三三が登場。前座さんが下がり急遽対談モードに入った。たぶん、本来の予定は中入り後に対談だったのだろうが、流れを読んでの変更だろう。結果はオーライだった。厚木では志ん駒師匠が会場に「何か質問ある~?」とばかり尋ねたのだが、大ホールである。なかなか盛り上がらなかった。しかし、三三はツボを押さえて志ん生との思い出を志ん駒師匠から手繰り寄せる。「志ん生とかけて?」のお題でのなぞかけの解き方を含め、三三の如才なさが光った。志ん駒師匠が同じこをを何度も繰り返すところも、結構楽しい演出になったほどだ。

三三『大工調べ』(20:23-21:09)
マクラで落語家で生粋の江戸っ子といえば、というネタはオフレコ。爆笑だった。三三でこのネタは初めてだが、感心した。あるいは、期待通りとも言える。ヤマ場の政五郎の啖呵の長科白はもちろん、与太郎も大家も奉行も生き生きとしており、無理のない独自のクスグリにも会場は沸いた。ゲストの志ん駒師匠を意識した志ん生、志ん朝が得意とした大ネタでの返礼、見事だった。


対談の楽しさや『大工調べ』など高座は非常に良かったのだが、会場というか客には恵まれなかった日。
・”ゲラさん”が多すぎた。
・後ろの方でポリ袋か何かをガサガサする人がいた。二度ほど振り返ったが、直らなかった。
・三三の『大工調べ』の裁きの場面で、前のほうの中高年の客が大きな声で私語を発し、三三が「裁きの場で私語は禁物」と無理して受けたが、あれはいただけない。できるものならにぎわい座はこの“犯人”をしばらく出入り禁止にすべき。
・私の前の席の客が、頭を頻繁に動かす人で、落ち着いて見ることができなかった。

良い落語会は高座と観客が一心同体になって、二度とない幸せな時間と空間を共有することだと思うのだが、今夜の客席は携帯が鳴らなかっただけで、高座の良さとは対照的にハズレの日だった。
「こういう日もある・・・・・・」、と自分を慰めながら、桜木町の駅に向かっていた。
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by kogotokoubei | 2010-09-02 22:57 | 落語会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛