噺の話

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小三治新会長の言葉

夕刊フジの公式サイト「ZAKZAK」に、続報的に落語協会会長に就任した小三治の発言が掲載されていた。
なかなか味のある言葉なので引用したい。
ZAKZAKの記事

女流の三遊亭歌る多(48)や、知名度のある林家正蔵(47)、実力派といわれる柳亭市馬(48)ら7人を新理事に抜てきした。時流に合わせた足場固めだが、昨今の落語ブームには冷静だ。

 「ブームよりバブルだね。私は性格として、イベント好きではない。その中身がどうなのかとか、心の中でドロドロしてきた。いずれイベントだけではあきられるに決まっている。おもしろいとはどういうことなのかを、一人一人が自覚してもらいたい。イベントよりも、噺家は家へ帰って、小噺でも練習しなさい、と思っている。おもしろければ、お客はくるんですよ」

 なるほど、それは自身が、実証済みだ。


私も主に立川流の人気について「バブル」と表現してきたので、この発言はよく分かる。誤解なきよう蛇足ながら付け加えるが、立川流の人気者自身が悪い、ということではない。志の輔、談春、志らく、そして談笑といった人たちは相応の実力もあると思うし、寄席に出られないハンデを乗り越える根性もあると思う。問題は、彼らや喬太郎、昇太などが出演する落語会の人気やチケット争奪戦が“バブル”だということ。

もちろん新会長ご自身のチケットも“瞬殺”“分殺”レベルなので、そのことも意味しての“バブル”という表現なのだろう。いわゆる「ツばなれ」しない寄席も若い時分には何度となく経験しているからこそ言える言葉だと思う。

“イベント”という表現もなかなか深い意味がある。私自身でいえば、収容1,000人を超える大ホールで、「人気者を集めてみました!」という落語会には食指がまったく動かなくなった。どこの興行主かはあえて明かさないが、バブリーなイベントには根っからの落語ファンの足は向かなくなっているはず。また、あえて書くことにするが、小朝たちとの六人の会での活動を機に「落語に目覚めた」らしい笑福亭鶴瓶の落語会の木戸銭の高さには呆れている。「嫌なら行かなきゃいいだろ!」という声が聞こえそうだが、もちろん行かない。演出はいろいろ工夫しているのかもしれないし人気者のゲストも一緒なのだろうが、彼の落語や“トーク”のために四捨五入すれば10,000円という大枚を払うつもりは、さらさらない。やはり、これも“バブル”でしょう。

新会長への期待は次第に高まるばかり。しかし、“ハラグアイ”は良くないらしいので、体調に気をつけていただき、長期安定政権であって欲しいと思う。
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by kogotokoubei | 2010-06-30 15:28 | 落語協会 | Comments(2)
なかなか更新されなかった落語協会HPの役員のページが更新された。
落語協会HP
内容は下記の通り。
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当期役員 (任期:平成22年6月25日より2年間)
会長 柳家小三治
常任理事 常任理事は、次回7月8日開催予定の役員会で決定いたします。
役員 桂文楽・柳家さん喬・古今亭志ん五・古今亭志ん輔・入船亭扇遊・林家正蔵・
三遊亭歌る多・柳亭市馬・三遊亭吉窓・五明楼玉の輔
監事 三遊亭圓丈・柳家さん八・柳家小さん

相談役
柳家さん助・橘家圓蔵・古今亭圓菊・三遊亭圓窓・入船亭扇橋・林家こん平・林家木久扇
顧問 三遊亭金馬
最高顧問 三遊亭圓歌・鈴々舎馬風
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参考に前期の役員は次の通りだった。
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会長 鈴々舎馬風
常任理事 三遊亭金馬・柳家さん喬・三遊亭歌司・柳家権太楼・古今亭志ん五
理事 古今亭圓菊・柳家小三治・入船亭扇橋・桂文楽・林家木久扇・
   古今亭志ん駒・春風亭一朝
監事 三遊亭圓丈・柳家さん八・柳家小さん
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「最高顧問」が二人、というのも不思議だが、これは落語協会だから許されるかな。
役員の中から7月8日に決まる常任理事以外の人達が理事、ということかと思う。
常任理事は、順当なら、文楽、さん喬、志ん五、ということだろう。

いくつか疑問は残る。
・権太楼の名がなぜないのか?
・なぜ吉窓?
・なぜ玉の輔?
などなど。

まぁ、その道のことはその道の人しか分からないこともあるので、無駄な詮索をしてもしょうがないのだろうが、存在しない名前と、存在している名前それぞれに若干不思議な印象を持ったことだけは事実だ。

権太楼は、政治の世界はさん喬にあずけた、ということかもしれない。自分は高座で目一杯、ということか。
吉窓(昭和53年入門で正蔵と同期だが、真打昇進は正蔵の昭和62年に遅れること8年の平成7年)の役員就任には、円生→円窓→吉窓の流れから、落語協会に七代目円生襲名の権利を保持しておきたい、あわよくば相談役の円窓に継がせたい、という意図が見え隠れする。
*新会長と円窓は入門同期で真打昇進も同じ年、バイク仲間でもあったからね・・・・・・。
玉の輔の役員就任は、私にはまったく意外だった。昭和60年入門で年齢も44歳ともっとも若い。小朝門下というところに何か答えがあるのか、それとも実力者の喬太郎(平成元年入門)への橋渡し的な意味なのか・・・・・・。まぁ、確かに頭はほどほどに切れそうだし、市馬と若手の繋ぎ役にはなれるのかもしれない。

いずれにしても、志ん輔と扇遊の昭和47年入門の同期二人が、実質的な運営面で今後重要な役割を担うことだけは間違いがなかろう。そこに若手とのパイプ役で市馬、女流代表で歌る多という構成は十分に理解できる。
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by kogotokoubei | 2010-06-28 12:52 | 落語協会 | Comments(2)
昨日の落語協会総会によって、小三治新会長が誕生したことが各メディアに掲載されている。
日刊スポーツの記事でいくつか楽しい内容があったので、引用したい。
日刊スポーツの記事
まず、「所信」について。

小三治は「所信表明の所信はない。会長になったら、どういう自分になるのか。何を考え、言い出すんだろうということが楽しみかな」と語った。


「らしさ」が十分現れているではないか。
そして、なんとも微笑ましいのが、落語協会会長らしくない(?)その地口、いや駄洒落である。日本のW杯予選リーグ突破を記念して、喝采したくなるではないか!?
 

前日は午前2時に寝たためデンマーク戦は見なかったが「勝つとは思わなかった。でもW杯は面白い。日本が出てなくても、こいつらすごいなというのがあって楽しい。パラグアイ戦はどうなる? おれ、パラグアイ(はらぐあい)が良くないけどね」と笑わせた。



志ん輔、正蔵、そして女流初の歌る多といった新理事については別途何か書くかもしれないが、何と言っても新会長が“舌好調”なことを喜びたい。
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by kogotokoubei | 2010-06-26 11:46 | 落語協会 | Comments(4)
田中優子さんの『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』 を紹介した時に、同じようなテーマを扱う中込重明さんの「落語で読み解く『お江戸』の事情」に、「江戸っ子」の定義を最初に記した洒落本として山東京伝『通言総籬(ツウゲンソウマガキ)』が紹介されていることを書いた。2010年6月12日のブログ

 この洒落本の該当部分の原文とその解説をしてくれる本にめぐり合ったので紹介する。江戸文化全般や戯作、狂歌、そして江戸時代の出版事情などに関して数多くの著作のある中野三敏さんの『江戸文化評判記-雅俗融和の世界-』(中公新書、1992年発行)である。
中野三敏 江戸文化評判記-雅俗融和の世界-
「江戸っ子のアイデンティティ」からの引用。

 江戸っ子意識をうたいあげた好例としては天明七年(1787)刊の山東京伝作洒落本『通言総籬』の巻頭部分をあげるべきだろう。

 金の魚虎(しゃちほこ)をにらんで、水道の水を産湯に浴びて、御膝元
 に生れ出ては、拝搗(おがみづき)の米を喰(くら)つて、乳母日傘にて
 長(ひととなり)、金銀の細螺(きしゃご)はじきに、陸奥山(みちのく
 やま)も卑(ひくき)とし、吉原本田のはけの間に、安房上総も近しとす。
 隅水(すみだがわ)の鮊も中落を喰(くらわ)ず、本町の角屋敷を
 なげて大門を打つは、人の心の花にぞありける

 名文家京伝による、江戸っ子の啖呵の総集編ともいうべき文章だが、今となってはかなりわかりにくいものとなっている。
「金の鯱」といえば名古屋城かと思われようが、明暦大火以前の江戸城本丸、五層の天守閣には金鯱が歴然とかがやいていたはずであり、これこそ江戸っ子の原風景であり、アイデンティティであった。また元禄期までには神田上水をはじめとする六上水が開かれて、江戸市民ははやくから水道の恩恵に浴していた。
 お膝元はいうまでもなかろう。拝搗の米は拝むようにていねいに搗きあげた精白米、乳母日傘という文句は今も辛うじて生きていよう。おもちゃのおはじきも金銀細工のきしゃごを使って、黄金花咲くとうたわれた陸奥山をものの数ともせず、男のヘアスタイルの最新型吉原本田のはけ先に安房上総が浮かんで見えるとは、これこそ江戸っ子の頭梁株助六の名文句である。白魚といえども脂っこい中落などは食べず、土一升金一升の目抜き通りの地所を売り払ってでも吉原の総揚げをするのを男子一生の見栄と心得る、これこぞが江戸っ子の根性骨だというのである。なんと浅はかなというのはたやすいが、当代の江戸っ子にしてみれば、精一杯踏んばった覚悟を必要としただろう。



 この本、たまたま昨日仕事で移動中の大井町の古本屋さんで発見した。江戸関連のコーナーで立ち読みしていて、この部分を発見した時は、結構うれしかった。まだ読み終えていないのだが、この箇所だけでもぜひ紹介したいと思った次第です。
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by kogotokoubei | 2010-06-26 07:56 | 江戸関連 | Comments(0)
新たにレギュラー制となって最初の5月17日の第25回は贅沢なお披露目の会だった。今日からがレギュラーな構成(?)なのだろうから、どのようなスタイルなのかという興味もあった。
想定持ち時間を含め演者とネタは次の通り。(開口一番以外は事前にネタ出し)
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(開口一番 古今亭半輔 『無学者(やかん)』
春風亭正太郎  『寄合酒』   15分
五街道雲助   『壷算』      20分
柳家さん喬    『品川心中』  30分
(中入り)
古今亭志ん輔   『佃祭』    40分
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半輔(19:00-19:05)
5分の持ち時間で焦ったこともあろうが、3月15日の師匠の独演会(東京芸術劇場)同様に名乗らなかった。2010年3月15日のブログ
まさか師匠から「名乗るな!」とは言われていないだろうから、学習効果がない、ということか。噺もまだコメントする内容とは言えない。

正太郎(19:06-19:21)
二つ目披露の会が気になったが行けなかったので久しぶりだ。師匠のトラブルにもめげず成長の跡が見られた。結構耳の肥えたお客さんが多い会と思えるが、ほどよく会場を暖めた。しかし、もし正々堂々と師匠から稽古をつけてもらえていれば、もっと語り口にも江戸っ子の切れ味が出てくるだろうというのが正直な感想である。

雲助(19:22-19:43)
騙される瀬戸物屋の主がなんとも言えず味がある。最初に騙されそうになった時の「はぁ?」の一言や、何度も騙されそうになり算盤をはじく時の「なんか言わないで下さい・・・・・・」のリフレインが効いていた。長講の人情噺のイメージや師匠先代馬生譲りのネタの印象が強いが、結構こういう噺も味があり、私は好きだ。

さん喬(19:44-20:16)
もちろん“通し”は無理だったが、この噺の楽しさは十分に味わえた。独自の細かな演出も効いていた。お染が心中の相手を玉帳から探している時の噺家の名前が円歌だったり、貸本屋の金蔵が海から上がって幽霊のような姿で親分の家に来た際のドタバタの中で、火打石と鰹節とを間違えるくすぐり、また腰を抜かした侍の名前が次期落語協会会長の本名だったりする部分、私も今日のお客さんの多くも笑った。若干、時間のせいで端折り気味の感もあるが、これで不満なら独演会に行くしかないだろう。

志ん輔(20:26-21:07)
短いマクラが笑えたのだが、詳しくは書かない。食べ物のネタ、とだけ書いておこう。
師匠志ん朝版の肝腎なエキスは活かしながらも志ん輔落語としての可笑しさが加味された好演だった。佃島の船頭政五郎の切れ味のある江戸っ子ぶりも光るし、この噺のヤマの一つであるクヤミの場面も結構。与太郎が映えるクヤミの演出は好きだ。次郎兵衛さんの女房、政五郎の女房など女性陣も助演賞的に存在感があり、ネタ自体の良さもあるが、志ん輔落語でこの噺の幅広さと奥行きを再認識した。まったく飽きない楽しい高座。


今日の時間配分が今後も踏襲されるかどうかは分からないが、妥当だと思う。9月の会からは指定席になるようだ。アンケートなどを踏まえた結果なのだろう。木戸銭(前売りで2,500円)が変わらないのなら結構。しかし、「自由席」ということで敬遠してきた落語ファンがチケット争奪戦に加わるだろうから早めに売り切れになりそうだ。まぁ、都合と相談し無理のないところで今後も行きたいと思う。以前も書いたが、たまには土曜の昼間開催もしていただき、人形町、日本橋散策の楽しみを増やしてもらいたい。その会は、木戸銭が少し上がっても結構。
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by kogotokoubei | 2010-06-23 23:32 | 落語会 | Comments(4)
昨日の朝日新聞に、本日の開催でちょうど100回目となることで特集が組まれていた。CDの広告が下半分を占め、記事部分の大半は柳家小三治と京須プロデューサーのコメントで構成されている。
柳家小三治のコメントを引用する。

「ドリアン騒動」は、志ん朝さんの代わりでしたか。残念でしたねえ。志ん朝さん、なんで死んじゃったんだ。すくってやれる方法、おれは見つけられなかったんだろうか、という悔恨の情、残念に思う気持ちは消えないね。いつになったら薄れるんだろう。人間として、とっても魅力がありましたね、包容力があるし。
 芸はあの人と私とは違う。彼は彼、私は私。元々、私にはライバルはいません。志ん朝さんを含めて、それぞれみんな尊敬はしている。値打ちも認めている。だけど、ライバルは自分しかいない。でも、この歳になってみると、そういうのは、いささか重いですなあ。ライバルが誰かほかにいたほうが気が楽だ。ともかく、志ん朝さんは、ほんとに惜しい人でした。もっと、上で輝いていてほしかった。で、その志ん朝さんの代わりに出てくれないかって言うんで、ほかの人の代演だったら、忙しいからごめんって言ったかもしれない。


この代演とは平成13(2001)年9月22日の第20回目のこと。志ん朝はそのほぼ十日後、10月1日に亡くなっている。

たしかに、落語協会会長就任を目前とする小三治にとって、志ん朝が健在だったなら、いろいろと相談したいこともあるだろう。そして、未だに「悔恨の情」が消えない、という言葉に、小三治という人の真摯な人間性を感じる。

これまでこの落語会のことは「くどい!」とお叱りを受けるだろうくらいに書いてきたので、もう一人の京須氏のコメントについても、朝日名人会についても今日は書かない。
小三治の志ん朝への心情がわかってうれしい思いを書きたかっただけである。
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by kogotokoubei | 2010-06-19 09:12 | 落語会 | Comments(5)

春風亭柳昇(五代目)

「わたくしは、春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇と言えば、我が国では・・・・・・、わたし一人でございます。」

なつかしいあの開口一番の洒落っ気たっぷりなご挨拶。柳昇師匠が亡くなって、今日で丸七年になる。大正9(1920)年10月18日に現在の武蔵野市に生まれ、平成15(2003)年6月16日に胃がんで亡くなった。享年83歳。
多くの弟子がいた。もっとも有名なところでは春風亭昇太ということになるだろう。晩年はよく二人揃ってテレビの演芸番組などに出演していた。昇太は大学の落研時代は三遊亭円丈に弟子入りしようと思っていたようだ。なぜ柳昇師匠の門を叩いたかは2007年に発行された浜美雪著『師匠噺』に詳しいのでお読みいただくとして、、この本の「春風亭柳昇と春風亭昇太」の章から、柳昇師匠の“ファイティング・スピリッツ”に関する内容を少し引用する。ちなみに章のタイトルは「歳取って、僕もこんな面白い生き物になれたらなあって」~理想の親子~、となっている。
浜美雪 師匠噺
 

 落語に対するファイティング・スピリッツでもこの師弟は似ている。
 昇太の高座からは「やってやろうじゃないの」の光線がビシビシ飛んでくる。独演会であろうがホールの落語会であろうが地方のいわゆる営業といわれる落語会でえあろうが、学校寄席であろうが、もちろん寄席であろうが、高座には俺さまが一番ウケてやるという気迫がみなぎっている。その気迫が必ずや爆笑に巻き込む。
 柳昇もまた、闘う落語家だった。
 八十三歳で亡くなるまで、柳昇は闘う姿勢を失わなかった。
「あの風貌であの口ぶりなんで、そうは見えないかもしれませんけど、うちの師匠は実はすごいファイターだったんです。だって輸送船の甲板から機関銃で米軍機を撃ち落そうとした人ですからね(笑)。
 だから、『戦争には勝たなきゃダメだね。それには敵のことをよく研究して、敵がもってない武器で戦わないといけないね。それは落語も同じだね』ってよく言ってました」
 戦争で手を負傷して、戦前の職場へ復帰がかなわなかった柳昇にとって、落語は食べるための命綱、背水の陣で臨んだ世界だった。


 落語家への道は、戦友に六代目春風亭柳橋(当時の落語芸術協会会長)の子息がいたことが“縁”となったようだ。そして利き手を怪我していたため手の動きなどが演出上で重要になる古典落語に見切りをつけ、独自の新作落語の道に乗り出すことになる。ある意味、“筋金入り”の新作派なのだ。
同じ本からまた引用。最初は昇太の言葉。

「弟子にだって、負けたくないって思う師匠でしたからね(笑)。亡くなる直前まで寄席に出ていたんですけど、最後まで誰にも絶対負けないっていうオーラが高座から出てました」
 当の柳昇自身、こんなことを語ってくれたことがある。
「人生喧嘩ですよ。
 泥棒でも戦争でも早くやったほうが勝ちだね。負けちゃだめ。
 人間、泥棒根性がなかったら偉くならないですよ」
 新作への思い入れも昇太以上だったかもしれない。昇太の時以上に新作は異端視され、古典に負けたくないという思いが常に心のなかに熱くたぎっていたに違いないからだ。
 柳昇が八十近くなった頃、昇太が柳昇の古典落語の会を企画し、意向を確かめたことがあった。
 だが、師匠の返事はノーだった。
「ありがとう。
 でも、やらない。
 そんな会をやると、もう柳昇は新作が書けなくなったと思われるからね」


この“ファイティング・スピリッツ”がどこからきているか。やはり戦争体験と切り離すことができないだろう。昭和19年にアメリカ戦艦の攻撃を受けて乗っていた船が沈没しながらも生き延び、玉音放送は入院中の北京の病院で聞いている。
ご自分の戦争体験を綴った『与太郎戦記』は五年前にちくま文庫から再刊されたが、非常に良い本だ。春風亭柳昇 与太郎戦記
この本を下敷きにし、昭和44(1969)年に大映でフランキー堺を主演として映画にもなった。監督は弓削太郎。本人(軍医役)や師匠の柳橋ほか多くの落語家が出演していた。中学時代に怪獣映画と抱き合わせで田舎の映画館で見た記憶がある。最近でも日本映画の専門チャンネルなどでたまに放送している。
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VHSのケースに入っている写真を見ても、なんとも懐かしい。フランキー堺はもちろん光っていたし、露口茂さんは渋く、娘役の南美川洋子さんがこれまた良かった。大映で当時売り出していた五人娘(四人娘?)の一人だったはず。渥美マリもその中の一人だった。あまりにも懐かしい・・・・・・。

さて、これは戦争映画でもある。戦争の悲惨さなどを訴える映画はたくさんあるが、“直球”で「これでもか!」とこられると腰が引けるし閉口することがある。こういった「笑い」や「ペーソス」で演出された作品のほうが、ずっと心に響くような気がする。
ちょうど今週の19日(土)から神保町シアターで、「川本三郎編 映画少年の夢」シリーズの一作として上映されるようなので、興味のある方はぜひご覧ください。
神保町シアターの案内

国立演芸場の建設にも尽力された柳昇師匠。今頃は天国でかつての戦友の前で一席、自作の落語を披露されているのではなかろうか。『結婚式風景』『里帰り』『日照権』などなど、師匠ならではの味と程よい毒のある新作落語が懐かしい。
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by kogotokoubei | 2010-06-16 13:13 | 落語家 | Comments(2)
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田中優子 江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?

 小学館から昨年全26巻発売されたCD付き隔週刊誌「落語 昭和の名人 決定版」に連載していた「江戸のしきたり」に加筆して「101新書」として発売された。副題が「落語でひもとくニッポンのしきたり」となっている。

 「江戸のしきたり」が連載されていたCD付隔週刊誌のほうは、ブログで紹介した第一回古今亭志ん朝2009年1月10日のブログと、第22回目の配本八代目春風亭柳枝2009年11月21日のブログの二回しか購入しなかった。だから、田中優子さんのコラムの書籍での発行は楽しみにしていた。

 読後、本書についてどう書けばよいか悩んだ。新たな発見による収穫などもあるが、今は亡き中込重明さんによる好著「落語で読み解く『お江戸』の事情」(青春出版・新書プレイブックスより2003年に発行)と、どうしても比較してしまう。

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中込重明_落語で読み解く「お江戸」の事情
 中込さんの本には、過不足のないあらすじとともに、学術的な内容も分かりやすく丁寧に書かれている。

 「しきたり」と「事情」という切り口の違いはあるにしても、どちらも落語のネタを素材にして、ネタそのものの紹介や背景にある江戸の文化や仕組み、江戸っ子の気質などを解説する内容で構成されている、いわば同類の書だ。

 例えば、田中優子さんが本書のタイトルにしている「宵越しの銭を持たない」江戸っ子の気質について、第一章の「三方一両損」の内容から抜粋。*P13~P14
 西山松之助は「江戸っ子とは何だ?」を追求した学者である。西山は「江戸もの」「江戸生まれ」「江戸衆」など、江戸っ子と同じ意味の言葉をさまざまな文献で調べ上げ、江戸っ子の特性を典型化したのは山東京伝である、と結論づけた。京伝の洒落本と裏表紙によって、江戸っ子という概念は天明七年から八年(1787~88)に完成したと、かなり時期を絞り込んでいる。
 江戸っ子の特性は五つの要素で成り立っている。「江戸城の近くで生まれ育った」「日本橋を見て育った」「金離れがよく物事に執着しない」「いきとはりを本領とする」「育ちがいい」である。

 ここで、西山松之助さんの代表的な著作などについては述べられていない。ストレスがたまる。
同じ「三方一両損」を採り上げた部分で同じテーマについて書かれた中込さんの著作からも引用する。*P202~P203
 江戸っ子という言葉の文献上の所見は、明和八年(1771)の川柳であり、以降、洒落本や黄表紙などにも続々と登場している。その数年後の天明七年(1787)、山東京伝の洒落本『通言総籬(ツウゲンソウマガキ』において、江戸っ子の条件をあげているが、具体的に要点だけをあげると、江戸に生まれ育ち、水道の産湯をつかって、金ばなれがよく、高級な育ち、江戸中央部の生粋のはえぬきであり、いき(粋)とはりを本領とする、となる。

 山東京伝の『通言総籬』という著作について、私は大いに興味を持つことになる。
 次にこの噺の重要な要素である“大岡政談”について説明している部分。
 まず田中さんの本から。*P20-P21
 ところで気になることがある。落語を聴いていると、江戸時代後半の江戸の長屋が浮かんでくるのだが、『三方一両損』には大岡越前が出てくる。大岡忠相は1677年に生まれて1751年に亡くなった人で、江戸の前半の人なのだ。町奉行を勤めていたのは、1716年から36年である。なぜ幕末の江戸に、60年も70年も前の奉行が出てくるのだろうか。
 それは、幕末から明治にかけて、大岡政談物と呼ばれる物語が作られ、大岡忠相の関係のないものが大量に大岡裁判物語になったからである。この落語もそのひとつである。大岡政談を使った落語には『三方一両損』のほか、『小間物屋政談』『唐茄子屋政談』そして『大工調べ』や『五貫裁き』『城木屋』などがある。つまりすべてフィクションなのだ。

 中込さんの本で同様のテーマに関する部分はこうなっている。*P198
 
 ご存じ、名奉行で知られた大岡越前守忠相の名裁きを題材とした一席。近世前期に成立した『板倉政要』に収められている「聖人公事捌」という話をもとにした講談に取材したものだ。井原西鶴の『本朝桜蔭比事』(元禄二年・1689刊)にある「落とし手あり拾ひ手あり」などにももとになる話が見られる。
 サゲの部分はとってつけたような感があるが、享保18年(1733)に詠まれた落首に似たようなものがあり、後からこれを取り入れたと思われる。
 このように、奉行のお裁きを題材とした落語を政談噺という。特に、大岡越前守が登場する落語は、大工とその棟梁対大家の対決を描いた『大工調べ』など、他にもいくつかある。ただし、講談などで「大岡政談」として語り継がれてきたもののうち、本当に越前守が判決を下したのは「白子屋騒動」という一件だけで、他はほとんどが中国故事などを原典とした作り話とされる。

 落語の大岡政談噺に関する記述として、どちらが情報としての的確さを持っているかは明白だろう。

 もちろん、落語や江戸、そして江戸っ子への興味、そういったことに関する本への期待、読書の習慣などは、人それぞれに違う。だから、同じようなテーマに関して異なったテイストで書かれた文章を並べても、どちらを好むかは人によって異なるはず。しかし、私は、重要な事実やキーワードが並んでいて、次なる探索への道しるべを与えてくれる中込さんの本を好む。

 ただし、田中さんの本書も決して悪くはない。たとえば「第七章 命と自然への敬意」の『芝浜』の項で、次のようなことが書かれている。*P215
 
いよいよ大晦日である。大晦日は夜のことを除夜とか除夕という。かつては日没になれば次の日だったので、夜はもう新年だ。そこで夜になると、酒、餅、魚、野菜類を棚に供えて歳神を迎えた。迎えた神とともに家族で食事をする。

 これで、これまで『芝浜』を聞いて抱いていた、「福茶は元旦に飲むんじゃないの?」という疑問が解消された。

 落語とその背景にある江戸の文化などについて、あまり細かいことを気にしない人や、一冊の本を読んでさらに次の文献にあたってみようとまでは思わない人なら、落語を楽しむためのガイドブックとして本書は推奨に値するだろう。
 
 しかし、好奇心旺盛で、さらなる知識の探索を好む方には、ぜひ中込さんの本も読んでいただきたい。前述の本のほかに『落語の種あかし』(岩波書店)なども好著。
中込重明 落語の種あかし

 本当に早世が惜しまれる人だ。

 あれぇ、田中さんも中込さんも同じ法政大学の先生。年齢の差はあっても、同じ江戸の芸能や文化、風俗を研究テーマにしていたご両人。きっと交流はあったのだろうが、詳しい情報は持ち合わせていない。どなたかご存知の方がいらっしゃったら、ぜひお教えいただきたい。
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by kogotokoubei | 2010-06-12 08:09 | 落語の本 | Comments(1)
6月7日によみうりホールで開かれた立川談志一門会で、談志家元と山中秀樹との対談があり、家元らしい襲名に関する発言があったようだ。朝日新聞の昨日のwebニュースasahi.comの記事から引用する。
asahi.comの記事

立川談志(74)が7日、都内で行われた「談志一門会」に出演した。声が出にくいため、落語はせず、フリーアナウンサー山中秀樹を相手にトークを展開。鳳楽、円丈、円窓が名乗りをあげる三遊亭円生襲名問題には「3人ではなく、円楽が継ぐのがいい。そして空いた円楽の争奪戦をやればいい」と提案。


何人かの落語愛好家の方のブログによれば、この後で“談志襲名”のネタになり、私服に着替えていた志らくを呼び出したりしながら、「総合的には志の輔がいい」という発言があったようだ。
*志の輔本人は、本気にしていないだろうなぁ。襲名する気があるかなぁ・・・・・・。

七代目円生襲名問題には何ら影響のない放言だが、こういう発言ができるということは、まだ・・・大丈夫か!?
楽太郎の円楽が、今さら円生襲名レースに参戦するはずもないだろうし、鳳楽よりベター、とも言えない。個人的には、まだ鳳楽の方が「真面目さ」の分だけ上か。しかし、どっちが本当に「腹黒」かは分からない。

談志襲名問題については、今は「どうせヨタ話さ」と言えるが、先々の火種にならないとは限らないなぁ。しかし、それも百も承知の確信犯なのだろう、家元は。将来、天国から泥沼の談志襲名争いを見物したがっている、そんな気がする。

さて、円生襲名レースの方は、鳳楽が円窓の参戦に異議を唱えているらしい。東京新聞の6月5日のニュースから抜粋。東京新聞の記事

先月十七日の落語協会理事会で、襲名の意思を明らかにした円窓。きっかけとなった長男の署名入り確認書には、止め名の封印を解き、円窓に名跡襲名の許可を与えることなどが記されている。
これに対し、鳳楽は「遺族は五代目の養女になった長女もいて、その方の了解も得ないで親族が話し合った結果といってもまかり通りませんね。十年ほど前に亡くなった次男(円生のマネジャーを務めていた)の息子さんらもいて、円窓さんが継ぐのに反対している」と憤る。


円丈も落語協会の理事会の後には、円窓に遠慮して引き下がるようなことを言っていたが、その後に翻意し戦う姿勢を見せている。(今のところは)

もう、ここまで来たら円窓、円丈、鳳楽の三人で公開レースでもすると、興行としてはおもしろいだろう。
ある意味で円丈と鳳楽は一度は戦ったのだから、仕切りなおしで“巴戦”にしよう!(エンドレスだったりして)

よみうりホールあたりで三戦、六代目の代表作を各自一席づつ三度高座にかける。ネタがかち合ってもいいんじゃないの、それはそれで。トリは順番にする。毎回お客さんに投票してもらって決着をつけるのだ。何なら六代目の親族には一人で十票分の権利をあげてもいい。京須さん、山本さんには五票分かな。
開口一番は各回のトリの弟子が務める。円丈→天どん、鳳楽→鳳志、円窓→窓輝あたりでいいんじゃないの。

どうでもいい襲名を商売にしている人や興行主がいることを考えると、まだ衆目が見放さないうちに商売にしましょうよ、参戦しているお三方!
興行は、やたら大きな会場が好きな○空間あたりで仕切ればいいのでは!
*この襲名問題に関しては、そろそろ真剣な書き込みをする忍耐が切れかかってきたらしい・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2010-06-09 15:26 | 襲名 | Comments(2)
池袋演芸場で始まったこの会が、国立演芸場に場所を移した最初の会。会場はほぼ満席。
横浜にぎわい座でもこの三人会はあるのだが、会場の雰囲気は違う。ちょっとかしこまった印象。場所柄なのだろう。
堀井さんを見かけた。(有名税です、あきらめて!)

今回の副題は「紫陽花のゼントルマン」。
さてどんな“ゼントルマン”がどんなネタを披露したかというと・・・・・・。
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(開口一番 五街道弥助 『夏泥』)
瀧川鯉昇   『辰巳の辻占』
(中入り)
入船亭扇遊  『片棒』
柳家喜多八  『盃の殿様』
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弥助(18:30-18:50)
これはこの人にはニンだ。。「その親切は涙が出るほどうれしんだけどよぉ」の繰り返しで会場をこれだけ沸かしたのだから、旬の噺でもあるし十八番になるだろう。

鯉昇(18:51-19:26)
風邪気味で家で温度計で熱をはかった・・・・・・、昔、故郷浜松では「シャボン玉ホリデー」は金曜日の放送だった、英語のテストで・・・・・・、新幹線が停電で4時間止まって・・・・・・、という定番マクラでこの会場の沸き方というのは、相当初鯉昇が多かったことを物語っている。ネタは事前に決めていたのだろうが、今日のこの会場なら『蛇含草』か『ちりとてちん』あたりで初お目見えのお客さんの心を確実に掴む手もあったかな。しかし、この噺も良かった。この噺は「らくだ亭」がレギュラー制を採用した5月17日の顔見世の会で、五街道雲助が師匠馬生譲りの芸を披露したが、印象はまったく違う。2010年5月17日のブログともかく、この噺をこれだけ明るい噺にしてしまうのが凄い。心中する際のやりとりでも独自の工夫があり、この人の独創性を再認識した。

扇遊(19:42-20:15)
今夜の三席の中では、この噺に軍配が上がる。先週の5日土曜のお寺での落語会、弟弟子の扇辰のこの噺に苦言を呈したが、マクラが約15分だったので、20分で「金」「銀」「鉄」の三人の息子による“本寸法”の筋でしっかり演じてくれた。このネタはこうでなければならない。三人の息子のキャラクター付けも巧だし、お約束の「銀」の弔いシミュレーションの粋でにぎやかで楽しいこと、十分に堪能した。

喜多八(20:16-20:55)
円朝祭で“宝塚”の余興を演るネタのマクラが長引いたせいか本編はやや落ち着かないものになった。今までこの噺を聞いた中では、正直もっとも出来が悪い。最初はは2008年12月20日、今は亡き(?)ビクター落語会の“大感謝祭”だったが非常に良かった。2008年12月20日のブログ
昨年1月の横浜にぎわい座の睦会でも聞いている。2009年1月6日のブログこのネタそのものを選んでくれるのは有難いが、やはりもう少し集中して演じていただきたい。『小言念仏』で誤魔化されなかったから、まだしもか・・・・・・。
マクラではたっぷり笑わせてくれたことを考え、「こんな日もある」と納得しましょう。

非常に不思議な印象。池袋演芸場のこの会には行ったことはないが、にぎわい座や昨年師走の東京芸術劇場は経験している。その二つの会場の空気は結構似通っていた。しかし、今日はまったく異質な空間の印象。この会場の落語会の常連さんだが、この三人はよく知らない、というお客さんが過半数ということなのだろう。ということは、この会、まだまだ先がある、ということも言えるわけだ。
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by kogotokoubei | 2010-06-08 23:00 | 落語会 | Comments(5)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛