噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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円生襲名問題は、また混迷の色を濃くしてきた。

円窓が襲名に名乗りを上げた際の報道では、円丈は先輩を立てて襲名レースから棄権するような発言だったが、どうもまだ未練があるらしい。5月29日付けの東京新聞webページに、円丈への取材記事として次のように掲載されている。
東京新聞の記事

この時、表だっては静観の構えだった円窓が五月十七日、所属する落語協会(鈴々舎馬風会長)の定例理事会で「円生の長男(90)に推された」と、襲名に前向きであることを表明した。

 「この世界は兄弟子は絶対ですから」と言いつつも、「毎朝仏前で手を合わせるたびに、自分が継ぐことを師匠は望んでいるのでは」と感じてきたという円丈。

 この問題では「遺言がなかったので仕方がないが、師匠はどう考えていたのかという問い掛けがないことが、一番合点がいかない」と語気を強める。生きている者の理屈で止め名にしたり、孫弟子に継がそうとしたり…。「鳳楽君はほとんど教わっていないし、円窓さんは最初の師匠が亡くなって来た人。実力主義の師匠が子飼いの弟子で真打ちと認めたのは円楽、円丈の二人しかいないんですから」。かわいがられたという自負もある。


なるほど、円窓が最初から六代目の弟子ではなかったという点で襲名資格に疑問、という指摘は同感できる。記事は次のように続く。
 

「今後は皆で話し合うしかないのでは。そのために来月一日、鳳楽君と遺族の一人に会って、僕もその意思があることを伝える。一度は名乗りを上げたのだから、了解を取りたい」


ほう、明日6月1日にそんな会合があるのか・・・・・・。3月に直接対決した二人が、「後だしジャンケンの円窓さんはずるい!」ということで手を握ろうということか。

この騒動、まだまだ終わりそうにないなぁ。
どうも、結局はしばらく「止め名」というサゲが本命のように思えてきた。しかし、昨日のダービーの例ではないが、本命も当てにならない。

騒動が長引けば長引くほど、前回落語研究会のことで書いたように、充実した柳家一門に比較して、江戸から明治そして大正にかけて光輝いた三遊派の今日の没落ぶりを印象づけるだけである。
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by kogotokoubei | 2010-05-31 11:47 | 襲名 | Comments(2)
3月1日に行われた、TBSが主催となった第五次落語研究会の通算500回を記念した会の三席を放送。地上波では、さん喬の『明烏』のみだった。
昨日深夜3時からの放送なので、厳密には今日5月29日の放送ということになる。

第五次落語研究会の第一回で演じられたネタに、少しこだわった趣向。
そのネタと噺家さんは次の通り。
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柳家さん喬 『明烏』
入船亭扇橋 『長屋の花見』
柳家権太楼 『小言幸兵衛』
-------------------------------

その第一回目が開催されたのは、昭和43(1968)年3月14日、会場は同じ国立劇場小劇場。
その時の演者とネタは次の通り。
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柳家小さん 『猫久』
三遊亭円楽 『花見の仇討』
三遊亭円遊 『小言幸兵衛』
林家正蔵  『三人旅』
(中入り)
柳家さん八 『千早ふる』
桂文楽   『明烏』
三遊亭円生 『妾馬』
-------------------------------

しばらく途絶えていたこの落語会を復活させた、当時のTBSの意気込みを感じる豪華な顔ぶれ。
演者とネタも文句のつけどころがない。第四次が昭和33(1958)年に終了していたので10年ぶりの再開となるが、復興に当たっては当時TBSの川戸貞吉さんの力が大きかったらしい。この方の名前は、もっと語られていいと思う。

せっかくだから少し落語研究会の歴史を振り返ってみる。
第一次は明治38(1905)年から始まった。速記者の今村次郎、歌舞伎演出家で作家の岡鬼太郎が顧問。
今なら「レギュラー出演者」に相当するだろう、「発起人」の顔ぶれが凄い。
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初代三遊亭円左
4代目橘家円喬
3代目柳家小さん
4代目橘家円蔵
初代三遊亭円右*幻の2代目円朝
2代目三遊亭小円朝
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時代の変遷を強く感じるではないか。三代目小さん以外は三遊派。第五次500回記念の会が全員柳派というのも、歴史が生み出す皮肉のようなものを感じる。
(放送された三人の他に柳家三之助、柳家三三が出演)
まさか百年後に、こんなに三遊派が衰退し挙句の果て円生襲名問題で世間を騒がせるとは、当時の三遊派の名人たちには思いもつかなかっただろう。
円左や円喬、円右たちにとっては同じ円朝門下の初代円遊、別名鼻の円遊のステテコ踊り人気を憂い、本寸法の古典落語復権を目指した第一次の会、いずれにしても三遊派の時代。

これまで五次の研究会の時代があるのだが、第四次までの期間は次のようになっている。
◇第一次 明治38(1905)年~大正12(1923)年:18年
◇第二次 昭和3(1928)年~昭和19(1944)年:16年
◇第三次 昭和21(1946)年2月~8月
◇第四次 昭和23(1948)年~昭和33(1958)年:10年
*第三次は落語会の開催を目指したものではないらしい。

第五次は今年で43年目になるから、圧倒的な歴代最長記録を更新し続けているわけだ。
第四次は、今村次郎の子息で『試し酒』などの落語作家としても著名な今村信雄が主事として世話人を務めていた。

さて、放送の噺に戻る。
何をおいても扇橋のマクラが頗る楽しかった。第四次落語研究会の思い出の中で披露した八代目三笑亭可楽の真似には笑えた。また二つ目時代に円生の家に稽古に行った時に、下戸の当時のさん八が円生夫人からリキュールをごちそうになり酔っ払ったシクジリ話も、円生夫人の仕草の真似などが、この人ならではの味で結構だった。
本編ではこの噺の元である上方の『貧乏花見』を東京に移し変え落語研究会で最初に披露した三代目蝶花楼馬楽が、噺の演出として取り入れた自作の川柳、「長屋中 歯をくしばる 花見かな」を、親友小三治の本名を使って長屋の住人「郡山さん」の作としてサゲたが、なかなかの趣向。

さん喬の噺は、もちろん期待通りだが、一点だけ疑問がある。さん喬は時次郎が一夜を過ごす相手の花魁を「むらさき」としていたが、これはあまりいただけない。さん喬の演出か柳家の型なのかはわからないが、ともかく「浦里」でお願いしたい。なぜなら、このネタは新内『明烏夢泡雪』、人情噺『明烏後正夢』を元にした噺で、登場人物の時次郎、花魁の浦里も土台となった作品の名を活かしている。噺のルーツとのつながりを維持してもらいたい。

さて、次は権太楼。マクラで「昔は銭湯などにも小言を言う怖いおじさんがいた。」、それで勉強になった、という話、私もよく書いていることで、まったく同感。この後、師匠小さんの思い出話などにつながったようだが、残念ながら大幅にカット。カット後の映像で本人が「500会記念で、いいんでしょうか」「カットしてもらいましょう」と言っていたので、本人も編集を希望したほどの暴露ネタだったようだ。こういう場合は、やはり生でなければ、と思うねぇ。本編は、しっかりと権太楼ワールドで結構でした。しっかり「郡山」さんの名が登場するところも洒落ている。


一時オークションにチケットが流れたことから、チケット販売は現地のみとなったことや、口演時間なども考えると、なかなかサラリーマンに行きにくい会だが、こういう放送を見ると、やはりその伝統の良さを感じる。
ぜひさらなる歴史を積み重ねてもらい、将来「500会記念に出演した噺家で生き残っているのは三三兄いと私だけでして・・・・・・」と三之助に語ってもらいましょう。その時、彼が小三治を名乗っているかどうかは、もちろん定かでない。
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by kogotokoubei | 2010-05-29 11:12 | テレビの落語 | Comments(8)
円生襲名問題をつい追いかけてきたので、「今日は何の日」として書くことにする。

昭和53(1978)年の今日5月24日は、あの落語協会から円生一門が脱退する騒動の中で、赤坂プリンスホテルで新団体「落語三遊協会」設立の記者会見が行われた日である。この日、世の落語愛好家が、この事件をマスコミを通じて知ることになったわけだ。

当時落語協会の副会長金原亭馬生の弟子で桂太を名乗っていた現在の金原亭伯楽師匠が書いた『小説 落語協団騒動記』(本阿弥書店)から、当日の模様を抜粋する。しかし、これは“小説”として、協会を協団に替えるのみならず、噺家さんの名前も仮名になっている。とは言っても、すぐに実名の察しがつく工夫がされている。
金原亭伯楽 『小説 落語協団騒動記』
 

 五月二十四日、午前十一時、晴れ。
 落語界の騒動などどこ吹く風と、溌剌と翻る若葉に、燦々と日光の降り注ぐ中、新落語山遊協団の記者会見が、ポラリスホテル「真珠の間」で行われていた。
    出席者
 落語山遊協団会長 山遊亭 金生
  同     副会長 竹 家 金蔵
  同     幹 部 東西亭 朝光
  同     幹 部 山遊亭 金楽
  同     幹 部 星の家 金鏡
  同     幹 部 山遊亭 金窓
 その他、金生の弟子一同、金楽の弟子たち。朝光の弟子と、金鏡の弟子は、出席せず。
 報道関係の記者、六十人を前に、会長、金生の挨拶があり、続いて金楽の司会で、記者との、やり取りが始まった。
 この有様を、師宅に於いて、桂馬は、師匠羊生と共に、テレビで観ていた。画面では、いま、竹家金蔵が喋っている。
 「あたしゃあ、この歳になるまで、記者会見が出来るなんて、夢にも思わなかったね」と、ニコニコして喋っている。
 この有様を見て、桂馬は羊生に言った。
 「師匠、金蔵師匠はなんだか嬉しそうに喋ってますが、大丈夫でしょうね」
 「ああ、ちゃんと手は打ってある。新宿の席亭が協団に戻るよう、説得してくれることになっている」
 この間、テレビの画面では、記者とのやり取りが続いていたが、朝光は自分に訊かれる質問にも、金楽が答えるように仕向けて、苦渋の表情を持ち続けていた。


金生が円生、羊生は馬生、そして朝光が志ん朝だということは、もうお分かりでしょう。
 
円生一門の協会脱退騒動は七代目襲名に名乗り出た円丈も『御乱心-落語協会分裂と、円生とその弟子たち』(主婦の友社発行)という暴露本を書いているが、当時渦中にあった志ん朝さんの心の動きや、兄馬生の行動、そして馬生師匠の指示の元で東奔西走する著者の伯楽(桂太)という古今亭の動きは、間違いなく本書のほうが詳しいし、読み応えがある。
三遊亭円丈 『御乱心-落語協会分裂と、円生とその弟子たち』

実は、前々日の5月22日に、当初円生の「三遊協会」も寄席に出演させると言っていたいくつかの定席の席亭が、末広亭の席亭北村銀太郎の意向に従って口約束を反故にし、新組織は寄席への出演が閉ざされたのだった。そして、そのことを踏まえた円生と志ん朝との会話が次のように“小説”では描かれている。
 

 「師匠、師匠は今落語界のトップです。師匠が必要です。師匠の潰された面子も、今、協団に戻ったら、潰されたままで、悔しいでしょう。ですが、落語と面子と、どちらが大事でしょうか」
 「う~ん」
 金生は、正座に腕組みをして、背筋を伸ばして黙ってしまった。
 正座とはいえ、まさに座禅をしている雰囲気の金生であった。その間、二時間。そして口を開いた。
 「朝光さん、あなたの言う通り、落語が一番です。落語と面子とどちらが大事かと聞かれれば、それは落語です。ですが、あたしは、もう歳です。今から協団に戻って、あたし達の考える協団に作り変えて、面子を回復させるだけの時間がありません。貴方は、お若い、貴方ならそれが出来ます。朝光さん、辛いでしょう、時間も掛かるでしょう、ですが、落語のために、貴方は協団に、お戻りなさい。そしてそれを成し遂げて下さい」
 「しかし、私だけ戻るのは」
 「いや、それを成し遂げられるのは、貴方しかいません。いずれ貴方は落語界の頂点に立つ人です。あたしには、あまり時間がありません。残りの時間を、自分の落語を完成させる時間として使いたいのです。あたしがここで、意地を張る我儘を許して下さい」
 朝光はもう、何も言うことが出来なかった。


志ん朝が弟のように可愛っていた伯楽が、その様子を志ん朝から聞いて書いたのだろうから、事実に近い会話だったと推測する。

まさに、「その時 歴史は動いた」の“その時”だったに違いない。
そして、翌5月23日には落語協会会長の五代目柳家小さん(小説では、柏家貴さん)が、円生に和解の道を探るための会談を申し入れたが、円生は断り24日を迎えた。

志ん朝は、兄馬生の説得によって協会に戻る腹を決めていたが、成り行きから記者会見に臨席。だから、「苦渋の表情」だったわけだ。
社会人となって日も浅かった当時の私は、夜のニュースで会見の様子を見た記憶がある。なるほど、あの時、妙に浮かれていた七代目橘家円蔵(今の円蔵の師匠)と、顔色の悪い志ん朝さんが対照的だったことを思い出す。円楽や円窓も決して晴れやかな表情ではなかったはず。

この騒動には談志家元がマッチポンプ的にからんでいるが、それは皆さんご存知でしょう。
もし知りたい方は、どうぞこの本をお読みください。と言っても新刊の本屋さんにはなかなか置いていないんですが。

三十二年前の今日、今につながる騒動がマスコミを通じて公になったわけだ。翌昭和54(1979)年9月3日、この誕生日と同じ日に、六代目は習志野で小噺『桜鯛』を最後の高座として亡くなった。享年79歳なので往生といえるのだろうが、協会脱退後の無理が影響していないとはいえないだろう。

六代目没後、円窓や円丈は協会に復帰、円楽一門は戻らず、という歴史が今の騒動につながっている。根は深い。

結果として幻となった「落語三遊協会」設立記者会見が行われた“記念日”である今日、次の新たな歴史をつくる物語が進められているかどうかは、今は分からない・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2010-05-24 18:21 | 今日は何の日 | Comments(2)
実はこの会は初めてである。なぜかこれまで縁がなかった。たぶん、土曜の昼の開催ばかりではないことと、演者、そして他の野暮用とのかねあいだろう。
さて次のような顔ぶれとネタだった。

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(開口一番 柳家緑君 『転失気』)
柳家小蝠   『徳ちゃん』
五街道弥助  『鹿政談』
コンパス    漫才
三遊亭遊馬  『宿屋の仇討』
(中入り)
柳家花緑   『野ざらし』
三増れ紋    曲独楽
柳亭左龍   『たちきり』
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緑君(13:00-13:14)
初めての人。後半は結構笑いもとっていたが、落語協会のホームページによると花緑に入門したのが三年前の4月。前座丸三年ということから考えると、やはり辛口にならざるを得ない。体型のみならず、線の細さをどう克服するかだろう。

小蝠(13:15-13:30)
これまた初めての人。最初に立川流に入門したのが1994年というから16年前。途中のいきさつは分からないが、まだ真打ではない理由は分かる。ちょっときびしい言い方になるが、もっと登場人物になりきって欲しい。平坦なんだなぁ、全体に。この噺なら、もっと沸かさなくては。

弥助(13:31-13:49)
この人にはニンな噺なのだが、あまりにも若くしてニンに過ぎる、と言ったらいいのだろうか。三三や菊六の持ち味に近いものもあるが、テイストの暗さが気になる。好みではあるので、もう少し芸風に幅が出ることを期待したい。

遊馬(14:04-14:35)
今日は花緑の次にこの人の芸が光る。まず、声がいい、そして顔の表情が、落語的に言えば、「いい様子」なので、芸協の若手ではもっとも期待している人なのだが、期待通りだった。師匠小遊三の奔放さ、押しの強さといった持ち味を上手に取り入れながら、本寸法の芸を演じるだけの力量がある。侍の出る落語はニンだし、今後は芸協の中核になる器だと思う。

花緑(14:52-15:24)
ゲストとして出演。たぶん、持ち時間は30分だったはず(あるいは25分?)。噺の中で八五郎の台詞として、「楽屋の皆さん、もうすぐ終わるよ~」と叫んでいたところが少し長引いたことを物語っている。新文芸坐の会の時のマクラで「昨日の~」ということで5月6日に浅草演芸ホールで小三治の代演をした際のネタがバージョンアップされていた。その時の客数や一人当たりの笑いが何人分か、という数字が微妙に増えていた。「なるほど、マクラもこうやって膨らますのか」、と思った次第。もちろん、バージョンアップで、ネタとしては良くなっていた。そして、その浅草のお客さんがサゲのあと「上手い!」と声をかけてくれたネタとして演じた。昨年11月2日横浜にぎわい座での「三三 十番勝負」の時以来だが、やはり笑える。小三治に稽古をしてもらったと、にぎわい座で説明していたが、なるほど小三治独特のクスグリもあったが、花緑オリジナルの演出で味付けされており、そのスピード感、リズムの良さなどを含めて良く磨かれいる。最近聞くこの噺の中ではベスト。
2009年11月2日のブログ

左龍(15:41-16:20)
悪くない、とは思う。でも泣けない。難しい噺だと思うので、まだまだ磨いて欲しい。この人の表情が個性的なだけ、どうしてもネタによる損得があるように思う。新作への意欲的な取り組みなど、師匠や兄弟子という周囲の環境はいいので、まだ長い目で見てあげたい。力は、間違いなくあるし、化ける可能性も秘めている。


なかなか楽しい会だった。“花形”が何を意味するかはよく分からないが、将来性のある若手・中堅の腕試しの会ということなのだろうし、年季の入った落語ファンが贔屓の噺家を見つけることのできる会ともいえるだろう。花緑など今日の落語界で最前線にいる人たちもこの会に出ていたようだ。

入場の際にもらった5月の演芸場のプログラムに、平成21年度の「花形演芸大賞」の受賞者が掲載されていた。
■大賞 柳家三三
■金賞 桃月庵白酒、U字工事
■銀賞 三遊亭兼好、ストレート松浦(ジャグリング)、ふくろこうじ(クラウン)

大賞、金賞はレギュラーから選び、銀賞はレギュラー以外の出演者から選ばれるらしい。
ちなみに、兼好は平成22年度はレギュラーである。

表彰式を含む「花形演芸会スペシャル-受賞者の会-」が6月26日(土)午後1時から特別企画公演として開催されるようだ。帰宅後に「チケットぴあ」を確認したが売り切れだった。演芸場には残っているかどうか不明。
400回近くになる長寿プログラム、遅ればせながらもその意義に気づくことができた。次回は白酒がトリで『宿屋の富』らしい。しかし、6月19日(土)の夕方6時開演。土曜は昼の落語会しか行かないので断念。顔ぶれと都合と相談し、またの機会に足を運ぼうと思う。
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by kogotokoubei | 2010-05-22 18:54 | 落語会 | Comments(2)
円窓が、堪え切れずに七代目円生襲名バトルへの参戦を決めたようだ。MSN産経ニュースから抜粋。
MSN産経ニュースの記事

円窓が所属する落語協会(鈴々舎馬風会長)によると、円窓は10日ほど前に協会に襲名に前向きな態度を口頭で報告。17日に開かれた定例理事会で自ら経緯を説明し、第三者から襲名を促されて6代目円生の遺族との話し合いを行っていることを明らかにした。


さて、円窓の出馬に円丈はどう思っているかというと、同じ記事には次のようにある。
 

一方、協会の監事でもある円丈は「私も協会の幹部のひとりだが、こうなったら成り行きを見守るしかない」と話している。


円丈と鳳楽の対決騒ぎの時は息子窓輝の真打昇進披露興行と重なって、襲名への思いはあったが身内の大イベントを優先していた、ということなのだろう。

さて、この三つ巴のプレーヤー達の年齢と入門年は次の通り。
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円窓:
現在69歳。今年10月に70歳。
入門は昭和34(1959)3月、八代目の春風亭柳枝。
師匠柳枝が10月に亡くなって円生門下へ。

円丈:
現在65歳、12月に66歳。昭和39(1964)年12月に円生に入門。

鳳楽:
今年の3月で63歳になった。昭和40(1965)年10月に円楽に入門。
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以前この件で書いたブログで、円丈と鳳楽が対決した翌日3月18日付けYOMIURI ONLINEの記事から、下記の京須偕充さんのコメントを紹介した。2010年3月18日のブログ

円生の録音を手がけた落語プロデューサー京須偕充さんは、「お客を巻き込んだイベントとしては面白い。でも、候補の2人が60歳代では、とうがたった感じ」と手厳しい。


最近の京須さんの活動や著作については結構否定的な思いがあり、いくつかブログにも書いてきたが、この「とうがたった感じ」というのは同感。円丈と鳳楽の二人を指しての発言なので、京須さんは円窓の出馬にどんな思いがあるのだろうか。まぁ、肯定的ではないだろうなぁ。

しかし、円窓、そして落語協会が親族と手打ちをしたら、円窓が継ぐ可能性は極めて高い。円楽亡き後、円楽党と落語協会を含め、六代目の弟子で香盤では筆頭ということになる。協会の相談役でもあるし、6月の小三治会長就任に続く協会の大きなニュースではある。七代目円生襲名披露興行は落語協会にとってビジネス上のうま味もある。現会長馬風が任期中にメドをつけるための最後の大仕事、ということでもあるのだろう。

だけど問題は、やはり高齢であることだ。
初代三遊亭円右は二代目円朝襲名が決まっていながら病に倒れ、“幻の二代目円朝”と言われている。亡くなったのは、64歳。(1860年6月15日生まれ、1924年11月2日没。)もちろん当時から寿命は延びたとはいえ、70歳での襲名は異例だ。

「縁起でもない」と言われそうだが、窓輝たちの真打襲名披露パーティーでの写真が協会ホームページに掲載されていたのを見て、その老いた円窓の姿にやや驚いた記憶がある。当時の心労のせいかもしれない。お金だってかかるからね。しかし、これから自分が七代目円生を襲名することになれば、そのストレスもかかる費用も息子の昇進披露の比ではないだろう。意地でも死ぬ前に「円生」を名乗りたいという落語家人生最後の賭けなのかもしれないが、七代目が短命に終わって新たな騒動につながることも、十分にありえる。

まぁ、七代目が短命だろうがそれはそれとしよう。将来への希望は、まだある。兼好による長期安定的な八代目円生の誕生を願っている。彼なら名前にも潰されず、由緒ある名跡を長らえてくれるだろう。芸風なんて、似ていなくてもいいのだ。しかし、七代目が円窓になるのなら、兼好は落語協会に所属することが襲名の条件になるだろうなぁ。

そうだ、戻ればいいのです。円窓の七代目襲名を円楽残党(?)が認める代わりに、全員が落語協会に復帰すりゃあいいんです。協会は噺家の「置屋」と、こういう時は洒落で軽~く考えてみるのも落語家らしさであろう。なぜなら、MSN産経ニュースの記事に落語協会の見解は次のように書かれている。

落語協会では、「一門と遺族との問題」と静観しているが、「そう遠からずに(円窓の襲名で)正式発表を行う可能性がある」とする。


やはり、「置屋」だ。当時の女将(?)の五代目小さんと売れっ子芸者(?)の六代目が対立して、円生奴は自分を慕う若い芸者たちを引きつれて、自ら「三遊」という「置屋」を作ったわけだ。落語協会の態度は、「“女将”が変われば“置屋”も変わる」ということを示しており、「社団法人」の「置屋」なのである。

「協会置屋」に戻るのは全員ではないかもしれない。六代目の円楽だけは、義理のある、そして仲がいい歌さん女将のいる「芸協置屋」に行くかもしれない。誰も文句は言わないでしょう。芸術協会にだって三遊亭はたくさんいるからね。しかし、師匠好楽も“笑点”仲間の義理で芸協に行くことになり、兼好も連れて行くというシナリオになると、八代目の目はなくなるなぁ。すべて仮定の話で心配しても仕方がないか・・・・・・。

ビジネスに置き換えれば、円窓に七代目を継がせることは円楽残党にとってチャンスのはず。立川流は協会から独立していても人気者や実力者も多いし、それほど名の売れていない人も、中には苦労している人もいるだろうが、それぞれに贔屓もついているし余芸のある人も多いから食べていけるだろう。しかし、円楽残党は違うだろう。ここはひとつ冷静に考え、この機会を逃さずに落語協会復帰を果たす好機ではないだろうか。やはり「置屋」によって「お座敷」の量も質も違うだろうから。すべては六代目関係者と円窓の協議にかかっているのだろうが、もうそろそろこの騒動にピリオドを打つ段階に来たように思う。
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by kogotokoubei | 2010-05-19 11:44 | 襲名 | Comments(6)
小学館主催の「らくだ亭」が、“レギュラー制”により装いを新たにした最初の会である。
お披露目の意味もあるのだろう、レギュラー五人全員が登場。
自由席だった会場は一階・二階ともほぼ満席。合わせて440席らしいから、平日なのに結構なにぎわいだ。しかし、この顔ぶれなら、当たり前か。初めてだが、非常に見やすい会場だ。客層も土地柄なのか、ご通家が多いと見受けた。

演者とネタは次の通り。
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(開口一番 入船亭辰じん 『小町』)
古今亭志ん輔 『七段目』
五街道雲助  『辰巳の辻占』
柳家小満ん  『笠碁』
(中入り)
春風亭一朝  『岸柳島』
柳家さん喬  『心眼』
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辰じん(18:35-18:45)
案内での「開演」が18:45だったから、寄席と同様の前倒しスタート。私の知る限りで、現時点の前座の中では頭一つ抜けている。『道灌』に持って行かなかったのは時間のせいだろうが、結果として15分演じても良かったかもしれない、なかなかの出来。この人は、少し追いかけたくなる。

志ん輔(18:46-19:07)
歌舞伎座のマクラなどで会場を暖め心地よく“志ん輔ワールド”へ。小僧の定吉が演じる「お軽」は、人によっては、ついつい上手い女形の芸を真似るのだが、あくまで定吉の芸という演技に、当り前だが感心した。若旦那の平右衛門の芸を含め、あくまでその主人公が演じる“ヘタウマ”な歌舞伎の真似という演出が伝わる。このへんが若手とは違うのだ。そしてお客さんが、よく歌舞伎をご存知なのだろう、笑いのツボが、他の会場とは違う。前進座や先日の新文芸坐あたりと客の空気が似ている。

雲助(19:08-19:27)
末広亭で主任の時の『子は鎹』にはややとまどいを感じたが、この噺は師匠馬生の十八番でもあったし、さすがにはずさない。なるほど、レギュラーの顔見世のネタにこれを持ってくれば、常連さんは安心、初雲助の落語ファンは喰い付くなぁ。この人に固定ファンが多い理由も、こういった噺を聞くとよく分かる。

小満ん(19:28-19:50)
特に後半の可笑しさは秀逸。喧嘩別れの後数日した雨の日、居てもたってもいられずに碁敵の幼馴染の店の前で、かぶり笠でうろうろする一人と、それを今か今かと店の中で碁盤を前に待つ一人。何度も繰り返される「来るか、来るか、あ~っ・・・・・・行っちまいやがった」の部分が、くどく感じず、飽きない楽しい芸。これまた、看板ネタ。

一朝(20:00-20:18)
この人の粋でいなせな江戸っ子が登場する噺は、いつも本当に楽しいし、妙に“可愛い”。「くず屋だけに、ボロが出た」なんて地口でも、この人なら腹から笑える。オヤジ・ギャグを多発して周囲から睨まれている身には、頼もしい味方(?)。これまた、ニンな噺であり、「寄席」の楽しさを感じさせてくれる。

さん喬(20:19-20:57)
三遊亭圓朝作だが、この噺を得意にしていた先代の桂文楽は二代目の談洲楼燕枝から教わった、という三遊派と柳派の“超党派”で継承されてきた珍しい噺。流石のさん喬である。丁寧なマクラでは、今日使われなくなった言葉のことで本編につなげたが、本来伝えたい言葉がどんどん亡くなっていくのは残念でならない。座頭市の真似もマクラで披露してくれたが、こういうのご本人も結構好きなんだろうなぁ、と見ているこっちが照れてしまった。


まことに贅沢な顔見世興行。トリのさん喬が40分、他の皆さんが20分という時間配分だろうが、こんな贅沢な五人のそろい踏みをニンな噺のダイジェストで味わることは、そうはない。もちろん、「この人なら、もっと長講を聞きたい」と思うのは当然だが、プログラムには次回以降の出演者とネタ出しがされている。

次回(第26回)6月23日
春風亭正太郎 『寄合酒』
五街道雲助  『壷算』
柳家さん喬  『品川心中』
(仲入)
古今亭志ん輔 『佃祭』

次々回(第27回)7月5日
春風亭一之輔 『蛇含草』
春風亭一朝  『船徳』
(仲入)
柳家小満ん  『金魚の芸者』
柳亭市馬   『お化け長屋』

その他関連情報は「らくだ亭のホームページ」で確認できる。
らくだ亭のホームページ

会場は、落語会のタイトルでもある、本日と同じ人形町の日本橋劇場。
小学館の回し者ではないが、憎い、そして渋い趣向だ。自由席だが、2階席でもこの会場なら楽しめるだろう。前売りで2,500円というのもうれしい。

帰りに、老舗の漬け物屋さんで“べったら漬”を買った。土曜の昼間にでもやっていただけると、なお一層この土地に来る楽しみも増すだろう、などど思いながら帰途につき、帰宅後その漬け物を味わいながらブログを書いている。連れ合いが漬け物にあまり手をつけないので、次回は人形焼を買おうと、今は思っている。
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by kogotokoubei | 2010-05-17 23:30 | 落語会 | Comments(5)
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 日本経済新聞のNIKKEI NETに、今年の2月まで七年間連載してきた「京の噺家桂米二でございます」を元にした本が出た。3月11日のご本人のブログに、NIKKEI NETの連載終了について、次のように記されている。
桂米二のブログ

7年間連載したNIKKEI NET「京の噺家桂米二でございます」が先月で終了いたしました。ご愛読ありがとうございました。原則として隔週更新で全部で176回。我ながらたいしたものです。締め切りに遅れたことは1回もありませんよ。危なかったことは何回もあったけど……。


 この連載は、たまに目を通していたが、実はこの人の落語を聞いたことはない。連載で少し名前が売れ東京でも内幸町ホールなどで落語会を行っていたようだが、これまで行く機会がなかった。
 代表的な上方落語十八席を紹介しながら、それぞれの噺にまつわるエピソードがちりばめられていて、なかなか楽しい。章と章の途中には「ちょっと休憩」と題して、さまざまな質問にユーモアたっぷりに答えていたり、「噺家の就職試験」-米二の30年-といったネタなど、なかなか読み飽きしない構成。
 十八席は登場順に次の通り。
 百年目・初天神・牛ほめ・千両みかん・くしゃ講釈・猫の忠信・崇徳院・饅頭こわい・つぼ算・
 道具屋・宿屋仇・まめだ・代書・質屋蔵・かわり目・子ほめ・口入屋・たちぎれ線香
 
 本書は、米朝ファンや上方落語とその歴史に興味がある人にとっても楽しい本。たとえば、『くしゃみ講釈』の章には、次のような思い出話が披露されている。
 

 私が噺家になる少し前、朝日放送テレビで、うちの師匠が司会で「和朗亭」という番組(1974~1976年まで放送)がありました。落語だけでなくあらゆる寄席芸を紹介するという番組でした。その中で「くしゃみ講釈」を実際にやってみるという趣向がありました。笑福亭松之助師匠が講釈師の役で、桂枝雀、桂べかこ(現南光)のおふたりが寄席で唐辛子をくすべる役です。その様子が放送されたのです。
 おもしろい趣向でしたね。客席には一般のお客さんも座っておられるので、まさか本当に唐辛子をくすべるわけにもいかず、何か差し障りなく煙が出るものをくすべたのでしょう。松之助師匠の講釈師は落語と同じようにくしゃみ連発となったわけです。
 その番組のおしまいのところでうちの師匠もコメントしておりましたが、この落語はウソやな、ということがよくわかりました。というのは、くすべた煙がなかなか上へ、講釈師のほうへ行ってくれないのです。扇いでも扇いでも上へ行かず、横へ広がってましたから、あれでは講釈師だけではなく、周りのお客さまも全員くしゃみをすることになるでしょう。ま、落語にウソは付き物です。お許しください。


 落語の高座のテレビ番組は、もちろん数多く放送して欲しいが、こういった遊び心のある番組も欲しいものだ。最近「江戸」や「和風」というテーマの番組はクイズ形式のものも含め少し増えてきており良い傾向かとは思うが、関西流のノリで「おっ、そこまでやるか!」と思わせる“洒落”の利いた番組はほとんどない。あえて懐古するなら、かつて談志がいた頃の「笑点」は、もっとエスプリも利いていたし刺激的なブラックなユーモアもあったが、今はシナリオに基づく無害な大喜利番組。困ったものだ。

 さて、この本に戻る。京都出身で昭和32(1957)年生まれ、米朝に入門したのが19歳だった昭和51(1976)年の著者は、ホームページのプロフィール欄で、“こんな人”の題で次のように自己紹介している。桂米二のホームページ

入門当時から師匠、兄弟子に見境もなく理屈や意見を言ったので、「リクツ」「リクやん」という愛称を頂戴する。落語では、屈指の大ネタ「百年目」に挑戦するなど、師匠米朝の持ちネタを継承する一方、「牛ほめ」「ろくろ首」などの軽い噺も、飄々とした味でさっぱりと演じる。落語以外では、結婚式披露宴の司会で百組以上のカップルの誕生を見てきた。
自称、文筆家でもあり、エッセイ、ブログ、メルマガの評判も良い


 また、落語ユニット「とにいじゃっく」のメンバーで、名前の由来は同期入門のメンバー、桂都(ト)丸と桂米二(ニ)と桂雀(ジャック)々に由来しているようだ。
 余談だが、亡くなった吉朝は米二の入門により、米朝宅での住み込み期間が通常より短縮されたらしい。

 私とほぼ同年代の上方の噺家さんで、私もたまに、「りくつ屋」と言われることもある。本書を読み、またプロフィールなどを拝見し、この人が東京に来る時は極力出かけようと思った次第。
日経プレミアシリーズの本書紹介ページ
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by kogotokoubei | 2010-05-14 11:06 | 落語の本 | Comments(2)
池袋は演芸場と芸術劇場には度々来るが、ここは初めてである。なんとも繁華街ど真ん中のロケーション。
266席の客席の入りは約六割程度か。映画館が基本の会場だが、席もゆったりとしていて椅子の背もたれも高く、非常に快適。高座の作りは若干無理があるが、それもご愛嬌だろう。

演者とネタは次の通り。
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(開口一番 柳家まめ緑 『狸の札』)
春風亭百栄  『お血脈』
古今亭菊之丞 『愛宕山』
(中入り)
柳家花緑   『紺屋高尾』
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まめ緑(19:00-19:14)
ある意味で初々しい緊張感を漂わせていたようには思うが、あまりにも表情が硬すぎ。昨年花緑に入門したばかりの前座さんで一所懸命さは伝わるが、会場を暖めるまでには今後も修業を積んでもらいましょう。

百栄(19:15-19:47)
マクラから本編まで三年前二ツ目の栄助時代の「第五回 朝日いつかは名人会」(2007年4月25日)のデジャブだった。その時は喬太郎が指南役でもう一人の二ツ目が三遊亭天どん。あの会は対談を含め非常に楽しかった。さて、三年前と今夜の違いは、得意の英語でのクスグリ。小噺の「ねずみがチュー」というネタとトントンオチの「五日六日さ~ん」「七日八日」「九日十日」を英語で演じたところに工夫の跡があった。後者は特に「ディズニー風で」という演出。十年間アメリカにいたことを活かすアイデアとしてはおもしろい。今日の会ではさすがに新作は演りにくかったのだろうし本人にはニンなネタなのだが、できれば地噺ではない古典を聞きたかった。しかし、百栄の良さは初めてのお客さんにも十分伝わっただろう。

菊之丞(19:48-20:20)
マクラで一日で都内の常席寄席四席すべてをハシゴしたというエピソードが披露されたが、たしかに今日ではなかなかあり得ない出来事だろう。幇間のマクラから『鰻の幇間』あたりを想像していたので、うれしい誤算。熱演であったし、非常に楽しかった。いいなぁ、この人のこういう噺も。本寸法の江戸の香りがするとともに、柔らかさと色気がある。高座に上がる姿を見てホッとする噺家さんの一人だ。中入り前、菊之丞のこの噺が先で、果して花緑は大丈夫か、と思っていたが、結果としてそれは杞憂だった。

花緑(20:32-21:25)
今年前半の私のトップ3には入るだろうと思う高座。昨日浅草で小三治師匠の代演だったが、客は十人。しかし、一人が三人分の笑い。『野ざらし』を演じた後に「うまい」の声が客からありうれしかった、というこの人のピュアさを物語る話があった後、なんとこの長講へ。稽古をつけてもらっただけに談春版を彷彿とさせる部分は多いが、全体としては花緑の紺屋になっている。とにかく久蔵がいい。ラスト直前で「寝ている人がいるから言いますけど、ここからが肝腎ですからね~」のアドリブもこの人らしい嫌味のないサービスと思えるから、不思議だ。語り終わったところで、よほど「うまい!」と声をかけようとも思ったが、常連さんの多い会に初めてやってきた私のするべきことではないと思いやめた。それ位、すばらしい出来。


いただいたプログラムに主催者と思しき方の口上があったが、初登場の花緑には相当強い思い入れがあったようだ。そしてその期待に花緑は十分に応えたように思う。長講高尾の出来栄えが良かったことはもちろんだが、彼の立ち居振る舞いからも、彼がこの高座を大切に思っていることが伝わった。
関連してその振る舞いについて。花緑は高座に上がるときに一度舞台の端で一礼する。また高座から下がる時にも一度立ち止まって礼をした。もちろん人それぞれなのだが、私は清清しく感じて肯定的だ。例えば志の輔が高座から下がる際の見た目の印象は良くない。もちろん精魂込めた熱演の後なので目一杯なのかもしれないが、やや偉そうな態度に見えるのは私だけだろうか。あれは損をしていると思う。別に客に媚びろとは言わないが、笑顔あるいは普通の表情と態度で退場して欲しいものだ。

百栄、菊之丞、そして花緑、今日の三人には客への純粋なサービス精神や真摯な姿勢のようなものを感じることができた。
かつてブログにも書いたが、花緑については彼の著書『落語家はなぜ噺を忘れないのか』を読むまでそれほど気になる噺家ではなかった。その後彼の高座を聞く度に、なるほど入門から七年で真打昇進したのは、必ずしも七光りだけではないなぁ、と思えてきた。
2008年12月2日のブログ

帰り際、会場では次回6月9日開催の小満ん、鯉昇出演のチケットが発売されていたが、その日は都合で行けそうにないため、泣く泣く買わずに帰ってきた。こういった渋い顔付けをする主催者、熱心に聞き笑いのタイミングも本寸法(?)な「友の会」の方を含む常連さん。この会は“良心的な地域寄席”という感じで、ぜひまた来たくなる落語会だった。外はまだ小雨。しかし、大いに充実した心持で池袋駅に向かった。
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by kogotokoubei | 2010-05-07 23:36 | 落語会 | Comments(0)
にぎわい座では聞いたことがなかったので、久しぶりに小朝の会にやって来た。
玄関先のポスターには当日券も含め完売との案内。私が喬太郎とはん治の二人会の後で買った時も二階席しか空いていなかった。その時は、買うつもりではなかったが、「もしかして、にぎわい座の客の前なら期待してもいいかも・・・・・・」と思い衝動買いした。たしかに人気はまだ衰えていない。しかし、後述するが、あまりにもその人気が偏っている。
次のような構成だった。
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(開口一番 春風亭ぽっぽ 悋気の独楽)
春風亭小朝 猫の皿~七段目
(中入り)
春風亭小朝 こうもり~越路吹雪物語
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ぽっぽ(13:00-13:18)
昔(昭和30~40年代)なら、この噺は『喜撰小僧』のほうが多かったように思うが、さすがに「喜撰」という言葉も、サゲも通じない時代には「独楽」になるのだろう。昨年6月の末広亭の開口一番以来だが、可愛さだけではなく、芸も磨かれてきた。元女優として培ったものも生きているのだろう。将来は立川こはるとこの人が女流落語家でツートップを走るように思う。

小朝(『猫の皿』~『七段目』:13:19-13:52)
派手な着物と袴で登場。この姿は今までなら釈台を前に「源平」モノなどを演じるのがパターンなのだが、落語であった。最初のマクラから『猫の皿』が終わったのが13:34なので、たった15分。歌舞伎のマクラを5分間ほどふってたので正味の『七段目』所要時間が12分ほど。後から、こんな短い時間だったとはとても思えないほど、それそれの噺は素晴らしい。一席目は、茶店の主のキャラクターが秀逸。笑い方に見せる“狂気”めいた味は、喬太郎を思い出させた。
二席目は、まぁ十八番の歌舞伎のネタで、これまで何百回と演じてきているのだろう、若旦那と定吉の掛け合いも見事。ともかく、この人の芸のエッセンスを缶詰に詰め込んだ、そんな内容。トリネタが何か気になった。釈台があるんだろうか、それとも落語か・・・・・・と思いながら一服しに外へ。

小朝(『こうもり』~『越路吹雪物語』:14:04-14:40)
幕が開くと釈台。しかし今度は袴姿ではない。果して何か、と思ったらこういう構成だった。
新作落語や漫才の台本コンテストで受賞歴もある社会人落語家の微笑亭さん太さんの『こうもり』を、約10分で演じた。鶴や狸ではなく蝙蝠の恩返しというネタは、まぁまぁ楽しめたが、あまりにもトリネタとして軽すぎる。さて次は、と思ったら『越路吹雪物語』。25分ほど演じて緞帳が降りた。時間の短さと、中入り前も一度下げてから噺が続いたので、また緞帳が上がって何か演るのではないかと思っていたが、終演。


 お客さんは高齢の女性客が主流。そして、それを見越した構成なのだろう。BGMも用意されていたし。近くの席の連れ合って来られたであろうおば(ぁ)さん達は、中入り前で、コンパクトな小朝の落語のエッセンスに笑い、トリでは懐かしの越路吹雪の話や、中高年女性のツボをはずさない小噺でドッカンドッカンしていた。帰り際も「小朝はやっぱりうまいねぇ」と言いながらお帰りだった。これからおいしいお茶と和菓子でも食べに行くには、1時間40分の落語会は長すぎず体にもやさしいのであろう。

 しかし、何度も聞いた小噺で短いネタを2本つないだ後は、自分も関与した「六人の会」主催の新作落語台本コンテストの受賞者のネタと、自分の好みなのかもしれないが、どちらかと言うと客に媚びたと思われる作品で2時間にも満たない落語会を終わらせる“金髪の噺家”の姿に、「今日こそは、かつての小朝の姿が見られないものか」と駆けつけた私を唸らせるものは、何もなかった。せっかく中入り前の落語に、この人の芸の片鱗をかいま見た思いがあったので、残念でならない。中入り前で帰ったほうが印象は良かったかもしれない。「夜の部」だって午後4時開演で6時前にお開きなら、「宵の部」だろう。もしかすると、同じネタでの二回口演かもしれない。誰かがブログで書いてくれることを期待しよう。

 いつか、釈台を使わない、落語長講二席の独演会をするまでは、この人の会には行かなくてよさそうだ。力も技もある。しかし、このような余力たっぷりで、たまにしか寄席や落語会には来ないだろうと思われる平均年齢の高い客層の受けばかり狙った会にばかり出会うと、この人への未練のある落語ファンだって、そのうち足は確実に遠のくだろう。同じにぎわい座を満員にする志の輔、談春、喬太郎達に、いまさら「噺」で対抗するような気持ちは、サラサラないようだ。“省エネ落語会”であり、“ビジネスマン落語家”としての印象が、また強くなった。

 小朝が今日話した中で、「あの志ん朝師匠も高座に上がる前には緊張して、手のひらに人の字を書いて飲み込んだ。越路吹雪がステージに上がる時は、マネージャー役の岩谷時子さんが背中に虎の字を書いて背中を押してあげると緊張感がとれた」という内容が印象に残るのは、今日の落語会でそういった緊張感をご本人が感じたとは到底思えなかったからである。

「落語界の綾小路きみまろか、あんたは・・・・・・」と呟きながら、ゴールデンウィークでにぎわう桜木町の駅に向かっていた。帰りの電車賃がもったいなく思えた落語会は久しぶりだった。
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by kogotokoubei | 2010-05-03 16:37 | 落語会 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛