噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2010年 04月 ( 11 )   > この月の画像一覧

e0337777_11062849.jpg
桂雀々 『必死のパッチ』


 今年2月に文庫化されたのだが、ようやく読んだところ。ただし、手をつけてからは一気に読んだ。そして200頁にも満たないこの本に目一杯 詰まった、壮絶な桂雀々、いや松本貢一少年独り立ちの物語に感動し、 そして感心もした。
 
 私より少し年下の昭和35年生まれ。その時代感は共有できる。昭和30年代後半から40年代中頃までは、まだ戦後の名残があった。あの『三丁目の夕日』の時代だ。私は実家が商売を営んでいたのだが、幼い頃に店に訪れた傷痍軍人さんの姿を、今も覚えている。また、どこの家も総じて貧乏と言ってよく、近所の子供達は、私も含めてお下がりのシャツや半スボンを身に着け、しょっちゅう洟を拭っているのでシャツの袖はテカテカだった。「クレヨンしんちゃん」の“ボーちゃん”がたくさんいた。まぁ、そんな頃のお話。
 松本貢一少年は、あの当時としては珍しい一人っ子ではあったが、親の愛情を一身に注いでもらうといった幸せには恵まれなかった。最初に母親、すぐに父親と、中学入学間もない12歳の時点で両親から捨てられ一人ぼっち になった。“母子家庭”でもない“子家庭”の少年というのは、そう多くはいない。

 父親が貢一少年を一人残して家を出るのは、深夜に図った心中未遂の後なのだが、その夜の様子を引用する。
 

 何時頃だったのか全然覚えてはいない。寝ているボクの体にグッと、重さというか圧力を感じた。と同時に変な物音もした。
 普段から寝ている間にゴキブリが這いずり回る音やら、ネズミが何かをかじってる音やらはしていたので、少々の物音では起きることもないのだが、それとはまったくもって異質な音が聞こえてきたので、邪魔くさかったが薄目を開けてみた。
 すると、ボクの顔の真上に人影があった。寝ボケけているから何のことか理解できなかった。徐々に目を開けていくと、暗闇の中でもそれがオトンであることが分かり、さっきの物音はオトンの声だということになんとなく気付いた。オトンがボクに何かしゃべりかけてはいるが、いまいち聞き取れず、まだ眠気の方が強かったので、「う~ん」と伸びをするように身悶えてみたが、上手く伸びができない。オトンがボクに馬乗りになっていることがその時に分かった。
 ちょっと意識がはっきりしたので「何してんのん?」と尋ねようとした時、キラッと光るものが目に入った。眠気をふりきり、意を決して起きてみたら、目の前の光景に一気に目が覚めた。
 真っ暗な部屋の中、オトンが包丁を持って、それをボクに向けている!そのオトンは顔をくしゃくしゃにしながら泣きじゃくって、何かを言いたげに口をパクパクしている!


 結局は、この心中は未遂に終わり翌朝のこと。
 

 ボクがオトンの軽トラのエンジン音で目が覚めた頃、時計は九時を回っていた、昨夜の親子の狼狽は夢だったんじゃないかと思うぐらい静かな朝だった。
 すぐに現実だと分かるようにオトンが置いていったのか、昨晩ボクに突き付けられていた包丁が、そのままの形で畳に上に転がっていた。
 オトンはボクを捨てて出て行った。
 自分が出したモンぐらい自分で片付けたらええのに・・・・・・と思いながら、その包丁を取り上げ台所に向かった。
 台所には寸胴鍋、おでんの鍋、おたま、その他一式のうどん屋がすぐ営める調理器具たちが、オトンに置き去りにされたままボクを出迎えてくれた。横に目をやると、昨日仕入れた「丸国製麺所」のケースに並べられたうどんとそばもボクを見下ろしていた。
 ここにいてるモンみんなオトンに捨てられたんやなぁと思ったら、急に寂しくなって、夜中のオトンと同じように、包丁を握りしめたままボクは大声で泣いた。


 そう、オトンは屋台のうどん屋だったのだが、博打好きのため多額の借金を抱え借金取りがやってくるようになり、そんな生活に耐えられずに母親(オカン)が、小学校六年生の時に先生との三者面談が終わってから家を出てしまった。そして父子二人の生活がしばらく続くのだが、中学一年になりゴールデンウィークを直前にしたある日(今頃の季節ということですなぁ)、最後の博打のつもりでオトンが買ってきたピラニア五匹が、水道水を入れっぱなしの水槽の水面にプカァッと浮いて死んでいた夜、心中未遂事件があり、その翌日オトンも消えていった。

 それでも、一人になったことをプラスに転じ、あるきっかけ から落語家への道を邁進してきたこの人のバイタリティには、 ただただ圧倒される。もちろん、親には恵まれなかったが、近所には貢一少年に愛情を降り注ぐ人たちがいた。それが出山商店のおばちゃんであり、民生委員の加藤さんの家族、そして親友のヤンピたち。
 そうだった。あの頃は近所は家族の延長だった。私の家の近所にも、両親が仕事で忙しい時に遊びに行ける家もあったし、何かと面倒を見てくれる近所のおばさんもたくさんいた。怖いおじさんもいたけど、あのあじさん達に叱られて学んだこともたくさんある。そして、今は死語になりつつある民生委員という制度も機能していた。困った時はお互い様、という精神が当たり前だったように思う。岡本一平が戦時中作詞した唄で、テレビの『お笑い三人組』でも唄われていた
e0337777_11062847.gif
とんとんとんからりんと隣組~なんて歌詞が、まさにあの頃を物語っていたなぁ。困ったら「味噌」「醤油」を貸してあげるのが当然だった時代は、あまりにも遠くなった。ちょっとノスタルジーに耽ってしまったので、戻ろう。

 さて、本書を読んで、私がここ最近上方でもっとも気になる噺家さんと言ってもよい桂雀々の、そのエネルギッシュな落語の源を発見した思いで非常にうれしくなった。「落語を語れるだけでも、うれしい」という 純粋な思いが、あの高座につながるのだろう
 昨年12月の枝雀生誕70年記念の落語会を思い出す。雀々のネタは『動物園』。あまり中堅の真打クラスが演る噺ではない。しかし、彼は全身を使って12月に汗だくで演じて、満員の会場を沸かせた。読後は、あの日を思い出した。2009年12月4日のブログまた、昨年の談春との国立演芸場での二人会。相手が誰であろうと怯むどころか、それをバネにしたような素晴らしい出来だったのが鮮明に蘇る。。2009年9月2日のブログ
 この人、10歳代であれだけの経験をしてきたのだ。怖いものはないのだろう。最初に“芸”で現金をもらったのは、何と借金取りの怖いおじさんだったのだから。これは本書を読まなきゃわかりませんよ。

 文章もとても生き生きしていて素晴らしいし、事実は小説よりも奇なり、 という言葉を裏付けるような画期的な少年史、と言えるだろう。心中未遂という事件以外の「11色の色えんぴつ」などのエピソードも、その事実とその時の思いが見事に綴られている。

 あまりにも物資が溢れ、どの家庭も一人っ子ばかりの今日。恵まれすぎの温室育ちで「草食系」 などと言われている若者が、自分を変えるきっかけになるためにもぜひ読んで欲しい。しかし、「こんな貧乏な人がいるんだから、自分は幸せ」という安易な相対比較をしてもらいたいのではない。生きるということは、もっと真剣なものであり、何か壁に当たっても簡単に諦めて欲しくないということ。そして重要なのは、気持、そう気持の持ちようなのだということに気付いて欲しいからだ。そして、“自分探し”などという甘えを容認する傾向が強い中、何でもいい目の前にある何かに、精一杯、そう“必死のパッチ”の精神で打ち込むことが大切であることを、周囲が教えないならこの本から学んで欲しい。この精神、私も本書から学んだように思う。数多い噺家さんが書いた本の中でも、相当上位にランクして良い傑作。そして、この人は、十分に文章が書ける。本作を第一弾として『必死のパッチ-修行篇-』なども書いて欲しい。枝雀師匠に学んだその修業時代の物語も、十分に読ませてくれる内容になるに違いない。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-30 16:00 | 落語の本 | Comments(0)
e0337777_11062642.gif


今週ほど、「関西に住んでいたかった」、と思わぬ時はないかもしれない。
話題の「上方落語まつり in ミナミ」が今夜から三日間開催されるのだ。
ホームページの「ごあいさつ」を引用。上方落語まつり HP

300年あまりの伝統を誇る上方落語。戦後の厳しい時期を乗り越えて、今や落語家の数も大幅に増え、落語会も花盛り。落語ブームの大きな波に乗って上方落語熱は関西を飛び越え、日本全国に広がっています。「上方落語の笑いで大阪の街を明るく元気に!!」と、上方の落語家が所属事務所の垣根を越え、総力を結集して企画したビッグプログラム「上方落語まつりinミナミ」がついに実現。大阪のど真中、ミナミを中心にした7会場で繰り広げられる落語三昧の3daysは、落語初心者の方でも楽しめるスペシャル版。大いに笑って、ちょっぴり泣いて、ミナミの街がまるごと上方落語ワールドに!浪花の春を彩る、街をあげての「上方落語まつりinミナミ」に是非ご来場ください。
上方落語まつり実行委員会



今夜のオープニング・イベントは「なんばグランド花月」で次のような顔ぶれ。
---------------------------------------------------------------------------
開幕!上方落語まつり in ミナミ 4月28日(水) 18:30〜21:20
・林家花丸、桂宗助、桂小春團治、桂ざこば、中入
・口上(桂米朝・桂春團治・桂福團治・笑福亭仁鶴・桂ざこば・林家染丸 司会:桂吉弥)
・桂文珍、笑福亭仁鶴
---------------------------------------------------------------------------
口上の顔ぶれ、涎が出る。

e0337777_11062724.jpg
*会場マップ

明日は三つの会場(大丸心斎橋劇場、動楽亭、雀のおやど)で午前・午後・夕方と各三つのプログラムが並行開催。
そして30日にはワッハホール、トリイホールで複数の会が行われ、大阪松竹座での次のようなグランドフィナーレでお開き。
---------------------------------------------------------------------------
上方落語まつり in ミナミ ● グランドフィナーレ 4月30日(金) 18:30〜21:20
・笑福亭銀瓶、桂都丸、桂南光、桂三枝、中入
・口上(桂米朝・桂春團治・桂三枝・月亭八方・桂春之輔・笑福亭松喬 司会:桂文三)
・月亭八方、桂春團治
---------------------------------------------------------------------------

吉本興業、松竹芸能そして米朝事務所が協力し、「大銀座落語祭」の上方版的なイベントの第一回開催。ホームページにおいて、すでに“チケット完売”と表記されているのが次の会とグランドフィナーレ。

4/29大丸心斎橋劇場
大丸特選会 ● 昼の部 14:00〜16:30 <チケット完売>
桂歌之助、桂坊枝、桂雀松、笑福亭鶴光、中入、笑福亭呂鶴、笑福亭松之助

4/29 動楽亭
三枝一門・吉朝一門競演会 15:00〜17:30 <チケット完売>
桂三ノ助、桂よね吉、桂三若、桂あさ吉、中入、桂吉弥、桂三風

4/30 トリイホール
二世の会 13:00〜15:00 <チケット完売>
座談会(桂米團治・明石家のんき・桂春蝶・月亭八光、司会:桂小枝)
明石家のんき、桂小枝、中入、月亭八光、桂米團治

なるほど、完売というのもうなづけるプログラム。
しかし、他にも結構魅力的なプログラムがあり、当日券で入場できる会もありそうだ。
私が関西に住んでいるなら、次のような会に食指が動くなぁ。

4/29 動楽亭
モーニング落語会 11:00〜13:30
桂三金、桂こごろう、桂団朝、笑福亭三喬、中入、月亭八天、笑福亭小つる
・整理番号付自由席:2,500円
*小つるは今秋、六代目笑福亭枝鶴を襲名する。

4/30 ワッハホール
おおきにワッハの会 午前の部 11:00〜13:30
桂紅雀、桂三象、桂梅團治、月亭八方、中入、笑福亭仁智、桂春之輔
・全席指定:3,500円

おおきにワッハの会 午後の部 15:00〜17:30
笑福亭風喬、笑福亭仁昇、桂あやめ、桂米輔、中入、笑福亭鶴志、林家染丸
・全席指定:3,500円

これらの会なら、木戸銭は損しないはず。なかなかの顔ぶれだ。
残念ながら、普段の落語三昧のために家族孝行が不足している身の上、新幹線に乗って駆けつけるわけにはいかない・・・・・・。
関西在住の方、そしてそれ以外の地区から参上される方、ぜひブログで参加された会の模様をお知らせください。

あ~、桂米朝・桂春團治・桂福團治・笑福亭仁鶴・桂ざこば・林家染丸、この顔ぶれのそろい踏み、豪華だろうなぁ・・・・・・。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-28 16:35 | 落語会 | Comments(0)
 2001年4月29日に、師匠志ん朝に先立って亡くなった古今亭右朝のことを、昨年の命日4月29日に書いた。
2009年4月29日のブログ

 その右朝のCDが、6月に発売されるらしい。朗報である。
 
 東海ラジオ「なごやか寄席」に残した音源。ネタは『締め込み』と『百川』。HMV 古今亭右朝 「締め込み・百川」
 たまたまネットで右朝のCDを検索していて発見した。
 没後ほぼ一年後に限定で発売されたCDがあったが、現在は入手困難なので、このCDは貴重だ。

 東海ラジオは昭和35(1960)年4月1日開局。今年の開局50周年を記念した企画として、昨年末以降発売されているようだ。発売元はユニバーサルミュージック。
東海ラジオのホームページに、これまで4回にわたって発売されたCDが紹介されている。
東海ラジオ 「なごやか寄席」
 
 同ホームページの謳い文句は次のようになっている。

1974年4月15日の第一回放送から1999年3月23日まで続いた、東海ラジオ放送伝説の長寿番組「なごやか寄席」が遂に完全版 (ノーカット)にてCD化!!をスタート。
ネタ帳には東西合わせて200人を超える演目でファンを魅了した 「なごやか寄席」を是非お楽しみください。


 詳しい噺家さんとネタはこのホームページでご確認いただきたいが、円生、小さん、正蔵、柳朝など錚々たる顔ぶれが並んでいる。その中から、あえて発売数が少ない噺家さんの音源を中心に収録日と会場を含めてご紹介する。
*それぞれ、同じ日の高座二席をCD化。

第一回(2009年12月16日発売、全10作)
四代目三遊亭小圓遊(1979.8.10中電ホール)
・「宮戸川」「へっつい幽霊」
初代金原亭馬の助(1975.4.16中小企業ホール)
・「粗忽の使者」「厩火事」
など。

第二回(2010年1月20日発売、全15作)
四代目柳家小せん(1981.2.18中電ホール)
・「長屋の花見」「三人旅」
十代目桂文治(1980.10.10中電ホール)
・「火焔太鼓」「八百屋お七」
など。

第三回(2010年2月17日、全15作)
八代目古今亭志ん馬(1980.12.6中電ホール)
・「たいこ腹」「干物箱」
三代目桂 文朝(1976.4.13中電ホール)
・「長屋の花見」「元犬」
など。

第四回(2010年4月21日、全10作)
十代目金原亭馬生(1974.11.2名相銀ホール)
・「らくだ」「芝浜」
三代目三遊亭圓歌(1980.2.20中電ホール)
・「月給日」「品川心中」
など。

 そして、第五回目として6月23日に全10作が発売される中に、右朝のCDが一枚含まれるのだ。こちらは、東海ラジオの前掲のホームページには、まだ案内されていない。HMVで「なごやか寄席」で検索し、情報を入手した。HMV なごやか寄席
 右朝以外にも、桂文朝の『たらちね』『池田大助』、三遊亭円楽の『悋気の火の玉』『花見の仇討』、古今亭円菊『幾代餅』『まんじゅうこわい』『鮑のし』などなど、なかなか渋いラインナップ。

 右朝はもちろん買うつもりだが、発売済みの中から紹介した作品などにも食指が動く。かつて笑点で「キザ」を売り物に人気者になり、そしてその“偶像”のために悩みを抱えて苦労した小円遊の『宮戸川』と『へっつい幽霊』には大いに興味があるし、馬生の『らくだ』と『芝浜』のカップリングは、あまりにも贅沢。

 東京以外の地区での落語会の音源から右朝のCDが発売されることもうれしいし、東海ラジオの企画そのものにも拍手を送りたい。

 古今亭志ん朝の大須演芸場での名演や談志家元の地方口演における数々の伝説のように、東京を少し離れた落語会においては、噺家さんが肩の力を少し抜きながらも、その地域の純粋(?)な落語ファンの前で素晴らしい高座を披露することが少なくない。まだまだストックはありそうなので、今回のように歴史的にも貴重な音源の発掘が今後もあることを期待したい。また、東海ラジオ以外にも過去に落語を放送していたラジオ局には未発表の宝があるはず。ぜひ倉庫を熱心に探してみてください。とんでもないものが出てくるかも。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-26 17:02 | 落語のCD | Comments(0)
都内での仕事が少し早めに終わったので、久しぶりに末広亭へ。お目当ては小満ん、一朝、そして主任の雲助。これだけの渋い顔ぶれなら途中からでも値打ちがある。

午後6時少し前に入場したら伊藤夢葉さんの奇術の途中。
その後の顔ぶれとネタは次の通り。
------------------------------------
柳家小里ん 『碁泥』
入船亭扇治 『道具屋』
ホンキートンク 漫才
林家しん平 『笑い茸』
柳家小満ん 『蜘蛛駕籠』
(中入り)
隅田川馬石 『安兵衛狐』
翁家勝丸   太神楽曲芸
春風亭一朝 『芝居の喧嘩』
桂南喬   『替り目』
林家正楽   紙切り
五街道雲助 『子別れ(子は鎹)』
-------------------------------------

小里ん
寄席でこういうネタに出会えると、とても得した気がする。泥棒の表情が、なんとも可愛い。柳家の人材の豊富さを物語る渋い噺家さん。

扇治
白酒の代演。以前に同じ末広亭で白酒が誰かの代演で出て得した気分になったことがあったので、これでイーブンか。端正な落語だが、やはり今の白酒と比較すると物足りなさを感じるのはやむをえない。

しん平
この人が漫談ではなく落語をする寄席に出会うのは、実は初めて。加えて、立川流以外では初めてこの噺を聞いた。円朝作と言われるこの噺、三代目三遊亭金馬が得意にしていた。今は家元仕込みで立川志遊が演る位だろうと思っていた。本来の噺は45年間笑ったことがない仏師の長兵衛、仏頂さんが主役。寄席で、しかもこの人で聞けるとは思いもしなかった。「落語、出来るんじゃないか。結構いけるね」というのが本音の印象。その昔、三題噺で円丈を唸らせただけの力量はあることを確認できたようで、うれしかった。

小満ん
寄席ではさすがにサゲまで演じることはできないが、この噺のエキスは十分に伝えてくれたし、先日の喬太郎の会でも魅せてくれた“江戸の粋”を十分に楽しむことができた。「あ~ら、熊さん」の一言が、まだ耳に心地よくの残っている。あらためて、この人の良さを寄席でも感じることができた。その語り口がなんとも言えない。いいんだなぁ、こういう噺家さん。

馬石
久しぶりだが、まったく予想外のネタ。よくかけるのだろうか。今朝都内に向かう電車の中で携帯音楽プレーヤーで聞いていたのが枝雀の『天神山』だったこともあり、「偏屈の源兵衛~」の一言で、少し身震いがした。『天神山』(あるいは『墓見』)では、“変ちきの源助”。名人三代目小さんは数多くの上方ネタを東京に移植したことでも落語界への貢献度は高いが、このネタも小さんによって箱根の山を越えた噺。。志ん生の音源はよく聞くのだが、寄席や落語会で聞くことは滅多にない。ぜひ今後もこの噺を大事にして欲しい。師匠が主任の寄席での「喰いつき」として役目を十分に果たしたと思う。

一朝
途中ではさむギャグというか駄洒落がなんともうれしい。そして、噺が若々しい。メリハリの利いた語り口ながら、意外性のある地口で客席と一体化する技が、「寄席に欠かせない人」であることを再確認させてくれる。喧嘩が次第に拡大していくあたりのスピード感などもこの人ならでは。寄席じゃないと聞けないね、こういう噺は。

南喬
失礼ながら、こんなに味のあった噺家さんだったとは思わなかった。何度か寄席で聞いていると思うが、このネタは合っている。酔っ払いが、上手い。

正楽
小菊姐さんの代演。
今日のことを書くのは、正楽師匠には大変失礼なのだろうが、滅多にないことだし洒落として書かせてもらう。挨拶代わりの「相合傘」のあとに出たお題が「五代目志ん生」。何度も切ってきたはずなのに、なんと最初は「切っているうちに文楽になっちゃった」と反古に。そしてその後の二回も出来が気に入らなく、前座に紙を持ってくるよう頼んで、ようやく四回目で、ご本人は満足していないながら完成。その後のリクエスト「助六」を切りながらいつものギャグを言う姿も本調子ではない。こんな正楽さんは初めて。「今日は、どうも・・・・・・」と言いながら苦笑いをし頭を低くして下がって行かれたが、なんとも珍しい場面に居合わせた。

雲助(20:35-21:00)
いわゆる『子別れ・下』。なんとも複雑な心境。もちろん、しっかり演じていたのだが、何か物足りない。あえて無理に泣かせようとしない演出だとは思うが、あまりにも端正すぎ、というかドライすぎる。やはりこのネタは、わかっていてもクサく、泣かせて欲しい。主任の三日目、いろいろとネタ選びの難しさもあるだろうが、鈴本との相違を考えすぎているのではなかろうか。時間制限もあるが、雲助のトリとなると客の期待は違うところにあると思う。このへんは非常に難しく悩ましい。


今日は、一番驚いたのがしん平の落語(?)。もっとも期待通りだったのが小満ん。希少なネタで喜ばせてくれたのが馬石。歴史的な(?)日にめぐり合った正楽さん。主任のネタ選びの難しさを感じた雲助。そして、もっとも寄席に来て良かったと思ったのが一朝、という感想。
寄席には、いろんな発見や出会いがあって落語会とは違う楽しさが豊富だ。来て良かった。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-23 23:11 | 落語会 | Comments(3)
初回は4月11日の日曜日に総合テレビだったようだが、見逃していた。ようやくBSでの再放送を収録して見た。
2004年から放送されているこのシリーズで、落語家をはじめ“寄席”に出る演芸人で登場した人は次のような顔ぶれ。
-------------------------------------
2005年 柳家小さん 江戸家猫八
2006年 夢路いとし
2008年 柳家金語楼
2009年 桂枝雀
-------------------------------------

そして、今回の志ん朝である。人選や順番に何らかの法則などはありそうには思えない。少なくとも、NHKに映像ライブラリーがあることが、大前提の番組。
小さんは2002年に亡くなっているのにたった三年で“会いたく”なったらしい。その前年に亡くなった志ん朝には、なかなか“会いたくなかった”のか、とひねくれてはいけない。ようやく登場させてくれたのだから。

冒頭のスタジオでの収録と思われるネタは、『風呂敷』だろう。
途中で挟まれているのが、どの番組か分からないが、立木義浩さん、三ツ矢歌子さんと一緒に登場している対談。その中でも語っているが、志ん朝ファンなら周知の事実として、19歳で父志ん生に入門したものの父親の落語は天性のもので学ぶには難しく、先代の正蔵のところに二年近く通って基本をみっちり習った。しかし、『風呂敷』は父に習ったか、楽屋袖で見て聞いて習得したはず。
また、対談の中で立木さんの「粋とは何か」というい質問に答えて語る会話が良い。下手な地口になるが、「粋」に関するセリフが「粋」だった。それは普通に何かを食べていてうまいのは当り前で、何かひと工夫して意外なうまさを味わい、そういった工夫も含めて、これも“粋”という説。落語と同様に分かりやすくて納得感がある。立木さんが昭和12(1937)年生まれだから一つ年上、三ツ矢さんが談志家元と同じ昭和11(1936)年生まれなので二つ上、同世代でのトーク番組だったのだろう。

昨年の同じような時期に枝雀を見た感想を書いたが、その時ほどのせつなさはなかった。
2009年4月11日のブログ
なぜだろう。もしかすると、その最後のあり方の違いによるのかもしれない。あるいは、その音源に毎日のように接していて、亡くなったという感覚が風化したのかもしれない。まだまだ、私にとってはバリバリの現役ですから、名人志ん朝は。携帯音楽プレーヤーで他の人のネタを加える時、やむを得ず志ん朝さんのどれかを消すのに、いつも逡巡する。

東京落語会の映像では『大工調べ』と『愛宕山』が流れた。

志ん朝一門による『よってたかって古今亭志ん朝』(文春文庫)の巻末附録を確認してみた。
志ん朝一門 『よってたかって古今亭志ん朝』
『大工調べ』がこの会で演じられたのは4回。その月日と当時の年齢は次の通り。
昭和38(1963)年2月15日、24歳。
昭和47(1972)年4月14日、44歳。
昭和58(1983)年11月18日、45歳
昭和61(1986)年5月16日、48歳。
あらためてテロップを見たが昭和59年とあった。昭和58年の間違いではなかろうか。
そんなことより、年齢差が二まわりある24歳と48歳の『大工調べ』を聞き比べることができたら、さぞかし楽しいだろう!「落語はライブだ!」と言って、故人のCDを聞かない人もいるから人それぞれだが、私はぜひ聞きたい。ちなみにSONYから出ているCDは昭和56(1981)年4月14日の「志ん朝七夜」四日目の音源で当時43歳、落語研究会のDVDは平成元(1989)年4月25日の収録だから51歳のとき。志ん朝二十歳代の“啖呵”が聞ける音源は、まだ発売されていない。

『愛宕山』は東京落語会で3回。
昭和49(1974)年4月19日、36歳。
昭和57(1982)年9月17日、44歳。
平成5(1993)年4月16日、55歳。
亡くなった時の追悼番組で放送されたものと同じ55歳の時のもの。しかし、今回放送されたのは10秒くらいか。

他にも寄席で『粗忽の使者』のマクラの部分がほんの数十秒流れた。これだって全編あるのなら貴重な映像。


これまでにも何度も書いてきたが、NHKには大量の落語のライブラリーがあるはず。志ん朝の東京落語会への出演でさえ、昭和34(1959)年10月31日に21歳、二つ目時代で出演した際の『元犬』から、亡くなる年の平成13(2001)年2月16日『干物箱』まで、なんと71回。
個人的には、DVDではなく、音源のみをCDでNHK出版など子会社からでも発売して欲しい。ご遺族との相談など、いろいろとステップも必要なのかもしれないが、ぜひSONYの京須さんばかりが志ん朝ではないという意地を見せてもらいたい。
涎の出るネタが盛りだくさんのはず。
たとえば昭和51(1976)年から昭和57(1982)年まで計19回開催された三百人劇場での「志ん朝の会」の音源は、その多くがCDで発売されているが、昭和52(1977)年3月23日の会での『花見の仇討ち』は、六部(ろくぶ)を「りくぶ」と言い間違えてしまったので発売されていない。弟子達は前掲の書のなかで、その出来栄えが素晴らしかったので大いに残念がっている。主要なホール落語会でこのネタを演じたのは、実はこの会と昭和50(1975)年4月18日の東京落語会の二席のみ。ぜひとも聞きたいではないか。

 志ん朝さんの落語は、日本国民の文化的・歴史的財産である。NHKの倉庫に死蔵されたままでは、あまりにも残念だ。思い出したかのように正月番組などで少しづつ放送されたりはするが、今のように小出しにしていたら、せいぜ一年に一席づつお目にかかれる位である。まことに歯がゆい。赤字体質のNHKにとって、志ん朝のCD発売はビジネスとしても十分に魅力があるように思うのだが、いかがでしょうか。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-22 12:10 | テレビの落語 | Comments(0)
高円寺は吉田拓郎の歌で記憶に残っているが、駅を降りたのは初めて。雨の高円寺、駅から徒歩5分のところに、洒落た「座・高円寺」があった。地下二階の「座・高円寺 2」は約250席の会場。ほぼ満席。
演者とネタは次の通り。
---------------------------------------------
(開口一番 柳家小んぶ 『子ほめ』)
対談  柳家小満ん、柳家喬太郎
柳家喬太郎 『たらちね』
柳家小満ん 『盃の殿様』
(中入り)
柳家喬太郎 長いマクラ&『擬宝珠』
---------------------------------------------

対談 (19:11-19:38)
こんなに緊張している喬太郎を初めて見た。それもそのはずで、学生時代に当時の本牧亭で行われていた小満んの会の受をしており、入門後、前座時代には同期の扇辰と交互に小満んの会の前座をつとめ、袖からその芸に接するのが楽しみだったらしい。そして、本来はうれしいはずの二つ目になる時、扇辰と二人で小満んの会の前座をできなくなることだけが残念だった、と述懐した。ある意味で“憬れ”の人であり、喬太郎の言葉を借りるなら落語協会で一番“素敵な”人とのこと。小満んが八代目桂文楽に入門したのが昭和36年。喬太郎の生まれる二年前である。文楽の下に十年。文楽の死後に五代目小さん門下で真打となった小満んは、その経歴のみならず、ご本人の持つ「古典の風」「江戸の粋」が素敵なのだ。この対談でも、ある川柳から発案した、気心の知れた仲間で催した粋で豪快な花見の思い出話があったが、なかなかオツでした。広小路の飲み屋で出会った“江戸っ子”の話なども含め、いやぁ~楽しかった。最初の師匠の思い出を語った本のタイトルで表現するなら、まったくもって「べけんや」でげす。
*小満ん師匠が文楽の思い出を綴った本『べけんや -わが師、桂文楽-』は、河出文庫で再刊されていて入手しやすくなっています。お奨めします。柳家小満ん 『べけんや -わが師、桂文楽-』
喬太郎も噺のマクラで語っていたように、寄席の楽屋ではせいぜい二言三言の会話なので、今日の楽屋や対談での貴重な会話が、落語という芸の伝承のための重要な時間であったとも思う。対談のクロージングで、喬太郎はお約束の冗談で言っていたが、私は全編二人の対談でも良かった位である。それだけ落語愛好家にとっては貴重な、戦前(この言葉も死語になりつつあるなぁ)生まれの江戸っ子噺家が、気取りなく語る楽しい話だった。そして、客席と同じようにやや緊張しながらもワクワクと小満んの話を拝聴する喬太郎の姿が謙虚で初々しく、非常にいい雰囲気だった。

喬太郎『たらちね』 (19:39-20:00)
本寸法のたらちね、と言ってよいだろう。まだ緊張感の残る中、この後の小満んの長講への膝替りとしてあっさりと、かつしっかりと演じた。何度聞いても、紙に書いてもらった“名前”を八五郎が読み進むうちにお経になる演出が、誰がやっても変わりなく見えるようで、この人はすこぶるよろしい。

小満ん (20:01-20:31)
米朝が語るところの、“スケールの大きな”東京の落語。
*その米朝の言葉を引き出した小沢昭一さんの本『小沢昭一がめぐる 寄席の世界』のことは以前に書いたので、関心のある方はどうぞご確認のほどを。2008年10月4日のブログ
吉原の情景や花魁道中を語る部分などに、なんとも言えない臨場感と納得感がある。昭和33年3月31日の“その時”に師匠は16才。ぎりぎり間に合った世代だろう。このネタは、最近では喜多八が持ちネタにして、ある意味“復活”してくれた。師匠の場合は、ご本人が説明されたわけではないが、想像するに六代目円生に稽古をつけてもらったのではないだろうか。文楽はもちろんのこと、小さんも持ちネタにはなかったはず。あの時代でこのネタなら、ほぼ間違いなく円生だろう。稽古であげてもらっていないのなら、楽屋袖での独学かもしれない。短い噺でも、この噺のような長講であっても、終わった後に心地よく清清しい余韻が、今夜も残った。

喬太郎『擬宝珠』 (2045-21:30)
30分のマクラの大半は、大学卒業後に勤めた書店時代と学生時代に居酒屋でアルバイトしていた際のエピソード。とても細かくは書けない。また、途中で前の方の列でメモを取っていたと思しきお客さんがペンを落とした際、喬太郎がアドリブで、「ちゃんとメモ取れました。は~い、それでは今からメモタイムにします!どうぞ何でも書いてください。『また、いつもの本屋時代のマクラがつまらなかった』でも何でも結構です、ブログに書いてください・・・・・・」などど吼えたところが、実は一番受けた。私自身は開始と終了の時間以外はほとんどメモらないようにし終演後に記憶を辿ってメモるので、まったくメモタイムは必要ありません(笑)。さて本編は15分。お約束の、病の原因を熊さんが若旦那に聞きながら言うセリフ、「え~っ、女じゃない。じゃあ『崇徳院』じゃないんだ・・・・・・。」「じゃあ、みかんが食べたいんでしょ」で、結構会場が沸いたので、この噺を初めて聞くお客さんも多かったようだ。喬太郎が掘り起こした古典として、ある意味歴史に彼の名が残る噺。午前中の一朝師匠との会のネタは分からないが、夜の部の喬太郎流“古典の風”は、八っあんと熊さんのネタ一席づつ、ということでした。


 好企画である。ともかく、「一人のファン」「素の小原正也」になった喬太郎という人の姿を見て、またこの人の良さが見えたし、もちろん小満ん師匠は、そこに居て話をしてくれるだけでいい。落語は少し気張って大作に挑んでいただいたが、それこそ『千早ふる』でも『宮戸川』の前半だけでも結構。15分でもいいんです、あなたには十分に「古典の風」「江戸の粋」があるんですから。そして、そういう得がたい味わいが、今後の喬太郎落語に加味されていくのなら、と思うとワクワクするのである。
小満んを前にして、純粋無垢な一人の落語ファンとしての喬太郎の姿を思い出しながら、ほぼ雨の上がった高円寺を心地よく駅に向かっていた。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-20 23:39 | 落語会 | Comments(2)
昨日4月13日に立川談志が久しぶりに高座に上がり、かつ落語を演じたらしい。ネタは『首提灯』だったようだが、自分自身ではその出来に不満で、つい“引退”めいたぼやきも飛び出したようだ。
SANSPO.COMのニュースから一部引用する。
SANSPO.COMのニュース

 東京・新宿の紀伊國屋ホールで開いた立川流落語会。昨年9月以来、約7カ月ぶりの高座でいきなり「医者から子宮がんと言われた」などと笑わせ、かすれがちの声だがジョークを連発。最後に、しぐさをふんだんに交えた「首提灯」を披露し400人を沸かせた。
 だが、終演直後、客席に向かい、「もうダメですな…」。その後の会見でも復帰と銘打ちつつ、「引退に近い状況になりかねない」「自然消滅するのでは」「聞ける代物じゃない」。強気でならした談志がボヤきまくった。
 「高座でしゃべる声が出ない」と納得がいかない様子だったが、「声さえちゃんと出れば」と今後に意欲もかいまみせた。所属事務所関係者は「芸に厳しいので落ち込んでいるだけでは」と話し、5、6月の一門会などには出席予定とした。


 素直に、そしてネガティブに反応するなら、円楽は『芝浜』、談志は『首提灯』が最後か・・・・・・。ということになるが、実際は事務所関係者のコメントのように、体調が為せる一時の弱気な発言なのだろう。これまでも、高座やテレビで同様のことを言ってきているので、あまり真剣に受け止めることはないように思う。
 しかし、体調やそれに伴う心理状態は、他人にはわからない。また、最後の高座の迎え方は必ずしも自分がコントロールできるものではない。

 例えば、古今亭志ん朝の最後。亡くなった翌日2001年10月2日の日刊スポーツから引用。

 関係者によると、今年7月下旬の北海道巡業でかぜをひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査で、末期の肝臓がんと分かったが、同20日まで浅草演芸ホールでの高座があり、病院から通った。高座で顔色は悪く、本人も「声が出なくなってきたので、迷惑がかかるだろうか」と気にしたが、休まなかった。
 高座を終えた同23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、聖子夫人ががんであることを告げた。末期までとは言わなかったが「あっ、そうか」と淡々と受け止めたという。この時、弟子たちだけに事実が伝えられたが、周囲は持病の糖尿病の悪化かと思っていた。
 9月23日に、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。この日午前8時に容体が悪化、最後は眠るようだった。


 この浅草演芸ホールの高座とは、あの「住吉踊り」の興行。過去に肝炎や腹膜炎の経験もあり、人間ドックに毎年かかっていたというから、なぜこんな急な別れをしなければならなかったのか、残念でならない。「住吉踊り」の後の時間は一ヶ月余りしか残されていなかった。自分が中心の「住吉踊り」だけは楽日までやり通したいということで病院から通ったところに、陳腐な言い方になるが、“男の美学”を感じる。
 ただ、入院後から亡くなる前までが悲壮感ただよう状況だったかと言うと、そうでもない雰囲気もあったようだ。8月24日からは大塚の癌研に入院したのだが、その時の志ん朝の様子を、弟子達による『よってたかって 古今亭志ん朝』(文春文庫)から引用。
志ん朝一門 『よってたかって古今亭志ん朝』


志ん橋 癌研へ移っても初めの頃は師匠も元気でね。一緒にいて、テレビを
    見てると看護婦さんが側を通る。
    そうすると、互いに目を合わせて、
   「お前見てただろう?」
    「ええ、いい女だったですね」
    なんて言ったりしてね。あと、感心したのは師匠が絶えずオーデ
    コロンを持ってこさせるの。
   「何でこんなことするんですか?」って聞いたら、
   「お前、分かんないのかよ。看護婦さんや、来た人が嫌な思いを
    するだろう」って、つまり、病人だから変な臭いがするからって
    んで、気を使っていたんだね。
志ん馬 「看護婦ノート」を読んでると、最初の時は面白い話が出てくる
    もんね。
八朝  師匠が朝太に背中を押してもらいたいから、
   「おい、押してくれ」ったら、朝太が車椅子を押したって話だとか(笑)、
    看護婦さんが来て、
   「具合は悪くないですか?」って聞かれて、居なくなった後で師匠が、
   「具合が悪いからここにいるの」(笑)って言った話は傑作だね。


 微笑ましい師弟の姿が想像できる。

 志ん朝の兄である十代目の金原亭馬生が、晩年に楽屋で湯呑みの酒をあおってから高座に上がった話は有名だが、実はこの行動は誤解されていたことを、志ん朝が『もう一席うかがいます。』(河出書房新社)の中で語っている。
古今亭志ん朝 『もう一席うかがいます。』


志ん朝 よく誤解されるんで、言っておきたいんですけど、兄貴は楽屋に
    入ってくると、前座さんに酒を買ってこさせて、高座の前にグゥーツ
    と飲むんですよ。やる前に酒飲むなんて不真面目だって、みんな
    そういうふうに思ってた。ところが、その時には、すでに食道癌
    でしたから、食道のなかに癌がいっぱいできて、ものが通らない。
    お肉や野菜のスープを、治子夫人がこしらえて飲ませますから、
    栄養は摂れる。でも、力になるカロリーがとれない。それで、お医者
    さんが、「しょうがない、流動物でカロリーをとるためにアルコール
    を摂りましょう」と。そうすれば噺ができるってんで。だから高座の
    前でないと意味がない。それで飲んでいたんですよ。なのに兄貴は
    絶対に人に説明しなかったんです。

 
 これまた男の美学といえるだろう。

 さて立川談志の引き際について書く時、あえて古今亭の二人のことを引用した。それは、談志へのエールを書きたいためであり、また談志らしさが光った時代には、それを反射する対照的な同時代のライバルがいたことを思い出すからである。家元に“男の美学”を説こうなどとはこれっぽちも思っていないし、おこがましいことである。
 家元は「落語は業の肯定」を提唱する人である。人間の弱さ、醜さなどを落語は肯定しているところに意味を見出している。そして、立川談志という一人の落語家としても、人間の弱みをさらけ出すことに何らためらいはないだろう。馬生、志ん朝兄弟が引き際に示したような行動はとらないだろうし、それとは対極にある発言や行動が今後もあるだろう。それでいいと思う。声の調子が悪かろうが、大いに吼えてほしい。

 体調が戻ったら、また高座に上がって出来の悪さをボヤいて欲しい。ただし、円楽のように、名跡問題で禍根を残すような言動だけは期待していない。とは言っても、立川流の門下で談志の名を継ぎたいと思っている人はいないだろうなぁ。
 ちょっと“縁起でもない”ネタになってしまったが、まだまだ家元は大丈夫でしょう。いや、まだまだ家元には元気に毒舌を吐いてもらいたいし、立川流の行く末についても道筋を示して欲しい。決して安泰ではないのが、今はバブルな立川流だと思うからだ。そして、落語界全体にも、ぜひ意見や小言をもっと言って欲しい。かつて四天王と言われた人で残っているのは円蔵さんとあなただけなのだから。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-14 19:09 | 噺家の引き際 | Comments(2)
e0337777_11062500.jpg

菅野俊輔 『-古地図と名所図会で味わう- 江戸の落語』

 以前に紹介した河合昌次さんの本『江戸落語の舞台を歩く』が、“現在の落語の舞台”をめぐるための最良のガイドブックだとすれば、この本は、“当時の落語の舞台”に関して地理的・歴史的な背景を知ることのできる好著であるといえるだろう。
2009年6月1日のブログ
河合昌次 『江戸落語の舞台を歩く』

 もちろん、河合さんの本にも落語の舞台の往時の様子についての説明があるが、散策の参考とすべき地理的な内容が中心で、それはそれで大いに役立つ。本書は散策ガイドではないので、それぞれの噺に関連する文化的、歴史的な背景について古地図、切絵図、名所図会などの画像情報を効果的に使って解説してくれる。

 たとえば、『宮戸川』(別名『お花半七』)。
 この噺の発端では、半七が将棋(あるいは碁)、お花がカルタに興じるあまり帰宅が遅くなって家から閉め出される。二人の家は日本橋小網町。困った若い二人。半七には霊岸島に伯父さんがいるので泊めてもらうつもりなのだが、お花には近所に親戚がいない。お花は半七に、私も一緒に霊岸島の伯父さんの家に泊めてもらいたいと言うが、半七は伯父さんが“早飲み込み”の人で、もしお花を連れて行くと、どう思われるか心配だと言い、お花を振り切って霊岸島に急ぎ足で行こうとする。しかし、お花が足が速くて半七に追い付いてしまい、結局伯父さんの家を一緒に訪ねると、案の定伯父さんの早飲み込みから二階で一晩過ごすことになり、結局、二人は結ばれる。(詳しいことは本が破れていて分かりません・・・・・・。)
*ちなみに、現在このネタはここまでしか演じないが、珍しい『宮戸川・下』を、3月のTBS「落語研究会」で、柳家小満んで楽しむことができた。たまには、この会も良いネタ選びをするものだ。
 二人の家がある小網町から霊岸島の道中、私は噺では演出上ほとんどの噺家さんが相当端折っていてすぐに到着するのだが本当はもっと遠いのだろう、と思っていた。しかし、実際にこの二点間は非常に近いことがこの本に掲載されている「江戸切絵図」で確認できる。
 その切絵図には、次のような説明が補足されている。

 半七とお花が霊岸島の伯父さんの家に行くには、堀川(日本橋川)の鎧の渡しを利用するのが一般的ですが「夜遅くに」とありますから二人が通ったのは河口の箱崎橋と湊橋だったのでしょう。今では日本橋川と霊岸島(新川は、下り酒の問屋が多いところ)の周囲(亀島川)にしか水路が残っていませんが、当時は縦横に水路がめぐっていたのです。


 切絵図には、現在のJR東京駅近辺の東の方に日本橋小網町が位置し、その南側ほど近くに霊岸島がある。その霊岸島の南西の先には佃島が記載されており、こちらは『佃祭り』の舞台。『佃祭り』の主人公である祭り好きな次郎兵衛さんの小間物屋は、日本橋北の神田お玉ヶ池だから、この地図で神田お玉ヶ池-小網町-佃島の位置関係も確認できる。
 
 落語は、聞いてどれだけイメージを膨らませ、そしてその舞台にまるで自分がいるように“錯覚”できるかが鍵なので、こういった切絵図などで噺の舞台の位置関係が分かるのは、非常にうれしい。そして、この本は、位置的な情報に限らず落語の背景を解説してくれる。たとえば同じ『宮戸川』の章では、落語のあらすじはもちろん、この噺に関連して江戸時代の水路のこと、当時の結婚事情や二人が家を閉め出されるほど熱中していた娯楽のことなど多岐に渡って図なども適宜はさんで解説されている。
 
 もう一つ『長屋の花見』の章から少し紹介。ここでは、私の“マイブーム”といえる「旧暦」(太陰太陽暦)について触れられている部分を少し引用。

 江戸の花見は、三月上旬のイベントです。今とくらべると、ひと月ほど早いことになりますが、これは、今(新暦、太陽暦)と違う暦(旧暦)を用いていたことによります。月の運行を基準とし、何年かに一度、閏月を設けて(何月と定まっていません)季節のずれを調整するため、太陰太陽暦とよばれております。
 (中略)
 季節との関係は、一・二・三月が春で、四・五・六月が夏、七・八・九月が秋、そして十・十一・十二月が冬となります。今でも一月(正月)を新春・迎春、というのは、このことによります。また、例えば、初夏の初鰹は四月、七夕は秋七月の風物詩でした。


 そうなのだ。落語を楽しむなら、旧暦(太陰太陽暦)を知ることが実に重要なのである。「晦日に月は出ない」のだ。また、農作業で重要な天候のことも旧暦のほうがよほど確かな手がかりとなる。太陰太陽暦についての推薦書は小林弦彦著『旧暦はくらしの羅針盤』(NHK生活人新書)。
小林弦彦 『旧暦はくらしの羅針盤』
 また、旧暦や江戸時代の時間のこと、江戸時代の人が歩くスピードなどなどについては、現時点で堀井憲一郎さんの落語関連書で私がベストと思っている『落語の国からのぞいてみれば』を強くお奨めします。
堀井憲一郎 『落語の国からのぞいてみれば』

 例えば、小林さんの本には、19年に7回ある「閏月」の配置表が掲載されていて、昨年2009年には5月に閏月があったことがわかる。早い話が旧暦で去年は13か月あり、夏が長かったのだ。だから、天気予報で「昨年と比べて」という比較をするが、新暦で昨年対比をすること自体、誤りの元と言っても過言ではない。そして、今年の天候のことを、テレビの天気予報で「例年とちがって・・・・・・」と首をかしげていることも、旧暦ならばいろいろと説明がつくのだ。ちなみに、昨年2009年の旧暦元旦は新暦の1月26日だったが、今年は2月14日。ほぼ一か月近く今年の春(旧暦では一月から春)の訪れは遅いのだ。そしてまだ寒い日々が続くのは、何も地球温暖化ばかりのせいではなく、ある意味当然の自然現象とも言えるだろう。
 月の動きを元に太陽の動きとの誤差を閏月で調整してきた旧暦は、昔から農作業などで大切にしてきた暦であり、今でもアジアの多くの国では重要視されている。新暦の正月より旧暦の「春節」が大事なのだ。残念ながら日本は近代化という名目で明治5年に無理やり西洋のグレゴリオ暦に合わせてしまった。そして、近代化を急ぐお上の意向と新しいことへの適応性の高い民族性のため、今では旧暦がほとんど忘れられようとしている。しかし、本来農業国の日本は、他のアジア諸国同様太陰太陽暦を昔のように日々の生活に活かすべきだと思う。
*まぁ、競馬の「皐月賞」が新暦の5月でもなく4月(卯月)に開催されるという滅茶苦茶がまかりとおっているから、旧暦どころではないけどね。ちなみに今年で70回目のこのレース、5月(皐月)に開催されたのは12回だけです。そろそろ「卯月賞」に変更しますか・・・・・・。ちなみに今年の開催日4月18日は、旧暦で3月5日。ありゃ、旧暦でいえば“弥生賞”じゃん!?

 天気予報で、旧暦や閏月のことが正しく説明されているのを聞いた記憶がない。まったくもって気象予報士の勉強不足といえるだろう。二十四節気(詳しくは説明しませんが、立春や春分、夏至や冬至など、です)をネタにするなら旧暦をもっと勉強しろ、と言いたい。もし、旧暦の知識をベースに解説する気象予報士が登場したら、きっと人気になるはず。

 司馬遼太郎は日露戦争に勝利してから日本が誤った道を歩み始めたとして、明治38(1905)年を大きなターニングポイントと指摘しているが、私は旧暦(それまで何度か改暦があり、最後の暦は天保暦)からグレゴリオ暦(太陽暦、西洋暦)に変わった明治5(1872)年も、日本人にとって忘れてはならない“その時”だと思う。
*明治5年は12月2日までで、翌12月3日を明治6年1月1日として、新暦の時代が始まった。
 さて、少し旧暦ネタで発散してしまった。この件は別途書きます。
 
 この本の『長屋の花見』の章では、年末年始に暦売りが往来を歩いていたことや商売人が年賀状に暦を添えてお客さんに送っていたことなども紹介されており、ある旅籠(旅館)の暦入りの年賀状の画像も掲載されている。また、長屋のことについても浮世床の挿絵などをまじえて説明されているし、いわゆる“政談もの”には欠かせない「町役」の役割なども「町人社会のしくみ」として解説されている。
 
 あらためて言うが、それぞれの噺にまつわる江戸時代の地理(空間)的な背景、そして当時を知る歴史(時間)的な知識があればあるほど、いっそう落語の楽しさが深まることは間違いがない。章のタイトルになっているネタは十二だが、その中で関連して説明されているネタも数多く、なかなか読み応えもあるし、タメにもなる本。お奨めします。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-12 16:04 | 落語の本 | Comments(2)
喬太郎がしっかり説明してくれたが、主役の二人のみならずの、柳家の会。喬太郎も目当てであることはもちろんだが、久しぶりのはん治も楽しみだった。この秋真打昇進で小せんを襲名するわか馬や小菊姐さん含め、なかなか粒ぞろいの会。

演者とネタ。
----------------------------------------------
(開口一番 入船亭辰じん 『道灌』)
鈴々舎わか馬 『新聞記事』
柳家喬太郎  『寝床』
(中入り)
柳家小菊   俗曲
柳家はん治  『背なで老いてる唐獅子牡丹』
----------------------------------------------

辰じん(19:00-19:14)
この人は聞く度に上手くなっている。私が知る前座の中では頭一つ抜けている印象。語り口も良く、粋な江戸の香りは師匠選びが間違っていなかったことを物語る。会場を十分に暖めて、わか馬につないだ。

わか馬(19:15-19:35)
この噺を知らないお客さんが多かったようで、ネタそのものの可笑しさで会場は受けていたが、この人ならではの芸でも笑いを誘っていた。今秋小せんを襲名して真打に昇進するということを意識しすぎることなく、いつもの落ち着いたペースで、その声の良さも健在。今後どんな小せんになっていくのかが大いに楽しみだ。

喬太郎(19:36-20:08)
マクラで「今日は柳家の会」であることをしっかり押さえて本編へ。私にとってこのネタはうれしい誤算だった。前半は師匠さん喬と同様に、旦那が“人間ばなれ”した声で発声練習する場面が効いている。後半で魅せ場は、長屋の店子そして使用人一同が旦那の義太夫の会に都合が悪く参加できないことになり、茂蔵が“犠牲”になって義太夫を一人で聞かされそうになった時の、その狂わんばかりの落胆ぶり。この人の魅力はいくつもあるだろうが、私が好きなのは、本寸法でありながらもココという場面で、人間が本来持っているやや狂気めいた素顔をデフォルメした演出で描いてみせるところ。ともかく、終始会場をどよめかせた。この噺を初めて聞くお客さんも多かったようで、いつものにぎわい座とは違った空気ではあったが、喬太郎落語の出来は期待通り。
扇辰はすでに弟子をとっていて、その弟子はなかなか見どころがある。喬太郎はなぜか弟子をとらないが、そろそろ彼のDNAを身近で継承する者があっていいように思う。

小菊(20:20-20:33)
流石の芸と大人の女性の色気でした。小円歌姉さん、そしてうめ吉と比べ、艶っぽい都都逸ならこの姐さんが一番いい。もちろん他のお姉さんにもそれぞれ魅力的な芸があるが。(このへんは、微妙なバランス感覚が必要!?)

はん治(20:34-21:03)
新幹線の中での迷惑な携帯電話、というマクラからネタは察したが、桂三枝の新作をこの人は十分に自分のものにしている。風貌やそのハスキーな声などはトコトン古典のテイストなのだが、ネタは現代社会を反映した新作。この何とも言えない微妙なブレンドがこの人の魅力になっている。あの声で唄う場面が結構な味つけになっている。歌っているうつに『唐獅子牡丹』が『月の法善寺横丁』に化けていくところは何度聞いても笑える。同じ三枝作の『ぼやき居酒屋』とこのネタ以外にも、まだまだこの人らいい味のある噺を聞きたいものだ。もちろん古典でもニンな噺があるだろう。なんとか都合をつけて主任のときの寄席に行きたいと思った。小三治一門の底力のようなものも感じる噺家さんだ。


これだけコンパクトにして、かつバランスのとれた落語会は久しぶりのような気がする。“重厚”ではないが、それぞれの演者がニンな芸で魅せてくれた。あえて言うが立川流の人気者の落語会のような、あの奇妙な緊張感はない。例えば談春のように過度に照明を暗くすることも、もちろんない。
(あの“暗闇落語”はやめて欲しい。目が疲れるのだ。)
まぁ、立川流の、あの空気が好きな人もいるんだろうし、それは好みの問題。あえて言うなら、喬太郎は噺家で、談春はアーティストなのかな・・・・・・。どちらが上という意味ではなく。立て続けに二人を聞いて、そんな思いもした。個人的には、もちろん噺家が好きだ。喬太郎は競演だろうが、独演会だろうが関係なくしっかり噺を聞かせてくれる。

久しぶりに堀井憲一郎さんを見かけた。(スイマセン、バラして。有名税と思ってください。)
さて、誰が、あるいは何がお目当てだったのか。『落語論』についてちょっと辛口の感想を書いたが、次の作品を期待しているのでよろしくお願いします!

今日の落語会のみならず、柳家の顔ぶれは豊富で、将来も明るい。立川流の存在感も、もちろん十分にある。しかし、立川流もルーツは柳家。三遊をルーツとする古今亭も粒揃いだが、あくまで古今亭だ。歴史や落語界全体を考えると、やはり三遊亭にも他のライバル(?)に伍していくだけの力をつけて欲しい。はっきり言うが、人気者と抱き合わせで襲名披露興行中の円楽には、多くを期待できない。いくら笑点仲間の芸協の歌さんが支援しても、あくまで一時の興行としての盛り上がりでしかない。七代目円生襲名を争う鳳楽も、三遊派を復興させるだけの器ではない・・・・・・。こう考えると、やはり兼好の時代を待つしかないのか、と思う。3日の相模大野に続く今日のにぎわい座の後、桜木町の駅に向かいながら脳裏をかすめたのは、なぜかこんなことだった。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-08 23:01 | 落語会 | Comments(0)
地元といえる会場なのだが、今日が初めてだった。ともかく大きな会場、二階は席数が少ないが、1000席を越える一階はほぼ満席。天候もよく、落語ビギナーを多く含む観客で会場が埋まった。

演者とネタ。
-------------------------------------------
(開口一番 立川こはる 『真田小僧』)
柳家花緑 『二階ぞめき』
(中入り)
柳家三三 『花見の仇討』
立川談春 『慶安太平記-吉田の焼き打ち-』
-------------------------------------------

こはる(13:30-13:44)
着実に上手くなっている。金坊の語りにも独自のクスグリで味付けし、それが効いている。テンポもこれまた良く、下手な真打よりずっと上である。この人は“女”と思って甘く見ると他の噺家は痛い目を見る、そんな潜在力を秘めた逸材だ。

花緑(13:45-14:20)
二つ目時代の昔話で、談春との四谷寄席では客が70人だったという話や学校寄席のエピソードなどで引っ張りマクラがほぼ20分。15分の本編は、なかなかの味わいだった。実にカラッと明るく演じて会場を沸かした。このネタを最近の落語会ではほとんど聞かなかったので新鮮だったし、こういう味付けでなら、今日でも生き残ることができそうだ。若旦那の一人芝居がなんとも可笑しい。もしかすると、志ん生、談志の次は、このネタはこの人なのかもしれない、と思わせる出来だった。

三三(14:36-15:08)
今年のこの季節、このネタは兼好、一之輔に続き三回目。流石である。
あえて点数をつけるのなら、三三 90点、兼好 85点、一之輔 70点、といったところ。
長屋の仲間四名も助太刀する侍の二人も、生き生きとしている。会場が上野のお山になり、まさに仇討ちの場面に出くわしたような心待ちにさせてもらえた。この人は独演会もいいが、昨年の横浜にぎわい座での「十番勝負」もそうだったように、先輩落語家と競演する会の出来がすこぶる良い。気合いも入るだろうし、ある意味開き直りもできるのだろう。談春の場合とは逆で、競演することが好結果になるように思う。

談春(15:09-15:50)
黒紋付、袴での登場なので、「妾馬か、それとも講釈ネタか・・・・・・」と思ったところ、残念ながら後者だった。やはり、落語が聞きたい。この人が師匠家元と同様講釈ネタが好きなのはわかるが、私はこの人の本来の魅力の半分も出ていないと思う。地噺でのスピーディーな展開も悪くはないのだが、あまりにも落語的要素が少なすぎる。独演会で複数のネタをかける場合の一席が講釈ネタならバリエーションとしても良いと思うが、滅多にチケットの取れない人のたった一席のネタとしては、残念な選択だった。初談春のお客さんがどんな感想を持つのだろうか、そんな悩ましい思いで聞いていた。


もっとも笑いをとったのは花緑、もっとも唸らせたのが三三、そしてもっとも悩ませたのが談春、私にとってはそんな落語会だった。全体的には満足だったが、昨年2月に新百合が丘の麻生市民館で、たっぷり『三軒長屋』と絶妙のマクラ&『寝床』を味わった談春にだけは、物足りなさを感じた。
2009年2月14日のブログ
やはり、この人は独演会じゃなければその実力を発揮しきれないのかもしれない。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-04-03 17:44 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛