噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2009年 06月 ( 10 )   > この月の画像一覧

都内での仕事を終えて駆けつけてギリギリ間に合ったが、なんと大ホールでは吉田拓郎ラストツアーの二日目という大イベント。去年のこの会場の柳家さん喬独演会の時は大ホールが和田アキ子コンサートだったことを思い出した。
*大ホールと小ホールの間のロビーには拓郎コンサートの音が漏れてくる。大ホールは3階席まで含め約2500席がソールドアウトらしい。さて、小ホールは・・・・・・約400席がほぼ七分の入り。比べるものでもないが、今の自分には鯉昇こそ「ライブ」であり、私にとっての拓郎の「ライブ」とは、遠い昔のコンサートなのである。拓郎が木琴をたたき、バックバンドの゛猫゛のメンバーと唄った『ある雨の日の情景』など、未だに鮮明に思い出す。「つま恋 2006」もテレビで十分だった。あくまで人それぞれだが、ラストと言われてもプレミアチケットを無理して手に入れてまでして今の拓郎を見たいとは思わない。「あの頃」とのギャップを感じるだけだろうから。気になるのは『青春の詩』や『マークⅡ』は唄うかな、ということぐらいかなぁ・・・・・・。

さて、噺の話。ネタは次の通りであった。
----------------------------------
(開口一番 鯉八 牛ほめ)
鯉昇  蒟蒻問答
(仲入り)
鯉昇  御神酒徳利
----------------------------------

鯉八(18:31-18:46)
6月10日のにぎわい座と同じネタだったが、少しだが表情が豊かになった。大きな体で小さな仕草は変わらないが、これからの化け方に期待したい。

鯉昇『蒟蒻問答』(18:47-19:23)
得意の「タミフル」のマクラなどで落語通の多い会場を盛り上げて本編へ。「問答」の例を先に示してからの丁寧な導入。以前にもにぎわい座の睦会で聴いているが、これも鯉昇十八番の一つであり、ライブでなければ味わえない楽しさだった。

鯉昇『御神酒徳利』(19:40-20:38)
本寸法かつ鯉昇ならではの『御神酒徳利』を堪能した。学校寄席の話から始まる15分ほどのマクラの後本編へ。何と言っても主役善六とその女房がいい。算盤占いをする所作が、微妙なアクセントとなっていてなんとも可笑しい。神奈川宿での善六の弾け方などを含め鯉昇ならではのクスグリがちりばめられているが、ベースは本寸法だと思う。CDで聴いた三木助を途中で思い出した。でも、ここまでこの噺を爆笑落語に出来るのは、この人だけではなかろうか。

昭和48(1973)年に行われた圓生による『御神酒徳利』の御前口演も45分だったというから、ほぼ同じ位の所要時間。しかし、昭和天皇が今日の客ほど声を出して笑ったとは思えない。
*そう言えば、鯉昇の最初の師匠であった八代目春風亭小柳枝のことも、小島貞二さんの『高座奇人伝』の中の「変人さま言行録」で紹介されていた。とにかく“凄い人”だったようだ。

この人はライブで映える。表情、体の大胆な動きを含めた場面展開、などなど。権太楼と同様に枝雀からの影響を思わせることが、よくある。7月18日の朝日名人会でのネタも『そば清』ではなく『蛇含草』である。非常に楽しみだ。
鯉昇は見た目は別として拓郎(昭和21年生まれ)よりも七歳若い56歳。まだまだ「ライブ」で落語ファンを堪能させてくれそうだし、そう期待したい。今こそが“旬”のように思う。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-25 22:34 | 落語会 | Comments(4)

e0337777_09225754.jpg

小島貞二_高座奇人伝

 これだけ楽しく読んだ本は久しぶりだ。
 
 著者は大正8(1919)年生まれで、寄席や演芸の目利きのプロといえる小島貞二さん。立風書房の『落語名作全集』や『志ん生の噺』全五巻(現在は、ちくま文庫で発行)、そして志ん生『びんぼう自慢』の仕掛け人かつ編集者である。演芸記者として数多くの落語家と交流して得た、足で稼いだ情報を元にした貴重な本だ。昭和44(1979)年に立風書房から初版発行なので、約30年ぶりに蘇ったことになる。

 中心となる“高座の奇人”は下記の目次を読んでもらえば分かるが、タイトルとなった人だけでなく、その周辺の落語家や色物の個性的な面々もたくさん描かれている。そして、それぞれの奇人をおもしろ可笑しく披露しているだけではなく、さまざまな貴重な物語も明かされており、演芸史としても興味深い。
------------<目  次>-------------------
□鼻の円遊と珍芸四天王
    -変人さま言行録 1-
□気違い馬楽とめくらの小せん
    -変人さま言行録 2-
□三亀松色ざんげ
    -変人さま言行録 3-
□爆笑王歌笑純情伝
    -変人さま言行録 4-
余滴《あとがきにかえて》
--------------------------------------------

 著者の「余滴」によれば、明治、大正、昭和、そして戦後の代表を選んだとのこと。
 さて、第一章には、円遊の師匠名人円朝に関するこんな話がある。
 話芸ではなく独特の踊りが受けて「ステテコの円遊」と言われ、人気のピーク時には一日に三十軒の寄席を回った円遊に対し、いわゆる保守派、伝統派の噺家がにがにがしく思い、師匠である円朝の家に談判に言った時の逸話。
-----------------------------------------------------------------------
 さて、翌朝、お歴々が十三人もそろって、本所二葉町を訪れた。何しろ、
すべて一流中の一流、寄席では円朝と看板をならべる大真打ばかり。丁重
に迎え入れた円朝は、
「まァ、まァ・・・・・・さァ、どうぞ」
 と、座敷へ通す。そこには酒肴が用意してあって、間髪を入れず、芸者の
きれいどころが、三つ指をついてニッコリと登場。たちまち宴会がはじまった。
みんなきらいな口じゃァないので、すっかりいいご機嫌になる。そこへ、円朝
が紋服で現れて、
「じつは、ウチの円遊でございますが、みなさんのおかげをもちまして、
看板はあげさせていただきましたが、なにせ未熟者でございますので、
ステテコなどという妙なもので、ごまかしておりますが、けっして本筋の
はなしを忘れているわけではございません。まァ、今後とも、何かとお目に
かけられて、どうか末長く、お引き立てをいただけますよう、あたしからも、
よろしくお願い申しておきます・・・・・・」
 頭を下げて、うしろを向いて、
「さァ、おまえも、お取り持ちをしないかい」
 と、次の間にはべらせてある当の円遊をさしまねく。円遊は腕にヨリを
かけて、サービスにつとめたので、こう先手を取られて、ふり回されては、
さすがの十三人もきり出す言葉がない。結局、そのことはひとこともいわず、
かえって円朝にお世辞タラタラ、円遊を激励して、来るときのえんま顔を、
えびす顔にかえて、鼻唄まじりに千鳥足で帰っていった。
-----------------------------------------------------------------------

 この「十三人」の中には、三代目麗々亭柳橋、二代目(相撲の)古今亭志ん生などが含まれていたらしいが、円朝のなんとも見事な手綱さばきではないか。
 たまたま余興の「ステテコ踊り」で売れたとはいえ、その噺家としての力量を認めていたからこそ必死に円遊をかばおうとして考えた円朝の落語にも負けない優れたシナリオだと思う。円遊は、「ステテコ」の代名詞をはずして、その創作力、脚色の才能をもっと評価されていい噺家であろう。『野ざらし』『湯屋番』などは円遊が絶妙な滑稽噺に作り変えたからこそ、代々の噺家に引き継がれ今日まで残ったのだから。

 さて、第二章のタイトルは今日では大きな声では言えないなぁ。巻末にもことわっているように、差別用語として今や使えない単語が並ぶが、この二人の形容詞には決して彼らを蔑む意味はない。著者もそうだし、彼らを知る人々が、愛着を込めてこう呼んでいたはず。三代目蝶花楼馬楽は本名が本間弥太郎なので”弥太っぺの馬楽”とも呼ばれていた。弥太っぺとつるんで遊んでいたのが四代目の古今亭志ん生、本名が鶴本勝太郎だから”鶴本の志ん生”、そして初代小せんである。
 この三人の仲の良さは、「五徳の足」とうたわれていたと著者は説明する。火鉢の灰の中に埋めて鉄びんをのせる「三本の足」にたとえられていたわけだ。弥太さん、勝ちゃん、万ちゃん(小せんの本名は鈴木万次郎)の三人は、ただ同然の空き家で寝起きをともにしたこともあるし、吉原に行くのも一緒。驚くのは、三人揃って連続十四日間吉原に通い続けたというから、凄い。もちろん、そのツケが後々馬楽を狂わせ、小せんの視力を奪うことにもなったのだが・・・・・・。 
 馬楽がおかしくなる前、落語研究会に岡本柿紅の推薦で抜擢され出演し大絶賛された。一部の新聞は「名人馬楽」とまで誉めた。しかし、せっかくの波に乗るチャンスを潰してしまった。理由は”女”である。仕事に出かけようとすると当時の女房が金を払うから一席演って欲しいと頼まれ、『居残り佐平次』をたっぷり演った、という。しかし、その横浜から大金を持ってやって来た四歳年上の女は、持ってきた金を使い果たしたら弥太っぺをとんでもないなまくら者にして去っていったという。自業自得とは言え、名人馬楽あるいは四代目小さんはの可能性を潰したのは、なんとももったいない話だ。頭がおかしくなってからのいくつかの逸話は書くには少し物悲しすぎる。

 さて、小せんの方はめくらになってから、師匠三代目小さんのはからいで、有料で若手の噺家に稽古をつけていたが、この「小せん学校」には五代目志ん生、彦六の正蔵、そして六代目円生などが学ぶことになる。実体験に基づき郭噺が抜群だったと言われる小せん、今に残る『五人廻し』『居残り佐平次』『お茶汲み』などは、小せんが伝えた噺が元になっているというから、三十七歳の短い人生だったにもかかわらず、今日の落語界への貢献は小さくない。

 テレビで見た三亀松の晩年の姿を思い出す。あの何とも言えず粋で艶っぽい都都逸は、当時子供ながらにも耳に残る魅力があった。本書には、落語『風呂敷』を思わせる間男の逸話など、さまざまな”女”にまつわる話が書かれており、それはそれで楽しめるのだが、何にも増して印象深いのは、そんな女好きの三亀松と添い遂げた元宝塚スターの高子夫人の献身ぶりである。また、多い時には二十五匹いたという犬をはじめと様々なペットのエピソードも微笑ましい。

 三代目の三遊亭歌笑については以前にも書いた時に「純情詩集」の中の『銀座チャラチャラ』を紹介したので、今回は本書から『豚の夫婦』を引用する。
-----------------------------------
ブタの夫婦がのんびりと
畑で昼寝をしてたとさ
夫のブタが目をさまし
女房のブタにいったとさ
いま見た夢はこわい夢
オレとおまえが殺されて
こんがりカツにあげられて
みんなに食われた夢を見た
女房のブタが驚いて
あたりのようすを見るならば
いままで寝ていたその場所は
キャベツ畑であったとさ

-----------------------------------

 小島さんも書いているが「ペーソス」があって可笑しい。新作落語と言うより、ちょっとした“メルヘン”ではないか。歌笑については本書で初めて知ったことがたくさんあった。丙種合格の歌笑にさえ太平洋戦争の戦況きびしい時には赤紙が届き、ひと月ほど軍隊のメシを食べたこと、もその一つ。また、柳家金語楼が歌笑に与えた影響力の大きさもあらためて知った。そして何よりも印象的なのは、歌笑を支えた奥さん二二子(ふじこ)さんの深い愛情である。本書では、昭和38年に渥美清主演の映画『おかしな奴』が封切られたのを記念して建てられた三ノ輪の浄閑寺の「三遊亭歌笑塚」に、武者小路実篤の筆で次のように書かれていることが紹介されている。
   「古よりの言の葉に、山地水明の地、必ず偉人を生じるとかや。
   アアされどわれ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き
   落語家歌笑をはぐくみし故郷は南奥多摩絶景の地なり。
                             歌笑純情詩集より」


 本書を読みながら時に笑い、時にはしんみりとしながら、落語の奇人というよりも「偉人」達の人生を、ほんの少しだけ覗けたように思う。ちくま文庫には、こういう意義のある落語関連本の復刊を、ぜひ今後も期待したい。落語の良書復刊で頑張っている河出文庫とぜひ競って欲しいものだ。

[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-24 17:47 | 落語の本 | Comments(0)

『三枚起請』の謎

談春・喬太郎の関内ホールでの二人会。その第二部での談春のネタ選びに疑問を呈したのだが、どうやら、その謎が解けかかってきた気がする。

落語ファンの皆さんのブログから、6月8日の三三独演会で、三席目に『三枚起請』がかかっていたことが判明。そして、6月10日の談春一門会でも50人の客を前に談春がこのネタを披露していた。
-------------------------------------------------------------------
6月8日(月) 月例三三独演会(国立演芸場)
三席目『三枚起請』

6月10日(水) 談春一門会 第二部(らくごカフェ)
談春『三枚起請』

6月17日(水) 談春・喬太郎 二人会 第二部(関内ホール)
談春『三枚起請』
-------------------------------------------------------------------

そして、関内ホールの楽屋に三三がいたことが、喬太郎のマクラでわかっている。

「う~ん、談春は三三のために『三枚起請』を演じたのでは?」というのが、私の推理。

三三の独演会後の会話は次のように進んだ(んじゃねぇかな?)
---------------------------------------------------------------------------
三三 「兄さん、この噺を独演会でやったんですが、今ひとつこういう郭噺って
    つかみきれていないんですよね。」
談春 「そうか、じゃあ今度俺が演るから見に来いよ。そうだなぁ、17日の
    喬ちゃんとの二人会の打上げに参加するだろ、その時にかけるよ」
三三 「そうですか兄さん、助かります。舞台袖で勉強させていただきます。」
---------------------------------------------------------------------------

約束した談春だがこの噺をかけるのは久しぶり(およそ二年半前の第一回黒談春以来?)なので、10日の一門会でリハーサルした、という筋書き。

もちろん、まったく私の空想です。

この三つの会の全てに行った人は、十日間で三回この噺を聴いたことになる。『三回希少』(?)ということで表彰もんですね。(つまらない地口オチで、失礼しました・・・・・・)
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-22 12:08 | 落語会 | Comments(0)
麻生市民館は1,000名の収容力がある。私が行ったここ数年の落語会でほぼ満員にしたのは志の輔と談春だが、さすがに今日はほぼ六分の入り。それでも、主催者側が無理をして集客したのか、テレビで知っている吉弥を見ようと初めて落語会に来られた方が多かったのか、後述するようにマナー違反のご高齢の方が少なくなかった。
まずは、演者とネタ。
-----------------------------------
桂ひろば   動物園
柳家三三   のめる
桂吉弥    親子酒
(仲入り)
桂吉弥    狸の賽
柳家三三   井戸の茶碗
-----------------------------------

ひろば(18:31-18:49)
ざこばの弟子とのこと。特筆すべき点はないが、会場は意外に盛り上がった。それだけ「ちりとてちん」ファンで関西弁に抵抗のない落語ファンが多かったのだろう。

三三『のめる』(18:50-19:18)
マクラの小田急線ネタは、二日前の喬太郎の横浜私鉄線ネタに刺激されたせいではなかろうか。実は、喬太郎が談春との二人会でマクラを振っている時、「今、脇で三三が笑いころげているんです」と言っていたのだが、さすがに三三は舞台に出なかった。なぜ三三が関内ホールにいたかは不明。打ち上げに参加するため?
さて、このマクラの途中で一回目の「携帯」が鳴る。三三は「電話鳴ってますよ」と受けて客をイジッタが、それを笑う客が多かったのが、今日の客層を示していた。笑っちゃいけないのよ、ここは。
さて噺の話。上方では『二人癖』というこの噺は、吉弥とのふたり会というイベントを意識したものだろう。三三のこの噺でもっとも感心したのは、半さんの詰め将棋の場面。なかなかサマになっているのだ、将棋の指し方が。実際好きなのかなと思った次第。

吉弥『親子酒』(19:19-19:45)
拍手と笑いの量で、「今日はちりとてちんファンが多い」ことを確信。それを見越した吉弥も新たなテレビ出演の話題などをし、三三の小田急線ネタに対抗して阪神電鉄ネタ。学生時代を関西で過ごした私には、結構笑えた。上方のこの噺は゛うどん屋゛とのやりとりが重要なのだが、さすがに米朝一門の中堅選手、しっかり笑いをとっていた。私には、ちょっと酔っ払い方が上品すぎるように思えたが、それは関東向けなのかもしれない。

吉弥『狸の賽』(20:00-20:15)
前座噺で15分の理由は今夜中に大阪に戻らなければならないから、とのことだが、釈然としない。

三三『井戸の茶碗』(20:16-20:54)
短いマクラから本編へ。屑屋仲間が弁当を食べた後に細川様のお窓下のことを話題にしている時に二度目の「携帯」が鳴る。いい加減にして欲しい。また三三は「電話の邪魔が入った」とイジって、これまた客の多くが笑うという始末。正直、この後の三三の噺はまともに聞いていなかった。思うに三三も集中して出来ていたようには思えない。携帯までは、結構いい感じだっただけに残念。


三三の二席目が始まってすぐに一組の高齢の夫婦が席を立ち、後半にもう一組が帰った。どちらも前のほうの席である。何かのっぴきならない理由でもあったのか?吉弥を目当てに来ていたのなら替わり目に帰ればいいじゃないか。

とにかく、今日はここ数年の落語会の中で、演者と客がつくるライブ作品として「ハズレ」であった。二度の携帯は論外。二席目を前座噺で早々に切り上げた吉弥を含め、非常に後味の悪い落語会だった。吉弥は二席合わせて40分である。その結果三三がたっぷりだったのだが、その二席ともに携帯での妨害があったのだから、三三も切れかかっただろう。

談春から吉弥への「三三をライバルとみなして頑張れ」という助言などもあって東西で開催されている二人会のようだが、噺家も客も人気に便乗しているだけでは、とても「一期一会」の素晴らしさなどは味わえない。
私は吉弥が初めてだったので期待していた。しかし、あの慌しさはいただけない。一席目が良かっただけに、次はどんな師匠吉朝ゆずりの噺をしてくれるか楽しみだった。米朝事務所が仕事を取りすぎるせいなら、事務所にも言いたい。「多摩川越えだからと言って東京郊外の客を馬鹿にするな」、と。これが吉弥との最初で最後の出会いとなるファンもいるかもしれないのだ。しっかり演じるだけの時間を確保できるスケジュール管理をすべきではなかろうか。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-19 22:33 | 落語会 | Comments(0)
珍しくプリリザーブの抽選に当たって関内ホールへ。一昨年の志の輔独演会以来だ。
会場の玄関前に「6月17日 桃月庵白酒独演会 小ホール-当日券有り-」の案内を見て驚く。
大ホールも当日券(たぶん二階?)があったようだが、キャパが違う。小ホールで白酒、正直なところ、心が一瞬ぐらついたが、冷静な判断(?)により大ホールへ。

まずは、演者とネタから。
--------------------------------------------
(開口一番 柳家さん弥  熊の皮)
柳家喬太郎 長いマクラ&純情日記・横浜編
(仲入り)
立川談春   短いマクラ&三枚起請
--------------------------------------------

ちなみに、会場に午後2時開演の第一部のネタが貼り出されており、喬太郎『死神』、談春『明烏』とある。喬太郎は昼は古典、夜は新作のバランスは分かるが、談春は昼夜とも廓噺となったわけだ。そう事前に決めていたのか否かは、もちろん不明。

さん弥(18:31-18:47)
いい味はありながら、これまではややバタバタしていたように思えたが、自信がついてきたのだろう、落ち着きが出てきたと思う。今日のお客さんは笑いの閾値の低い中高年の女性が多く、さっそく多くの笑いをとっていたが、必ずしも客層のおかげだけでもないものがあった。今後に期待。

喬太郎(18:48-19:33)
本人も言っていたが、よみうりホールから続いた二人会の最後ということで(演技のみならず)「弾けた」ところがあった。横浜にまつわる20分のマクラは絶好調のノリ。以前にも聞いている内容も多かったが、みなとみらい線が開通してからの東横線へのツッコミに、相鉄線、京急線など私鉄ネタは笑えた。私が今日一番拍手したのは神奈川県の某知事の禁煙政策への抗議。にぎわい座だって館内禁煙になったが、本当に腹立たしい。喬太郎の指摘通り、「分煙」は賛成、しかし、行き過ぎた禁煙の施策には病的なものを感じる。話を噺に戻そう。会場の笑い感度の高いヨコハマのお客さんを目一杯沸かせて、予想通りのネタへ。出だしで『黄金餅』を素材として使っており、途中の゛横浜デート道中言い立て゛が効く。初めて聞いたのだが、よく出来た噺だ。きっちり全体で45分でまとめた喬太郎ショーだった。

談春(19:48-20:33)
二人とも、計ったように45分。ちょっとだけ喬太郎をいじって本編へ。(喬太郎もちょっとだけ登場)。談春のこの噺は初めて。噺そのものが同じ花魁に起請文をもらった三人の滑稽噺ではあるが、談春は、ことさら明るく演じる。最後の喜瀬川の開き直りの場面は、この人らしい啖呵が聞けるかと思っていたが、意外にあっさり。う~ん、この内容なら、なぜこの噺だったのだろうという疑問がわく。喬太郎のご当地に目一杯ハマったマクラとネタに対抗するなら、もうちょっと別な選択もあったのではなかろうか・・・・・・。もちろん上手いし無難ではあったが、第一部と同じ郭ネタか、という思いもあり今ひとつ楽しめなかった。


この二人が落語会で最初に顔を合わせたのは、私の記憶では二年前の5月の府中の森だと思う。もちろん二人会ではない。前座噺しばりと二人で決めたらしく、私が聞いた昼の部での喬太郎『金明竹』、談春『道灌』は、ライバル意識めいたものも見え隠れし、結構新鮮で心地良かった印象が残っている。
もちろん、この二人会を企画したことは試みとして良いと思うし、話題姓もあったようだ。しかし、それだけに何か物足りなさを感じたのも事実。特に談春のネタの選択は疑問だ。会場の横浜というロケーションに喬太郎ほど思い入れはないだろうから地域性に過度に媚びることはないとは思うが、落語歴の浅いお客さんが多かったことはさん弥の受け方でわかったはず。”初談春”のお客さんに、”これぞ談春落語”ということを訴えるなら、『妾馬』や『三軒長屋』など、他に選択肢はあったろうに。また、季節感を踏まえた噺、神奈川に因んだ噺など、いくらでも引き出しがあったと思うので、昼も夜も郭噺というのはうなづけないし、残念。

ネタのせいもあるが、地の利を目一杯生かした喬太郎がやけに光った二人会だった。次もあるなら、圓朝怪談噺のリレーなど、あえて二人の競争心をあおるような企画を期待したい。単に”人気者の二人をそろえました”、だけでは、ある程度彼らの落語会への経験のある落語ファンは、彼らの独演会なら行くが、このような二人会なら敬遠し、自分好みの噺家を選ぶか、談春もマクラで誉めていた白酒など、「これから」の人に流れていくと思う。18:30開演でほぼ2時間ということの物足りなさも含め、関内駅までの帰り道では、「やっぱり小ホールだったかなぁ」という思いが募った。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-17 22:23 | 落語会 | Comments(0)

e0337777_16355403.jpg

柳家つばめ_創作落語論
 この本は昭和47(1972)年に発行されているのだが、文庫化されて初めて読んだ。読む価値は大いにあるが、読んでいてなんとも言えない”つらさ”と、違和感をおぼえたのも事実。

 最初の発行が昭和47年だから、立川談志家元が『現代落語論』を書いてから七年後である。
*つばめ、談志両師匠の敬称は以降省略します。あしからず。

 つばめは談志と同じ五代目柳家小さんを師匠とし、真打昇進も同時。だから談志が『現代落語論』の中で言い切った「新作落語は落語ではない」、という指摘を意識していなかったはずはないと思う。しかし、つばめが談志に反論するためにこの本を書いたわけではないということは読んでわかる。この二人の考え方が対立しているのかというと、実はそうではない。性格が違いすぎて喧嘩にもならなかったと言われるが、解題や対談で本書の理解を助けてくれる大友浩、夢月亭清麿のご両人が指摘する通り、落語に関する問題意識や考え方は、実は非常に似ている。

 談志は『現代落語論』で次のように書いている。
(第5章 わたしの落語論 −新作落語は落語ではない−より)
立川談志 『現代落語論』

 古典落語では当然のことながら舞台が江戸であり、時代が明治であってはとても今の世界を直接描けない。地下鉄もなければ、ロックンロールもないし、ツイストもエレキもなく、ビキニスタイルもでてこない。
 そこで、噺の舞台を現代に移した新作落語がでてきた。ジャズを楽しむ若者を登場させ、団地に住む若いサラリーマンの生活を語る。
 新作落語をやるというのはたいへんいいことだし、落語を現代に生かす最良の方法だと思う。ここまでは、いいのだが、現代人を登場させ、演じようとするのに、何故、古典落語の発声法と話法で演じるのだろう。
 あの古典落語の語り口で、新作を語るのは無理ではないだろうか。今、多くの新作落語を語っている人たちの口調でしゃべっている人間はどこをみたっていやしない。古典落語の発声法・話法は、その当時、そう語ったほうが噺として効果があったからやったのだし、それなのになぜ現代を描こうとする新作落語が、古典落語と同じ発声をするのだろう。


 このあと、森繁久彌の語りのほうが新作落語として優れている、などと指摘してから、次のように書いている。

 新作落語でも、古典の人情と同じことが語れるはずだ。昔は古典も新作だった、などという愚はいわないで、おおいに笑わせ、爆笑をさせればいい。ナンセンスで、またある時はチョッピリと部分的に現代を風刺して・・・・・・。今の発声法でいいのだ。お客さんはべつにイヤな顔はしていないんだし、新作落語というひとつのジャンルをちゃんと認めてくれているんだから・・・・・・。

 決して新作落語全面否定ではないのだ。

 談志の言いたいことは次のようになるだろう。

 ・新作落語そのものは現代を語るために必要だ
 ・しかし古典落語と同じ話し方では、現代に生きる観客には伝わらない
 ・むしろ、落語というスタイル以外の芸達者が、今にふさわしい話法で
  語る漫談のほうが現代の落語と言うにふさわしい

 たしかに、八っあん、熊さんの会話と同じ手法で、現代を語るのは奇異であり、現実感がうすい。
でも、これを言いたいのなら、「新作落語は落語ではない」などどいう見出しにすることはないじゃないか、と思うのだが、章のタイトルや見出しで刺激的な表現を使うのは、この二人の本に共通している。

 『創作落語論』の第1章は「古典落語は邪道である」であり、談志に負けず挑戦的なのだ。
 その第1章から引用しよう。

 まず第一に明らかにしておきたいのは、
「落語は大衆芸能である」
 ということである。
 私は、このことを絶対的な条件として話を進めるつもりだ。
「何を今さら、当り前じゃないか。誰だってそう思っているし、そうでない
 と思うやつなんかいるものか」
 とおっしゃるかもしれない。
 ちがうのだ。ハッキリいって、そういうあなた自身、私の話を聞いているうちに、その自信を失ってくるだろう。果して、自分は、落語を大衆芸能と思っていたのか、錯覚だったのだろうか、実質的には、まるでちがう考え方をしていたのだろうか、と思い出してくるに相違ない。

 こう刺激的な問いかけをするのだが、しばらくして次のような文章を目にすることになる。
「ほら、あのだんだん酔ってくるところ、二杯目と三杯目の酒の飲み方がちがうんだ。いや、はっきりじゃない、ほんのちょっとした呼吸がちがうんだ。うまいもんだねえ。」
「一つの場面にさ、五人出るじゃないか、それを、全部、演じ分けるんだぜ、名人だなあ!」
 結構だ。
 それを楽しみに来る客も多い。
 それを喜ばせるのも大切なことだし、それだけの芸をつくりあげるのは、なまやさしいことではない。尊敬できることだ。
 しかし、これは目的ではない。
 落語を聞かせる手段にすぎぬ。



 つばめも古典落語全面否定ではないことがよくわかる。

 では、彼の言う落語の「目的」とは何か、そして、なぜ「古典は邪道」なのか?
 彼の論は「落語」=「大衆芸能」という最初に提示した前提と、彼の考える「大衆像」に拠って立っている。同じ第1章の後半から引用する。

 人物表現、状況描写がみごと。これは、落語ではなくても、講談でもかまわないだろう。浪曲でも、物語でも、同じくらいにうまい人がいるかもしれない。いや、人物の表現だったら、役者の方が上かもしれない。
 では、落語の値打ちはどこにあるのだ。
「うまいこというなあ!」
「世のなかのことを、あざやかに突いてるねえ!」
「人の心を、えぐってるな!」
「ほんとだ!まったくそのとおりだ!」
 聞いて、こう感じさせるのが、落語の値打ちではないのか。
 ところが、今、いわゆる古典落語といわれるものは、この根本的な理想からはなれている。
 あまりにも、抹消的な技術の洗練にのみ浮身をやつし、何を、いかに落語にして大衆を満足させるか、という、真の落語精神の伝承というものを、忘れ去ろうとしている。

 非常に悩ましい文章である。つばめの考える大衆とは、世の中のことをうまく突き、人の心をえぐることを欲している人々であり、「手段」である「芸」の部分を楽しむ人々は、彼の考える大衆ではないということになる。ちょっと、このへんのロジックが読んでいてつらいのだ。どうしても違和感がある。

 本書は素晴らしい部分ももちろんある。
 特に新作落語の分類は見事だ。彼は次の4つに新作を分けて説明してくれる。
 (1)新作古典
 (2)普通新作落語
 (3)現代落語
 (4)漫談落語

 この中で、噺家が自ら創作し、古典の話法による対話ではなく、現代の”語り”で聞かせるのが「現代落語」であり、彼が演っているのも、それであると語っている。談志が指摘した新作落語の話法の問題を解決し、新たな道を追求したという意味で評価されていいだろう。だから、この本は『現代落語論』における「新作落語への問題意識」に関する、つばめの「アンサーブック」という存在かもしれない。しかし、あまりにも現代と約40年前の環境が違いすぎる。

 つばめは代表作「私は栄ちゃんと呼ばれたい」をテレビで演り、それを見た佐藤栄作夫人からテレビ局に圧力があり、しばらくテレビ出演ができなかった、という時代にいた。たしかに、70年安保前後には、若い世代を中心に「大衆」をイメージした場合、落語本来の反体制精神を忘れず、鋭い社会風刺の姿勢を保つことに意味があったかもしれない。しかし、落語ってそんなに肩肘張って創作したり演じるものなの・・・・・・という疑問をはさまざるえを得ないのだ。

 よく考えてみると、昨今の寄席や落語会のマクラで政治や政治家をいじるネタが減ってきた。これは、ネタにするのも馬鹿らしいと思うほどのレベルの低さであるのか、はたまた大衆の好きな反体制的な意味合いがなくなってきたからなのか。もちろん、つまらないからネタにしない、ということもあろう。
つばめの活躍した当時の政治家批判というのは、ネタにするリスクもあったからこそ、その場の観客も楽しめた部分もあっただろう。「ここだけの話」という秘密会めいた喜びも含めて。しかし、今日では・・・・・・。
もしかすると、今、この本を読んで受ける違和感は、あまりにも政治や体制と大衆との関係が変わりすぎたからなのかもしれない。政治の世界のほうが落語的、といえる馬鹿馬鹿しいニュースが多すぎるし、彼らをネタにする時に、ある意味で弱い者いじめをしている感覚さえあるではないか。
つばめの時代の「大衆」と、今日の「大衆」があまりにも違うのだ。これが「違和感」の最大の理由だろう。

 本書を著してから二年後に45歳という若さで彼は亡くなった。それが読んでいる間の”つらさ”の理由の一つかもしれない。歴史に「もし-if-」はタブーだが、彼が生存していたら、今日の落語界における志の輔、喬太郎、昇太、そして円丈といった新作派の活躍を目にし、どういう感想を持つだろうか。あるいは、彼が今日の「大衆」を相手に、どんな現代落語を演ってくれるだろうか。

 彼なら間違いなく今日の大衆や環境に適した落語を創作してくれるに違いないと思う。そして、80歳を迎える新作落語の首領(ドン)として、若手新作派の良き相談相手になっているはずだ。そう思うことがこの本を読むことによる違和感、つらさを解消する唯一の方法のようだ。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-14 16:11 | 落語の本 | Comments(0)
客席はほぼ六分の入り。やや平均年齢の高い客層。平日では睦会ほどは入らないと思ったが、それにしてもこの二人をこれだけゆったりと楽しめたのは、ぜいたくだった。

ネタは次の通り。
-----------------------------
(開口一番 瀧川鯉八 牛ほめ)
瀧川鯉昇  千早振る
桂平治    妾馬
(仲入り)
桂平治    おかふい
瀧川鯉昇   船徳
-----------------------------

鯉八(19:00-19:13)
なんとも不思議な魅力のある前座さんである。体は大きく、やや“武闘派”のイメージ。噺の表情は硬いし、笑顔で話すべき部分も怖い位の顔つきで演じるのだが、それでも妙に味がある。表情はもっとつくる必要はもちろんあるのだが、“硬派”イメージの噺家として、文左衛門のようなタイプに育つ可能性はありそうだ。がんばって欲しい。

鯉昇『千早振る』(19:14-19:43)
お辞儀をし会場を見渡しての一呼吸。ちょっと空席の多さにがっかりしているような表情があったように思うのは私だけだろうか。しかし、いつもの鯉昇ワールドである。鯉昇オリジナルのクスグリにもちょっとづつ変化があり、楽しませてくれる。独自の構成として、金さんが家のはばかりの格子を突き破って裸足で旦那のところに来たため、旦那の家の掃除をさせれられるという話で笑わせるのだが、これが利いている。また竜田川がモンゴル出身という話の周辺も、たとえば「父親が豆腐をパオからパオへ一軒づつ売り歩いた」のだが、「あの安定性のあるパオでさえ傾いた」という部分は、以前に聴いた際にはなかったような気がする。サゲ近く、竜田川にドンと突かれた千早は、チョモランマに当たったおかげで地球を何周も回らなくて済んだ、というスケール感も秀逸。とにかく、現時点ではこの人の『時そば』と並ぶ代表作だと思う。音源も販売され私のiPodにも入っているが、少しづつ変わっていくことに、落語が生きていることを実感する。

平治『妾馬』(19:44-20:25)
珍しく赤井御門守がお鶴を見初める部分からのスタート。お城に上がった八五郎のワンマンショーは、お約束通り楽しいのだが、せっかくだから、見初める部分を省いてでも、本来のサゲまで演って欲しかった、と思う。この人ならば、という想定通りの内容と笑いなのだが、今一つ盛り上がりきれず、二つめのネタに期待し仲入りへ。*外に出て一服・・・・・・。

平治『おかふい』(20:37-20:57)
平治自身が経験した脳下垂体腫瘍手術の話(”痛い話”だが、失礼ながら笑えた)から本編へ。この噺は、寄席、あるいはライブでしか味わえないネタ。ある身体障害のことをテーマにしており、今日ではテレビ放映できないし、寄席でも滅多にかけられることはない。まさに落語らしい落語。詳しい筋書きなどは書かないので、下記の桂平治さんのサイト「噺の穴」をご覧ください。また興味のある方は圓生師匠のCDをお聞きください。たぶん、圓生しか音源は残っていないと思う。この噺、平治にはニンだと思う。ともかく笑いが止まらなかった。後半、私の席の近くのオバサン達は、ズッと笑いっぱなし。にぎわい座のお客さんの笑いは違和感がなく、会場の一体感があるのがいい。
桂平治の噺の穴_おかふい

鯉昇『船徳』(20:58-21:35)
初めての鯉昇版『船徳』。結論として、今日はこの噺だけでも十分に来た甲斐があった。久しぶりに涙を流しながら笑えた。また、周到な準備や稽古を背景に感じさせる構成でもあった。たとえば、本編の冒頭で「二階に厄介」になっている若旦那が、なんとか「うぐいす」を捕ろうとしたが失敗した、というクスグリは、上方落語の『鷺とり』でよく使われる内容なのだが、この人はこんな話も取り入れるのか、と感心。ともかく鯉昇が料理したらこの噺もこうなる、という絶妙な仕上がりである。船宿の女将さんが90度以上体を横に向いて客との距離感を示し徳三郎を叱る場面などは、一瞬桂枝雀を彷彿とさせた。また、船に乗ってから最初に「鉢巻」を”粋”に巻こうとする場面や、竿と櫓を漕ぐ仕草におけるこの人一流のデフォルメされた所作、そして最後のオリジナルのサゲまで、ほぼ全編に渡って会場全体に笑いが途切れることのない、大爆笑の『船徳』だった。この噺でこれだけ笑ったことは過去にはない。


『船徳』と『妾馬』は事前にネタ出しされており、特に『船徳』には期待していたのだが、それを大きく上回る素晴らしい鯉昇ワールドだった。平治の放送禁止落語も含め、やや仕事の立て込んだ時期であったが、この会に無理して来て本当に良かった。生でなければ、今日のネタの素晴らしさは十分には味わえない。今でも、徳三郎と客との船上における三人の絶妙なやりとりが目に浮かぶ。
瀧川鯉昇、恐るべし。あらためて、できるだけこの人に会いに行こうと思わせる会だった。

p.s.
館内で煙草が吸えなくなった。分煙結構、何なら小さなスペースでもいいから仕切りでも作って喫煙エリアを確保して欲しかったが、神奈川県の何とか言う知事のたわごとが影響しているのだろうか。マナーは大事だし、私は携帯灰皿を常に持参している。落語の世界で煙草をうまそうに吸う主人公達を見ると、一服やりたくなるのだが・・・・・・。今まで2階か4階に移動して吸っており、嫌煙者の方にも迷惑はかけていないと思う。玉置館長に言いたい!吸いたきゃ外へ出ろ、というのはいかがなものか。

[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-10 23:20 | 落語会 | Comments(0)
約2カ月ぶりの末広亭。顔ぶれが良い土曜とはいえ、仲入り前に二階席までほぼ一杯の盛況。
今日は、末広亭と池袋の顔ぶれの多くがかぶっており、池袋の昼席は喬太郎のトリなので、立ち見になると思い新宿へ。しかし、想像以上の混み方に驚く。11時15分から並んだおかげで、なんとかいつもの桟敷の前の方の席で楽しむことができた。顔ぶれと演目は次のとおり。

--------------------------------------
(開口一番 春風亭ぽっぽ  みそ豆)
桂笑生      八問答
ホンキートンク  漫 才
柳家さん喬   真田小僧
五明楼玉の輔  漫談&ガン告知(?)
アサダ二世   奇 術
柳家一九    そば清
古今亭志ん輔  夕立勘五郎
ペペ桜井     ギター漫談
柳家喬太郎   たらちね
柳家禽太夫   ちりとてちん
志げる      アコーディオン漫談
川柳川柳     ガーコン
(仲入り)
柳家喬之助   寄合酒
笑組        漫 才 
三遊亭歌武蔵  漫 談
柳家はん治   ぼやき居酒屋
和楽社中    大神楽曲芸
三遊亭歌之介  龍馬伝
--------------------------------------

ぽっぽ(11:53-12:00)
上手くなったと思う。今日は結果として小円歌と歌る多が休みで志げる、喬之助が代演となったので唯一の女流演者だったこともあるが華やかになって良い。芸の成長とともに、寄席にほどよい大人の色気を添える存在になることを期待したい。。

笑生(12:00-12:11)
来年の真打昇進が決まったが、それを口にしなかったことを評価したい。その余裕がなかった芸ではないので、あえて封じたのであろう。珍しいネタだが、この人は結構自分のものにしていると感じた。初めて聞くのだが、地味ながら旧きよき落語の世界を醸し出せそうな気がする。真打昇進からいっそう化ける可能性を感じた。

さん喬(12:23-12:33)
禽太夫との時間の入替えでこれだけ早い登場。この出番の変更も開始前の行列の原因の一つだったように思う。たった10分でも噺に抜かりはないし、「思う」という表現に関するいつものマクラも何度聞いても笑える。いろいろ都合もあるだろうに、休演ではなく短時間でも寄席ファンの前に顔を出してくれたことに感謝。

玉の輔(12:34-12:44)
開口一番のぽっぽと玉の輔、今日は小朝の弟子が二人出演したことになる。少ない弟子の人数を考えると結構珍しいのではないかなぁ・・・・・・。さて、前半の漫談は玉の輔ならではの落語界への自虐的ギャグがほど良いトゲがあり楽しめた。漫談で通すかと思ったら後半は新作ネタで、医者が患者にガンを告知することをテーマにしたドタバタ。タイトルには自信がない。彼らしいブラックがかった噺だが、う~ん、この噺なら漫談で通すほうが良かったように思う。

一九(12:58-13:14)
くじらについてのマクラは、この人の見た目に合っている、というと失礼かもしれないが、このガッチリした顔は、なかなか印象的。清兵衛の「ど~もぉ~」というセリフと、そばを食べながらの言い立ての妙、なかなか味わいがあった。

古今亭志ん輔(13:15-13:27)
今になってあの噺がたった12分だったのか、と不思議な思いだ。まったく初めて出会う噺。方言で浪曲を語ることをテーマにした爆笑落語なのだが、口、鼻などその表情は前のほうの桟敷で見るとなんとも迫力があった。「パッパカパ~」と走る馬の仕草はまだ目に焼きついている。なんとも楽しい噺にめぐり合えた。これが寄席の楽しみである

喬太郎(13:44-14:00)
池袋の主任との掛け持ちだが、こちらは古典だったので、向こうは新作だったかな。八五郎が花嫁に書いてもらった名前の由来「父は元京都の産にして姓は安藤、名は慶三・・・・・・」を読み上げるくだりの後半からお経になるあたり、流石と思わせた。「末広亭も手は抜きません」というような気概が伝わる芸をしっかり演じ、池袋に向かった。

禽太夫(14:01-14:16)
上方のみならず柳家は『ちりとてちん』であり、東京の他の噺家は『酢豆腐』。ノリの良い今日の客でも最初温まるのに時間がかかったが、さすがに最後に「ちりとてちん」を食べるシーンでは、なんとか盛り上げた。やはり、まだこの時間ではきついかな、という印象。しかし、小三治一門である、この後に書くはん治のように、今後しぶく輝くことを期待する。

川柳(14:33-14:52)
仲入り前は馬風の代演でこの人。78歳健在であることを確認できて良かった。本人いわく「まだ10年できそうだ」は、まんざらありえない話でもなさそうなお元気ぶりでした。

喬之助(15:03-15:13)
歌る多姐さんの代演。ほどよく丸みを帯びてきた気がする。それは体も芸も両方。粋、いなせ、という言葉は誰でも当てはまるわけではなく、その人固有の持って生まれた何か、にも依存する。この人にはそれがある。真打昇進の後しばらくは、少々あせりのようなものも感じたが、今日は安心して楽しめた。クイツキ10分でこれだけ客席を暖め返すことができるようになったのだから、次は主任で唸らせて欲しい。

歌武蔵(15:24-15:33)
はん治の時間を確保するためなのか、短めの漫談。しかし、いつも聞いている相撲ネタのマクラを膨らませたのだが、今日はこれだけでいくと決めて演ったいるのだろう、さすがの迫力である。特に「相撲取りはxxです」のセリフの”タメ”の演技には、心底笑えた。

はん治(15:34-15:54)
桂三枝の新作だが、『背なで老いてる唐獅子牡丹』もこの噺も、この人は見事に自分のものにしている。とにかく居酒屋の親爺と客のやりとりは、そこに居酒屋が現れた錯覚に陥るほどの技量であり、笑いも多いし、後味もよい。一門の後輩である禽太夫には、ぜひこの先輩を見習って、何か自分の世界をつくって欲しいと思うのだ。同じ噺でも何度も笑えるし感心する。私にとってはん治は、最近妙に気になるなる噺家さんだ。

歌之介(16:03-16:30)
ウケの良い今日の客席を、この人がこのネタでくれば、その笑いの渦は想像の通り。『B型人間』とのギャグのかぶりなど、気にもならない歌之介ワールドだが、聞く度に少しづつだが新しいギャグをはさんでいる。それも客席の反応を見ながら試しているように思えるところに、「えっ、結構稽古もしているのか?」と感心した。私は、三代目の三遊亭歌笑、先代(になった)さん平の次の爆笑派として、歌之介はもっと評価されていいと思っている。前にも書いたが、古典などもう忘れて、四分の一のギャグがかぶってもいいので、どんどん爆笑新作を出し続けて欲しい。


二階席を含むほぼ満員の客席。いままで多く見かけた前のほうの椅子席の女性の常連さんたちは少なく、桟敷、椅子席ともに若い女性客が多く、平均年齢は結構低かったように思う。今日のお客さんには落語はもちろん、漫才を含む色物も含め、「満足」、という空気が溢れていた。
寄席って、やっぱりいい。あえて「今日の一席」をあげるなら、志ん輔の浪曲の熱演。これはしばらく忘れないだろう。独演会では、まずかけそうにないし、落語研究会では想像もできない噺である(詳しく調べていないので、もしかすると過去に誰かが演っているかもしれないが)。
こういう噺に出会えるからこそ、また寄席に来よう、と思うのだ。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-06 20:19 | 落語会 | Comments(0)
e0337777_11055715.jpg

*東都両国大花火眺望(とうとりようこくおおはなびちょうぽう)。歌川国貞[天明6(1786)年~元治元(1864)年]の安政 4(1857)年4月の作品 。すみだ郷土文化資料館蔵。  

 この絵と後で紹介する広重の絵は、隅田川花火大会の沿革などでも参考にさせていただいたNPO法人「すみだ学習ガーデン」さんのホームページから拝借しました。

 もちろん河合昌次さんの『江戸落語の舞台を歩く』の中でも紹介されている噺。

 そろそろ聞く機会が多くなる季節になった。そう言うと、「え~つ、隅田川の花火大会は7月でしょう?」という声が聞こえそうだが、その通り今年の隅田川花火大会も7月25日(土)。しかし、この噺の題材である両国の川開きでの花火は、享保18(1733)年の旧暦5月28日に始まっており、新暦では6月20日頃、ということになる。
「すみだ学習ガーデン」さんのホームペーから沿革の抜粋。。
NPO法人「すみだ学習ガーデン」
---------------------------------------------------------------
□慶長18(1613)年
  徳川家康、駿府城で明国及び英国人を引見、花火見物。
□明暦3(1657)年 大火。
□寛文3(1663)年
  江戸市中に於いて花火の製造禁止。
   ・
   ・
(享保17年に大飢饉)
□享保18(1733)年 5月28日
  水神祭を行い、その際、両国川開き大花火創始。この時の花火師は、
  鍵屋六代目篠原弥兵衛。当時一晩に上げた花火の数は仕掛、打上げ、
  あわせて20発内外といわれる。
□文化5(1808)年
  鍵屋番頭の清七、のれんわけして、両国吉川 町で玉屋を名乗る。
□天保13(1842)年 5月24日
  幕府は、花火師鍵屋弥兵衛、玉屋市兵衛を呼び出し、大川筋の花火
  に代銀三匁以上の費用をかけることと、花火からくり(仕 掛花火)、
  筒物を禁止した。
□天保14(1843)年 4月17日
  吉川町花火商玉屋、将軍御成の前夜失火して所払いとなり、誓願寺前
  へ移る。(または深川海辺大工町とも)
□明治元(1868)年 6月8日
  両国の川開き挙行される。近年打ち絶えていたため、大盛況を極める。
□明治5(1872)年 5月28日
  両国川開きを挙行する。天候よ〈人出盛ん。納涼船の数、屋形船5隻、
  伝馬船70隻、日除船250隻にのぼる。
□明治6(1873)年
  両国川開き当夜、横浜在住の遊客便宜のため初めて汽車の臨時列車
  運転の旨、外字新聞に広告出る。上下あわせて3本。
   ・
   ・
□昭和37(1962)年
  交通事情の悪化により川開き大花火禁止。
□昭和53(1978)年 7月20日
  隅田川花火大会と呼び名をかえて復活。打上げ数は1万5000発。財源
  は公共予算 (東京都及び墨田区・台東区・中央区・江東区)が主体
  となり、住民を代表する実行委員会が運営にあたる。
□昭和58(1983)年 7月30日
  両国川開き250周年記念隅田川花火大会実施。
□平成15(2003)年 7月26日
  「江戸開府400年記念隅田川花火大会」を開催。記念事業として
  「和火」を再現する。
---------------------------------------------------------------

 この噺のマクラでもよく使われる台詞だが「江戸の名物、火事・喧嘩・伊勢屋・稲荷に犬の糞」とあるように、江戸時代は火事が多かった。有名な明暦の大火などもあり、当時普及しつつあった花火製造が中止されたが、享保17年の大飢饉の翌年、水神祭を行ったことが、両国川開きでの花火大会を始めるきっかけだったわけだ。
 この沿革には「玉屋」は「鍵屋」の番頭清七がのれんわけした店であること、そして玉屋が失火のため江戸から所払いになったことも記されている。しかし、その後も両国の花火における掛け声は「た~まやぁ~」が主流。それは、「か~ぎやぁ~」より言いやすいからとも、お上によって所払いになった玉屋への同情、あるいはお上への庶民の抵抗の表れとも言われる。

この噺のマクラでは次の狂歌がつきものである。
「橋の上 玉屋玉屋の人の声 なぜか鍵屋と言わぬ情(じょう)なし」
”情”は、鍵屋の”錠”にかけた洒落である。

花火大会の背景はこれくらいにして、噺のあらすじは次の通り。
(1)両国の川開きで、両国橋の上は見物人で大混雑している中、通りかかったのが
   商売物の、青竹で作った桶の箍(たが)の束をかついだ「たがや」。
(2)押されたはずみで、かついでいた箍がはずれ、そこを通りかかっていた馬上の
   侍の笠の縁をはがしてしまった。恥をかかされ怒る侍、平身低頭し詫びるたがや。
(3)たがやが侍に対し、いくら年老いた親のことなどを説明して詫びようと、侍は
   許す気配がない。しまいに開き直ったたがや、「血も涙もねえ、目も鼻も口もねえ
   丸太ん棒め」とべらんめい口調でののしった。
(4)勘弁ならない侍は供の部下に「斬りすてい!」」と命じたが、普段使っていない
   から刀は錆びてうまく抜けない。ついにたがやが刀を奪って供侍を斬った。
(5)やむなく侍が刀を抜いて斬りかかったが、またもこれを奪ったたがや、勢いあまって
   侍の首をはねた。その首が宙天に上るのを見た見物人、「あ、上がった上がったィ、
   たァがやァ~」でサゲ。

 ヤマは、まず最初にマクラにおける川開き情景描写にあり、本筋としては、最初平身低頭しているたがやが、ついに開き直り、両国橋上で大活劇をするアクションにあるだろう。
かつては、首が飛ぶのはたがやの方だったのに、幕末近くになって職人の給金も上がり寄席にたくさんの職人が通うようになってから、侍への抵抗もあり侍の首が飛ぶ噺になったと言われている。見物人達の会話は、それぞれの噺家の個性を発揮させる部分だ。

この噺のお奨めCDは、何と言っても三代目桂三木助、そして三代目三遊亭金馬。

 三木助の噺には、江戸時代の情景描写の妙がある。また、生の高座はもちろん見たことがないが、踊りの素養があって手さばき、指さばきも見事だったらしい。
次の広重の浮世絵のような情景が、噺を聞いていると浮かんでくる。
e0337777_11055702.jpg

*江戸名所両国花火の図(えどめいしょりょうごくはなびのず) 。 歌川広重[寛政9(1797)年~安政5(1858)年] の天保14(1843)年~弘化4(1847)年頃の作品。すみだ郷土文化資料館蔵。

三木助は「たがや」という商売についても、丁寧に説明してくれる。

 桶屋というのは、自店(ウチ)で桶を商いますのが桶屋、または桶を拵いる店(ウチ)が桶屋さんでして、箍屋さんてえのは、皆さんがお買いになった桶を長くお使いになっておりますと、箍が緩んでき
ましたり、少ゥし水ィ入りませんと弛んできましてねェ、水が洩ったりなんかいたします、そういうのを直してくれるのが、箍屋さん。箍の仕替えをいたしますので、箍屋というのが本当です。

(ちくま文庫『古典落語 正蔵・三木助集』飯島友治編より)
ちくま文庫_正蔵・三木助集*残念ながら現在増刷されていない模様。筑摩さんに皆で版を重ねるよう要望しましょう。

 三木助と金馬の噺の内容には共通点が多い。三木助は、この噺を『芝浜』と同じ四代目の柳家つばめに教わり、自分なりに工夫を加えたらしいが、金馬の師匠は分からない。しかし、金馬の噺は、そのオリジナルのマクラだけでも十分楽しめる。金馬はマクラで、その博識からさまざまな江戸時代の風俗や庶民の気風などを教えてくれる。たとえば、江戸時代の都都逸
 「鴨川の 水がきれいと自慢をするな くやしきゃ紫染めてみろ」
が紹介される。
 これは江戸の着物にこだわる人達が、京織物や友禅染めの評判が高く、高額でもわざわざ京都へ注文していたことへの江戸っ子のくやしさの現れでもあるが、「むらさき」だけは玉川上水でなきゃ色が出ない、という自負があったことを裏づけている。

 『胴斬り』『あたま山』や『首提灯』などと同様、ヘタなSFよりもSF的であり、荒唐無稽なことや残酷なことを描いていても決して下品にならず十分笑えて楽しめる、というネタの中の一つ。もちろん、季節情緒もたっぷり。加えて、死語となりつつある昔の仕事の名前を今に残す歴史的な意義だってある噺だと思う。地名もそうだが、昔あって今はない仕事を題材にした落語、ぜひ末永くたくさんの噺家さんが高座にかけ続けて欲しい。

桂三木助_たがや・三井の大黒
三遊亭金馬_たがや他
[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-03 12:17 | 落語のネタ | Comments(0)
e0337777_15111162.jpg

河合昌次_江戸落語の舞台を歩く


 落語ファンの多くがお世話になっていると思われるサイト「落語の舞台を歩く」を運営している河合昌次さんが、なんとも素晴らしい本を出してくれた。
 利き酒会の主催も長らく行われており、「吟醸の館」というサイトを構築されている。落語ファンにも「吟醸」さんとして知られているはず。落語一話ごとに現地を詳細に踏査され、現在の写真や江戸時代の地図なども含めた綿密な情報が掲載されている。私は、知らない落語やその舞台を調べる時は、まずこのサイトを参照させていただいている。
吟醸の館_落語の舞台を歩く

 このサイトでは、すでに170話を越える落語の紹介をされているのだが、本書では、その舞台を10の主だった江戸の地域ごとに章を区切り、落語ゆかりの場所を、写真や地図なども交え、懇切丁寧に紹介してくれている。落語ファンがそれぞれのコースを実際に辿ってみるための、素晴らしいガイドブックにもなっている。そして、最終章は「黄金餅」スペシャルとも言うべきもので、古今亭志ん生で有名な道中言い立ての道筋を、現在の地図上に昔の地名を付加して説明してくれる。

 最初の落語体験が小学校の時、NHKスタジオで先代の三遊亭金馬と初代の桂小文治だったという河合さんである。同類の落語の舞台を紹介する本は他にもあるが、その情報の質と量はもちろん、落語とその舞台を愛し落語ファンの心を知り尽くした著者の心やさしい文章は、他の比ではない。図や写真、地図が大きく見やすいので、本当にこの本を持って散策に行こうと思わせてくれる。

 そして紹介されている落語81話が、これまた「吟醸さん」ならではであり、各地域の代表的な噺が網羅されているのは当たり前だが、今日我々が聞くことの少ない次のような噺が含まれている。

-------------------各コースで紹介される珍しいネタと噺家----------------------
□浅草コース:『白浪看板』(三遊亭圓生)、『ぼんぼん唄』(古今亭志ん生)
□日本橋コース:『派手彦』(三遊亭円生)、『四つ目屋』(古今亭志ん生)
□両国・門前仲町コース:『開帳の雪隠』(三遊亭円生)、『名月八幡祭り』(三遊亭円生)
□亀戸天神コース:『怪談・阿三の森』(古今亭志ん生)
□上野コース:『ねぎまの殿様』(古今亭今輔)
-----------------------------------------------------------------------
 などなど。

 こういった噺が今日聞かれなくなった理由の一つは、河合さんがご指摘される通り、「江戸時代の地名も、諸事情で判らなくなったり、消滅したり」していることにある。市町村の合併やら統合やらで、昔なつかしい地名が消えていく傾向は加速している。日本人として旧き昔の地名消滅は、世界遺産に落書きするのと同様の歴史への冒涜だと思うのだが・・・・・・。歴史的な名称は、行政が変更を禁じるような対策が本当は必要なはずである。
だから、なおさら河合さんの地道な活動と、本書の発行が涙が出る位うれしいのだ。

 最近、「二番煎じ」「三番煎じ」の本を読んで落胆していた私には、まさに一服の清涼剤であった。

 河合さん、素晴らしい贈り物をありがとうございます。

[PR]
by kogotokoubei | 2009-06-01 11:49 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛