噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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古今亭右朝

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 今日4月29日は古今亭右朝の命日である。昭和23(1948)年11月2日 生まれ、平成13( 2001)年4月29日に肺がんで亡くなった。享年53歳。師匠志ん朝の後継者と周囲が認めた実力者は、これからという時期にこの世を去った。本名は田島道寛(たじま みちひろ)、東京都台東区浅草橋の出身。
 高田文夫とは日大芸術学部の同期で落語研究会で一緒だったが、高田文夫が右朝(当時の田島道寛)のあまりの噺の巧さに舌を巻き、彼には勝てっこないと落語家の道を断念したエピソードがある。しかし、田島青年はすぐに落語家になったわけではなく、最初は寄席文字の橘右近に師事し寄席文字の修行をする。

 落語家としての沿革は次の通り。
○昭和50(1975)年11月  古今亭志ん朝に入門し「志ん八」。
○昭和55(1980)年6月  二つ目昇進。
○昭和63(1988)年6月  真打昇進と同時に「古今亭右朝」を名乗る。
           *右近の「右」と師匠志ん朝の「朝」を取った名
           *過去には三遊亭右朝という名跡が二代続いたことがあるらしい。
           *落語協会の真打としてはちょうど100人目で昭和最後の真打
○平成13(2001)年4月29日  肺がんにより死去。
 
 師匠志ん朝の落胆は大きかったらしい。そして同年10月1日にその師匠も肝臓がんで他界した。 この年は、落語界にとっては忘れ難い一年となった。

 さて右朝の落語、その実力の一端は、華々しい受賞歴も物語っている。
■昭和59(1984)年3月
  第18回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞銀賞 *演目は『三方一両損』
■ 昭和60(1985)年
  第14回 NHK新人落語コンクール 最優秀賞 * 『片棒』
■ 昭和60(1985)年
  昭和60年度 第8回 にっかん飛切落語会努力賞
■ 昭和61(1986)年
  昭和61年度 第9回 にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞
■ 昭和62(1987)年9月
  第32回 国立演芸場 花形若手演芸会新人賞金賞 *『片棒』
■ 昭和62(1987)年
  昭和62年度 第10回 にっかん飛切落語会若手落語家奨励賞
■ 平成2(1990)年12月
  第45回 国立演芸場 花形演芸会金賞  *『二番煎じ』
■ 平成4(1992)年1月
  第12回 国立演芸場 花形演芸大賞大賞

 生前にテレビ朝日で製作された「右朝の落語定席」(全76話)やMXテレビで制作された「東京落語図絵」は、今でもCSで放映されており、根強いファンがいると思う。

 酒癖が悪かったと言われているが、酒席での話題もほとんど落語のことだったらしい。細身の身体でいわゆる「フラ」があるタイプではなかったが、談志家元に習った噺を翌日には見事に覚えていたといった天性の才能があり、かつ落語への人一倍の研究熱心さで、将来の古今亭を背負って立つことが大いに期待されていた人だ。

 映像のみならず全盛期のCDの発売も期待したいし、今の時代にもう少し振り返られることがあってもいい噺家さんだと思い、命日に採り上げた次第です。
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by kogotokoubei | 2009-04-29 11:47 | 落語家 | Comments(1)
一月の菊之丞独演会以来のお江戸日本橋亭である。今日は九割程度の入り。しかし、相変わらず熱気満々という感じである。意外、と言うと白酒に怒られそうだが女性が目立つ。私の前の列はなんと10席に女性が9名男性1名という状況だった。全体でも年齢は別にして7割近く女性だったと思う。母性本能をくすぐる魅力が白酒にはあるのかもしれない。演目の紹介。
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(開口一番 柳亭市丸 出来心)
白酒  抜け雀
(仲入り)
白酒  木乃伊取り
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市丸(18:45-19:00)
ひとり会とは言っても開口一番はある。辛口にならざるを得ない。六月に二つ目らしいので、あえて小言を。噛むのはまだ許せるが、言葉をもっとはっきりと言わないと、何を言っているか分からない。基本からの勉強だろう。

白酒『抜け雀』(19:01-19:45)
この落語会の副題に「通好み」と謳われていることにふれて、過度に期待しないようにといった意味の話の後で駕籠かきの話題になって本編へ。一瞬「先週のさん喬師とかぶった・・・」と思ったのだが、そこは噺家が違うので、十分楽しむことができた。前半の「相模屋」のうらぶれ方のディテールには、志らく版を彷彿させるところがあった。これはこれで楽しい。後半はほぼ本寸法の内容で安心して聞けた。

白酒『木乃伊取り』(20:03-20:43)
約10分のマクラはややアンダーグラウンドな世界の話で、白酒も「ここはカットでしょうね」と言っていたので、秘密ということにする。そのマクラから廓ネタだろうとは思ったが、この噺が出るとはうれしい誤算。なんと言っても主役であるめし炊きの清蔵がニンである。若旦那が居続ける角海老に上がって酒を飲むうちに次第に役目を忘れ、いわゆる「木乃伊取りが木乃伊」になるわけだが、なんとも味がある。終演時間を計ったようにサゲたが、まだまだ清蔵の芸で盛り上げられるようにも思う。。『短命』などこの人ならではの持ちネタは多いが、この噺は新たな十八番の一つになる可能性がある。


最近の白酒は古典のみならず意欲的に新作にも取り組んでいるようで、その積極的な姿勢に今後を大いに期待している。真打昇進年で言うと、平成15年の菊之丞の二年後平成17年の昇進である。翌平成18年に三三、19年に菊志んと続く。このあたりの顔ぶれにはぜひ期待したい。年齢では白酒が大学に通っていた分年上で40歳代に突入したが、年の功がプラスに出ているように思うのだ。相変わらずの汗っかきで今日もしきりに手ぬぐいを噺の演出のためではなく汗をぬぐうために使っていたが、それもご愛嬌。雲助師匠につながる古今亭の伝統と、本人のフラとで、とんでもない噺家になるような、そんな予感がする人だし、今日もそれを裏付けてくれた。
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by kogotokoubei | 2009-04-28 23:18 | 落語会 | Comments(0)
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アメリカはシカゴで1933年に生まれた世界最初の男性向け「高級雑誌」の日本版が、休刊をひと月前にして、なんとも洒落た落語特集を組んでくれたことに感謝したい。
まず、20年以上に渡って発行されてきた日本版休刊の案内をご紹介。
--------エスクァイアジャパンのサイトにある休刊の案内--------
読者の皆様へ
ライフスタイル・マガジンの先駆けとして1987年に創刊し、以来22年にわたりご愛読
いただいてまいりました『エスクァイア日本版』を、2009年5月23日発売号をもちまして、
諸般の事情により休刊させていただくこととなりました。

皆様には創刊以来、多大なる御支援を賜りました
ことに、この場をお借りしまして改めて御礼申し上げます。
休刊までの3号は、従来にも増して内容に磨きをかけて、永久保存版となるような
特大企画を構想中です。変わらずお付き合いいただけますと幸いです。何卒よろしく
お願い申し上げます。

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ここで説明された「永久保存版となるような特大企画」の一つが、この落語特集だが、謳い文句通りの素晴らしい内容だ。
表紙の雑誌タイトルには「噺家の時代」と書かれ、特集の紹介は
「時代を照らす、古典芸能の新たな笑い」「落語 エボリューション」
と記されている。エボリューションというキーワードが示すように、最初に新作派のリーダー三名、昇太、志の輔、そして喬太郎の紹介に多くの頁を割いている。小泉庸子さん(昇太、志の輔)と佐藤友美さん(喬太郎)による三人の噺家についての文章から引用する。

春風亭昇太
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最初は好きで作り始めた噺も、新しさを突き詰めるうちに、古典の完成度を知るきっ
かけにもなったという。また、新作に向き合ってきた時間が、古典のスタイルに影響
をしているとも。彼の古典を聴くと、こんな表現があるのか、ここでこんなに笑えるの
か、と驚かされることばかりだ。一見、かなり手を入れたように思えるのだが、彼は
古典のストーリーに変更を加えることはない。ただ、強調する出来事、デフォルメ、
人物のクローズアップを独自の視点に変えただけなのだという。
「古典にも現代性はある。つまり、現代性のない落語はこれまでの歴史の中で滅び
ているんですね。ある時代でしか理解できない、社会通念上で適応しない内容だと、
どんどん落とされてしまうんです」
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立川志の輔
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笑いの中にメッセージを込めること。これはそう簡単なことではない。それを可能に
しているのは、多くの日本人が思わず共感してしまうツボを心得ているからだろう。
映像に慣れた現代人であっても、頭の中に情景を描きやすく、初心者でも落語ファン
でも、年齢、性別を問わず同じように笑える、わかりやすさもまた志の輔の落語の
魅力だ。それは、大学の先輩、三宅裕司の「その場にいる全員が笑えて冗談だ」
という言葉が心に残っているからだという。こういう配慮があるからこそ、新作でも
古典でも、志の輔が語り始めると会場は一体感に包まれていく。
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柳家喬太郎
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「古くならないために、人間の普遍的な感情を描いたり、表面的な゛今゛ではないもの
を作る。でも、テーマ性を持たせようと構えるとだめです。・・・・・・」
自分の言いたいことやテーマを落語に込める演者は多い。そこをあえてテーマを
持ちたくないという喬太郎の気概はかえって新鮮だ。
「どれが正しいとか、俺はこれでいく、とかじゃなくて、世の中には様々な人がいて、
いろいろあるんだという中で作るほうが断然楽しい。いい意味で落語はしょせん゛芸能゛
だってことです。゛芸術゛かもしれなですが、それはお客様が決めること。自分はあくま
でも芸能としてやっていきたい」
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この三人について書かれたり、本人への取材による発言の記録は過去にもいくつか公表されているが、本誌はそれぞれの噺家についてポイントをうまく押さえている。
新作派については、三人のリーダーに続く談笑、百栄、今輔なども紹介している。
これだけ新作派に相応の頁を当てていながらも、しっかり古典も押さえているのがうれしい。特に興味深いのは、四人の落語聞きの達人に、春夏秋冬に分け、十二席づつの噺とそのニンな噺家、そして色物をはさんだ「夢の寄席」を組むという趣向で48席の落語と落語家を紹介しているところ。ちなみに四人は、「夏」が長井好弘、「秋」が瀧口雅仁、「冬」が広瀬和生、そして「春」が浜美雪である。さん喬、権太楼、鯉昇、市馬、談春など、選ばれる噺家に重複が出るのはやむをえないだろう。「夢の寄席」には四人の好みもうまく生かしながら、代表的な噺と噺家さんが選ばれていて、なかなかユニークな企画である。昨今「落語入門」的な似たような内容の雑誌の企画が続いていたが、明確に一線を画している。

他にも、非常に斬新な内容が盛り込まれていて飽きさせない。
大友浩さんの「志ん朝という時代」には小柳枝師秘蔵の志ん朝直筆の手紙などが紹介されている。また、日本好きなアメリカ人デザイナーに寄席レポ−トをさせるというのも、おもしろい企画だ。各頁の左右に「吹き出し」で並ぶ落語の名台詞もいいアイデアだし、ニンな選者に選ばれた台詞も悪くない。

全体的に文章のみならずビジュアル面でもクォリティが相当高い。間違いなく「保存版」に値するし、付録のCD(『力士の春』『権助魚』)では、想定通りの昇太ワールドを味わえる。

「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」につづき本誌・・・・・・。休止や休刊というメディアを立て続けて扱うことになってしまった。どちらもなんとか復活を期待したい。それだけのコンテンツなのだが、だから量的な面で大衆受けはしない、という構造なのだろうか。もちろん、かたや落語専門で、本誌はたまたま今月のテーマが落語、という違いはあるが、この雑誌が復刊して一年に一回でも落語を取り上げるならぜひ買いたいと思わせる内容だった。もちろん、都合のよい非当事者のわがままなのだが、なんとかならないだろうか、と思うのだ。
エスクァイア_2009年6月号
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by kogotokoubei | 2009-04-25 16:27 | 落語の本 | Comments(0)
久しぶりの落語会である。大門の文化放送メディアホールで開催された渋い柳家三人の会。まずは演目。

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(開口一番 立川こはる 家見舞)
柳家小袁治  女天下
柳家小満ん  猫の災難
(仲入り)
柳家さん喬  抜け雀
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こはる(19:01-19:20)
「かもめ亭のマドンナ」と言うと本人に叱られそうだが、「看板娘」なら許してくれるかな。いつものように出囃子の太鼓も自分で打ってからの登場。忙しさもあるのだろう、のっけで噛み続けたが、それもご愛嬌。別名「肥がめ」の、女性では難しいとも思われる噺をきっちりこなした。もちろん細かな所作などで気になるところはあるが、基本の話芸は聞く度に上手くなっている。一門会でも鍛えられているようなので、今後ますます楽しみだ。

小袁治(19:21-19:45)
典型的な古典かと思いきや『かんしゃく』『堪忍袋』の作者でもある益田太郎冠者作の、準古典ともいうべき噺。しかしニンなネタだった。寄席の雰囲気そのままの人だが、マクラでは寄席では聞けないエピソードがうれしかった。先代の正蔵に「男は自分のカカァをカミさんなんて言っちゃいけません。カカァ、愚妻です」と注意されたが、志ん朝師匠には「考えもんだよ。俺は自分のカミさんのいる前で他人に『愚妻』って言ったらえらく叱られた。」という逸話などをはさんで本編へ。この噺は棒手振りの金太、銀行員の山田さん、そして根津先生という三人が、そろいもそろって妻に頭があがらない、という設定で笑いを生む噺なのだが、根津先生の奥さんが金太に言うセリフ、「去年もバカだったけど、今年もバカだね」に会場全体が笑えた。

小満ん(19:46-20:12)
昨年一月のこの会では、最初の師匠である文楽譲りの『明烏』を大いに楽しんだが、今日は「柳家の会」。二人目の師匠小さん譲りと思われるこの噺で決めた。残念だったのはマクラで蜀山人の狂歌の言い間違いがあったこと。それさえなければ、『明烏』同様に「落語の蔵」でダウンロード販売できると思う中盤から後半の出来だった。酔っ払う途中のセリフで「酔うと素っ裸になりたくなっちゃう」という草薙ネタのクスグリが小満ん師の若さを感じさせてくれた。

さん喬(2025:21:00)
ライブだからこそ一層楽しいのがさん喬師であることを再認識。相模屋の主人の顔の表情による演技が利いている。特に雨戸を開けた時に窓から飛び出した雀の数を数えながら「一、二、三、四・・・あっ五羽・・・・・・」と言って間を作ってから、首をゆっくりひねって雀の絵が描かれていた衝立を振り向く表情が、なんとも言えない。そして、絵の中の雀が抜け出たことに気づいた時のセリフのない身体と顔を使ったリアクションは、他の噺家には出来ないと思わせる芸だと思う。

かもめ亭、らくだ亭での落語会は収録され、ネットでの落語ダウンロード販売サイト「落語の蔵」で販売されるものもある。昨年一月のかもめ亭で私が感心した小満ん師の『明烏』、喬太郎の『転宅』は両方ともダウンロードメニューに加わった。さて今回はどうかと考えると、さん喬師もマクラが少しテンポの悪さがあったし、小満ん師は前述の通りで残念な言い間違いが最初にあった。しかし、二人の芸は十分に楽しめた。今日の会でダウンロード作品に値するのは小袁治師匠の、今では珍しい噺『女天下』だろうと思う。この噺自体を残すことにもなるし、何よりマクラから本編まで含め内容が良かったし、観客の反応も自然だったのできっといい音源になっていると思う。販売されたら買おうと思っている。

柳家、さすがに奥が深い、と感じた夜だった。
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by kogotokoubei | 2009-04-24 23:22 | 落語会 | Comments(0)
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*「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」サイトから

いくつかのブログから「ぽっどきゃすてぃんぐ落語」の休止を惜しむ声が聞こえてくるが、私もまったく同感である。この番組の魅力は、人数の多さから寄席の出番が限られている二つ目さん達の元気な噺を楽しむことができたことだと思うが、それは聞く側にも話し手のほうにも大きな恩恵をもたらしていたと思う。

聞く側には、これから落語界を担うであろう若手の噺家さん自身を知ることと、落語のさまざまなネタを知ることができた。
噺家さんには、人数の多さと寄席の少なさという関係で限られていた芸を披露する場・機会が提供された。持ち時間も寄席よりは多い。加えて、寄席とは違う若者中心の会場で伸び伸びと演じることもできたように思う。もちろん大先輩達がいないから、寄席なら主任クラスでしかできない大ネタをかけることもできた。

今、アトランダムに思い出すと次のような人と噺が印象的だったし、いまだにiPodで楽しむことができる。(名前はすべて当時のまま。順不同)

○柳家三三    釜泥
○柳家三之助   棒鱈
○立川笑志    紺屋高尾
○三遊亭好二郎  明烏
○春風亭一之輔  鈴ヶ森
○古今亭菊朗   悋気の独楽
○古今亭志ん太  真田小僧
○古今亭菊六   片棒
○三遊亭きつつき もぐら泥 
○三遊亭歌彦   八五郎出世(妾馬)
○五街道弥助   鮑のし
○三遊亭遊馬   禁酒番屋
○春風亭栄助   新・生徒の作文
○川柳つくし    年下の男の子
  ・
  ・
  ・
そして、最後の配信『猫久』でこの番組に数多く出演した一之輔は、マクラでやや自虐的なツッコミを入れながらもこの番組のおかげで多くの落語ファンに自分たちの噺を聞いていただくことができたことを紹介しているが、彼らを世に紹介することにおいて、この番組の果たした役割は本当に大きいと思う。

同じような無料ダウンロード可能な番組として「お台場寄席」があるが、こちらは10年以上も前の音源だったり、最近の収録は結構名の通った実力派真打が中心で、それはそれで楽しいのだが、ピチピチの若手二つ目の出番はほとんどない。あえて付け加えるなら「ナビゲーター」とか自称する方への好みもあって、こっちを聞かない人もいるのではなかろうか。ちょっと高慢な「やかん」だと感じる時がしばしばある。横道にそれた・・・・・・。

「ぽっどきゃすてんぐ落語」復活のための、まったく身勝手な案を思いつくままに。

案A--------------------------------------------------------------------
新スポンサーとして、落語協会・落語芸術協会・立川流・円楽グループが共同で出資
□理由や方法
演じる場の少ない二つ目をいかに世間に紹介するかという課題の解決のために、ある
程度は所属団体で機会拡大をする義務もあるでしょう。組織の規模に応じて運営に
必要な金額を出し、また出資額に応じた人数を出演させる、という理屈です。
一般企業は、現在の経済環境などから難しいでしょう。そういう意味で、「お台場寄席」
のロッテはえらい。
□懸念事項
まぁ、こういう形態をとるとイザコザが起こるのも必然。いかに協調できるかが鍵です
なぁ。ニフティさんの調整能力が必要。
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案B--------------------------------------------------------------------
ダウンロードの有料化
□理由や方法
無料での収録への参加、無料配信、という仕組みでスポンサーがつかないのなら、
短絡的ではあるが有料化が一案。
方法(1)
 一席ごとの個別有料ダウンロード
   損益分岐点は分かりませんが、一席200円~300円の設定なら私は買います。
方法(2)
 会員制
   これも損益分岐点によって、月あるいは年会費を設定して、会員のみのダウン
   ロードという仕組み。月会費2,000円以下なら、私は加入します。もちろん収録
   には会員のみが参加可能。
□懸念事項
個人情報保護対策を考慮し、クレジットカード決済よりもネットマネーや
ちょコム決済などのほうが良いと思います。
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案C--------------------------------------------------------------------
収録の「ニフティ寄席」有料化とダウンロード有料化の合わせ技。
□理由や方法
ダウンロード費用を少しでも軽減するためと、有償でも生で聞きたい人の来場の確率
を高めるため。
□懸念事項
有償化での来場者数確保。
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二つ目さんの噺をする場を増やすことと落語ファンに多くのコンテンツを提供すること、そして新たな落語ファンを獲得する、といった効果を考え、ぜひこのような番組は残って欲しいという思いからの個人的な提案ですが、いかがでしょうか。
ニフティさんもいろいろ検討されたに違いありませんが、諸般の事情があるのでしょう。しかし、決してあきらめないで欲しい。落語ファンはあなた方のこれまでの努力に大いに感謝しているし、今後復活するために応援もしてくれるはずです。

一之輔が表現したとおり、あくまでも「仲入り」のお休みであって欲しい。
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by kogotokoubei | 2009-04-24 12:04 | インターネットの落語 | Comments(6)
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柳家小三治_子別れ

 『子別れ』について書いていて、やはり柳家小三治の「通し」口演のいきさつについて、少し振り返りたくなった。前回にも少しだけ紹介したが、その背景にあったドラマのことまでは詳しく説明していない。とは言っても、私自身がリアルタイムで経験できたわけではなく、残されたCDと、そのドラマが記録された書物で辿るだけであるが、このネタについて何か語るならば、この作品のことを避けては通れないように思うので記します。1982年に下北沢に本多劇場がオープンし、「本多寄席」と銘打った落語会が開催されるようになった。第一回として、その年の12月13日に「古今亭志ん朝独演会」が開催された。『寝床』と『文七元結』の二席が演じられ、ソニーのプロデューサーであった京須偕充さんは、出色の出来だった『文七元結』のレコード(CD)の収録に成功した。そして明けて1983年。京須さんは、長年に渡って慎重に交渉を進めてきた柳家小三治の本多寄席での独演会と録音の約束をとりつけた。小三治師匠、44歳の上げ潮といえる頃である。しかし、どのネタにするかは、まだ小三治も迷っていた、そんな時の状況を、『落語名人会 夢の勢揃い』京須偕充著(文春新書)より引用する。

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京須偕充著『落語名人会 夢の勢揃い』

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 小三治という人は誰よりも個性的だが、奇を衒うことを好まない。個性たしか
だから奇を衒う必要がない。それをしかと自覚している。他のジャンルとのセッ
ションなどという、誰にでも考えられて、しばしば線香花火に終わる企画をもち
かけても、おいそれと乗る人ではない。
 とにかく九月一日の独演会とその録音については合意している。会って、相談
をして、その演目構成に何か一工夫をしよう。初夏の宵、かつて新宿副都心にい
ちばん早くオープンしたホテルで待ち合わせた。83年の副都心はまだ意外に空が
大きく見えると思うくらい、高層ビルはそれほど林立していなかった。柳家小三治
はオートバイで姿を現した。
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京須さんと小三治の立場の違いなどから、二人の会話はスムーズに進まなかったようだ。
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 ついに柳家小三治が独演会をやるのなら、待ちに待った録音をスタートするの
なら、そして誰よりも個性派の小三治なのだから、せめて演目構成で落語ファン
をあっと言わせる企画を実現したい。それが制作者である私の考えだ。しかし
小三治本人は、演目を決めることさえ渋るのである。独演会に応じていながら何を
いまさらと言えなくもないが、まずは年来の主張を前提に掲げ続ける小三治だった。
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演目予告について、京須さんの粘りに負けてほぼ観念し始めた小三治に、ついに京須さんは提案する。
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 雑談にも疲れたところで、ふっとひらめくものがあった。蹴られるかもしれない
が、とにかく口に出す。
 『子別れ』どうです。一晩で上・中・下の通し口演ってのは。
柳家小三治は一瞬、息を呑むようにした。目がギロリと動く。
 「ああ・・・・・・。それなら、ねえ。・・・・・・うん」
 これ、やっていそうであまりやられていない、と私は付け加えた。ラジオで、
五代目古今亭志ん生が至極かいつまんで簡略にやったことはあったが、独演会でじっ
くり通し口演したのは六代目三遊亭圓生しかいない。これは実質があって、しかも
話題になる企画ではないか、とさらに添えた。言いながら、私にもだんだん確信のよう
なものが生まれてきた。
 「うん、じゃ、それで行きましょう」
 柳家小三治はきっぱり言った。
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京須さんの読み通り、この企画はマスコミにも注目された。そして、「山篭り」である。
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いくつかの新聞が柳家小三治にインタビューし、予告記事を書いた。インタビュー
では、さァどうなることか自分でもわかりませんと他人事のように言っていた小三治
の目の色が変わってきたのは八月のなかば近くになってからだ。やがて小三治山篭り
の噂が立った。
『子別れ』に関する、ありとあらゆる資料、録音テープや先輩の速記本を抱えて旅
立ったというのだ。帰京予定日は九月一日、独演会の当日という。
 九月一日の独演会当日になった。夕方、早目に楽屋入りした弟子に聞くと師匠小三治
は帰京したが、髭が伸び放題だったという。剃る間も惜しんで構成と稽古に没頭していた
らしい。やがて楽屋入りした本人にもう髭はなかったが、いつも以上に目がくぼみ、少し
青白かった。
 どうしていいかわからない、えらいことを引き受けたと後悔したけど、もうどうにも
ならない、としきりに悲観的な見通しを述べた。
 どんよりと空気が淀んだ、薄日の蒸し暑い日だった。いっそ天変地異でも起こらない
かなァと小三治は穏やかならぬことを言う。それで独演会が中止になれば命拾いをする
という、テストを逃れたい少年のような考えだ。その日九月一日はちょうど六十年前の
1923(大正12)年に関東大震災が起きた日付けではある。
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当日の口演の出来については、CDでご確認いただきましょう。実際の口演時間が130分となり、その編集についての後日談もこの本に書かれている。私はソニーの回し者でも、文春の営業でもないが、このCDについてはこの本を読んでから聞いてもらうと、楽しみは倍加するように思う。

この本は、京須偕充さんの生い立ちに始まり、落語好きな少年時代の思い出などが語られ、数々の落語の名作を残したプロデューサーとしての、圓生、志ん朝、小三治といった名人達との出会いやエピソードがたっぷりの後半まで、落語の話が一杯詰まっている。
決して高座の録音を簡単には許さないそれぞれの噺家を、どうやって口説いていったか、という話や、個性的な多くの落語家の思い出話など、読み応えのあるドラマがいくつもあって楽しい。
 この『子別れ』の成功が、その後京須・小三治コンピによる鈴本の独演会の録音につながり、おかげで数多くの名作が残されたわけだ。

 
 名プロデューサーと名人の出会いがあって、初めて我々が味わうことができる名作。小三治の『子別れ』は、そんな歴史を背景にしている。
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by kogotokoubei | 2009-04-21 12:03 | 落語のネタ | Comments(0)
いくつかのブログで先日NHKの「日本の話芸」で放送された柳家権太楼の『子別れ~浮名のお勝~』が話題になっているのを拝見した。いわゆる『子別れ』(上)(中)(下)の(中)で、内容の暗さなどから、なかなかお目にかかりにくい噺だ。(下)の『子は鎹』がもっとも多く演じられ、たまに(上)の『強飯の女郎買』を演じる人がいるくらいで、(中)は通しで行う場合は別として単独で一席というのは、珍しいことだと思う。

前回八代目の春風亭柳枝のCD大量発売について書いたが、『子別れ』は初代の柳枝の作である。今に伝わる噺は柳枝の作をのちに初代春錦亭柳桜が改作したものらしいが、紛れもない「柳派」の噺だ。だから、三遊派は柳派の噺をそのまま演じることに抵抗があったようで、家を出て一人暮らしをする母親を主役にして『女の子別れ』という名で演じたこともあったらしい。聞いたことがないので、誰か三遊派の噺家さんが演ってくれないかと思っているが、いずれにしても現在生き残っているのは、オリジナルの柳の型である。権太楼とさん喬が前半と後半を交互にリレーして通しで鈴本で演じたCDが発売されているが、なかなか楽しめる。どちらのパターンもそれぞれの味わいがあって、なるほど柳の噺なんだなぁ、と感心する。これはソニーから出ている小三治の通しのCDにも言えて、京須プロデューサーに乗せられた小三治が、収録前には山篭りまでして備えたという逸話に、柳派の人たちがいかにこの噺を大事にしているかということが伝わってくる。

作者の初代柳枝は、江戸末期の人で幼名を亀吉といったので、この噺の子どもの名前が亀吉になったと言われているが、異説もある。改作した春錦亭柳桜の長男の名からとった,という説だ。ちなみに、この長男は四代目の麗々亭柳橋になる。この柳桜という噺家さんは幕末から明治にかけて大いに人気があったらしいが、彼の作である人情噺『白子屋政談』を劇化したものが『髪結新三』であるというから、作家としても秀でた人だったといえる。
人情噺というと円朝を筆頭に三遊派のほうが上のようなイメージがあるように思うが、柳派の人情噺も、こういった歴史を考えると奥が深い。

名作『子別れ』の作者ということを考えると、あらためて五十年空白になっている春風亭柳枝という名跡、早く誰かに継いでもらいたいと思うのだ。
子別れ_権太楼・さん喬
子別れ_さん喬・権太楼
子別れ_柳家小三治
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by kogotokoubei | 2009-04-18 18:05 | 落語のネタ | Comments(0)
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ビクター(正式なレーベル名は日本伝統文化振興財団)から、3月25日に八代目春風亭柳枝のCDが三枚同時に発売された。同日には志ん生も三巻、可楽が一巻発売されている。
柳枝の各巻のネタと音源は下記の通り。ラジオ京都の音源が目立つ。
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第一巻
1 王子の狐:1956年(昭和31年)6月26日放送「お好み寄席」
     (ラジオ東京[現TBSラジオ])ラジオ東京ホール(有楽町)
2 甲府い:1956年(昭和31年)10月9日放送「お好み寄席」
     (ラジオ東京[現TBSラジオ])ラジオ東京第1スタジオ(有楽町)
3 締め込み:1957年(昭和32年)2月1日放送 ラジオ京都・他 人形町末廣

第二巻
1 野ざらし:1957年(昭和32年)3月8日放送 ラジオ京都・他
2 大山詣り: 1958年(昭和33年)7月11日放送 ラジオ京都・他
3 搗屋無間:1959年(昭和34年)2月6日放送 ラジオ京都・他
4 二人癖:1958年(昭和33年)10月31日放送 ラジオ京都・他

第三巻
1 宮戸川:1958年(昭和33年)10月3日放送 ラジオ京都・他
2 喜撰小僧:1957年(昭和32年)10月11日放送 ラジオ京都・他
3 熊の皮:放送日不詳 電通制作地方局用番組
4 花色木綿:1959年(昭和34年)6月5日放送 ラジオ京都・他
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キングからも「昭和の名人~古典落語名演集」の中で、3月11日にCDが2枚発売されており、収録されたネタは下記の各5席づつ。
①『子ほめ』・『喜撰小僧』・『堪忍袋』・『元犬』・『宗論』
②『高砂や』・『四段目』・『ずっこけ』・『節分』・『金明竹』

このシリーズは全50枚の一挙発売だが、一部過去に発売されたものの再収録もある。ちなみに、噺家ごとに発売された枚数は次の通り。
---キングレコード「昭和の名人~古典落語名演集」収録の噺家とCD枚数---
□円生、小さん 各10枚
□小三治、円窓  各9枚
□文楽、金馬(三代目)、可楽、柳枝 各2枚
□柳橋(六代目)、正蔵(八代目)、円歌(二代目)、馬生(十代目) 各1枚
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*キングには円生と小さん、小三治と円窓のライブラリが、なぜか多いということですな。

さて、柳枝に関してもっとも新しいところでは、コロムビアから『花色木綿』『王子の狐』のカップリングが4月22日に発売される予定。ちなみに、柳好(三代目)のCDも同日発売される。

よって、3月から4月にかけて、春風亭柳枝に関するCDが、なんと計6枚も相次いで発売されることになる。素直にうれしい。

ビクターは音源を明示しているので、大いに助かる。生まれが明治38(1905)年、亡くなったのが昭和34(1959)年である。音源は昭和31(1956)年から34(1959)年なので、51歳から54歳の間の、絶頂期といえるだろう。
さっそく聞いたのが、このビクターの第二巻にある『野ざらし』。

立川談志家元は『談志絶倒昭和落語家伝』の中で、こう書いている。
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この師匠、何処へ出しても受けた。爆笑させた。といっても大してオーバーに
演るわけではない。天下一品の柳好の『野ざらし』に対して、同じ噺を演った
のは柳枝師匠しか知らない。その柳好師匠の『野ざらし』は緻密なものであり、
柳好を“陽”とすると、“陰”とまではいかないまでも柳枝独特で、『野ざらし』
は“柳好とは比べものにならない”と言い切れないものがあるのだ。
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立川談志 『談志絶倒昭和落語家伝』

この本を読んでいながら、まだ聞く機会がなかったので、まずこのネタから拝聴。家元が誉めるだけのことはある。そして、家元が主張する対比もまったくその通りであり、「陰」ではないが、柳好の謳うような「陽」とはテイストの違う渋い味がある。同じCDの『大山詣り』も、『野ざらし』ほどは期待していなかっただけに、聞き惚れた。前半はあっさりで、熊さんが喧嘩をして頭を剃られて以降が中心だが、熊さんと長屋のオカミさん達との絡みがいい。オカミさん達が「あーら、熊さん」「あーら、熊さん」「あーら、熊さん、アラクマさん」という独自のクスグリもこの人らしい。このCDの他の二作のうち、『搗屋無間』はポリドールから発売されているCDにも別音源で収録があるが、『二人癖』は初ものだと思う。この噺の二人の掛け合いがいいんだなぁ・・・・・・。

もちろんファンの身びいきがあるのは承知だが、柳枝の音源が多く世に出されるのは、今日では少なくなったタイプの噺家さんだけにうれしいし、できるだけ多くの若い落語ファンの皆さんに聞いて欲しい。丁寧な語り口もあいまって、口癖と本名島田勝巳から、「お結構の勝っちゃん」と呼ばれ愛された噺家さんである。

春風亭柳枝という名跡は柳派では小さくない名前である。ここ50年間、この名が空白になっている。「封印」されたとも言われる。それは当時睦会の「お結構の勝っちゃん」と、芸術協会にいた頃の芝浜の三代目桂三木助が、柳枝につながる出世名であった小柳枝の襲名を争う騒動があったからだ。結果として三木助が五代目の小柳枝を襲名したものの、三木助は一時落語家をやめたため柳枝を継ぐことはなかった。こういった経緯の後で「勝っちゃん」が八代目になった。この大名跡は、八代目が睦会から移ったこともあり、現在は落語協会に残っているはずだ。

八代目の弟子の春風亭栄枝は入門から2年後に師匠が亡くなり、八代目正蔵門下に入ったが、春風亭の屋号に戻ったものの柳枝を継がなかった。同じく弟子の円窓は入門直後に師匠が亡くなった後は円生門下に入ってしまった。語り口などから思うに、八代目が今しばらく存命だったら、円窓が九代目を継いでいたのではないかと察する。円窓の兄弟子で同様に円生門下に移り、その後落語協会に復帰した円彌にも九代目を期待する声があったらしい。しかし円彌にとっては円生への想いが強かったのだろう、継ぐことはなく三年前に亡くなった。

立川流に字は違えど読みの同じ龍志がいることもあり、九代目がなかなか誕生しないとも言われるが、これは大きな障害とは思えない。継いで欲しい人材が見当たらないこともあろうが、もう芸協と協会の反目でもないだろう。ぜひ九代目の誕生により、この名の歴史をつないでもらいたいものだ。八代目の直系からは難しいのだから、目一杯ルーツを遡って、柳派ということで柔軟に考え、小さん門下からふさわしい人に継いでもらってはどうだろうか。

個人的好みであえて大胆な案を言うなら、小三治門下で来年にも真打が期待される三之助を推す。丁寧な語り口や雰囲気が八代目に近いものがある。師匠は大名跡小さんを継がなかった。ならば、この一門から柳の別な大名跡が生まれてもいいのではなかろうか。三三はこの名前のままでいくのではないかと思うので、次に将来有望な二つ目のこの人が適任だと思うのだ。「名前が大きすぎる」「名前負けする」という心配は、長~い目で見てあげましょう。昨今大きな名を襲名した何人かに比べれば、ず~っと似合っているのでは。まぁ、波風立てることを避けたいだろうし、すでに別な名前の襲名が決まっている可能性のほうが大きいとは思うが・・・・・・。
ビクター落語
キングレコード_昭和の名人_古典落語名演集
コロムビア_ベスト落語_春風亭柳枝
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by kogotokoubei | 2009-04-15 17:56 | 落語のCD | Comments(0)

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らくごDE枝雀_ちくま文庫

 NHKの「あの人に会いたい」の話が、少し暗~くなってしまったので、「明るい枝雀」というか、「凄い枝雀」を、その著作で紹介したい。この本は、何と言っても「サゲ」についての考察が際立っている。従来の数多くの落語解説書などで非論理的なサゲの種類の羅列ばかりだったことに比べると、ある意味で「革命的」な分析を提示した書である。

 本書は、枝雀の代表的なネタ五席(『鷺とり』『宿替え』『八五郎坊主』『寝床』『雨乞い源兵衛』)が掲載されており、その合間に落語作家である小佐田定雄さんと枝雀との対談形式で、落語に関する枝雀の考え方などを、おもしろ可笑しく紹介している。その中で秀逸なのが、サゲに関する考察である。

有名な「緊張の緩和」理論の後でサゲに関する枝雀の持論が語られる部分を、まず引用。
小佐田 「サゲの分類」ちゅうやつでんな。「地口落ち」とか「ぶっつけ
     落ち」、「考え落ち」てな・・・・・・。
枝雀  さァ、今まではそんなこと言うて分けてましてんけどね、考えて
     みるとこんな非科学的な分類法おまへんで。
小佐田 と言いますと?
枝雀  ものごとを分類しようかちゅう時に、いちばん先にしとかなな
     らん ことは何やと思いなはる?視点を定めることですわ。どの
     立場から 対象物のどの面を見て判断するかということを決め
     とかんと、あっち こっちから視点定めんと言うだけでは統一性
     がおまへんがナ。
小佐田 ふんふん。
枝雀  例えば「仕込み落ち」てなのは、サゲの言葉をあらかじめ
     仕込んで おくという噺の構成からきた分け方ですわね。
     一方、「ぶっつけ落ち」 言うのは、お互いに言うてることが
     くいちごうてることでサゲになる という、これは噺の内容
     からきてますわね。さらに「シグサ落ち」 いうのは、セリフや
     なしにシグサでサゲるという、これは演出法です わ。この
     三つのバラバラの視点のものを一列に並べて論じよう
     ちゅうん ですからね。こら満足なもんができるわけがおま
     へんがナ。

 まったく、目から鱗、と言える指摘ではないか。そして、枝雀は、「お客さんの視点」で考えた四種類のサゲの形について説明をしている。枝雀のサービス精神は、分かりやすく図解しているところである。

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 まず、この図については、次のように説明してくれる。
枝雀 次の図を見とくなはれ。いろの濃いとこがフツーというかホンマの
   領域なんです。この「ホンマ領域」の内外に「ウソ領域」がるわけ
   です。で、外側を「離れ領域」と申しまして、ホンマの世界から離
   れる、さいぜん言いました「ヘン」の領域なわけです。常識の枠を
   出るわけですからウソの領域ですわね。しかもとりとめがありま
   せんから極く不安定な世界です。対して内側にあるのが「合わせ
   領域」です。これもさいぜん言いましたとおり「人為的に合わせる」
   というウソの領域です。「合う」という状況も、あんまりぴったり
   合いすぎると「こしらえた」ということでウソになってしまいます
   わね。但し、「離れ領域」とちごうて「合う」ということは型ができ
   るということやさかい安定してますわ。

この図を使って、「ドンデン」「謎解き」「へん」「合わせ」という4つのサゲのタイプを示したのが次の図となる。


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 枝雀の説明を要約するとこうなる。

「ドンデン」
:いっぺんサゲ前で「合わせ領域」の方へ近づく。つまり、「安定」に近づくのが「ドン」の部分。そのあと「離れ領域」へ「デン」ととび出したところで、「そんなアホな」とサゲになる

「謎解き」
:ドンデンの逆でサゲ前にいっぺん「離れ領域」—つまり不安定側へふくらむ。これが「謎」部分。そのあと、その謎を解くことで「合わせ領域」に入って「なーるほど」となってサゲる。

「へん」
:ドンデンに近いが、「安心」に近づく「ドン」のプロセスがない。いきなり「デン」と「離れ領域」に出るので四種類の中でもっとも不安定なサゲ。

「合わせ」
:謎解きに似ているが、「謎」の部分—「不安定」側へのふくらみがなく、いきなり「合わせ」てしまうサゲ。
*いわゆる「地口落ち」は洒落で「合わせる」ことから、大半がこの分類になるようだ。

そして、枝雀の丁寧な図解はまだ続く。この図である。

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右のほうが「そんなアホな」というサゲ。左側が「なーるほど」というサゲ。また、上のほうが「緊張と緩和」がはっきり区別されているサゲで、下の二種類は「緊張と緩和」がないまぜになっている、と説明する。


枝雀 私の理論によりますと、すべてのネタは図の座標上のどこかの
    一点を占めることになるわけです。この四つのグループも全く
    孤立しているわけやのうて、互いに影響し合うてサゲをこしら
    えているわけでんねん。謎を解く手段に「合わせ」を使うたり、
    謎を解いた結果が「へん」になったりとかね。こんな時も、
    最終的にどの要素でお客さんが快感を得てくれてはるかに
    よって、四つのうちどの型かは、はっきり分類できますで。



最後に、四つのサゲにそれぞれ分類された代表的なネタをご紹介。
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ドンデン:『鴻池の犬』・『時うどん』・『愛宕山』・『かぜうどん』・『看板のピン』
謎解き:『たちきれ』・『皿屋敷』・『寝床』・『算段の平兵衛』・『替り目』
へん:『青菜』・『口入屋』・『池田の猪買い』・『子ほめ』・『鷺とり』
合わせ:『らくだ』・『くしゃみ講釈』・『雨乞い源兵衛』・『死神』・『夏の医者』

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これ以上詳しいことは、ぜひ本書を読んでいただきたい。

 枝雀は「分類」すること自体が目的でこの四つのパターンに分ける理論を考案したわけではなく、「緊張と緩和」理論にのっとり、いかにして効果的なサゲまで含め噺全体を構成し演出してお客さんに快感を得てもらおうか、喜んでもらおうかということを考えに考えた経過の中で、この理論を見出したに違いない。だからこそ、枝雀の噺が凄いのである。

 また、「たら」「れば」になるが、小三治師匠と同じ昭和14年の生まれで、生きていたら今年で古希。どんな噺を聞かせてくれただろうか、との思いがつのるが、せいぜい残されたCDとDVDで偲びたい。
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by kogotokoubei | 2009-04-14 12:04 | 落語の本 | Comments(0)
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NHKのホームページより
 初回放送は4月7日だったが見逃したので本日再放送で見た。昨年4月にも落語家の柳家金語楼が登場したことを思い出す。
 正直言って、見ていてつらいものがある。命日は平成11(1999)年4月19日なので、亡くなってすでに10年の歳月が過ぎようとしている。もう、十年か。

 神戸大学を中退し昭和35(1960)年に21歳で米朝師匠に入門し、ABCラジオの「漫才教室」で名を上げた漫才少年前田兄弟の兄、前田達(とおる)は落語家の桂小米となった。兄弟子は現在の月亭可朝を含め二人いたが、いずれも通いだったので、初の住み込み弟子であった。入門当時の稽古熱心ぶりはすごかったらしい。

 朝日新聞大阪の学芸部編集委員として枝雀本人とも懇意だった上田文世さんの著『笑わせて笑わせて 桂枝雀』(淡交社)から引用する。今日の内容は、引用のみならず、多くをこの本に因っている。
上田文世_笑わせて笑わせて 桂枝雀
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小米の稽古熱心さは尋常ではなかった。深夜、この道をブツブツ言いながら
歩いて、警察に通報されたことがあった。米朝家では、ちょうど、長男の現
小米朝に続いて、双子の二、三男が生まれた頃だ。子守を頼むと乳母車を
押して出て、しばしば行方不明になった。さほど遠くない所に住む姉の絢子
さんにも同じ年代の子どもがいた。小米は度々そこに双子を任せては、ネタ
繰りにでかけた。「一緒に外出しても駅のホームで稽古をする。こっちはホ
ームの端の方に寄っていったもんです。」と米朝は言う。
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 昭和48(1973)年に二代目枝雀と襲名する直前に、最初のうつ病になっている。放送は、その病気を振り返ったり、どう乗り越えたかということにも少ない中で多くの割合を割いている。収録された番組は昭和50年代後半が中心で、四十代で全盛期の彼の姿が映される。しかし、そこまでの道のりは決して平坦ではなかった。昭和45(1970)年、31歳の年に七歳年下で「ジョウサンズ」という女性漫才トリオのメンバーだった志代子さんと結婚し、二年後に長男が誕生。結婚した翌年に、弟子のべかこ(現、南光)と米治(現、雀三郎)との三人で「桂小米の会」が伊丹の杜若寺で始まった。その後、会場を変えながら枝雀襲名まで続いた、入場者の最低が23人、最高が120人というこの会が枝雀の重要な修業の場であったことは間違いない。そして、枝雀襲名を目前にして、病が襲った。前掲書には、その頃のことがこう書かれている。
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「好事魔多し」というが、すべてがうまく走り出したところで暗転があった。小米
が「演芸場に行きたくない」と言い出したのだ。73年2月1日、大阪・道頓堀の
演芸場、角座の上席(一日から十日までの興行)初日だった。志代子は「お父
さんを送ってくるわ」と弟子に言って、小米と一緒に自宅を出て、いつもの角で
タクシーを拾った。「車に乗ったので舞台着を渡そうとしたら、降りてきて『怖い、
行かへん』と言って、その場にしゃがみ込んでしまったんです」と志代子。
「えらいことになりました」と米朝に電話。会社にも電話して代演を頼んだ。それ
からは、いろんな病院、医院を巡った。診断は強い鬱病だった。
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 その後、定時制高校時代の恩師森本先生や、阪大病院(当時)の柿本医師の努力もあり、小米は快方に向かった。前掲書から再び引用する。
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「長らく『心の旅』に出ておりましたが桂小米がこの度、無事帰国いたしました
ので、再びここに『桂小米の会』を開かせていただきます。」73年4月16日に
再開した「第十八回小米の会」の案内状には、そう書かれている。小米の
「心の旅」は三カ月で終わった。小米の演目は『崇徳院』と『悋気の独楽』。
前回の五十人から百二十人と、倍増したお客さんで小米は力強く復活した。
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 しかし、四半世紀後に病が再発。そして十年前の3月13日に自殺をはかり約一ヶ月後に息を引き取った。この放送のキーワードとして取り上げられている、最初のうつ病を克服したことに関し語られた次の言葉は、あまりにも重い。
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「自分を思うことが 自分を滅ぼすこと。
人を思うことが 本当は 自分を思うこと。」

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 自殺の際に遺書はなかったが、枝雀が一枚残した紙きれに、復帰後予定していた20日間連続で毎日3席づつ披露する独演会「枝雀六十番」のネタ順が書かれていたという。その一部を紹介。
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初 日  延陽伯・一人酒盛・どうらんの幸助
  ・
三日目  代書・植木屋娘・愛宕山
四日目  壷算・くやみ・高津の富
  ・
七日目  七度狐・くしゃみ講釈・寝床
  ・
十二日目 鷺とり・宿替え・仔猫
  ・
十四日目 時うどん・雨乞い源兵衛・質屋蔵
  ・
十九日目 幽霊の辻・替り目・茶漬けえんま
千秋楽 つる・景清・崇徳院
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 残念ながら実現しなかった六十席の豪華なこと。どのネタもいまだにしっかりと耳に蘇る名演だ。たった10分の放送の中でも、「代書」「壷算」他いくつかのネタのワンショットが盛り込められている。「たら」「れば」の話ではあるが、元気だったならば、十分実現できたと思う、実現して欲しかった。昭和56(1981)年と昭和60(1985)年の二回、枝雀は一日三席の連続六日間の独演会「枝雀十八番」をサンケイホールで開いている。しかし、幻の「枝雀六十番」は毎日ネタを替えての20日間。単純に比較はできないが、志の輔inパルコは、同じ三席での連続公演である。凄いイベントになっただろうし、もしチケットが手に入ったら会社を休んででも行ったかもしれない。

 放送のタイトル通り、まさに「あの人に、そして、あの噺に会いたい」と思わせる。

 笑福亭松鶴師匠は、どんな時でもネタを繰っていた枝雀を称して、「あの男は、雨のしょぼしょぼ降る晩に、窓を開けてニタニタと笑う癖がある」と言ったらしい。今日の放送でも、傘をさし「ニタニタ」して歩きながら稽古する姿が印象的だった。「天才」とも言われるが、とんでもない努力の人であり、目一杯に真面目な人だったのだろう。収録された番組の姿と晩年への思いが交錯し、切なさと懐かしさが一緒にあふれ出てきた。
*教育テレビとデジタル教育では、まだ再放送があります。興味のある方はどうぞ。
  ・4月14日火曜日 午後2:30 ~ 午後2:40 教育/デジタル教育

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by kogotokoubei | 2009-04-11 16:59 | テレビの落語 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛