噺の話

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久しぶりの大門。この二人会は楽しみにしていた。結果は十分に満足である。
演目は次の通り。
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立川こはる  狸の札
桃月庵白酒  明烏
柳家喜多八  鋳掛屋
(仲入り)
桃月庵白酒  つる
柳家喜多八  首提灯
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こはる(19:00-19:15)
この会のレギュラー開口一番といえるが、その都度感心させられる。べらんめい調がサマになってきた。本寸法の古典落語において女流落語家の壁を破ってくれそうな人ではないかと思う。期待したい。

白酒『明烏』(19:16-19:50)
プログラムに、「白酒『明烏』ほか一席、喜多八『首提灯』ほか一席」、と書いてあったが、中川大臣ネタのマクラの後、先にネタ出しのほうを披露。なんとも言えない味のある噺だった。父親の日向屋半兵衛は無理なくサマになっているし、時次郎もいい。子供達と太鼓を打っていたら蜻蛉が飛んできて追いかけているうちに迷子になる、というクスグリも利いている。「山田さんちの坊ちゃんに送ってもらった」と言う時次郎。半兵衛があきれて言う「おまえ、山田さんちの坊ちゃんで八つだろう」には笑った。源兵衛と太助も名脇役になっているし、お茶屋の女将も妙に艶っぽい。太助には文楽に臆せず甘納豆を食べさせているのもうれしい。いつものように頻繁に汗を拭いていること以外には文句のつけようがない。

喜多八『鋳掛屋』(19:51-20:08)
構成から考え『首提灯』ではないほうのネタと推測したが、まさかこの噺とは想像できなかった。五十歳台の当方にとってはマクラがうれしかった。昔は洟を垂らしているのが当たり前、というより一本より二本がえらい、喧嘩も垂らした洟が長いほうが喧嘩で勝つ、は笑えた。縁日のこと、ブリキのおもちゃのこと、いろんな職人さんのことなど、十分すぎるマクラから本編へ。鋳掛屋をからかう子供達が次に向かった鰻屋での主人と子供との掛け合いに会場は大爆笑だった。「針はない」「壷に指を入れるな」「喧嘩をするな」・・・・・・巧みな芸である。こういう噺もたまにいいものだ。

白酒『つる』(20:18-20:35)
牧場などいろんな会場で落語をするというマクラから本編へ。体型を活かし御隠居がピッタリはまる。八五郎の質問に無理なこじつけの答えをする場面、テレと誤魔化しで意味不明な言葉を語る部分がなんとも言えず可笑しい。短い噺でこれだけ笑いをとれるのが実力の証だと思う。

喜多八『首提灯』(20:36-21:00)
まさに落語の真骨頂といえるネタ。田舎侍と酔った町人との緊張感と笑いの入り混じったやりとり、切られてからの芸、すべて感心し楽しく味わった。「志ん朝七夜」の中でCD化されなかった唯一のネタだが、それは音だけでは味わえない「見立てオチ」だからと言える。たしかにこの噺だけは見なければ堪能できない。また内容としては、日本の誇る傑作ナンセンスギャグと言ってもいいネタだろうし、そのネタを最大限に活かす芸だったと思う。こういう噺に出会うと「落語ってホントにいいですねぇ」と誰かの口調を真似て言いたくなる。

期待し、その通りの会であった。「落語会」としての総合点をつけるなら相当な高得点になるだろう。二人とも本寸法の落語の楽しさを十分に味わわせてくれるし、芸風の違い、年齢の違い(二人の年齢差は約20歳)、柳派と三遊派、という具合にバランスも良い。鯉昇&喬太郎の会にも負けない、と言うと異論もあろうが、決して言いすぎではないと思う。他に本格古典の二人会の案として、扇遊&菊之丞なども期待したい顔合わせだ。(市馬&菊之丞は八王子で3月14日にあるが、都合が悪く行けない・・・・・・。)
白酒は初のかもめ亭らしいが、喜多八師には睦会(扇遊、鯉昇との三人会)、落語教育委員会(喬太郎、歌武蔵との三人会)と同様に継続して欲しい「コラボレーション」である。次もあったら無理をしてでも出向きたいと思う会だった。
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by kogotokoubei | 2009-02-18 23:40 | 落語会 | Comments(0)

落語の別題について

『寝床』の別題として『素人義太夫』や『素人浄瑠璃』があるが、個人的にはこの噺は前半で終わろうと通しで演じようと『寝床』であって欲しい。

複数の題を持つ噺は大きく二つの系統に分かれるかと思う。

(A)長い噺の前半や後半のみ演じられるようになり、別題を持つ噺
本来は長い噺だが、サゲが現代では分かりにくいとか内容が今ひとつつまらない、などの理由で一部分のみが演じられるようになり別題を持つ噺だが、次のものが代表的だろう。
(1)宮戸川
(2)妾馬
(3)おせつ徳三郎

(1)→ほとんど前半しか演じられず、別名『お花半七なれそめ』とも言われる。
(2)→ほとんど前半しか演じられず、『八五郎出世』という別名を用いることが多い。
(3)→前半を『花見小僧』、後半を『刀屋』と言う。どちらも今日では滅多に聞くことはなくなったが、五代目小さんによる前半、志ん生や志ん朝による後半は、なかなか味わいがある。

この中では、『おせつ徳三郎』だけが異質かもしれない。なぜならば、前半と後半のそれぞれが単独の噺として独立した存在と言えるからである。(1)と(2)は、通しで演じることはあり得ても、後半のみ独立させて演ずることはないだろう。

確かに、『宮戸川』の前半の舞台には「宮戸川」は登場しない。『妾馬』の前半では、この演題は意味不明である。内容に即して言えば『お花半七なれそめ』であり、『八五郎出世』のほうがふさわしいのかもしれない。

しかし、私は本来の題のままにして欲しいと思うのだ。

なぜかと言うと、本来の演題をなくすことで、演じられないほうの内容が忘れ去られることを危惧するからだし、その噺のルーツの記憶が葬り去られることになるかもしれないからだ。。
「なぜこの噺で『宮戸川』なんだ?」「どうして『妾馬』なの?」という疑問が、噺の背景を知ることにつながるし、知ることによって聞く時の味わいも増すと思うのだ。

(B)原題より内容に即した分かりやすい別題
代表的な例が『寝床』の『素人義太夫』『素人浄瑠璃』である。
有名なのは桂文楽だが、途中でサゲる志ん生のこの噺も捨て難い。

この噺は「寝床」という言葉に特定の意味を持たせた力がある。
「うちの社長のカラオケ好きにも困ったね。無理矢理付き合わされて聞かされる身にもなって欲しい。ありゃぁ寝床だよ。」という表現ができるのだ。落語の演題がある現象を見事に言い表すまでになった例は稀有である。いわゆる「下手の横好き」の代名詞になったわけだ。
だから、志ん生が文楽と違って通しで演じなくても、あくまでもその噺は『寝床』なのだ。

正岡容さんがこの噺を語った文章に次のようなものがある。
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この「寝床」という言葉は最も一般によく浸透されていて、
「巧いかいあいつの小唄?」「駄目、寝床だよ」といった具合に
旺(さかん)に流用されています。なかでいちばん天晴れだった
のは亡くなった四代目小さんで、この『寝床』のマクラでしたが、
「あそこの家の奥さんのコロッケは寝床だ」と申しました。
コロッケに寝床とは対照の妙を極めていて実に奇抜では
ありませんか。(矢野誠一『落語手帖』より)
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よほどこの奥さんは、自分自身ではコロッケづくりが上手いと思っていて来客の度に作るのだろう、と想像できるじゃないですか。

通しで演じないと『寝床』の意味が分からないから、途中までの場合は『素人義太夫』、通しの場合は『寝床』、という使い分けをしている方もいるのだろうが、途中まででも『寝床』と言って欲しい。

将来、もしほとんど前半しか『寝床』が演じられないようになり、『素人義太夫』という演題が当たり前になった時、「ありゃぁ寝床だね!」という表現自体が失われることになっては寂しいじゃないですか。
(そんなことを思うのが私だけなら、なおさら寂しいのだけど・・・・・・。)

私自身も友人の前で、たまに酒の勢いで落語を披露したりするが、まさに「寝床」である。被害者の皆さんごめんなさい。
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by kogotokoubei | 2009-02-17 12:00 | 落語のネタ | Comments(0)
同じ会場で昨年3月12日は平日夜でもあり若干の空席もあったが、さすが土曜日の開催、事前にチケット完売。実際に1000名入る会場がほぼ埋まっていた。
演目は次の通り。

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(開口一番 立川春太  饅頭こわい)
立川談春  マクラ(オフレコ25分)と寝床
(仲入り)
立川談春  三軒長屋
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春太(18:00-18:13)
入門三年目としては、テンポも良く先が楽しみ。ただし、確かに会場の笑いはとれていないので、この後で師匠から「春の陽気なのに会場を冬にした、木枯らしのようだ」といじられていた。でも今日の会場は必ずしもご近所の演芸ファンばかりではなく、結構遠方からも馳せ参じた若い談春ファンも多かったと思うので、地域寄席的な笑いを期待するのは難しかったのだろうと察する。

談春(18:14-19:13)
「おかげさまでチケット完売だそうで、多摩川も制したか(笑)。次の目標は平日の夜で完売か」と、昨年を思い出しながらのコメントから。「なぜ照明を暗くしているか。それはメモを取らせないため(笑)」という気持ちは分からないでもないが、これは暗すぎである。この件は後述。とにかく25分のマクラが笑えた。しかし、内容は約束通りオフレコ。残った時間で何を繰り出すかと思ったら『寝床』。さすがに通しではできず、元番頭が味わった、旦那とのサシの義太夫攻撃による逸話で「上」としてサゲたが、談春版『寝床』の片鱗は十分うかがえた。長屋の店子や奉公人が、なぜ旦那の義太夫の会に出れないかを、それぞれ苦心した゛うそ゛で説明する茂蔵が生き生きとしている。また、このサゲ方は、いわば志ん生スタイルともいえるものなので、必ずしも定吉が登場してサゲるまで演じなくてもいいとは思うのだが、談春は通しも志ん生スタイルも両方演じるのだろうか。もちろん、通しでも聞きたいものだ。

談春(19:27-20:27)
マクラなく本編へ。黒紋付での登場に、一瞬「妾馬か?」と思ったがうれしい勘違いとなった。テレビでは見たことがあったが、生では初の『三軒長屋』である。あっと言う間の1時間であった。技術論的なことを素人がダラダラと書きたくはないのだが、やはりその巧さが印象に残る。例えば、人が出入りする際のカミ・シモのさりげない瞬時の切り替えである。これは、そのテクニックが重要と言うより、それによって噺の流れが切れず、かつ会話のメリハリが出るということが重要なのだと思う。伊勢勘が妾の家に来た後の妾と伊勢勘の会話、鳶頭が楠木先生宅へ出向いた際の内緒話における仕草などが心憎い。また、男勝りであっても「小またの切れ上がった」いい女である姐さんが、しばらく振りで帰ってきた夫の鳶頭に留守の間の出来事を聞かせるくだりで、聞こえよがしに「隣の妾がねぇ~」と大声でリフレインするところが笑えた。本人が終演後に語っていたように、こういう噺が好きなんだと思う。そして聞く側も好きなのである。

堀井憲一郎さんの著作『青い空、白い雲、しゅーっという落語』に収録されたインタビューの中で、談春は次のようなことを言っている。
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人物描写とかね、情景描写とか性格付けとかそんな大きなところじゃないン。
強いて言えばね、聞いてて気持いいかどうかなんです。気持よくしてあげる
ポイント。それは筋に関係ない。ここをこう押さえるとうまく聞こえるとこがあって、
それは音とか流れなの。
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『寝床』での茂蔵と旦那とのリズミカルな楽しい問答、『三軒長屋』では鳶頭の家の二階で喧嘩が始まる前の辰による道中言い立てのような長広舌の飽きさせないテンポ、そういった部分に、「うまく聞こえる」という言葉を思い出させた。しかし、それは上っ面な技巧ではもちろんなく、その落語の勘どころはどこか探し続ける努力と鍛錬がなければ出来ない「芸」なのであろう。

実は、まだ目が充血している。久しぶりに一緒に行った連れ合いも「目が痛い」と言っており、間違いなくこれは会場の照明の問題だと思うのだ。会場が暗すぎて舞台が明るすぎる、という状況で観客は目を凝らして見つめているうちに目が大いに疲労してしまうのだと思う。これは暗い部屋でテレビのアニメを見た時の子供への影響と近いのではなかろうか。今後、メモはご指摘通り極力控えて、できるだけバレないように取りますので、できれば会場の照明はもう少し明るくしてください、と切にお願いする次第である。

「来年は、そろそろ『居残り~』かな?」などと思いながら、つかの間の春の暖かさから冬に戻りかけた外の冷気の中、新百合ヶ丘駅に向かった。
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by kogotokoubei | 2009-02-14 21:51 | 落語会 | Comments(0)
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昨年末12月17日、日本ビクター(正式なレーベル名は「日本伝統文化振興財団」)から、三代目春風亭柳好のCDが3作同時に発売された。仮に3つのCDをA、B、Cとし、収録作品は次の通り。

A
1.野ざらし
2.鰻の幇間
3.羽織の遊び
4.宮戸川

B
1.蝦蟇の油
2.権助芝居
3.たいこ腹
4.二十四孝

C
1.青菜
2.居残り佐平次
3.穴泥

高座に上がったとたんに客席から「野ざらし~」「蝦蟇の油~」と声がかかったというから、AとBはその代表作を中心に構成されている。定評がある幇間や酔っ払いのネタもいくつか選ばれているのもうれしい。また、Cの『穴泥』は遺作である。昭和31(1956)年3月14日に、専属だったラジオ東京(現在のTBS)のスタジオで収録され、その後に向かった鈴本で脳溢血で倒れ、その夜に亡くなっている。翌日の追悼番組の中で放送されたが、その際の正岡容さんのメッセージも併せて収録されており貴重な音源といえるだろう。明治20(1887)年生まれ、享年70歳。落語芸術協会の所属だった。

柳好の全盛期、当時の落語協会の中心人物であった桂文楽は、柳好のはなやかさや人気の高さから、「序列は上でも構わないから落語協会の方に来て欲しい」と真顔で語っていたらしい。当時は、芸術協会の寄席の方が落語協会よりも人気があったようだが、たぶんに柳好の貢献があったのだろう。

その人気に反して、いわゆる落語通や大半の評論家からは無視されていたことが、これまであまり音源が発表されなかった理由なのだろうか。他の噺家とのカップリングなどが多く、もっぱら『野ざらし』『蝦蟇の油』ばかりが市場に出回っていた印象がぬぐえない。だからこそ今回の一挙発売は、「謡う」と言われた名調子をさまざまな作品で味わえ、うれしい限りである。出囃子は現在は立川志の輔で御馴染みの「梅は咲いたか」。志の輔が柳好ファンか否かは知らないが、柳好を知らないはずがないので、きっと好きなのだと察する。あるいは家元の推薦だったかもしれない。出囃子が鳴るや否やの会場の拍手が、当時の寄席の熱気を彷彿とさせる。

もしかしたらちょっとした柳好ブームになるのだろうか、コロムビアからも4月22日に、『野ざらし』『ガマの油』『電車風景』『青菜』の4作収録のCDが出るらしい。別な音源かと思うので、こちらも期待したい。

春風亭柳好_野ざらし_他
春風亭柳好_蝦蟇の油_他
春風亭柳好_青菜_他

コロンビア_春風亭柳好ベスト
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by kogotokoubei | 2009-02-11 16:40 | 落語のCD | Comments(5)

夏目漱石と落語

先週7日(土)、私は吉祥寺にいたのだが、漱石ゆかりの土地である新宿では区の主催で『漱石千思万考』というイベントが開催されたようだ。企画メンバーの一人である大友浩さんのブログによると、次のようなプログラムだったらしい。
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○日時:2009年2月7日(土) 14:00開演
○会場:四谷区民ホール
○主催:新宿区
○制作:社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協)
○番組:
 第一部 創作落語
    「『坊っちゃん』外伝」三遊亭圓窓
 第二部 日本舞踊
     「吾輩は猫である」花柳寿南海
 第三部 大喜利
    五明楼玉の輔・桂平治・三遊亭萬窓・三遊亭丈二・三遊亭遊雀
    司会=三遊亭圓窓
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大友浩さんのブログ_芸の不思議、人の不思議

 『坊ちゃん』が落語になり、『吾輩~』が日本舞踊になったようである。このメンバーでの大喜利も、さぞ楽しかっただろうなぁ。

 夏目漱石は、新暦では今日2月9日の生まれである。慶応3(1867)年旧暦1月5日の生まれ、大正5(1916)年の12月9日没。本名は夏目金之助。
 余談だが、日本の旧暦(正確には天保暦)は明治5年12月2日(新暦で1872年12月31日)まで使われて、その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改暦された。旧暦(太陰太陽暦)については堀井憲一郎さんの『落語の国からのぞいてみれば』(講談社現代新書)に詳しく説明されている。
堀井憲一郎_落語の国からのぞいてみれば
 
 さて、ご紹介したイベントでも物語るように、夏目漱石と落語の関係は深い。特に有名な『三四郎』で登場人物に語らせる名人三代目柳家小さん評は、ずいぶん多くの評論家や落語家に引用されている。
 少し筋書きを説明すると、三四郎が東大に入学し専攻課目以外の授業も含め週に四十時間も大学に通っていても物足らないと言うのを聞いた友人の佐々木与次郎が、「電車に乗って、東京を十五六返乗回しているうちに自ら物足りる様になるさ」と電車に乗せた後、日本橋の料理屋へ連れて行き晩飯を食べ酒を呑んだ後の記述である。

 次に本場の寄席へ連れて行ってやると云って、又細い横町へ這入って、木原店(きはらだな)と云う寄席へ上った。此処で小さんという落語家を聞いた。十時過通りへ出た与次郎は、又「どうだ」と聞いた。三四郎は物足りたとは答えなかった。然し満更物足りない心持もしなかった。すると与次郎は大に小さん論を始めた。小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものじゃない。何時でも聞けると思うから安っぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである。今から少し前に生まれても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。


 夏目漱石の作品自体への落語の影響は、『吾輩は猫である』のほうがはるかに大きい。作品そのものが”落語的”と言ってもいいだろうし、あちこちに優れたパロディが見られる。
たとえば、強盗が入れられた翌朝、苦沙弥夫婦が盗まれた物を確認する会話は、まさに『「花色木綿(出来心)』のパロディである。

「帯までとって行ったのか、にくい奴だ。それじゃ帯から書き付けてやろう。帯はどんな帯だ」
「どんな帯って、そんなに何本もあるもんですか。黒繻子と縮緬の腹合の帯です」
「黒繻子と縮緬の腹合の帯一筋—価はいくら位だ」
「六円位でしょう」
「生意気に高い帯をしめてるな。今度から一円五十銭位のにしておけ」
(中 略)
「それから?」
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒の所へ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」
「山の芋のねだんまで知りません」
「そんなら十二円五十銭位にしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」


 なぜ、漱石の(初期の)小説に落語の香りがこんなに漂うか、ということについては矢野誠一さんの『文人たちの寄席』からヒントが得られる。
矢野誠一著『文人たちの寄席』(文春文庫)

 江戸の草分けと言われる名主の家に生まれた夏目金之助漱石は、子供時代を牛込馬場下で過ごすのだが、まだ十歳にみたぬ頃から日本橋瀬戸物町の伊勢本に講釈をききに出かけたという。娯楽の少なかった時代の名家に育った身にとっては、あたりまえのことだったのかもしれない。正則中学校、二松学舎、成立学舎をへて東京帝国大学英文科と、漱石の学生生活は一方で寄席通いの歴史でもあった。正岡子規との交遊が始まったのは、1889(明治22)年1月からだが、そのきっかけとなったのはふたりで交わした寄席談義だったとされている。


 晩年の作品は落語とは次第に無縁となっていったが(もちろん、それぞれ傑作であるが)、若かりし頃の漱石の作品には、落語ファンにはたまらない魅力がある。それは、寄席が大好きだった少年時代の思い出が大きく影響しているのだろう。
 漱石作品は『こころ』をきっかけに、中学から高校にかけて夢中に貪った懐かしい思い出がある。それは、その小説としての魅力はもちろんだが、敗戦を終戦と誤魔化され、昭和30年代以降の世界しか知らなかった世代にとって、その作品に広がる明治の東京が新鮮に、そして美しく思えたことが大きな理由でもある。団子坂の菊人形などのキーワードが今も思い出される。

 あらためて久しぶりに漱石を読み返してみよう、と思う記念日であった。

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by kogotokoubei | 2009-02-09 15:03 | 小説家と落語 | Comments(0)
吉祥寺に着き、贔屓の店でラーメンを食べた後、いつも立ち寄る街の古本屋さんで落語と江戸関連コーナーをのぞき、今回は時間もなく何も買わずに会場へ。吉祥寺は、古い建物のままのお店が残っていて道中も飽きないのが、うれしい。

 この顔ぶれでも当日券が少し残っていたようだが、開演時間にはほぼ満席になっていた。
さて、本日の演目。先に言っておくと、今日は本当に徳した気分だった。
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(開口一番 入船亭遊一 元犬)
柳亭市馬    七段目
入船亭扇遊   天狗裁き
(仲入り)
柳家小菊    粋曲
古今亭志ん輔 文七元結 
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遊一(14:00-14:14)
初めてだと思うが、結構しっかりした噺をする。師匠がいいから、今後に期待したい。

市馬(14:15-13:39)
結果として最後まで全員に「待ってました」の声をかけるお客さんがいたが、その洗礼のトップバッター。「親戚が来ておりまして~」とお決まりの返礼。笑っているが、今日の番組構成からすると市馬師自身はテレもあるだろう。最近お決まりとも言える学校寄席のマクラから、前進座→歌舞伎座とつないで『七段目』へ。マクラの後半で落語の真打披露での先代の正蔵師匠のマネが笑えた。会場を考えるとネタの選択良し、である。また、この人のこの噺が合わないはずがない。加えて歌舞伎好きのお客さんも多い会場である、普段の寄席や落語会よりも笑いが多いはずだ。十八番の芸と笑いであっという間の25分、という感じで扇遊師につなぐ。

扇遊(14:40-15:10)
またまたの「待ってました~」に、市馬師の鸚鵡返しで「親戚が・・・・・・」で場内の温度をキープし、「この会場へは十年ぶりで、十年前は志ん朝師匠と一緒だった」という回顧談。その後、時事ネタを少しふってから三平襲名→寄席→寝るお客さん→病院の待合室の小噺、とつないで本編へ。最初に登場する女房のお崎さんが実に良いのだ。偶然、今年の初落語会だったにぎわい座での『厩火事』と同じ名前だったが、この人の女の描き方は、さん喬師が「静」の女を描く名人とするなら、「動」というか、少し気が強い江戸のおカミさんを演じさせた時、なとも言えない味がある。こちらもあっという間の30分で仲入りに。

小菊(15:25-15:43)
12月「三三冬噺」以来の小菊姉さんである。寄席の雰囲気をしっかり味わわせてくれる。
「笹の小船に松葉の船頭、乗せたお客は梅の花」、なんざぁいいじゃありませんか。

志ん輔(15:44-16:42)
「待ってました」の声に、「みんなに声かけてるン。この次はないですよ。これで終わりだから」という応酬に、決して嫌味はなかったし、声をかけたお客さんも憎めない。会場の雰囲気は非常にいい。マクラは定席寄席の近くには必ず居酒屋がある、という話から。ホルモンにはホッピー、ホッピーの正しい呑み方なんてない、という話は笑えた。そして、呑む・打つ・買う、どれかには手を染めるもので、という伏線から本編に入った時、一瞬驚いた。まさかこの噺をこの時期に聞けるとは思わなかったからだ。この人の文七の特徴は、あえて言えば「泣きの長兵衛」と「場面展開の妙」いうことになるだろう。ほぼ師匠志ん朝版を踏まえながら、スピーディーな場面展開や長兵衛の顔の表情を含む感情表現、独特のクスグリなどで、味わい深い作品となっている。

 三人の顔ぶれから考え、ある程度は期待をしていたが、その期待を上回るうれしい落語会だった。決して市馬の25分、扇遊の30分が短く感じない。そしてトリでの長講もまったくダレない。扇遊と志ん輔は昭和47年入門、昭和60年真打昇進の同期である。かつては二人会をよく開いた仲である。扇遊のマクラから考え、二人の間では「志ん朝トリビュート」的な思いがあったのかもしれない。だからこその志ん輔のトリで、このネタなのだろう。
 ある特定の地域や会場の落語会の出来というのは、演者はもちろん、場所・主催者・常連さんを含む客筋など、さまざまな要素に左右されると思うのだが、この会場の落語会は何度来ても、1時間半かけてでも、また来たいと思わせる。もちろん、それは土曜の昼間ということも重要なのだが。
 
 渋谷では志の輔inパルコが6,000円で一ヶ月分のチケットが発売後あっと言う間に完売である。また談春や喬太郎の都心での独演会のチケット入手は僥倖に頼るしかなさそうだ。そういったプラチナチケットをオークションで買うつもりはない。買う人がいるから、落語ファンではないのに商売として購入して売る人間もいるのだ。
 仕事帰りの寄席や若手噺家の少人数の会、また人気者でもチケットの入手しやすい多摩川越えでの落語会、そして今日のような、ちょっと足を延ばせばなんとか行ける休日の落語会など、幅広い選択肢で今後も無理のない程度に楽しみたい。そうすれば、いつかは今日のようなご褒美にあずかれるはずだ。
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by kogotokoubei | 2009-02-07 18:47 | 落語会 | Comments(0)
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堀井憲一郎_青い空、白い雲、しゅーっという落語
 あとがきで明かされているが、タイトルは春風亭昇太の新作落語『ストレスの海』の一節から付けられている。「波の音、青い空、白い雲、しゅーっという音」というのが、そのオリジナルの一節。著者も「深く考えなくていい」、と言うとおり、たぶんに気分で付けたタイトルであろう。だから、堀井さんを知らない人は、「この本、なんの本?」ということになるだろうが、それも一興と著者は笑っているようだ。

堀井さんが「落語の本ではない。旅の本である。だから、落語好きに向けた本ではない。」と断っていること自体が、本書についての気の利いたマクラといえる。ここで言う「旅」とは、「落語を見に行く」という小さな旅のこと。だから、間違いなく「落語の本」なのだ。
本書には二つの顔があり、前半の「落語の旅」コラムに加え、後半は現役最強メンバーとも言える錚々たる噺家達とのインタビュー集となっている。

前半の”旅”の記録のほうは「ぴあ関西版」に連載されていたコラムの単行本化。
タイトルをいくつか並べてみる。
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・もぎりがきちんともぎってくれない
・川崎の志ん朝チケットとの戦いが始まった
・小朝の独演会は亀有か亀梨か亀戸か
・高座で噺家が黙り込んでしまう瞬間
・節分、豆撒き、池袋、ここは地獄の一丁目
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などなど。

長年の落語愛好家であり、今でも年間400回以上の落語会に出向く堀井さんだから書ける、数々のエピソード集と言ってよいだろう。堀井節とでも言える独特のクスグリを含め、気軽に読める内容が多いのだが、ところどころに貴重な「伝説」の記録が散りばめられているから要注意だ。
たとえば、次のような章である。
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・京の都の東山で聞いた小米の宿替え
・横浜にぎわい座の異常な緊張の『九州吹き戻し』
・平成二十年、桂米朝、京都での伝説の高座顛末
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後半の十人インタビューの分量が予想以上に増えて連載されたコラムの一部は割愛されたらしいのが、まことに残念。その対談集。十人の噺家は次の通り。(本書の登場順)
「談春」「喬太郎」「志らく」「三三」「扇辰」「白鳥」「正蔵」「喜多八」「昇太」「志の輔」

この顔ぶれはすごい。それぞれ個性的なつわものが、修行時代の苦労話や自分の落語哲学など、硬軟とりまぜて披露してくれる。あえて、名前を明かさず少しだけ紹介する。

噺家A
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よく淀みなく落語口調でワーッとしゃべる二つ目さんなんかを「あの人うまいね」
って言ってる人たちがいるんだけど、それがうまいんだとしたら、僕はうまい落語
家になんかぜんぜんなりたくないんです。
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噺家B
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生命保険のセールスレディの忘年会は過酷でしたね。行ったら、丸テーブルで
椅子席にみんな座っていて喋ってる。そこで落語を始めたら「うるさい」って
言うんです。セールスレディのおばさんたちは、タダ酒をガバガバ飲んで、
自分達の話をしたいわけですよ。
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噺家C
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人物描写とかね、情景描写とか性格付けとかそんな大きなところじゃないン。
強いて言えばね、聞いてて気持いいかどうかなんです。気持よくしてあげる
ポイント。それは筋に関係ない。ここをこう押さえるとうまく聞こえるとこが
あって、それは音とか流れなの。
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噺家D
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最近はね、意識的に狂気じみた雰囲気に変えるぞ、あの目になるぞって
できるようになりました。ちょっと鬱めいた時期があって、真打になる少し
前くらい、客の共感を拒む新作を作ってた。いまは穏やかなんですけど、
でも、共感できない噺があってもいいとおもう。
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噺家E
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一対一はないですけが、池袋で客が三人とかはありますからね。そういう
ときは『野晒し』とか『湯屋番』というようなネタをやるんです。お客さんが
勢いで爆笑しないと、演者もお客さんもツラいというネタ。それをわざとやると、
お客さんのほうも笑ってあげたいけど、人数少ないから声を出して笑えない、
ツラい、というのがよくわかる。それを見ているのが楽しくって。
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このA~Eの噺家を当てられる人は相当な落語通といえるだろうが、詳しくは本書を読むしかない。

全体のボリューム調整のためでもあろう、インタビュー部分は前半よりも一回り小さな字で三段組。堀井さんの質問も省いている。もったいない。
本書は、前半だけでも、後半だけでも十分に出版する市場価値があっただろうに。だから非常に徳な本である。
あとがきには、今後「落語好きに向けた本」を出す、と堀井さんは宣言している。落語本好きには楽しみが増えた。その序章ともいえるのが本書なのかもしれない。
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by kogotokoubei | 2009-02-04 12:14 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛