噺の話

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大賞受賞者が誰かはすでに知っていたが、本日テレビにて確認。

登場順は次の通り。
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(1)笑福亭喬若   『青菜』
(2)三遊亭王楽   『鼓ヶ滝』
(3)桂まん我     『野ざらし』
(4)立川志らら    『壺算』
(5)古今亭菊六   『やかん』
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ご存知の通り大賞は王楽。

ライブでご覧になった落語ファンのいくつかのブログでも、いろいろ選考結果への疑問が投げかけられていたが、私も素朴な感想として違和感がある。もちろん、「評価」そのものが個人の好みに頼るわけだし、加えて複数の審査員で合意をとるなどという場合は、声の大きな人、いわゆる「偉い人」の影響力が強くなるだろう。あるいは、何らかの政治的な配慮が働かないとも言えないだろう。

個人的な順位と100点満点の点数を記します。
100人落語ファンがいれば、100通りの順位があっていいでしょう。

1位 菊六  85点 
2位 まん我 82点
3位 志らら  75点
4位 喬若  73点
5位 王楽  72点

菊六とまん我が決選投票の結果菊六、という印象である。
まず、80点以上が、菊六とまん我の二人。
70点から80点までに他の三人、という感じだ。
参考になるかどうか、昨年のこのイベントについて、あえて私が採点をするなら、春風亭一之輔 『鈴ヶ森』と桂よね吉 『芝居道楽(七段目)』が 85点で同点、他の三人は80点以下という評価になる。ただし、古今亭菊六 『権助提灯』 はほぼ80点という感じで、出来は悪くなかった。「この人はなかなか古典落語の空気があって、いいなぁ。」という印象を持った記憶がある。

王楽のネタ選びを寸評で評価した審査員がいたが、それを言うなら上方の噺家では非常に珍しい『野ざらし』を選び、違和感を感じさせなかったまん我のチャレンジ精神のほうが評価されるべきだろう。
喬若は、やはりトップバッターというのが緊張を強いたと思う。この人は初めて聞いたが、上方にしてはおとなしい落語だが、基本がしっかりできているように思え、先が楽しみだ。
志ららは、「暴れてやる」という思いが強すぎたのか、ちょっと自分でスピードをコントロール仕切れていなかったように感じた。二つ目で当たり前だが、まだこのネタをこなし切れていないと思うし、ネタに助けられている面とネタに負けている面が五分五分という感じだった。
王楽は何度かライブで聞いているが、今回の出来そのものは悪くない。しかし、とてもこの五人の中で1番、とは思えない。
菊六の『やかん』は、間違いなく真打レベルの内容であり、川中島の決戦の講釈語りの場面も堀井憲一郎さんの寸評の通りで澱みなく、全体として゛古典落語の居心地よい場゛をつくってくれたように思う。もしかしたら、少しくらい噛んだほうが、審査員達のウケは良かったのでは、と思うほどの出来だった。(この皮肉が審査員に届くかどうか?)菊六という噺家の醸し出す懐かしい落語の世界があったようにも思う。
私のつける順位も、もしまん我が得意の上方落語で勝負していれば、どうなったかはわからない。

他のバラエティ番組やものまね番組では、ほとんど意味のない点数で審査結果が明らかにされるが、それは別として、このイベントも、そろそろ審査結果について、もう少し説明責任を感じてもらう必要があるかもしれない。
来年の王楽の真打昇進という話と、彼のガッツポーズに妙に寂しいものを感じた。他にも若手を対象としたコンテストはあるが、やはりもっとも重要視されているイベントである。無記名でいいので、審査員の採点結果の合計位は明らかにしてはどうだろうか。番組冒頭に3つの基準、という話もあった。それぞれの項目別に採点しているなら、項目別合計点と総合計点を公表するのが親切かもしれない。もし、そういったデジタル的な集計などなく「話し合い」で決めた、というなら、誰が誰を推したか、ということだけでも明確にして欲しい。ライブでは、そういう選評もあったのだろうか。どなたか教えていただけるとうれしい限り。菊六の悔しい表情がやけに印象深かった。
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by kogotokoubei | 2008-11-24 17:30 | テレビの落語 | Comments(0)
厚木市文化会館の小ホールは376席のキャパ。その会場が、市馬と喬太郎で、それも土曜日で7割ほどの入りである。落語会は多摩川越えでも動員が厳しいが、相模川越えとなるとここまで寂しくなることを実感。まずは、演者と出しモノ。
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台所鬼〆        子ほめ
柳家喬太郎       小言幸兵衛
(仲入り)
あした順子・ひろし   漫 才
柳亭市馬         掛取り
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鬼〆(14:00-14:18)
花緑の弟子。名前の由来などのマクラをふって『子ほめ』へ。名前の珍しさだけではなく、芸を磨いていただきましょう。

喬太郎(14:19-14-54)
「後ろの方の席のすき具合がいいですねぇ、これが落語会ですよ。」と笑いながら、さすがに゛相模川越え゛を感じていたようである。「ほどよい緊張感で会場へ向かった。」とのフリは、本厚木駅から歩きながら「こっちで良かったよなぁ・・・・・・。でも、まだぜんぜん見えないなぁ。」という会場までの不安感のことだった。これは、まったく同感できる話で、観客の相当数がうなづきながら笑っていた。また、駅前広場のストリートライブでアンデス音楽をやっていてしばらく聞いていた、という話には、私も同様にしばし聞いていてCDの押し売りをされそうになったので、思わず含み笑いしてしまった。さて、4分ほどのマクラから本編へ。私のニックネームのこの噺、喬太郎で味わうのは昨年の前進座でのさん喬師匠との親子会以来。正直、落語会デビューだろうと思われる客が半数はいようかという会場で、このネタは予想していなかった。もちろん新作はないと思ったが古典にしても『金明竹』あたりでドッカンさせるのでは、と思っていただけにうれしい誤算。平均年齢の高さへの対応でもあるのだろうが、決して楽なネタではない。喬太郎のヤル気を感じた。細かなクスグリで特筆すべき部分もたくさんあるが、何より、長屋でブツブツ小言を撒き散らす冒頭から、会場を「幸兵衛ワールド」に引きずり込んだところが喬太郎の力量の高さを物語る。都内で、ほとんど追っかけのような多くのファンで賑わうチケット争奪戦をする会ではない。理屈抜きで会場を落語の世界に染めた。最初に店(たな)を借りに来る豆腐屋のキレ方は何度聞いてもいい。幸兵衛に「八年もたって子供ができないようなカミさんとは別れてしまえ」と言われた豆腐屋がキレて放つ、「ウチのかかぁ~が好きなんだぁ、バカー」の捨て台詞が利いている。次に店を借りに来る仕立屋と幸兵衛とのコントラストは一年前より格段に鮮やかになったように思う。仕立屋の倅と古着屋の娘お花との心中という幸兵衛の妄想ワールドに、最初は冷静だった仕立屋が次第に巻き込まれていく様子が、最大の魅力だ。歌舞伎調に心中を演出する場面では最後の念仏騒動まで笑いの渦が止まらなかった。一頃咳き込むことが多かった喬太郎の声も元気そうであり、非常に満足な35分間だった。

順子・ひろし両師匠(15:10-15:29)
4月で86歳になられたひろし師匠の声の調子が少しかすれ気味だったが、お二人の芸はいつ見てもすこぶる楽しいし、元気をもらえる。これからも是非寄席でお目にかかりたい。

市馬(15:30-16:05)
マクラで「ひろし師匠が86歳ですから、順子師匠もそれなりの御年で・・・・・・」とフッたところ、順子師匠が抗議の登場で会場は大爆笑。その後、「早いものでもう今年も・・・・・・」ときて、察しがついたが、まさか師走の十八番のネタをこの時期の厚木で味わえるとは、これもうれしい誤算である。最後のお決まりの三橋美智也メドレーでは曲ごとの大拍手。間違いなくお客さんの多くが今日から市馬ファンになったことだろう。市馬も、空席の目立つ゛相模川越え゛でも、気合十分であった。

喬太郎、市馬の両師は、目一杯本寸法のネタで300名弱の観客を良質な落語の世界に連れて行ってくれた。もちろん、順子・ひろし師匠は、マンネリとの指摘があろうと、磨きぬかれた芸の奥の深さを教えてくれた。
満足した笑顔で家路につく年輩の多くのお客さんを目にすると、こういった落語会は商業的には厳しくても、ぜひ続けて欲しいと思う。実は4日前に愛犬を19歳で亡くし、いまだに心にポッカリと穴があいたような空虚さだったが、少なくともそれぞれの芸を楽しんでいる間だけでも悲しみを紛らわせることができた。これだけ胸がはりさけそうな状況で臨んだ落語会、という意味でも一生忘れないだろう。
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by kogotokoubei | 2008-11-15 17:57 | 落語会 | Comments(0)

三代目 三遊亭金馬

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*ポニーキャニオン発売『三代目 三遊亭金馬 名演大全集』ジャケットより


11月8日は三代目三遊亭金馬の命日である。昭和39(1964)年、東京オリンピックが終了してまもなくの頃、古希で亡くなった。三代目金馬は明治27(1894)年10月25日に本所北二葉町(現東京都墨田区石原町)の生まれで、本名は加藤専太郎。専太郎少年は小学校を卒業すると経師屋の伯父のところへ奉公に出された。この伯父さんが当時の桂南光という落語家の弟子になった経験もあることと、近所に広瀬という寄席もあるので、芸人たちのたまり場であったらしい。専太郎少年は、近所の夜学に通っていたが、この学校が寄席の広瀬の隣であり、顔なじみの広瀬は入場無料であったので通い続たことが、寄席芸人の道につながったようだ。「寄席芸人」であって、「落語家」にすぐなったわけではなく、数え年19の時、講釈師の放牛舎桃林に入門。しかし、滑稽口調が強いため、翌年、初代の三遊亭円歌門下となり、加藤の姓にちなんで歌当と名乗った。二つ目で歌笑になり、大正7(1918)年、25歳で真打に昇進したが、まだ金馬は襲名せず円州と名乗った。その後、それまで所属していた東西会から三遊睦会に移籍し、二代目の金馬に可愛がられて、大正15(1926)年に二代目が金翁と改名し、円州が三代目金馬を襲名、5月3日に金翁が没してからは東宝落語会に移り、頭角をあらわした。

談志家元は『あなたも落語家になれる-現代落語論其二-』(三一書房、昭和60年発行)の「回想の落語家」の章で、真っ先に三代目金馬をとりあげている。
立川談志_あなたも落語家になれる-現代落語論其二-
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まず、私の一番の想い出に出てくるのは三遊亭金馬である。この金馬は先代で
前著『現代落語論』にも書いたように、ラジオの落語というものを確立した人である。
ラジオの音声というもののなかで、落語の人物を使い分けたのが、この金馬。
この使い分けるということは、当時の落語通といわれた人たちにとって、八人芸
といって邪道といわれたのだが、金馬は、むしろこれを利用し武器にして、自分の
個性を大衆に浸透させた。(中 略)
当時の落語の評価を、自分の美学を基準にして好き勝手に批判していた人たちに
とっては、金馬の芸は論外であっただろう。安藤鶴夫はその最たる人で、落語家
全部を愛したような正岡容も、そんな芸を嫌うところもあり、抵抗を感じていたと思う。
しかし、金馬は現実には客を呼んだ。どんな地方に行っても客に受けた。東京に
ある二つの落語家協会のどちらにも属さず、東宝専属であった。東宝名人会が
中断した時もそのまま無所属であった。しかし、天下のNHKは金馬を離さなかった。
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安藤鶴夫さんは、ある意味正直な人で、三木助大好き、次は文楽、という感じで、田河水泡作の『猫と金魚』などで人気を誇った初代柳家権太楼や金馬のことをまったく認めていなかった。個人の好悪の問題なのでいたし方ない面もあるが、影響力が大きかっただけに批判される当人の心境は複雑だったであろう。しかし、家元が言うように、ラジオの金馬は確実に落語ファンの心をつかんだ。かく言う私も、最初にラジオで聞いた金馬の落語の印象が強く残っている。たしか、受験勉強中の高校時代で、『居酒屋』だった。深夜なのについ大きな声で笑ってしまった記憶がある。

大西信行さんは『落語無頼語録』(芸術生活社、昭和49年発行)の中で次のように記している。大西信行_落語無頼語録
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うまいという点では充分文楽志ん生に匹敵し得るはなし家だったのではあるまいか。
『佃祭』の船頭の熊を金馬は、宇野信夫の描く江戸世話狂言の人物以上に活写して
いたとぼくは高く評価している。先代円馬のうまさをうけついいだはなし家として多く
の人たちは文楽を挙げる。が、先代円馬の豪放さを、文楽はついに継承しきれない
で終わった。文楽とともに円馬にはなしの稽古をつけてもらった落語家金馬のある
日ある時の高座には、これが話に聞く先代円馬の豪放さではなかろうかと思わせ
られるつよい力がみなぎっていた。
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興津要さんは、前述した経歴の紹介で参考にさせてもらった『忘れえぬ落語家たち』(河出文庫、平成20年発行)の中で、作家の土師清二の言葉を紹介しながらこう表現している。
興津要_忘れ得ぬ落語家たち
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金馬の特質を、親交のあった作家土師清二が、つぎのように延べている。
  落語家は、文楽、志ん生、柳橋、三木助そのほか練達の人々がある。
  それぞれの持ち味で、おもしろい。そのうちで、気楽に安心して聞いていら
  れるのは金馬であるように思われる。文楽のはなしは、こちらが、うっかり
  していると、あの滋味を取りにがしそうだし、志ん生だと、うっかり聞いている
  と、あの警抜な比喩を、あとから追っかけねばならない場合がある。聞いて
  いて油断ができない。その点、金馬は、話しぶりが、直裁簡明でいて、親切
  なので、楽々として聞いていられる。話の味に、「あたりまえのことを言って
  いてもおかしい」趣があるからだ。
                   (速記本「三遊亭金馬・落語独演会」あとがき)
—ここに言う金馬の持ち味こそ、まさしく直木賞の感覚だと言えよう。
子どもにもわかる前座噺の『道灌』や『金明竹』を、創意もくわえて、明快に、
しかも格調高いものに磨きあげ、『孝行糖』『小言念仏』『転失気』などという小品を
印象深い噺に仕上げたり、『薮入り』や『唐茄子屋政談』や『佃祭り』では、人情の
機微をえがいたり、『片棒』『高田馬場』『茶の湯』などの名編に大真打としての
実力をしめしたり、『勉強』『相撲放送』『長屋チーム』などの新作物にも、的確な
描写と明快な弁舌の冴えを見せたり、落語の楽しさを満喫させてくれたひとだった。
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ダメ押しのようにもう一つ、『寄席放浪記』から、著者色川武大さんと矢野誠一さんの対談の抜粋。
色川武大_寄席放浪記
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色川 金馬はもうちょっと評価する必要があったんじゃないか。
矢野 評価されてよかったですよね。「佃祭」とか「夢金」とか、物語のある噺
    がとってもいい。やっぱり講釈師をやっていたせいなのかな。骨格の
    しっかりしたものがうまかった。
色川 金馬がしゅっちゅうやっていた幾つかの落語のイメージが、ちょっと
    邪魔しているのね。
矢野 そうなんですよ。「孝行糖」とか「居酒屋」とか、そういうところがある。
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ご紹介した落語の目利きが評した通り、一部の評論家には評判が芳しくないが、分かる人には分かる、そして何と言っても一般大衆が支持した落語家であり、今日の落語ブームにもつながる大功労者の一人が三代目金馬だと思う。落語家仲間での評価がどうだったかについて、まず矢野誠一さんの『落語家の居場所-わが愛する芸人たち-』から次の文楽の言葉を紹介しよう。
昭和37年に、若干27歳の矢野さんが「精選落語会」を桂文楽、三遊亭圓生、柳家小さん、林家正蔵、三笑亭可楽の五人の名人で幕開けさせる際のことである。
矢野誠一_落語家の居場所-わが愛する芸人たち-
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毎偶数月に開催する「精選落語会」が正式に発足することになって、一年間の
演目を決めてもらう必要もあり寄りあいを持ったとき、開口一番という感じで桂文楽
にこう言われた。
「この会に、金馬さんがはいっていないのは、どういうわけのもんです?」
文楽の質問に他意はなかったと思うが、これには正直困った。三代目の三遊亭
金馬をこの会の出演者に加える気持が私にはまったくなかった。レギュラー出演
者の人選をしているときにも、金馬の名前は私の頭のなかにはまるで浮かんで
こなかった。あれだけのひとでありながら、その時分のなんとなく落語に対して
一見識あるような気にうぬぼれていた私には、三代目三遊亭金馬の芸が、どうし
ても好きになれなかったのである。講釈師あがりという経歴からくるのだろうか、
調子にかんでふくめるようなところがあって、それがどうにも理屈っぽい感じに思え、
いやだったのである。
時間の関係もあって、レギュラー出演者を五人以上にふやせないからと、なんとか
その場をとりつくろって納得してもらいはしたものの、三遊亭金馬というひとの仲間
うちでの評価の高さに、いまさらのようにおどろかされたのをよく覚えている。
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古今亭志ん朝は、『世の中ついでに生きてたい』の中の結城昌治さんとの対談の中で、桂文楽特有の”くささ”が好きだ、という発言の後で金馬のことを語っている。
古今亭志ん朝_世の中ついでに生きてたい
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結城   まあ、そのくさいところが芸人の個性だろうけど。
志ん朝 ええ。でも、うちのおやじの個性ってえのは、くさいっていうより、なん
      だか、ただ個性っていう言葉になっちゃって、くさいとはあんまりいわれ
      ないんですね。文楽師匠の場合、たしかにくさい。あれが、ぼくはたまん
      なく好きだったんですね。
      あとは最近、ことに金馬師匠です。
結城   先代のね。
志ん朝 若いころは、あんまり感じなかったんですよ。ところが、いまんなって考
      えると『清書無筆』だとか『道灌』だとか、短い噺であんだけ受けさせる
     のは、すごいと思う。大きなネタで感心させるんじゃないんですもの。
     それと、あの口調のよさ。まあ、くささもありますけどね。
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この対談は、昭和55(1980)年のことなので志ん朝師匠42歳。昭和51年から始まった三百人劇場での「志ん朝の会」も五年目を迎え、この年は4月に『お直し』『今戸の狐』、6月『おかめ団子』『茶金』そして10月に大ネタ『百年目』と『宿屋の富』を披露している。この全てがCD化されてベストセラーとなっている。そして、伝説の「志ん朝七夜」はこの翌年4月の開催。よって、もっとも脂の乗った時期に、三代目三遊亭金馬を再評価していたということになる。たしかに、志ん朝師匠のCDのうち、作品によっては聞きながら金馬の影がうっすらと浮かぶものが少なくない。『蔵前駕籠』などは、間違いなく金馬版をテキストの中心にしているように思える。この本(『世の中~』)には平成6(1994)年に行われた江國滋さんとの対談も掲載されているが、その会話の中でも次のような金馬への賛辞がある。志ん朝師匠、56歳の時である。
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江國   そうしてみると、金馬さんは、文楽さんなんかの一格下みたいに言う人が
      いたけれども、あの人の高座もやっぱりすばらしかったですね。
志ん朝  ええ。もう、なんてんでしょうか。志ん生、金馬とこう並べると、わたしなん
      か好みからいくと志ん生なんですけど、本当にお手本にすべきはやはり
      金馬なんですね。だからたまにテープを聞いたりすると、「ああ、こういう
      ふうにしゃべれないもんかなあ」と思いますね。
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金馬は落語界きっての物知りであり、文章の達人でもあった。彼の著書『浮世断語』は、噺家の着物や食べ物といった落語関係の話に加え、趣味の釣りの話題、犬や馬、虫のことなどまで、とにかく幅広いテーマについて楽しく書かれており、噺家によるエッセイとしてベスト3に入る傑作だろう。
三遊亭金馬_浮世断語

『道灌』『やかん』『一目上がり』など、物知りな横丁のご隠居が登場する噺がニンであることはもちろん、人情噺での力量も抜きん出ている。『夢金』などにおける、笑わせながらも、情景を目に浮かばせながら物語としてしっかりと演出する芸には、流石と唸ってしまうほどだ。

三代目三遊亭金馬、もっと今の時代に語られ、聞かれてもいい噺家さんだと思う。

p.s.
追加情報です。『浮世断語』が12月8日に河出文庫で復刊されます。アンツルさんの直木賞受賞作『巷談 本牧亭』と同時のようです。落語関連本復刊の河出、偉い!
三遊亭金馬_浮世断語
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by kogotokoubei | 2008-11-07 11:09 | 落語家 | Comments(0)
吉祥寺駅から徒歩10数分、前進座では平成10年から毎年の小三治落語会。独演会ではない。一門会でもない。しかし、小三治師匠をトリとする、いろんな意味で、ちょっと贅沢な落語会だった。演者とネタは次の通りである。
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柳家三之助  時そば
柳家はん治  背なで老いてる 唐獅子牡丹
柳家権太楼  家見舞い(肥いがめ)
(仲入り)
林家正楽   紙切り
柳家小三治  猫の災難
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柳家三之助(13:00-13:23)
小三治師匠の九番目の弟子、である。この後に登場のはん治が三番目。二人の入門時期には18年の間隔がある。三之助は入門から13年、今年にでも真打になっていいだけの実力は十分。私の好みは『棒鱈』など、酔っ払いの噺だが、今日は師匠の落語会の開口一番ということが理由なのかどうか、『時そば』。マクラは「贔屓」の話で軽く場を暖めて本編へ。この噺は、本当は難しい噺だと思う。ほとんどの客がネタを知っている。だから、そばを食べる仕草を含め、芸そのものが問われる。噺自体が持つ魅力はあるが、初めてプロットを知ることによる意外性の笑いはほとんど期待できない。だからヘタな噺家がやると、本当に惨めになる。しかし、三之助は多くの客の期待するそばを食べる仕草はもちろん、オリジナルのくすぐりもなかなかのもの。前夜の客のマネをして失敗するそば食いのマヌケな客が竹輪を探す部分の「おれは大々的に捜索しているのに見つからねえじゃないか」とか、ついに食べるのが厭になって「もうやんなっちゃった」とやめる演出も、演者の若さに似合って良かった。

柳家はん治(13:23-13:47)
まったく初めて聞く。本寸法の古典かと勝手に思っていたのだが、なんと桂三枝による新作である。それも、まるでこの人のために作られたのでは、と思われるほどニンな噺だった。この噺の内容は詳しく説明しないが、ヤクザが高齢化することによるさまざまなギャグ主体の噺、ということである。さすがに、平均年齢の低いとはいえない会でのウケは悪くなかった。配布されたチラシでは鈴本の独演会で『らくだ』をネタ出ししている。小三治師匠お女将さんが書いた本の中でも重要な脇役だったはん治師匠、次はぜひ古典を聞いてみたい。なんとも言えないフラがある。こういう噺家が寄席では必要なのだ。

柳家権太楼(13:48-14:20)
贅沢な落語会だったと思えるその一つは、仲入り前でこの師匠である、ということ。ともかく、良かった。まず、マクラが、泰葉のことから始まる「海老名家」ネタ。その昔、前座仲間の林家らぶ平が、権太楼師匠も参加した゛少女フレンド゛というグループのデビューの時の会見で「破竹の勢い」と言うべきを、「家畜の勢いです!」と言ったこと、など会場を精一杯盛り上げる。そして本編へ。どう言えばいいのだろう、このリラックスし、奔放でいてお約束通りの権太楼ワールドの素晴らしさは。トリではない気楽さもあるのだろうが、今年夏の度重なる休演など、一時心配したのだが、ずいぶん体調も回復したように見える。噺は兄ぃの新築祝い五銭で買える甕をようやく見つけたのはいいのだが、古道具屋の主人が「水甕には使うな」、という理由を何度も聞く「漏るんだぁ?」「漏らないって言っているでしょ!」のリフレインは、師匠の売り物である、あの表情を含め、本当にうれしい芸である。
(仲入り)
林家正楽(14:35-14:53)
流石の芸である。とにかく、寄席で正楽師匠は、今や不可欠。前進座に末広亭か鈴本か、という寄席の空気が漂い始めた。
今日の贅沢の二つ目は、最初、正楽師匠の紙切りの作品をお客さんに渡していたのは、三之助だったが、途中から権太楼師匠が普段着で舞台に出てお客さんへに渡し始めたのだ。お客さんも、はじめは「えっ?」という感じから、そのうち握手を求めるお客さんに気軽に応える権太楼師匠。夜の部の関係で三之助が休憩中だったのか。しかし、切り紙をお客さんに照れながら渡す時の権太楼師の顔が、またいいのだ。
余談だが、終演後に吉祥寺駅へ向かう帰り道、夜の部までの休憩を終えたのであろう、私服で会場へ急いで戻ろうとする正楽師匠とすれ違ったのが、なぜかとてもうれしかった。高座姿と同じように左右に体を揺らしていたものだから。

柳家小三治(14:55-15:58)
「ニュースでは例年より17日早い木枯らし、らしんですよ」「どこで木枯らしが吹いたんですかねぇ」という話からマクラは始まった。木枯らしの俳句、というネタから話はあちらこちらへ飛んでマクラは約30分。自作の俳句を2題披露したが、その出来は別にして、重要なのは「俳句を始めて40年位になりますが、2~3年前から、人にどう思われよう、とか思わないで、自分自身のために作ればいい、とようやく思えるようになった」という話。「感じたことを、感じたように」という最近よくおっしゃる、ある意味で悟りのような持論になる。その後、いろいろと話は徘徊し、やおら始まったのが『猫の災難』である。マクラほぼ30分。結果として本編も約30分。この位が、ちょうどいいような気がする。さて、『猫の災難』は柳家のネタだ。三代目の小さんが上方から持ち込んだと言われている。だから五代目のこの噺も良かった。そして、今日の小三治師匠の出来栄えも、素晴らしかった。先代小さんは、本人も上戸であり、その呑みっぷりは定評のあるところ。しかし、小三治師匠は、よく知られたことだが下戸である。なぜ、これほど酒飲みの心理を巧みに表現できるのか、ということに驚く。「それがプロだ」という指摘もあるだろう。しかし、今日の小三治師匠の熊さんの飲みっぷりは、そして、この噺全体の完成度は、きっと歴史に残るものだろう。これも、人が飲んでいる姿を観察して「感じたまま」に演じている、ということなのだろう。そうか、実はマクラはそういう意味だったか、と後から気づいた次第。

いい、落語会だった。会場よし、客層もよし、そして演者すべてがよし、というなかなか味わえない落語会だった。
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by kogotokoubei | 2008-11-01 18:58 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛