噺の話

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どうも、私が来れるのはこれが最後かもしれない、三田の仏教伝道センターでの第25回目の落語会である。まずは、ネタから。
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柳家小ぞう      初天神
桃月庵白酒      短命
橘屋文左衛門    試し酒
(仲入り)
柳屋喜多八     文七元結
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小ぞうさん、聞く度に間違いなく達者になっている。今後に期待、という常套句であるが声援を送りたい。

桃月庵白酒(13:50-14:30)
マクラがますます冴えてきた、ということは、芸の懐が深くなったということかと思う。
時局ネタでは、「メラミンって響きが健康に良さそう。メラミン、セサミン・・・・・・」あたりから、「ビクターさんは本当にカットしないから・・・・・・」と言いながら、都内の寄席の惨状を言いよどんでいながら、鈴本の「ラブシート」ネタをふって本編へ。これは、ビクターが本当にカットしないから「ここだけの話」ができないのだろう、と理解。もちろん難しいのだろう、ライブのどこをカットするかといった編集の判断、感性は。しかし、ノーカットでDVD化されることを承知では、さすがに際どいネタは自主規制するだろう。一番楽なのがノーカット。しかし、それでは、゛生゛で゛ライブ゛で味わった者とDVDの購入者と「情報量」としては一緒になる。それは違うと思いますよ、ビクターさん。(でも、これは、配布されたチラシを見て、終演後にスタッフの方にお聞きしたひとまずこの会が終了する、という話を聞く前の感想。ビクターさん、これからも頑張って!)
さて、白酒師の熱演、特に感心したのは「くやみ」の芸。『寿限無』でのくやみを見事に演じたご隠居、それに呼応する八五郎の「たらちねでもできる?」の間が良かった。この人は「長生きも芸のうち」という観点では、ぜひ少しダイエットしてもらい、長く楽しませて欲しい。

橘屋文左衛門(14:30-15:05)
マクラは白酒師のマクラを少しいただいて「ダウ平均株価」から。「麻生首相がホテルのバーで飲んで何が悪い?」「ホテルのバーって、そんなに安いのかな、行ったことないけど、ホッピーでも呑んでるの?」など、まぁまぁの乗りだが、この人は、聞く度に゛二日酔い゛という言い訳が気になる。ラジオデイズの時は、そんな話をしながら今日の喜多八師匠の大ネタ『文七元結』を1時間近く熱演し、なかなかであったが。そういう噺家だから、今日のネタは「ニン」であった・・・・・・。
久蔵が呑む酒の二升目あたりから酒の匂いがしてきたことから、今日の出来が分かるというもの。一升目の飲みっぷりで会場から拍手が沸き起こった。いわゆる「ふら」がある人なのだが、まだ壁を突破するまでには至らない、という印象。好きな噺家さんなので、ぜひ、一皮もふた皮も剥けて欲しい。

柳家喜多八(15:15-16:05)
喜多八師匠の文七は初めて。この人は、出やマクラの弱々しさに騙されてはいけない、「コントラストの魔術師」といえる噺家である。登場人物の演じ分け、静と動、声の大小、という変化を巧みに芸として活かすテクニシャンである。時節柄少し早いかな、と思うのはこの落語会の事情なのだろう。「コントラストのマジシャン」の今日の芸、特にラストシーンでの鼈甲(べっこう)問屋・近江屋卯兵衛の貫禄ある姿と長兵衛とのコントラストが見事だった。吾妻橋でのくすぐりで「誰か来ねぇかな、来りやぁこんな奴渡しちまうのに」など、師ならではのオリジナリティも秀逸だが、やはり何と言っても「コントラスト」の妙がいいのだ。時間の都合でマクラもそこそこに本編に入り、終了間際の携帯電話の騒音にも惑わぬ熱演。


どうも11月22日の会で、これまでの「ビクター落語会」のスタイル、仏教伝道センターでの開催は終了するらしい。経営的に厳しいのであろう。しかし、ホームページには、まだ、こう書いてある。
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<ビクター落語会とは>

「ビクター落語会」は古典落語を通して、「落語の本格」をお楽しみ戴き、
また落語文化をいささかでも高める場となればとの思いから発会致しました。
ご出演頂く噺家の方々も、当会の趣旨に共感し腕をふるいたいと言ってくれた
面々による顔付けになっております。
今後とも当会へのご贔屓を賜りますようお願い申し上げます。
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主催者や形態、会場は変わっても、ぜひこの精神は忘れず頑張って欲しい。
この位の席が落語には寄席の香りがしてちょうど良いのだ。
今年も何度かうかがった、この会。本当に終了は残念だが、装いを新に再出発されるのを期待。

<補足>
ビクターの冠がなくなっても、「三田落語会」として、この会場で開催されるらしいが、詳しいことは11月22日の最終回で説明されるようです。私は都合で11月22日には行けないので、梅薫庵さんなど他の熱心な落語ファンの方がきっとフォローしてくれることを期待しています。
梅薫庵さんのブログ
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by kogotokoubei | 2008-10-25 21:33 | 落語会 | Comments(0)
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NHK総合テレビの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の今日(日が変わったので昨夜だが)は、100人目という特別版で柳家小三治師匠だった。
小三治師匠の本の中で読んだ内容もあったが、本人の生の言葉で語られるさまざまなエピソードが非常に刺激的だった。師匠小さんが「お前の噺は面白くねぇな」の一言からの苦悩。志ん生の言葉「落語を面白くするなら、面白くしようとしないことだ」という珠玉の名言。これまで、この名言は師匠小さんのアドバイスだとばかり思っていたので、意外な発見である。小さんの有名なアドバイスは「その料簡になることだ」であり、よく言われるのが「狸の噺なら、狸の料簡にならなきゃいけねえ」である。だが、今日の放映には一切この小さんの口癖のことは話題は出てこなかった。「おもしろくねえなぁ」と言ったきり床屋へ行った師匠はひどい、という発言は面白かったが。

今年8月に主任をつとめた池袋演芸場上席昼の部での姿が取材されており、プログラムの中心として使われていたが、初めて見る六畳という狭い楽屋を含め、貴重な映像だった。中休み前の三日目、その日のネタが決められず、よもやま話のマクラで探りながら始めたのが十八番の一つ『あくび指南』というのが驚きだった。こういう噺は、ある程度決めていないと出来ない噺ではないのか、という疑問である。さすが名人と思わせる一瞬だった。楽日前日の逸話も興味深い。前座が漢方薬の入った湯呑みを出し忘れていた。しかし、この萎えかけた自らにつぶやいた言葉が「小さく、小さく」だったと言う。ついつい受けようとする気持ちを戒める言葉とのこと。そして始めたその日のネタが『死神』。その時のくじけかけた気持ちをそのまま主人公の惨めさに投影したのであろう。このへんが名人芸なのかと得心した。そして、楽日は『宿屋の富』。

もちろん、落語ファン、小三治ファンには、8月の池袋でのネタの説明は不要かもしれないが、それぞれの「楽屋話」があって、師匠の心の動きがうかがえるようで、゛えっ、この時にこのネタ゛という意味で書き記しておきたかった。

上野鈴本で恒例だった余一会での独演会は今年で終了らしいが、池袋の真夏の主任興行は、どうも小三治師匠自身が”まだ頑張れるだろうか”ということを測るバロメーターと考えているようであり、また「江戸っ子」としての寄席へのこだわりでもあるようなので、しばらく続けてもらえそうな気がした。もちろん、「無理をするこたぁねぁ」と思ってやめても不思議はないのだが。
真夏の池袋、平日の昼席、夏休み前でいろいろ忙しい時期、しかし来年もご出演いただけるのであれば休みをとってでも行って、立ち見でもいいから行ってみようかと思った次第である。あの狭い特殊な空間で演者の呼吸音が聞こえる寄席というものは、なかなかホールでは味わえないものだ。

ちょっとだけ、師匠小さんとのやりとりについて補足したい。小三治師匠の著書『落語家論』の中で、次のようにある。第一章の「面白くねぇな」の部分から抜粋する。
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「お前の噺は面白くねぇな」
このひとことは効いた。グサっと心の臓を突き抜けた。しかも、どうしたら面白くなる
のでしょうかとは聞けない威厳があった。そんなことは自分で考えるのだ、人に聞く
もんじゃないうという、裏を含んだ口調であった。
(中略)
ボクは、師匠小さんはほったらかしで何も教えてくれない、と愚痴を言っている訳
ではない。その逆で、よくほったらかしにしてくださいました、という気持ちでいっ
ぱいだ。ここはこうやるんだよと親切に教えてくれれば、なんとかそのようにできる
かもしれないが、それ以上のものはできなくなってしまわないだろうか。
(中略)
あるとき、師匠が「気の長短」を演じるのを人形町末広の高座のソデで見ていて、
ハッとした。気の短い方がじれてくるところがあの噺では一番むずかしいのだが
(これもずっとあとになってわかってきたことだが)、その短七つぁんにハッとした。
ダラダラした長さんの話を聞いているうちに短七つぁんがイライラしてくるわけだが、
イライラしてくると、座ってる師匠の足の指がピクピク動いたのである。お客さん
からは、どんなことがあったって見えない場所だ。ボクはそれを発見したうれしさ
とあきれ返ったのとで、ボーッとしてしまった。
「その料簡になれ」
なァるほどなァ。イライラするときは足の指を動かせ、と、もし教わったとしたら、
フーンそんなもんかで終わっちまっただろう。
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月報『民族芸能』に連載された「紅顔の噺家諸君」というタイトルのエッセーを中心に本書は2001年に小沢昭一さんが発行者である”新しい芸能研究室”から単行本で発行され、昨年末、ちくま文庫でも発行された。上記の内容は昭和61年に書かれたもので、小三治師匠がまだ40歳代である。さすがに筆に勢いがある。68歳の今日の番組を見たことで、この本を読み返す楽しみも増した。私にとっては、著作と映像、昔と今、師匠と弟子、寄席とホール落語、といった複数の対比を楽しむことにつながる好企画だった。そこには、司会者とゲストという対比もあって、さすが小三治師匠、冒頭では司会者の茂木健一郎さんを鋭い質問でやり込める一瞬があり、このあたりも「名人」、なのである。

柳家小三治_落語家論
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by kogotokoubei | 2008-10-15 00:27 | テレビの落語 | Comments(2)

『志ん生一代』結城昌治

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「お好み寄席」で古今亭志ん五師の思い出話を聞いて、久しぶりに本書を開いてみた。本書によると、志ん五師の初高座で志ん生最後の寄席となった昭和43年上野鈴本の初席の後の一月二十日、柳家三語楼門下で兄弟弟子だった柳家三亀松が胃ガンで66歳で亡くなっている。
 その三亀松が亡くなってから三日後、談志家元が志ん生宅を訪ねた様子が次のように描写されている。

 志ん生は機嫌よく談志を迎えた。話相手が欲しいところだった。
 談志のほうは、志ん生が去年の十一月に勲四等瑞宝章をもらったお祝いと病気見舞いが口実で、ただ会いたくて会いにきたのである。
「お客さんに酒だよ」
 志ん生は美津子に言った。もちろん自分が飲みたいのだ。
 午前中に胃けいれんで苦しんだことなど忘れ、心配する美津子にわがままを通した。酒はコップに冷酒である。
「酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔色をみない。貧乏人も金持ちも同じように酔わしてくれるんだ。あいつは酔わせないよ、なんて 言わねえとこがいい。乞食にも厭な顔をしねえからな。若い頃は毎日二升も飲んでいて、それを病気になったからって途中でやめるのは 卑怯だよ。」
 志ん生はまわらない舌でよく喋った。



この後、話題は貧乏のどん底時代や、戦争中の慰問興行のことなど多岐に渡り、志ん生はよほど談志の訪問がうれしかったらしく銭湯に行く時間になっても「きょうは銭湯やめだ」と話が続く。

 もちろん話は芸談にも及んだ。
「ある師匠に、おまえがやる大工調べの棟梁は軽すぎる、もっと貫禄をつけろって言われたんですがね。ぼくはあの棟梁はばかなお調子野郎で、そのばかなところが面白いと思うんだけど、師匠はどう思いますか」
「それはそう思ってやるのが当たり前さ。あいつは啖呵を切りてえ野郎なんだ」
「そこがどうもわかってもらえない」
「近頃のはなし家はみんなケバだよ」
「畳のケバみたいなもんですか」
「そうじゃねえ。馬のケツ(尻)の穴の毛みてえなもんだ」
 志ん生はますます上機嫌で、談志が腰を上げなければ、話はいつまでも続きそうだった。


 著者は志ん生にとって生涯にわたっての憧れであり目標であった四代目の橘家円喬を引き合いに出し、志ん生を支えてきたプライドを描こうとしている。談志が帰った後、志ん生は娘の美津子さんに「独演会をやるから人形町に電話しろ」と言ったらしい。美津子さんをはじめ家族が体調を気遣い、さすがに独演会は実現しなかったが、十月九日には精選落語会に出演する。
その日のプログラムの豪華なこと。

さん治(現、小三治) 『厩火事』
正蔵  『三人旅』
文楽  『景清』 
(仲入り)
志ん生 『二階ぞめき』
円生  『猫忠』

 の予定だった。゛予定だった゛と書くのは、得意の『二階ぞめき』が途中で『王子の狐』に変わってしまったからである。
 初版は昭和52年に朝日新聞社から単行本で発行され、2005年に学陽書房から文庫が出た。しかし、たった3年前のこの文庫を置いている書店を探すのはけっして楽ではない。今や欲しい本は古書店で探すか、インターネットで購入する、そんな時代になってしまった。

 日本のハードボイルド小説家のパイオニアと呼ばれ、すぐれたミステリーの書き手であった直木賞作家が、唯一遺した落語名人一代記である。落語家の伝記としては、小島政二郎著『円朝』富士正晴著『桂春団治』と並ぶ三大傑作だと思う。お奨めです。 結城昌治_志ん生一代
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by kogotokoubei | 2008-10-13 17:14 | 落語の本 | Comments(0)
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10月8日の再放送を収録しており、今ほど見たところでの感想。噺の内容よりも、終わってからの思い出話が興味深かったので、備忘録がわりに書いておきたい。

志ん五師は、志ん生に入門するつもりだったが、志ん朝にあづけられ、今では志ん朝一門の総領弟子の立場にある。初高座の話。昭和43年の上野鈴本、1月2日の初席で主任が志ん生。志ん生の寄席への出演はこの初席が最後であった。志ん五師、自分の前座名である高助と、トリの大師匠志ん生の名が並んだ記念のネタ帳を鈴本の倉庫で探し特別に譲ってもらい、大事な宝物にしているとのこと。
初高座でぎりぎり名人志ん生と同じ寄席の空気の中に居ることに間に合った、というのは確かに感慨深い思い出であろう。

また、当時師匠の志ん朝師匠の忙しさは半端ではなかったようで、なかなか稽古をつけてもらえなかったため、一緒にいる時間が長かった志ん生大師匠に稽古をつけてもらった噺が『道灌』『金明竹』『宿屋の富』など十くらいはあるとのこと。そして、クルマで移動する前に運転席の志ん朝師匠が志ん五師を後部座席に乗せ「オヤジに教わった噺をやってみな」とばかり聞いてくれたらしい。バックミラー越しの弟子がさらうのを見聞きし、ひどい出来の場合は「よほどオヤジが具合の悪いときに習ったな、そんなマクラはその噺ではふらないんだ」と駄目出しをしてくれたらしい。想像するにも微笑ましい光景だ。

そして、志ん五師が一番覚えているのは、志ん朝師匠が、「たとえ志ん生だって間違いは間違いだ。俺も神様じゃないんだから間違う時はある。オマエは『師匠は間違えたな』という耳だけは持たなけりゃだめだぞ」と言った言葉とのこと。このへんが、志ん朝の志ん朝らしいところなのだろう。

大師匠と師匠の名人親子、それは大師匠志ん生と師匠馬生の関係でもあり、古今亭一門も金原亭一門にもさまざまな思い出が伝わっているだろう。昭和48年に亡くなるまで、二人の息子とその一門の弟子達に多くの落語のDNAを伝えたであろう志ん生。その生き証人がまだ元気なうちに、もっとさまざまな逸話や記憶を語っておいて欲しいし、書き残して欲しい、と強く感じたエピソードだった。
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by kogotokoubei | 2008-10-11 17:14 | テレビの落語 | Comments(0)
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『小沢昭一がめぐる寄席の世界』

最近文庫になってはじめて読んだが、落語ファン、演芸好きには非常にうれしい対談集である。

目次に対談相手と、話の主題めいたものをうかがい知ることができる。
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前口上   寄席と私
桂米朝   落語という゛ふるさと゛へ
延広真治  江戸には寄席が百二十軒もあった
柳家り助  背水の陣、四十一歳で前座になる
桂小金治  自分の落語をほめられて初めて泣いちゃったよ
国本武春  夢は、浪曲を「ROU MUSIC」に
小松美枝子 落語家と切っても切れない出囃子
神田伯龍  百二十五歳まで講談を続けたい
あした順子・ひろし 志ん朝師匠を張り扇でひっぱたいちゃった
笑福亭鶴瓶 上方落語の伝統を背負う予感
北村幾夫  新宿末広亭よ、永遠なれ!
立川談志  完璧な落語をやる奴より、俺のほうが狂気がある
矢野誠一  落語も浪曲も講談も、年をとるほど分かってくる
あとがきがわり
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対談相手の選び方が、まさに゛小沢昭一的こころ゛でうれしい。

落語家との対談のトップには人間国宝桂米朝師匠が登場。
米朝師匠が4つ年上だが、正岡容の弟子仲間としてこの二人の付き合いは長い。
話の中で「スケールの大きな落語とは」というテーマが興味深い。
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米朝 スケールの大きい落語というのは、どんなもんがあるかなと思って考えたん
    やけれども、案外ないんでね。「盃の殿様」というのが東京にありますけど、
    あれなんかは江戸の落語には珍しく、えらい大きな噺やな。・・・・・・・
小沢 いい噺ですね。
米朝 ・・・・・・大きい噺ですよ。長い噺ではないんやけどね。こういうもんは大きい
    なと思うんですよ。大坂落語でいろいろ考えたら「冬の遊び」というええ噺が
    あってね。
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「冬の遊び」の内容を説明すると、こうである。
(1)なにかの事情で奉行所ににらまれ、夏の真っ盛りに花魁道中を
  やることになった。
(2)堂島の米相場町の連中が遊郭のある新町にやって来てお目当て
  栴檀太夫を呼んでくれと言ったが、道中のさなかなので、と断られる。
(3)堂島の衆、「えっ、道中、聞いたか」「いや俺は知らん」と、事前に
  挨拶がなかったことが面白くない。
(4)堂島衆が帰ろうとすると、仲居のお富があわてて押しとどめ、急いで
  道中に栴檀太夫を探しに行く。
(5)お富が道中の見物客をかき分け「新町の一大事」と叫び、相談の結果、
  役人をお茶屋に連れて行っている隙に栴檀太夫を急病と偽って連れ出した。
(6)新町に戻ってくると、道中で歌舞伎の服装をしていたため、栴檀太夫も
  「船弁慶」の知盛の格好をしているのを堂島衆が見て、みんなで冬の袷を
  着て、襟巻きをして「冬の遊び」をすることになった。
(7)そこへ幇間が「暑いこったんなー」と入ってきた。店の主人に着ぶくれ姿に
  された幇間が暑さに辛抱できなくなって着ているものを脱いで庭に飛び降り、
  井戸の水を浴び出す。
(8)「冬の遊びなのになにしてんねん」「寒行のまねをしています」・・・がサゲ。

 米朝師匠は、この噺に当時米相場を舞台に勢力のあった堂島衆の影響の強さや、夏真っ盛りに「冬の遊び」に興じる洒落っ気を含め「スケール」が大きいと評しているのだろう。まだ生で聞いたことがない噺なので、米朝一門の誰かが挑戦するのを、ぜひ期待したい。(もう誰かやっているのかな・・・)
有名な「地獄八景亡者の戯れ」の発掘に代表されるように、こういう埋もれかけた良い噺の探索をいまだに続ける米朝師匠の姿勢が好きだ。どうか長生きを願います。

 談志家元からは、昔の良き時代の寄席の思い出がふんだんに語られている。ここ数年のご自分の著作や古い音源の発表などでも分かるが、家元ご自身が一人の観客として、講談や色物を含めた寄席の世界が大好きでしょうがない、という思いが十分にうかがえる。

 それぞれの対談相手に応じて聞き上手な小沢昭一さんが、もっとも語らせたい部分をなんとも言えない間合いで引き出してくれている。 名人の幇間は話し上手ではなく聞き上手だというが、聞き手の小沢さんにそんな名人芸を見る思いだ。

 あした順子・ひろしの両師匠の話には、お二人の芸歴に 関する多くの発見がある。漫才の本場である大阪でみっちり鍛えた時代など、その芸の根本に強固な基本が出来ているから、同じネタであっても何度も楽しめる芸なのだなぁ、と 納得。これからも活躍していただきたいし、一席でも多くお二人の芸に接したい。
 出囃子の小松美枝子さんの話には、寄席の裏舞台を少し覗かせてもらう楽しさがあった。
 末広亭席亭北村幾夫さんには祖父銀太郎大御所からの伝統をぜひ守って 欲しい。

 トリを俳句仲間の矢野誠一できっちり締めるというのも、よく出来たある 日の寄席のようでなかなか考えられた構成だ。

 とにかく寄席の灯を消さないで欲しいし、そのためにもまた寄席に行かなくては、 と思わせてくれる。
 小沢昭一さんの若々しいポジティブな姿勢にも大いに刺激を受けた。

 寄席ファン、落語や演芸ファン必読の好著だ。
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by kogotokoubei | 2008-10-04 09:35 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛