噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

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今日は目と鼻の先の有楽町朝日ホールでは志の輔などが出演の朝日名人会があるが、多摩川を越えない都心で小朝がどんなパフォーマンスを見せてくれるのかと思いこちらへ。平均年齢が、決して低くない。朝日ホールより3歳位は上であろう。小朝が年輩に強い、という証であろうが、複雑な心境。志の輔、談春、喬太郎の都内での独演会の客層とは、間違いなく違う。

本日の出し物。
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春風亭ぽっぽ  たらちね
春風亭小朝   船徳
(仲入り)
林家木久蔵   やかんなめ
春風亭小朝   池田屋(近藤勇)~お菊の皿
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ぽっぽ、は小朝の三番弟子とのこと。初めてだが、暖かい会場の笑いの助けもあり、なかなかの内容である。女流ということを抜きにして期待させる。

『船徳』14:20-14:50
弟子の゛ぽっぽ゛のあと登場。台風のニュースから、自分が゛晴れ男゛であるというネタをしばらく、そして今日は゛夏の名残りのネタ゛を、ということで「昔は、道楽が過ぎて勘当になる若旦那が多かった・・・・・・・」のフリ。(まさか『唐茄子屋』じゃないよな、8月に聞いたばかりだし・・・・・・)と思っていたら若旦那は船宿の二階に厄介で、ホッとした。小朝らしい工夫が随所にある。船頭達が親方に呼ばれてからの定番のドタバタを刈り込み、しばらく肉を食っていないからネコを食べようという船頭達の話を耳にした若旦那の徳がおごってやった、といういきさつから、船頭達が親方に徳の船頭志願を後押しする、という設定。船に乗るのが嫌な゛傘をさした太った旦那゛の臆病ぶりも全編を通じて良い演出だ。船宿の女将さんが、船を出す時に徳にお守りを渡し「お前だけでいいから助かりな」のセリフも、○に「徳」の字が船腹に描かれた自分の船を持つほどの若旦那を預かった身の上を考えると当然だろう。石垣にぶつかった際に、「もうやめた」と一旦軽く゛切れる゛ところも、なかなかおもしろい。陸に上がる際、先に徳が背におぶさるというくだりも、他の人にはないユニークなくすぐりだ。マクラを含めた30分でこれだけの芸を魅せられると、次を期待するのは当然。

『池田屋(近藤勇)』(15:23-15:47)『お菊の皿』(15:50-16:05)
まず、膝がわりの演者についてギャグを語る。「木久扇、木久蔵のダブル襲名披露公演で熊本に行った際、昼の公演の後に地元の評判の占い師に木久蔵が見てもらったら、『あなたは落語家をやめたほうがいい』とのこと。木久蔵が『霊がそう言ってますか』と聞いたら、『いえ、昼間、あなたの落語を聞きました』」というギャグは笑えたし、事実であっても驚かない。元気だけが取り柄というのはせいぜい二つ目まで。木久蔵は、本当に将来を考えたほうがいいのでは。さて、小朝の二席目は、お得意の゛地ばなし゛である。近藤勇を中心としたこの噺、8月12日の川崎市麻生市民館では一席目のネタだった。有楽町でも、さすがに場内はドッカンドッカンである。20分ちょっとで暗転し、あらためて照明がついて、小噺を二つ。この小噺が、実はおもしろいのだが、内容はもちろん明かさない。そのまま『お菊の皿』へ。そうなのだ。゛夏゛の噺で近藤勇で終わられては困る。照明の演出とBGM「恋のバカンス」をバックにした゛お菊ダンス゛を含め、定評のある独自のギャグのオンパレードに、会場のお父さんお母さんは大興奮。たった15分とはいえ確かに楽しめたのだが、会場のノリのあまりの゛暑さ゛にちょっと汗が出るほど恥ずかしかった。そこで思い出した。矢野誠一さんの『落語読本』(文春文庫、1989年発行)の解説の中で、テレビで小朝がこの噺を演じたのを見た人から「幽霊が汗をかいているのはおかしい」という新聞への投書が掲載されたことがあるらしい。しかし、あれだけ動けば汗も出る。

会場を出ると、まだ4時10分。朝日ホールでは、膝がわりは誰だろう、トリは歌丸師匠だろうな、などと思いながら地下鉄の駅へ向かった。

今年、小朝独演会に行くのは3回目である。1月12日の相模原(杜のホールはしもと)での独演会は、『禁酒番屋』と、もう一席は源平から『扇の的』、8月2日の新百合ヶ丘(麻生市民館)では一席目が『池田屋』で、トリが『唐茄子屋政談』だった。古典一席と゛地ばなし゛一席というスタイルが基本なのだろう。たしかに源平系も池田屋も小朝のオリジナルが盛りだくさんで、会場の受け方は都内も多摩川超えも同様にドッカン、である。選ばれた古典も、これまでに十分練られているもので、まったく危なげない。
逆に言えば、冒険のないプログラムである。

年250回と自ら語る全国各地での落語会開催の一番の目的を、小朝は「落語をめったに聞いたことのないお客様に落語の魅力を味わってもらい、落語ファンを増やしたい」と説明するかもしれない。そのために代表的な古典を一席は披露し、もう一席は独自のギャグ満載の゛地ばなし゛で目一杯笑ってもらおう、という構成になるのだろう。
しかし、思うのだ。もう、その役割をあなたが担うことはないだろう、と。昔、博品館に通い、次世代のリーダーと期待したファンは、今日の会場には少ないはず。そして志の輔、談春の立川流や柳家喬太郎に負けずに今後の落語界を引っ張って欲しい、と思っているファンも、今日のような小朝を見たいわけではあるまい。あまりにコンパクトなネタの構成に、どうしても一昨日のさん喬師匠の長講『品川心中』を重ねて比べてしまう。確かにさん喬師匠は、常に゛たっぷり゛気味ではあるが、一期一会の芸に賭ける噺家の気合のようなものを強く感じる。小朝には、洗練されたエンターティナーとしての存在感を認めるが、そのパフォーマンスは、すでに体と頭に染み付いたテンプレートのコピーの印象が強い。

『お菊の皿』で唯一といってよい滑ったネタが「ラジバンダリ」。会場の年齢層が高すぎる、ということに原因を求めてよいのだろうか。以前からのオリジナルのギャグで危なげなく大ホールの笑いをとることはできるが、最近のお笑いネタを使った際の会場の空気と演者の照れ笑いに、何かさみしいものを感じた。

小朝は、間違いなく上手い。それは多くの落語ファンの異論のないところだろう。しかし、今日のような独演会ばかりなら、これから10年後の落語界のリーダーとして、彼の名前をあげる人はいないだろう。そんな複雑な思いで帰途についたのであった。
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by kogotokoubei | 2008-09-20 19:16 | 落語会 | Comments(0)
関内駅から迷いながら到着したのが午後6時50分頃。大ホールでは和田あき子コンサートとのこと。さて小ホール。ロビーのモニターにさん弥が映っている。「あれ、もう始まってるの?」とスタッフの方に聞いたら「開演は6時半ですが・・・・・・」とのこと。7時開始と勘違いしていた。しかし、分かっていてもこの時間が精一杯。副題が「県民ホール寄席 237回」とあり、主催が“ごらく茶屋”としてある。演者の好みだけでチケットを入手した会なのだが、平日の落語会で6時半開演、まるで落語研究会的な社会人の参加を期待しない(拒絶する?)秘密会か・・・・・・と一瞬イヤな予感。しかし、結果としては大いに満足な会だった。
まったく聞いていない開口一番も含め本日のネタは次の通り。
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柳家小ぞう  子ほめ
柳家さん弥  もぐら泥
柳家さん喬  品川心中(通し)
(仲入り)
柳家さん喬  妾馬(八五郎出世)
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会場に入り、さん弥の「もぐら泥」の終了を待って座席へ。
すぐにさん喬師匠登場。

『品川心中』(19:05-20:20)
まさか、通しで聞けるとは、という素直な感激にひたった。マクラは時事ネタで「事故米」の話のあと、定番とも言える師匠小さんとの旅の思い出を経て品川宿につなぎ少し会場を暖めて本編へ。白木屋のお染が心中相手を探すために玉帳(なじみ帳)を探すくだりで、「噺家・・・志ん朝さんも亡くなったし、ほんとにいい人から亡くなるんだから、もっと早く死んで欲しい噺家なんかいくらでもいるのに」には笑えた。金蔵が親分の家に帰りお決まりの大騒動のあたりでほぼ7時50分頃、「与太郎が厠から出るところでサゲだな」と思って聞いていたら終わらない。なんとなんと通しである、と心の中で大喝采。後半の「仕返し」のサゲは、古くは「客を釣るから比丘(魚籠)にした」という地口オチだが、さすがに現在これでは分からない。今日のサゲはさん喬師オリジナルだと思うが、その内容は明かさないでおこう。お染をだます民公が芝居がまったく下手であるという設定もさん喬師匠の工夫としておもしろかった。後半はやや時間を気にされて少し巻いたのかと思うが、1時間15分の長講は、今年2月の「黒談春」で演じられた『札所の霊験』をもしのいでいる。しかし、まったくその時間を感じさせないのが素晴らしい。『志ん生の噺』(ちくま文庫)の第五巻(廓ばなし)に収められているが、小島貞二さんの解説では、「後半は放送用のテープにはない。・・・・・・ポイントポイントを説明しながらひと通りさらってくれた。」とあるから、志ん生の現役時代でさえ“はなしが陰気になるから”という理由で寄席や独演会でも通しでは演じられていないようだ。ちなみに志ん朝のCDは、昭和54(1979)年11月12日に大阪毎日ホールでの独演会における傑作だが、もちろん上のみである。他の噺家の独演会などでも演じられている例は少ないのではないだろうか。得難い経験だった。後で調べたら朝日名人会で通しで演じられたCDが発売されている。買おうかどうか、迷うなぁ。

『妾馬(八五郎出世)』(20:35-21:20)
仲入り後に黒紋付、羽織、袴でのご登場。予想し、期待もしていた。マクラは最近の企業の不祥事の際の経営陣のお詫びの言葉について。「お詫び申し上げたいと、゛思います゛。」という表現が、どうしても気になる、なぜ「お詫び申し上げます。」と言わないのか・・・・・・と思います、という言葉遣いのテーマから本編へ。さん喬師匠の妾馬は以前にNHK「日本の話芸」で見て以来、ぜひ生で味わいたいと思っていた。この噺を生で経験した現役の噺家さんのランキングをあえてつけるなら、さん喬師匠がトップで、志の輔、談春の立川流コンビが僅差で2位と3位というのが私の評価。もちろん人によって異論はあるだろうが。それだけ、さん喬師の八五郎、大家さん、三太夫、そして赤井御門守といった登場人物が生き生きしていいのだ。ニンです。でも、さすがにこの噺は゛通し゛とはいかなかった。現在、上しか演じられない噺の代表的な二席を両方通しで行うのは、さすがに難しいだろうなぁ。でも、いつかは『妾馬』という題として誰かの通しを聞きたいものである。サゲがつまらなかろうと、それはそれで結構。

400名強キャパの会場は、ほぼ8分の入り。お客さんの反応など雰囲気は非常に良い。横浜の地元のお父さん、お母さん達の会員固定客を中心とした落語会という様子。帰り際の皆さんの感想も概ね肯定的。そりゃそうだろう、さん喬の『品川心中』の通しに、十八番のひとつ『妾馬』だよ。

会場の交通の便の悪さと開始時間、これだけはネックだが、なかなかの会でした。運営も結構ボランティア風で、アットホームな会のようです。勝手な推測であるが、伊勢崎町や馬車道の老舗の店主たちがメンバーの中心にいそうな会。こういう継続的な地元の落語会は、ぜひ長続きして欲しいものです。土曜の昼間での開催なら、少し早めに来て山下公園を散歩してから会場に入るに相応しいロケーションなのだがなぁ・・・・・・。ちょっとぜいたく過ぎる望みですかね。

そうそう、最近やたらと『子別れ』の通し公演が多い。これは良い傾向だと思っている。また、五街道雲助師匠が『お初徳兵衛』と『船徳』の二席をネタ出しで披露する会などもあった。本来「上」「下」の噺が「上」だけで普及している噺は意外に多い。もちろん、サゲが現代では通じない、おもしろくない、など理由も分かる。しかし、二人会などのリレー落語でもいいから、゛通し゛の落語会なんていうのも面白そうだ。今日の二席のほか、『宮戸川』『おせつ徳三郎』『居酒屋~ずっこけ』などが候補だろう。『崇徳院』で大騒動の末に結ばれた夫婦が『三年目』に至る、という話もどこかで聞いた気がする。寄席では難しいだろうが、ホール落語会だからできる企画だろう。もちろん、ネタにニンな噺家さんであれば、人は十分呼べるはず。落語ファンの皆さんいかがでしょう。
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by kogotokoubei | 2008-09-18 23:39 | 落語会 | Comments(0)
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「落語の本か?」と突っ込まれそうだが、「落語的」「江戸的」精神の本、ということでご勘弁のほどを。
これはいい本だ。序章で「粋を大切にする暮らし方に欠かせない3つのポイント」が説明されている。
(1)気持ちや身なりがさっぱりと垢抜けていること。それでいて、どことなく色気があり、品格もある。
(2)人情の機微に通じていることだ。自分本位、自分勝手は最低最悪。これほど格好悪いことはないと考えられていた。
(3)洒落ていること。洒落とは、どこか現実を突き放し、面白がってしまおうとする精神をいう。

具体的な江戸の「粋」の例として、第二章の「-人として守りたいルールを尊ぶ- 『粋』に振る舞い、はからう」で、代表的な゛江戸しぐさ゛が紹介されている。
 「傘かしげ」
  雨や雪の日、傘をさして人とすれ違うときに、相手にしずくが落ちないように、
  傘を傾けること。
 「肩引き」
  同様に、人とすれ違うときの心づかいとして相手側になる肩や腕をちょっと
  引いて通りすぎ、ぶつからないようにすること。
 「こぶし腰浮かせ」
  渡し場で船が出るのを待っているとき、後から乗ってきた客があれば、こぶし分
  だけ腰を浮かせて席を詰め合うこと。
  「詰めてください」といわれてから詰めるのは「野暮」なのだ。

落語でも、混んだ場所に人が詰めあうとき、登場人物が当たり前のこととして「お膝おくり」をするではないか。

゛江戸しぐさ゛そのものについては、越川禮子さんによる多くの著作がある。
越川禮子_暮らしうるおう江戸しぐさ

本書では、「子別れ」や「天災」などで語られる『三行半(みくだりはん)』の一般的文章も紹介されている。なかなかお目にかかれるものではない。
また、幕府の厳しい奢侈禁止令にもめげず、いっけん地味な着物の裏や襦袢に鮮やかな色を使う、江戸市民の粋な反骨精神のことや、最近マスコミでもよく話題になるが、「リサイクル」してモノを大事に使うことで゛環境にやさしい゛江戸の生活も説明されている。
そして、適度にはさまれる川柳が、またうれしいのである。
 
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納豆としじみに朝寝起こされる
 
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初かぼちゃ女房はいくらでも買う気
 
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うららかさしきりに銭が欲しくなり

など、それぞれに光景が目に浮かぶんでくるではないか。
初対面では、(1)生まれや出身、(2)年齢、(3)過去や家族、を尋ねない、という「三脱の教え」も、全国各地からさまざまな人が集まる江戸ならではの人付き合いの重要な知恵であったのだろう。
今日では、時と場合によっては、出身などを聞くことから話が円滑になる場合もあるが、たぶんにこれはビジネスでの会話でのみ許されるのであって、ご近所づきあいやプライベートでは、「三脱の教え」は十分有効であるし、今や失われていく大切なマナーである。

電車の優先席に、どう見ても健康そうな若者が我が物顔で座り、携帯ゲームをやっているのが、今日の日常風景である。電車の「優先席の近くでは携帯電話をお切りください」というアナウンスが、どれほどむなしく、そして腹立たしく聞こえているか、保守的な電鉄会社の社員は気がつかないのだろうか。加えて携帯音楽プレーヤーの騒音被害も日常である。
江戸の「粋」の大原則の一つが、他人に迷惑をかけない、ということであり、迷惑なヤツは「野暮」なのである。「野暮」ばかりの世の中、「粋」や「いなせ」にこだわりたいものだ。

そこで考えた。電車やバスのアナウンスは、次のような内容にしてもらいたい。。
「健康な若者は将来メタボにならないよう立ちましょう。なお、携帯音楽プレーヤーから漏れている騒音にぶち切れたお客様からあなたがなぐられても、当社は一切責任を持ちません」

このくらいのユーモア精神と「粋」でマニュアルを変えてはいかが、JRさん私鉄さん。マニュアル世代に「行間を読め」などという小言は、残念ながら通じない。
植月真澄_日本人が身につけたい江戸の「粋
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by kogotokoubei | 2008-09-13 09:02 | 江戸関連 | Comments(0)

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 9月4日「志らく百席」第26回のことを書いた際に、吉川潮さんによる10年ほど前の志らく評を紹介したが、この高田文夫編集による『江戸前で笑いたい』からの引用である。吉川さんの文章は、「第一部 やっぱり落語だ!」の中で「小朝、志の輔とそれに続く若手たち」というタイトルの、本書のための゛語りおろし゛である。
「志らく 談春」の部分をもう少し紹介しよう。
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立川流では志の輔のあとに志らくと談春が続く。落語協会には志らくと談春
どころか志の輔さえも認めない落語家が大勢いるんだよね。・・・・・・でも批判
する連中が二人の落語をちゃんと聞いているかと言えば、聞いてないんだよね。
・・・・・・最近の志らく、談春の落語を生で聞いてみればわかることだけど、声が
通るようになって、めりはりもあって、とってもいいよ。寄席で修行した落語家で
彼ら二人と同じキャリアの落語家と比べたら、二人のレベルはかなり高いね。
志らくの場合は、創作力、構成力、演出力を兼ね備えているのが強い。小朝に
しても志の輔にしても、その三つを持っている。・・・・・・
談春は高座姿がきれいだわな。最近形のいい落語家が少ない。・・・・・
談春は声もいいよ。ドスが利いて歯切れがいい。・・・・・・
志らくは野球で言えば技巧派の投手。七色の変化球を操る。・・・・・・
対して、談春は本格派の速球投手だ。ストレートの速さが魅力で気持ちがいい。
今はまだコントロールがないから、試合に出ると打たれることもあるだろうが、
コントロールがついてくれば楽しみだよ。
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初版が1997年の1月に筑摩書房から単行本で発行、2001年に中公文庫で復刊。だから、吉川さんの゛語りおろし゛は、談春の真打昇進がこの年の9月なので、その直前での評価である。ちなみに、吉川さんが小朝、志の輔に続く若手として9人の名前を挙げているのだが、それは次の通り。
市馬、花緑、三木助、昇太、たい平、喬太郎、勢朝、そして志らく、談春である。このなかで、たい平、喬太郎、談春の三人が、当時まだ二つ目である。

この本は゛江戸前゛の笑いに関する宝庫といっても良い傑作だ。口上のあと、編者である高田文夫さん自身の「笑いと二人旅」(前編)で始まる。渋谷で生まれ世田谷で育った高田さんが、鳶頭の子で粋でいなせなお母さんの影響もあり、笑いに身近に接し、日大芸術学部落語研究会でも活躍した、といったプロフィールは、本書で初めて知った。近所に『社長シリーズ』で売れる前の森繁久彌の家があり、庭の柿や栗を盗んでは「森繁のバカヤロウ」とかウワーとか言って、森繁さんが出てくると逃げた、などのエピソードも楽しい、高田さんの傑作な半生記である。

第一部と第二部が落語をメインテーマにしているが、その目次は次の通り。
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第一部 やっぱり落語だ!
    口上・・・・・・高田文夫
  笑いと二人旅(前編)・・・・・・・・・・高田文夫
  現代ライバル論(1) 志ん朝と談志・・・・・・・・・・・・・・・・・山藤章二
  現代ライバル論(2) 志ん生と文楽・・・・・・・・・・・・・・・・・玉置 宏
  現代ライバル論(3) 高田文夫と藤志楼・・・・・・・・・・・・・森田芳光
  小朝、志の輔とそれに続く若手たち・・・・・・・・・・・・・・・・・吉川 潮
  変貌する落語−今こそ、新作落語に注目!・・・・・・・・・・渡辺敏正
  談志論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・立川志らく
第二部 中入り
   中入り・・・・・・高田文夫
  志ん生と江戸の笑い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・鴨下信一/高田文夫
  みんな落語が好き・・・・・・・・・・・・篠山紀信/春風亭昇太/高田文夫
  名人に二代なし?・・・東貴博/三波伸一/柳家花緑(司会・高田文夫)
  浅草芸人寿司屋ばなし・・・・・・・・・・・・・内田榮一(聞き手・高田文夫)
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森田芳光監督が日大芸術学部落研で高田さんの後輩(しかし在籍半年)だった、というのも、本書で初めて知ったことだ。言わずもがなだが、第二部は対談である。唯一の゛素人゛さんである内田榮一さんは美家古寿司のご主人。金原亭馬生師匠が生前に足繁く゛飲むだけ゛に通ったお店である。

第一部と第二部は、ほとんどが本書のための書き下ろし、または語り下ろし。
「第三部 東京の喜劇人」は、雑誌「東京人」95年7月号からの収録が多いが、三木のり平、由利徹、渥美清、クレージーキャッツ、萩本欽一、ビートたけし、イッセー尾形、伊東四郎といった喜劇人について、それぞれニンな書き手が担当している。この第三部でも、喜劇人を語る中でふんだんに落語と落語家のことにも話は及んでいる。

第一部に戻る。本書を読んでうれしかったのは、志ん生のことが目一杯書かれているからだ。玉置宏さんの文章から少し抜粋。
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昭和28年(1953年)六月、新たな同人を加えて「第二次川柳鹿連会」が発足、その
作品記録のうちの十二冊が私の手許にある。これは八代目春風亭柳枝未亡人から
頂戴したもので、同人は、桂文楽、三遊亭円生、先代橘家円蔵、先代桂三木助、
先々代三升家小勝・・・(中略)・・・志ん生の作品をいくつか御披露しておこう。
 同業に 悪くいわれて 金ができ
 宝くじ 当たるは政府ばかりなり
 煮てみれば 秋刀魚の姿 哀れなり
 恵比寿さま 鯛を逃して 夜にげをし
 ビフテキで 酒を呑むのは忙しい
ちょっぴりケチで皮肉屋の、いかにも志ん生らしい川柳である。
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志ん生本来のブラックなセンスが川柳にも十分現れているではないか。
第三部で中野翠さんがイッセー尾形を語る文章の冒頭で、こんな志ん生の言葉を紹介している。
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「落語というのは、世の中のウラのウラをえぐっていく芸であって、おもしろいうという
ものじゃなくて、粋なもの、おつなものなのだ」−と。この言葉は、よくかみしめたい。
言いたいことは、何となく、わかるような気がする。
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当時まだ健在だった志ん朝師匠と談志家元を論じた山藤章二さんの次の名文も有名だ。
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・・・・・・と、ここまで書いてハタと気づいた—<現代(コッチ)>から<過去(アッチ)>へ
客を運ぶのが志ん朝で、<過去(アッチ)>をグイと<現代(コッチ)>の岸に引き寄せる
のが談志である。
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11年前の本とはいえ、珠玉のような名文、名企画が一杯の本である。しかし、あまり本屋には並んでいないのが残念。落語ファン、たけしファン、渥美清ファン、そしてすべての“江戸前”のお笑いファンにとって、必読の書だと思いますよ。

高田文夫_江戸前で笑いたい
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by kogotokoubei | 2008-09-06 17:09 | 落語の本 | Comments(0)
満員どころか、1階の両そでと後ろには補助席が出る盛況。私自身、この会は3回目なのだが、こんな大入りは初めて。ネタ出しされているので、そのせいなのだろうか。ともかく本日のプログラムは次のとおり。

立川志ら乃 『天災』    
立川志らく 『宮戸川』
立川志らく 『三軒長屋』
(仲入り)
立川志らく 『抜け雀』

『天災』(19:00-19:20)
真打への道、ということの一環なのか、前座で志ら乃は、得した気分。ただし持ち時間20分なので、八五郎が紅羅坊名丸先生を訪ねるところから開始。紅羅坊先生をこれだけ弾けさせるのは、この師匠にしてこの弟子あり、である。志ら乃は“顔”の演出に特筆すべきものがある。“芸”でもあるが、もって生まれた“財産”でもあり今後も彼の「売り」になるだろう。紅羅坊先生の「居酒屋は、いっけ~んも、な~い!」の形態くすぐりに会場の温度もほどよく上がってきた。少し顔色が良くないように思えたのは、真打挑戦シリーズによる疲労かと思えたが、この調子なら、昇進は間違いないだろう。

『宮戸川』(19:21-19:48)
冒頭、「真打になりたいらしいんです」と志ら乃の話から。自慢じゃないが、と自分が真打になった時にはもっと会場を沸かした、との“自慢”話。「今、この師弟は戦っているんだな」と再認識させてくれた。談志家元と弟子達とが真打昇進の際に味わってきた緊張感を、志らくは弟子に体験させたいのであろう。「『百席』は演りやすい噺から進めてきたので、今日のような苦手な噺ばかりが残ってしまった」、とのこと。時節柄、福田辞任とオリンピックの話題をマクラに本編は実質20分ほどであっさりと。お花のおじがベトナムのサイゴン(ホーチミン)に住んでいる、というあたりは志らくらしさ、というところか。、また、お花が幼い時に霊岸島のおじさんから教わったという軍歌を歌う入れ物があったが、“志らくイリュージョン”というほどの演出ではない。今ひとつの出来。今後の改良に期待したい。

『三軒長屋』(19:50-20:35)
師匠談志のこの噺を思い出す、という話から、このネタがニンなのは談四楼兄ぃ、でも聞いてて寝てしまった、と落とすあたりが志らくの本領発揮。この噺のマクラなのに、「『抜け雀』には期待して欲しい」、という言い訳モードが強く、好きな噺だが、本人は自信はなさそう。シネマ落語の「タワーリングインフェルノ」を“百軒長屋”で演ったが受けなかった、という話から江戸時代の長屋の構造につないで本編へ。結論からすると、たしかに苦手なのかまだ自分の手のうちになっていないようだ。「何も足さない、何も引かない」というどこかのウィスキーのような構成。これでは志らくの噺とはいえない。せいぜい三軒長屋の真ん中に住む妾宅の女中おたけの弾け具合に“らしさ”を感じたが、全体としては今ひとつである。ベースは談志家元というよりは志ん朝師匠であろう。しばらくしてから、進化したこの噺を聞いてみたい。このネタは志らくに合うと思うのだ。志らく流アレンジがしにくい噺なのかもしれないが、三軒を五軒や十軒に変えてでも、オリジナリティを発揮して欲しい。今日のような構成で演るのなら、談春にはかなわない。

-仲入り-(20:35-20:50)

『抜け雀』(20:50-21:25)
10年程前、吉川潮さんが当時の志らくを期待する若手として評するとき、「『創作力』『構成力』『演出力』を兼ね備えている」、と表現した。その力量が十分感じられる噺だった。本人が期待させただけのことはある。冒頭で定番といえる宿を探すプロセスや主人公の汚い身なりの詳細な説明を刈り込んで、宿のひどい設備の描写に焦点を当てたが、この創作は良かった。旅籠「相模屋」裏にある屋外の便所で、両手に松明を振り回しながら用を足すとか、風呂の少ない水を増やすためにその都度、宿のおやじと一緒に湯ぶねに入るナンセンス、あるいは階段の腐った段についての凝った説明、といった入れ物の楽しさは、他の噺家では味わえない。硯に水を張らずに持ってきた気が利かない宿の主に向かっての「インドの女中か!」も、笑える。また、絵師親子が「雀」や「鳥かご」を描く際の声と仕草の演出も秀逸。これなら、ある程度“志らくイリュージョン”に近づいていると思う。この噺だけでも、足を運び帰りに雨に濡れた甲斐があった。

にぎわい座は、影の立川流定席、のような存在だと思っている。志の輔、談春、そして笑志(生志)といった個性的なメンバーそれぞれのプログラムがある。しかし、根強い固定ファンで会場が継続的に埋まるのは、志らくだけかもしれない。もちろん、志の輔、談春は発売から5分以内にはソールドアウトだが、ある意味で全国区でのチケット争奪の結果でありお客さんの顔ぶれは入れ替わる。(とはいってもいつも来ている人がいるなぁ・・・・・・)「志らく百席」は、幅広い年齢構成のお客さんたちのやさしい眼差しを感じ、ビールを飲みながらゆったりと楽しむことができる。この雰囲気は゛好意的観客゛に恵まれた時の寄席だ。
思い出すと、昨年の5月1日第18回(『火焔太鼓』『粗忽長屋』『子別れ(中)(下)』)も客席のムードはよく、3作とも10点満点なら8.5以上という出来栄えだった。さて通算78席が終了。大ネタや期待したいネタも結構残っている。あと8回なのか、特別版などがあるのか分からないが、本人が吐露するように、残されたネタへの挑戦に、できる限りお付き合いしたいものである。
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by kogotokoubei | 2008-09-04 23:16 | 落語会 | Comments(0)
溝の口駅前の商業ビル最上階、12階にある、初めて行く会場。
開演午後7時5分、談春師が登場で拍手。
「なぜ前座がいないかというと会場の関係で8時40分には終わってくれ、ということなので・・・・・・開演を6時半にしたらいいでしょう、と言われたけど、近所のお客さんばかりではないから、来れないですよね」“その通り”と思うと同時に、いや~な予感。
会場、あるいは会場の制約が主役になってはいけないのだ。前座なしのネタは次の2席。

『お化け長屋』 (マクラ約15分、本編約30分:19:05-19:50)
『五貫裁き』   (マクラ約15分、本編約30分:20:00-20:45)

一席目のマクラ。馴染みのある場所で、20数年前に武蔵新城にあった料理屋さんでの地域寄席で前座に呼んでもらった、という話は良かった。また、昨日の今日でもあり福田首相の辞任会見ネタをまじえ、噺のうまい落語家というのは「怪談」か「猥談」がうまい、という話で引っ張り、「お化け」の噺であることを示唆。自らの開口一番でもあり、やや乗り切れない。これも、時間制約を考えることによる悪影響であろう。マクラから、「へっつい幽霊」ならうれしいのにと思ったが、『お化け長屋』。先週のNHK「日本の話芸」で小三治師匠のこの噺がちょうど放送されていたことを思い出す。談春流は気の強い職人のはじけ具合など、さすがという部分は十分に魅せるのだが、どうも時間に追われている印象がぬぐえない。古狸の杢兵衛の手つきに「熊がしゃけを取るような格好」という表現は秀逸だった。

仲入り後、「話していて思い出した」ということで、談春師と実家の家族が一緒に味わった「怪談」ばなしについて。たしかに、この話のほうが一席目のマクラにはふさわしかっただろう。そして、博多での談志家元との親子会のネタ。内容はお約束で明かせないが、会場は大爆笑。ようやくエンジンが温まってきた感じ。少し長引いたかと思わせるマクラの後で、「珍しくておもしろくない、立川流の噺」ということで『五貫裁き』。家元が講談モノが好きなので、たしかに立川流ならではのネタだが、最近この噺は三三師のイメージが強い。大家のキャラクター設定など随所に談春流の味わいはたしかにあるものの、最後の10分は少々飛ばしすぎにならざるをえなかった。ほぼ1年前の9月3日、横浜にぎわい座での「市馬・談春ふたり会」でこの噺を聞いたことを思い出した。にぎわい座では噺がこの一席だけだった(前座こはるちゃんの『たらちね』とお二人のトーク、市馬師は『佃祭』の一席)ので単純比較はできないが、時間の制約が最大の原因だろう、やはり今一歩舌足らずの感はぬぐえない。本来なら大岡裁きの場面はもっと長いはずだ。

結果としての時間配分は絶妙だしプロの技は十分に感じた。ドッカンドッカンさせる勘どころもはずさないし、実際に受けていた。しかし、夜7時からの落語会、客は9時までは当然、長講なら9時半も覚悟なのだ。たまの、そしてハレの落語会を十分楽しみたいというのに、会場の都合で2時間未満での、それも談春師クラスの落語会ということ自体に無理がある。

さて、会場への不満の付録である。終演後、数百名がいっせいに3台のエレベーターに向かうのだが、会場スタッフによる誘導もなく、効率が悪い。加えてエレベーターのソフトが、どれか一台が最上階12階に止まるなら、他のエレベーターは勝手に下の階から降りてしまうという設定のようで、「さぁ、来るぞ」と思っているトタンに、「降りる」の点滅が消え、すぐ下の11階やレストランのある10階から降り始める。まるでミステリーなのだ。結局いくら早く終演したところで、エレベーター待ちが15分~20分。加えて階段への扉も閉じており、待ちきれないお父さんから、たまらず、「なぜ、階段を使わせないんだ」との一声。市役所なのか主催者なのか居合わせた気の弱そうなスタッフが「危険防止のため使用できません」と答えたものだから、「火事になったらどうするんだ。川崎市の方針で焼死させるのか」・・・・・・。エレベーターを待つストレスのたまった一同、お父さんに同感なのだった。スタッフが『お化け長屋』で最初に逃げ帰る借り手で、お父さんが威勢のいい職人に思え、一人、笑いを噛み殺した。
あえて、今日のネタで苦しい洒落を言うのなら、「お化けエレベーター」と「動かん騒ぎ」が最後には主役になってしまった。公演中も、観客は最初に時間制約のことを聞いているものだから、談春師の汗をかきながらの熱演を時計を見ながら聞いていたのではなかろうか。少なくとも私はそうだった。

時間、寒暖、照明具合、音声などなど、芸を披露する環境は、なるべくその存在を感じさせないほうがよい。胃痛のときに胃の存在を感じる、ごとくである。もし、この会場で今後も落語会を行うのであれば、ぜひ学習効果があることを期待したい。多摩川超えでの落語会は、そう多くはないのだ。特に田園都市線沿線ではなおさらである。聞きたい落語家が、「あそこではやりやくない」と思ったとたんに、落語ファンのチャンスも減る、ということを肝に銘じて欲しい。志の輔師の『歓喜の歌』着想のエピソードとして、一部公共の会場における対応のまずさが語られていたが、なるほどと共感できた夜だった。
もちろん、すべてのお客様が私のような思いになったとは限らない。十分に楽しんで帰った方も多かっただろう。早めにエレベーターに乗れた人は、「動かん騒ぎ」には見舞われなかったはずだし。田園都市線沿線で、会社からも近い会場。今後も落語会の開催を期待しているからこその小言である。
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by kogotokoubei | 2008-09-02 23:10 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛