噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

<   2008年 08月 ( 8 )   > この月の画像一覧

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歴史読本の別冊では『落語への招待』がすでに2冊発行されているが、本誌は貴重な映像記録を中心とする別な切り口で構成された゛ムック゛である。最初に目をひいたのは五代目柳亭左楽の大葬列の写真だった。昭和28年3月25日に亡くなった五代目の葬列のことは、さまざまな落語関連書籍で知っていたが、写真を見たのは初めてだったので、新鮮な驚きを感じた。本誌でも冒頭に引用している『聞書き・寄席末広亭』の北村銀太郎席主の言葉。
富田均『聞書き・寄席末広亭』
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「そりゃ芸人としちゃ空前絶後のおとむらいだったよ。六代目菊五郎の葬式
と双璧だったって新聞にも出たほどだもの。花環が千本以上、上野動物園の裏
に並んじゃった。」
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北村席主は、『続 聞書き・寄席末広亭』の中で次のように五代目について語っており、この大葬列の理由が推し量れる。凄い人だったのだろう。富田均『続 聞書き・寄席末広亭』
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とにかく、五代目からは学ぶべき点が多いよ。高座にあがるとき、上方にならっ
てお囃子を入れるようにしたのもそうだし、熱心に勉強して、しかも客受けの
いい芸人には前座幹部の区別なく給金を上げて、年に二回特別賞与を出すとか、
とにかく次々と手を打ってゆく・・・・・・。大震災でいろんなもんが崩れた
あとでは、演芸会社と睦会に分かれたまんまやっていたのでは駄目だってんで、
今度はその二つの協会を一つにさせてしまった。バラバラになってる場合じゃ
ないっていうわけなんだ。それで本人が会長となって、落語協会を設立した。
だから私が六三亭をやっている時期は、もろに五代目がその力を発揮していた
ときなんだ。芸人たちの組織が一つしかなかったというのは珍しいことなんだよ。
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政治的なセンスも優れていたのだろうが、これだけの葬列を見ると、その人間の大きさ、というものも十分に察することができる。孫娘で末広亭の裏で喫茶店「楽屋」を営む石川光子さんの思い出話を含め、当時の落語界のドンともいえる五代目の貴重な記録である。

本誌の冒頭は新宿末広亭の今年6月上席で開催された、五代目小さん七回忌追善興行「小さんまつり」の高座と楽屋のスナップが中心に構成されている。小三治、扇橋、さん吉といった大御所師匠が談笑する様子を楽屋の隅っこに立ったまま神妙に聞き入っている三三の姿が実に微笑ましい。さん喬、権太楼という寄席の中心的存在を含め柳家の人材の豊富さには目を見張る。

「私の住んだ街、歩いた街」というタイトルで、小三治、文楽、金馬、正雀の4人の師匠がそれぞれの自分の師匠の思い出、弟子時代の師匠の家の様子、そして師匠からの教えと自分自身の落語に取り組む姿勢、考え方などを普段着の姿で披露してくれている。
小三治師の言葉から少し抜粋。
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繰り返しになりますが、こういうすべての努力は、師匠・五代目柳家小さんの
言うところの「人物になり切る」ためにあります。師匠の教えはまったく正し
かった、齢を重ねるほどそう思えるようになってきましたね。・・・・・・とは
言ってみたものの、本当はよく分かりません。普段からそれほどいろいろ考えて
整理しながら演ってるわけじゃあありませんから。齢を重ねて高座に何か変化が
出てきましたか、なんて聞かれたりもしますが、そんなことは自分にゃあ分か
りゃしません。
(中 略)
私自身、これからどうしたらいいんだろうと今も悩みながら、迷い、迷い、歩いて
います。今日はこう思っているけれども、二、三年もすればあのときは間違って
たなって思うかもしれない、まァ、それでいいんだと思うんですね。私は齢を
重ねていまそういう心境になれたということが嬉しいんです。
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九代目が語る八代目文楽や四代目の三代目金馬の思い出、正雀師匠が語る八代目正蔵の芸と人、など街並みや自宅の味のある写真と聞書きで構成された好企画である。
なかでも正雀師が明かす、八代目正蔵師匠が、何かと衝突があった六代目圓生師匠の葬儀でのエピソードには胸が熱くなる。
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圓生師匠がお亡くなりになったときも、青山斎場に出向いたウチの師匠は、落語
の祖・安楽庵策伝の研究で知られる名古屋在住の関山和夫先生に言ってました。
「これほどの名人はもう二度と出ないんだから、関山先生、大いに圓生師匠のこと
を褒めてやって下さいよ」と。感動しましたね。
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正雀師への聞書きに続いて、27回忌追善写真企画として「稲荷町」のさまざまな映像が掲載されており、その中にも六代目とにこやかな顔での鈴本の楽屋におけるツーショットが含まれている。あの二人は本当はどんな関係だったのか、あの諍いは二人の芝居だったのではないか、と思うばかりのいい雰囲気なのである。落語ファンにとってはうれしい記録であろう。

金馬師匠は、趣味のカメラで撮りためた噺家たちが楽屋でくつろいでいるスナップを提供しており、なかなか楽しい。青年扇橋師匠は、一見しただけでは誰か分からないような傑作だ。「落語の舞台・下町を歩く」では「長谷川町、三光新道」や「下谷山崎町」、「芝浜」など、落語と落語家にまつわる場所の現在の姿が丹念にスケッチされている。逆に、昔の姿をしのばせるのが橘右楽さんへの「聞書き 寄席研究」だ。師匠右近の志を引き継ぎ史料の収集、分析をしている右楽さんが語る寄席の歴史と、昭和29年に閉館した神田須田町の立花亭や人形町末広の写真などが掲載されていて楽しい。

本誌を手にして、すぐに本棚から1997年10月平凡社発行、別冊太陽『落語への招待』を取り出してみた。表紙は当時健在だった五代目小さん師匠。第一席から第五席に分けられ、若手から中堅、大御所まで、江戸も上方を含めて当時第一線で活躍していた噺家の高座や楽屋でのスナップと達者な書き手による文章で構成されていて、第一席のトップバッターは、当時絶好調の小朝師である。熟年期ともいえる時期の志ん朝師匠の姿を見ると目頭が熱くなる。10年前の本でもずいぶん懐かしく、そして楽しく読み返すことができる。『落語百景』の「住吉踊り稽古見学記」のスナップにも姿を見せる、今やこの踊りの中心人物である小円歌姐さんの10年前の写真の、なんとお若くて艶っぽいこと。(もちろん、今もお綺麗ですが)

落語ファンの中には、現在進行形の落語にのみ関心のある人も多いだろう。故人のCDを聞くことなどない人もいるかもしれない。しかし、現在の噺家が今あるのも、江戸から明治、大正、昭和、そして平成へと、数多くの師匠から弟子達に、その芸とともに人生哲学とでもいうべきものが伝承されてきた歴史があったからこそであろうと思う。また、落語の舞台の大半が江戸、明治など古き良き時代である。過去と、未来には過去となる現在の貴重な断面をしっかりと記録する本が今後も発行されることを期待したい。50歳を超えた中年のノスタルジーと思われても結構、10年後に懐かしく読み返すことのできる本も必要なのだ。
落語百景
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by kogotokoubei | 2008-08-23 18:25 | 落語の本 | Comments(0)
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昨日のNHK BS2での放送。東京落語会のライブラリから、うれしい映像の登場。昭和53(1978)年10月13日の「夜の指定席」で放映されたらしいが、落語会の開催はこの年の8月18日。
当日の演目は、
2代目 柳家さん助         『湯屋番』
2代目 桂文朝          『三方一両損』
4代目 三遊亭小圓遊        『崇徳院』
10代目 桂文治(当時は伸治)  『三国誌』
そして
10代目 柳家小三治        『天災』
3代目 古今亭志ん朝       『たがや』
*『ご存じ古今東西噺家紳士録』(エーピーピーカンパニー)より

当時小三治師匠が誕生日が12月だから満で38歳、志ん朝師匠40歳である。ともかく若い、そして二人とも達者である。仲入り後の二人の噺をノーカットで放映していると思われる。

『天災』は、時間の都合なのか、今では考えられないがマクラなし。「おらぁ江戸っ子だからねぇ、職人だから・・・・・・」の台詞が小三治師匠ならではのリズムをつくっていて心地よい。途中で煙草屋に立ち寄らずまっすぐに紅羅坊先生宅へ行くなど、刈り込み方も適切で、まったくあきさせない。30代の貴重な映像である。

『たがや』は歌舞伎の大向こうからの掛け声をマクラにして本編に入っている。よく言われる「唄う」ような流暢さでうならせる。不惑を迎えたばかりの志ん朝師匠は、直前に起こった大騒動の疲れも見せず、「芸のみに生きる」という気持ちの切り替えができていたのかもしれない。たが屋の立ち回り場面も含め、実に爽快な芸を見せてくれる。

昭和53年の大騒動というのは、あの落語協会分裂騒ぎのことである。
落語界にとって重要なエポックなので少し説明すると、こんないきさつである。
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5月9日の落語協会理事会で、同協会前会長であった6代目三遊亭圓生が大量
真打昇進に異を唱え、同制度を推し進めていた常任理事5代目春風亭柳朝、
4代目三遊亭金馬、3代目三遊亭圓歌を更迭し代わりに自分と同調する圓楽、
談志、志ん朝を常任理事にして同制度を白紙撤回する議案を出す。だが、賛成
は圓生と志ん朝だけ、圓楽と談志は棄権し、その他全幹部は反対したため大差
で否決されてしまった。圓生は一門を率いて新協会設立にに動き始め、5月24日
に赤坂プリンスホテルで新たな落語三遊協会の設立記者会見を行った。しかし
翌5月25日の席亭会議で、それまで新協会設立に理解を見せていた席亭達も、
新宿末広亭の北村席主の意見に従い、三遊協会には寄席を使わせない事を
決定。志ん朝、圓蔵、圓蔵門下の圓鏡は5月31日にそれぞれ落語協会からの
脱退を撤回。しかし、圓生一門は翌6月1日正式に落語協会を脱退。6月14日、
上野本牧亭で三遊協会を旗揚げした。
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ご存知のように、この翌年圓生は亡くなり、三遊協会は円楽党となった。
この騒動に関しては、三遊亭円丈、金原亭伯楽の両師匠によってリアルに騒動の内幕を明かした本があるので、別の機会にでも紹介したい。
この騒動のすぐ後、6月24日に三百人劇場で「志ん朝の会」が開催された。CDにも残る当日の『三軒長屋』のマクラでは、天候不順のことに続き「とにかく今年は大変な年で~お客様だけが頼りです。」と語って、場内からの笑いと拍手を誘っている。
このCDは、数ある志ん朝ライブラリの中でも、その出来栄えと歴史的な意味を含めトップ10に入ると思っている。

『よってたかって古今亭志ん朝』(文春文庫)の記録による昭和53年の志ん朝師匠の主要落語会での演目は次の通り。
1月13日 東京落語会  『ぞろぞろ』
3月29日 東横落語会  『碁泥』
3月31日 落語研究会  『幾代餅』
4月6日  志ん朝の会  『柳田格之進』『愛宕山』
5月29日 東横落語会  『船徳』
6月24日 志ん朝の会  『三軒長屋』『子別れ(下)』
6月29日 落語研究会  『酢豆腐』
7月31日 東横落語会  『宗の滝』
8月15日 落語研究会  『紙入れ』
8月16日 紀伊國屋寄席 『鰻の幇間』
8月18日 東京落語会  『たがや』*8月20日放映されたのはコレです。
8月30日 東横落語会  『唐茄子屋政談』
9月29日 東横落語会  『蒟蒻問答』
11月17日 東京落語会  『三枚起請』
11月19日 東横落語会  『猫の皿』
12月5日 志ん朝の会  『居残り佐平次』『芝浜』
12月26日 落語研究会  『居残り佐平次』

放送された『たがや』を演じた8月のスケジュールの過密なことに驚かされる。
京酢偕充さんプロデュースによりソニー・ミュージックから発売されているCDは、昭和51年から昭和57年にわたって三百人劇場で開催された「志ん朝の会」と、昭和56年の「志ん朝七夜」が音源の中心となっているが、この年の3回計6作品のうち5つはCD化されている。『芝浜』だけは、翌年11月の大阪での独演会の内容が七夜での『百川』とのカップリングで発売されている。この時期の志ん朝師匠の充実度は際立っている。

NHKの東京落語会に志ん朝師匠は昭和34年10月(なんと師匠21歳!ネタは『元犬』)から亡くなった平成13年の2月まで計71回出演している。
NHkさんには、もっと放送する機会を増やしていただきたいと願う落語ファンは少なくないはずだ。
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by kogotokoubei | 2008-08-21 12:21 | テレビの落語 | Comments(0)

『落語歳時記』矢野誠一

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矢野誠一_落語歳時記

『佃祭り』でも引用させてもらったし、最近別の著者から同一タイトルの本も発行されたので、矢野誠一さんのこの名著をとりあげる。
私が落語のネタを調べる時は、まず矢野さんの『落語手帖』(駸々堂出版 、1988年10月発行) か、同じく矢野さんによる『落語讀本−精選三百三席−』(文春文庫、1989年12月発行)にあたることにしている。これらの本でネタの原話であるとか、時代背景、主な演者のコメントなどを知った上で、次に参照するのが本書なのだ。
初版は1972年12月に読売新聞社から単行本として『落語 長屋の四季』として発行され、1995年2月に改題されて文春文庫として復刊された。それでもすでに13年前のことになるが。矢野さんは「徳三郎」という俳号をもつ「東京やなぎ句会」のメンバーである。この句会は桂米朝、入船亭扇橋、三遊亭小三治といった落語家に小沢昭一、加藤武そして矢野さんなどの落語通人で構成され、扇橋師匠を宗匠格とする、落語ファンならご案内の会である。
本書は新年から冬までの季節ごとに季題と対応する落語で章立てされている。冒頭はそれぞれの季題についての矢野さん自作の句で始まる。
ちなみに、夏の項の目次は次の通り。
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<夏>
業平忌       洒落小町
短夜         酢豆腐
うなぎ        鰻の幇間
蚊帳         麻のれん
四万六千日    船徳
暑さ         千両蜜柑
祭り         佃祭り
-季題寸景-
野崎参り/端午/幟/神田祭り/山王祭り/
祇園祭り/富士詣り/大山詣り/川開き/井戸替え
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落語の味わい方はいろいろあると思うが、江戸や明治といった時代の風俗や文化、そして庶民の生活を思い浮かべながら聞くことで楽しみが増えることは間違いないだろう。
季題「短夜」という言葉そのものが死語になりつつあるが、こんな粋な俳句を知ることで、季題とともに忘れることもなくなるだろう。
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短夜や軽き悪事のふたつみつ  徳三郎
短夜のあけゆく水の匂いかな   久保田万太郎
短夜や嘘と知りつつきくはなし  川口松太郎
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また、短夜の季題で扱っている「酢豆腐」についての次のような著者の指摘にも、なるほどと思うのだ。
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『酢豆腐』の若い衆は、口ではいやな野郎、キザな野郎とけなしながらも、あとに
引けなくなって、腐ってカビの生えた豆腐に敢然とたちむかい、「酢豆腐はひと口に
かぎる」と逃げた若旦那にたいし、「ざまァ見やがれ」といった態度はとらない。
おそらく、悪臭を放つ、くさった豆腐に立ちむかったとき、若旦那の胸中には、あの
『助六由縁江戸桜』で韓信よろしく、花川戸助六の股をくぐってみせる通人里暁を
気取るものがあったにちがいない。まことに通人をもって貫き通すのも、はた目には
わからないつらい部分があるものだ。口でけなしながらも、そうした気取りに徹した
いき方は、十分に認めてやった結果の、「やった、やりましたね」であって、「酢豆腐、
酢豆腐はうまいね」なのである。
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俳句を下敷きに季節感のある噺の時代と当時の庶民の生活、そして登場人物の心情など、落語の楽しみを何倍にもしてくれる名著だと思う。本書が多くの落語ファンの手に入るよう、改訂版の発行を期待している。文春文庫には過去に落語関連本が結構多く発行されているのだが、最近改訂されていないので古書店ルートに頼らざるを得ない。ちくま文庫や河出文庫の奮闘に負けないで欲しいと思う次第である。

矢野誠一_落語手帖
矢野誠一_落語讀本
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by kogotokoubei | 2008-08-17 11:07 | 落語の本 | Comments(0)

今年は大祭 『佃祭り』

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8月6日の末広亭夜席の主任、入船亭扇遊のネタは、今がまさに旬の噺。といっても通年は8月6日と7日が祭りなのだが、今年は三年に一度の大祭で、8月1日から始まり土日をはさんで4日がクライマックスであった。上の画像は「佃住吉講」が作っているホームページからいただいた例大祭のポスターである。このホームページにある佃島、住吉神社そして佃祭りの解説は次のとおり。
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佃煮のルーツで知られる東京都中央区佃は、隅田川の河口に位置し、いまだに
江戸情緒を残すレトロな町として多くの観光客が訪れています。そもそも佃は、
天正18年(1590年)徳川家康公が関東に下降の際、摂津国佃村から漁民33人
呼び寄せ、鉄砲州向干潟を埋め立てさせ佃島と命名し住まわせたことに始まり
ます。この佃を社地とする住吉神社は、正保3年(1646年)6月29日、住吉大社
の分神霊を奉遷祭祀し建立されました。以来、住吉神社の例大祭(佃祭り)
は、江戸幕府に許可された由緒ある祭りとして今日に至っております。揃衣の
若衆が獅子頭の鼻先めがけ殺到する獅子頭宮出しや隅田川を渡御する船渡
御祭、江戸三大囃子のひとつである佃ばやしにのって、高さ20米にも及ぶ六基
の大幟のもと八角神輿が繰り出す風情は、文化的にも希有なものと言えましょう。
佃 住 吉 講
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矢野誠一さんの『落語歳時記』には、「摂津国といえば、いわずとしれた現大阪府。だんだんと残り少なくなってきている生粋の江戸っ子が、いまなお多く住むといわれる佃島も、もとはといえば、大阪からの移民によって開かれたとは、なんとも皮肉なことではないか」と書かれている。たしかに佃と大阪というのは、まったく意外な組み合わせである。
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佃住吉講活動記録から、今年の4日最終日の宮神輿とにぎわいぶりの画像である。今年はNHKの朝の連続ドラマ『瞳』の舞台ということで、ドラマ出演者も収録のため神輿をかついだようだ。
さて、噺は、まだ佃島に橋がかからず渡し舟に乗る必要のあった時代の話。実際に佃の渡しが沈む事件があったので実話がベースかと思わせるが、原話は中国明代の『輟耕録(てつこうろく)』(陶宗儀著)に収録されている「飛雲の渡し」だといわれる。

現在の橋と船のルートは、いつも参照させていただくすばらしいホームページ「落語の舞台を歩く」から拝借。
落語の舞台を歩く

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さて噺は次のようなストーリーである。
(1)神田お玉ケ池の小間物屋の主、次郎兵衛さんは、大の祭り好き。今日もやきもち焼きの女将さんに「どうせお祭りが白粉(おしろい)つけて待っているんでしょう」などと言われながらも佃祭りに出かけた。

(2)祭りを楽しみ、目一杯帰りの乗客を乗せた暮れ六つの終い船で帰ろうと船に足を踏み出した次郎兵衛さんの袖を引く女がいた。次郎兵衛さんが女に引き止められているうちに船は出てしまう。しょうがなく女の話を聞いたところ、実は三年前に奉公先の主人の金三両(五両とする場合もある)を盗まれ、橋(本所の一つ目の橋、とか吾妻橋など設定はいろいろ)から身を投げようとしたところを助けたのが次郎兵衛さんだった。女は結婚して佃に住んでいるので、ぜひ寄って欲しいと懇願する。連れあいが船頭なので、後でお送りすると言われ、ほっとして家を訪ねる次郎兵衛さん。

(3)女の家で次郎兵衛さんが一杯ご馳走になっていると、急に外が騒がしくなってきた。なんと終い船が沈んで岸は死体の山になっているとのこと。三年前に命を救った女に、今度は次郎兵衛さんが助けられたわけだ。女の連れあいが次郎兵衛さんに挨拶に立ち寄ったが、船を出すのは騒動がおさまってからになるので、家でゆっくりしていってくれと言われ、腰を落ち着けてご馳走になる次郎兵衛さん。

(4)一方、神田の次郎兵衛さんの家で帰りを待つ女将さんに、終い船が沈没したとの伝聞が届く。どうも一人も助からなかったらしいという噂に泣き崩れるおかみさん。近所の若い衆がさっそく弔いの準備を始める。若い衆の半分は、次郎兵衛さんの遺体をひきとにり行こうということで、おかみさんに次郎兵衛さんの体の特徴を聞いたところ、次郎兵衛さんの二の腕におかみさんの名前が彫ってあるとのこと。「なんとも、ごちそうさまで」と出かけていく。はっきりしない伝聞ではあるが、次郎兵衛さんが死んだらしい・・・・・とのことで弔問客でごったがえす。中には、とんちんかんな悔やみを言う者もいるが、とにかく早桶も届き坊さんも駆けつけて通夜が始まった。

(5)すっかりご馳走になり明け方に船で神田川まで送ってもらった次郎兵衛さん。ご機嫌で家に帰ってきたが、家では弔いの最中。「おやっ、簾が裏返しになって“忌中”って、誰が死んだんだ。お袋か。かかぁか・・・・・・」と家の中に入って、居並ぶ弔問の者たちが「幽霊!」、という大騒動。

(6)次郎兵衛さんにいきさつを聞いたご一同、坊さんに若い衆があやまるが、坊さんいわく。「けっこうけっこう。因果応報と言いましてな。次郎兵衛さんが三両の金で若い女の人を助けた。だから今日んなって、その三両のために、こんどは自分の命を買うようになったのです。人を助けるということは、みんな自分の身にかえってくることでございます・・・・・・」と法談のように場を締めた。

(7)さて、この話を聞いていたのが与太郎。「身投げを助けて三両やれば、自分が死なねぇですむ」とばかり三両を都合して、毎日、ほうぼうの橋に身投げを探しだした。三日目にようやく、橋に若い女の姿。目に一杯の涙をため手を合わせている。与太郎、ここぞとばかりうしろから抱きついて「待ってくれ。三両の金がねえために、身を投げるんだろう。おれが三両やるから、待ちねえ」」と止めにかかったが、女の言い分はこうだった。「あたしはね、歯が痛いから、戸隠さまへ願をかけているんだよ。」与太郎が「うそぉつきやがれ、え、懐に石があらあ」女の言葉がサゲとなる「これは納めるありの実(梨)だよぉ」

このサゲのために、まずほとんどの噺家が、マクラで戸隠さまへの願かけのことを説明する。矢野誠一さんの『落語歳時記』からふたたび引用する。
「戸隠さんは、平維茂の鬼女退治で知られる長野県は戸隠山にある神社。古くより虫歯の神様として有名だった。このでんで、薬師様が目、水天宮が産婦人科、トゲ抜き地蔵は外科。神様にも専門があるわけだ。戸隠に願をかけるには、生年月日と、上下、何枚目の歯が悪いかを梨に書き、橋の上から戸隠様におがんで川に流す。その様子、遠くからみると、さながら身投げ同様というから、与太郎が間違えるのも無理はない。」
梨を「有(あり)の実」と言うのは、「なし」では縁起が悪いからだが、せっかくマクラで説明していても、サゲで「有の実」と言う噺家はほとんどいない。もったいない。ぜひ死語にならないよう、この噺も語り続けてほしいし「有の実」をサゲでも使って欲しい。

東京オリンピックのあった昭和39(1964)年の佃大橋の完成で姿を消した渡し船が題材となっていることや、神田お玉ケ池町内の若い衆や与太郎によるドタバタ、次郎兵衛さんが昔助けた女の連れあいの船頭(辰五郎)の「いなせ」な立ち居振る舞いなど、季節感もたっぷり役者もいっぱいで江戸落語の代表作の一つだと思う。また、(4)の場面の滑稽な“悔やみ”もこの噺の売りの一つ。噺家がそれぞれ工夫しているので、噺家によってどう悔やむかを聞き比べるのも一興だ。
江戸、祭り、粋といなせで、おっちょこちょいな町人たち、「落語って、本当にいいですねぇ」と、誰かの口癖をまねしたくなる噺である。
お奨めは、迷うことなく古今亭志ん朝である。
古今亭志ん朝_佃祭り
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by kogotokoubei | 2008-08-09 10:47 | 落語のネタ | Comments(0)
都内での打ち合わせが終わって、気が向いたので2月29日以来の末広亭へ。主任は扇遊。仲入り前の二人から、次の顔ぶれとネタを桟敷で楽しんだ。客の入りは6割位。いい感じ。
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春風亭正朝   町内の若い衆
三遊亭歌武蔵  親子酒
(仲入り)
入船亭扇治   狸の札
ホームラン    -漫才-
桂 文生     雑談 *二日酔い?
柳亭小燕枝   無精床
林家正楽     -紙切り-
入船亭扇遊    佃祭り
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さん喬が休演だったのは残念だったが、それも寄席である。ちなみに2月29日は、代演でうれしい誤算の桃月庵白酒がすこぶる良かった。

主任の扇遊は、期待通り。この人はビクター落語会で何度か聴いているが、やはり寄席が似合う噺家さんだ。演じる姿がよく分かる寄席空間でこそ、その細やかな仕草や表情の変化が際立つ。しかし、本日の一番は、歌武蔵。あの巨体で、禁酒の約束を破って飲んで帰ってきた息子がいきなり倒れるシーンを、砂かぶりとも言える至近距離から見る迫力はホール落語会では絶対味わえない。また正朝の粋な語り口と現代的なクスグリは相変わらず髪形と一緒でシャープだ。寄席ならではのネタでしっかり客席を暖めた。末広下席では主任らしい。都合がつけば来たいものだ。また、さん喬の代演である小燕枝は初体験だが、さすが小さん門下だけあり柳家の香りがするし、無精床という寄席ならではのネタでしっかり笑いをとっていた。扇辰と交替出演の扇治。雰囲気はあるのだがなぁ、クイツキでこのネタというのはちょっとがっかり。文生は酒にまつわる雑談10分でおりた。二日酔いだろう。

久しぶりの寄席は本当に心がなごむ。特に末広亭は、都内の四つの寄席の中でもっとも建物が古く、いわゆるレトロ感覚がうれしい。部分改修はしているものの昭和21年築なので60年以上たっている。昭和の面影いっぱいの寄席で、この環境そのものが来る価値がある。

寄席はホールでの独演会などと違い噺家や出来栄えにハズレも多いし、主任以外は15分ほどの持ち時間であわただしいという欠点もある。しかし噺家との一体感、お客さん同士の連帯感などは寄席でしか味わえない魅力だ。独演会でチケット完売となるレベルの噺家が主任の時は立ち見にもなるだろう。でも、空席が目立つ平日の会場で、初めての噺家に出会ったり、ホールで知っている噺家の顔を至近距離で確認するのも楽しいものだ。最前列でドッカンドッカン笑っていた年配のおかぁさん達、あなた達は長生きしますよ。
来週の鈴本夏祭りは都合で行けないが、近いうちに寄席にまた来ようと思う、そんな夜だった。

なお、新宿末広亭については、富田均さんの故北村銀太郎席主からの聞書きによる下記の書があり、昭和53年の落語協会の分裂騒動でも存在感を発揮した北村席主の人と生涯を興味深く読むことができる。大正から昭和にかけての噺家達との交流など、北村席主しか知りえないエピソードも多く、落語の歴史書としての価値もあり推奨します。
聞書き_寄席末広亭
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by kogotokoubei | 2008-08-06 23:05 | 落語会 | Comments(0)
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「落語30年、これまでとこれからの」という特集で、京須偕充さんが編者である。
36号が2003年4月の発行だから5年3カ月ぶりの発行。その前の35号は2001年7月、34号となると1997年6月 だから、3号前は10年以上遡る必要がある。たぶん38号は30年後に発行予定なので、こういった特集になったのでは?というツッコミも入れたくなるが、ぜひ3年以内で38号の発行を期待したいものだ。しかし、季刊ではなくなっても忘れた頃に発行し、いまだに通し番号を付けている弘文出版のしぶとさも、ある意味で凄い。

執筆陣は京須さんをはじめ、落語に関する論客ぞろいの多彩 な顔ぶれである。大友浩、長井好弘、今野徹、佐藤友美、木村万里、田中徹、瀧口雅仁、寺脇研、浜美雪、などなどの名前が並ぶ。 現役の落語指南役で加えて欲しかったのは堀井憲一郎さんだが、執筆依頼がそもそもなかったのか、依頼はあったが何らかの事情で断ったのかは不明。

最初に京須さんが、「さらば、名人の世紀」という長いマクラをふっている。各章のタイトルのみ並べてみる。
(1)志ん朝は名人か (2)名人は幻 (3)名人の黄昏 (4)名人は人間か
(5)名人の逸話と背景 (6)真に迫る (7)名人の世紀 (8)聴き手の想像力
(9)「名人」を捨てた名人 (10)アンチ名人の時代へ (11)ポスト名人時代のリーダーは

「名人」が存在しない、あるいは存在できない時代にあって、今から30年後の落語界を背負って立つのはどういった人たちだろうか、そんな酔狂な企画もあっていいでしょう、という企画のマクラを京須さんは「名人」への考察から始めたわけだ。これに続いて、骨のある落語指南番それぞれの30年後の期待とシミュレーションが記録されている。まさに、各書き手による記録なのだ。皆、自分がその時に存在するか否かという不安を持ちながら、30年後に読み返したいと思っている。

それぞれの書き手による「30年後」の落語界を背負って立つだろう噺家の名前は。本書を読んで確認していただきたいが、落語ファンであれば、ほぼ想像通りの顔 ぶれが並んでいるといえるだろう。 ただし、出てくる噺家の数はとんでもなく多い。もちろん、書き手の視線、好みなどの違いによるが、「この人がこの噺家を推すんだ・・・・・・」という発見も楽しい。

これでもか、というお奨め噺家のオンパレードでお腹一杯になった頃、ほっとさせてくれるとともに、非常に楽しませてくれるのが「柳家喬太郎日記」である。本年4月一ヶ月間の日記が掲載されている。私自身もこの期間の喬太郎のいくつかの落語会に足を運んだので非常に楽しく読めた。特に4月9日のにぎわい座でのさん喬一門会に関する事後の反省には、同じような感想を持っていたので、大いにうれしくもあった。この日記で最初にわかることは、想像はしていたが、喬太郎がどれほど“売れている”か、かつ仕事を断らずにこなしているかという実態。また、日記なので、なんといっても等身大の日常生活を覗く楽しさがある。しかし、彼の日常が楽しいことばかりでは、もちろんない。池袋の行きつけのバーで翌日締切りの原稿を書く夜があれば、なぜか深夜あるいは早朝まで眠れない日々もある。また、十八番(オハコ)を演じた後でも出来栄えに自責の言葉を綴る日も少なくなく、正直言って、「30年後、喬太郎は大丈夫か?」という不安も感じた。もちろん本書でも多くの書き手が喬太郎を30年後の落語界のリーダーとして推している。少しは仕事を選び無理をしないで欲しいと思った次第である。でも、休まんだろうなぁ、彼は・・・・・・。
 
また、長井好弘さんによる「データで読む『当世落語事情』」は、得難い資料となって いる。過去数年間の鈴本や末広亭の演目や、過去数年“演じられていない”噺、といった 情報が提供されており、非常にタメになる。 上方落語に割くページも相応に用意されている。トリを務める花井伸夫さんや相羽秋夫さん達による「これまでの30年」も読み応えある記録である。総体として長期保存版としての価値はある。
 
7月に発行されたが発行部数が多くないのだろう、インターネットでの購入でも数週間かかるようだ。私は、神保町の落語専門古書店で入手したが、通常の書店では間違いなく取り寄せになってしまうだろう。しかし、落語ファンの皆さんが、数年後に古書店ルートで苦労して買い求めることになるのなら、今のうち買っておくだけの価値は十分にある。 自分の贔屓の噺家がどのように評価されているかを知る楽しみもある。そして、今はよく知らないがこれから長い間見守るべき若手成長株の新たな名前を知ることのほうが重要なのかもしれない。次の大友浩さんの言葉が示唆的である。
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30年後の落語界がどうなっているか、遊び半分に考えてみることはある。
しかし、未来を言い当てようとすることがいかに虚しいかは、私たちがこれまで
さまざまな形で目にしてきた多くの未来論で証明済みだろう。・・・・・・
「30年後に期待する噺家は?」と問われたら、「明日入門するあなたです」と
答えたくなってしまう。
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本書を読んで人生が変わった未来の噺家がいないとは限らない。

弘文出版_落語37号
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by kogotokoubei | 2008-08-05 18:50 | 落語の本 | Comments(0)
小田急新百合ヶ丘駅前の1000人収容可能な会場。3月の談春、7月の志の輔はともに平日夜7時開演だったので、土曜の午後2時開演でどこまでこの広い会場が埋まるか、と思ったが当日券販売ありで約8割の入り。
談春は平日で同じ位、志の輔はほぼ埋まった。まぁ、現在の「落語家市況」から考えると、善戦と言ってもよいのかもしれない。

まず、出演者と根多から。
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林家種平   お忘れ物承り所
春風亭小朝  池田屋
(仲入り)
林家いっ平  漫談~悋気の独楽
春風亭小朝  唐茄子屋政談
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一月の橋本の独演会でも、「元義弟]」のいっ平が出ていたので、ある程度予想はしていたが、案の上。「そこまで、三平を意識しなくていいだろう」と思わせる高座。
これ以上、助演者についてのコメントは控え、小朝の唐茄子屋を中心にしたい。もちろん昨日の三三の唐茄子の翌日だから、である。あえて、二人の演出の違いを聴き手の立場であげてみる。ポイントは3つ。
*ここからはネタバレ注意内容。噺を知らない方で知らないでおきたい方はお読みにならないほうが賢明です。

(1)吉原田圃
ここに噺家の芸の幅が出てしまうのはやむをえない。都都逸の一つ、小唄・端唄のさわりを披露できるかどうかは、非常に大きな違いとなる。残念ながら三三にはなかった粋な一節が小朝には、ある。その有無による聴き手への効果は、この噺に関する限り小さくはない。古今亭志ん生、金原亭馬生、古今亭志ん朝の親子は、みなこの場面で聴かせてくれる。粋なんだ、この人たちの唄が。志ん生の「薄墨」などは、なんともいえない味がある。

(2)誓願寺店の因業大家の出番
あくまでも8月1日の三三、8月2日の小朝の演じ方での違い。
徳が売りだめを置いて帰った後のシーン。小朝は売りだめを返そうと思った母親が因業大家に出会い、大家が家賃のカタに財布を取り上げるところまでを演じ、徳がおじの家に帰るシーンにつなげている。三三は、まだ試行錯誤なのか時間の都合なのか、大家の出番を挟まず徳がおじの家に帰る。二日連続して聞いた感想としては、大家の出番を挟むほうが演出として効果的だと思った。

(3)誓願寺店の母親の容態
古くは母親が亡くなる悲しい噺だったが、それではあまりにもむなしいので、昨今は助かる設定が多い。三三も小朝も助かる噺になっている。助かった、という情報をどこにはさむか、ということなんだが、徳が大家の乗り込む前に無事であると明かす三三と、最後まで隠しておく小朝。謎解きは最後までひっぱっておくほうが聴く側の緊張度は大きく、解放による効果もある。この点も小朝に軍配が上がる。

この3つのポイントだけで考えても、小朝が上回っている。芸の良さプラス親切な演出とでもいおうか。三三は全体の出来が悪いわけではない。役者の三三は良かったが、演出家の三三は課題あり、と言えるかもしれない。ということは演出を工夫した場合の伸びしろは大きいということだ。三三「唐茄子」の今後の進化に期待したい。たまたま連日で味わった「唐茄子」を引き合いに出すほど、この日の小朝の出来は良かった。大銀座で黒子に徹していたため、噺家小朝の血が騒いできた、としたら良い傾向といえるだろう。
 
今日の会は、小朝が一席目にお手の物の「池田屋」-特に近藤勇エピソードのクスグリ-で会場を暖め、トリに唐茄子屋を披露した構成とそれぞれの芸に、貫禄めいたものを感じた一日であった。もう少し詳しく言うならば、「池田屋」で会場をドッカンドッカン沸かしている時には、「やはりローカルバージョンなのかな・・・・・・。」と半ばがっかりし、いっ平の、妙に三平を意識した漫談芸に辟易した後の「唐茄子屋」の出来に、素直に「来て良かった」と思えた。

小朝は、ローカルで初めて落語を聞くお客様向けの“ドッカン”も出来るし、人情噺も、けっして錆はついていない。
しかし、あえて言おう。「元」義理の弟達は自分たちで食い扶持を探せるだろう。もういいのじゃないか、“偽装”兄弟会は・・・・・・。小朝独演会なら行きたいが兄弟会なら行かない、という落語ファンが少なくないことを分かって欲しい。大銀座が役割を果たした、というのなら、三枝との二人会もそろそろ終わりにして欲しい。(そういえば、やはり大銀座のことは、いっ平の漫談で自慢話に出たくらいで、小朝からはまったく話題に出なかったなぁ・・・・・・。)

“多摩川超え”だからこそ、「紺屋」と「文七」をストレートにぶつけてきた談春、「千両みかん」と「しじみ売り」という十八番(オハコ)をしっかりと並べた志の輔、の立川流。小朝も、多摩川超えの未開拓な落語ファンへの「ドッカン」役はいっ平達に任せ、立川軍団と比較して熱く落語ファンが語れるような、本来の「独演会」を期待したい。前座が必要なら弟子を連れてきて欲しい。あなたは林家一門ではないのです。
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by kogotokoubei | 2008-08-02 19:54 | 落語会 | Comments(0)
紀尾井ホールの小ホールは250席、というほど良い広さ。
三三の独演会は昨年以来なので、内幸町ホールと思っていたので勝手が違ったが、これはバージョンアップ、ということなのだろうか・・・・・・それはともかく演目。
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三遊亭王楽  「しびん(花瓶)」
柳家三三   「帯久」
(仲入り)
柳家三三   「唐茄子屋政談」
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「しびん(花瓶)」
王楽は昨年の9月15日の朝日名人会以来、久しぶりの再会。この噺は、”田舎侍”が道具屋で「しびん」を「花瓶」と間違えるというのが大前提。田舎侍を描けなければ噺の輪郭が見えない。三三が自分の噺のマクラで「王楽さんは血筋が違いますよ」などとよいしょしたのは、「残念ながら田舎侍を演じるのはDNA的に難しかったのでしょう」というフォローにさえ聞こえた。昨年の朝日名人会の『兵庫船』が、期待していなかったせいか意外に印象が良かったので、ネタの選択ミスともいえるだろう。文楽(八代目)がよく演じたとはいえ、噺自体があまりおもしろくのないネタであり、若さの勢いで聞かせるのは難しい噺である。芝居噺などがニンのはず。これ以上はあえて小言を我慢して今後に期待。

「帯久」
五貫裁きなど政談ものはニンであり、若さに似合わず大店の主など年輩の登場人物を演じたらピカイチといえるので、この噺は期待していた。演じ分けの見事さなど十分期待に応える内容で、ぜひ十八番(オハコ)に加えて欲しい。
サゲの「身をこがして」は三三のオリジナルなのかどうか勉強不足だが、米朝をはじめ「本卦(本家)」と「別家」というサゲが通じにくい今日、志の輔の「帯だけにきつく」というサゲに勝るとは言えないが、話の流れとしては無理がなく好感は持てた。

「唐茄子屋政談」
徳が商売から帰り、おじが徳の話を聞いた後で誓願寺店に向かう場面。二人に向かっておばが言う「二人で吉原に行くのかい」のクスグリがいちばん笑えた。また、吉原田圃での売り声の練習と、花魁との回想とを交える中盤の聴かせどころも、三三らしい色気と笑いがあって、良い。矢野誠一さんの文章に、志ん朝が二つ目朝太の時代の勉強会でこの噺を見事に演じ、若いのに驚いた、という表現があったことを思い出すが、三三の唐茄子屋も若いのにもかかわらずニンである。

月例の三三独演会は、もっと広い会場でも十分集客できるだろう。しかし、内幸町や紀尾井ホールといった会場をあえて選んでいるのであれば、その三三の心意気がもっとも価値がある、そんな思いでトラブルで20分遅れた小田急の、これでもかという位に度重なるお詫びの車内放送を聞きながら、多摩川を超えて帰った夜だった。
 三三、たしかに柳家の正統派の伝統を担う逸材にちがいない。しかしこの日の内容で欲を言えば、「帯久」のマクラで姫路城を訪ねた話をしたが、「なぜ姫路城だったのか」という彼の思い入れなども聞きたかった。マクラには人柄が出る。もっと姫路城への旅の心情面での掘り下げがあれば、三三という一人の人間への理解が深まったのに、と感じた次第。まだ三十代前半ではあるが、あえて自分の思いや好みなどもテレずに吐露してほしい、という小言で締めたい。「上手い!」の段階はすでに到達しているのだから、マクラを含め「できる!」「なるほど・・・・・・」と思わせ、その著作が出たら買いたくさせるような噺家にぜひなって欲しい。
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by kogotokoubei | 2008-08-01 23:40 | 落語会 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛