噺の話

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京須偕充さんによる意欲的な作品。どう意欲的かと言うと、落語研究会の解説者としてのジェントルな振る舞い、落ち着いた語り口からは想像できない、江戸っ子の“べらんめい”口調と、テーマになっている幇間(たいこもち)的な口調を中心に書かれている本なのだ。 だから、最初は読みながら「これ京須さんの本だよなぁ・・・」と何度か表紙を見返してしまった。しかし、この試みは、なかなか当たっていると思う。

構成は次の通りである。
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まくらに代えて
第一章 落語が語る江戸の仕事、職場と就職
第二章 落語が教えることばと人間関係
第三章 大根多『百年目』が語る企業と人情
サゲに代えて
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今年に入ってから、落語から処世訓や江戸の智恵を読み取ろう、といった試みでいくつか落語関係本が出版された。矢野誠一、堀井憲一郎、柳家喬太郎などの名が浮かぶ。「小言」をタイトルにした本もあった。思うに、京須さんはこの流れを読みとった上で、他の本との差別化を図ろうとしたのではなかろうか。

印象的だった部分をl抜粋してみよう。

(1)第一章の「商い力の江戸時代」から
「客側も世辞を言う文化は昭和の後半から薄れてきたように思います。量販店がはびこったためでしょう。代金と品物を即物的に交換するというだけでは双方がロボット化していくばかり。昔、下町の個人商店では客と店との人間的絆が強く、会話のはずみでつい、もう一品余分に買う、なんてことがザラにあったものです。今はもう声はあれども心はあらずで、マニュアル化した「アリガトーゴザイマシタ、マタドーゾ」がテープ・ボイスにように響くだけ。みんながそれに慣れてしまえば個人商店は量販店に駆逐される一方ってことになる。」

この部分では“べらんめい”調は押さえられているが、指摘はごもっとも。最近の小咄で次のようなものがある。“会社で会議前にコーヒーのストックがなくなっているので、近くのファーストフード店で20人分のコーヒーを買うよう指示された新入社員。店のカウンターで「コーヒー20個」と言うと、店員から「店内でお飲みになりますか、お持ち帰りですか?」・・・・・・。”おいおい、一人で20杯飲むか!マニュアル化された言葉のむなしさよ。


(2)第二章の「気配りとは相手を読むこと」から
「~家庭だけの話じゃありません。仕事もビジネスも人と人で成り立つものすから、互いが都合を 主張するのみで相手を尊重せず、気配りもしないとなれば、うまくいくはずがありません。気配り は裏を返せば『読み』です。相手を読めなきゃ、成功は覚束ないのは当ったり前のコンコンチキでさ」

気配りは読み、という端的な指摘が秀逸。

(3)第三章の「下の者あっての経営者」から
「***落語「百年目」の一部分の引用***
 さて番頭さんや、店先へ舞台を変えれば、そこではお前さんが栴檀、店の若い者が南緑草ということになる。近頃、店の栴檀はたいそう威勢がいいが、南緑草が少し萎れているように思う。どうかね?私の思い過ごしならばいいが。店の南緑草が枯れれば店の栴檀−お前さんも枯れる。そうなればおくの栴檀−わたしも枯れてしまう。お前さんから見れば店の若い者は行き届かない者ばかりだろうがしかし、人間というものはどこかに何か見所があるものだ。辛抱して、せいぜい露を下ろしてやっておくれ。わたしからもお願いしますよ。***引用終了***
 
 もしも、ここで旦那が頭を下げたなら、番頭は気絶しますね。それに、それじゃあまりにもイヤミになるってもんでしょう。それはともかく、旦那はここで店の者、下の者あっての経営者だということをはっきり言いました。」

この部分、「百年目」という噺を三遊亭圓生版を中心に引用しながら、旦那の会話の中に、現代ではもうお目にかかれない高等な話術と気配りが溢れる経営者、管理職の姿を紹介していく。「百年目」という噺そのものが良く出来ていることに加え、京須さんが選択し、適切に説明をしているところが、本全体の最大の山場となっている。米朝、志ん朝の演じ方なども紹介されており楽しく読める。

 圓生、志ん朝、小三治といったそれぞれ生半可なことで交渉に応じそうもない名人達の歴史的 CDをプロデュースしてきた仕事の背景には、鋭い「読み」を踏まえた「気配り」があったに違いない。

 本書で「小言幸兵衛」を紹介している部分で、幸兵衛の心境が次のように語られている。「あたしゃツベコベ言いたかないが、わからず屋だらけだから、ついつい小言を言うん だよ。いや、言わされてるんだ。こっちの身にもなっとくれ。」
“少数派になってきた”と京須さん が嘆く幸兵衛役をあえて買って出ているのが本書である。しかし、誰でも幸兵衛の小言を長々と聞く のはつらいことを著者は十分“読ん”でいる。だから幸兵衛の毒を幇間的な“よいしょっ”と、べらん めい調のオブラートで絶妙に包みこむ“気配り”を発揮しているのだろう。
 京須さんの数ある著作の中での最高傑作は、10年以上前の発行になってしまうが、『らくごコスモス-落語、昨日今日明日』だと今でも思っている。同書は、当時の落語界への京須さんの熱い思いが語られており、“志ん朝七夜”実現のドキュメンタリーとしての価値も大きい。単純に比べることはできないが、一まわり年を経て書かれた本書は、落語の語り手、聞き手として熟練したお旦が、落語を素材に処世の智恵を語ってくれる良書といえるだろう。今後は、この手の著作が増えそうな気もするし、期待もする。
京須偕充_幇間は死なず
京須偕充_らくごコスモス-落語、昨日今日明日
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by kogotokoubei | 2008-07-29 17:32 | 落語の本 | Comments(0)

『大山詣り』

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 夏の旅の代表的な噺。別名『百人坊主』。写真は、大山阿夫利神社の下社拝殿。

 大山は現在の伊勢原市郊外の山である。別名を雨降山(あふりやま)。参詣先の神社は阿夫利神社。なんとその歴史は紀元前に遡る、らしい。阿夫利神社のホームページから抜粋する。
大山阿夫利神社のサイト

 大山阿夫利神社の神社創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代であると伝えられています。
 大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすことからこの名が起こったといわれ、標高は、1251mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっています。
 阿夫利神社は、古代からこのあたりに住む人達の心のよりどころとなり、国を護る山・神の山としてあがめられてきました。
 山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また、海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには、大漁の神として信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として、今日に及んでいます。
 山頂からは、祭りに使ったと考えられる縄文時代の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っており、 仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、国幣(こくへい)の社となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは、開運の神として武運長久を祈られました。
 引目祭・筒粥祭・雨乞い・納め太刀・節分祭・山開きなど、古い信仰と伝統に守られた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが、昔のままに伝承されており、全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ、神の山にふさわしい風情で、山頂からの景色もすばらしく、多くの人達に親しまれ、常に参詣するひとが絶えません。


 通常参詣のための登山は、中腹700メートルにある阿夫利神社の下社まで。
豊作祈願、無病息災、商売繁盛などの祈願のため、「講元」さんとか「先導師」「先達」(せんだつ)さんなどと呼ばれるリーダーによる「大山講」という組織が関東一円にでき、白装束の行者姿で集団で参詣することが多かったらしい。古今亭志ん朝の噺によると「博打」の神様でもあり、鳶の頭など博打好きな町人なども盛んに参詣したようだ。大山までは日本橋から18里、約70km。
大山まいりは一般的には「5泊6日」のコースが多かったらしい。 当時の長旅では一日に十里(約40km)は歩いたらしいから、距離をかせぐ旅ではなく、じっくり時間をかけた参詣の旅だったわけだ。

当時の標準的な旅程を紹介しよう。
初 日:「お江戸日本橋七つだち~」ということで夏場なら午前3時頃に江戸を出発。大山街道を三軒茶屋・二子・溝ノ口と進み荏田か長津田宿で一泊。
2日目:下鶴間・海老名・厚木と歩き、伊勢原で二泊目。
3日目:目的の大山阿夫利神社に参詣した後、田村通り大山道で藤沢宿を目指し、夕方藤沢宿に着き三泊目。
4日目:江の島に入り江の島神社と岩屋を参詣した後鎌倉に向かい、鎌倉の寺と鶴岡八幡宮を参詣。その後、朝比奈切通しを抜けて金沢に向かい、六浦の景観を楽しんだ後、金沢八景の称名寺を参詣して、金沢宿で四日目の宿をとる。
5日目:最後の日は途中川崎大師を参詣して品川宿で五泊目の宿をとり、品川遊郭で精進落としをして、翌日江戸に帰ったようである。
ただし、四泊目あるいは五泊目は、落語のように神奈川宿泊まりというパターンも多かったのだろう。
*この旅程情報は「旧東海道の『今・昔』」という素晴らしいホームページ(http://www17.ocn.ne.jp/~ykhm-s/index.html)を参考にしました。

 旧暦6月27日から7月17日の間に参詣することを大山まいりと言うのが本寸法らしい。今年の旧暦6月27日は新暦で7月29日なのだが、今年は7月27日から8月17日が「夏季大祭」と神社のホームページに記されている。旧暦と同様、最初と最後を「7」につく日にして分かりやすくしているのだろう。

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歌川広重の「神奈川宿」(安藤広重、ではないのですよ・・・・・・)

噺の概要は次の通り。

(1)先達、熊に釘をさす
今年も大山詣りの時期が来たが、毎年喧嘩をして周囲に迷惑をかける熊五郎。先達さんから、もし喧嘩の原因をつくったら罰金に二分(一両の半分である)、あばれたら髷を切って坊主にすると釘をささされる。志ん朝は、この取り決めのことを「決め式」と表現している。

(2)案の定、熊が喧嘩。頭を丸められる
無事大山まいりも終わり、最後の神奈川宿。しかし案の定、熊五郎が原因となり風呂場で喧嘩発生。喧嘩相手は先達さんに苦情を言いに駆け込んできた。二分払うから熊の髷を切らせてくれ、とせがむ。しかし、先達さんはせっかく無事にお詣りも済んで後は帰るだけなので、熊を坊主にすることを渋る。さて、夕食で酒も入り先達さんが床についた後、おさまりがつかないのは熊さんに甚振られたままの面々である。気持ち良さそうに酔って寝ている熊さんを見て、酒の勢いもあるのだろう、熊の頭を丸めてしまう。

(3)熊、先に帰る
翌朝、一人宿に取り残された熊五郎。一計を案じ頭を手拭いで包み早かごで一足先に長屋に帰る。「講」のメンバーのおかみさんを全員集めて、「実は藤沢に泊まったあくる日にみんなで金沢八景を見物し、せっかくここまで来たんだから米が浜のお祖師様(横須賀の龍本寺)にお参りしようということになって、船に乗った。しかし急に雨風がきびしくなり、大波がきてその船がひっくり返った。みんな海に投げ出され、気がついたら助かったのはおれだけだった・・・・・・。」「おれだけ生き残っておめおめと帰れるものじゃねえ、死のうと思ったが、江戸で亭主の帰りを待っているおめえさんたちのことを思い、恥をしのんで帰ってきたんだ。」と言う。

(4)熊の大芝居
かみさん達は、普段「ホラ熊」とか「千三つ」と呼ばれている熊さんの言葉をを最初は信じない。そこで熊さんの一番の見せ場登場。「おまえさん達に知らせた後は、高野の山にでも登って死んだみんなの菩提をとむらうつもりで・・・ほら、この頭を見てくれ。」と手拭いをとる

(5)坊主の大量生産
おかみさん達、ふだん見栄っ張りの熊さんが髷を切って坊主になるくらいだから、この話は本当だろうと信じ、泣き叫ぶ。なかには、井戸に飛び込んで死のうとするおかみさんもいる。
ここで熊さんが「おまえさんたちも黒髪を切って尼になり、亭主の菩提をとむらっちゃどうだい」と言ったから、私も私もとかみさんたち全員が髪を切ってしまった。熊さんのおかみさんだけは無事!

(6)エンディング、サゲ
尼さんが集団でお経を唱えているところへ、品川経由で他のメンバーが帰ってくる。自分のかみさんの坊主姿に驚く亭主達、死んだはずの亭主を見て「幽霊!」と驚くおかみさん達、といった大騒動。
サゲは先達さんの言葉。「みんなお毛が(お怪我)なくておめでたい」

 この噺のお奨めは、やはり古今亭志ん朝。神奈川宿での騒動、そして後半の熊さんの大芝居からエンディングまでが山といえる。サゲは地口落ちの典型。この噺を軽快なリズムでテンポ良く聞かせる志ん朝の芸は素晴らしい。熊さんや先達さん、その他ご一行の演じ分けの見事さは言うまでもないし、おかみさん達の色っぽさがこの人ならでは。CDで聞いていて情景が浮かぶ。

 古いところでは長年に渡って落語芸術協会に君臨した春風亭柳橋(六代目)が、「昔はこう演じられていたのかぁ」という意味も含め味がある。熊さんは熊五郎ではなく熊吉。熊さんの大芝居の後にご一行が帰るくだりについては、品川で待っていても迎えが来ないので待ちきれず鼻歌まじりに帰る、と描写されている。その昔は、大山まいりでも、迎えの者が品川まで出向くのが本寸法だったのだろう。落語って本当に生きた歴史の勉強になるんだよねぇ。ほぼ江戸時代に限るけど。加えて大学受験にはまったく役に立たないけど・・・ね。

古今亭志ん朝_大山まいり
春風亭柳橋_大山まいり
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by kogotokoubei | 2008-07-25 08:56 | 落語のネタ | Comments(0)
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特定の「落語会」の感想ではなく、一つの大きなムーブメントの終焉の先にある未来への期待を書きたいと思う。
大銀座落語祭が5年間の活動を終えた。そしてグランドフィナーレでの発表内容として、来年10月の宮崎での落語祭開催のことが、ニュースに流れている。
あくまでも“宮崎”は、六人の会あるいはプロデューサーである春風亭小朝の大戦略の“引き金”にすぎないと考える。あるいは、考えたい。

小朝は、2000年2月29日発行の『苦悩する落語』(光文社カップブックス)の冒頭をこう切り出している。
「平成十二年。噺家は、様々な不安と戦い、疲れ果てています。昔はそれを決して表に現さず、明るくふる舞うことがひとつの美学だったのかもしれません。しかし、あと一年で二十一世紀をむかえる今、和服を着て江戸の噺は語っているものの、噺家もあなたと同じようにストレスに苦しむ現代人なのです。もう限界ではないでしょうか。私の目にはそう映ります。五十過ぎの先輩たちのほとんどが、なんらかの持病に苦しみ、仕事が途切れることを恐れ、まったく予想のつかない未来に、ぼんやりとした不安を感じているのです。加えて、目標となる名人たちもこの世を去り、自分の力を十分に発揮できるような高座にも恵まれません。」

1970(昭和45)年に15歳で弟子入りし、十年後に36人抜きで真打昇進。1990(平成2)年には落語界初といえる博品館連続一ヶ月公演、この書を発行する3年前1997(平成9)年には、日本武道館公演も成功させていた。しかし、小朝には、落語界を憂う苦悩があったわけだ。当時はまだ古今亭志ん朝という大看板が健在だったにもかかわらず・・・だ。

さて、それから6年後に『いま、胎動する落語-苦悩する落語2-』が、「ぴあ」から発行された。2004年に大銀座落語祭を開始、2005年に義弟(当時)林家こぶ平の九代目林家正蔵襲名イベントなど、小朝が主体となってプロデュース役を担ってきたイベントも貢献し、、たしかに落語ブームはやってきた。同書で小朝は、2000年当時の状況をこう振り返っている。
「あのころの落語界は、ちょっと低迷していました。なにしろ、落語家が取り上げられるといえば、大概だれかが亡くなったときなんですよ。ほとんど明るい話題がないんです。」

だからこその銀座であり襲名イベントだったのでもあろう。木久扇・木久蔵のダブル襲名も小朝の後押しがあったようだし、いっ平の襲名も控えている。早めに発表してマスコミの露出を多くするという小朝の戦術も成功している。

同書では、六人の会を語る部分で次のような大構想が披露されている。
「僕の考えとしては、ゴールデウィークに銀座で開催して、七月は横浜というのもいいと思うんですよ。それと、前々から言っているんですけども、銀座、横浜だけじゃなくてですね、札幌それから大阪、名古屋、博多あたりで、同時にこれをやりたいんですよね。そうすると出演者が飛行機で移動ということになりますけども、二ヶ所くらいは何とかなりますからね。新幹線を使えば、うまくすれば三ヶ所行けるかもしれないでしょう。ちょっと酷かもしれませんけどね。で、そうなりますと全国的な落語祭りということになってきますから、本当にもう我々のスタッフだけでじゃだめなんですよ。実行委員会のメンバー、プラス、間に代理店に入ってもらったりとかね、そういうことになると思いますけども、行く行くは、そんな形になったらおもしろいなというふうに考えてます。」

来年は宮崎だけなのか?
小朝は2年前から心変わりしたのか?
東京のど真ん中に夏の盛りに五年に渡って数万人を集めることができ、落語界は安泰と納得してしまったのか。プレミアムチケットがオークションに流れ、落語がメジャーになったとでも思っているのだろうか。ちなみに私はオークションでは絶対買わない。買う人間がいるから落語ファンでもない人が買い占めるのである。


「多摩川」を越えてくれればそれで結構という落語ファンもいるし、北にも西にも中部地区にも銀座を遠くから眺め歯軋りした落語ファンが大勢いる。たしかに宮崎の落語ファンや、時間と金をかけて宮崎に行ける人は来年幸せだろう。でも、それはいわゆる「部分最適」ではないのか。「大銀座は終わった。これからは落語ブームが定着するだろう」ということで、お祭りを毎年全国にローテーションさせようという計画なのだろうか。

あえて言いたい。「大銀座」は“象徴”であり、大アドバルーンだった。それをしぼませて再度復活するだけの体力は、まだ落語界にはない。ある特定の噺家のチケット争奪戦が続くだけである。可能性を秘めた二つ目が数多く登場しているニフティのポッドキャスト落語は存続の危機を迎えているようだし、一つのネタをじっくり聞かせる(見せる)テレビのプログラムはいまだに限られている。都内に4つしかない寄席が増えることは、まず想像できない。
「大銀座」が「日本全国」落語祭に発展して初めて、これも小朝が著作の中で提起したような寄席やマスコミの改革にもつながるはずである。国が保護しなければならないような「古典芸能」化を防ぎ、落語を生きた庶民の地平に引きとめたまま、寄席も改革され活気づき、テレビでは、どのチャンネルにも溢れる「お笑い芸人タレント番組」の一部に替わって、粋な落語家が江戸庶民の知恵を語るような番組に登場したり、今以上に多くの落語会が放映されるような改革が。

小朝、志の輔といった六人の侍が5年間に果たした役割は小さくはない。それは十分に認める。しかし、ブームはいつかは去るものであり、熱い思いは時がたてば冷めるものだ。せっかく上げたアドバルーンである。銀座を“あとの祭り”にせず、“あとにも祭り”にしてくれることを強く期待したい。

春風亭小朝_いま、胎動する落語
春風亭小朝_苦悩する落語
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by kogotokoubei | 2008-07-22 16:27 | 落語会 | Comments(0)
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都内に出かけたついでに大型書店の落語コーナーで見つけ購入。小さな書店ではなかなか置いていないしネットで購入するまでの思い入れもなかったが、立ち読みし即購入。立川志の輔の本は多いように思えて、売れている本の多くが対談形式であり、「著作」というべきものは実は少ない。
本書は書き下ろしではないが、2002年5月から2006年5月まで4年にわたって毎日新聞東京都内版に連載されたコラム「ピーピングしのすけのふしあなから世間」で掲載されたものを選択し、加筆、改題されている。当時の事件やニュース、社会世相、日々の生活といったことを対象に、志の輔ならではの視点から書かれたエッセイといえる。また、本書にはあと二つの特典がある。一つは、各ページ下中央に、志の輔の高座姿の写真が動作の順を追って掲載されており、いわゆるパラパラ写真になっている。もう一つは、『買い物ぶぎ』のCDが付いている。

単発のコラムがそれぞれ見開き2ページで構成されており、どこから読んでもいいのだが、掲載順は2006年から次第に過去に遡っており、冒頭に2006年の「パルコ」10周年記念1カ月公演の話がある。たった2年前だが、その後定着した1カ月公演を最初に実施した当時の志の輔の心境がよくわかる。舞台裏で活躍するメンバーも含めこのプロジェクトのすごさ、というか熱意が伝わってくる。
本書には次のような効能がある。
(1)志の輔の感性、視点などがうかがえ、新作創作の思考過程が想像できる。
(2)日本の伝統芸能のみならず、ニューヨークへのたびたびのミュージカル旅行の記録や感想から、志の輔の「芸」についての幅広い嗜好や姿勢がわかる。
(3)とにかく落語を、ブームを利用してでも一人でも多くの人に聞かせたい、という熱い思いが伝わる。
(4)家族や私生活の姿が垣間見え、志の輔を身近に感じることができる。
(5)『買い物ぶぎ』のCDを聞き、「1,600円は安かった」、と得した気分になれる。

そんな本です。お奨め。

立川志の輔_志の輔らくご的こころ
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by kogotokoubei | 2008-07-19 10:19 | 落語の本 | Comments(0)

『千両みかん』


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 まさに夏の噺。1772(明和9)年の『鹿子餅』にある「蜜柑」を原話とし、作者は上方の笑福亭一門の祖先である松富久亭松竹(しょうふくてい しょちく)と言われる。生没年不明だが、門下の初代笑福亭松鶴が安政年間(1854-1860)には登場しているから、それ以前の人ということになる。
 この人、他にも『初天神』『立ちきれ線香』『猫の忠信』などの作者とも伝えられており、ただ者ではない。それなのに生没年がはっきりしないミステリアスな落語家といえるだろう。この人物をテーマに小説が書けそうな噺家だ。いずれにしても、この噺、本来は上方のネタです。江戸落語として演じられるようになったのは戦後(太平洋戦争だよ)のことらしい。よって、かつては古今亭志ん生と息子の金原亭馬生、林家正蔵(彦六)、最近では柳家さん喬、立川志の輔など東の代表的な演者がいるが、タイトル画像としては桂枝雀を使わせてもらった。枝雀の師匠である米朝のこの噺も捨て難いが、ハチャメチャぶりはやっぱり枝雀。

 船場の大店の若旦那が気の病になり、原因は夏真っ盛りにみかんが食べたい、というのが落語らしくていい。噺の発端で若旦那が気の病で原因を探るという部分、枝雀は番頭の主人への報告としてこの部分はあっさりと触れ、その後の番頭のみかん捜索プロセスに焦点を当てている。若旦那の病の原因を探る発端部分は、聞き役の違いはあるが、『崇徳院』も、そして柳家喬太郎が最近演じる『擬宝珠(ぎぼし)』も同じ。だから喬太郎は、「え~つ、原因は若い女性でもなく、みかんでもないっ・・・・・・」などのくすぐりをしていて可笑しい。『擬宝珠』は、喬太郎以外で誰か演っているかな・・・・・・。
 さて、みかんの噺に戻しましょ。軽率にみかんを探すことを若旦那に約束してしまった番頭。主人に、もし見つからなくて息子が死んだら下手人としてお上に差し出す、と言われ命をかけたみかん探索行脚が始まる。枝雀の演じる慌てふためく番頭の姿、番頭と八百屋や鳥屋とのやりとりがすこぶる楽しい。
 ようやくみかんを捜し出した青果問屋は、江戸落語では神田多町だが、上方落語は天満。野菜を「青物(あおもん)」、くだものは「赤物(あかもん)」と言うらしい。  腐ったみかんの中から一個だけまともなものが見つかる。志の輔版では、問屋の主が一個を見つけるプロセスが一つの見せ場といえるだろう。さて、一個千両のみかん、番頭は恐る恐る金額を主人に伝えるのだが、親馬鹿な大店の主人は「安い」と言って即座に千両箱を運ばせる。(余談ながら、千両箱って一両小判が千枚じゃなくて十両大判が百枚らしい。)

 房の数が十袋のみかん。若旦那は七つ食べ、残る三つを両親に一袋づつ、そして番頭にお礼に一袋あげる、と言う。
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来年暖簾分けでお店から出してもらえるお金なんて、
せいぜいが五十両・・・・・・。
このみかん、三袋で三百両・・・・・・。
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 この自問、価値観の落語的な飛躍が、この噺の優れたサゲにつながっていく。
さすがに、このサゲを変えた噺家はいない。

 落語らしい「ありえない」ナンセンスなストーリーと、秀逸なサゲのある噺。
 しかし、矢野誠一さんは著書『落語歳時記』(文春文庫)の中で、先代の金原亭馬生が、あるテレビ番組で翌週放送される本人演じるこの噺について、「あんまり面白い話じゃないン」と語り、聞いていた番組プロデューサーが思わず椅子からころがり落ちた、というエピソードを紹介している。馬生としては、笑いのふんだんにある派手な噺ではなく、演る側にも苦労が多い、地味な噺、という意味だったのだろう、と矢野さんは補足しているが、そういう意味では、ドッカンドッカン観客が受ける噺に練り上げている枝雀や志の輔の力量の高さを、あらためて感じる。
 
 今や東西問わず、夏の滑稽噺の代表作の一つとなりつつある噺、寄席や落語会でめぐり会って、後半からエンディングにかけて汗をかきながら生つばを飲んで聞けるようなら、その演者はたいしたもの、ということだろう。

桂枝雀_千両みかん
桂米朝_千両みかん
古今亭志ん生_千両みかん
金原亭馬生_千両みかん
柳家さん喬_千両みかん
立川志の輔_千両みかん
矢野誠一_落語歳時記
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by kogotokoubei | 2008-07-17 13:28 | 落語のネタ | Comments(0)
演者とネタは次の通り。
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・立川志のぽん 狸の札
・立川メンソーレ 子ほめ
・立川志の輔 千両みかん
(仲入り)
・立川志の輔 しじみ売り
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小田急「新百合ヶ丘駅」から会場に向かって多くの落語ファンの列が続く。1000人を越える会場だが、ざっと見て9割近く埋まっていたのではなかろうか。3月12日の談春でさえ7割の入りだった。(しかし、前座なしの『紺屋高尾』と『文七元結』は誠に結構でした。)
開催案内も1カ月位前だったのに、この動員力はすごい。談春も「多摩川越え」の難しさを語っていたっけ。
5番弟子、4番弟子、の前座のあとご本人登場。「独演会なのに前座二人というのは、ある意味で偽装・・・でも牛肉よりはいいんじゃないかと・・・・・・」というつかみネタは、昨年も赤福などに喩えて何度か聞いたが、麻生のお客さんすでにドッカンドッカン受けていた。
やはり「多摩川越え」の客向けの構成といううこともあるのだろう、古典長講二席。「落語を知ってもらおう」「志の輔スタンダードを聞いてもらおう」というコンセプトかと思う。古典とは言っても、「志の輔のラクゴ」であり、二席ともCD化されている十八番(オハコ)の範疇。初めて落語を聞く人、以前は都内にまで出向いたが最近は近隣の落語会のみ楽しみにしているらしい年配の方、そしてちょっと通ぶった私のようなファンなど、すべての観客が十分に楽しめた内容だったと思う。

「千両みかん」は、マクラで富山でのエピソードとして、梨の冷凍保存の話があった時点で察することはできたが、まだ疑っていた。しかし、小噺の連発で目一杯会場を暖めてからネタが始まった時には、「やってくれるじゃないの!」とついつい微笑んでしまった。悲惨な番頭の姿を通して描く落語ならではの世界に堪能できる。

中入り後は、マクラなしで志の輔流「しじみ売り」。これもまたうれしい。
しじみ売りの少年、ねずみ小僧、そして兄弟分のバイプレーヤー、居酒屋の主のすべてを見事に演じきって、泣かせて笑わせて聞かせる。

きっかり40分づつの長講二席を楽しんだのだが、何か物足りない。
主催「六人の会」の文字に、今週始まる最後の「大銀座落語祭」について、何か一言あるだろうと期待していたからだ。大銀座はなくなって「六人の会」は今後どうなるのか。小朝の「目的は果たした」というコメントの本当の意味は?
企画協力「春々堂」に何か意味があるのだろうか・・・・・・と勘ぐってもしかたがないが、今後の落語界の重要な役割を志の輔は担っている。いつか、彼の思いを「パルコ」だけではなく、「多摩川越え」でも聞かせて欲しい。

大銀座~は、だめもとのモアチケット抽選も、予想通りハズレ。やはり多摩川を越えた地域に住む落語ファンは近隣で落語を楽しみたいのだ。この会場で8月2日(土)に開催される小朝の独演会のチケットを販売していた。結構空席があるようだ。すでに入手済みの私は、また、かなわぬ過剰な期待を抱き訪れるのである。
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by kogotokoubei | 2008-07-15 23:19 | 落語会 | Comments(0)

四万六千日なら『船徳』

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 昨日と今日、浅草寺は四万六千日(しまんろくせんにち)の“ほおずき市”で人出が多かったに違いない。四万六千日といえば、落語は『船徳』である。原作は三遊亭圓朝へも大きな影響を与えた初代古今亭志ん生が近松の名作『曽根崎心中』に名を借りた人情噺『お初徳兵衛浮名桟橋』。この噺の発端を、今に伝わるような滑稽噺に仕立てたのは、圓朝の弟子である初代三遊亭圓遊。「ステテコの圓遊」である。主人公の名前は同じ「徳さん」だが徳三郎となる。圓遊の噺にはオチがなく、今のようなオチをつけたのは名人三代目柳家小さんといわれる。複数の芸達者を経由してきた、江戸落語、夏の代表作。
 道楽が過ぎて勘当され、柳橋の船宿の二階に居候する若旦那の徳三郎が、船頭になりたいと言い出すあたりが噺のはじまり。まだ見習い中の徳さんが二人のお客を船に乗せて「事件」が起こるのが、まさに四万六千日、夏の盛りである。船宿では親父も含め船頭は皆出払っていて、残っているのは徳さんだけ。二人のお客は浅草寺へのお詣りのために徳さん船頭の船に乗ることとなり・・・・・・。という噺である。
 少し長くなるが、浅草寺のホームページから四万六千日の説明を引用する。
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観音さまのご縁日は「毎月18日」と伝承されてきましたが、これとは別に室町
時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。
月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当する
ご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日
分と最も多く、「千日詣で」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間
(1716~1736)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は
46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました。
(この四万六千という数については「米一升分の米粒の数が46,000粒に
あたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)
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 本当は旧暦の七月十日なので、今なら八月半ばの暑さ真っ盛りの時なのだが、お盆休みで都内に人がいなくなるから七月十日にしているのでしょう、なんて言ったら叱られるかな・・・・・・。
 いくら暑くてもお詣りするだけのご利益があったのでしょうね、126年分だもの。
八代目桂文楽の「四万六千日、お暑いさかりでございます。」の一言が見事、という評価は安藤鶴夫さん以降定評があり、たしかに文楽もいいのだが、原作者の「古今亭」に敬意を表し、志ん朝のCDを画像に使わせてもらった。いいんですよこれが。
 志ん朝は、文楽の数多くの十八番(オハコ)ネタに果敢に挑戦し、しかもその多くは間違いなく文楽をしのいでいると思う。『愛宕山』しかり、そしてこのCDにカップリングされている『明烏』、そして『船徳』である。現役の中堅・若手の噺家さんがこのネタをやっている場合は、まず間違いなく志ん朝を手本にしていると言って過言ではないだろう。志ん朝の兄、十代目金原亭馬生は勘当になる前から始めていて、その語り口も味わい深く捨て難い。柳家なら、さん喬もいいけど、やはり小三治ですね。
 
 この時期、寄席や落語会で数多く演じられるこの噺を、聞くだけで四万六千日分のご利益があるのならいいのにと思うのは、私だけだろうな。

古今亭志ん朝_船徳
桂文楽_船徳
金原亭馬生_船徳
柳家小三治_船徳
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by kogotokoubei | 2008-07-10 13:07 | 落語のネタ | Comments(0)
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堀井憲一郎_落語の国からのぞいてみれば

 堀井憲一郎さんは、たぶん日本でもっとも多く生の落語会・寄席に出向いている人だろう。一昨年、昨年は、年間400回を越えているはず。1日1回以上、ということである。まさに、現在の落語界における語り部にふさわしい人が、講談社現代新書の新刊として、落語をネタになかなかの本を出した。
『東京かわら版』への連載を除いて、初の落語本出版ではなかろうか。

実際に東京日本橋から京都三条大橋まで歩いた経験を踏まえた説得力のある内容 (第二章「昼と夜とで時間はちがう」や第七章「みんな走るように歩いている」など)や、 「子ほめ」を題材にして満年齢と数え年の違いを明確に説きながら、地域社会と個人の関わり の問題まで提起している第一章など、なかなかの筆の冴え。
そして、かつてポッドキャストで も「米朝を聴いて育った」と言っていたが、随所に米朝賛歌がちりばめられている ところも微笑ましく、好感が持てる。
巻末の「参考文献的おもしろかった本解説」「登場落語の解説」も貴重な情報である。
若い落語ファンにとっては、
  (1)落語入門 
  (2)落語名作ガイド
  (3)落語に学ぶ江戸庶民の知恵
という盛りだくさんな内容を含んでいてお徳だしお奨め本である。内容も口語体で読みやすく分かりやすい。

ちなみに、ポッドキャストで堀井さんがかつて語っていた、2006年に聞いた落語ベスト12は以下の通り。
  (1)立川談春 たちきり
  (2)柳家小三治 あくび指南
  (3)立川談志 ねずみ穴
  (4)立川志らく 与話情浮名横櫛
  (5)柳家喬太郎 熱海土産温泉利書
  (6)立川志の輔 牡丹灯篭
  (7)三遊亭歌武蔵 らくだ
  (8)柳家小三治 らくだ
  (9)柳家喜多八 付き馬
  (10)三遊亭白鳥 明日に向かって開け
  (11)立川談春 文七元結
  (12)柳家喬太郎 竹の水仙
もちろん、数多く生で接した落語会の中でのある特定の日の演題の評価として、である。
ポッドキャストには、一位を記念(?)して談春も登場して、なかなか楽しいトークを披露していた。お奨めの落語家も挙げており、上述の方以外には柳家権太楼、柳家さん喬の両師匠などが加わっていた。お奨めナンバーワンは、立川志の輔。

古くは、岡鬼太郎、野村無名庵、その後正岡容、安藤鶴夫を経て色川武大、江国滋、矢野誠一などに続く明治・大正・昭和に渡る落語の指南番。平成で“ニン”な一人は、間違いなく堀井憲一郎さんである。テレビや芸能、サブカルチャーなど堀井さんの興味の対象は広いが、ぜひ落語に関しても引き続き「ずんずん」と著作を増やして欲しいものだ。

なお、本書と同じように「落語」と「江戸」という観点から書かれた本として、中込重明さんの本をぜひお奨めしたい。残念ながら若くして亡くなられたのが惜しい落語研究者です。

中込重明_落語で読み解く「お江戸」の事情
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by kogotokoubei | 2008-07-07 17:11 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛