噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:テレビの落語( 94 )

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NHK総合テレビの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の今日(日が変わったので昨夜だが)は、100人目という特別版で柳家小三治師匠だった。
小三治師匠の本の中で読んだ内容もあったが、本人の生の言葉で語られるさまざまなエピソードが非常に刺激的だった。師匠小さんが「お前の噺は面白くねぇな」の一言からの苦悩。志ん生の言葉「落語を面白くするなら、面白くしようとしないことだ」という珠玉の名言。これまで、この名言は師匠小さんのアドバイスだとばかり思っていたので、意外な発見である。小さんの有名なアドバイスは「その料簡になることだ」であり、よく言われるのが「狸の噺なら、狸の料簡にならなきゃいけねえ」である。だが、今日の放映には一切この小さんの口癖のことは話題は出てこなかった。「おもしろくねえなぁ」と言ったきり床屋へ行った師匠はひどい、という発言は面白かったが。

今年8月に主任をつとめた池袋演芸場上席昼の部での姿が取材されており、プログラムの中心として使われていたが、初めて見る六畳という狭い楽屋を含め、貴重な映像だった。中休み前の三日目、その日のネタが決められず、よもやま話のマクラで探りながら始めたのが十八番の一つ『あくび指南』というのが驚きだった。こういう噺は、ある程度決めていないと出来ない噺ではないのか、という疑問である。さすが名人と思わせる一瞬だった。楽日前日の逸話も興味深い。前座が漢方薬の入った湯呑みを出し忘れていた。しかし、この萎えかけた自らにつぶやいた言葉が「小さく、小さく」だったと言う。ついつい受けようとする気持ちを戒める言葉とのこと。そして始めたその日のネタが『死神』。その時のくじけかけた気持ちをそのまま主人公の惨めさに投影したのであろう。このへんが名人芸なのかと得心した。そして、楽日は『宿屋の富』。

もちろん、落語ファン、小三治ファンには、8月の池袋でのネタの説明は不要かもしれないが、それぞれの「楽屋話」があって、師匠の心の動きがうかがえるようで、゛えっ、この時にこのネタ゛という意味で書き記しておきたかった。

上野鈴本で恒例だった余一会での独演会は今年で終了らしいが、池袋の真夏の主任興行は、どうも小三治師匠自身が”まだ頑張れるだろうか”ということを測るバロメーターと考えているようであり、また「江戸っ子」としての寄席へのこだわりでもあるようなので、しばらく続けてもらえそうな気がした。もちろん、「無理をするこたぁねぁ」と思ってやめても不思議はないのだが。
真夏の池袋、平日の昼席、夏休み前でいろいろ忙しい時期、しかし来年もご出演いただけるのであれば休みをとってでも行って、立ち見でもいいから行ってみようかと思った次第である。あの狭い特殊な空間で演者の呼吸音が聞こえる寄席というものは、なかなかホールでは味わえないものだ。

ちょっとだけ、師匠小さんとのやりとりについて補足したい。小三治師匠の著書『落語家論』の中で、次のようにある。第一章の「面白くねぇな」の部分から抜粋する。
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「お前の噺は面白くねぇな」
このひとことは効いた。グサっと心の臓を突き抜けた。しかも、どうしたら面白くなる
のでしょうかとは聞けない威厳があった。そんなことは自分で考えるのだ、人に聞く
もんじゃないうという、裏を含んだ口調であった。
(中略)
ボクは、師匠小さんはほったらかしで何も教えてくれない、と愚痴を言っている訳
ではない。その逆で、よくほったらかしにしてくださいました、という気持ちでいっ
ぱいだ。ここはこうやるんだよと親切に教えてくれれば、なんとかそのようにできる
かもしれないが、それ以上のものはできなくなってしまわないだろうか。
(中略)
あるとき、師匠が「気の長短」を演じるのを人形町末広の高座のソデで見ていて、
ハッとした。気の短い方がじれてくるところがあの噺では一番むずかしいのだが
(これもずっとあとになってわかってきたことだが)、その短七つぁんにハッとした。
ダラダラした長さんの話を聞いているうちに短七つぁんがイライラしてくるわけだが、
イライラしてくると、座ってる師匠の足の指がピクピク動いたのである。お客さん
からは、どんなことがあったって見えない場所だ。ボクはそれを発見したうれしさ
とあきれ返ったのとで、ボーッとしてしまった。
「その料簡になれ」
なァるほどなァ。イライラするときは足の指を動かせ、と、もし教わったとしたら、
フーンそんなもんかで終わっちまっただろう。
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月報『民族芸能』に連載された「紅顔の噺家諸君」というタイトルのエッセーを中心に本書は2001年に小沢昭一さんが発行者である”新しい芸能研究室”から単行本で発行され、昨年末、ちくま文庫でも発行された。上記の内容は昭和61年に書かれたもので、小三治師匠がまだ40歳代である。さすがに筆に勢いがある。68歳の今日の番組を見たことで、この本を読み返す楽しみも増した。私にとっては、著作と映像、昔と今、師匠と弟子、寄席とホール落語、といった複数の対比を楽しむことにつながる好企画だった。そこには、司会者とゲストという対比もあって、さすが小三治師匠、冒頭では司会者の茂木健一郎さんを鋭い質問でやり込める一瞬があり、このあたりも「名人」、なのである。

柳家小三治_落語家論
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by kogotokoubei | 2008-10-15 00:27 | テレビの落語 | Comments(2)
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10月8日の再放送を収録しており、今ほど見たところでの感想。噺の内容よりも、終わってからの思い出話が興味深かったので、備忘録がわりに書いておきたい。

志ん五師は、志ん生に入門するつもりだったが、志ん朝にあづけられ、今では志ん朝一門の総領弟子の立場にある。初高座の話。昭和43年の上野鈴本、1月2日の初席で主任が志ん生。志ん生の寄席への出演はこの初席が最後であった。志ん五師、自分の前座名である高助と、トリの大師匠志ん生の名が並んだ記念のネタ帳を鈴本の倉庫で探し特別に譲ってもらい、大事な宝物にしているとのこと。
初高座でぎりぎり名人志ん生と同じ寄席の空気の中に居ることに間に合った、というのは確かに感慨深い思い出であろう。

また、当時師匠の志ん朝師匠の忙しさは半端ではなかったようで、なかなか稽古をつけてもらえなかったため、一緒にいる時間が長かった志ん生大師匠に稽古をつけてもらった噺が『道灌』『金明竹』『宿屋の富』など十くらいはあるとのこと。そして、クルマで移動する前に運転席の志ん朝師匠が志ん五師を後部座席に乗せ「オヤジに教わった噺をやってみな」とばかり聞いてくれたらしい。バックミラー越しの弟子がさらうのを見聞きし、ひどい出来の場合は「よほどオヤジが具合の悪いときに習ったな、そんなマクラはその噺ではふらないんだ」と駄目出しをしてくれたらしい。想像するにも微笑ましい光景だ。

そして、志ん五師が一番覚えているのは、志ん朝師匠が、「たとえ志ん生だって間違いは間違いだ。俺も神様じゃないんだから間違う時はある。オマエは『師匠は間違えたな』という耳だけは持たなけりゃだめだぞ」と言った言葉とのこと。このへんが、志ん朝の志ん朝らしいところなのだろう。

大師匠と師匠の名人親子、それは大師匠志ん生と師匠馬生の関係でもあり、古今亭一門も金原亭一門にもさまざまな思い出が伝わっているだろう。昭和48年に亡くなるまで、二人の息子とその一門の弟子達に多くの落語のDNAを伝えたであろう志ん生。その生き証人がまだ元気なうちに、もっとさまざまな逸話や記憶を語っておいて欲しいし、書き残して欲しい、と強く感じたエピソードだった。
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by kogotokoubei | 2008-10-11 17:14 | テレビの落語 | Comments(0)
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昨日のNHK BS2での放送。東京落語会のライブラリから、うれしい映像の登場。昭和53(1978)年10月13日の「夜の指定席」で放映されたらしいが、落語会の開催はこの年の8月18日。
当日の演目は、
2代目 柳家さん助         『湯屋番』
2代目 桂文朝          『三方一両損』
4代目 三遊亭小圓遊        『崇徳院』
10代目 桂文治(当時は伸治)  『三国誌』
そして
10代目 柳家小三治        『天災』
3代目 古今亭志ん朝       『たがや』
*『ご存じ古今東西噺家紳士録』(エーピーピーカンパニー)より

当時小三治師匠が誕生日が12月だから満で38歳、志ん朝師匠40歳である。ともかく若い、そして二人とも達者である。仲入り後の二人の噺をノーカットで放映していると思われる。

『天災』は、時間の都合なのか、今では考えられないがマクラなし。「おらぁ江戸っ子だからねぇ、職人だから・・・・・・」の台詞が小三治師匠ならではのリズムをつくっていて心地よい。途中で煙草屋に立ち寄らずまっすぐに紅羅坊先生宅へ行くなど、刈り込み方も適切で、まったくあきさせない。30代の貴重な映像である。

『たがや』は歌舞伎の大向こうからの掛け声をマクラにして本編に入っている。よく言われる「唄う」ような流暢さでうならせる。不惑を迎えたばかりの志ん朝師匠は、直前に起こった大騒動の疲れも見せず、「芸のみに生きる」という気持ちの切り替えができていたのかもしれない。たが屋の立ち回り場面も含め、実に爽快な芸を見せてくれる。

昭和53年の大騒動というのは、あの落語協会分裂騒ぎのことである。
落語界にとって重要なエポックなので少し説明すると、こんないきさつである。
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5月9日の落語協会理事会で、同協会前会長であった6代目三遊亭圓生が大量
真打昇進に異を唱え、同制度を推し進めていた常任理事5代目春風亭柳朝、
4代目三遊亭金馬、3代目三遊亭圓歌を更迭し代わりに自分と同調する圓楽、
談志、志ん朝を常任理事にして同制度を白紙撤回する議案を出す。だが、賛成
は圓生と志ん朝だけ、圓楽と談志は棄権し、その他全幹部は反対したため大差
で否決されてしまった。圓生は一門を率いて新協会設立にに動き始め、5月24日
に赤坂プリンスホテルで新たな落語三遊協会の設立記者会見を行った。しかし
翌5月25日の席亭会議で、それまで新協会設立に理解を見せていた席亭達も、
新宿末広亭の北村席主の意見に従い、三遊協会には寄席を使わせない事を
決定。志ん朝、圓蔵、圓蔵門下の圓鏡は5月31日にそれぞれ落語協会からの
脱退を撤回。しかし、圓生一門は翌6月1日正式に落語協会を脱退。6月14日、
上野本牧亭で三遊協会を旗揚げした。
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ご存知のように、この翌年圓生は亡くなり、三遊協会は円楽党となった。
この騒動に関しては、三遊亭円丈、金原亭伯楽の両師匠によってリアルに騒動の内幕を明かした本があるので、別の機会にでも紹介したい。
この騒動のすぐ後、6月24日に三百人劇場で「志ん朝の会」が開催された。CDにも残る当日の『三軒長屋』のマクラでは、天候不順のことに続き「とにかく今年は大変な年で~お客様だけが頼りです。」と語って、場内からの笑いと拍手を誘っている。
このCDは、数ある志ん朝ライブラリの中でも、その出来栄えと歴史的な意味を含めトップ10に入ると思っている。

『よってたかって古今亭志ん朝』(文春文庫)の記録による昭和53年の志ん朝師匠の主要落語会での演目は次の通り。
1月13日 東京落語会  『ぞろぞろ』
3月29日 東横落語会  『碁泥』
3月31日 落語研究会  『幾代餅』
4月6日  志ん朝の会  『柳田格之進』『愛宕山』
5月29日 東横落語会  『船徳』
6月24日 志ん朝の会  『三軒長屋』『子別れ(下)』
6月29日 落語研究会  『酢豆腐』
7月31日 東横落語会  『宗の滝』
8月15日 落語研究会  『紙入れ』
8月16日 紀伊國屋寄席 『鰻の幇間』
8月18日 東京落語会  『たがや』*8月20日放映されたのはコレです。
8月30日 東横落語会  『唐茄子屋政談』
9月29日 東横落語会  『蒟蒻問答』
11月17日 東京落語会  『三枚起請』
11月19日 東横落語会  『猫の皿』
12月5日 志ん朝の会  『居残り佐平次』『芝浜』
12月26日 落語研究会  『居残り佐平次』

放送された『たがや』を演じた8月のスケジュールの過密なことに驚かされる。
京酢偕充さんプロデュースによりソニー・ミュージックから発売されているCDは、昭和51年から昭和57年にわたって三百人劇場で開催された「志ん朝の会」と、昭和56年の「志ん朝七夜」が音源の中心となっているが、この年の3回計6作品のうち5つはCD化されている。『芝浜』だけは、翌年11月の大阪での独演会の内容が七夜での『百川』とのカップリングで発売されている。この時期の志ん朝師匠の充実度は際立っている。

NHKの東京落語会に志ん朝師匠は昭和34年10月(なんと師匠21歳!ネタは『元犬』)から亡くなった平成13年の2月まで計71回出演している。
NHkさんには、もっと放送する機会を増やしていただきたいと願う落語ファンは少なくないはずだ。
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by kogotokoubei | 2008-08-21 12:21 | テレビの落語 | Comments(0)
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昨日の深夜、正確には本日の早朝、古今亭志ん朝のDVD発売記念、ということでTBS「落語研究会」で放送された。解説の京須さんによれば、昭和48(1973)年、志ん朝が35歳のとき、父親志ん生が亡くなった年の収録とのこと。調べてみると10月31日の公演であり、志ん生の命日が9月21日だから、亡くなってから約1カ月後、ということになる。すでに発売されたDVD(上)に収録したものは平成10(1998)年、60歳のときの収録だから、見比べるのには適した選択といえる。
志ん朝の落語に関するテレビ放送の記録は、NHKも数多く所有しているのだろうが、残念ながらDVD化はされていない。「落語研究会」のDVDは、解説で登場した京須偕充さんが監修だが、発売にあたってこの人の存在が大きいだろう。志ん朝が唯一人CDのプロデュースを許した人であり、榎本滋民さんを継いだ「落語研究会」の解説者でもある。音だけでも記録に残すことを渋っていた志ん朝、映像の発売には遺族も慎重であったろうし、京須さん自身も複雑な思いがあったに違いない。いきさつはもちろん私などに知るすべはないが、昨年七回忌、今年3月が生誕70年ということで、何らかの縛りがほどけ、あるいはふんぎりがついてのDVDの発売、そして昨夜の放送ということなのだろう。

とにかく若い。35歳の志ん朝の芸は、その20数年後の円熟した味わいがないかわりに、溢れんばかりのパワーとスピード感がたまらない魅力となっている。前年昭和47年に文部省芸術選奨を受賞し、長男も誕生している。3年前からテレビ時代劇「鬼平犯科帳」に木村忠吾役で出演、のり平劇団でも看板俳優として活躍していた時期で、文字通り“油が乗っている”時期だ。父志ん生が磨いた噺に自らの工夫も加え、観客を笑わせながらも登場人物を見事に演じ分け、おもわず「うまい」と声をかけたくなる場面の多い名演である。

志ん朝の芸の記録は、落語ファンと落語界で広く共有すべき財産ではなかろうか。これを機に、NHKが所有する「東京落語会」などの財産が、時おり思い出したようにBSで放送されるだけではなく、DVD化してリリースされることを期待したい。『愛宕山』『大工調べ』『酢豆腐』など「落語研究会」の内容とは時期、場所の違う内容を見比べることもできるし、NHKにしか残っていない貴重な記録も多いはず。

DVD発売のキーマンである京須さんには、ちくま文庫『志ん朝の落語』全6巻をはじめ数多くの落語関係の著作があるが、もっとも意欲的かつ革新的な作品は『らくごコスモス』(弘文出版、1996年)だと思う。落語関係本の復刊で奮闘している某出版社などでぜひ再刊されることを祈る次第である。
らくごコスモス
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by kogotokoubei | 2008-06-15 12:07 | テレビの落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛