噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:落語のネタ( 95 )

 小満の会で披露された三席の中の『天災』の演出への疑問から、昨日記事を書いた。

 いただいたコメントでもご指摘があったが、噺家さんによっては省略する導入部は、『二十四孝』と類似性がある。


e0337777_14561028.jpg

麻生芳伸編『落語百選-秋-』(ちくま文庫)

 麻生芳伸さんが編集した『落語百選-秋-』のこの噺の«解説»に次のようにある。
 導入部は鯵の干ものを猫に盗まれたことから主人公が腹を立て、女房、母親に乱暴し、家主に離縁状を二本書いてくれと断じこむ・・・・・・そのまま家主が、例の「天の感ずることろ」を説くのが「二十四孝」であり、家主の手紙を預かって心学者、紅羅坊名丸のところへ来るのが本篇である。さてはこの八五郎、家主の手に負えないだけ乱暴の度合いがはげしいとの解釈もできる。定本(テキスト)は三代目柳家小さん直伝の八代目林家正蔵のもの、<トンガリ>と綽名(ニックネーム)のあった演者の一本気な片鱗がうかがえる。

 本書の本篇は、定本に従って、八五郎が紅羅坊名丸を訪ねる場面から始まる。
 私が持っている総領弟子柳朝の音源でも、ほぼ師匠通りに演じている。

 しかし、麻生さんは、引用したように、『二十四孝』と同じ、鯵を猫に盗まれたという喧嘩の原因が語る導入部があると説明する。

 昨日、榎本滋民さんの本から、二代目古今亭今輔の速記(『百花園』)には鯵と猫の件があるが、三代目柳家小さんに、その導入部がないことを紹介した。

 三代目小さんが演じる前は、たぶん、導入部があるのが一般的だったのではなかろうか。

 きっと、三代目小さんが、この噺の要諦が名丸と八五郎の会話、そして、八五郎の鸚鵡返しでの可笑しみにあると考え、導入部を割愛したのだろう。
 
 その後の代々柳派は、鯵と猫が登場しない型になったと察する。

 もちろん、その脚色は悪くない。

 実は、私が仲間内の宴会で披露したこの噺も、八五郎が名丸を訪ねる場面から演じた。時間を出来るだけ短くしたい、という目論見もあった。

 私は榎本さんが紹介した六代目春風亭柳橋の音源を持っているが、しっかり魚(鯵ではなく、魚-さかな-と言っている)と猫の導入部がある。紅羅坊名丸と八五郎との会話にも、さまざまな“道”の話や、“気が楽だ”つなぎでの訓話なども挟んでいて、決して“立て板に水”という口調ではないが、全体で26分にまとまっている。なるほど、長らく落語芸術協会の会長を務めた方の高座、なかなかに味があるのだ。

 また、三代目春風亭柳好の『二十四孝』の“鯵”と猫の導入部は、(八五郎ではなく)熊のリズミカルな啖呵が、実に楽しい。

 しかし、『二十四孝』という噺を滅多に聴くことがなくなった。
 同じように教育的(?)な噺なのだが、なぜか廃れることのない『天災』というネタにおいて、鯵と猫の部分を演じる噺家さんもいて欲しい、と私は思う。

 
 もちろん、好みの問題もある。

 さて、『天災』という落語の味わいについて、麻生さんの解説の後半もご紹介したい。
 今日から見れば、心学の論理(ロジック)は幼稚で、ご都合主義的で明らかに説得力に欠けるが、それに敢然と反駁する八五郎の生(いき)は面目躍如として生きている。こうした、いわゆる付け焼刃の鸚鵡返し・・・・・・「落語」の典型的な形式(パターン)について、加藤秀俊氏は『落語の思想』と題して、次のように論評している。
「ありがたそうなハナシをきくと、わけもわからず感激し、そのハナシを丸暗記しさえすれば自分にネウチがあるという錯覚は、たしかに八っつぁん熊さんのなかにある。床屋政談というのはおおむねそうしたもので、八っつぁん熊さん、しきりと国事を憂うるのであるが、もとのお手本は新聞記事で、それを得々として暗記してしゃべっているにすぎないことが、しばしばである。そして、暗記法によって自分がエラくなったという錯覚におちいったがさいご、かれは、半可通の若旦那と同一の人物になり下がるのだ。わたしは、落語、『相変らず』の人物たちをますます滑稽にえがき出すことによって、日本にける俗物根性を容赦なく突き、われわれ自身の弱い部分をもっともっと締上げてくれることを希望する。キレイごとの世界、知ったかぶりの世界、深刻主義、そういった一連の悪霊をおとすためのおハライとして、落語は有効な哲学と倫理学の方法を示唆する」
 さすがワカッテらっしゃる、「落語」にとって耳のイタイ話である。しかし、「落語」を種に「有効な哲学と倫理学の方法」を立てようとすること自体、そもそも「落語的」なのではないか。つまり「落語」とは、最初から「俗物根性」を有し、「相変らず」「なり下がって」いて、けっしてその範囲から逸脱することはない。「喜劇性」と「悲劇性」を表裏一体、合わせ持っているものなのではないだろうか。人間が、この噺の八五郎同様、おっちょこちょいで、いつもどうどう巡りをしているかぎり(これも紅羅坊名丸ではないが、「天災」と言いたくなる)「落語」はどこまでも「落語」なのではないか、と思う。

 加藤秀俊さんの指摘も、麻生さんのその後の話も、よく分かる。

 「おハライとしての落語」という加藤さんの言葉、この噺のクスグリではないが、“耳ではなく腹”に伝わるような説得力があるように思う。

 最近寄席や落語会に行くのは、浮世に漂う悪霊をおとすためのような心持がしてならないのだ。
 
 八五郎が紅羅坊名丸の話を聞いて良い心持になったような経験を、最近は落語とその後の居残り会でしか味わえない。

 メディアの記事、たまたまつけていたテレビから流れる雑音など、とにかく心持を良くすることはない。たまたま見たり聞いたことを「天災」と思って諦めるしかない。

 しかし、半可通ばかりでキレイごとの政治や、自分の損得しか考えない政治家ばかりが蔓延るのは、とても「天災」と思って我慢ばかりはできないなぁ。

 喧嘩っぱやい八五郎だって、算盤を弾いて喧嘩はしないのだ。

 ドーピング問題なども含め、世界中が算盤を弾く人ばかり・・・やはり、おハライとして落語を聴くしかないか。


[PR]
by kogotokoubei | 2016-07-25 21:39 | 落語のネタ | Comments(2)

 小満んの『天災』を聴いて、その演出が時間を意識した短縮版なのか、それとも本来の型なのどうか気になったので調べてみた。


 八五郎がご隠居に離縁状を書いてくれと頼みに来る、その女房との喧嘩の原因を語るかどうか、噺家さんによって人それぞれ。
 小満は、魚と猫を巡る逸話がなかったのだが、私は、残り時間を意識した短縮版なのかと思った。

 しかし、もしかすると、あれがいつもの型なのかもしれない。

 この謎(?)が気になっていた。


e0337777_11123891.png

 なんとか、この謎を解く答えを、榎本滋民さんの『落語小劇場』の下巻で発見した。
 
 演出の違いについて、このように書かれていた。

 三代目柳家小さん(昭和五年没)の速記では省略されているが、二代目古今亭今輔(明治三十一年没)によるとこんな事件があったそうだ。
 魚屋が生きのいい鯵をもってきたんで、湯上りの一杯をたのしみにひとっ風呂浴びてくると、裏のうちの猫にとられたから、女房をいきなり張り倒したところ、お袋が止めに入ったという。
 六代目春風亭柳橋の演出はもっとこうふくらましてあった。
 向こうの屋根で泥棒猫が、あぐらをかいてうまそうに食ってる腹立たしさ、出刃包丁を結びつけた竹竿で突いたが、裏のうちへ逃げこまれたから、
 「手前んとこァ貧乏で飯の菜を買うことができねえもんだから、猫を使って
 方々のおかずを盗ませてやがるんだろ。そんな猫にいられちゃァ長屋じゅう
 枕を高くして飯を食うことができねえ。さ、こうなりゃァ飼い主が相手だ!
 出てきやがれ!」
 どなったが、考えてみたら留守だった-。
 それをたしなめた女房をなぐると、母親が止めることになる。とにかく、
 「嫁をぶつならあたしをぶて?ほほう!世の中に嫁を憎む姑は多いのに、
 いや、恐れ入ったな。感心なお人だ。お前、まさかぶちゃしまいな?」
 「ぶつもんけえ」
 「うん。まだ脈はあるらしい」
 「げんこがふさがってたから蹴っ飛ばした」
 「おいおい!」
 「だっていゃに肩をもちゃァがるんだ。ことによったらかかあと婆ァは
 怪しいんじゃねえかと・・・・・・」
 これじゃァとてもでこぼこ隠居の手にはおえない。専門家に道徳教育を依頼するに限る。かねてから傾倒している心学の紅羅坊名丸先生を訪ねさせることにする。

 引用部分の冒頭に出てくる二代目今輔は、二代目志ん生の弟子で、三代目と四代目の志ん生の師匠だった人。
 明治22(1889)年発行の『百花園』に、この人のこの噺の速記が残っているらしい。

 どうも、五代目小さんには、三代目から四代目の師匠を経た、鯵と猫を割愛した型が伝わったようだ。
 八代目正蔵のこの噺は、三代目小さんから直接習っているので、これまた鯵と猫がない。
 だから、弟子の柳朝、その弟子の一朝も、鯵と猫が登場しない。
 私が持っている柳朝の音源などは、ご隠居との会話すら省いて、いきなり紅羅坊名丸を八五郎が訪ねる場面から始まる。

 たしかに、この噺の勘所は、紅羅坊名丸と八五郎との会話と、その後長屋に戻った八っあんの鸚鵡返しによる失敗にあるので、噺の要諦は押さえている。

 しかし、小さんの型ばかりでは、これまた寂しいとも思うのだ。

 鯵と猫の入る型を演じる噺家さんには、持ち時間が少なくても、ぜひ頑張って(?)、鯵も猫も残しておいて欲しい。

  本書のコラム的な「まくあい」には、次のようにある。

 若旦那・たいこもち・玄人女などの派手っ気を強みとした三遊派に対して、隠居・医者・家主などの味わいに長じていた柳派の特色が、よく発揮されたはなしで、三代目・四代目小さんの所演が歓迎された。五代目小勝・六代目柳橋もおもしろく、現在では夢楽が仁に合っていて貴重である。
 紅羅坊名丸を高潔な人格者、八五郎を暗愚な無頼漢ときめてかかるのは、軽薄な描きかただろう。歴史的に見て、落語が心学道話と深い関係にあったことは、まちがいないが、その中から俗流心学への痛烈な批判精神を身につけたのも、また落語であったのだから。

 この本、私が持っているのは昭和58年発行の三樹書房版だが、初版は昭和40年代に寿満書店新社からだったようだ。
 三笑亭夢楽は大正14(1925)年生まれなので、榎本さんが高く評価している高座は、四十台のもっとも元気だった頃のものだろう。

 夢楽かぁ。
 その弟子、孫弟子たちでこの噺を聴いたことがないと思う。
 当代の夢丸のこの噺など、興味がある。

 ぜひ、柳派以外の型でも聴いてみたいものだ。

 それにしても、今の落語界は圧倒的に柳派が主流。
 円生一門の落語協会脱退以降に存在感が薄くなっている三遊派の伝統は、今後どうなるのだろう。

   堪忍の袋をつねに首にかけ
         破れたら縫え破れたら縫え

 歴史に「もし」は禁物だが、円生が、この道歌の通りに、あの時「天災」の精神で我慢できていたら・・・・・・。
 しかし、そんな優しさは、名人といわれる噺家にとっては邪魔なものだったのかもしれない。

 この噺のことから、そんなことにも思いが至るのだった。


[PR]
by kogotokoubei | 2016-07-24 16:12 | 落語のネタ | Comments(2)
 私は行かなかったのだが、7日に「七夕七人会-小さん語録-」と銘打った落語会が開かれ、居残り会仲間でいらっっしゃった方から、出演者とネタのご連絡をいただいた。

 その情報によると、開口一番と小菊姐さんの俗曲を除くと、次のようであったらしい。

 『棒鱈』 柳家小里ん
 『粗忽長屋』 柳家小のぶ
 『青菜』 柳家権太楼
 『蜘蛛駕籠』 柳家小満ん
 『道具屋』 柳家三三
 『不動坊』 柳亭市馬

 居残り会のお二人の感想が一致し、とりわけ、小のぶの『粗忽長屋』が良かったらしい。

 私は、このネタを眺めて、素朴な疑問を抱いた。

 「えっ、『不動坊』って、小さんの十八番?」

 会の趣旨から、弟子たちは、もちろん小さんの十八番のネタを披露したのだろうと思っていた。

 こうなると、調べなければいけないのが、私の性分。


e0337777_12420451.jpg

『古典落語 小さん集』(ちくま文庫)

 まず、飯島友治さん編集の『古典落語 小さん集』(ちくま文庫)を確認。

 この本には、次の十八のネタが紹介されている。

 御慶・万金丹・猫久・長屋の花見・大工調べ・三軒長屋・粗忽長屋・湯屋番・浮世根問・
 ろくろっ首・狸賽・三人旅・短命・石返し・肥瓶・うどん屋・道具屋・言訳座頭

 『笠碁』が含まれないのは、編者の飯島さんにとって、『笠碁』といえば、三代目三遊亭小円朝だから、ということは、以前『落語聴き上手』を元に書いた記事をお読みの方ならお察しいただけるだろう。
2016年5月7日のブログ

 7日の落語会では、小のぶと三三の二人だけが、この本で選ばれているネタを披露したことになる。

 私は、少し前になるが、“幻の落語家”とも称される小のぶの見事な『長短』を池袋で聴いている。
2013年6月29日のブログ

 『長短』も、小さんの十八番に入れて良いだろう。
 
 『不動坊』は、もちろん、この本では選ばれていない。

 さて、次に、喜多八の落語研究会のネタを紹介する際に参照した、「手垢のついたものですが」サイトの「落語はろー」のデータ編を確認した。

「手垢のついたものですが」サイトの該当ページ

 世に出された小さんの音源の数を、指標としてみようと思った次第だ。
 CDブック『五代目柳家小さん落語全集』中の保田武宏さん作成の資料を元に作成されたという、このサイトの音源一覧を確認した。

 想像していたことだが、他のネタに比べて、『不動坊』がもっとも少ない。
 
 次の三作。
  (1)不動坊火焔 TBSラジオ   1967.08.25 TBS-R まわり舞台
  (2)不動坊火焔(不動坊)   東横落語会  1978.03.29 東横ホール
  (3)不動坊火焔 東宝名人会  1963.10.31 東宝演芸場

 他のネタを音源の数の順で紹介すると、『粗忽長屋』が20、『蜘蛛駕籠』が8、『青菜』が7、『道具屋』が6、『棒鱈』が4である。

 ちなみに、落語研究会で演じたのは、たったの二度である。
  1974年8月29日の第78回と1977年7月22日の第111回だ。

 実際に7日の落語会で、市馬がこのネタを選んだ理由などを説明したのかどうかは知らない。
 彼にとっては、思い出深い噺なのかもしれない。

 しかし、五代目小さんの名を冠した落語会、やはり落語愛好家の多くが納得するネタで演ずべきではなかったか。
 市馬にだって、他にもいくつも、師匠の代表的なネタを持っているように思うのだが、なぜあの噺だったのだろう。

 とはいえ、五代目小さんの十八番・・・結構、難しい問題かもしれない。
 もちろん、好みだってある。
 飯島さんのように『笠碁』を含まないとかね^^

 志ん朝や古今亭に関しては、何度か苦労をしながら十八番を考えてきた。
 そのうち、柳家も挑戦しようか、などと、思っているが、簡単なこっちゃないなぁ。
 でも、そのうち。

[PR]
by kogotokoubei | 2016-07-09 13:41 | 落語のネタ | Comments(11)
 久しぶりに、喜多八関連ではない記事。

 とはいえ、弟弟子のことではあるが。

 まったくこれまで気が付かなかったが、毎日新聞の記事で、柳家三三が、あの『嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)』を再演することを知った。

 毎日のネットの記事、無料会員での閲覧回数は制限されており、それ以上は有料となっている。
 ネット時代で新聞社の経営も大変だとは思うが、こういう記事まで対象にすべきかどうか疑問だなぁ。
 少しだけ引用する。
毎日新聞の該当記事

創作の原点
落語家・柳家三三さん 稽古は嘘をつかない
毎日新聞2016年4月9日 東京朝刊

 現代の落語界を牽引(けんいん)する気鋭の一人、柳家三三さん。談洲楼燕枝(だんしゅうろうえんし)の長編噺(ばなし)「嶋鵆沖白浪(しまちどりおきつしらなみ)」を、自身の会「月例三三独演」で7月から6カ月連続で口演する。真打ち昇進から10年。今年は芸術選奨文部科学大臣新人賞を受けた。「落語が好きで、夢中で聴いていた子供の頃の自分が楽しいと思える落語がしたい」。原点を見つめ、目指す落語を明快に語る。

 燕枝は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍。柳派を率い、同時代の三遊亭円朝とともに落語界の双璧をなした。


 日程は、他のサイトから情報収集可能。
 ここからは、拙ブログの過去の記事を含めてリンクが続くが、ご容赦のほどを。

 「三三時代」と題するサイトの出演情報によると、この噺が演じられる「月例三三独演」は、次のような開催日程となっている。会場は、すべてイイノホール。
「三三時代」の該当ページ

-----------------------------------------------
 7月14日(木) 嶋鵆沖白浪 一、二 他
 8月 5日(金) 嶋鵆沖白浪 三、四 他
 9月15日(木) 嶋鵆沖白浪 五、六 他
10月19日(水) 嶋鵆沖白浪 七、八 他
11月10日(木) 嶋鵆沖白浪 九、十 他
12月 8日(木) 嶋鵆沖白浪 十一、十二 他
------------------------------------------------

 すでに、7月と8月のチケット、一般販売分は完売のようだ。

 私のこの噺への出会いの最初は、2010年11月16日、紀尾井ホールで行われた「談洲楼三夜」の初日だった。
2010年11月16日のブログ

 その時の記事でも引用した岡本綺堂の『綺堂芝居ばなし』(旺文社文庫)から、再度引用。
 燕枝の人情話の中で、彼が最も得意とするのは「嶋千鳥沖津白浪」であった。大坂屋花鳥に佐原の喜三郎を配したもので、吉原の放火や、伝馬町の女牢や、嶋破りや、人殺しや、その人物も趣向も彼に適当したものである。これは明治二十二年六月、大坂屋花鳥(坂東家橘)梅津長門(市川猿之助)佐原の喜三郎(中村駒之助)等の役割で、通し狂言として春木座に上演された。

 なお、青空文庫の岡本綺堂『寄席と芝居と』の第六章「柳桜と燕枝」に引用部分が含まれている。
「青空文庫」サイトの岡本綺堂『寄席と芝居』

 紀尾井ホールの口演では、三三が希望者に自分が書いた“あらすじ”を送ると約束してくれたので、希望する旨をアンケートに書いた。
 少し時間は経ったが、しっかり約束を守ってくれたことを、拙ブログの記事で書いた。
2011年2月2日のブログ

e0337777_11071324.jpg

       ↑これが、三三からの贈り物。手書きのコピー。なかなかの達筆。

 読めないでしょう。読むのは、もらった人の特権です(^^)

 最後には、「実は、この噺、もう少し続きがあるんですが、またいつか機会を見て申し上げるということで・・・・・・。」と結ばれていた。
 
 その機会が、翌年訪れた。

 三三は、この噺を、横浜にぎわい座で六か月連続で口演した。一回に二高座、六回で十二の高座となった。私はそのうちの二回に駆けつけることができた。
2011年7月7日のブログ
2011年8月5日のブログ

 毎回、前回のあらすじを、今度はワープロの文字で書かれたものを受付で渡してくれた。

 今回の口演も、基本は横浜にぎわい座版を踏襲するのかな、と思っている。

 私は、にぎわい座の翌年にも、都内で再演するのではないかと、思っていたが、あれから五年。

 この噺の作者である初代談洲楼燕枝のことは、紀尾井ホールの会の後に記事にしたので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2010年11月19日のブログ

 なお、この噺の一つのヤマ場の一つ、吉原炎上を含む部分は、『大坂屋花鳥』という題で先代の金原亭馬生によって演じられ、音源も残っている。

 そして、三三の横浜にぎわい座の翌年、2012年11月、馬生の弟子むかし家今松が、滅多にやらない独演会で、拡大版『大坂屋花鳥』とでも言うべき長講を聴かせてくれた。なかなかの好演だった。
2012年11月9日のブログ


 さて、悩ましいなぁ。
 私がまだ聴いていない後半を聴きたい思いもあるが、改装されたイイノホールは、あまりにも大きくて、そして綺麗すぎて、落語を聴く会場とは、思えないのである・・・・・・。

 都合とも相談しなくてはならない。
 なんとか行こうかと思ってはいるが、さて、どうなるやら。

 しかし、ご興味があって、ご都合が合う方は、一度でもお聴きになることを、お奨めしたい。


[PR]
by kogotokoubei | 2016-05-31 21:02 | 落語のネタ | Comments(0)
 春、それも桜の季節の噺となれば、東京なら『長屋の花見』、上方で『貧乏花見』は、外せない。
 
 また、この噺もある。
 旦那、芸者、幇間などによる、良き時代の春の行楽ネタとして『愛宕山』は、八代目文楽の名人芸から今に伝わる大ネタだ。
 
 師匠譲りと言える、先月の柳家小満んの会でのこの噺も、実に結構だった。

e0337777_14005035.jpg


 この噺は、文楽の芸の師匠三代目円馬から伝わった、上方がルーツの噺と言われるが、その原話は何かを調べるため、宇井無愁の『落語のふるさと』(朝日新聞社、昭和52年初版発行)をめくってみた。

 宇井無愁は、上方版を元にあらすじを紹介してから、次のように書いている。
 ちなみに宇井無愁は、似た題名の『落語のみなもと』(中公新書)において、『今昔物語』に、多くのネタの原話を見出していることを記している。

 東京では「愛宕ヤマ」と題して故文楽の専売物だった。旦那も幇間も東京から京見物の設定。のっけから二人に重点がおかれ、芸者舞妓はいるのかいないのか、野がけ山行きの遊山気分は全然ない。小判投げも、一八にみせるために旦那が東京から用意してきたもの。
 文楽は、話芸というより「すわり芝居」にちかい瑣末描写の極致を演じたが、耳ざわりは愛宕ヤマ。土器投げの愛宕サンに、時々芝の愛宕ヤマの元NHKのアンテナのイメージがダブって、聞き手を混乱させた。
 ところで原話だが、『今昔物語集』巻二十八「信濃守藤原陳忠(のぶただ)御坂(みさか)に落入リシ語」第三十八が、どうもそうらしい。

    信濃守陳忠が帰任の途次、大ぜいの郎等(ろうどう)と馬をひき
   つれて御坂(岐阜県恵那郡山神坂峠)の嶮にかかった時、陳忠の馬が
   後足で桟道をふみ折り、人馬もろとも谷へ転落した。郎等どもがうろ
   たえ騒ぐうち、はるか谷底から陳忠のよぶ声がかすかに聞こえる。
   生存とわかって耳をすますと、旅籠(旅行用の籠)をおろせといって
   るらしい。急ぎ縄をつないで旅籠をおろすと、ずいぶん深い。やや
   あってひき上げよという声。意外に軽いと思ったら、ひき上げた旅籠
   に陳忠はみえず、平茸(ひらたけ)が一ぱいはいっていた。
    またおろせというのでおろすと、こんどはひどく重い。力を合わせ
   てようやくひき上げたら、主人は片手で縄につかまり、片手に平茸を
   三房もかかえて上がってきた。馬が先に落ち、彼は途中の木の股に
   とりついて転落をまぬがれた。みればあたり一めんの平茸。手のとどく
   限りはとったが、まだまだ無数にあったのに損をした、という。郎等
   ども思わず顔を見合って失笑すると、
   「汝らは何を笑うか。宝の山に入りながら空しく帰ったとは、このこと
   じゃ。受領(ずりょう)は倒るる所に土をつかめ、というからのう」
   と陳忠はいた。

 受領は平安時代の国司(地方官)で、行政官というより国の官物を受領する徴税吏だった。任地で私腹を肥やし、私財を蓄えるのを目的とする者が多く、解任後もとどまって荘園領主に成長していった者も少なくない。都民のために何一つしなかった功績で、莫大な退職金をもらった都知事を思い出すが、いつの時代でも地方官はガメツかったようだ。「受領は倒るる所に土をもつかめ」という言葉は、後に「ころんでもただは起きるな」といい替えられ、日萄辞書にも載っている。
 この「土つかめ受領」のガメツさと、幇間一八のガメツさに相似点を見出して、この落語が作られたのではないか、と思うのである。

 あら、『今昔物語』の中の、私腹を肥やす役人をネタにした話が、『愛宕山』に化けた(?)ということか。
 それにしても、この藤原陳忠、谷に落ちてもただでは戻らないところは、何とも逞しい。

 『愛宕山』の幇間一八は、肝腎な小判を忘れてもどるのだが、だからこそ落語、ということか。

 『今昔物語』の話、なるほど、原話と言われれば、そうかな、と思う。

 この古い話を元に、いったいどんな人たちが、どのような時間を経て、今日の名作を誕生させたのか。
 現在につながる内容の仕上げは、三代目円馬、そして文楽の仕事だったろうが、そこまでに伝わる噺の途中経過にも興味がわく。

e0337777_08560187.png


 安藤鶴夫著『わが落語鑑賞』。
 私が持っているのは、この筑摩叢書版。その後、ちくま文庫でも発行され、新しいところでは河出文庫からも出ている。

 本書でアンツルさんは、文楽が磨き上げた内容に、まだ発展の余地があると指摘している。
 矢野誠一さんが『落語手帖』でも引用しているが、アンツルさん、次のように書いている。

 上方ばなしだと、京都の金持ちの旦那が、一八、繁八なる大阪の幇間を供に芸妓、舞妓をひき連れての山遊びで、東京と違って繁八が立役者だったり、京都と大阪のお国自慢などがあったり、いろいろと違った点も多いが、大阪と東京の落語家の相違は金を拾いにおりる幇間の演出が、大阪と東京のおなじ金銭に対する執着にしても、上方には気質的な相違があまりにもなまなましく表現されるので、そこへいくと、東京の一八のほうが、なにかというと鼻唄を交え、そのくせ、きわめてまた真剣な鼻唄である点などに、金銭に執着するむごたらしさが、ちょっとそこで救われる洒落ッ気があってよい。
 ただし、この桂文楽の所演に、繁八を大阪言葉の幇間にして、芸妓、舞妓を京言葉にするというような、三都の言葉を使い分けるという多彩な演出が用意されたなら、はるかに上方ばなしの原話を遠く引き離す優れた落語になると思われるが、これはぜひとも次代の継承者の興味ある課題としたい。
 ー舞台は京の春、山遊びも、ちょっと汗ばむ季節である。

 この、東京・大阪・京都という“三都の言葉を使い分け”た『愛宕山』、たしかに、聴いてみたいものだ。
 古今亭志ん朝なら、やろうと思えばできるだけの可能性も実力も秘めていたと思うが・・・・・・。

 現役で、果たして“三都言葉使い分け”に挑戦できそうな人、いるかなぁ。


[PR]
by kogotokoubei | 2016-04-07 12:36 | 落語のネタ | Comments(4)
 三代目桂春団治のことについていくつか記事を書いた。

 生で聴いた最後の高座『お玉牛』を、忘れていた恥もご披露した(^^)

 それらの記事へのコメントを含め、上方落語界について貴重な情報を度々いただく方のご好意で、三代目の『野崎詣り』の音源を聴くことができた。

 こんな楽しい、そして、上方落語の一つのエッセンスの塊のような噺はないように思う。

 この噺は、実際に聴かなければその味わいが分からないだろうし、上方落語にあまり馴染みのない方には、やや理解するのは難しいかもしれない。

 今回は、詳しい筋書きは書かないが、優れた上方落語の目利きによる本から、この噺についての記述を少し引用したい。
e0337777_11102075.png

『米朝ばなし』(講談社文庫)

 まず、『米朝ばなし』から、引用。

 船の中でごちゃごちゃいらんことばかりしゃべるので相棒が「ちょっと陸(おか)を見い。え、ぎょうさん歩いてくるヤツがあるやろ。あれつかまえて喧嘩するねん」「喧嘩するちゅうたかて、船の中と陸の上。石投げられたら、逃げ場がないがな」「野崎参りの喧嘩は言い合いばっかりで、どつき合いはない。これに勝ったら一年中の運がええ、ちゅうねん」

 船と陸(おか)との口喧嘩、という設定の空間的な広がりと、その内容の、なんとも上方ならではの可笑しさが、この噺の魅力だろう。

 三代目は、初代からこの噺を十八番とする春団治としての伝統を、しっかり継承していた。

 次に、この本から。
e0337777_11112953.jpg

関山和夫著『落語風俗帳』(白水Uブックス)
 落語と仏教や説教との関係に詳しい、関山和夫著『落語風俗帳』には、次のようにこの噺の良さを評している。
 観音信仰は、地蔵信仰とともに近世における民衆の信仰の中心的地位を占めたのである。落語の『野崎詣り』は、道中描写が中心で、ご本尊の観音さまやお染・久松比翼塚のことなどにまで及んでいないが、道中描写だけで滋眼寺尊崇の様子は十分に察知できる。仏教・生活・娯楽(芸能)を一体化とした昔の日本人の生活構造の様はこれで活写されているのだ。

 ネタそのものも優れているが、「活写」できるかどうかは、演じる噺家次第である。
 三代目の音源を聴いてから、関山さんのこの表現に、ただ頷くばかり。

 私は、別途、音源を手に入れるつもりだ。
 調べてみたら、『お玉牛』も含むCDが発売されている。

 残された財産ともいえる音源を楽しみたいし、私にとって最後の高座を含め、三代目を偲びたいとも思う。

[PR]
by kogotokoubei | 2016-02-07 21:34 | 落語のネタ | Comments(2)
 一昨日は、柳家小満んの三席を堪能した。

 なかでもトリネタの『御慶』の楽しさは格別だった。

e0337777_13025442.jpg

『古典落語 小さん集』(ちくま文庫)

 ちくま文庫の『古典落語 小さん集』は、筑摩書房が昭和43(1968)年から昭和49(1974)年にかけて発行した「古典落語」の第一期と第二期の計10巻から再編集して平成2(1990)年に文庫で発行されたもので、飯島友治の編集。

 この本には十八のネタが収録されており、各演目の前に編者の解説や用語の説明が掲載されている。

 その一席目が、『御慶』だ。

 この本では、小さん、八五郎が裃を買いに行った市ヶ谷の古着屋、甘酒屋でのやりとりも、刀屋での会話も含んでいる。

 たまたま私の持っている音源で本人が割愛したのか、編集でカットしたということなのだろう。

 これだから、落語を本で読むことも重要なのだよなぁ。

 しかし、本書では甘酒屋に、紋の例として「菱形とか、いろいろございます」と小さんは言わせている。
 小満んは、「霰(あられ)や鮫」と言っていた。
 小さんも、時にはこういう紋の名を語っていたのかもしれないし、小満んの工夫なのかもしれない。

 そう、噺家には、工夫が必要。

 この噺の解説で、五代目の小さんが、四代目に継承されてきた元の噺から、自分なりの工夫を加えていたことが明かされている。

 興味深い内容なので、引用したい。

 小さん師は二ツ目の小きん時代、師匠である四代目小さんの絶品といわれた『御慶』を聞き覚え、そのままの型で二ツ目時代から演っていたが、その後、諸所に手を加えて現在のものとした。たとえば、八五郎が「御慶」「永日」を大家から習う件は、江戸時代からの演出では〔もちろん四代目小さんの演出でも〕富が当たったその日に、家賃を払いに行って教わるが、小さん師は裃を着て年始に行って教わるほうがおもしろみがあると改めた。また、八百両を貰い、しまい込む場面でも、四代目は股引を脱いで、その中へ入れて帰るように演っていたけれども、小さん師は着物の袖や懐や背中のほうへ入れて、それをかかえるような滑稽な仕草におき替えている。
 
 あら、五代目、見事にネタを磨いていたのだ。
 小満んも、五代目の型で演じた。

 サゲも、元ネタは違っていたのを五代目が今の型にしたようだ。

 サゲは、以前は「御慶ッ」を「何処へ」と聞き違え、「御慶てェのだ」とさらに一つ押し、「初卯の帰りよ」とサゲていた。すっきりとして、初春の噺にふさわしいサゲであったが、「初卯」という言葉が一般になじみがなくなったので、師匠は「恵方詣りに行ったんだ」と変えている。もっとも、「恵方詣り」も今の人には耳遠い言葉になってきているけれども、サゲとしては合理的である。

 繰り返すが、本書の元本「古典落語」は昭和43年発刊。
 文庫化は、平成が始まってすぐのこと。
 
 今や「初卯」も「恵方詣り」も、死語化しつつある。
 「初卯」は、私も知らなかった。ご興味のある方は、亀戸天神ホームページの「年中行事」をご参照のほどを。
亀戸天神HPの該当ページ
 「源氏物語」にも出てくる、歴史ある行事らしい。

 古典落語は、そもそも「お古い」噺。
 元ネタの魅力を踏まえた上で、どう自分なりに磨いていくかがそれぞれの噺家さんの手腕にかかっている。
 「お古い」ものの魅力のままに、聴くものを落語の舞台に連れてってくれれば、それも良し。
 また、本来の可笑しみをより深く掘り下げて、ややデフォルメ気味に爆笑落語に仕立ててくれる高座も結構。
 今では通用しない言葉や風習、文化などをマクラでの適度な仕込みによって疑問が残らぬようにし、その噺の魅力を伝えることだって、生半可なことではない。
 あるいは、そういった「お古い」末節部分を改作した上で、そのネタの味わいを損なわずに聴かせてくれるなら、その工夫も評価されて然るべきだろう。

 聴く側が、「なるほど」と思えるのなら良いが、「それはないんじゃない」と裏目に出ることだったあろう。
 もちろん、そういった試みは一回こっきりじゃないし、客層、場所、時期などの環境にも左右される。

 紹介した五代目小さんの改作は、いずれも「なるほど」、と思わせる。

 「御慶」「永日」を、元旦に裃姿で大家に挨拶に行った際に教わる方が、その姿を聴く者が映像化しやすいだろう。
 三十二もの“切り餅”を股引を脱いでしまい込む姿は、あまり良い絵にならないし、この噺の本筋の可笑しさでもない。少し品を良くした上で、本来の可笑しみを損なうことないようにしている。
 サゲは、その時代にはなかなか伝わらない言葉、行事を言い換えて、より分かりやすい内容にしたわけだが、馴染みのない言葉でのサゲでは、お客さんの“腹”に落ちないから、こちらも吉と出ているだろう。

 ただし、今後この噺を演じる若手が、「恵方詣り」を「初詣で」に替えそうな気がするが、できれば、「恵方詣り」は残して欲しいものだ。

 私は、五代目小さんという人が、ネタにこれほど手を加える人とは思っていなかった。

 小さんが、噺は生き物であることを十分に認識し、古くから継承するネタに独自の工夫を重ねてきたのだと、あらためて認識した。

 本書を読んで、「(古典)落語って、生きているんだなぁ」と、今さらのように思うのだった。

 対照的とは言わないが、この噺の別な演者の内容について。
 それは、志ん朝の音源。
 昭和54(1979)年12月8日の「志ん朝の会」の高座。

 なんと、志ん朝は、大家に御慶を教わる場面を、たまった店賃、ちなみに八つ、を払いに言った際に設定している。
 つまり、四代目の型。
 加えて、八百両の運搬方法。
 八五郎は股引を脱いで、「おあしにおあしを入れる」と洒落を飛ばして、端を結んで首にかけて持ち帰るのだ。
 股引、これまた、四代目の型。
 ちなみに、甘酒屋、刀屋の場面は割愛している。八百両は五十両包みと二十五両の切り餅の混在。

 この音源は、なんともスピード感溢れる素晴らしいもので、あらためてこの人の凄さを再認識させる。

 志ん朝が、五代目小さんの工夫を知らないはずはないだろう。
 あえて四代目の内容に戻して演じたと察する。
 しかし、古臭くもなく、品もある。
 とにかく、楽しい。

 替える工夫もあれば、替えない工夫もある、ということを強く感じた次第。


 そうそう、小満んの会の記事で、「何か忘れたなぁ」と思っていたら、本書を読んで思い出した。

 五代目の型通りに小満んも、そして志ん朝も、大家が八五郎に「御慶」を教える際、芭蕉門下で蕉門十哲の一人、志太野坡(しだのば)の句「長松(ちょうまつ)が 親の名で来る 御慶哉」を挟んだ。
 長松は、丁稚の代表的な名として使われている。
 かつて奉公していた丁稚が、実家の親の名を継いで、かつての奉公先に新年の挨拶に来た、ということ。
 この場面のこの句は、ぜひ今後も残したままにして欲しい。
 私は、基本的に「古い」ものが好きなのだ。

 「正月二十日も過ぎて、何が御慶だ」とお思いの方に、やはり、お古いお話。
 旧暦で今日は12月12日。旧暦元旦(春節)は、2月8日。

 「御慶」の出番は、実は、これからなのである。
[PR]
by kogotokoubei | 2016-01-21 20:46 | 落語のネタ | Comments(2)
 矢野誠一さんの本を何気なく読んでいて、あるネタの意外な伝承経路(?)を知った。


e0337777_13002248.jpg

矢野誠一著『落語家の居場所』

 『落語家の居場所』は1997年に日本経済新聞社から単行本が刊行され、2000年に文春文庫の仲間入りした本。

 「わが愛する藝人たち」という副題がついている。

 この本には、かつて矢野さんが毎日新聞に書いていた「寄席」と題するコラムの一部も収められてる。

 その中の91年7月25日のコラムを引用。
 入船亭扇橋という落語家は、おかしなはなしを知っていて『茄子娘』だの『鼻きき長兵衛』なんて、ほかに誰も演りてのない演目を思いだしたように高座にかけてくれる。十四日の「第31回紀伊国屋寄席」(紀伊国屋ホール)でも、この季節をあてこんだ怪談『団子坂奇談』を出したが、初めてきく客が多かったのではあるまいか。
 このはなし、三遊亭圓生が時どき演っていた『猫怪談』などもはいっている『谷中奇聞』のひとつだそうで、圓生から教わった橘家文蔵が扇橋に伝えたのだという。舞台になっている団子坂や動坂、さらには谷中にかけたあたりは、いまなお東京の面影を残すところだが、そんな土地に対する演者自身の愛着が一入(ひとしお)であることが伝わってくるのが面白い。主人公が、本所の屋敷から団子坂まで花見に出かける行程を、浅草、田原町、稲荷町、上野、不忍池、七軒町、根津と町づくしでいいたてる。浪花節の道中づけや、『曽根崎心中』の「観音廻り」を思わす趣向で、『黄金餅』にも見るようなこうした遊びが、落語にはしばしばある。 
 それにしても、この『団子坂奇談』のサゲだが、他愛なさすぎて、いっそ爽快である。そういえば『茄子娘』にしても、『鼻きき長兵衛』にしても、決して上等のサゲとはいいかねる。そんな拙劣なサゲを、あえて改良しようとはせず、演者自身がてれてみせることで処理できるあたりに、落語がパーソナルな藝である一面をうかがうことができるのだ。

 以前に読んでいるはずなのに、まったく覚えていなかった内容。
 
 この『団子坂奇談』、弟子の扇辰の高座を初めて聴いたのはいつだったかと自分のブログをググったら、2年前の5月、道楽亭さん主催の文左衛門との二人会だった。
 記事には、途中までの筋書きも書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年5月24日のブログ

 扇辰は、この噺を師匠が教わったのが文左衛門の師匠文蔵(二代目)であることを知って演ったのか、どうか・・・・・・。

 また、師匠の正蔵は、後に天敵とまで言われた圓生から弟子が稽古してもらうことを許したわけで、その当時は、まだ二人の仲が良かったのだろうと察する。

 橘家文蔵の名跡を今年9月に文左衛門が襲名することは昨年発表されていて、落語協会会長の新年の挨拶でもふれている。
落語協会HPの該当記事

 二代目橘家文蔵は、昭和14(1939)年8月25日生まれで、平成13( 2001)年9月10日に満62歳で亡くなっている。
 昭和14年生まれは、小三治、枝雀と同じ、志ん朝の一つ下。

 八代目正蔵門下。
 柳朝の弟弟子で栄枝の兄弟子にあたる。
 昭和57(1982)年1月に師匠亡き後、桂藤兵衛や正雀を預かっている。

 文蔵の生の高座も音源も聴いたことはないが、同業の噺家の中で評価が高かった人と聞く。
 
 文蔵が二ツ目時代の勢蔵時代、東宝名人会の若手勉強会で『竹の水仙』を演じたところ、聴いていた審査員の圓生が、『三井の大黒』を教える代わりに文蔵の『竹の水仙』を教えてくれと頼んだというから、相当の巧者であったことは間違いないだろう。
 文蔵が圓生から稽古をつけてもらったネタは『三井の大黒』だけではなかったわけだ。

 文左衛門の文蔵襲名は、良いことだと思う。

 同時代の人気者たちほど名は売れなかったものの、圓生に稽古をするほどの実力者だった師匠を思い出す契機になることだろう。

 文左衛門が『団子坂奇談』を演じるのかどうかは、勉強不足で分からない。

 同じ扇橋のネタの伝承に関する逸話として思い出すのは、十八番の一つだった『麻のれん』。
 扇橋の本から知ったことだったが、あのネタは、五代目小さんが照蔵時代の先代柳朝に教え、その柳朝から扇橋が稽古してもらったことを、小さんの十三回忌に関する記事の中で書いた。
2014年5月20日のブログ

 実に不思議な伝承の道中(?)であると思ったものだ。
 外で教わったつもりでいたのに、実は、中から外へ出て戻ってきた、という感じ。
 ブーメラン型、とでも言おうか。
 あるいは、『持参金』ではないが、ネタは天下の回りものということか。

 もし、文左衛門が、師匠から『団子坂奇談』を教わる機会がなく、師匠文蔵が扇橋に稽古し、扇橋が弟子扇辰に伝えた『団子坂奇談』を教わって演じる、などということがあれば、これまたネタがぐるっと回ることになる。

 こういうネタの継承にまつわる逸話も、まさに「奇談」と言えるのではなかろうか。
[PR]
by kogotokoubei | 2016-01-07 20:36 | 落語のネタ | Comments(0)
 23日の祝日、近所の幼稚園で恒例の餅つきをしていた。
 途中から雨に降られて早めに中断しただろうが、子供たちにとっては、実に良い体験だったに違いない。

 先日の三田落語会で、春風亭一朝の『尻餅』を楽しんだ。

 長屋の夫婦は、一軒だけ餅つきをしていないことが恥ずかしく、女房の尻を臼に見立てて餅つきをしている様子を演じるわけだが、文字通り体を張り、見栄を張ったわけだ。

 我が家でも、近所のお菓子屋さん(団子屋さん、かな)にお願いしていたことを思い出す。
 商売をしていたので、暮れは何かと忙しく、とても自分のうちで餅つきをする状況ではなかった。
 豆餅が結構多かったように思う。
 汗が出るほどのストーブ-薪ストーブも石炭ストーブも懐かしい!-に網を置いて、冬の間、どれほど餅を焼いて食べただろうか。
 黄粉や砂糖と醤油、ちょっと贅沢に海苔で巻いて、など。

e0337777_11134083.jpg

矢野誠一著『落語歳時記』(文春文庫)

 座右の書の一冊である矢野誠一さんの『落語歳時記』(昭和47年読売新聞より『落語 長屋の四季』として単行本発行、平成7年文春文庫より改題し再刊)の冬の章に、『尻餅』が取り上げられている。
餅つき   黄昏れて餅つく騒ぎ止みにけり

尻餅(しりもち)

     「着物はまァしょうがないとして、近所はみなもう餅搗いて
     てやし。
     戸口のの徳さんまなはれ、あと月(げつ)、あれだけ思うて、
     つまらんつまらん言うてたかて、やっぱりちゃんと一斗の餅でも
     搗きゃはるやないか、二軒目のお芳っさん、女やけれども
     甲斐性者や、五升の餅も搗いてはる」
                                       『尻餅』

 世のなかも、なにかとせちがらくなってきて、店の払いも月払いならいいほうで、むかしのように盆、暮れの二度払いなんてわけにはとてもいかない。それだけに、歳末風景もかなりかわって、年が越せないなどというまえに集金されてしまうから、年越しの切実感からはいや応なく解放された。大晦日を過ぎてさえしまえば、勘定というやつ、取るほうも、取られるほうも休戦協定みたいなものが、自然に成立してしまうむかし式のやりかたにも、それなりのかけ引きの妙があって、なかなか捨て難いものなのだが。


 この後のネタの概要説明に続き、昔の餅つき事情などについて書かれているので引用したい。
 いまでこそ、歳末になると、米屋や菓子屋の店先に「ちん餅うけたまります」のはり紙が出て、家々を注文とって歩いてくれるから、『尻餅』のように、なれない芝居を演じてまで見栄をはることもなくてすむ。だがこれが大正から昭和にかけた頃までは、どこでも餅つきの音が聞こえるとあって、せめて人なみのことはしたい庶民にとっての餅つき、かなり切実な問題であったに相違ない。
 その時分、ちょっと金のある家の餅つきとなると、出入りの鳶の者は無論、ひいきにしている相撲とりから、幇間や落語家という、あまり餅つきには役立つちそうにない藝人衆まで、手伝いに参上したものである。

 「ちん餅」は「賃餅」で、搗き賃をいただいて餅をつくということだ。

 幇間の一八などが、旦那によいしょで、餅つきの掛け声だけをかけている様子が想像できるではないか。
 相撲取りは、今でも相撲部屋の近くの商店街などで餅つきをしているようなので、貴重な師走の年中行事と言えるだろう。

 矢野さんは、この後に斉藤茂太の『精神科医三代』から、青山脳病院の炊事場での餅つきの様子を引用した後、『東京年中行事』から、次のような文章を紹介している。
「ちん餅でも引きずり餅でも先ず搗かせる方はいいが、本当の貧民などになると、それもかなわぬ。けれども、こうした連中に対しては又相当の方法があるもので、さすがに東京だと思うところがある。試みに、押しつまった三十日か大晦日の晩あたり街頭にのぞいて見ると、平素から縁日の市の立つような処は、どんなところでも年の市が立って、そこには色んな飾りもの店が揃っている上に、神棚や仏壇に上げるべきお鏡餅の店迄がちゃんと出ている」
と記されている。
 いまでこそ、どんな家でもちん餅屋専門で、わざわざ臼や杵を持ち出して餅をつくのは、それこそ相撲部屋か、幼稚園の先生の、園児へのサービスぐらいになってしまった。いまや、金持ちといえども、ついこのあいだまで「世間へ恥じし風俗」や「本当に貧民など」のやることを、じつに堂々と恥じることなくやっているわけだ。
 もっとも、そのちん餅屋にしてからが、いちいち、杵を振りあげて「ペッタン、ペッタン」やっていたのでは商売にならない。糯米をセイロで蒸しあげるのから、それを餅状につきあげるまで、すべて機械の世話になる。そうしてつきあがった餅が、ビニールに包装されて、各家庭の台所にとどくまでの過程の、どこをさがしても、あの「ペッタン、ペッタン」というなつかしい音のしないのが、現代の餅つきなのである。
 寒空に、「ペッタン、ペッタン」という音がしみ通るからこそ、また正月が来るという感慨もわくし、「はやくうちも餅をつかねば」とはやる気持ちにさせられるわけで、そうした音が去ってしまって、ただあわただしいだけの当節流の年の瀬では、あの『尻餅』のもの哀しさは理解できないくなるかもしれない。

 今では、スーパーやコンビニに、いわゆる「切り餅」が山積みされている時代。

 『尻餅』のように体を張って見栄を張る必要性はなくなった。

 だからこそ、こういった噺を継承することが、大事なのだと思う。

 今夜は旧暦11月15日で満月。

 月ではウサギさんが餅つきをしている、なんていうメルヘンも、そのうち話題に上らなくのかもしれない。

 さて、ウサギを見に、ちょっと一服、と思ったが、あら小雨が降ってきた。
 餅つきには、力水も必要、ということか。

[PR]
by kogotokoubei | 2015-12-25 21:01 | 落語のネタ | Comments(2)
e0337777_11472596.jpg


 先日、春風亭一朝の『尻餅』を楽しんだ後、野村無名庵の『落語通談』を開いてみた。
 『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。

 この時期の旬な噺について興味深い内容があったので、引用したい。
年の暮人生

「元旦や今年もあるぞ大晦日」と、それは誰しもちゃんと心得てはいるのであるが、さていよいよとなるとその問題に臨んで、不心得の者は狼狽せざるを得ず、「春うわ気、夏は陽気で秋ふさぎ、冬は陰気で暮はまごつき」というマクラの狂歌同様の始末となる。
 この年くれを扱ったものには「掛取万歳」「三百餅」「言訳座頭」「睨み返し」「晦日の五円」等いろいろある中に、おかしいのは「尻餅」などだろう。

 この後に「尻餅」の概要を説明した後に、実に興味深い噺のことが書かれている。
 これも貧乏のいたすところ、アアどうか仕合わせになりたいと、働く事も考えず、徒に一足飛びの僥倖を願う虫のいい人間もなきにしもあらず、思えば人の望みは限りのないものだが、そこを目がけて夢屋という珍商売が出来、客の望みに任せて何でも思った通りの夢を見させる。芝居の夢、角力の夢、遊興の夢、何でもお好み次第に夢を見られるので、評判になって大繁昌。

 へぇ、夢屋か、楽しそうな噺だ。
 さて、どんな内容なのか。
 ところへやって来たのが、自分の貧乏から世の中をひがんでいる男、おれァいくら稼いでも足りねえのが忌々しくてならねえ。おまけに世間の金持ちが、どいつもこいつも自分たちばかり栄耀をして、威張っているのが癪にさわってならねえ、おれが金持ちになったら、どんどん施しを出して困る者を潤してやりったいと思うんだから、、「せめて夢だけでもいい。金持ちになったところを見せてくれ」という注文。

 この男の気持ち、分かるではないか。
 しかし、落語は修身とは違うので、そんな立派な筋書きとなならないのだ。
「へェよろしゅうございます。どうぞこちらへ」と寝台へ案内。いい心持ちにとろとろしたかと思うと、「ちょいとお前さん。起きておくれ」と女房の声。「お隣の犬が裏の松の木の根っこを掘って、ワンワン吠えるから行って見たら大変だよ」という知らせに、ドレドレと覗けばこはいかに、深く掘った穴の中には、金貨銀貨紙幣がシコタマ見える。びっくりしてサア事だと向こう鉢巻になり、女房と協力で掘れば掘るほどザクザクと無限に出る。

 まるで、花咲か爺さんではないか(^^)
 その後、どうなったのか、というと。
 たちまち家の中は財宝の山。「アア驚いた。一遍に大金持ちになっちまったが、サアこうなったらもう裏店にはいられない。表通りへ立派な普請をして、方々へ別荘も拵えよう。着物を誂えて物見遊山。あれを食べてこれをして」と、自由主義、個人主義の行われていた時代の浅ましさは、すぐこんな心持ちになるのが一般の凡人であったから、夫婦が有頂天で喜ぶ最中、ぞろぞろと引っ切りなしに訪問の客、これが何々孤児院、養老院、救済園、博愛会、慈善療院等々、あとからあとから寄付金の勧誘ばかり。
 宝くじが当たったり、膨大な遺産を相続したりすると、いっきに知らない親戚が増える、というやつですな。
 この男、いったいどうしたのか。
 奴さんおれが金持ちになったら困る者に施しを出して、などといった理想はたちまち豹変し、「御免蒙りましょう、冗談じゃあねえ。お前さん達の言う事を、いちいち取り合っていちゃあ際限がねえから、一切お断りだ。うるせえな帰れ帰れ」と片っ端から撃退。
 (中 略)
「モシモシ、モシモシ、お時間でございます」と、夢屋の番頭に起こされる。「アッ、何だ夢だったか。アア夢なら慈善をしてやりゃあよかった」と、これがサゲ。境遇によって心持ちの変る人情の機微を痛切にえぐって世間の裏面を諷刺し、とりようによっては立派な教訓にもなっている。
 なお、同じ夢を扱ったものには、この「夢分限」の外に、「夢金」「鼠穴」「乞食の夢」「天狗山」「大黒屋」などがある。

 落語から道徳的なことを学ぼうとするのは、本来の落語の楽しみ方ではなかろうが、談志家元ではないが、「人間の業」が、この「夢分限」には描かれていると言えるだろう。

 金持ちになったとたん、施しをするという慈善の志を忘れ、すべてを我が物にしたい、という人間の本性を、「夢分限」に見ることができる。

 そう、権力の座に長く居座る者が、つい、その座を離れがたくなるのと、似ている。

 無名庵があげる「夢分限」も「乞食の夢」「大黒屋」も、、まだ聴いたことがない。
 ぜひ、誰かに掘り起こしてもらいたい。

 実は、以前紹介した本書にある「落語名題総覧」の496席に、この「夢分限」が含まれていないのだ。
2015年03月17日のブログ

 きっと、野村無名庵は、夢でこの噺を聴いた、ということにしておこう。
[PR]
by kogotokoubei | 2015-12-23 14:24 | 落語のネタ | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛