噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:年中行事( 5 )

 富士山の山開きの日に『富士詣り』について記事を書いた。
 私が寄席で聴いたことがないので、“消えかかっている”噺、と形容したのだが、多くの方からコメントをいただき、今でもベテランや若手によって演じられているとご指摘いただいた。

 勉強不足を恥じ入るばかりだ。

 その山詣でについて、少し考えた。
 なぜ、落語のネタになるほど、日本人は山詣でをしてきたのか。

e0337777_11133828.jpg

神崎宣武著『旬の日本文化』(角川ソフィア文庫)
 
 何度か紹介している本に目が留まった。
 岡山宇佐八幡神社宮司で民俗学者、神崎宣武著「『旬』の日本文化」から、引用したい。

 山開き

 現在、山開きといえば、夏山登山の開始日とする印象が強い。その登山は、スポーツであり行楽である。
 しかし、歴史的にみると、それは明治以降のことであり、たかだか100年ほどの流行現象にほかならない。
 「山開き」という言葉は、さらに古い歴史をもつ。旧暦での六月一日に行なう例が一般的であったが、五月の末日に行なう例も少なくなかった。そして、そこでの登山は、信仰行事であった。
 登山などとはいわない。山詣で、あるいは登拝。個別には、富士詣でや大山詣で、白山詣でや熊野詣でなど。山開きから約一か月のあいだ、各地で善男善女が霊山霊峰に登拝する。右に示したような名高い山では、その登拝を斡旋する先達たちもいて、山腹には宿坊も発達した。

 落語愛好家の方は、こういったことは、先刻ご承知。
 『富士詣り』でも『大山詣り』でも、先達さんが存在する。
 
 それでは、なぜ山詣でをするのか、について。
 なぜ、各地で山詣でが盛んであったか。それは、日本が山国であったからである。現在でも国土の六十数パーセントが森林である。島国というよりも「山島」というのがふさわしい地形である。
 ほとんどの土地で、山を眺めながら暮らす。その山なみのなかで、とくに山容のすぐれた高峰をカミの山とみるのは、当然といえば当然のことだ。そこには、もろもろの精霊が棲む、とする。死霊も棲む、とする。仏教や神道が成立する以前からの、日本人の信仰観の原型が、そこにあった。

 いわゆる、八百万の神の一つの象徴が、山詣で、ということだろう。
 
 その山の“カミ”は、山にとどまってはいない。
 山に棲むのは、さまざまなカミであり、もろもろの精霊である。が、総じていえば、「山のカミ」。あるいは、象徴的な存在として山のカミ。その山のカミは、正月には歳神(歳徳神-トシトクジン-)となって里に降り、家々をめぐる、とさえた。また、節分(二月三日)を過ぎて八朔(八月一日)のあたりまでは田のカミとして稲作を守護する、とされた。たとえば、「正月くれば歳神さん、田植えのときは田のカミさん、八朔過ぎれば山のカミ」という中国山地に伝わる俚諺(りげん)があるが、山のカミの性格をよくあらわしている。山のカミは、いうなれば原始日本の万能神だったのである。

 今や、そのカミは家にいる・・・という冗談はさておき、日本のカミはどこにでもいる。
 
 山詣での噺を聴くと、それが長屋の仲間とのリクリエーションの一環であろうと、日本人の心情の奥底にある自然への信仰心の強さ、日本人の遺伝子、というものに思いが至る。

 山に詣でる前には水垢離をして体を清めるのも、大事な準備。

 『富士詣り』では、急な天候の崩れは、登山する中に五戒(ごかい)を破りながら懺悔の足らない者がいるからだと先達さんに言われ、湯屋で下駄泥棒したことなどや、人妻と深い仲になったことを白状する者が出てくる。

 先達さんが語る、五戒とは次の通り。
 ◇妄語戒(もうごかい):嘘を付いたり人を騙したりすること。
 ◇偸盗戒(ちゅうとうかい):人の物を盗んだり取ったりすること。
 ◇殺生戒(せっしょうかい):殺生して山に登ってはいけない。
 ◇飲酒戒(おんじゅかい):酒を飲んで山に登ってはいけない。
 ◇邪淫戒(じゃいんかい):女を騙したり泣かしたこと。連れ合い以外と交渉を持つこと。

 湯屋の下駄泥棒は偸盗戒、人妻野郎は邪淫戒の罪。

 そうそう、永田町には、妄語戒の罪人であふれている。

 反面教師が、あそこにはたくさんいるなぁ。

 日本は、八百万の神の国だ。
 どこにでも、その行いを凝視しているカミがいる、ということを忘れてはならないだろう。
 もちろん、家にいるカミも、忘れてはならない^^


[PR]
by kogotokoubei | 2017-07-04 12:39 | 年中行事 | Comments(2)

 今年は、旧暦で閏月がある年で、先週土曜二十四日からが閏五月。

 梅雨の雨のことが「五月雨」であって、旧暦の六月は雨が降らないから「水無月」。

 では閏五月ということは、今年は長梅雨になる・・・かどうかは、分からない。
 
 旧暦の四月、五月、六月が夏だから、今年は夏が四か月ある、ということだ。
 そんな暑い季節の年中行事について。

e0337777_08380914.jpg

荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』(集英社新書)

 荒井修さんのこの本からは、何度か引用している。
 2010年12月に集英社新書から発行された本。

 著者荒井修さんは、私より少し年長の“団塊の世代”で、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん、だった。過去形になるのが、実に残念。
 いただいたコメントで初めて荒井さんが昨年亡くなったことを知ったのだが、三月に“しのぶ会”があったことを含めて記事を書いた。
2017年3月24日のブログ

 六月晦日近くの行事などについて、本書から引用したい。

家の中の景色が変わる

 このころになると、「枇杷葉湯売り」なんていうのが来る。枇杷の葉を、甘草(かんぞう)なんかといっしょに煎じたやつを売りに来るんだけど、肌にもいいらしい。それから六月の末には「夏越(なごし)の祓(はらえ)」というのがあるでしょう。ここで上半期が終わりですというね。難をよけたり、けがれを祓うために、茅(ち)の輪をくぐったりもする。
 そのときに「水無月」というお菓子を食べるんです。このお菓子は、三角形のくずの上に大納言、小豆がのかっているんだ。この三角というのは氷をあらわすみたいだね。涼しげなこのお菓子を食べると、夏に入っていく。


 この「水無月」というお菓子の由来については、昨年七月の「小満んの会」で『千両みかん』で小満んのマクラに関連して書いたことがある。
2016年7月22日のブログ

 また、夏越の祓が、季節の変わり目の行事の一つであることは、岡山宇佐八幡神社宮司で民俗学者の神崎宣武の著書『旬の日本文化』から引用して記事にした。
2015年2月3日のブログ

 荒井さんの本の引用を続ける。

 だんだん夏の準備が始まって、徐々に家の空気が変わってくる。まず、ふすまが外されて、すだれがかけられる。部屋の仕切りがすだれになるのね。そうすると、部屋がちょっと広くなった感じになるわけ。それから、茶だんすの中の景色が変わります。たとえば、木製の茶卓が籐の茶卓になったりね。
 これはあたしの時代の話ですよ。江戸時代にはそんなものはないかもしれないけれども、籐の茶卓になると、湯呑み茶碗よりも切子のコップなんかが茶だんすの中に増えてくるんです。で、麦湯がいつも冷まして置いてある。みんな麦茶っていうけど、あれはお茶じゃないですからね。いくら飲んでもカフェインがないから、子供たちでもどんどん飲んでいいわけ。この麦湯に砂糖の入ったやつがいいんだ。友人の橘右之吉さんは「それはぜいたくもんだよ」とか言ってたけどね。たしかに、なかなか砂糖は入れてくれない。親戚のところなんかに行くと出てきたりするけどね。
 それから、風鈴がつられます。江戸風鈴ってガラスだけど、最近のやつは下の切り口のところが、さわっても全然ざらざらしない。つるっとしてる。あれはね、大量生産のものが多いらしいんだけど、昔の風鈴っていうのは、切り口がざらざらしてるんです。そうじゃないと、あの音は出ないらしいですね。
 あたしが好きなのはどちらかというと、おやじかなんかが岩手の方に行ったときに買ってきた南部鉄の風鈴。これはまたちょいとぜいたくなものでね。実にさわりがいいじゃない。ちん、といった後に響くんですよ。これがつってあると、涼しげでいいですな。
 そして、蚊帳をつる金具が部屋の四方に取りつけられて、いつでも蚊帳がつれる状態になる。


 生まれ育った北海道は夏が短く、夏越の祓という風習そのものがなかったので、水無月を食べた記憶はない

 しかし、子供の頃には南部鉄器の風鈴があったことを思い出す。
 家族で一緒に寝る部屋に、蚊帳もつった頃があった。
 蚊帳で思い出すのは、志ん生が貧乏時代に、行商の蚊帳売りから安いのでつい騙されて、破れたボロボロの蚊帳を買った逸話^^


 “夏の風物詩”という言葉がある。
 
 すだれ、水無月、籐、麦湯、風鈴、蚊帳・・・・・・。

 そういったものが、次第に我々の生活から姿を消していく。

 3.11以後、いったんは節電ムードになったが、今では誰も電力消費量などを気にすることもなく、暑ければエアコンをつけっぱなし。

 我が家は、よほど暑くても、できるだけ扇風機だ。

 さて、新暦とはいえ六月師走だ。麦湯と水無月で夏越の祓をしようかな。

[PR]
by kogotokoubei | 2017-06-27 12:44 | 年中行事 | Comments(2)

 今日は、五節句の一つ「上巳の節句」。

 五節句は、次の通り。

 ■人日(じんじつ):正月七日(七草粥の日)
 ■上巳(じょうみ/じょうし):三月三日(ひな祭り)
 ■端午(たんご):五月五日
 ■七夕(しちせき/たなばた):七月七日
 ■重陽(ちょうよう):九月九日

e0337777_10413541.jpg

荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 2010年12月に集英社新書から発行された『江戸・東京 下町の歳時記』の著者荒井修さんは、私より少し年長の“団塊の世代”で、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん。
 
 「はじめに」から、少し引用。
 この本は、あたしの生まれ育った下町と、江戸時代からの歳時記を加えて綴ったものです。もちろん下町とは、江戸城から江戸湾に向かった日本橋あたりから人形町方面をさした言葉で、江戸時代でいうところの浅草は下町エリアではありません。けれども庶民の町で江戸一番の盛り場ですから、下町文化という点では、この地のあれやこれを下町の歳時記とすることには間違いはないと思います。
 それから、歳時記を語る上で難しのは旧暦と新暦。つまり、今と季節が違うときがある。年賀状に「初春」と書くように、昔の暦では一月、二月、三月が「春」で、四月、五月、六月が「夏」、七月、八月、九月が「秋」で、十月、十一月、十二月が「冬」となる。たとえば八月は秋の真ん中ですから、八月の月は中秋の名月となり、いわれてみればごもっとも、となるわけですが、突然「七月は秋」なんて言われたら、面食らったりするでしょう。

 「七夕」は俳句で秋の季語、と書いた拙ブログの記事には、その時期に結構アクセスがある。
2010年7月7日のブログ

 さて、「上巳の節句」について、この本から引用する。

 三月三日は「上巳の節句」。通称「桃の節句」といいます。実は中国の方では、この日に人の形に切った紙、「形代(かたしろ)」っていうんだけど、これで身体を拭うんです。それを川に流して、けがれを祓う。流し雛の原点でもあります。それが日本に伝わって「雛遊び」と結びつき、女の子の節句になるんですね。
 だけど、女の子の節句といっても、室町時代までは普通の町場の人間はやっていないんだね。公家と武家だけ。江戸に入って幕府が推奨して、一般の人もやるようになるんです。
 この日にいちばん繁盛するのは、人形屋に貝屋に、蕎麦屋と酒屋。今でも神田猿楽町に、豊島屋っていう酒屋がありますよ。江戸時代にそこの白酒がいちばんうまいっていわれて、たいへん人気があったんだ。大田蜀山人の『千とせの門』によれば、二月の十八から十九日の朝までに、千四百樽売ったっていうんだね。千四百樽ということは、一升瓶で五万六千本だ。
 これはね、豊島屋の初代十右衛門の夢枕にお雛様が立ったというんです。そのお雛様が、「こうやってつくるとおいしい白酒ができる」って言ったんだって。それでその通りにつくって雛祭り用に販売したら、江戸中の評判になった。江戸中の人がそこに行列して、その日は鳶がガードマンとして手伝っている絵もありますよ。鳶をガードマンとして雇わなきゃならないって、そりゃすごいよね。

 「桃の節句」も、江戸時代に、今につながる文化や風習が醸成された一つの例ということか。
 しかし、新暦三月三日では、まだ桃には早い。
 荒井さんが指摘するように、歳時記は旧暦を元に考えないと、時期のズレがどうしても生じてしまうなぁ。

 ちなみに旧暦三月三日は、今月の三十日。

 白酒で有名な豊島屋は、今も営業している。

 豊島屋本店ブログで、今年も伝統の白酒が出来たことが案内されている。
豊島屋本店ブログの該当記事

 この店、落語『業平文治』にも登場する。
 あの噺について書いた記事に、豊島屋についても少し紹介しているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2015年7月9日のブログ


 引用した文で疑問に思われるかもしれないのが、なぜ貝屋が繁盛するのか、ということだろう。
 実は、こういうこと。
 そのころはちょうど潮干狩りが始まる時季でもありますから、新鮮なハマグリが手に入る。だから、お雛様のところに、ハマグリのお吸い物をあげたりしました。

 これまた、旧暦でなければ、実感できないねぇ。

 なぜ、蕎麦屋が繁盛するか、も疑問だねぇ。
 その答えになる部分も引用しよう。

 それから、お雛様はなるべく早く片づけないといけない。そうじゃないと、縁遠くなるといわれている。片づける前にはお蕎麦をあげて、それから箱におさめて片づけないとだめなんですよ。「お蕎麦をあげてから片づけなきゃ嫁入りが遅くなりますよ」って親が言う。験かつぎみたいなもんだろうね。とにかく、最後はお蕎麦なの。

 昨今、女性が結婚年齢が高くなってきたのは、もしかすると、雛人形を片づけるのが遅かったからか、あるいは、片づける前にお蕎麦をあげなかったからか・・・なんてことはないだろうね。

 この問題を突き詰めていくと、政治がかってくるので、今回はこれ位で。


[PR]
by kogotokoubei | 2017-03-03 12:36 | 年中行事 | Comments(4)

 二月の最初の午の日、初午は稲荷大明神のお祭りの日だ。

 本来は旧暦を元にすべきなのだろうが、全国のお稲荷さんの総本社、伏見稲荷でも今月の最初の午である十二日の日曜にお祭りがあるようだ。
伏見稲荷のサイト

 さすが、総本社。URLも「inari」だけ^^

e0337777_17023665.jpg

『日本の神々と仏』(岩井宏實監修、プレイブックス)

 神社やお寺について、日本人の信仰の歴史を含めて分かりやすく解説してくれる本、『日本の神々と仏』(岩井宏實監修、青春出版社プレイブックス)から「お稲荷さん」とは何か、そして、なぜ初午が祭礼なのか、確認したい。

お稲荷さん

 赤い鳥居に、小さな祠、祠のまえには二尾のキツネ。八幡さま同様、お馴染みのお稲荷さんである。小さな路地から都心のオフィスビル街の片隅、それにデパートの屋上まで日本全国あちらこちらにお稲荷さんを見ることができる。それもそのはず稲荷神社の数は、日本の神社のなかでいちばん多い。それだけ日本人に広く親しまれてきた神なのである。
 お稲荷さんは、字のとおりもともとは稲に関する神だった。五穀をつかさどる倉稲魂(うかのみたま)を祭っている。稲荷大明神はその尊称で、全国のお稲荷さんの総本社は京都の伏見稲荷神社である。
 お稲荷さんは、農耕民族の日本人にぴったりの神なのである。やがて産業の中心が農業から商業へ移ってゆくと、お稲荷さんの御利益も「五穀豊穣」から「商売繁盛」へと変わってゆく。庶民の身近な神さまだけに小むずかしいことはなく、融通がきく。現世的なお願いごとをするには、頼もしい神である。
 二月初めの午の日、すなわち初午の日は、稲荷大明神のお祭りの日である。伏見稲荷の神がこの日に降りてきたという言い伝えが祭日の元になっている。
 この日にお稲荷さんに油揚げを供えるのは、お稲荷さんに仕えるキツネが油揚げが好きだと考えられたからである。油揚げに寿司飯をつめたものを稲荷寿司というのは、ここから来ている。

 その昔、二月の最初の午の日に、神さまが伏見に舞い(?)降りたのだった。

 なお、ウカノミタマという神さまは、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記されているらしい。

 もう少し詳しく知るために、伏見稲荷のサイトから「初午大祭」の説明を確認。
 稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰に初めてご鎮座になった和銅四年二月の初午の日をしのび、大神の広大無辺なるご神威を仰ぎ奉るお祭で、二日前の辰の日に稲荷山の杉と椎の枝で作った“青山飾り”をご本殿以下摂末社に飾りこの日を迎える習わしがあります。
 初午詣は、福詣とも呼ばれ、前日の巳の日から、ご社頭は参詣者で埋まり、京洛初春第一の祭事とされています。
 また社頭で参拝者に授与されている「しるしの杉」は商売繁盛・家内安全の御符(しるし)として、古くから拝受する風習が盛んです。


 和銅四年は、平城遷都の翌年の奈良時代で、西暦なら711年にあたる。
 あの和同開珎の鋳造が始まったのが和銅元(708)年、太安万侶により古事記が完成したのが、和銅五(712)年。日本書紀は少し遅く養老四(720)年の完成だから、両書が世に出る前に、倉稲魂命という存在を稲荷山にいた人々が知っていたのだろうか・・・・・・。
 そんなわけはなくて、伏見稲荷が倉稲魂命を祭っているという文章の記述は、室町時代になってからのことらしい。

 実際に、神がかりなことがあって、そのことが伝承され、後になって、「あれは、倉稲魂命やったんやろな」ということになった、ということか。

 本当のことは・・・神のみぞ知るだ。

 初午に関わる落語となると、やはり『明烏』。
 いつも部屋にこもって「子、のたまわく~」と勉強一筋の時次郎が、初午の日に近所のお稲荷さんで赤飯を三膳ご馳走になった日の物語。

 お稲荷さんや狐に関する落語となると、ネタも多い。
 『王子の狐』、『今戸の狐』、『紋三郎稲荷』、『安兵衛狐』(上方は『天神山』)、『七度狐』、『高倉狐』(上方版の『王子の狐』)、『稲荷俥』などなど。

 初午で思うのは、昨今の節分の恵方巻などというイカサマ年中行事にくらべたら、初午に稲荷寿司を食べることをもっと流行らせてはどうか。

 しっかり根拠のある年中行事であり、ご利益もあるはずだ。
 
 それにしても、こういう行事は、やはり旧暦を元にして欲しいなぁ。

 “青山飾り”をご本殿以下摂末社に飾る明日の辰の金曜も、福詣として前日の巳の日から参詣をする方で賑わう土曜日も、関西は雪の予報。

 もし、旧暦なら初午は二月六日、新暦三月三日。
 雛祭りを白酒で、初午を稲荷寿司で、それこそダブルでお祝いができる。

 しかし、賢明な方は、「うん・・・ちょっと待てよ」と思われるはず。
 「なぜ、雛祭りだけ新暦のままにするんだよ!」とお叱りを受けそうだ。

 もし、疑問を感じない方は、そう言われても、狐につままれたような顔をしているかな^^

 与謝蕪村の句。

  初午や 物種うりに 日のあたる

 初午に、伏見稲荷の縁日で、種売りの店に春の日のあたっている様子が目に浮かぶ。
 種売り・・・やはり、春でしょう。
 だから、こういう行事は旧暦でないとなぁ。

 この週末、伏見稲荷には多くのお店が並ぶだろうが、みなさん、風邪などひかずにね。

[PR]
by kogotokoubei | 2017-02-09 12:55 | 年中行事 | Comments(2)
 節分の恵方巻きキャンペーンが定着しつつあり、テレビで恵方を向いて太巻きを食べているアナウンサーがいたりする・・・・・・。

 目くじら立てて反論するのも大人げないとは思いながら、この時期にコンビニのポスターなどを見ると、あまりいい気分にはなれない。

 古来からの歴史があり生活とも密着した風習がどんどん消えていくなかで、商売に結び付いた偽の風習がはびこるのが、私には不快なのだ。

 このいかがわしい新たな風習について、四年前の節分の記事と重複するが、あえて再度記したい。実は、二年前の節分にも引用しているので、一年おきに書いている^^
2011年2月3日のブログ
2013年2月3日のブログ

 私が、「恵方巻き」キャンペーンに異を唱えるのは理由がある。
(1)風習としての根拠が希薄でほとんど販促イベント
   江戸や明治の大阪や和歌山、滋賀などで、あるいは一説では栃木県で、節分に「恵方巻き」を食べるという風習があったようだが、その由来にも諸説あって、 非常に根拠が希薄。はっきりしているのは、1930年代以降に、大阪鮓商組合が 「節分の丸かぶり寿司」というチラシによるPRをしたこと。 そして2000年代になって、スーパーやコンビニ、寿司のファストフードの全国チェーンが、全国各地で、 「恵方巻き」を売り出した、ということ。
 流行したのは、根強い風習が復活したのではなく、あくまで大阪商法に端を発 し、大手スーパー、コンビニ、寿司ファストフードなどのキャンペーンの結果。
 ちなみに、私は学生時代に関西にいたが、「恵方巻き」なんて聞いたこともない。
 大阪出身の友人などに聞いても、子供時代にそんな習慣があったと言う人は皆無。
 あくまで、私の交遊範囲内ではあるが、関西でこの風習があったとして、非常にニッチなものだったはず。
  

(2)ご利益があるのは売る側だけ
   たとえば、“バレンタインデー”には、チョコレート屋を儲けさせるだけ、とか、ホワイトデーというわけの分からないオマケができた弊害もあるが、ご利益もある。
 なかなか普段自分の思いを打ち明けられない乙女 (今日では、そういう女性は少数派になってはきたが)にとって、この イベントに便乗して、普段は言えない思いを伝える、というご利益だ。
 また、“土用の鰻”は、少なくとも古人の知恵を踏まえており、暑い盛りに滋養を つけることができるだろうから、まんざら悪い風習でもない。だから、平賀源内が発案したというキャンペーンが定着するために大いに貢献はしているが、ご利益もあるのだ。しかし、丑の日に 限って食べることはないなぁ。
 ちなみに、私は、夏・冬の土用に、本来「土用蜆」と言われていた蜆を、なぜもっと産地がPRしないか、不思議でならない。
 さて、この「恵方巻き」だ。「信じる者は救われる」という言葉が出たら、何も言うことができないのだが、節分に食べてとりわけ栄養がつく、ということでもないし、ご利益があるのは販売サイドだけだろう。

 この思いは変わらないのだが、百歩譲って(?)、恵方巻きを認めるとしたら、それに併せて、過去の風習の話題も、ぜひ盛り上げて欲しいと思う。
 
 たとえば、なぜ節分に豆をまくか、などについてまで会話が弾むなら、それは結構なことだ。

 ということで、あらためて節分について。
 節分は、暦の雑節の一つ。
 
 雑節とは、五節句(供)・二十四節気以外の季節の変わり目を知る指標である。
 
 雑節には次のようなものがある。

 節分・彼岸・社日・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日・二百二十日

 この九つに、初午・三元(上元/旧暦1月15日・中元/旧暦7月15日・下元/旧暦10月15日)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。

 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、かろうじて今も生き延びている。

 初午は、今では落語でしか聞かない言葉になったような気がする。

 上元は、日本では小正月となって、ついこの前まで風習として残っていたのだが、今ではほとんど話題にもならない。
 付け加えると、なぜ旧暦1月15日を祝うかというと、その年最初に月が満ちるからである。新暦で小正月を祝おうにも、月はどうなっているものやら、なのである。

 中元は、中国仏教では先祖の霊の供養で盂蘭盆会を行うことから、日本のお盆につながっている。今では、「夏の元気な贈り物」の名として残った^^

 中国で先祖の霊を祀る下元に相当する行事は日本にはないが、この前後の日に、収獲を感謝する東日本中心に残る十日夜(とおかんや)、西日本地域の亥の子が、下元の日本的な風習と言えるかもしれない。
 
 土用は、今では夏の土用だけを話題にするが、本来は二十四節気の四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつを言う。

 そして、節分は、季節の変わり目の前日のことであり、四立の前日は、すべて節分。しかし、江戸時代以降、立春の前日のみを指すようになったようだ。
 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、邪気を追い払うための悪霊ばらいの行事が行われる。邪気を追い払う、いわば“厄払い”の行事としての代表が「豆まき」。もちろん、落語にもある「厄払い」も同様の理由である。

 「厄払い」は、古くは節分の行事だった。立春から年が改まると考えられていたので、前日の節分の風習だったのだが、江戸時代中期から、大晦日や冬至などにも行われるようになった。

 ここ数日の落語会や寄席で、どれほどの噺家が『厄払い』をかけるかわからないが、ぜひ残してほしいネタだ。
 ちなみに、私は二年前の2月に三遊亭兼好、4年前1月に柳家小満ん、そして5年前1月に柳亭市馬で聴いている。

e0337777_11133886.png

矢野誠一 『新版 落語手帖』

 落語の‘広辞苑’とでも言うべき、矢野誠一さんの『新版 落語手帖』から『厄払い』の口上をご紹介。

「ああら、めでたいなめでたいな、今晩今宵のご祝儀に、目出たきことにて払おうなら、まず一夜あければ元朝の、門に松竹しめ飾り、床にだいだい鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大介百六ツ、この三長年が集りて、酒盛りいたす折からに、悪魔外道がとんで出て、さまたげなさんとするところを、この厄払いがかいつかみ、西の海への思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山のほうへサラリ、サラリ」


 ご覧のように、めでたい言葉を連ねて厄を払おう、という風習。与太郎さんが覚えるのは大変なのだ^^

 恵方に関して言うなら、落語には『恵方詣り』別名『山号寺号』があるが、お知りになりたい方は、四年前の記事をごご覧のほどを。


e0337777_11133828.jpg

神崎宣武著『旬の日本文化』(角川ソフィア文庫)
 
 岡山宇佐八幡神社宮司で民俗学者、神崎宣武著『旬の日本文化』から、引用したい。
 
 まず、季節のかわり目の‘お祓い’について。

 季節のかわり目(俗に節気といった)には、邪気がしのびこみやすいとして、さまざまな祓い(払い)の行事が発達をみたが、その節気はところによりさまざまあった。よく知られるのが節供であり、五節供(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のほかにも、八朔(八月一日)を節供に数えるところもあった。それに夏越(なごし)(六月晦日)や年越し(十二月晦日)も節気として、祓いをする習俗を伝える。中国伝来のもうひとつの暦法である「二十四節気」にしたがえば、年間には二十三のかわり目があることになる。ということで、四つの節分までをも加えるのは、あまりにも煩瑣であったから省きがちにもなったのだろう。
 さらに、仏教の追儺(ついな)の行事が、この節分に重なったことで広く年中行事化をみたのである。



 ということで、追儺のことを含め、節分の説明が続く。

 節分の祓いは、「豆撒き」に象徴される。
 節分の豆撒きは、いまや全国的に共通の行事となっている。「鬼は外、福は内」の唱えごとも共通している。
 現在に伝わる節分の豆撒きは、二つの異なる系統の行事が複合したものなのである。
 ひとつは、中国から伝来の「追儺」。もとは、陰陽道の除夜行事であった。そこで疫鬼(やっき)を退治する模擬演技を「鬼やらい」といった。
 それが、宮中から仏寺に広まり、現在の節分会につながる。その過程で、鬼やらいは、豆撒きとなった。豆を石つぶてに見立てた、とも解釈できる。また、穀霊をもって悪霊を封じる、とも解釈できる。
 もうひとつの流れは、先述した「節気祓い」の伝統。仏教や陰陽道の伝来以前からの土着の行事、とみればよい。
季節のかわり目に悪霊がしのびこんで災禍をもたらすことを祓う(払う)行事である。端午の節句でのヨモギとショウブの軒差しや、夏越の祓いの茅の輪くぐりと同様のまじない、とすればよい。



 たかが豆撒きといっても、実は、その奥は深いのである。
 そして、「節気祓い」の風習は、豆撒きだけではないことが、説明されている。

 節分では、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して軒に差す風習が伝わる。それに、豆がらやトベラ、タラの小枝などを添えることもある。それは、イワシが放つ悪臭やヒイラギ、トベラ、タラの鋭いトゲが鬼のきらいなものとされたからにほかならない。
 単にイワシの頭を用いるだけではない。イワシを丸ごと用いる例もあれば、いちど焼いたイワシを用いる例もある。イワシを焼くのは、異臭をより強調するため。また、それを玄関や勝手口で焼いて煙をたてるのも、そこから邪気悪霊が入り込むのを防ごうとするからである。イワシを焼くとき、呪文を唱える例も少なくない。それは、念には念を入れておまじないを行なおうとしてのこと。なお、「イワシの頭も信心から」という言葉は、この節分の魔除けのイワシにちなんでのことである。同様の理由から、ニンニク、ネギ、髪の毛などをぶら下げておくところもある。
 その節気祓いに、鬼やらいの豆打ちもとりいれられて今日に伝わるのである。


 ニンニクで邪気を払うなんてのは、吸血鬼対策とも共通する。

 「柊(ひいらぎ)イワシ」を軒に差す家なんて、今ではとんと見かけないなぁ。

 ここで思いついた。

 魚屋さんと手を組んで、「節分にはイワシを食べよう!」キャンペーンを組んだらどうだろう。
 
 これなら、古来のお祓いの風習を踏んでいる‘由緒正しい’伝統の復活にもなるはず。

 しかし、誰も、そんな‘臭い’話には乗ってこないか^^
[PR]
by kogotokoubei | 2015-02-03 00:15 | 年中行事 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛