噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:落語関連イベント( 2 )

 福島第一原発事故のために全町が避難している大熊町の人々。
 避難先の会津若松市で、落語を楽しむ企画が実施されたようだ。
 河北新報から引用。
「河北新報」の該当記事

<全町避難>笑いを教育に 小中授業に落語や漫才

 東京電力福島第1原発事故で全町避難する福島県大熊町教委は本年度、小中学校の授業に笑いを取り入れるプロジェクトを始めた。避難生活が長期化する子どもたちの心を癒やし、コミュニケーション力を育てるのが狙いだ。
 会津若松市の大熊中仮校舎で22日、落語教室が開かれた。上方落語家桂雀太さん(40)が全生徒16人を前に授業をした。
 阪神大震災直後に大学を受験した時の様子をネタにした話や古典落語「まんじゅうこわい」を披露。教室は大きな笑いに包まれた。
 3年箭内朱里さん(14)は「想像以上に楽しい。体を使った表現がすごかった」と驚いた様子。3年植村篤史さん(14)は「日本に昔からある文化に触れられ面白かった」と語った。
 桂さんは「子どもたちはいろんな苦労があるだろうが、客観的に見て笑い飛ばせるように心の余裕を持つと、もっと軽やかに人生を進めると思う」と述べた。
 桂さんを交えたパネル討論もあった。「教育と笑いの会」名誉会長で植草学園大(千葉市)の野口芳宏名誉教授、町教委、PTAの関係者が「教育における笑いの効用」をテーマに意見を交わした。
 大熊中は6~7月、福島県に住みながら活動するお笑いコンビ「ぺんぎんナッツ」を講師に招き、生徒が漫才を学ぶ講座を計4回実施する。
2017年5月23日火曜日

 桂雀太は、雀三郎の弟子で、昨年のNHK新人落語大賞受賞者。
 なかなか良いことをするではないか。

 図らずも、避難先で初めて落語に接し笑ったことは、彼ら中学生の一生の思い出になるかもしれない。

 この記事を読んで、ある作家の言葉を思い出した。

 以前、伊集院靜への対談を「宅ファイル便」のサイトから紹介した。
2011年4月26日のブログ
 重複するが、再度対談記事から引用する。

夏目雅子さんが亡くなったのは1985年9月11日です。伊集院さんにとって、そのことを語るには25年もの年月が必要だったわけですね?

「死は哀しいものです。しかしそれは、『二度と会えなくなる』という意味において、それ以上でも以下のものでもありません。そのことに気づくには、それなりの時間がかかったけど、哀しみには終わりが来るんです。
私は、数年前に観た映画のこんなセリフに心を打たれました。チェチェンの老婆がそこで、こんなことを語ったんです。『あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ』と」

 彼が見たであろう映画『チェチェンへ アレクサンドラの旅』の老婆の言葉、“哀しみにも終わりがあるのよ”には、なんとも深い、そして強いメッセージ性があるように思う。


 震災、原発事故からの復興は、まだ道半ばと言って良いだろう。
 親族を失った方の心中は察するに余りある。
 その喪失感、哀しみの辛さは、余人にはわからないものだろう。

 しかし、残された者は、前に向かって歩き出さなくてはならない。

 哀しみにも終わりがあって欲しい。
 
 その哀しみの終わりに笑いがあったのなら、なお良いだろう。

 河北の記事と伊集院靜の言葉から連想したのが、エレファントカシマシの「悲しみの果て」という歌。

 その歌詞の一部は、こうなっている。

 169.png涙のあとには
   笑いがあるはずさ
   誰かが言ってた
   本当なんだろう
   いつもの俺を
   笑っちまうんだろう

   部屋を飾ろう
   コーヒーを飲もう
   花を飾ってくれよ
   いつもの部屋に

   悲しみの果てに
   何があるかなんて
   悲しみの果ては
   素晴らしい日々を
   送っていこうぜ


 そうなのだ。
 最近、エレカシの歌が好きになって、携帯音楽プレーヤーでもよく聴く。
 実は、先日のテニス合宿の夕食後、カラオケでこの歌を初めて歌った^^
 

 映画や歌にも、人の心を動かすだけの力があると思う。

 そして、落語を聴くことで、重く暗かった心が開いて忘れていた笑いを引き出すことがきるのなら、落語という芸能にも実に大きな力があるということだろう。

 昨年、一週間余りの入院を経験したが、手術前夜や手術後の就寝前には携帯音楽プレーヤーでひたすら落語を聴いた。枝雀のネタなどでは、ベッド上で笑いをこらえるのに苦労した^^

 同じ病で手術を受けた同室の若者よりも回復が早かったのは、偶然ではなく、落語のおかげもあっただろうと実感している。

 大熊町の人々は故郷をほぼ永遠に近く失う可能性が高い。

 住もうにも、生きてはいけない放射能が残っている。

 別の土地で新たな人生を踏み出す時、笑いは大きな後押しをしてくれるように思う。

 大熊町のような「笑い」を取り戻すための企画、ぜひ、他の避難地域でも開催されることを期待したい。

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by kogotokoubei | 2017-05-24 12:49 | 落語関連イベント | Comments(2)

 8月11日の円朝の祥月命日が近づいてきた。

 そう、8月11日は「山の日」よりも、落語愛好家にとっては、「円朝の命日」として記憶に刻まれているのだ。

 考え方次第か。
 国民こぞって円朝の供養をするための祝日、と考えよう。

 しかし、そのうち「山の日」は、ハッピー・マンデーになるのだろうから、11日が祝日であるのも、数年の間だけなのだろうなぁ。

 さて、今日8月1日から、谷中の全生庵で円朝の幽霊画コレクションが公開される。
 全生庵ホームページから引用する。

全生庵のホームページ
ごあいさつ

 三遊亭円朝(一八三九~一九〇〇)は幕末から明治にかけて落語界の大看板であると共に、「怪談牡丹燈籠」「真景累ヶ淵」「文七元結」などの原作者としても広く知られております。そして、今なお落語界はもとより歌舞伎をはじめ、演芸界全般に多大な影響を与え続けております。

 また人格面においても、全生庵開基・山岡鉄舟の導きにより禅をよく修し、その淵源を極め、京都天竜寺の滴水禅師より「無舌居士」の号を付与され「芸禅一如」の境涯に達した人物であります。

 全生庵に所蔵しております円朝遺愛の幽霊画コレクションは、円朝歿後その名跡を守られてきた藤浦家より寄贈されました。伝円山応挙というものから、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖、伊藤 晴雨、河鍋暁斎など、幕末から明治の著名な画家達の筆による大変ユニークな幽霊画でございます。

 全生庵では、毎年、円朝忌の行われる八月の一ヶ月間、幽霊画全幅を公開しております。十一日の円朝忌には、落語家により盛大な供養の会も行われまして、大勢の方々にお越しいただいております。

 円朝辞世の句 「耳しいて聞きさだめけり露の音」 全生庵七世住職 平井正修
 2011年までは、落語協会の「円朝まつり」として、命日近くの日曜日に多くの屋台も出て、落語愛好家の方が多数詰めかけたようだが、私は行く機会がなかった。
 
 円朝まつりでは、2010年に喜多八がキタナヅカを披露したことを思い出す方も多いかもしれない・・・・・・。


 今は、命日の11日に「円朝忌」として落語家だけの供養が行われる、当月の間はこの幽霊画の公開という企画、屋台と人ごみの喧噪の中での供養よりも、ずっと相応しいように思う。

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森まゆみ著『円朝ざんまい』(文春文庫)
 全生庵の幽霊画で思い浮かべるのは、森まゆみさんの著『円朝ざんまい』の冒頭にある、中学時代の思い出のことだ。

 この本は、次のように始まる。
 中学三年生の夏、私は家の改築のため荒川区日暮里の路地裏、木賃アパートの二階に住んでいた。生意気ざかり、反抗期であった私は、狭いアパートでよく家族、ことに父親と衝突し、それを避けるためになるたけ家に帰らず、台東区谷中や日暮里の町を徘徊していた。昭和四十四年(1969)の話である。
 夏休み、谷中三崎坂中腹のとある寺、入っていくと古びた庫裏の玄関に鉦があって、近代不世出の噺家、三遊亭円朝の収集による幽霊画の参観を希望する方はどうぞお上がりください、とある。上がると、畳の広間の周囲にお化けの描かれた軸が何十幅も、開け放した窓から入る風にハタハタと揺れていた。怖かった。落語の神様といわれる三遊亭円朝の名を知ったのはこのときである。この人の墓もこの寺全生庵にあった。

 森まゆみさんにとって、円朝との出会いは、この幽霊画の怖い思い出と一体化しているということか。

 しかし、今の世の中、円朝の怪談噺にも負けないような残虐な事件が頻発しているなぁ。
 
 円朝が、現代に生きていて怪談を創作するとしたら、いったいどんな噺になるだろうか。
 とても、カランコロンなんて下駄の音がするような、一種優雅さもある内容にはならないいだろう。

 なんとか、期間中に応挙の画などに接したいと思っている。

 『応挙の幽霊』という噺を味わうための予習でもあるが、何かと野暮用続きで、行けるものやら・・・・・・。

 
 
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by kogotokoubei | 2016-08-01 22:36 | 落語関連イベント | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛