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カテゴリ:志ん朝 大須の「まくら」( 6 )

 毎日更新されるので、頻繁に訪ねる噺家さんのブログは、古今亭志ん輔の「日々是凡日」と春風亭柳朝の「総領の甚六」、そして最近は立川談四楼のツイッターかな。

 今日の柳朝の記事は、実に興味深かった。
春風亭柳朝のブログの該当記事

 なぜなら、古今亭志ん朝の大須演芸場の独演会の、ある高座での事件(ハプニング)の真相が判明するからである。

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)
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 *印が、初CD化のネタである。

 上の表は、『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元にした大須の公演日と演目の一覧表。
 
 その事件は、大須9年目、平成10(1998)年、初日11月9日の二席目の『火事息子』のマクラの時に起こった。

 なんと、この演目の冒頭で、大須演芸場の消火器のピンが抜け、白煙を撒き散らしたのであった。

 柳朝のブログでは、この事件を引き起こしたある噺家さんが写真つきで登場。
 その写真は、その噺家さんの話の聞き手、そういった楽屋ネタを高座でかけることが大好きな噺家さんとのツーショット。

 へぇ、そうだったんだ、あの事件の真相は^^

 このマクラは、まだ書き起こしていないので、次に取り上げるつもり。

 コメント欄がないので、柳朝にはリンクのことを連絡できないのだが、おかげで、大須の謎の一つが解けた。柳朝、ありがとう!

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by kogotokoubei | 2017-02-21 12:53 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(0)
 久しぶりに、志ん朝の大須のマクラ聞き書き、である。

 今回は、あの「志ん朝七夜」の中で、唯一音源が発売されなかった『首提灯』の、大須でのマクラ。

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)

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 *印が、初CD化のネタである。

 上にある、『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元にした大須の公演日と演目の一覧表で確認できるように、大須三年目、平成4(1992)年の二日目の一席。

 本編も貴重だが、マクラが、また実に良いのだ。
 古い言葉が通じなくなってきたことへの嘆き、分かるなぁ。

 では、さっそく。

 え~、二日目でございまして、一杯のお運びで本当にぃありがたく御礼を申し上げます。うゥ、やっぱりこの皆様方がお出でいただけてるのと、なんか今日は用があってどうも行かれないだなんというような、そういう時とはずいぶんやっぱりこっちのこの張り合いというものが違いましてね。うゥ、昨日(きのう)はまたお子さんがお見えになっていたりなんかして、お子さんが落語を真剣に聞いてて、わーっと受けたりなんかすると、なんか照れくさいというか、そんな気持ちになります。でもゥ、考えるとあの、えー子供の時分から落語なんというものを聴いているというのは、大変にあのいいんですよ。そのお子さんのこの情操教育にね、大変にいいんです。あの今なんか本当になんか物をその何と言うんでしょうか、別に知らなくたっていいんだよそんなこたぁ、自由なんだよ、なんというような、大変におおらかな大人もいますから、そういう人の意見に従っているってえと、うぅな~んにも分からなくなる、というようなことってのがよくあるもんですよ、えー。
 こないだもそうですけど、昨日ですね、ここに来てらっしゃった、ある若い女性と、一緒にこの食事をする機会があって、別にどおってことじゃないんです、ある方にご招待を受けまして、そこへ一緒にそのお見えになった。話をしてましたらね、煮こごりというのが、あんまりご存じないみたいですね、煮こごり、ねぇ。煮こごりって何なんです、なんと言うんでね、そうなるってえと、こっちにいくらか知識がありますから、こういうもんだよ、なんてぇんで教えて、まぁその一つや二つ教えている時にはなんかこうちょっと優越感で気分がいいんですけど、あんまり分かんなくなってくるってぇと腹が立つなんてぇことがある。
 54歳の志ん朝の口調は、実に明るいし、古くからの知り合いの前で語るように、自然体で結構だ。

 知っている人は、言葉の出だしの、あの「うゥ」というなんとも言えない間投詞を思い浮かべて欲しい。
 たしかに、今では、昔のことなど知らなくってもいい、という「おおらかな大人」ばかりになってきたなぁ。
 古いことが大好きな私としては、実に悪しき傾向だ。

 さて、この後、若い子に直接確認した調査(?)に基づき、どんな言葉が死語化しているのか、ということに続いている。

 どっか飲みに行って、近頃、私の娘でも不思議はないなというような若い女の子やなんかが側に来て話し相手になってくれますから、そういう時にいろいろと聞くんです。うゥ、というのは、私たちはどっちかと言うとあんまり新しいことはしゃべれませんから、古いこと専門になってくるってぇと、どうもこの商売上困るんです。これからその若い子たちが育っていって、落語を聞いてくれるかどうか、聞いて分かるか分からないか、なんというようなことになってくるとね、えぇ。ですから、いろんなことを質問しますよ。粗忽なんて言葉も分からないですね。粗忽ってのは、何なんですか、ってね。お若い方の中で、今日お見えになってらっしゃる方で、ご存じない方もいるかもしれません。シーンとしたところを見ると、ご存じないかもしれない。そそっかしい人のことを言うんですよ、粗忽と、粗忽者なんてぇこと言うの聞いたことない、聞いたことありません、なんと言うんでね、はっきり断られっちゃう
 で、こうなるとこっちも面白いなぁと思っていろんなことを聞くんですよ。雪隠って知ってる、とかね、ハバカリってなんだか分かる、とか。そやって聞いてたんですよ。そしたら、やっぱり私たちの噺のほうは昔の住居が出てきますから、行灯って知ってるってたら、知らない人のほうが多いですよ、若い子で、行灯。「行灯知ってる」「知りません」「なんだと思う」「食べ物ですか」・・・よく聞いたらね、天丼だとかカツ丼だとか、そういう類(たぐい)だと思ってるらしいんです。その想像も素晴らしいんです。っていうのは結局、なんかあんかけのなんかどんぶり物じゃないか、とそれがあんどん。はぁ、いいなぁと思ってね、嬉しくなりましたね、えぇ。よく時代劇なんかでもって灯りがつくでしょう、家(うち)ん中で、あれが行灯よ、あぁそうですか。敷居は知ってるったら、敷居は知ってますね、鴨居は、ったら鴨居は分からない。鴨居が分からないから、長押(なげし)はよけい分からない。というようなことになってる、ねぇ。
 これは、急にこういう話になっちゃって、私もこれから先のことでもって、皆さま方にお願いがあるんですが。おうちのお子さんにねぇ、やっぱりたとえ嫌がっても、教えた方がいいですよ、日本のことですから。外国のことじゃないんですから。で、外国のことが分かるかってぇとそうでもないでしょう、中途半端になんちゃうんですよ。

 敷居はOK、鴨居はNG、だから長押は、もちろんNG、という調査結果だったようだ。
 長押(なげし)は、『野ざらし』を聴けば分かるでしょうにね。
 学校で教えないことは、落語に教わるのです!
 
 さて、この後はどうなっているか、というと。
 あのゥ、娯楽がねぇそうなんですねぇ、昨日(きのう)お子さんお見えになってて、ご兄弟、たしかご兄弟です、こちらの方にお見えになってましてね、お父さんとお母さん、ねぇ、大変よく噺を聴いてくれて、受けてくれて、私ありがたいなと思ってたんですけど。あのゥ、私達子どもの時分にはですね、テレビというものは小さい時はなかったですから、そうすると娯楽はまず、おもてへ出かけない時には、うちではラジオです。そのラジオに晩飯ん時に流れてくる歌謡曲であるとか、ねぇ、それからまた演芸もんで浪曲であるとか講談だ落語だなんというのを、まず大人が権利があったんですよ、昔は、大人が、ねぇ。それに子どもが従って、一緒に付き合って聞いてたんです。だから、歌謡曲を覚えちゃう、ねぇ。えぇ。なに、子どものくせに、そんな歌、唄って、なんてんでね。なんにも分かんないで、恋だとか愛だとか、そんなこと言ってたんですから。そういうものを覚える。それと同時に、こんだぁ落語やなんかを聞いて、なんかこう、女郎買いってのは、ああ、だいたいこんなものかな、というような。想像がつくんですね。それから、いろんな細かい言葉遣いだとか、道具の、いわゆる名前とか、そういうものやなんか、自然にこう覚えてくる。別になに学校で教わらなくったって、そういうことやなんか、結構知ってたんです。今は、教わらないと、知らないから、だから「知ってる」っていうと、「知りません。学校で習わないから」、ぴしっと言葉返されちゃう、ぴしーっと、「知りませんよ、そんなことは」、なーんてね。「聞いたあなたが悪いんだ」てな顔をして、怒られことずいぶんあるんです。でー、このぅ、今はどちらかと言うと、お子さんが主導権を握って、それに、情けないことに大人が付き合って見ているから、大人の程度がまた下がっちゃって、テレビの、しょっちゅう出ているタレントさんしか、分からなくなる、というような、そういう現象になっちゃった。こりゃぁ、いけませんよ。ねぇ。いわゆる、お仕着せ文化ですから。向こうがお仕着せ、出してくれる物、そうですかって、全部、すべていいんですから。これしか知らないんですよ、自分がもの選ばないんですから、えぇ。子どもと一緒になって、「おもしろい、なんちゃん、そう、この人が、へぇ~」なんつって、ぽーっとしちゃう。大人の方、気をつけてくださいよ。ねぇ、だんだんそうなってくるんですから。えぇ。まぁ、これね自分のうちの話ですよ。やっぱり、そのぅ、ああこういうふうになっちゃったのかなと思うのは、子どもの番組というか、ヤングの番組、そういうものを見ていると、たとえば、他の番組がありますね、そっちは一切見ない。目を向けない、耳を貸さない、というあれですから、私なんかわりに小うるさいから、子どもがいると、私が見ている、たとえば時代劇やなんかをこう見ていると、一所懸命説明するんですよ。これは、こうだ、あぁだ、なんて言うとね、「フーン、フーン」なんて言ってね、今、その子どもが二十歳になりました。

 この後に、某ビール会社のCM撮影の時の撮影スタッフとの会話の思い出で、昔の映画が話題になり、ドク・ホリディのことを志ん朝が語り、日本なら平手造酒と言ったが、そのS社の麦芽100%のビールMのCM撮影スタッフで平手造酒を知っていたのは、たった一人だったのこと。
 志ん朝、ご子息にも、平手造酒を知っているか、と聞いてみたようだが、そりゃあ、無理だよね。似た名前の女性歌手(ヒラヤマミキ、か)と勘違い。
 
  「大利根月夜」(田端義夫)、いい歌だよねぇ。


 マクラの中の言葉、“やっぱりたとえ嫌がっても、教えた方がいいですよ、日本のことですから”、で、ここしばらく馴染み深くなった初代快楽亭ブラックのことを思いだした。
 
 そのうち、浅草にいる旅行者のガイジンさんから、日本の若者は、日本の歴史や伝統を教わるようになりはしないか・・・・・・。


 志ん朝、このマクラでは、メディアへの批判もやんわりと交えて、日本の伝統を大事にして欲しい、といった持論を伸び伸びと語っていて、聴く方も、つい「その通り!」と相槌をを打ってしまうのだった。
 
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by kogotokoubei | 2016-03-26 20:33 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(6)
このシリーズの4回目。
 

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)


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 *印が、初CD化のネタである。

 今回は、『時そば』のまくらにした。

 上にある、『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元にした大須の公演日と演目の一覧表で確認できるように、最後の年、平成11(1999)年の初日の一席目を選んだ。

 なぜなら・・・実際にこの日の会に行かれた方から、貴重なコメントをいただいた。会場で写真を撮っていたお客さんに志ん朝が、やんわりと注意をしてくれた、とのこと。以前にこの音源を聞いていたのだが、私はそれを忘れていた。
 再度聞きなおして、「あっ、これか!」と思い出した次第。

 初出しのネタも貴重だが、まくらも非常に楽しいし、その場面の扱いも粋なのだ。

 亡くなる二年間で、やや体のことで愚痴っぽいことも語られる。
 聞いていて、少し辛くならないでもないが、あえて振り返りたい。


 ありがとうございます。うゥ-、今年で十回目でございます。十年続けるというのは、なかなか容易なこっちゃございませんでね。まぁそりゃぁそのゥ、お客様がたのおかげには違いないんです。ねぇ。またぁ、ここの社長ですとか、世話役さん、ねぇ、皆さんのおかげでございます。うゥ、あたしも褒めてやりたいなと自分で思っておりますが、うゥ、十年ひと昔ってぇますけどねぇ、昔始まったんですよ、これ、ねぇ。そん時はまだ若かったっすな。十年も経つとだんだんだんだん人間様子が変わってまいりましてね。うゥ、なんかこう、この頃、疲れて疲れてね。しょうがないですよ。うゥ、あの、どういうことを普段してるんですか、なんてなことを聞かれることがある。あんまり、なんかしなくなりました、っすね。道楽が減っちゃったン。なんか、あんまり、おもしろくいないんです。何をやっても。うゥ、まぁ、たとえば昔は、外国へ行くのが夢で、ねぇ、なんかお金が貯まって暇ができるってぇと、ひとつ、じゃあ外国へ行こう、なんということを考えてたんですが、行って帰って来るってえと、またすぐに行きたくなったもんです・・・今ちっとも、そんな気がない、ねぇ。一時ほんとにカメラなんかに懲ったことがありましてねぇ。前にもお話したかもしれませんけども、とにかく、旅へ行くなんてぇとねぇ、こっちの方にモノクロのフィルム入れたカメラと、こっちにカラーの方と、なんというんでね、重い思いをして行ったんですが、今もゥなんにも持ってかない。ねぇ。あっちこち歩きまわっていろいろ写真撮ったのが、まるで表を歩かない。いけないですね、こういうのは。いちばん自分で危険だなと思ってましたがね、あのゥ、通販で買ってうちに大きな椅子があるんですよ。テレビの前に置いてある。そりゃなんかスィッチを入れると、背中をワァーンと揉んでくれたりなんかする、ねぇ。で、朝起きて湯に入って、軽くこのビールの小瓶なんぞをグーッと飲んで、おまんまをいただいて、で、楊枝つかいながら、そぼテレビの前でもって、ボーッとしているのが、一番良かったんです。こりゃやっぱ危険ですなぁ。どうも調子がおかしいなぁと思って、やっぱりね、人間ドックにお入んなさいなんてなことを言われて、人間ドックに入って調べてもらったら、「血糖値が高いんだ、あぁた、ねぇ、だめですよ」なんてなこと言われてね、えぇ、「こういうことしちゃいけません、こういうことで、こういうことで、ああいうことで」、聞いているうちにだんだんだんだん気が重くなってくる。そりゃしょうがないですね、ちゃーんと注意をしてくださるんですから。そりゃ、ありがたいなと思わなければいけないんですけれども、酒、飲まないほうがいいたってねぇ、そりゃなかなかそうはいかないですよ。ねぇ。この商売は、毎日毎日寄席出てるってぇと、その都度、なんなんですから、ストレスがたまるんンすから。ねぇ。あっ、うけた、とか、うけなかっただとか、いろんなことになるもんでございます。ねぇ。その都度終わって、クッこんなになって、どうしたって飲みますよ、ねぇ。そりゃしょうがないン。だから、そんなこと言わないでくださいよって言ったんですけども、体悪くするよりゃそのほうがいいでしょ、ってなこと言われると、がっかりしちゃってね、ええ。

 体調は良くなかったことが、察せられる。

 この次に、問題の場面が登場。
 名前を呼んでいるので、ご常連さんか、スタッフの方なのかもしれない。
 ただし、名前はご本人の名誉のために、Kとする。

 そして後半、同期の仲間との会話、というのが頗る楽しい。昔は「酒」か「女」か、だったのは、今では・・・・・・。

 どうぞ・・・Kさん、Kさん、、向こう行った、どうもありがとうございます。そんなもんで十分でござんしょう。ねぇ、うウ、何枚撮ってもあんまり良くないですよ、最初の一枚が一番いいんだから。ありがとうございます、どうも、ねぇ。あたしゃ構わないンすよ、写真なんかしょっちゅう撮られてますから、他のお客さんが気になるんでね、ちょいとすいません、も、お休みしてください。はい、どうも。
 うゥ、もう写真撮られなくなったら、もうおしまいですけどね。ありがたいな、とは思っておりますが。
 うゥ、その、なんの話してんだか忘れちゃいました。ほんと、なんですねぇ、だんだんそのいろんなことが面倒くさくなって、それで、まぁ、高座へ上がって噺するなんというのも、だんだん面倒くさく・・・今だってほんとはやりたくないン。やりたくないけども、私はそういうところ、とても律儀ですから。これ、こういうような状態だと、立川談志だと、来ないよ。偉いねぇ、あの人は。感心しちゃいますよ。平気でストーンってんで来ないんですから。そいで騙されたお客が、またやったよあいつは、なんてんで喜んでるんですから。ちょっと変態の気味がありますかな。
 うゥ、もうとにかく、私どもの同期会というねぇ、会がありまして、鈴々舎馬風だとか林家こん平だとかね、今の文楽だとか、そのへんがみんな同じ時期に前座で修業をいたしました。ねぇ、みんなでもってひとつ会でもつくって、お互い励ましあおうじゃねぇかって、なんというんでね、年に一回づつ旅行に行くんですよ、ねぇ。みんな芸人ですから、若づくりにしてますよぉ。ねぇ。だけど、はっきり出てきちゃう、ねぇ。動きに現われる。なんかあると、すぐどっかにつかまりたがるン。もう、すぐ分かっちゃいますよ。ねぇ、楽屋で話してることだってねぇ、昔はもうたいへんですよたいがい決まってるン、こないだのコレどうしたい、なんてなこと言ってたんすが、今そういうこと言いません、どう血圧は・・・ねぇ、あウ、おめえ酒と女とどっちか取れって言ったらどっち取る、なんてなこと言ってたんですが、今そんなこと言いませんな、あゥ、おめぇ毛と歯とどっちが欲しい・・・両方欲しいですけどねぇ、なかなかうまくいかないもんっすよ、ねぇ。ほんとうにいろんなことがありますけども、しかしねぇ、こういう商売だからやってられるんですよぉ、ねぇ、のんきなもんですよ。それこそもウ無責任なことを言ってても大丈夫ですしねぇ、えぇ、あんまりしゃべってていきなり、表に出るとたんにブスッとやられたなんというような、そんな話は聞いたことがない。ねぇ。うゥ、だからほんとうにねぇ体にはいいはずなんです。いいはずなんですけど、甘え過ぎちゃって、だんだんだんだんあっちが痛ぇ、こっちが悪いなんてぇなことになってくるんでね。どうか一つ、皆様方の方こそ、お体気をつけていただいて、ほんとうに、体だいじにしてくださぁい、って人がいたけど、ねぇ、ほんとうにあのウしみじみそう思いますなァ、あの言葉を聞くってぇと、えぇ、やっぱり体は大事にしなきゃいけません。うウ、病院行ってごらんなさい、こんなに具合が悪い人いっぱいいるんだ、世の中に、と思いますよ、ねぇ。なかなか自分の順番が来なくってね、みんなイライラして待ってますが、慣れてる人は平気な顔して待ってますな、あぁ、あそこまでいくとたいしたもんでございますが。
 うゥ、まぁどっちに転んでも馬鹿なことを言っているという、この商売でございまして、あまりムキにならずに聞いていただきますよう、よろしくお願いをいたします。
 うゥ、召し上がりもの、ねぇ、よくあの江戸っ子は妙なことを自慢にいたしましてね、おらぁ蕎麦っくいだよ、なんてぇことを申しまして・・・・・・。

 写真を撮る人への、“大人の”のたしなめ方も結構だし、なにより同期の仲間との会話、という話が楽しい。

 このまくらを、「毛と歯」と称する落語愛好家の方もいらっしゃるはず^^

 今回は、これにて、お開き。

 さてさて、次回は何にしようかなぁ。結構、悩ませるのだよ、傑作が多くて。
 
 「毛と歯」、どっちも欲しいなぁ・・・・・・。要するに、どちらも風前のともしび状態なのである^^
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by kogotokoubei | 2014-10-25 08:29 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(4)
大須のまくらシリーズ(?)の第三弾。
 まず、 『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元にした、公演日と演目の一覧表を確認。

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)

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 *印が、初CD化のネタ。

 一回目と二回目は、10年間の独演会の大初日、1990年10月4日の二席のまくらを書き起こした。
 
 次はどれにしようかと、結構迷ったが、7年目の初日二席目、『碁泥』のまくらにした。

 大須では住吉踊りのことをよく話題にしていたが、その中でもこのまくらでは、いろんな芸人さんのことが、何とも楽しく紹介されていて印象的だ。

 えぇ、ただいまはまた、歌る多くんで、踊りなどを踊って、華やかでなかなかやはりご婦人てぇのはよろしいですね。うウ、あたくしが音頭とりになって、住吉踊りの会というのをやっておりまして、うウ、東京の浅草の演芸ホールという寄席で、毎年十日間、ちょうどお盆興行のときにやるんでございます。今年も、もうやりました。ねぇ。そんなかじゃ、かなり重要なところにきてまして、ねぇ、だんだんだんだん踊りが上手くなってきた。いろんな人がいますから、大変ですよ。えぇ、金馬さんなんかも参加してんです。やな顔しちゃいけませんけどもね。もウ、好きなんですねぇ、みんなと付き合うということが。なんかやってないと、仲間はずれにされてるような、錯覚を起こすんでしょうなぁ。誘わなかったんですけどもねぇ。「俺もやるよぉ!」なんか言って。やるのは結構なんですが、ちっとも覚えないんですよ。もウ、凄いですよ、えぇ。今はもう抜けちゃったんですけども江戸家猫八さん、ねっ。金馬さん、そっから圓菊さん、っていうねぇ、うちの一門の人、いますよ。はすっかいになる人が。それと、順子・ひろしさんという、漫才の。順子さんは踊りもなかなか上手い。ひろしさん。ねぇ。それと、橘家圓平という人がいる。この人ぁ、ご存知ないかもしれませんけども、あたくしなんぞより、古いンです。えぇ。そっ、圓蔵さんの弟弟子なんです。えぇ。今あげた五人の方が、ほんとに、覚えないんです。このウ圓平さんという人はね、あのウ、芸事好きなんですよ。芝居観に行ったりなんかして、大変好きでね、踊りの稽古のとき、必ず、必ず来るんです。来るんだけど、覚えないんです。そぃで、そのウ、圓菊さんはですね、あのう、やっぱり、それほど好きではないんですけども、みんなとそういうふうなことをしてなきゃいけないんではないか、という、なんかそういう危機感から、参加してるんですねぇ。えぇ。だから、あの方だけはずしてこっちでみんなでまとまって話をしていると、とっても気にするんです。えぇ、別になにも、圓菊さんのことなんか言ってないのに、「なに言ってるんだろな」っていう感じで、こう、そういう感じで参加している。だから、もともとそういうねぇ、お下地もないし、お醤油もなにもない人ですから、だから、なかなか覚えられない。で、この金馬さんてぇ人は、さっき言ったように、やっぱり圓菊さんと同じように、なんとか参加したくってやったって、これがなかなか覚えられない。そぃから順子・ひろしのひろしさんは、もう、まったく、まったく、駄目なんです。でもとても重要な人なんです。いわゆるお笑いのコーナーが、ある。そこでは絶対欠かせない人なんです。だから是が非でも参加しててもらう。そぃから、江戸家猫八さんてぇ人は、この人は大変熱心な人なんです。お上手ではないけれども、きちっとものを覚える方なんです。でも、みんなねぇ五人の人たちは覚えが悪くって、みんなで何人かで踊るときは、必ずね、隣りの人の手を、こぅ見ながら踊るんですよ。そぃでいっぺん面白いからってんで、この五人に、一緒に躍らしたんです・・・深川を・・・今でもビデオに撮ってありますけどもねぇ、こらぁ、壮観ですよ。お互いにみんなで向こうを、こやって見てるン、どれ見たってアテになんないんですから・・・バラッバラ。これは、もうほんとうにお腹抱えて笑っちゃうくらい。8月の中席と申しますからねぇ、8月の11日から20日まで、浅草演芸ホール昼席で、毎年やってますんで、恒例になってる。お暇があったら、ひとつ上京していただいてね、ご覧になるとね、ぁぁ世の中にこんなに馬鹿馬鹿しいものがあるのか、うれしくなっちゃいますよ、ねぇ。


 金馬の声色は上手いよ^^

 楽しいでしょ、“住吉踊りの五人組”のこと。

 圓平師匠にご興味のある方は、落語協会サイトのプロフィールをご覧のほどを。
落語協会ホームページの該当ページ

 この後に続く内容は、音源が公開されているとはいえ、ある芸人さんの個人情報に深く関わる部分なので割愛し、その後をご紹介。

 まぁ、そんなことはどうでもいいんですが。あたくしこの頃、どうでもいいことを、よくしゃべるようになって・・・なかなか噺に入れないんです・・・困っちゃうの急に、こんなこと言ってて「江戸時代に」なんてなことを・・・・・・今までのはなんなんだってことに・・・いけないと思いながらね、ついつい気を許しちゃうんですね、お馴染みのお客様が多くいらっしゃいますから、ほっとしてなんかこう無駄話してると、楽しくなっちゃって、なかなか噺に入れないんで、困ったもんですが。・・・・・・「よく、道楽なんてぇことを」ふふふふふふっ・・・・・・最近こんな楽しい高座はないです。あたしあんまりね、高座好きじゃないんですよ。ていうのは、他の噺家さんはみんな落語家なりたくてなった、そういう人が多いんです、えぇ。なかには、そうでないのもいますけれどもね。あたくしなんか、好きでなったほうじゃない。ねぇ、あたくしだとか、三語楼っていう、今の小さん師匠の倅さん、ね、好きでなったんじゃない。小さい時分におだてられてね、うウ、おなりよってんで噺家にさせられた。あたしなんか、絶対いやだった。それ、無理に、悪いこと言わねぇから噺家になっとけ、ってんで親爺にそう言われて、渋々なったんで、いつなんかに替わろう、いつ替わろうかな、っとそればっかり思ってて、いまだにずうーっとこうなっちゃって、もうあきらめてますけれども、何も変わらない、ねぇ。(会場から、「志ん生に変わって」の声)、いやいやいやいや、それはだって、名前だけの話ですからね・・・ところがあれですよ、枝雀さんなんてのはねぇ、あなた道楽なんですか、って聞くと、落語ってすぐ言います。大好きなんだって。そぃで、俺の落語が一番おもしろいって、自信持ってる。あ、いいなぁ、いいなあと思いますよ。ほんとにね、やってんの袖でこう拝見してると、楽しそうですものねぇ。あたしなんか、少しこう苦しんでいるところが、見られるでしょうけど、今日は大変楽しいですよ。
 「道楽なんてぇことを・・・・・・」


 
 この後のネタにつながるまくらも楽しいのだが、ここまでとしましょう。

 枝雀の名前が出てきた。1996年の高座ということなので、この三年後、道楽も落語と言い、志ん朝が袖から楽しそうに高座を務めるのを観ていた上方落語の天才は旅立った・・・・・・。

 さて、このまくらの途中、会場ではほとんど笑い声が途絶えない。しかし、(笑)、などという不粋なことは書かない。読みながら皆さんが「プッ」と笑う箇所は、大須でも確実に笑いが起こっていると思っていただきますよう。

 10月10日が体育の日でよいのに、この期の変わり目で何かと忙しい時に、ハッピーマンデーとやらで無理に体育の日を設定したからきっとこんな天気になったのだろう、などど思いながら、書き起こした。
 ということは、お休みには感謝すべきかな。

 58歳の志ん朝のまくら、何度聴いても楽しい。
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by kogotokoubei | 2014-10-13 08:57 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(4)
 台風で、恒例のテニスは、もちろんお休み。
 こうなれば(?)、昨日の続きをやってやろう、と思った次第。

 どの日のどのネタにしようか迷ったが、昨日紹介した、大須10年の初日の、もう一席、『お見立て』のまくらに決めた。

 その前に、大須と志ん朝の関係をあまりご存知ない方のために能書き、というか本からの引用。

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文芸春秋サイトの該当ページ

 『よってたかって~』の続編にあたる『まわりまわって古今亭志ん朝』(文藝春秋)は、『よってたかって~』が一門によるトリビュートだとすると、一門以外の縁のある方々による回顧談が中心。著者は「志ん朝の仲間たち」となっている。2007年6月20日の発行。
 本書には大須の足立席亭へのインタビューによる、“「志ん朝三夜」の思い出”があるので引用する。

 席亭の足立さんは、1973(昭和48)年に、当時の大須演芸場の席亭だった樋口君子さんから、相談を受け、地元大須のために、業績好調だった不動産屋を整理して一億円の軍資金をつくり、大須演芸場の経営をすることになる。
 しかし、演芸場の経営は、決して順調には進まなかった。

—演芸場の経営は順調にいきましたか?
足立 二年で軍資金は底をついたね。<客席は二百五十席あるから、一日に百入れば食っていける>と思ってたんだけど、客は三十人も入ればいいほうでね。それだって東京や大阪から芸人を呼んだ時だけで、地元の芸人だけだったら、その三十人も入らないだから。そうなると旦那時代のよしみで来てくれていた芸人も来なくなるし、無名時代に面倒を見て、名前が売れるようになった芸人は見向きもしてくれない。この時、芸人のいやらしさを目の当たりにしたね。
—最初の危機は、何時頃でした?
足立 1978(昭和53)年かな。金目の物はすべて売り飛ばしてしまって、もう金融業者も金を貸してくれない。芸人さんに出演料は払えないし、電気代や水道代も払えない。仕方がないから社員は全部リストラして、芸人が切符を売ったり、掃除をしたりして、なんとかやりくりしていた。
—そんな大変な時に志ん朝師匠が来たわけですね。
足立 ふらーっと入ってきて・・・・・・。
—何の予告もなしに?
足立 そう。
「足立さん元気?」
 って。わしはビックリしてね。
「どうしたの朝さん?」
 って言ったら、
「ちょっと頼みがあるの」
「何?」
「悪いけど、高座に上がらせてよ」
「客、おらへんよ」
「いいから、いいからやらせてよ。稽古させて」
「じゃあ、どうぞ」
 で、その時志ん朝さんがやったのが『小言幸兵衛』
 志ん朝さんが、
「稽古させて」
 って言ったのは嘘やと思う。多分、大須が危ないって聞いて心配になって、<どうしてるかなあ・・・・・・>と思って、来てくれたに違いない。で、志ん朝さんが帰る時、わしも見栄があるから、幾らか包んで、
「これ、タクシー代」
 って渡したら、
「こういうことするから、駄目になるんだよ」
 って、なかなか受け取らないんだ。結局、
「いいんだよっ」
 って強引に渡すと、
「俺で役に立つことがあったら、いつでも電話をくれ」
 って言って、すーっと帰って行ったんだけど、あの時は本当に嬉しかったね。ほかの芸人さんのいやらしさをいやというほど見せられてた時期だったから。
—結局、そのままで?
足立 余程頼もうかと思ったんだけど、<志ん朝という看板を掲げて客が来なかったら、志ん朝さんの名に傷をつけることになるし・・・・・・。志ん朝さんだけ来てくれても、他がセコいと一過性になっちゃうからなあ・・・・・・>ってゴチャゴチャと悩んでたとき、労音かなにかの仕事で志ん朝さんが名古屋に来たんで、顔を出したの。
 その時に志ん朝さんが演ったのは、『鰻の幇間』だった。志ん朝さんはわしの顔を見ると『鰻の幇間』をやって、からかうんだ。で、帰る時に、志ん朝さんが、
「足立さん、一遍行くよ」
 って言ってくれたの。
 で、丁度うまい具合に、五十年ぶりに大須観音の御開帳があったから、その時は客も結構来るに違いないと思って、志ん朝さんに来てもらって、一週間くらいやってもらったの。もちろん、たいしたお金は出せなかったけど、ちゃんと出演料は払えたし、冷房装置を新調することもできた。さすが志ん朝さんだと思ったね。
—それからは、たびたび志ん朝師匠が出演するようになったんですか?
足立 頼みたかったんだけど、あの人には頼みきれなくて、結局、疎遠になっとったんだわ。


 その後も大須演芸場の経営危機は続くが、足立席亭は周囲の支援もあって何とか踏ん張る。そして、1990(平成2)年6月のある日、足立さんを訪ねる一人の女性がいた。その人の訪問がその後十年続く「志ん朝三夜」のきっかけになるのだった・・・・・・。

 ということで、その後十年に渡った大須の初日の二席目、『お見立て』のまくらである。

 えぇ、あと一席お付き合いをいただきます。うウ、さきほど休憩をとりまして、休憩のあと、幕を開けたら、あらかたいなくなっちゃうんじゃないかと、大変心配をいたしまして、「なんだい、あの程度のものかよ」なんというんでね、お帰りになられちゃったら困るな、なかにはお帰りなった方もいらっしゃるようですけども、そういうことは構わないんでございます。
 大変に心細い思いをいたします、ねぇ。こうやってもう一杯残ってくださると、本当にうれしいですな、えぇ。一番ぞっとすることですね、夢に見たりしますよ、えぇっ。休憩後、客がいなくなったなんて・・・ねぇ。夢中でしゃべってるうちに、気がついたら、誰もいなくなった。そして、誰もいなくなった、なんて有名な小説がある。怖いですねぇ、そういう話はねぇ。(会場から、「志ん朝、たっぷり」の声?)ありがとうございます、そういう方が頼りでございます。
 う~、もう、やっぱりこういうような寄席でもってなんかしゃべっているというのが、いちばんわたくしらの性分に合います。あっちこっちでもってお仕事をいただいて方々へ出かけて、千五六百入るなんというところへ、連れて行かれることがありますが、頼りないですよぉ、えぇ、もぅほんとうにゴルフの練習場みたいな、そんなようなところでやってんですから、えぇ。で、まぁ、おんなじたとえば、人数、今、いっぱい入ってくだすってらっしゃる、この人数をそのまんまその会場に移すと、もぅさみしいもんですよ。だから、このぐらいがちょうどいいんですね。人数もちょうどいいです。少しお立ちになってらっしゃる。ま、立ってらっしゃる方、誠にお気の毒でございますが、このぐらいが一番いい。もうちょっと入ると、やりにくいです。えぇ、だから今、表で断わっておりますけども。このぐらいがいちばんいい、ねぇ。
 うぅ、こういうところに出てきて、さて何をしゃべろうとかねぇ、どんなこと言おうかな、なんというんで、考えてなかなか決まらない時の気持ちというのは、せつないような妙な気持ちで・・・いいもんですよ、うぅ、私もちょっと変態なところがありますから。そんなことを喜んだりなんかするんですが。
 うぅ、よく遊びなんということを申しまして、遊びということを聞くと、人によっていろんなことが頭に浮かんでまいります。まぁ、私なんかやっぱりこのご婦人というものが、まず最初に遊びってぇと、女、酒、なんというふうに浮かびますな。まずだいたい一緒に浮かびますよ。女、酒ってのがね、えぇ、順を追ってなんてもんじゃない、ぱっと両方一緒に。女と飲んでる、というね、こういう感じで、遊びっていうとぱっとそう。人によっていろいろです、えぇ。女の人はそうは思わないでしょう、ねぇ。こないだ、あるところに仕事に行って、仕事終わって宿に引き揚げて、皆で一杯やっておまんま食って、さぁ寝ようかなと思ったら、仲間が一人、「まだ寝んのは早いから、ちょっとどっかへ出かけない、えぇ、いい娘(こ)いるかわかんないよ」なんてなこと言われて、「そうだな、行ってみるかい、ここ初めてなんでよくわかんねぇんだよ。誰かに聞いてみよう」なんてなこと言ってたら、お膳を片付けに、そこの女中さんが入ってきたので、「お姐さん、このあたりに、遊ぶところない」ったら、「裏に遊園地がありますよ」なんて・・・。夜中に、ブランコに乗りましたけど、あんまり、おもしろいもんじゃございません。やっぱり、女の人が出てこないってえと、おもしろくないですな。でぇ、そういうこと言うと、よく怒るご婦人がいらっしゃいます、「失礼じゃありませんか。遊びの対象だなんて」なんてんでね。そりゃあ確かに、そう言われるとそうなんです。だけど、これは、だいたい落語というか噺というものは、男のほうがこしらえて、男のためにしゃべってるという部分が、なきにしもあらず、でございます。正直言うと、えっ。
 怒んないでくださいよ、女の方。今あたし正直に言ってんですから。だから、ちょっと、女の人を侮辱した部分がある、かもしれません、ねぇ。
 うウ、そう思ったかなんだか、昔そういう遊び場所があったのが、昭和33年3月31日をもって、なくなってしまった。それをなくしたのは、えぇー、婦人議員でございます、ねぇ。女の方、偉い方ですよ、ねぇ、この方が、「そんなものが我が日本にあっては恥です、ねぇ、いりません、不必要です」・・・ご自分は不必要かもしれません。そういうことを言ったら、男の議員のほうも、「あぁ、そうですなぁ、あぁ、不必要でしょう」、なんてなことを言って、賛同したんです。自分は他にいろいろと囲ったりなんかしてる人がいるからいいけれども、若いもんのことはちっとも考えてくれない。ただ、やっぱりなるほどな、と思うのは、そういうものは、国が認めてちゃあまずいかな、という気はいたします。そりゃぁたしかに、今でもおんなじようなものは、あるんですよ。おんなじようなものは、ねぇ。名前は変わってますけどもね、えぇ。いろんな名前・・・あれっ日本って国は、不思議ですね。そういう名前を一般公募したんでしょ、ねぇ。トルコという国から文句がきたんで。「なんですか、トルコ風呂とは、失礼なこと言っちゃいけません!」てなこと言われたもんだから、日本が慌てふためいて、なにかいい名前はあるかしら、これはいいという思うもの、どんどん言ってください、なんというんで募集したらば、ソープランドというのが、これが、採用された。こんなことをやってる国はちょいとないですよ。粋な国ですよ、考えようによると、ねぇ。落語が生まれる国なんですから。もっと自分の国を愛したほうがいいと思います、えぇ。


 このトルコ人の真似(?)をした科白が、とんでもなく可笑しい。

 紹介した部分で、廓のネタにつながる話にすでに入っていると言えるが、この後も、貴重な志ん朝の吉原体験が暴露(?)される。まさか、後世に音源が発売され、私のような暇人が内容を書き起こすことは、まったく思わなかっただろうが、美濃部家の秘密(?)を含め、後半も隠さず書き起こすことにしよう。

 そういう国でございますから、そういう場所はあるんですけれども、今と昔では、ぜんぜん違うんです、ねぇ。わたくしは、なくなるちょいと前に、うウ町内の先輩がたに連れてってもらいまして、昔は縦のつながりがありますから、あそこの倅が遊びを知らないよってぇと、よし、じゃあ連れてってやろうというんで、まぁ、先輩たちがお金を出し合ってくれて、あたしの遊ぶ金をこしらえて、そして、連れてってくれました。いっぺん、そういうこと教わると、もう、その後は、自分でなんでもわかってますから、どんどんどんどん出かける、ねぇ。今になって考えると、懐かしい話でございます。
 これ不思議なもんでね、あたくしよりいくつか上でも、そういうきっかけのない人は、行ったことないって方がいらっしゃる。あたしより、二つ三つ下でも、ちょいとませてる奴ぁ、おかげさまで見ることができました、なんという奴がいる。そりゃぁ、人生ですな、それぞれ、えぇ。あたしは、うまいぐあいに、ちょっと、見られた、ねぇ。一回、覚えりゃあ、あとは手順がわかってますから、どんどんどんどん自分で行きます、えぇ。懐かしいです。
 いっぺん、ご婦人とまじわる、ねぇ。えぇ、高尚な言葉で言うと、まぐわう・・・いい言葉ですね。まぐわい、なんという、ねぇ。早い話が、早い話で言うと言いにくくなっちゃうんですが、ご婦人とまじわるのに、一回、五百円でございます。五百円、ね。じゃ、その頃の五百円ってのは大変なお金なんでしょうねぇ、って言われますけれども、こりゃぁ、そんなことがないような気がするんです。お金の値打ちは、今の五百円よりは、もちろんあったんでしょう。五百円手に入れるということは、そんなに、大変なことではなかったような気がするんです。ってのは、自分で行かれてましたから。別に悪いことして金を儲けたとかってんじゃないんです。前座で働いている時に、その頃、前座でもって、あたくし達が入ったときには、百円から始まって、百五十円、ねぇ、二百円、というぐあいに、上がっていきます。一番上が二百五十円、いちんち二百五十円、だから二日寄席でもって働くと、ねぇ、高座返ししたり、楽屋で着物をたたんだりなんかすると二百五十円、二日でもって、五百円もらえる。だから、そんなに手に入れるのに難しいお金ではなかった。ところが、この五百円で、いろんなことができた、ねぇ。だから、値打ちがあったんでしょう、五百円。だから、千円手に入れると、もう、すぐにそちらの方へ、ひゃぁっと行きますよ、ねぇ。まず、それが、五百円、タクシー代があたくしの住んでいるところから、百二十円でございます、その頃、で二百四十円、ねぇ。行って帰ってきてお茶でも飲めるというような、そういう感じですな。
 タクシー乗っかってうちの方から行きますと、あたくしのうちは、日暮里、ね、谷中のほう。日暮里の外側に出て、タクシーぱっーと行くってえと、ちょうど吉原の裏っ側の方から入っていくんです。竜泉寺ってとこ通ってね。ざぁーっと行く。反対側の方に表門でございます、大門というのがあって、仲の町がこう、で、いちばんはじの通りが、これが江戸町、ねぇ、上(かみ)のほうから、一丁目、二丁目、真ん中のところが、角(すみ)町、揚屋、いちばん奥が、京町、一丁目、二丁目、あたくしのうちの方から行くと、こう、こっちのほう、こっちのほう、ね、分かります、こっちのほうっす。こういうことはね、地理関係が分かんないと、おもしろくない。そこから、ブ~ンっ入ってきて、京町二丁目のこっちの入り口のところから、ブゥっと入る。あそこは、ちょっと盛り土がしてある、ちょっと高いんです、わきよりねぇ。そこんところに、どぶがある、今ぁ暗渠のようになっちゃってますけどね、こうずっとどぶがこうなってって、そこんところに石の橋みたいなのがある。そこんところに、デンと乗り入れ上げた時には、「あぁー俺はもう何をしてもいいんだ」、という感動は、今日(こんにち)まで、ない。あのぐらい強い感動は、ねぇ。話をしているだけでも、血が、こうなりますね。えぇ、良かったですよ。そういう思いをして帰ってきて、まぁ、いろんな人に報告しますな。初めて連れてった人に報告する。あるいは町内のお年寄り、我々の方の仲間の師匠、先輩方に話をする。「うん、昔はもっと良かったよ」ということを、必ず言われるのが、悔しかった。だけど、たしかにそうなんでしょう。
 あたくしの親爺の志ん生なんというのは、女郎(じょうろ)買いのほうにかけては、名人と言われました。あたくし、今でも思い出しますけれども、教わりましたよ、えぇ。ああいうとこに行って、偉そうにしてちゃだめだぞって。これを、あたくしちゃんとじかに、それも、おふくろのいる前で、おせえてくれた。だが、おふくろはあたしに、「女郎買いは構わないけど、芸者買いはいけないよ」って、こう言う。普通の家庭じゃないけどね、もっとも噺家の家庭だから。こういうことを、親爺とおふくろが、あたしが遊ぶというようなことになった時、初めてそういってくれたのが、その言葉がいまだに耳に残ってます。女郎買いはいいけど、芸者買いはいけないよ。どうしてなんだろうなぁ、と思って、うちのおふくろに、どうしてなんだい、って聞いたら、うちのお父ちゃんが、女郎買いに行っている時はそういうことないけど、芸者買いに行って帰ってくると、病気を背負ってきたよ、こういうことを言う。すごく、世話場の話でしょ、ね。あまりシーンとしないで聞いてもらいたいんだけど。これはねぇ、おふくろとしては、切実な話ですよ。「・・・この人は、もう病気なんか背負って・・・・・・」。これ、芸者買いてぇと必ずそうだったらしんです。で、女郎買いはそんなことがなかった。女郎買いのほうが奇麗事なんだから、っていうことを言う。
 これ、母親が倅に向かって言う科白じゃ、普通はない。そういうとこ行っちゃいけない、って言うのが当り前なのに、行っても構わないけれども、芸者買いはいけないけど、女郎買いはいいよ、てこの言葉ねぇ、あたくし、今色紙かなんかに書いて飾っておきたい。そういうことを、教わりましたから、ねぇ。
 「昔は、おまえなぁ、張り見世ってんで、ええ、こう格子がはまっていて、その向うに客がいて、こやって冷やかしてるんだ」「あっ、そう」「で、いいやって思うと、こっちに番台があって」「なんだい、番台ってのは」・・・・・・。


 この後、ネタにつながる。

 竜泉寺で、樋口一葉を思い浮かべた。

 大須ならではのまくらで明かされる、志ん朝の吉原体験、そして美濃部家の教え(?)という、なんとも貴重な回顧録である。東京の気取った(?)ホール落語では、とても聴けない内容。
 もちろん、オフレコのつもりで、大須のお客さんだけに特別に語られたものだが、志ん朝という人、そして美濃部家を知るには、非常に重要な情報とも言えるのではなかろうか。

 つい、台風のおかげ(せい?)で、1990年10月4日、大須の独演会初日の二席目のまくらも、書き起こしてしまった^^

 音源が発売されているのだから、部分的に書き起こすことを、河出書房新社には許していただこう。
 結構、拙フブログで、褒めているしね^^
 しかし、もし訴えられでもしたら、公開しません。自分だけで楽しむためにじっくり時間をかけて、書き起こすつもり。

 大須の音源を聴きたくなった方は、河出書房新社の下記の該当ページをご参照のほどを。
河出書房新社の該当ページ

 次は、さて、いつのどのネタか。

 あたくし(志ん朝の真似^^)自身が、どのネタにするか、まだ決めきれていないのだ。

 いくつかあらためて聴いてから、考えようと思う。

 長々のお付き合い、誠にありがとうございます!
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by kogotokoubei | 2014-10-05 08:49 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(4)
古今亭志ん朝の10月1日の命日に、大須演芸場の高座の良さ、特にまくらの楽しさのことを書いた。
 
 音源の発売元である河出書房新社に、大須のまくらのみ集めた本を出してもらいたいくらいなのだが、中には全ては文字に残すことを憚れる内容もあるかもしれないと思う。結構、自由に語っているからね^^

 『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元に、大須での独演会の公演日と演目の一覧表を作った。


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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)


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 *印が、初CD化のネタである。

 52歳から61歳までの10年間、大須で独演会を開いている。

 あら、24年前の今日、10月4日に大須は始まっているんだぁ・・・・・・。

 何かの縁を感じて、全ては無理だろうが、何席かまくらの書き起こしをしようか、と無謀なことを思い立ってしまった。

 それでは、記念すべき大須の第一席目、『井戸の茶碗』のまくらを書き起こすことにしよう。ネタそのもののまくらの前、大須ならではの、構えないで自由な雰囲気でのまくらを再確認したいと思う。



 一杯のお運びでありがたく御礼申し上げます。うー、ここの高座へ出演させていただくの、十年ぶりだそうでございます・・・私なんか、つい五~六年くらい前のことかと思っていましたが、月日の経つのは早いものでございます。昔っから「光陰矢のごとし」なんという言葉がありまして、これはどういう言葉かと言うと、光陰というものは、あぁ、矢のごとしだなぁ、という意味なんです。大変に難しい言葉でございますが、どんどんどんどん月日が経つ、どんどん世の中が変わっていくのに、変わらないのが我々の方の商売でございます。世の中にひとつ位こんなものがあってもいいんじゃないかと思っておりますが。
 ご当地名古屋というところは、芸どころなんということを言われておりまして芸ごとが大変盛んだ・・・そうじゃないんだよ、芸に対して厳しいんだよ、なんと言うような意見、いろいろと伺いますけれども・・・まぁ、どっちに転んでもこういう所にどんどんお客様がお出でになってくれないと、困るんでございます。えぇ、ひとつよろしくお願いをいたします、ねぇ。
 こういう所でもって、独演会をやらしていただけるなんというのは、私たちにとってこんなに嬉しいことは、ないんでございます、ええ。また、これからもまたみんな、ちょくちょく参りますから、どうぞ一つよろしくお願いします。
 こうやって、一回でも関わりを持つうてっともう逃げ切れませんよ。知らん顔しようたってそうはいかないんです。皆さんの写真はきちんと、ちゃんと入り口で撮ってある。逃げようたって、そうはいかない。ねえ、だから、よろしくお願いをいたします。
 うウ、やっぱり、こういう所でもって三日間独演会をやる、なんと言うと、こちらのほうの新聞なんかには、私先ほど出ている、というんで見せられてびっくりいたしました。かなりのスペースを割いて、古今亭志ん朝が来る、なんという、独演会、他にもいろんな方の名前が並んでたりなんかいたします。こういう記事は、東京では出ておりません。ねぇ、えぇ芸能ニュースに載ったりしないんです。だけど、こっちのほうでは流石で、嬉しいなと思いまして、その新聞をうちぃ持ち帰って、まぁ、かみさんにでも見せて、ねぇ、ひとつ驚ろかしてやろうと思ってますが・・・うウ、それ位のことをしないってぇと、人のことを馬鹿にしてしょうながない、ねぇ。
 まぁ、なんですよ、こういうところでもって、馬鹿なことを言っているというのが、我々の方の商売。ただ、毎度お願いをいたしておりますが、どうかあまり真剣に聴かないでいただきたい。これでございます。もウ、なかには真剣に聴く方がずいぶんいるんですから、えぇ。古典芸能を鑑賞しようなんて。そういうもんじゃないんですよぉ。ねぇ。あんまり真剣に聴く方はねぇ、しどい方になるってぇとメモをとったりなんかしながらね、睨むようにして、こう、じぃーっと聴いてますよ。それほどのもんじゃない。ねぇ。うウ。
 あんまり真剣に聴いてるってぇと、しまいに腹が立つんでしょうな。こんな気持ちじゃとてもうちには帰れないから、あいつに何か言い残していこうっなんてんで表で待ってます。怖いですよ、こういう方は。
 表ですーっと出て行くと、
 「きみ、きみぃ」
 「何ンすか」
 「今、聴いてました」
 「ありがとうございます」
 「どうして、ああいう馬鹿馬鹿しいことをしゃべるんだぁ!」
 なんてなことを言われたりなんかして、かなりきつく抗議を受けることがありますな。
 そうかと思うと、やっぱり表に待ってらして、こっちがすーっと出て行くと、
 「今、聴いてましたよ」
 「ありがとうございます」
 「暇ですか」
 「暇ですが、なにか」
 「お食事を付き合っていただきたいんですが」
 「ありがとうございます」
 なんてんでお供して、割り勘なんて恐ろしいのがあるンですがぁ・・・。
 いろんな方がいらっしゃいますから、ねぇ。



 だいたい、ここあたりでまくらの半分過ぎ。約4分。

 携帯音楽プレーヤーをスピーカーにつないで聴きながら、止めては書き、また戻ったりなんぞしながら書き起こすのだが、想像以上に大変だ^^

 しかし、乗りかかった船、である。後半を続けよう。


 よく、あの気のいいご婦人になるますってぇと、私たちのしゃべっていることに、いちいち頷いてくださる方がいらっしゃる。今でもいらっしゃいます。決して悪いことではございません。ありがたいんですよぉ、こっちの言うことに賛同していただけるんですから。こりゃあ、本当は嬉しいんです。嬉しいんですけど、結構、あれ、気になるもんでしてね。
 こっちがなんか言うたんびに、「ウン、ウン、ウン、ウン・・・・・・」なんてんで。そうなると、どうしてもその方を中心に話しをする。今度は頷かない時には、「今言ったこと、気に入らなかったのかしら?」・・・ねぇ。
 いろいろでございますが、どっちに転んでも、落語でございますんで、えぇ、まぁ、たいしたこたぁ、ないんですよ、ねぇ。 「じゃあ、いったいどういうもんなんだよ?」なんてんでぇ説明をしろと言われることがありますが、まぁ、難しいですねぇ。一言ではなかなか言えません。早い話が、なんと言うんでしょうか、暗闇ン中を手探りで歩いていて、うっかりオナラをしちゃった、というような、そんな芸でしょうな、えぇ。
 自分じゃあ何したんだかわかんないんだけど、俺いまなんかしたかしら、なんてんでね、考えてるってえと、下からふーっと匂ってきたりなんかして、あぁ、屁だぁ、なんていう・・・。こういう芸でございます。
 よろしくお願いをいたしますよ。えぇ、もうほんとに皆さま方が頼りで・・・よくこういうところにいらっしゃってね、つまらなそうな顔をしていらっしゃる方がいるんです。そりゃ、自由なんですよ、自由ですけど、こっちもちょっと気になりますから、ねぇ、 そういう方は終わってから後を追いかけてって、あぁ、この方だったなと思うから、
 「どうして、あんなにおもしろくなさそうな顔してたんですか」
 「いやぁ、どうもねぇ、ちょいとうちでおもしろくないことがあってねぇ、君たちに笑わしてもらおうと思って行ったんだが、やっぱりだめだった。うン、力不足だなぁ」
 なんてぇなことを言われることがあるんですけど、それはまた、お考え違いでございまして、こういうところは治療院やなんかじゃないんですから、具合が悪い方を治そうてんじゃないんです、ねぇ。気分の悪い時なんというのは、どっちかってぇとお出でにならないほうがいいかもわかりません、ねぇ。こういう、なんと言うんでしょうか、頼りない芸というのは、皆様方の心の余裕にすがってやる芸ですから、えぇ。こりゃぁ、なんですよ、おもしろくない時に、冗談言われるってぇと腹立つでしょう。ねぇ、それとおんなじでございますから、えぇ。余裕を持って、ねぇ、あいつの噺を聴いてやろうじゃねえか、なんてんで、馬鹿なことを言ってやがる、ご覧よ、くだらねぇことを言って・・・いいなぁ、あいつは、えぇ、馬鹿馬鹿しくって、ハハ、可愛いい奴だよ、うン、いくらかやろうよ・・・そういう形をとっていただけると、いちばんありがたいんでございます。
 うー、いろんな人間がおりますけども、どっちに転んでも、人間正直にこしたことはございませんで・・・・・・


 ようやく(?)、ネタのまくらが始まったところ。

 志ん朝が、このまくらを語っているのをぜひ想像していただき、お楽しみのほどを。

 前半部分は、名古屋の落語愛好家に感謝し、そして、よいしょもしながら今後の来場もお願いしていることが、伝わってくる。
 私は、メモをとって睨むように、という客の一人かもしれなぃ。反省しよう。
 できるだけメモは少なくしようとは思っているけど、睨むように見ているかもしれないなぁ。

 後半、落語という芸の喩えが、楽しいでしょう。おなら、ですよ^^
 東京の伝統のあるホール落語会では、とても考えられないまくら。

 さて、次は・・・・・・何にするか、またいつになるかは、お楽しみということで!

 それにしても、この内容、河出書房新社に、著作権で訴えられるかなぁ。そのへんは、調べる必要がありそうだ。
 法的に問題がありそうなら、この一回でお開きになるかもしれません^^
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by kogotokoubei | 2014-10-04 08:13 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛