噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:ある日の行動記録( 2 )

 昨日は、野暮用があって午後から休みをとっていたので、夕方から日比谷野外音楽堂での集会と国会前のデモに初参加した。

 まず、東京新聞の記事より、引用。
 私の予想よりは少ない人数ではあったようだが、1万5000人のうちの一人が、私である。
 東京新聞の該当記事

「戦争法案を廃案に」 日比谷で1万5000人が反安保デモ
2015年7月29日 朝刊

 安全保障関連法案に反対する集会が28日夜、東京の日比谷野外音楽堂で開かれ、参加者約1万5000人(主催者発表)が「違憲の戦争法案を廃案に」と訴えた。夜に入っても気温が30度を超える暑さの中、参加者は「安倍政権の暴走を止めよう」と声を上げ、国会へデモ行進した。

 「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が主催。民主、共産、社民、生活など各党国会議員が壇上に立ったほか、文化人や市民の代表がマイクを握った。

 作家の落合恵子さんは「私たちは被害者にも加害者にもならない。70年前の誓いをもう一度胸に刻もう」と強調。「安保関連法案に反対するママの会」のメンバーは「命懸けで産んだわが子を絶対に戦争に取られたくない。ママは戦争しないと決めた。みんなで戦争しないと決めた。誰の子どもも殺させない」と声を震わせた。講談師の神田香織さんや脚本家の小山内美江子さん、弁護士、医師らも熱弁をふるった。

 集会に初めて参加した千葉県松戸市の高田耕作さん(60)は「法案は憲法九条に違反している。政権は、こうした声にちゃんと耳を傾けてほしい」と話した。


 5時30分頃に日比谷公園に着いた。
 すでに多くのデモ参加の方が、音楽堂の周囲を取り囲んでいた。
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 所属団体のない私は、「神奈川自治労」の幟を発見して、住んでいる場所のご縁でご一緒させていただきたいとお願いすると、ご快諾いただいた。。
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しかし、下のチラシのように、音楽堂の集会が6時30分から7時30分を予定しており、その後にデモと案内されているのだが、こちらのデモ部隊は6時45分に出発するとのこと。

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 音楽堂に入りきれないので、集会と並行して先発する各団体のデモ部隊があるようだ。

 しばし悩むが、やはりせっかく来たのだからと思い、音楽堂の集会に参加すべく移動。
 神奈川自治労の皆さん、誠に申し訳ありませんでした。

 音楽堂に行くと、すでに熱気ムンムンである。

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 BGMは忌野清志郎で「イマジン」「500マイル」などが流れる。
 昨年9月に参加した、亀戸での反原発集会における「エセタイマーズ」の演奏を思い出した。
2014年9月24日のブログ

 ステージで係の人が、前の方の席はまだ空いている、と案内していたので、前の空いた席を探した。
 歩いて席を探していると、「どうぞ」と声をかけていただいたのが、女性がたくさんお座りになっていた一画。

 後で知ったのだが、「婦人民主クラブ」の皆さんの席だった。
 お隣の方が、歴史のある会なんですよ、とおっしゃっていた。
 同クラブのサイトから「私たちのあゆみ」をご紹介。
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(「婦人民主クラブ」サイトのヘッダー)
「婦人民主クラブ」のサイト

私たちのあゆみ

創立のころ
 「日本中が、森閑として声をのんでいる間に、
 歴史はその巨大な頁を音なくめくったのであった」(『播州平野』より)

 作家の宮本百合子は、1945年8月15日正午の昭和天皇のラジオ放送によって
日本の無条件降伏を知らされたときの様子をこう書いています。
婦人民主クラブは、この年の秋から準備され、翌1946年3月16日に創立されました。
設立呼びかけ人は、宮本百合子をはじめ25人の各分野で活躍する女性たちでした。

 1946年4月、日本の女性は初めて選挙権を行使して政治に参加しました。
11月には日本国憲法が公布されました。
憲法の諸条項は、
平和とくらしを守り、子どもの幸せと女性の地位向上をめざす婦人民主クラブ
を励ますものでした。
何よりも「戦争放棄」の条項は大きな喜びでした。

 敗戦直後の、食べ物も着る物もない中での活動は、
食料配給の確保、内職の斡旋、洋裁講習、避妊指導などでした。

平和と暮らしを守る
 1950年1月、マッカーサー連合国軍最高司令官は
「日本国憲法は自衛の権利を否定しない」と声明。日本の再軍備への道を開きました。
トルーマン米国大統領は水爆製造の命令を出しました。
緊迫する東西対立の中で、平和擁護世界大会委員会は、 原子兵器禁止と国際管理を求める
ストックホルム・アピールを発表。賛同署名を世界に呼びかけました。
占領下の弾圧も予想される中、婦民はこの署名に取り組み、
アメリカが朝鮮戦争で原爆を使用することを許しませんでした。

 1954年3月のアメリカによる太平洋ビキニ環礁での水爆実験に、婦民はいち早く
「原子戦争から子どもを守ろう」を合言葉に原水爆禁止を求める署名運動を開始。
翌1955年6月の日本母親大会、8月の原水禁世界大会の開催には、
成功のために献身的に働きました。

 新聞代などの物価値上げ反対や保育所づくり、民主教育を守る運動、
小児マヒ撲滅のための生ワクチン緊急輸入運動などのほか、
さまざまな文化的要求に応えて、講演会、映画会、音楽会、子ども会などを行いました。

分裂策動を超えて
 占領状態を終わらせるために、サンフランシスコ平和条約が結ばれました(1951年)。
同時に締結された日米安全保障条約をさらに改悪し、
日本に再軍備を進めようとする動きが強まりました。
そのなかで1959年から60年にかけて
安保条約改定に反対する歴史的な国民大運動が起きました。
婦民も連日、国会包囲のデモに参加しました。
しかし、この60年安保闘争をめぐって、全国的な統一行動を評価する意見と、
条約批准を阻止できず敗北したとする意見が婦民の中にも生まれました。

 後者の幹部らは、過激派暴力集団を支援し、
ついに1970年6月、第24回全国大会に過激派女子学生らを集めてバリケードを築かせ、
意見の異なる代議員の入場を妨害、力づくで組織を分裂させました。

 「婦人民主クラブ」の名称を奪われ、本部建物も機関紙「婦人民主新聞」も奪われて
不当に除名、支部解散させられた22の支部は、
「私たちこそ婦民の本流。」と直ちに「婦人民主クラブ再建連絡会」をたちあげ、
機関紙「婦民新聞」を発刊しました。

平和を手離さず
 再建連絡会は活動を続け全国で会員を増やし、共同行動にも積極的に参加して
連帯を強め、組織を固めて1986年10月、再建達成全国大会を開催しました。
連絡会体制を解いて、全国単一組織として「婦人民主クラブ(再建)」と名称をかえました。
さらに2006年11月、婦民創立60周年を期して
「婦人民主クラブ」と正式名称を回復しました。

 分裂策動に狂奔した側は、1984年に再分裂し、
それぞれ「ふぇみん婦人民主クラブ」「婦人民主クラブ全国協議会」と名乗っています。

 私たちは「婦人民主クラブ」創立の初心を失わず、趣意書、綱領を原点にすえて
「私たちは平和を手離さない」を合言葉に
平和やくらし、子どもや女性の権利を守る活動を続けています。
いくつかの専門部を設けて学習を深め行動を起こしています。
また全国の支部でも
会員の要求に根ざした学習講座やコンサート、文化活動などを行っています。

 なるほど、歴史と伝統のある会だ。

 デモもご一行とご一緒したが、シュプレヒコールも大声で皆さんなさっているし、足元もしっかり。こういう女性たちは、本当に頼もしく思える。

 さて、座らせていただいた席は結構前の方なので、ステージは、こう見える。
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 定刻6時半、集会が始まった。
 発表順に発表者をご紹介。
①高田健(許すな!憲法改悪・市民連絡会事務局次長、九条の会事務局員)
②枝野幸男(民主党)
③小池晃(共産党)
④吉田忠智(社民党)
⑤主濱了(生活の党と山本太郎となかまたち)
⑥神田香織(講談師)
⑦鎌田慧
⑧伊藤真美(安全保障関連法案に反対する医療・介護・福祉関係者の会)
⑨雨宮 処凛
⑩佐高信
⑪池田亮子(安保関連法案に反対するママの会)
⑫山岸良太(日弁連)
⑬小山内美江子
⑭古今亭菊千代
⑮落合恵子

 印象に残った内容を記したい。

 神田香織という講談師は、初めて知った。
 「はだしのゲン」も演目に入っているらしい。「講釈師、見てきたような嘘をつき」をもじり、どういう嘘をつくべきか、安倍晋三は私の講談を聴きに来い、と威勢のいい啖呵が、大いに結構。
「講談協会」公式サイトの神田香織プロフィールのページ

 伊藤真美さんが、医者、看護師、介護士などの医療関連従事者による組織に二週間で4,000名の署名が集まったが、医者は30万人、看護師は140万人、まだまだこれから、と力強い発言。期待しよう。
「安保保障関連法案に反対す医療・介護・福祉関係者の会療」のサイト

 すでに14000名の署名を集めたという「安保関連法案に反対するママの会」は、先週、渋谷でのデモがメディアを賑わせた。池田亮子さんの「ママは戦争しないことに決めた」の言葉は、実に深く会場に響いたように思う。
「安保関連法案に反対するママの会」のページ

 昭和5年生れなので今年85歳の脚本家、小山内美江子さんは、椅子に座ったままでの発言だったが、「私は、嘘つきは泥棒の始まりと教わりました。安倍首相は、泥棒です」で会場から大拍手と歓声。女性は、強い。

 古今亭菊千代は、昨年の亀戸でも発言していた。「平和な社会で、落語で笑える日が来て欲しい」と、しっかり落語界を代表(?)して訴えていた。

 トリは落合恵子。とても「レモンちゃん」なんていうキャッチフレーズがあったとは思えない、闘士の姿が頼もしい。

 総じて、女性の発言の方が印象的だった。
 政党からの発言者には、実に生ぬるいものもあったなぁ。

 落合恵子までで7時40分。

 係の方から、参加総数は1万5000人と発表があった。
 その後、シュプレヒコールの練習をしてデモへの誘導、移動してからデモが動き始めたのは8時を回っていた。

 私は「婦人民主クラブ」の幟を頼りにデモに参加。

 多くの方は、集会会場で配布されたプラカードを持っていたが、私は澤地久枝さんの発案で金子兜太書による「アベ政治を許さない」を持参し掲げた。

 ガラケーでは、照明不足で写真は多く撮らなかったが、こんな感じ。

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 国会議事堂をぐるっと回って、流れ解散になったのが、九時少し前だったろうか。

 ご縁のあった「婦人民主クラブ」の皆さんや、集会で発言した人を含め、女性の強さを感じたなぁ。
 SEALDsの若者、そして、歴史ある会や、最近できたばかりの若い母親の組織などの女性、そして、この日も多かった高齢の方の参加者。私も、還暦は過ぎているけど、もっと年輩と思しき方が、たくさん参加されている。

 これは、本物だ。

 アベ政治を許さない幅広い国民一人一人の力の結集、結束を実感した集会とデモだった。

 帰りがけ、一人居残りで飲んだビールが、何と旨かったことか。


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by kogotokoubei | 2015-07-29 12:26 | ある日の行動記録 | Comments(4)
昨日23日の朝、あまりにも天気が良いので(?)、亀戸に出かけることにした。

 昨夜は、帰宅し一杯やったらウトウトしたのだった。

 それにしても、新聞もテレビもほとんど昨日のデモを無視しているなぁ。

 代々木公園から亀戸中央公園に場所を替えた、「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会主催の集会とデモに参加したのである。

 全体のプログラムをサイトから紹介。
さようなら原発1000万人アクション

11:00 ブース開店
      第二ステージ ライブ&トーク 開始
       司会:菱山南帆子(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
ゼロノミクマ
       桃梨&制服向上委員会
       島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS
   
       小野有五(北海道大学名誉教授)
       パク・ヘリョン(韓国・脱原発新聞共同代表)
       チェ・スーシン(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
       若泉政人(もう動かすな原発福井県民署名実行委員会共同代表)
       河合弘之(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)
       村上達也(元東海村村長)
12:20 第二ステージ ライブ&トーク 終了

12:20 第一ステージ ライブ
       エセタイマーズ

13:00 第一ステージ トーク開始
       司会:木内みどり(女優)
       鎌田慧
       内橋克人
       澤地久枝
       大江健三郎
       大石又七(第五福竜丸元乗組員)
       向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
       橋本あき(原発いらない福島の女たち)
       古今亭菊千代(落語家)
       パク・ヘリョン(韓国・脱原発新聞共同代表)
       チェ・スーシン(台湾・台湾緑色公民行動連盟事務局長)
       広瀬隆(作家)
       落合恵子

       デモ出しライブ
14:15  第一ステージ 
        李政美
第二ステージ 
        ジンタらムータWITHリクルマイ&The K



 田園都市線~半蔵門線にて錦糸町へ。少し駅周辺を散策し、JRにてお隣駅の亀戸へ。

 着いたのが11時頃。ビラを配っている方に道を聞いたが、まずはラーメン屋で腹ごしらえ。

 公演につくと、さまざなま団体や個人の方がビラを配る中を第一ステージへ向かう。

 ライブの音合わせをやっていた。バンドのファンなのだろうか、ステージ前に立つ人垣が五十名ほど。

 エセタイマーズというバンドのライブが木内みどりの紹介で12時10分頃に始まった。
 後で調べたら、以前、忌野清志郎似(?)のメンバーを含むタイマーズというプロテストソング・バンドがあったらしい。今年のフジロックにも出演したようだ。

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 ご覧のような状態で、末広亭の手拭を敷いて座っている身からは、ステージは見えない^^

 四人組のプロテストソング・バンド、ということなのだろう。次のような曲を披露。元の歌があり、その曲に反戦、反原発的な詩を乗せている。元歌を記す。

 (1)エセタイマーズのテーマ(元歌:モンキーズのテーマ)
 (2)イマジン(ジョン・レノン、清志郎版かな)
 (3)デイ・ドリーム・ビリーバー(モンキーズ)
 (4)サマータイムブルース(清志郎版?)
 (5)青空(ブルーハーツだよね)
 (6)今日を生きよう(テンププターズの、シャーラーララララー、です)
 (7)Hove You Ever Seen The Rain?{雨を見たかい」(もちろんCCR)
 (8)エセタイマーズのテーマ

 懐かしい曲をベースにしているので、結構年配の方も聴いていたように思う。

 私は大好きなCCR(Creedence Clearwater Revival)で締めてくれたので、嬉しいよ。
 トークの締めで落合恵子がこの曲の雨は「劣化ウラン弾」と説明したが、実際はベトナム戦争で米軍が落としたナパーム弾のこと・・・と言われている。
 ただし、同じCCRの「Who'll Stop The Rain」の雨はナパーム弾のことを指しているが、「雨を見たかい」の雨は、晴れて虹が出ているのに降る雨のこととジョンが後で言っているので、できれば、「Who'll Stop The Rain」を今後は歌って欲しいと思う。CCRフリークとして、あえて助言です。

 反原発、反戦と唱えると客が激減する、とエセタイマーズのメンバーが言っていたが、こういう若手のプロテストソング・バンドには頑張って欲しい。

 さて、ライブがお開きとなり、一時からトークの開始。感想などを記したい。 

 なお、出席予定だった内橋克人が欠席。

 木内みどりの司会で、まず鎌田慧が、決起表明的な挨拶。昭和13(1938)年生まれだから、古今亭志ん朝と同じ年。今年で76歳だが、お若い。さすが、原発に関するルポルタージュの第一人者である。しっかりしている。

 次に、車椅子で壇上に上がられたのが、大石又七第五福竜丸元乗組員。80歳。用意した原稿を読上げたが、「ビキニ環礁ではヒロシマの1000倍もの放射能が撒き散らされた」「原爆も原発も放射能は同じ」「水中に放出された放射能は何倍にも濃縮され魚が口にする。それを食べている」「内部被曝で多くの同僚が犠牲になった」「原発を推進した政治家が勲章をもらっている」「原発はやめなければならい」などの言葉が、胸に突き刺さる。

 次は「原発いらない福島の女たち」の橋本あき。この人の普段着での言葉が、何とも新鮮だった。「私がこんなところで話しているようでは世も末です」と言う言葉には会場から笑いが起こったが、こういう人の発言こそ大事なのだと思う。原発事故の後、いろんな勉強会を開催し、田中正造の精神を学びたいとおっしゃる。見習わねば。

 続いて、「反原発・かごしまネット」代表の向原(むこはら)祥隆。なるほど、鹿児島県知事選に出馬しただけあって、弁が立つ。川内原発30kim圏内の町を一戸づつ訪問して、原発反対の署名を集めたとのこと。鹿児島県民は決して川内原発の再稼動を許さない、の声は力強い。次の日曜28日には鹿児島でデモを行うらしい。残念ながら私は行けないが、成功を祈りたい。
 
 お次は、広瀬隆。昭和18(1943)年生まれだから、71歳だが、元気だ。元は編集者だったという向原を再度ステージに上げて紹介し、県知事選に出て、65対35の勝負、あともう少しだったと説明。
 安倍政権と反原発運動において、「われわれの方が圧倒的に勝っている」「もうじき電力の自由化になることは決まっており、安倍政権は焦っている」「安倍がやっていることは、人事だけ。原子力規制委員会に田中、NHKの籾井など」「止まっている原発も、火力発電の電力を大量に使用して冷やさなければならない」 「原発がなくても、十分生活できている」「国道6号線を開通させたが、計測によっては6μシーベルトから20μシーベルト、国民を殺そうとしている」などなど、歯切れのよい言葉が続く。
 時間が超過しそうになり司会の木内みどりから合図を受けるまで、広瀬節健在を見せてくれた。

 次に会場を和やかにしてくれたのが、古今亭菊千代だった。カンパのお願いが目的だったが、この後で、澤地久枝に日傘を持って行くなど、気配りも含め、この人は落語界代表として存在感を示したよ。

 韓国からのゲスト、パク・ヘリョンは、韓国政府が2035年まで41期の原発設置計画があり、日本の皆さんと一緒に反対活動を続けたい、と訴えた。もちろん、韓国の原発に事故があれば、日本への影響は避けれれない。放射能に国境も海も関係はない。

 大江健三郎登場。恩師である渡辺一夫のこと、関連して中野重治のことが印象的だった。特に、中野の言葉として、「もっともあさはかなオプチミストが戦争をしかけたがるのなら、我々ペシミストは断固としてそれを防がねばならない」が印象的だった。最後の方は、原稿の文章の場所を探して、ややあたふたしていたが、昭和10(1935)年生まれ、79歳のノーベル賞受賞者の存在は、この運動には欠かせないと思う。

 続いて澤地久枝。この人は昭和5(1930)年生まれだから、84歳だ。気丈だね。しかし、「安倍晋三に原発廃止を言わせたい」という主張は、いかがなものか。替えなきゃ無理ではなかろうか。

 「台湾・台湾緑色公民行動連盟」事務局長のチェ・スーシンが登場。台湾の反原発運動では、2013年に22万人デモを実施したとのこと。5万人が道路に寝そべったデモにより、政府の新期原発計画を撤回させたことも含め、非常に刺激的な内容。
 それにしても、韓国も台湾も、二人とも女性だった。アジアの女性は強し、である。

 トークの締めは、落合恵子。あのレモンちゃんが、なんともたくましい闘士になったものだ。流石の弁舌で、「私たちxxxxxxであることを知っています」と、品のあるアジテーション。CCRのことは、ディスクジョッキー時代にもちろん知っているわけで、「私、昔そういう仕事してました」で、あの声を聞きながら受験勉強をしていた私などは少し、うるっときたぞ^^
 
 ほぼ予定時間の2時半。木内みどりから、1万6千人が集まったと報告。

 デモまでは、少し時間がありそうだ。日陰にいたら、なぜか東京新聞の取材を受けた。来た理由や持論を少し言って氏名と年齢、住んでいる場所まで聞かれたが、今日の東京新聞には載っていなかった^^

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 デモ出発前の様子だが、幟の数の多さで分かるように、各地域の労組や日教組の組織、反原発の組織の動員が主体で、何らそういった組織に所属しない私など、どうやってデモに参加したよいのやら分からない。学生時代のデモとは勝手が違う。

 司会の木内みどりも、私のような一人の市民に対する案内をしていなかったように思う。

 煙草を吸っていたら、「湘北教組」の腕章をした方がいたので、お聞きすると私の住まいを含む地域の教職員組合の先生だったので、一般市民だが一緒に歩かせて欲しいとい言ったらご快諾いただいた。その先生のお話では、「一般の方なら、我々より早く出発できるはずですが」とおっしゃるが、前の方でテレビや新聞に顔が出るのは恥ずかしい^^

 3時過ぎに出発。とはいえ、亀戸公園を出るま約2時間は牛歩状態・・・・・・。公演を出て、亀戸駅から錦糸町駅を超えてデモ行進。
 先導車から「シュプレヒコール」と掛け声がああり、その声に従って、「原発はいらない」「川内原発再稼動は許さないぞ」「もんじゅも廃炉にしろ」「核燃料サイクル計画反対」(これが言いにくい^^)「安心・安全な生活を守ろう」「放射能はいらない」「子供を放射能から守ろう」などと訴えながら、大横川親水公園で解散するまでほぼ1時間半。

 先生方と飲んでいこうかとも一瞬思ったが、決して錦糸町から家まで、近くはない。

 6時頃に錦糸町から半蔵門線で帰途についた。

 デモに参加した実感として、労組や日教組の動員は重要だが、いわゆる一般市民の参加を増やす工夫が欲しい。

 どの組織にも属さない市民のために会場の窓口をつくって欲しいと思う。
 ほとんどがデモに参加するのは初めてで、要領が分からないために来ない人もいるのではなかろうか。

 天気も良く、ハイキング気分で参加できるような集会だったことを考えると、集会・デモについて知らないために不安があって来なかった人たちが多いだろうと思うと、残念である。

 もちろん、実行委員会は、警察への諸届けやら、会場手配やら、各組織への連絡やら、大変な準備が必要なのは百も承知。特に今回は代々木公演から会場を変更して大変だったと思う。でも、あえて言うならば、集会・デモの垣根を低くすることでもっと一般市民の参加は増えると思う。
 人それぞれの生活は、いろいろとある。仕事も家庭の用事も、スポーツや趣味、通院や介護などなど。そういった繁忙な予定をなんとか調整してまでも一般市民に参加を誘引する魅力をどうつくっていくか。

 古今亭菊千代だけでなく、その集会のイベントでしかありえない落語家の組合せで噺を聴かせてくれる、などの演出があってもおかしくはない。
 制服向上委員会が出店を出していたが、いわゆるアイドルで、勇気をもって「原発反対」を唱え、トークに参加する人がいても不思議ではないだろう。

 少し古いアメリカのことだが、ジェーン・フォンダ、ジョーン・バエズ、そしてブルース・スプリングスティーン、そしてCCRなどを思い出す。日本でだってエセタイマーズのみならず、音楽や芸能の世界の人気者がトークに参加したり、ライブやサイン会を行うなどで、もっと動員は増えるはずだ。忌野清志郎が生きていれば、と思わないわけにはいかない。

 この集会の主催者が1000万人の署名を目指すように、今、必要なのは、安倍政権の暴挙を阻む、国民の声の「数」なのだ。

 デモにしろ署名にしろ、組織に属さない市民の参加もなければ、反原発という目的を果たせないのではなかろうか。

 トークで登場した方々にはご高齢者が多いし、参加者の方にも数多く見かけた。
 しかし、反原発は長~く継続的な戦いであり、ある意味で日常的な活動でなければならないと思う。

 親子連れ、若者をどれだけ反原発、反戦の合言葉で動員できるか、そこに日本の将来はかかっているような気がする。

 私はデモ解散の際、実に心地よい疲労感を味わった。

 そこに行く楽しみがあって、気軽に参加できる安心と安全性があり、大新聞はもちろんどのテレビ局も無視できない規模の、多くの一般市民を含む何十万という参加者による集会・デモが開催されるならば、そこに自分もいたいと思う。
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by kogotokoubei | 2014-09-24 05:47 | ある日の行動記録 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛