噺の話

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カテゴリ:伝統芸能( 3 )

 三遊亭金馬の『浮世断語』から、テキヤの符牒のことを紹介した。

 なぜ「香具師」と書いて「やし」と読むか、など香具師のことをどこかで読んだなぁ・・・と思って本棚を探し、ようやく見つけた。


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 『話藝-その系譜と展開』(三一書房、昭和52年初版発行)の中にある、小沢昭一「香具師の芸」だった。
 この本は、伝統芸術の会の編集だが、同会の会長は、心理学者の南博である。

 それでは、「香具師の芸」からご紹介。
「香具師」とは何か

 「テキヤ」ってことばが非常に耳新しい方もお一人や二人いらっしゃるかもしれませんので、私もウケウリですが、ちょっと申し上げますと、普通は「野士」ともいいます。野の士という字を本人たちは書きたがります。在野のさむらいっていうムードが自分たちにぴったりなんでしょうかね。ヤシ、テキヤ、同じことでございます。テキヤっていうのは「香具師」と書きます。
 なぜ香具の師がテキヤなのかっていうお話はあとにしまして、「テキヤ」っていうのはひっくり返したことばなんです。あの人たちはことばをひっくり返すんです。いまジャズマンもひっくり返します。「昭ちゃん、ルートコ行った?」なんて言います。トルコへ行ったかっていう、これはジャズマンのことばです。途中ですけれども、テキヤさんには隠語がたくさんあるわけです。そういう、その仲間だけで隠語のある世界っていうのは、僕は本物の世界じゃないかっていう気がするんですよ。はなし家さんがそうでしょう。すし屋だって、床屋だってそうでしょう。伝統が深くて、その仲間だけで閉鎖社会を作って長いこと腕をみがき上げてきた世界には、隠語ができるんですね。新劇にはないんだ。

 隠語(符牒)のある世界は“本物”、という小沢さんの指摘、よく分かるなぁ。
 『浮世断語』には、床屋で落語家と共通の符牒が普及した背景を説明していたが、それは、後日あらためてご紹介しよう。

 引用を続ける。

 ああいう隠語のある世界っていうのは僕は尊敬したいと思うんですが、「テキヤ」っていうのは、ひっくり返したことば、おそらく「ヤーテキ」ですね、もとは。「何テキ」っていうことばが昔あったんです。「おい、金テキ」とか「おい、昭テキ」とかって、人の名前を言うときでも、「何テキ」っていう言い方をする。これは「具体的」って言う場合の「テキ」とは使い方が違って、つまり「ヤーちゃん」とか「ヤー君」とかって意味で、「ヤー公」というのと同じような使い方。だから「ヤーテキ」って言っていたんです。その「ヤーテキ」の「ヤー」は野士の「ヤー」だ。だから逆に言うと、野士を「ヤーテキ」と言って、「ヤーテキ」をひっくり返して「テキヤー」、「テキヤー」「テキヤ」と言うんだっていう説があるんだけれども、これもどうもこじつけのような気もするのでありまして、ほんとうはよくわからないんですが、問題は「香具師」という字ですね。
 「○○テキ」という接尾語のことは分かるが、やはり、「ヤーテキ」--->「テキヤ」は、たしかに無理があるような、ないような。

 引用を続ける。

 「香具」っていうのを売っていた人がいたわけ。香具っていうのは、白檀とか伽羅とかっていう匂いもの、またその道具だけれども、これはお化粧品の一種というふうな考えがあるんですね。いま薬局行くと、お化粧品と薬品と同時に売っているんですが、あれは非常に古式ゆかしいことなんで、つまり、薬草、そういう薬と匂い袋などの香具、そういうものは同じ商売なんです。
 で、テキヤさんのほうでは、信仰神は神農皇帝というシナの神さまということになっています。関西のほうでは、テキヤっていうことばを言っても、あんまり通じません。神農さんて言いますね。関西のほうが根源により近いのでしょうか、とにかくテキヤさんの信仰神は神農さま。で、大阪なんかに行きますと、薬種問屋とか、昔の漢方薬、ああいう人たちの信仰神が神農さん。ですから、もとを正せばテキヤさんと薬屋さんとは同じ神職をもつ仲間、テキヤさんが実は薬売りなんです。薬売りであり、香具売りであるわけなんです。
 薬屋さんとテキヤさんとがこんなに近い関係なんてねぇ。
 この後に、歴史上のテキヤさんの名前が登場する。「ヤシ」の新たな語源の説も説明されている。

 ついこの前まで、といっても明治のことですが浅草の奥山で、長井兵助という居合い抜きがありました。それから松井源水という人がコマ回しをやっておりましたけれども、居合い抜きもコマ回しも付属品でありまして、つまりは歯みがき粉を売るのが本旨でありました。いろんなことをやって、結局最後は歯みがき粉を売るわけであります。歯みがき粉も薬品関係の品目ですね。
 こうして考えますと、「ヤシ」は「薬師(ヤクシ)」のつまったものという郡司正勝説のほうがほんとうのように思われます。
 郡司正勝先生の最近お書きになったものを読みますと、歌舞伎の俳優さんは、昔々ですが、やはり香具店を持ってる方が多かったそうですが、かつて香具師は日本の芸能の多くを傘下におさめていました。歌舞伎も、お上が許可して常設をみとめたものの他は、すべてが香具を売るための「愛敬芸術」として、寺社の境内で小屋掛けしていたもののようです。
 なるほど、そう言えば私が子供の頃に縁日で楽しみだった「ハブ液売り」(本書では、この後に「ヘビ屋」としてしっかり説明されている)も、あくまで薬を売るための芸だったのだよなぁ。

 たしかに、 「ヤクシ(薬師)」→「ヤシ」の方が、「野士」→「ヤシ」よりは、説得力があるように思う。
 郡司正勝さんは早大教授だった方で、歌舞伎、日本舞踊、民俗芸能を専攻された方。『話藝』の巻頭の章で「話芸とは」という文章が掲載されている。

 この後に、「タンカの構造」や、「ヘビ屋」のこと、「職人ブチ」「行者ブチ」など、学校では教えない楽しいことがたくさん書かれている。

 あらためて、小沢昭一さんが遺してくれた文章や画像、映像の歴史的な重要性に思いがいたるとともに、子供の頃の縁日の楽しさを思い出す、“小沢節”ともいえる文章を楽しむことができた。


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by kogotokoubei | 2015-08-23 09:14 | 伝統芸能 | Comments(2)
昨夜NHK Eテレで放送された「鬼の散りぎわ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~」の録画を見た。
NHK Eテレ「鬼の散りぎわ~文楽・竹本住大夫 最後の舞台~」

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*NHK Eテレのサイトより
 
 番組では、いろいろと印象的な場面や言葉があるのだが、若かりし頃に、住大夫が「雲の上の人」と語る山城少掾について稽古してきたことを紹介した後、本人の次の言葉が、思いを良く表わしていると思った。

 「文楽はよろしいで 浄瑠璃ってええもんでっせ
  ほんまによう出来てるわ
  せやからこれ 三百年も続いてんねんな
  そんだけやっぱり 先輩 亡き先輩方に感謝せないかんな
  こんな結構な芸を残してもろうてるさかいね
  これを後々 ずっと続けていってもらわないかん」

 きっと、こういった思いを常に忘れていないのだろう、この人間国宝は。

 この後に弟子竹本文字久大夫への稽古場面があるのだが、その様子に“芸を残す”ための執念を感じる。
 文字久大夫は入門30年、58歳なのだが、住大夫は途中で「しっかりせい!」と一喝!

 弟子への稽古の様子の後には、カルチャースクールでの素人への稽古風景、最後の教室の様子が紹介された。
 驚いたのは、まったく手を抜かないこと。真剣に教え、叱る。
 「もっと本読みしてこなあかん!」と一喝。
 
 庶民に愛された芸能、三百年続いた大阪の文化、ということへの思いがあるからこそなのだろう。

 その後、故団十郎や、坂田藤十郎などが登場し、歌舞伎への住大夫など文楽からの教えの重要性が語られる。

 大阪での最後の舞台、国立文楽劇場の楽屋。たくさんの人が訪れるのだが、人形遣いの人間国宝で住大夫と苦労をともにしてきた吉田蓑助と手を握り合ってお互い涙する場面には・・・こちらも胸が熱くなった。

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*終演後に舞台で手を取り合う竹本住大夫と吉田蓑助(NHK Eテレのサイトより)。 
 
 何も言わなくても、この二人は分かり合えるのだろう。

 舞台での挨拶。

 「私が去りました後、
  大阪で生まれ育った文楽を
  ご後援くださいますことをお願い申し上げます」

 この言葉、一番聞かせたいのは、その大阪の市長である。

 竹本住大夫については、『桂吉坊がきく藝』から二つの記事を書いたのでご興味のある方はご覧のほどを。
2014年5月31日のブログ
2014年6月1日のブログ

 再放送は、2014年6月28日(土)午前0時00分、金曜日深夜。見逃した方は、ぜひ。 .
 また、29日(日)の夜九時からは、同じEテレの「古典芸能への招待」で、国立文楽劇場の最後の公演「菅原伝授手習鑑」の放送がある。これは観なきゃ。NHKサイトの該当ページ
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by kogotokoubei | 2014-06-22 08:45 | 伝統芸能 | Comments(2)
 山田五十鈴が95歳で亡くなった。亡くなった時のことを演出家で長年親交があった北村文典が語っているニュースは、さまざまのメディアで取り扱っているが、写真がなかなか素敵なので、産経から引用する。
*このブログの通例で、敬称は略します。
MSN.産経ニュースの該当記事

「たぬき」の三味線の音に首動かす 当日の様子
2012.7.10 19:35

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「たぬき」の立花家橘之助の役を演じる
山田五十鈴さん=昭和52


 山田五十鈴さんの訃報を受け、長年親交のあった演出家の北村文典(ふみのり)さん(66)が10日、東京都内で会見を開き、亡くなる当日の様子などを明かした。

 北村さんは9日昼、入院先の都内の病院から「山田さんの呼吸の状態がいつもと違う」との連絡を受けた。駆けつけたところ、山田さんは酸素マスクを装着してベッドに横たわっていた。しかし、呼びかけにもうなずき、代表作の舞台「たぬき」の三味線の音を流すと、拍子を取るように首を動かしたという。

 血圧は安定していたが、夜になり容体が急変。医師らに囲まれ、「苦しむことも少なく、眠るように天寿を全うした」(北村さん)という。息を引き取った5分後に北村さんは再び病院に駆けつけた。山田さんの安らかな表情と艶やかな肌を見て、「僕が出会った頃の、50歳くらいの山田さんを見た気がした」という。


 舞台『たぬき』は、榎本滋民作。山田五十鈴が演じたのは立花家橘之助。古今亭志ん朝も出演した。

 矢野誠一は『落語讀本』(文春文庫*今では古書店でしか入手できない)における『権助提灯』の「こぼれ話」に、次のように書いている。

 明治・大正・昭和三代の寄席演藝界に君臨した女流音曲師立花家橘之助の生涯を劇化した榎本滋民作『たぬき』の初演は、一九七四年(昭和49)藝術座で、橘之助は山田五十鈴が扮した。
 この芝居のなかで、古今亭志ん朝の扮する若い落語家に、橘之助が『権助提灯』の稽古をつけるところがあった。志ん朝は、本職の、しかも格段にうまい落語家である。その志ん朝の『権助提灯』に山田五十鈴がダメを出す。無論、志ん朝は役者としてこの芝居に出ているのだから、わざと下手にしゃべる。そうはしても、才能ある落語家の根はかくせるものではなく、あたりまえのことだが、あとからダメを出す山田五十鈴よりもずっとうまい。けれども『権助提灯』というむずかしい落語のむずかしい部分のダメの出し方として、まことにはっきりと演じ方の相違を、山田五十鈴はしめしてみせた。つまり、落語の稽古をつけるしゃべり方というものを、きちんと把握した演じ方であることに、舌をまかされたのである。その上、男名前に固執した橘之助の勝気な一面を、落語の稽古を介して、はっきりと見せてくれたのだ。女優というよりも女役者といいたいひとである。



 残念ながらこの舞台を見ていないので、この稽古の様子は推測するしかないが、さぞかし落語愛好家の方には楽しい場面だったのだろうと思う。

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   今村信雄著『落語の世界』(平凡社ライブラリー)

 今村信雄は、著書『落語の世界』で、立花家橘之助について「女大名橘之助」という題で次のように書いている。

 落語研究会の中堅で、特に人気のあったのは、馬生とむらくだった。馬生は研究会には全然関係のなかった助六(あだ名しゃも)の門人で小助六といったが、後に馬生と改名し、また志ん生となった。むらくは大阪の落語家月亭都勇の倅で、笑福亭木鶴の門人となり、都木松と名乗った。どういう訳だったか東京へ出て来て浮世節の立花家橘之助(女)の弟子となり、橘松といった。のちに立花家左近と改め、また橘之助の亡父(*正しくは亡夫)六代目むらく(本名永瀬徳久)の跡をついで七代目むらくとなった。もともと橘之助は落語家ではないから師弟といっても名前だけ。東京へ来てからの橘松は円左についてはなしを習っていた。左近となったのもそんな所からつけた名前ではなかったろうか。橘之助は初代三遊亭円橘の弟子で、八歳で初高座、明治八年だった。地は彼女の少女時代三味線をひいていた清元喜代八に教えられた清元だったろうと思うが、長ずるに及んでからは、清元でござれ、長唄でござれ、常盤津でござれ、何でも自由にひきまくり、浮世節で名をなした。橘之助は三味線の名手で、長唄の三味線ひきなども舌を巻いて驚いたくらいだ。彼女は頗る浮気性で、橘之助の百人斬りなどといって有名だった。それが何処までも浮気で、十六歳の時に大阪に於ける中村雁次郎との初恋にはじまって、横綱常陸山との噂も高かったが、えらいことにただの一度もそういう意味で客に招かれたことはなかった。明治二十二年だから橘之助が二十二歳の時、四代目円生の門人全亭武松と深くなり手に手を取って東京を駆け落ちし、世間をあッといわせたが、やがて詫びをして二人は東京っへ帰って来て夫婦になった。おかげで武松は師匠に勘当され名前を取り上げられたので、暫く本名の永瀬徳久で席に出ていた。後にこれが六代目むらくになったのだが、明治四十年一月五日に病死している。後家になってから橘之助は盛んに浮気をしたらしい。


 名人芸を誇り、恋多き女性であった立花家橘之助が、山田五十鈴の人生と重なり合っているように思うのは私だけではないだろう。

 古今亭志ん朝の『たぬき』での役が、七代目むらく(のちの三代目三遊亭円馬)だったのかどうかは、勉強不足で分からない。しかし、そんな気はする。

 三代目三遊亭円馬と八代目文楽の誕生日である二年前の11月3日、すでに引用した『落語の世界』の文章の後に続く、橘之助をめぐる、むらくと四代目橘家円蔵の揉め事について書いたが、あらためて紹介したい。2010年11月3日のブログ

 しかし彼女はあだ名を女大名といわれたくらい我儘一ぱいだったから、金のある有名な男よりも若い前座などを多く愛した。翌朝彼女は男に向かって「お前気を残すんじゃないよ、これでお湯にでも行ってお出で」と、なにがしかの小遣いを与えたという話だ。
 弟子のむらくとの仲も、同業者の間で相当やかましくいわれていた。むらくと円蔵との喧嘩も鞘当の結果だそうだ。



 文楽の『芸談 あばらかべっそん』にも、喧嘩の理由を裏付ける内容があるのでこちらも再度紹介。*「むらく時代」の章から抜粋。桂文楽 『芸談 あばらかべっそん』
*私はこの本を「朝日ソノラマ」版で古書店で購入した。ちくま文庫で1992年に発行されたが、現在入手困難。事情があるのかもしれないが、ちくま文庫での再販あるいは新装版を期待している。あるいは小満ん著『べけんや』を発行してくれた河出文庫でも結構。落語の歴史を知る上でも貴重な記録である。
 

 何しろそのころの「朝寝坊むらく」の円馬師の売れ方といったらすばらしいもので、飛ぶ鳥を落す勢いの「首提灯」が特に巧かった品川の師匠(四世橘家円蔵)と、三遊派で女ながらも第一の勢力があった浮世節(うきよぶし—今日の俗曲)の立花家橘之助師とがいつもスケ(助演)にでてはひっぱったから、本来巧いところへ一そうメキメキと売出した。円馬師は、はなしかだがこの橘之助師の門人で、橘松から左近になったのです。
(中略)
 もちろん、古いはなしも前いったように何百とやれば、新作もいろいろやる、外国ダネの童話なんかへもサゲをつけて立派な落語にしましたし、踊りも上手で「槍さび」が十八番でしたが、それも普通の人のやるような丸橋の壕端なんかじゃない、同じ丸橋でも召捕りの大立廻りをやるし、国姓爺の楼門なんて皮肉なものもやるし、それにお花の心得があったもので、お花を生け終るまでをちゃんと「槍さび」の三味線に合わせてやった。
 こうなると流石の品川の師匠もそろそろこわくなって来たらしいので、そのときですよ、あの加納鉄斎(かのうてっさい)さんが、いま私が持っていますが師匠の似顔を煙草入れの筒へ彫って、その似顔の鼻を釘ぬきでぬこうとしている図柄なんですが、その脇に「名人にならぬよう御用心々々々」とさらに彫り付けたのをくれたくらいです。
 鉄斎さんがひいきにして心配してくれたよう、間のなく新富座へ惣見(そうけん)があったとき、芝居茶屋(昔はあった、お客を劇場へ案内する店)で品川の師匠と大喧嘩をして、東京を売ってしまいました。深いことは分かりませんが、橘之助師匠との三角関係だということです。


 “百人斬り”の魔力に円蔵もむらくも幻惑されてしまったわけだ。怖いね、女は。円蔵と喧嘩して橘之助から破門され大阪に戻ったのが円馬34歳の時。橘之助は円馬の16歳年上。円蔵が橘之助より二歳年上。52歳、50歳、34歳での三角関係だったわけだ。橘之助は円馬にとって落語ではなく、人生を“落伍”させられかけた師匠だったともいえる・・・・・・。(イマイチ・・・・・・。)

 さて、恋多き橘之助だが、その芸の凄さでも逸話を残している。たとえば、三味線の演奏中三絃のうち二絃が切れても、残りの一絃だけで、三絃ある時と変わらない演奏をして見せたと言われる。この橘之助の役は、山田五十鈴でなければ到底できなかっただろう。そして、今後、誰にも真似ができそうにないように思う。単に三味線が上手いだけでは舞台はつとまらない。芸が出来なければね。橘之助は、初代橘ノ円と夫婦となった後に引退し、余生を京都で過ごそうと昭和10(1935)年6月に引っ越しした矢先、北野天満宮そばの紙屋川が氾濫して自宅が流され、夫と共に水死した。慶応2(1866)年生まれ、68歳だった。

 この橘之助を描いた舞台で、山田五十鈴は芸術祭大賞を受賞しているし、その後女優として初の文化勲章を受章したのも、この舞台の高い評価が寄与していると思われる。

 ぜひとも『たぬき』の舞台の映像を、追悼番組として放送して欲しいものだ。
 実は、ほんのサワリだけは見たことがある。志ん朝が亡くなった後、平成13(2001)年10月6日にNHKで放送された追悼番組『古今亭志ん朝さん 江戸の粋をありがとう』の中で昭和49年の舞台の一部が紹介されていた。

 この舞台、ぜひ全篇見たいではないか。

 その映像は、もちろんある。NHKは1999年12月にBSで放送している。
NHKクロニクルの該当ページ

山川静夫の"華麗なる招待席"
−女優・山田五十鈴− ■舞台「たぬき」
1999年12月7日BS 2
主な出演者
山川静夫 山田五十鈴 都家歌六 日下武史 丹阿弥谷津子 小鹿ミキ 古今亭志ん朝 江戸家猫八


 これは、ぜひ放送して欲しいものだ。
 
 あるいは、1975年の正月に総合テレビで放送されたものでも良い。
NHKクロニクルの該当ページ

劇場中継
「たぬき」 ~立花家橘之助~
1975年1月2日総合
主な出演者
山田五十鈴 日下武史 丹阿弥谷津子 古今亭志ん朝 一の宮あつ子 江戸家猫八 金原亭馬の助


 ちなみに馬の助は、この年の12月の「たぬき」再演中に入院し、翌年2月に亡くなっている。馬の助の演技にも興味はあるが、いずれでも結構。

 NHKさん、よろしくお願いします!
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by kogotokoubei | 2012-07-11 20:15 | 伝統芸能 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛