噺の話

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カテゴリ:旧暦( 18 )

 今日8月9日は旧暦7月7日、七夕である。

 新暦の七夕に対して「伝統的七夕」と言うらしい。

 国立天文台のサイトに、今夜9時の東京における星空の図が掲載されている。

 営利目的でなければ利用可能のようなので、サイトから図と文章をお借りした。
国立天文台サイトの該当ページ

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「伝統的七夕」は、太陰太陽暦(いわゆる旧暦)の7月7日にちなんだ、かつての七夕のことです。この日の宵空には、七夕の星々が空高く昇り、上弦前の月が南西の空に輝きます。

現在使われている暦では伝統的七夕の日は毎年変わります。今年の伝統的七夕の日は8月9日です。

織姫星(こと座の1等星ベガ)と彦星(わし座の1等星アルタイル)、そして、夜空の暗い場所でしたら、天の川をさがしてみましょう。

2011年から展開されている「伝統的七夕ライトダウンキャンペーン」では、伝統的七夕の日を中心に、不要な照明を消して星空を見よう、と呼びかけています

 国立天文台などが主催している「伝統的七夕ライトダウンキャンペーン」のことが案内されている推進委員会のサイトはこちら。
「伝統的七夕ライトダウン推進委員会」のサイト

 オリンピック放送でテレビばかり見ていたり、スマホばかりに集中していると、目も神経も疲れる。

 ポケモンGOに熱中している方々も、ちょっと休みましょうよ。

 今夜は、その視線をぜひ空に向けて、織姫と彦星を探しましょう!
  
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by kogotokoubei | 2016-08-09 12:47 | 旧暦 | Comments(0)
 暑さ寒さも彼岸まで、の彼岸が過ぎ、もうじき旧暦9月、長月になる。

 長月の名の由来は諸説あるが、次第に夜が長くなるから、というのが本命(?)だろう。

 来週13日が旧暦の9月1日、再来週21日が重陽の節句の9月9日。

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荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』(集英社新書)

 以前にも紹介したことがあるが、『江戸・東京 下町の歳時記』は、浅草の老舗舞扇店である荒井文扇堂の四代目社長、荒井修さんの本。

 なぜ「重陽」の節句なのか・・・・・・。

 本書から重陽の節句に関する部分を引用したい。
■重陽の節句

 九月九日は「重陽の節句」です。陰と陽があるでしょう、陰は偶数、陽は奇数という考え方があって、この日は「九」という陽の数字が、それもいちばん大きい奇数が重なっている。それで「重陽」。なにかの祝いのときに、一万、三万、五万というような奇数のお金を入れるでしょう。これは陽の数字だからなんだね。だから、お金を渡すときに、ピン札の角をちょっと折って袋の中に入れるっていうのも、紙片の角を四つより五つにしたいがためなんですね。
 陰と陽の数字、知っているようで知らないことでしょう。
 勉強になるねぇ。
 引用を続ける。
 重陽の節句では、菊の節句ともいわれるので菊を手向けたり、菊切り蕎麦なんていうお蕎麦を食べたりもする。菊切りは普通に食べるもんじゃなくて、おやじなんかがわざわざ連れていってくれた。「どこどこで菊切りが始まったから、食いにいこう」なんて言ってね。あたしは、菊切りより、香りの立つ柚子切りのほうが好きなんだけど、季節のもんだからよく食べたりしましたよ。
 浅草寺では「菊供養」というのがあります。十月の十八日に行われているけど、この日は旧暦でいえば九月九日。みんなで菊を供えに行くんですよ。で、外供養といってすでに献菊されたものと交換してくる。
 でも、菊はまだつぼみだよ。つぼみの菊に半紙をぐるぐる巻いて、寺に持っていくの。あたしたちもよく行かされました。
 ついでにいうと、これも十月に入ってからだけど、昔は東京中の大きな神社仏閣では、「菊人形」というのをやってたね。あたちたちもよく見に連れていてもらったりしました。菊人形が芝居の出し物にちなんだものになっていたりすることが多くて、それがなんの芝居なのか、子供が当てられるかどうか試されるわけ。簡単な「助六」なんかはいいんだけど、ちょいと地味なのになると「なんだろう」なんてね。それを当てたりするのがうれしいかったね。

 私は、夏目漱石の『三四郎』に団子坂の菊人形のことが書かれていて、その当時の秋の風物詩のことを初めて知ったものだ。
 今では、菊人形を見ることのできる場所も、限られているように思う。


 さて、この季節、衣替えをすべきかどうか迷う人も多いと思うが、昔の人はどうしていたのか。
 今日では、6月1日、10月1日が、衣更えの目安となっているようだが、かつては、旧暦の特定の日を境に衣更えをしていた。


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松村賢治著『旧暦と暮らす-スローライフの知恵ごよみ-』(文春文庫)

 こちらも以前紹介したことがある本。
 著者は、社団法人大阪南太平洋協会の理事長で、同協会では「旧暦カレンダー」を発行している。
(社)大阪南太平洋協会のサイト

 本書から、ご紹介。
衣更え 

 平安時代の衣替えは、四月一日と十月一日だったそうです。もちろん旧暦の日付です。
 しかし、室町時代になると、武家の生活習慣が規範となって、四月一日に綿入れを袷(あわせ)に替え、さらに五月五日、端午の節供には帷子(かたびら)に替えました。すなわち、裏地を付けない単衣(ひとえ)の着物にしたのです。そして、九月一日には再び袷となり、更に九月九日の重陽の節供から、綿入れを着たそうです。
 これは、あくまで武家など上流社会の習慣で、江戸時代の商家などではこれを見習い、四月一日に綿入れから袷に、そして足袋をやめます。さらに、五月五日には単衣に「衣更え」です。九月一日にはまた袷に変え、足袋を履いて綿入れと、かなり規則正しく、四季の変化に衣装を合わせて、寒暖に対応していたようです。

 なるほど、旧暦の節句(節供)が、一つの季節の替わり目であり、衣更えの目安だったわけだ。
 単衣とか袷なんて言葉、今の若い人は読めるかなぁ。


 旧暦オタクなどと言われそうだが、やはり、自然と密着しているのは、新暦(グレゴリオ暦)ではなく、太陰太陽暦の旧暦だと思う。
 
 天気予報を参考に翌日着るものを選択するのを現代の知恵とするなら、旧暦を踏まえた季節の替り目に、「そうか、長月か」、「重陽の節供だね」などという会話とともに衣更えのことを話題にすることは、古からの知恵、ではなかろうか。
 

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by kogotokoubei | 2015-10-06 21:42 | 旧暦 | Comments(0)

 今日6月16日から、旧暦5月が始まる。

 沖縄は、本土が新暦での暮らしに染まっている今でも、旧暦に基づく風習や文化を残してくれている。 6月19日、旧暦5月4日は、那覇以外の地域で伝統的な手漕ぎのボートレース「ハーリー(ハーレー)」の日である。


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 上の写真は、この記事の後半でリンクをしている、沖縄観光・レジャーのおすすめスポット情報「たびカタログ」のサイトからお借りした。
 
 沖縄観光インフォメーションサービス(OIS)のサイトに、「ハーリーの起源」が丁寧に紹介されているので引用したい。
OISサイトの該当ページ

ハーリーは、今から600年前の琉球王朝時代に、中国から伝来したと言われています。

紀元前の中国、楚の時代、屈原(くつげん)という人物が居ました。彼は春秋戦国時代を代表する詩人であり、また有能な政治家でもあります。

屈原はその高い政治能力を活かし、楚の国王の側近として働いていました。国王からも国民からも敬愛されている屈原は、次第に他の重臣たちから妬まれるようになりました。
屈原を 妬んだ他の重臣たちは、屈原が不利になるような事を王に吹き込むようになりました。その結果、王の逆鱗に触れた屈原は、王の側近から外されることとなりました。
そんな中、王は秦の謀略におち、楚軍は大敗します。
その後、屈原は政治の世界に復帰しました。そこでまた、秦が王に家族の婚姻関係を結ぼうと持ちかけていることを知ります。
屈原は秦は信用ならないと、王に伝えましたが、親秦派の者に勧められた王は秦へ行くことにしました。
結果、王はまたもや秦の謀略にはまり、監禁されてしまうこととなりました。

王が秦に捕らえられた楚国では、新しい王をたてました。しかし、以前から屈原と仲が良くなかった新しい王は、屈原を江南へと左遷したのです。
その後、秦によって都が陥落し、楚の将来を悲観した屈原は「魚の腹に葬らるるとも 何ぞ俗々の身を以って 世の俗塵に染まん」(濁世に生きるより、魚の腹中に葬られるほうが潔い)という遺書を残し、川へと身を投げました。

屈原を慕う民達は「魚が屈原を傷つけないように」と太鼓やドラを使って魚を近づかせないようにしながら屈原を探しました。しかし残念ながら屈原は見つかりませんでした。それが5月5日のことだったと言われています。
そして毎年、屈原を偲んだ民が、龍船競漕を彼の命日に行うようになりました。これが中国での龍舟競漕(ドラゴンボート)の始まりだとされています。

 なんと、ハーリーの起源は“屈原”にあり、なのだった。

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屈原(Wikipedia「屈原」より)
Wikipedia「屈原」

 中国四千年の歴史の中で、最初の大詩人と言われる屈原について、少し書きたい。

 まず、屈原の祖国、楚と他の戦国時代の国について、地図で確認。
 戦国時代の、覇権を争った七つの国は、「戦国七雄」と言われた。
 Wikipedia「戦国七雄」から、地図を拝借。
Wikipedia「戦国七雄}
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 楚の南西に見える湖が洞庭湖。洞庭湖に注ぐ川の汨羅江に、屈原は身を投げたのである。

 「合従連衡」という言葉は、戦国七雄の政治的な施策に由来する。
 強国の秦に、他の六つの国が協力して戦おう、というのが「合従」。
 秦とそれぞれの国が結託しようというのが「連衡」である。

 同じ鬼谷門下の蘇秦が「合従」を唱え、張儀が蘇秦に対抗する意味も含め、「連衡」を主張した。この二人のことは、この後紹介する本で、史記の内容を分かりやすく解読してくれる。
 屈原は、隣国の斉と友好関係を築き秦と敵対する、合従を唱える人だった。
 しかし、楚には親秦派も多く、屈原は彼ら連衡派と敵対した。
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陳舜臣著『ものがたり 史記』

 陳舜臣さんの『ものがたり 史記』は、1983年に発行された朝日文庫版を持っているが、2008年に中公文庫でも再刊されているようだ。

 OISの「ハーリーの起源」にも丁寧に説明されているが、この本から少し補足したい。

 屈原は、楚の懐王に信頼されていたが、その懐王は屈原が止めるのを聞かず、秦の謀略家張儀に騙されて秦に抑留されていた。その間に、懐王の息子が頃襄王となって父親の後を継いだ。秦を脱出しようとした懐王だが、秦はそれに気づき、いちはやく道を遮断した。懐王は、趙に入ろうとしたのだが・・・・・・。
 趙は武霊王が引退して、その子恵王が国政を執っていた。恵王は懐王の亡命をうけいれると、秦の怒りを買うのは必定なので、その入国を拒んだ。
 趙で門前払いをくった懐王は、しかたがないので魏へ行こうとした。だが、追撃してきた秦軍につかまって、また秦へ送り帰されたのである。
 その翌年、すなわち頃襄王三年に、悲劇の懐王は秦で病死した。
 懐王の死後、楚の宮廷では、親秦派と抗秦派とのあいだにはげしい論戦が繰り広げられた。
 抵抗派の総帥屈原の胸には、怒りが燃えたぎっている。
 懐王の屈辱をおもうにつけても、横暴な秦はゆるしがたい。どうしても斉などの諸侯を力をあわせて、抵抗したいところである。それは楚のためだけでなく、ひろく大義のためでもある。
-屈原はそう信じた。
 だが、国政の基本方針は、屈原の意に反して、ますます秦との和親に傾いた。
 ずいぶん激越な言葉で、屈原はこの方針に反対したのに相違ない。いろんな人物が、彼によって指弾されたであろう。
 たとえば、懐王の末子の子蘭がそうだ。彼は屈原たち抵抗派の反対を押しきって、父王を秦王との会見に行かせたのである。頃襄王が即位すると、この子蘭が令尹といって、宰相のポストについた。
 屈原の火の玉のような弾劾の言葉を浴びて令尹の子蘭は、彼を宮廷から追い出さねばならないとおもった。そこで、上官大夫の新尚ら親秦派の重臣と提携して、屈原を追放する運動をはじめた。
 讒言の連発である。
 それがついに頃襄王をうごかして、屈原は追放されることになった。
 このまえは要職から退けられたていどだが、こんどは永久追放である。
 屈原は髪を結んだ紐を切った。
 文明人であることをやめたのだ。
 揚子江や洞庭湖のほとりをさまようとき、彼の髪は風に吹かれてみだれ飛んだ。顔はげっそりとやつれ、からだは枯木のように痩せ衰えた。
 揚子江の岸で、漁師が彼をみつけて、
「これはこれは、三閭大夫さまではござりませぬか。いったい、どうしてこんなところにおいでだね?」
 と、たずねた。
 楚の王族は、昭・屈・景の三姓で、それをすべる宮内大臣に相当するのが、三閭大夫である。
 屈原はかつてその地位にあった。
「世をあげて濁っているのに、わしひとりだけが澄んでいる。衆人はみな酔っているのに、わしひとりだけが醒めている。だから、追放されたんじゃよ」
 と、屈原は答えた。
「聖人さまちゅうのは」と、漁師は眉をしかめながら言った。-「世の中とともにうつりかわるとか聞いておりますだ。世の中がどろんこなら、その泥の流れにのって、波をあげたらようがしょう。みんなが酔っ払っておるなら、三閭大夫さまもごいっしょに、お酒を飲めばようがす。どうして、きれいな玉を抱いて、島流しなんぞになったのですかい?」
「髪を洗ったあとは、冠の塵を弾き、浴みをすれば、着物を振って払うものじゃ。きれいなからだで、垢に汚れたものを着けとうはない。そんなことなら、この川にとび込んで、魚にでも食われてしまったほうがましである。せっかく浩々として白いのに、どす黒いものといっしょになれようか」
 屈原はそう答えて立ち去り、「懐沙の賦」をつくり、汨羅の川に身を投げて死んだ。
 懐沙とは、沙石を抱いて入水することで、一説には、「長沙を懐(おも)う」の意であるという。汨羅は長沙に近い。
 つぎは「懐沙の賦」の一節である。-

 白を黒にかえ
 上をさかさまに下にする
 鳳凰さまは籠のなか
 鶏どもは翔び舞う
 玉石はまじり合い
 おなじ升ではかられる
 ・・・・・・・・・・・・
 屈原はそんな世のさまに絶望して死んだのだが、この賦は、

 明らかにもって君子に告ぐ
 吾、まさにもって類と為さんとす

 という句で結ばれている。
「類」とは、「法(のり)」、すなわち「手本」の意味である。
 (中 略)
 屈原が汨羅に投身したのは、頃襄王即位まもなくで、紀元前296年ごろとされている。もっとも、郭沫若はもっとのち、秦将白起が楚都を陥した紀元前278年説を唱えている。郭説によれば、屈原自殺の動機は、亡国を見るに忍びなかった、ということになろう。
 民間の言いならわしにすぎないが、死んだのは五月五日だという。
 いつのことからか、屈原の命日に、竹筒に米などを入れて水に投げ込み、屈原の怨霊をなだめる風習がおこなわれるようになった。これがチマキの起源という。

 陳さんは、実にあっさり書いているが、五月五日-屈原の命日-チマキ、が端午の節句の起源とされているのだ。
 端午の節句は、別名、菖蒲の節句、まさにこの季節なのである。ちなみに、今年新暦の5月5日は、旧暦では三月十七日だった。菖蒲が咲くはずもない。
 今日、「端午」なんて言うと、「アルゼンチン?」なんて聞かれそうではないか(^^)


 白を黒にかえ
 上をさかさまに下にする

 まるで、今の安部政権のことではないか。

 さて、中国のこと。
 春秋から戦国時代、そして項羽と劉邦の時代と、中国の歴史には、数多くの偉大な人物が登場するが、偉大な詩人であり政治家であった屈原も、その中の一人として、後世に名を残している。
 沖縄の「ハーリー」が、那覇以外ではいまだに旧暦で開催されていることは、非常に結構なことだと思う。
 ハーリーの起源をたどることで、屈原という人物が思い起こされるきっかけになる。
 今の時代の日本の政治家と比べるのは、最後まで自分の信念を曲げなかった屈原に、はなはだ失礼だが、屈原に比べて、‘ぶれる’人ばかりなのが今日の状況ではないか。
 自民党の高村副総裁なんか、つい数年前に自分で言ったことと正反対なことをメディアで言いまくっている。
 また、現在の永田町を見ると、目先の利益のみを追いかけるスケールの小さな合従連衡を繰り広げ、いわば、蝸牛角上の争いに終始している。

 楚が斉と近づくのを防ぐため、斉との提携をやめるなら土地を分けてやると言う嘘をついて懐王を抑留した秦は、今の集団的自衛権問題やTPPにおけるアメリカの姿を思わないでもない。
 しかし、楚である日本の政府には、屈原はいない。
 屈原の爪の垢を煎じてペットボトルに詰め、「汨羅の水」とでも名付けて永田町で売りたいものだが・・・売れないか(^^)

 そんな濁り切った政治の世界ではあるが、国会前のデモには、佐平次さんはじめ、多数の方が押し寄せている。
 「吾、まさにもって類と為さんとす」という心意気を持った一人一人の行動は尊い。

 私が、昨年9月に亀戸に行った「さようなら原発 全国集会」の人数は、1万6千人だった。
2014年9月24日のブログ
14日、国会前には、なんと2万5千人の心ある人々が集まった。
 潮目は明らかに変わってきた。

 屈原は一人では勝つことはできなかったが、一人一人の結集は、大きな力を生み出すに違いない。
 
 沖縄観光の情報を案内してくれる「たびカタロク」や「おきなわ物語」といったサイトに、今週末に糸満などで開催される「ハーリー」の情報が記されている。
沖縄観光・レジャーのおすすめスポット情報「たびカタログ」サイトの該当ページ
沖縄観光情報WEBサイト「おきなわ物語」サイトの該当ページ

 行けそうにはないが、話題になることで、その起源を知る人が増えることを期待している。
 20日の土曜日は、旧暦五月五日だ。チマキを食べて、屈原を偲ぼうか。

 たしかに、アメリカに学ぶこともあると思うし、日本は多くを学んで経済的に成長してきたことは、事実だろう。
 しかし、世の中、経済がすべてではない。
 その昔、この国のリーダーとなる人々が多くのことを学んだ中国のこと、史記や四書五経などを、日本はきっぱりと忘れ去ってしまっていいのだろうか。

 安倍政権が安保法案、TPPに前のめりになるのは、明らかにアメリカの力を背後に感じさせる。
 しかし、それは、中国や韓国など、アジアの近隣諸国との関係に配慮を欠いたものと言わざるを得ない。

 旧暦(太陰太陽暦)という、自然、四季、農作業などと密着した暦を未だに捨てない沖縄に、米軍基地の大半がある、ということは、あまりにも皮肉ではないか。

 「ハーリー」の起源をたどることで、そんな諸々にまでも、思いが至るのだった。

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by kogotokoubei | 2015-06-16 21:42 | 旧暦 | Comments(0)
3月5日は、旧暦の1月15日。

 韓国の新聞「中央日報」日本語版から引用。
中央日報の該当記事

豊作祈願する小正月の行事=韓国・大田
2015年03月05日08時20分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]


 小正月を翌日に控えた4日、豊作と新年の祈願をするタルジプテウギ(わらや薪の山を燃やす行事)が大田市杞城洞(テジョンシ・キソンドン)の野原で行われた。

 該当記事には、写真もある。

 左義長(さぎちょう、三毬杖)と言われる、小正月に行われる火祭りの行事は、日本にももちろんあって、地方により、どんど焼、どんと祭り、歳の神、墨塗り、ぐろ、かんがり、などさまざまな呼び方がある。
 多くは正月飾りや書き初めを燃やす行事で、その煙に乗って年神様が天上に帰るとされており、その火で焼いた餅を食べると一年健康で過ごせる、という言い伝えもある。

 今でも、新暦1月15日に行事が行われる地方があるので、テレビのニュースなどで知っている人も多いだろう。

 しかし、お祝いの主旨が月に関わっているので、これは旧暦で祝って欲しいと思う。
 旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月)、その年の最初の満月であることを祝うのが小正月。
 元日のことを「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになった。。

 無病息災を祈り小豆粥を食べる習慣がある、いや、あった、と過去形で書かなければならないかなぁ。

 正確な月齢では明日6日が満月だが、今夜だって非常に結構なお月様である。

 正月を小正月までと考える地域もある。

 餅花を飾り、豊作を祈る行事など、まだ残っているのだろうか。

 中国では「元宵節(げんしょうせつ)」と呼び、地域によってさまざまな行事があるようだ。
 また、元宵節はランタンとの関わりが強いらしい。Wikipediaより引用する。Wikipedia「元宵節」
ランタンの歴史

元宵節にランタンが用いられるようになって以来、歴代の中国王朝では元宵節は盛大な年中行事となった。南北朝時代、梁の簡文帝による元宵節の様子を描写した『列灯詩賦』なども残されている。また隋代になると外国使節の参内を元宵節に定め、多くのランランを用いた元宵節を見学させることで国力の充実を内外に示した。

中唐になると更に盛大な行事となった。唐代にランタンを用いるのは元宵節及び前後一日とされ、漢代から1日とされた元宵節が3日間とされた。唐朝では都城である長安では夜間の外出が禁じられていたが、元宵節に限ってはこの禁令が解かれ、民衆がランタンを見るために賑わった。また国力が充実していた時期には王侯貴族が自らの富を表現する場として元宵節が選ばれ、『開元天宝記事』には玄宗により高さ150尺のランタンを、楊貴妃の姉に当たる韓国夫人も「百枝灯樹」なる大規模なランタンを製作したと記録されている。

宋代になると元宵節は更に盛大になり、太祖により期間も正月14日から18日の5日間に延長された。ランタンも唐代のものに比べて精巧且つ豪華なものとなり、辛棄疾の『青玉案・元夕』に当時の元宵節の盛大さが描写されている。宋代の元宵節は朝廷より民衆に酒が下賜されたことで更に多くの人出を見るようになった。またこの時期よりランタンに謎掛けを行う習慣も登場している。

清代になると満洲より氷灯が中原に紹介され、ランタンの製作に影響を与えたと言われている。

 中国の人が、元宵節に何を食べるか、ということをご紹介。
元宵節には湯円を食べる習慣がある。湯円はもち米を原料とした団子であり、中には様々な具が入れられる。甘いものとしては砂糖、胡桃、ゴマ、小豆餡、氷砂糖などが、塩辛いものとしては肉や野菜で作られた具が入れられる。

熱湯の入れられた鍋で茹でる際、湯の中で団子が踊る姿を天に輝く満月に見立てた。そして家庭が団円(円満の意味)と音が似ている「湯円」という漢字が使用され、宋代の周必大も『元宵煮浮円子」という詩の中で「今夕是何夕、団円事事同」と表現し、現在でも台湾では「吃了湯円好団円」という民謡が広く知られている。

 月--丸い団子→家庭円満、とは、なかなか洒落てるね。

 会社の中国人の社員は、昨夜いろんな種類のお団子をつくって、今朝も食べてきたらしい。
 子どもの頃、故郷の町では道路の両側に色とりどりのランタンが飾られ、夜店で買ったものを食べながら眺めるのが毎年の楽しみだったとのこと。

 このWikipediaでは、落語に関する新たな発見があった。有名なあの怪談噺の原作についてである。

牡丹燈籠

牡丹燈籠の原作である剪燈新話では、主人公二人は元宵節のランタン見物で出会うことになっている。これを牡丹燈籠では、盂蘭盆会に移し変えた。


 落語愛好家にとっても、勉強になるねぇ^^

 日本は、アジアの隣人たちとの関係を、もっと友好的なものに改善する必要があると思う。
 同じ時期に、同じような祭事を祝うことで、共通の話題に花が咲くこともあるだろう。

 何度も書いているが、中国や韓国、そして東アジアの人たちは、新暦はあくまで方便として使い、生活習慣や農作業、祭事などは自然と密着した旧暦(ほぼ太陰太陽暦)が基本である。
 日本は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という勢いで、旧暦を忘れてしまった。
 それは、アジアの人たちとの共通言語を失ったともいえる大きな損失だ。

 本来の旧暦で、伝統のある行事を祝おうとする動きがないのが、残念でならない。
 
 こんなことを書くと「旧暦オタク」などと言われるのだろうが、それでも結構。

 望月(満月)を祝う行事は、満月の時にしましょうよ!
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by kogotokoubei | 2015-03-05 08:44 | 旧暦 | Comments(2)
旧暦で今日2月18日が大晦日、明日19日が春節、日本での旧正月。

 春節ということで、中国からの観光客の話題をさまざまなメディアが取り上げている。

 講談社の「現代ビジネス」のサイトに、中国の春節の旅行事情に関する記事があり、結構興味深い内容を含んでいたので、紹介したい。近藤大介というライターは、『月刊現代』副編集長、『週刊現代』副編集長などを経て、現在は講談社(北京)文化有限公司副総経理とのこと。(太字は管理人)
「現代ビジネス」サイトの該当記事

 まず、中国人の海外旅行者の大幅な伸び、その人数の凄さについて。

昨年12月3日、中国国家観光局の張吉林スポークスマンが記者会見を開いて、次のように述べた。

「先月、ついに今年の海外旅行者が、初めて1億人を突破しました。中国人の生活水準の向上によって、中国人と世界各国の人々との交流は、新たな1ページを刻んだのです。『請進来』(いらっしゃいませ)から『走出去』(いってらっしゃい)への転換です。

海外旅行の統計を取り始めた1998年は、843万人でした。それが今年、10.8倍を超えて1億人に達したのです。内訳は、アジア地域が89.5%で、うち香港・マカオ・台湾が70.4%、ヨーロッパ地域が3.5%、アフリカ地域が3.0%、アメリカ地域が2.7%、太平洋諸島諸国が1.1%、その他の地域が0.2%です。

わが国の観光客が100万人以上訪問した国は、韓国、タイ、日本、アメリカ、ベトナム、それにシンガポールの計6ヵ国です。今年に入って特に激増しているのが、韓国と日本への観光旅行です」

続いて、2月9日に北京で開かれた全国旅行市場工作会議で、国家観光局の杜江副局長は、次のように述べた。

「2014年の外国人の中国への観光客数は、前年比0.27%増の2636万人。それに対して中国人の海外(香港・マカオ・台湾を含む)への旅行客数は、前年比19.49%増の1億700万人で、初めて1億人を突破した」


 貿易収支を真似て中国への「In」と「Out」を比べると、1億700万人-2636万人=80,640,000となって、約8000万人、海外へ行く旅行者が海外から中国へ来る旅行者を上回っている。

 さて、春節での旅行先で日本は人気が高いようだが、その理由が挙げられている。

 実際、今年の春節を挟んだ前後2週間ほどは、空前の海外旅行ラッシュとなっている。今年の5大人気スポットは、日本、韓国、台湾、タイ、バリ島だそうである。

日本が5大人気観光地の一角に入ったのは、主に3つの理由がある。第一に、円安元高だ。昨年来、日本旅行は3割くらい安くなった感じがする。現在の日本旅行の目安は、1日あたり1,000元(1元≒19.1円)で、4泊5日なら5,000元(約10万円)だ。だが春節の季節は値上がりが激しく、通常時の1.5倍くらいにハネ上がっているツアーもある。

訪日中国人が増えた二つ目の理由は、日本政府が1月19日に、ビザの条件を緩和したことである。観光ビザの規定というのは、4つの官庁の合議で決める。外務省、法務省、警察庁、国土交通省(観光庁)である。このうち国土交通省が開放派で、法務省と警察庁が保守的、外務省がその中間だそうだ。だが今回は、安倍官邸の強い意向を受けて、大幅緩和となった。

具体的に個人の観光ビザに関しては、高額所得者及びその家族は初回でも5年間の数次ビザを発給し、中間層でも過去3年以内に日本への渡航歴があれば、家族も含めて数次ビザを発給するとした。多くの中国人は、一度日本へ来ると、「親日」になって帰国する。そうした層をもう一度、日本に取り込もうというのである。もちろん団体旅行であれば、もっと簡単にビザを発給する。

三番目の理由は、昨年11月の北京APECで、安倍晋三首相と習近平主席が握手したことである。習近平主席の仏頂面握手は物議を醸したが、それでも敵同士のようだった両国が、表面的にでも和解してみせたことで、中国人からすれば日本旅行に行きやすくなったのである。


 一度日本に来ると、多くの中国人が親日家になって帰る、ということは、実に嬉しいことだ。

 日本への旅行者の数、そして、いわゆる経済効果について、次のように書かれている。

昨年、日本を訪れた中国人観光客は240万9200人で、前年比83.3%増! 今年は300万人を突破し、台湾と韓国を抜いてトップに立つのが確実と見られている。一人あたりの平均消費額も23万円とダントツで、計5,600億円も日本に落としてくれた。これは全体の2兆305億円の約27%にあたる。


 日本人の礼儀正しさ、綺麗好き、優しさ、などが親日家になる要素に入るのだろうが、よく考えると主たる旅行目的が買い物であろうから、お店の人が丁寧に優しく振る舞うのは、どこの国、都市だって共通だろうとは思う。しかし、、自国(中国)の接客態度との差は大きかろう。

 日本土産の人気商品について。

また、中国新聞網の記事によれば、一昔前の日本みやげの「三種の神器」は、デジタルカメラ、炊飯器、腕時計だった。だがいまは、ステンレスボトル、化粧品、バッグに変わったという。

ステンレスボトルとは、水筒のことだ。実際に私も売り場へ行ってみて驚いたが、大量に並んだ商品は、すべて中国人の観光客向けに並べたものだった。保温専用のもの、保冷専用のもの、中にコップのついたもの、口が広いものに狭いもの、片手で開けられるもの・・・。これらが大きさ別、色別に多種多様に並んでいる。加えてボトルを入れるポーチや、中を洗う洗剤など、付属用品までズラリ取り揃えてあるのだ。


 お土産の人気製品については、次のような情報もある。時事ドットコムからの引用。
時事ドットコムの該当記事

日本旅行、洗浄便座購入が人気=旧正月、519万人が海外へ−中国

【北京時事】中国国家観光局は17日、春節(旧正月)に伴う大型連休(18~24日)を前に、期間中に海外(香港・マカオを除く)旅行のため出国する国民が、前年と比べ約10%増の延べ519万人に上ると発表した。「海外旅行ブーム」が本格化する中、円安などの影響で日本旅行に人気が集まっており、中国メディアは日本で温水洗浄便座を買う中国人観光客に焦点を当てた記事を相次いで掲載している。

 「中国の消費者はなぜ、日本の洗浄便座をわれ先に買おうと熱狂するのか」。15日付の中国紙・北京青年報はこう見出しを掲げる記事を掲載。除臭、洗浄、抗菌などの機能の付いた便座は電気炊飯器に続き、日本での買い物で欠かせない一品となっており、約2000元(約3万8000円)の商品が売れ筋だと紹介した。
 共産党機関紙・人民日報も先に、「中国にも同じ商品があるのに、なぜ日本で便座を買うのか」と問い掛け、「彼らは国内の製品では満足を得られていない」と指摘。「コピー・偽物を取り締まり、絶えず技術革新を行えば、近い将来に中国で製造した便座にも人気が集まると信じる」として、日本に学ぶことが必要との見方を示した。
 日本政府観光局によると、昨年の中国からの訪日者数は約240万人で、前年比83%増を記録した。北京の日本大使館によれば、春節前の1月の訪日ビザ発給件数は中国全土で約25万件で、昨年1月の約14万5000件を大幅に上回った。(2015/02/17-18:35)


 春節での日本土産のおかげで、中国で「TOTO」や「INAX」という言葉が普及しそうだ。

 しかし、ウォシュレットが売れるということは、中国で「お尻を洗いたい」という文化が浸透し始めたということで、これは、結構画期的なことだと思う。

 三宅秀道著の『新しい市場のつくりかた』(東洋経済新報社、2012年発行)は、「なぜトーマス・エジソンには、ウォシュレットがつくれなかったのだろう?」という問いかけに対し、「自分のお尻を洗えないという不幸せを不幸せと思えなかったことにある。つまり、「お尻を洗うと気持ちがよいのではないか?」という問題を発明することができなかったからだ、としている。著者は、新市場の創出には4つの制約条件があると指摘する。
三宅秀道著『新しい市場のつくりかた』

 湯之上隆が著書『日本型モノづくりの敗北』(文春新書、2013年発行)の中で、『新しい市場のつくりかた』を元に、制約条件と、「しあわせ創出」による新市場の創出について、次のような図をつくっている。(この図そのものは管理人作成)
湯之上隆著『日本型モノづくりの敗北』

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 ウォシュレットは、新たな「しあわせ創出」であり、「問題の発明」「市場の発明」であるという主張は、今後の日本の製造業にとって重要な示唆だと思う。

 さて、一部の富裕層ではあろうが、中国の人も「お尻をきれいにすることが、しあわせ」と思うようになってきたのは、文化的制約を越えたということで、結構、画期的なことではなかろうか。

 しかし、新しい「しあわせ」感が出来上がっても、上の図でも分かるように、他の制約条件が満たされているかどうかも、重要。特に「技術的制約」や「社会的制約」は、まだ課題がありそうだ。

 だから、日本の便座は、そのまま中国で使えるのか、という疑問が湧く。

 そう思っていたら、チャイナネット(「中国網」)に、次のような記事が掲載されていた。
「チャイナネット」の該当記事

日本のウォシュレット、中国での使用で注意すべきことは?
発信時間: 2015-02-17 11:23:31

日本製の炊飯器に続き、日本製のウォシュレットも流行している。日本を訪れた多くの中国人消費者の購入リストのうち、除臭・水洗・ドライ・抗菌・マッサージ機能を持つウォシュレットが「必買品」の一つになっている。中国人ツアー客がよく訪れる家電量販店では、売り切れが相次いでいるほどだ。

人々は日本製のウォシュレットを購入すると同時に、この海外製品が自国での使用に適していない可能性に注意するべきだ。北京青年報の記者の調べによると、一部の消費者は日本から持ち帰ったウォシュレットを使い始めたばかりで、水が詰まるという問題を報告している。検査の結果、水垢が吐水口を詰まらせたことが分かった。このウォシュレットには温水機能がついているが、実際には小型貯水タンク内の水を常に加熱することで温度を維持している。問題はここにある。日本の水は水質が柔らかく、加熱と冷却によって多くの水垢が発生することはない。中国の多くの地域では水質が硬く、水垢によって吐水口を詰まらせやすい。ゆえに水質が硬い地域では、このウォシュレットを5−6ヶ月使用しただけで、吐水口が故障する可能性がある。記者の調べによると、ウォシュレットには全世界のアフターサービスが存在せず、中国で故障した場合は厄介なことになる。

それから日本でウォシュレットを購入する中国人消費者は、日本の電圧が110Vで、中国は220Vであることに注意が必要だ。ウォシュレットのようにプラグを直接差し込み交流を使用する家電は、携帯電話やノートPCのような電圧範囲が広い製品ほど便利ではない。他にもこれらのウォシュレットは取り付けの際に、近くに水道や電線とコンセントが必要だ。中国の多くの家屋は建築の際にこれらの設備を取り付けておらず、わざわざ水道管や電線を引っ張ってきて取り付けても、海外で目にするほど美しくは見えない可能性がある。


 せっかく買っていった洗浄便座も、そのままでは使えない可能性がある。いや、そのまま使えない可能性の方が高いのではなかろうか。

 お店でも、使用するための注意事項を説明するのだろうが、中国語が話せる店員は、それほど多くはいないだろう。

 もし、せっかく買った便座が家に帰って使えないために、それまで抱いていた親日の感情が、反日感情に変わらなければいいのだが。

 とても「水に流して」と言って許してくれそうには思えない^^
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by kogotokoubei | 2015-02-18 19:39 | 旧暦 | Comments(0)
 明日12月22日は、冬至。
 旧暦では、今年閏九月があったこともあり、明日で11月1日。旧暦で最初の日は“朔日(さくじつ”と言う。朔は、新月の意味。
 そういうこともあり、今年の冬至は「朔旦冬至(さくたんとうじ)」と呼ばれる19年に一度の冬至で、新月と冬至が重なる。

 満月に比べ新月は真っ暗闇なので縁起が悪いのか、と言うと、そうでもない。
 古来、冬至は極限まで弱まった太陽が復活する日、すなわち「復活の日」とされている。

 太陽と月の復活の日が重なるのが「朔旦冬至」。だから非常にめでたい日とされ、古来朝廷では盛大な祝宴を催したといわれている。また恩赦を行い,田租を免じ,あるいは叙位を行うこともあったらしい。

 いろいろあった今年だが、ぜひ、戦争のない、そして原発の恐怖のない、平和な日本の“復活”につながる「朔旦冬至」となって欲しいと祈るばかり!
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by kogotokoubei | 2014-12-21 19:14 | 旧暦 | Comments(2)
今週の土曜、8月2日は、旧暦の7月7日で七夕。
 私が度々お世話になる「六曜・月齢・旧暦カレンダー」でご確認のほどを。
六曜・月齢・旧暦カレンダー
 
 西日本では曇りや雨の予報もあるようだが、中部から以東では概ね星が見えそうだ。上弦に近い(半月の)月齢なので、ほどよく星も見えるというわけだ。

 以前にも紹介したことがあるが、『旧暦はくらしの羅針盤』(小林弦彦著、NHK生活人新書)から引用。
 第3章「旧暦で本当の季節感を取り戻そう」から。
小林弦彦著『旧暦はくらしの羅針盤』

七夕
旧暦七月七日は七夕で、五節供の第四番目です。夏祭のシーズンも終わり、秋風を少し感じる頃に「七夕」がやってきます。澄み渡る夜空には、七日目の半月が輝いています。半月の明るさは満月の十二分の一です。ですから、天の川も牽牛と織姫星が、きれいに見えるのです。夜のロマンです。七夕飾りの笹には、色紙や短冊などが吊るされました。商家では、それらの他に商売繁盛を願って大福帳なども吊るしたそうです。

<ここがヘン!>雨に祟られデートもままならぬ牽牛と織姫
 旧暦時代の七夕は、夢とロマンの行事でした。現在の七夕も、旧暦時代を真似て笹に短冊を結びつけて、子どもには願いごとを書かせたりしていますが、背景が違います。
 まず秋でないこと。梅雨が終わっていないこと。お月様が半月かどうか分からないこと。
 もしも幸いに晴れていても、満月ならば、星は見えません。いずれにしても、子どもをがっかりさせる七夕になっています。もっとがっかりしているのが、牽牛と織姫でしょう。
 仙台が八月に七夕祭を行うのは、旧暦に季節を近づけようと、努力しているからです。
 俳句の季語では「七夕」は秋になっています。旧暦七月の異称は、文月です。芭蕉の『おくのほそ道』に「文月や六日も常の夜には似ず」と、七夕の前夜に詠んだ句があります。また、「荒海や佐渡によこたふ天河」と七夕を詠んだ句もあります。与謝蕪村(1716~84年)のロマンあふれた句もあります。「戀(こい)さまざま願の絲(いと)も白きより」



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(「伝統的七夕ライトダウン2014推進委員会」のサイトより借用)

 国立天文台などは、「伝統的七夕ライトダウン」という行事を行っており、石垣島で「南の島の星まつり」も行われる。

 「伝統的七夕ライトダウン2014推進委員会」のサイトをご確認いただき、ぜひ、今週末の夜、家の明りを消して、星を眺めようではないか。「伝統的七夕ライトダウン2014推進委員会」のサイト

 もちろん、節電にもなるよね。
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by kogotokoubei | 2014-07-29 19:52 | 旧暦 | Comments(0)
ちょうど一年前にも、明日の「清明」について書いた。
2013年4月4日のブログ

 二十四節気で春分の次の清明は、「万物が発生、清く明らかになる時期」と考えられている。

 中国では、日本のお彼岸やお盆のようにお墓参りをして墓石を綺麗に掃除し、その後で一族で宴会になるようだ。祝日であり春節の次に長期休暇をとる期間である。

 会社の中国人社員は、先日まで家族と一緒に中国に帰郷し仕事の関係で戻ってきたのだが、親御さんはそのまま残って明日お墓参りをするらしい。

 日本において、かろうじて旧暦の名残りを残す沖縄では、清明を「シーミー」と呼ぶ。

 沖縄にある、臨済宗相国寺派の嶺南山通天寺というお寺のサイトを見つけた。暦と行事について、次のように書いてある。
通天寺のサイト

沖縄の暦・行事

沖縄では旧暦(陰暦)で祭りごとや行事を行う風習が 今でも息づいています。
旧暦はいにしえの人々の生活から生まれた暦であり、 太陽や月、星々の見え方の違いで 季節を感じ、日々の暮らしに活かしてきました。 特に「潮の満ち干」が人の生死に関係があると考えている沖縄では、 人は満ち潮のときに生まれ、引き潮のときに死ぬことが 多いと考えられています。
また、祭りごとの多くが旧暦の15日に集中しているのも、 満月の日には人は気分が高揚し、余りあるエネルギーを祭りごとで 発散させるという先人の知恵があったとも言われています。 どちらにしても、旧暦とともに暮らす沖縄においては、 旧暦や潮の満ち引きなどは行事を行う上で なくてはならない存在なのです。



 最近は沖縄に旅行していないのだが、十年ほど前は、費用の高い盆暮れに(その時期しか長期休暇がとれなかった)、連れ合いと唯一共通の趣味であるスキューバダイビングに行ったものだ。だから「大潮」の意味するところは、それなりに分かる。

 旧暦は、太陰太陽暦で、月の運行を基本に太陽の運行も要素として取り入れた、生活と密着した優れものの暦。

 明治五年の改暦の背景について、昨年の雪の日に書いた。明治政府がグローバル化を図るため、というお題目はあったが、公務員の給料を減らすという目的も兼ねた拙速な改暦だった。
2013年1月14日のブログ

 沖縄以外の日本は、ものの見事に旧暦を忘れてしまった。

 そう思うと、アジアの隣人との関係にも、旧暦は影響しているかもしれないと思うのだ。

 中国や韓国との関係が緊張しているのは、もちろん安倍晋三のせいでもある。

 しかし、その深層には、旧暦を忘れた日本人と、明日の清明にお墓詣りをする中国や韓国の方との生活感のズレも影響しているのかもしれない。

 会社の中国人の社員(美人の女性ですよ^^)は、今日会った時「明日はお墓参りだね」と言うと、「よく知ってますね!」とニッコリ笑ってくれた。どんな料理を食べるのかとか、いろいろ教えてくれた。こんな話をできるのは、私だけだ、とも言っていた。


 日本のお盆のお墓参りは、どうしても8月15日と重複するために、国の首相や大臣が何らかの行動を示すと誤解を招く。だから、清明にお墓参りは、ちょうど花見の季節でもあり理にかなっているように思うなぁ。

 私は、あくまで落語や江戸時代の庶民の生活が好きなので、旧暦のことに関心がある。誰もが旧暦を意識して生活すべきだ、とまで言おうとは思わない。しかし、アジアの隣人のことを知り良好な関係を築くためには、相手の習慣や文化を知っておくことは大事だと思う。


 明日のテレビの天気予報では、「今日は二十四節気の清明」と、その意味も分からず言うことだろうが、お天気キャスターなる者が、その清明の日にお墓参りに行くことはないだろう。
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by kogotokoubei | 2014-04-04 19:32 | 旧暦 | Comments(0)
旧暦では、今日が大晦日、明日が元旦。

 中国では大晦日の夜、家族団らんで夕食をすること(「団円飯」と言う)が大事なこととされている。

 会社の中国出身の社員に聞いたところ、団円飯の料理は、東北地方では餃子を食べるが、南方では食べないという違いはあるが、共通するのが、縁起の良い鶏料理や魚料理を食べること。
 鶏を中国語で「ジー」と発音し、吉も「ジー」と発音すること、魚を中国語で「ユー」と発音し、お金がたくさん余るようにの余も「ユー」と発音するためらしい。

 昨今は、中国などアジアの中華圏で「春節の民族大移動」といったニュースが報道されるので、「あぁ、旧暦で正月なんだぁ」と気づかされるかと思う。

 中国における春節の交通ラッシュを「春運」と言うが、予想では春節の二週間ほど前から始まり、述べ36億人の大移動があるとのこと。

 昨今では中国の都市に住む富裕層を中心に、春節の長期休暇を利用して海外旅行をする人も多いらしい。中国情報ニュースサイト「新華経済」の次の記事のように、今年は国内旅行者より海外旅行者の方が上回るとの予想もある。
「新華経済」サイトの該当記事


春節期間中の旅行先、韓国・日本が人気、海外が初めて国内上回る—中国
2014年01月22日

今年の春節(旧正月)期間中に中国から海外旅行に出かける人の数が初めて、国内旅行に出かける人を上回るとの予測を中国旅游研究院が発表した。20日付で中国網が伝えた。

同研究院の調査によると、2014年の春節(旧正月)期間中に旅行に出かける予定だと答えた都市部住民は59.9%で、昨年の76.8%を下回った。予約状況を見てみると、海外旅行に出かけようとしている人は39.3%、国内の別の省への旅行は32%となり、2009年の調査開始以来、初めて海外旅行の割合が国内旅行を上回った。

人気の渡航先は韓国、日本、シンガポール、マレーシア、タイ、米国、フランス、ニュージーランド、カナダ、香港・マカオ・台湾。国内旅行では、三亜(海南省)、北京、杭州(浙江省)、上海、雲南省、東北地方などの人気が高かった。



 ウォールストリートジャーナルには、今年の中国からの旅行先人気トップが日本、という調査結果を掲載している。
「ウォールストリートジャーナル」サイトの該当記事

トラベル2014年 1月 15日 19:47 JST.
中国人富裕層の人気旅行先トップは意外にも日本

 旅行情報サイト運営会社トラベルズー・アジアパシフィックの最新調査によると、中国人富裕層の今年の人気旅行先ランキングで日本がトップとなった。尖閣諸島をめぐる問題などで日中関係が冷え込んでいることを考えると、これは意外な結果かもしれない。

 中国本土の回答者で最も行きたい旅行先に日本を挙げた人の割合は29%と、昨年の18%から大幅に上昇した。

 中国人富裕層にとって、円安で日本は買い物天国となっている。円相場は昨年1年間で米ドルに対して約22%下落。一方、人民元相場は対米ドルで約3%上昇した。

 トラベルズー中国部門のビビアン・ホン社長によると、中国人観光客は日本に滞在中、ルイ・ヴィトンのバッグや1000ドル(約10万4000円)の炊飯器などを先を争って買い込んでいる。

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 その主たる目的は買い物であるということに、かつての日本の海外旅行ブームを思い出す。近いうちに、中国の都市でルイ・ヴィトンを持つ女性の姿を数多く見かけることになるのだろう。

 今日の「新華経済」に、次のような記事を発見した。(太字は管理人)
「新華経済」サイトの該当記事

日本に2カ月滞在した中国人、帰国した中国はどのように見えたのか?—中国メディア
2014年01月30日

日本に2カ月前後滞在したという中国のビジネスマンが先日、日本が繁栄し、かつ文明化された国であり、経済や社会モラルにおいて中国が学ぶべき点が多いと紹介する文章を掲載し、話題になっている。その内容は以下のとおりだ。

まず、経済分野において中国は日本から学ぶべきだ。日本経済は1960年代から飛躍した。戦後の20年で一流の経済国となり、五輪を成功させたのだ。翻って中国は77年(文化大革命の終結)から37年が経つにもかかわらず、なおも一流の経済大国入りが果たせていないうえ、1人あたりの平均収入も世界の下位に甘んじている。

2カ月の訪日中に11都市を巡ったが、日本人の物質文明、精神文明について深く感じさせられた。例えば、網のように張り巡らされた東京の地下鉄はしばしば人が押し合うほどに混雑するが、その最大の特徴は静かで整然としていることなのだ。みんな順序よく乗り降りし、ぶつかって来る人もいなければ、他人の足を踏んでケンカになることもない。そして、時間の正確さにも舌を巻く。更に驚いたのは、自動車交通も秩序が守られていて、警察官が交通指揮を行っていないのに歩行者もドライバーもちゃんとルールを守っていたことだ。最も大きな驚きを覚えたのは、バスでさえ定時運行していたことだ。中国はいつ、飛行機も列車も定時に運転できるようになるのだろうか

社会モラルにおいても、日本を見習わなければならない。日本人は公共の場所では他人に迷惑をかけないように小さな声で話す。中国ではどこでも見られるような、大声で叫んだり、傍若無人に談笑したりといった状況を1度も見なかった。行列にはみんな自覚的に並び、割り込むような現象は見られない。そして、友人や同僚に会ったときでもお互いにおじぎをする。中国にも拱手という伝統的な礼節があったのに、文革で消えてしまったのが残念だ。

日本人の民族精神は、自らの民族文化への敬愛にも現れる。中国人は中国文化を愛してはいるが、リスペクトしているとは言い切れまい。骨董品を見るや否や「いくらで売れる」などと考える人は多いし、各地では墓荒らしが日常茶飯事だ。工事現場で古いお墓が見つかれば途端に略奪状態となり、貴重な遺体はその辺に捨てられる。これが先人に対する中国人の態度だ。日本ではみんなが文化財保護の意識を持っていて、墓をあばく人など見られない

2カ月の旅を終えて中国に戻ったとき、発展した現代社会から中世に連れ戻されたような感覚に陥った。中国も日本も絶対的な「和諧社会」ではないが、総じて日本の方が調和のとれた部分が多く、繁栄し、かつ文明化された国なのだ。

(編集翻訳 城山俊樹)



 真摯に相手から学ぶことのできる、このビジネスマンのような中国人ばかりではないだろう。

 しかし、旅行の目的が買い物であれ何であれ、多くの方が中国から日本を訪れることで、もし日本や日本人に対するネガティブな印象を払拭し、日本への認識を新たにする人が少しでも増えるのなら、とにかく日本に来てくれることは、そのことによる経済効果に限らず、良いことなのだろう。

 その逆も然りのはずなのだが、残念ながら日本から中国への旅行者は減っている。それは、PM2.5という環境の問題に加え、日本政府の外交政策の影響もないとは言えない。

 日中の旅行事情においては、片道通行がしばらく続きそうだが、来る者は拒まず、が日本の精神であろう。

 街で中国の方と目があったら、渋面をつくるのではなく、とりあえず笑顔で返すようにしよう。
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by kogotokoubei | 2014-01-30 06:45 | 旧暦 | Comments(0)
行き逢ふて そ知らぬ顔や 大三十日

正岡子規の句である。

 明日1月30日は、旧暦の12月30日で、大晦日。だから、当たり前だが1月31日が元旦。旧正月で春節と呼ばれる。

 この句は、明治32(1899)年12月24日子規庵での第三回目蕪村忌句会での作。新聞「日本」の明治33(1900)年12月31日号に「大三十日(おおみそか)」と題して掲載された。

 子規が亡くなったのが明治35(1902)年9月19日なので、その約三年前、三十五歳での発句。
 
 この句を、大晦日で何かと気ぜわしく知人と行き逢っても知らぬ顔をしてしまう、と解釈したのでは、何らおもしろくない。

 落語好きの方なら、この句の可笑しみがお分かりだろう。

 大晦日は『掛取萬歳』『言訳座頭』『にらみ返し』などのネタでご存知のように、借金取り(掛取り)がやって来る日である。

 その掛取りに道で行き逢っても、「そ知らぬ顔」でやり過ごす光景をネタにしたのだろう、と思う。

 子規は、この句をつくった時期、ほとんど寝たきりになっていたはずだ。

 落語が好きな子規であり、病床でもできるだけ明るく振る舞っていた彼のことである。きっと、行けなくなった寄席を想っての発句だったのではなかろうか。

 だいぶ前にも引用したが、亡くなる前年、新聞『日本』に明治34(1901)年1月16日から7月2日までの期間、途中たった四日だけ休み、計164回にわたって連載された『墨汁一滴』より抜粋。(太字は管理人)
2009年12月22日のブログ

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     正岡子規 『墨汁一滴』
 

散歩の楽(たのしみ)、旅行の楽、能楽演劇を見る楽、寄席に行く楽、見世物興行物を見る楽、展覧会を見る楽、花見月見雪見等に行く楽、細君を携へて湯治に行く楽、紅灯緑酒美人の膝を枕にする楽、目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯を鼓する楽、道灌山に武蔵野の広さを眺めて崖端の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由、坐臥の自由、寝返りの自由、足を伸す自由、人を訪ふ自由、集会に臨む自由、厠に行く自由、書籍を読む自由、癇癪の起りし時腹いせに外に出て行く自由、ヤレ火事ヤレ地震といふ時に早速飛び出す自由。・・・・・総ての楽、総ての自由は尽(ことごと)く余の身より奪ひ去られて僅かに残る一つの楽と一つの自由、即ち飲食の楽と執筆の自由なり
(後 略)                            (3月15日)


 病に伏せる身の上であっても、彼の筆は決して暗くない。もちろん書いている内容そのものは健常者から見れば誠に可哀想ではあるが、彼はユーモアたっぷりに身の上を表現し、多くの“楽”と“自由”を奪われたが、「まだ、食べて、そして書くことができる」と自分自身を鼓舞しているようにも読み取れる。

 
 この句を練っている時、きっと、こんな心情だったのではなかろうか。

 「もうじき、大晦日だなぁ。この時期になると、よく聴くネタがあるなぁ。『掛取萬歳』に『言訳座頭』、そして『にらみ返し』か・・・・・・」

 そういった心情が、この句に結びついたような気がする。

長病の 今年も参る 雑煮哉

 これが、翌明治三十三年、新年の句である。

 数多く失った“楽”や“自由”がある中で、また雑煮を食べることができる喜びの句とも思うが、“長病”の文字が、やはり重い。
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by kogotokoubei | 2014-01-29 19:12 | 旧暦 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛