噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:噺家の引き際( 1 )

昨日4月13日に立川談志が久しぶりに高座に上がり、かつ落語を演じたらしい。ネタは『首提灯』だったようだが、自分自身ではその出来に不満で、つい“引退”めいたぼやきも飛び出したようだ。
SANSPO.COMのニュースから一部引用する。
SANSPO.COMのニュース

 東京・新宿の紀伊國屋ホールで開いた立川流落語会。昨年9月以来、約7カ月ぶりの高座でいきなり「医者から子宮がんと言われた」などと笑わせ、かすれがちの声だがジョークを連発。最後に、しぐさをふんだんに交えた「首提灯」を披露し400人を沸かせた。
 だが、終演直後、客席に向かい、「もうダメですな…」。その後の会見でも復帰と銘打ちつつ、「引退に近い状況になりかねない」「自然消滅するのでは」「聞ける代物じゃない」。強気でならした談志がボヤきまくった。
 「高座でしゃべる声が出ない」と納得がいかない様子だったが、「声さえちゃんと出れば」と今後に意欲もかいまみせた。所属事務所関係者は「芸に厳しいので落ち込んでいるだけでは」と話し、5、6月の一門会などには出席予定とした。


 素直に、そしてネガティブに反応するなら、円楽は『芝浜』、談志は『首提灯』が最後か・・・・・・。ということになるが、実際は事務所関係者のコメントのように、体調が為せる一時の弱気な発言なのだろう。これまでも、高座やテレビで同様のことを言ってきているので、あまり真剣に受け止めることはないように思う。
 しかし、体調やそれに伴う心理状態は、他人にはわからない。また、最後の高座の迎え方は必ずしも自分がコントロールできるものではない。

 例えば、古今亭志ん朝の最後。亡くなった翌日2001年10月2日の日刊スポーツから引用。

 関係者によると、今年7月下旬の北海道巡業でかぜをひき、8月13日に都内の病院に入院。精密検査で、末期の肝臓がんと分かったが、同20日まで浅草演芸ホールでの高座があり、病院から通った。高座で顔色は悪く、本人も「声が出なくなってきたので、迷惑がかかるだろうか」と気にしたが、休まなかった。
 高座を終えた同23日、都内のがん研究会付属病院に転院する際、聖子夫人ががんであることを告げた。末期までとは言わなかったが「あっ、そうか」と淡々と受け止めたという。この時、弟子たちだけに事実が伝えられたが、周囲は持病の糖尿病の悪化かと思っていた。
 9月23日に、病院から帰宅を勧められ、自宅に戻った。点滴も外し体力は日に日に弱くなったが、大好きな日本酒は楽しんだ。この日午前8時に容体が悪化、最後は眠るようだった。


 この浅草演芸ホールの高座とは、あの「住吉踊り」の興行。過去に肝炎や腹膜炎の経験もあり、人間ドックに毎年かかっていたというから、なぜこんな急な別れをしなければならなかったのか、残念でならない。「住吉踊り」の後の時間は一ヶ月余りしか残されていなかった。自分が中心の「住吉踊り」だけは楽日までやり通したいということで病院から通ったところに、陳腐な言い方になるが、“男の美学”を感じる。
 ただ、入院後から亡くなる前までが悲壮感ただよう状況だったかと言うと、そうでもない雰囲気もあったようだ。8月24日からは大塚の癌研に入院したのだが、その時の志ん朝の様子を、弟子達による『よってたかって 古今亭志ん朝』(文春文庫)から引用。
志ん朝一門 『よってたかって古今亭志ん朝』


志ん橋 癌研へ移っても初めの頃は師匠も元気でね。一緒にいて、テレビを
    見てると看護婦さんが側を通る。
    そうすると、互いに目を合わせて、
   「お前見てただろう?」
    「ええ、いい女だったですね」
    なんて言ったりしてね。あと、感心したのは師匠が絶えずオーデ
    コロンを持ってこさせるの。
   「何でこんなことするんですか?」って聞いたら、
   「お前、分かんないのかよ。看護婦さんや、来た人が嫌な思いを
    するだろう」って、つまり、病人だから変な臭いがするからって
    んで、気を使っていたんだね。
志ん馬 「看護婦ノート」を読んでると、最初の時は面白い話が出てくる
    もんね。
八朝  師匠が朝太に背中を押してもらいたいから、
   「おい、押してくれ」ったら、朝太が車椅子を押したって話だとか(笑)、
    看護婦さんが来て、
   「具合は悪くないですか?」って聞かれて、居なくなった後で師匠が、
   「具合が悪いからここにいるの」(笑)って言った話は傑作だね。


 微笑ましい師弟の姿が想像できる。

 志ん朝の兄である十代目の金原亭馬生が、晩年に楽屋で湯呑みの酒をあおってから高座に上がった話は有名だが、実はこの行動は誤解されていたことを、志ん朝が『もう一席うかがいます。』(河出書房新社)の中で語っている。
古今亭志ん朝 『もう一席うかがいます。』


志ん朝 よく誤解されるんで、言っておきたいんですけど、兄貴は楽屋に
    入ってくると、前座さんに酒を買ってこさせて、高座の前にグゥーツ
    と飲むんですよ。やる前に酒飲むなんて不真面目だって、みんな
    そういうふうに思ってた。ところが、その時には、すでに食道癌
    でしたから、食道のなかに癌がいっぱいできて、ものが通らない。
    お肉や野菜のスープを、治子夫人がこしらえて飲ませますから、
    栄養は摂れる。でも、力になるカロリーがとれない。それで、お医者
    さんが、「しょうがない、流動物でカロリーをとるためにアルコール
    を摂りましょう」と。そうすれば噺ができるってんで。だから高座の
    前でないと意味がない。それで飲んでいたんですよ。なのに兄貴は
    絶対に人に説明しなかったんです。

 
 これまた男の美学といえるだろう。

 さて立川談志の引き際について書く時、あえて古今亭の二人のことを引用した。それは、談志へのエールを書きたいためであり、また談志らしさが光った時代には、それを反射する対照的な同時代のライバルがいたことを思い出すからである。家元に“男の美学”を説こうなどとはこれっぽちも思っていないし、おこがましいことである。
 家元は「落語は業の肯定」を提唱する人である。人間の弱さ、醜さなどを落語は肯定しているところに意味を見出している。そして、立川談志という一人の落語家としても、人間の弱みをさらけ出すことに何らためらいはないだろう。馬生、志ん朝兄弟が引き際に示したような行動はとらないだろうし、それとは対極にある発言や行動が今後もあるだろう。それでいいと思う。声の調子が悪かろうが、大いに吼えてほしい。

 体調が戻ったら、また高座に上がって出来の悪さをボヤいて欲しい。ただし、円楽のように、名跡問題で禍根を残すような言動だけは期待していない。とは言っても、立川流の門下で談志の名を継ぎたいと思っている人はいないだろうなぁ。
 ちょっと“縁起でもない”ネタになってしまったが、まだまだ家元は大丈夫でしょう。いや、まだまだ家元には元気に毒舌を吐いてもらいたいし、立川流の行く末についても道筋を示して欲しい。決して安泰ではないのが、今はバブルな立川流だと思うからだ。そして、落語界全体にも、ぜひ意見や小言をもっと言って欲しい。かつて四天王と言われた人で残っているのは円蔵さんとあなただけなのだから。
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by kogotokoubei | 2010-04-14 19:09 | 噺家の引き際 | Comments(2)

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by 小言幸兵衛