噺の話

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カテゴリ:襲名( 19 )

 小円歌が、なんとあの立花家橘之助の二代目を襲名するとのこと。
 
 落語協会のホームページに、次のような告知が載っていた。
落語協会ホームページの該当ページ

2016年11月22日
平成29年 11月 襲名披露興行決定

平成29年 11月上席より三遊亭小円歌が二代目立花家橘之助を襲名いたします。

 たった、これだけ。相変らずの素っ気のなさ。
 初代の橘之助がどんな人だったのか、とか、まったく関連情報がない・・・・・・。

 サンケイスポーツに、次の記事が載っていた。
サンケイスポーツの該当記事

2016.11.24 00:36
女性三味線漫談の三遊亭小円歌が二代目立花家橘之助を襲名

 落語協会は23日までに、女性三味線漫談の三遊亭小円歌(56)が来年11月、二代目立花家橘之助を襲名すると発表した。

 初代橘之助は明治から昭和初期にかけて活躍した女性音曲師。三味線の名手としても知られ、山田五十鈴さんが主演した舞台「たぬき」のモデルになった。

 「落語協会は23日までに~発表」という表現が、不思議だ。
 明確に「○○日に発表」ではないのは、メディアへの案内が日をまたいで五月雨式に発信されたことがうかがえる。
 要するに、媒体対策が稚拙なのだろう。
 
 もしこういう案内をプレスリリースするなら、次のようなことが本来は原則。
(1)ホームページに、当人小円歌と初代橘之助のプロフィールを掲載。
(2)ホームページ掲載と同期して各媒体に一斉にニュースを配信。
(3)補足する資料を添付し媒体やサイト訪問者の理解度を高める。

 まったく、そういった広報の“いろは”が出来ていないと判断できる。

 税金を使っている法人としては、実にだらしのない組織と言わざるを得ない。

 話題性のある襲名なのに、残念だ。


 この名を継ぐのなら、記者会見をして欲しいくらいだ。

 落語協会に代わって、とは言わないが、ご興味のある方のために、拙ブログの過去の記事から橘之助という凄い芸人について、少し紹介したい。

 2010年の11月3日、三代目三遊亭円馬と八代目桂文楽という師弟の誕生日に、円馬のことを説明する中で橘之助のことにふれた。
2010年11月3日のブログ

 重複するが、今村信雄著『落語の世界』からの引用を含めてご紹介。

 円馬は明治15(1882)年の11月3日に大阪で生まれた。七歳で月亭小勇の名で京都新京極の笑福亭の高座に上がったという。明治41(1908)年に上京し、浮世節の立花家橘之助の弟子になった。橘之助という女性は清元であれ長唄であれ、常磐津だろうが何でも自由に弾きまくる三味線の名手。浮気性で“橘之助の百人斬り”と言われるほど、著名人との浮名を流した人だったらしい。橘之助の元で立花家左近を名乗っていた当時の円馬は、落語のほうは円朝門下の三遊亭円左に師事。この左近時代に、八代目文楽と出会うことになる。その後七代目の朝寝坊むらくを継いで四代目の橘家円蔵に可愛がられるのだが、円蔵と喧嘩して殴ってしまう事件を起こし、大正5(1916)年に大阪に戻ることになる。東京時代は第一次落語研究会の準幹部として活躍していただけに、円蔵をしくじったことを悔やんだに違いない。

 しかし、なぜそんな事件を・・・・・・。
 今村信雄の『落語の世界』ではこのように書かれている。
*ここで「彼女」とあるのは橘之助のことである。
今村信雄 『落語の世界』
 
 しかし彼女はあだ名を女大名といわれたくらい我儘一ぱいだったから、金のある有名な男よりも若い前座などを多く愛した。翌朝彼女は男に向かって「お前気を残すんじゃないよ、これでお湯にでも行ってお出で」と、なにがしかの小遣いを与えたという話だ。
 弟子のむらくとの仲も、同業者の間で相当やかましくいわれていた。むらくと円蔵との喧嘩も鞘当の結果だそうだ。

 当時の記事では、文楽の『芸談 あばらかべっそん』の引用もしているので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。

 また、山田五十鈴が亡くなった後で書いた記事では、あの舞台『たぬき』について書く中で、橘之助のことを紹介した。
2012年7月11日のブログ

 同記事では、橘之助という芸人の凄さを物語る逸話も紹介した。

 たとえば、三味線の演奏中三絃のうち二絃が切れても、残りの一絃だけで、三絃ある時と変わらない演奏をして見せたと言われる。この橘之助の役は、山田五十鈴でなければ到底できなかっただろう。そして、今後、誰にも真似ができそうにないように思う。単に三味線が上手いだけでは舞台はつとまらない。

 橘之助は、初代橘ノ円と夫婦となった後に引退し、余生を京都で過ごそうと昭和10(1935)年6月に引っ越しした矢先、北野天満宮そばの紙屋川が氾濫して自宅が流され、夫と共に水死した。慶応2(1866)年生まれ、68歳だった。


 レコードの音源は数多く残している。
 株式会社エーピーピーカンパニー(APP)のサイトには、その演目の解説とともに橘之助のプロフィールも掲載されているのだが、なんと五歳で初高座。
APPサイトの該当ページ

 小円歌が継ぐ橘之助という名は、実に大きい。

 私は、小円歌の、定番の三味線漫談は嫌いではない。
 三味線と歌も結構だし、楽屋のお爺ちゃんたちのネタは何度聴いても笑える。
 しかし、“偉大なるマンネリ”に達する芸とは言えないように思う。

 安心して聴いて見ることのできる、“寄席の色どり”なのだが、漫談ではなくていいではないか、と思っていた。

 三味線も唄も踊りも達者で、美人の範疇に入る(?)と思うので、もっと芸で勝負して欲しい、と思わないでもなかった。

 だから、この襲名には期待する。

 二代目橘之助の浮世節を聴けるのが、今から楽しみだ。


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by kogotokoubei | 2016-11-24 12:36 | 襲名 | Comments(12)
落語協会で、今春十人が同時に真打に昇進することについては、すでに昨年書いた。
2014年7月20日のブログ
 その際に書いた彼らの入門と二ツ目昇進時期を、再度ご紹介。

三遊亭司:平成10(1998)年5月三木助に入門→平成13年3月より歌司門下、平成15(2003)年5月二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年1月入門、平成15(2003)年10月二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年4月入門→平成12年4月より前座、平成15(2003)年10月二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年12月入門→平成12年6月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年4月入門→7月より前座、平成15(2003)年11月二ツ目。
柳家 さん弥:平成12(2000)年7月入門→平成12年11月より前座、平成16(2004)年7月二ツ目。
柳家 右太楼 :平成12(2000)年11月入門→平成16(2004)年7月二ツ目。
三遊亭 ぬう生:平成13(2001)年2月入門→平成16(2004)年11月二ツ目。

 ご覧のように平成15年から16年に二ツ目になった人たち。だから、二ツ目から11年から12年での昇進。

 十人の新名跡や真打昇進披露興行の日程が落語協会のサイトにある。
落語協会サイトの該当ページ

 襲名については次の通り。三遊亭司金原亭馬治は変わらない。

三遊亭 司 さんゆうてい つかさ

喬之進 改メ 柳家 小傳次 やなぎや こでんじ

う勝 改メ 四代目 桂 右女助 かつら うめすけ

麟太郎 改メ 柳家 海舟 やなぎや かいしゅう

遊一 改メ 四代目 入船亭 扇蔵 いりふねてい せんぞう

金原亭 馬治 きんげんてい うまじ

馬吉 改メ 二代目 金原亭 馬玉 きんげんてい ばぎょく

さん弥 改メ 三代目 柳家 さん助 やなぎや さんすけ

右太楼 改メ 柳家 燕弥 やなぎや えんや

ぬう生 改メ 三遊亭 彩大 さんゆうてい さいだい



 披露興行は鈴本の3月下席が恒例。鈴本のサイトにあるポスターを借用。
鈴本演芸場サイトの該当ページ

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 出演順は、香盤の順。


 新名跡襲名の人は、かつて存在した名跡を継いだ人もいれば、新しい名跡を名乗る人もいる。

 喬之進が襲名する柳家小傳次は初代のように扱われているのだが、三代目小さん門下だった二代目小せんが名乗っていたので二代目になるようにも思うが・・・・・・。その方はその後廃業して落語協会の事務員になられたので、代数として認知されないのだろうか。

 う勝が襲名する桂右女助の名を懐かしむ落語愛好家の方も多いと思う。二代目が「右女助の小勝」と言われることの多かった六代目三升家小勝。新作の『水道のゴム屋』などで有名な人だったので、右女助の名で小勝を思い出す人が多かろう。ただし、初代と先代は三遊亭。ちなみに初代はその後の四代目古今亭今輔。
 う勝の師匠が八代目三升家小勝であり、将来の小勝襲名を予感させる右女助復活と言える。

 麟太郎の柳家海舟は、初代。これはどう考えても勝麟太郎→勝海舟、になぞったね^^

 遊一の入船亭扇蔵は、先代が大師匠である扇橋の三番目の弟子だったが、平成11(1999)年に47歳でで亡くなっている。初代と二代目は入船扇蔵で、亭が付かない。それぞれその後に二代目扇橋、三代目扇橋になっている。その後、橘家で扇蔵を名乗る人もいたようだ。
 入船亭一門としては、久しぶりの名跡復活であり、扇橋への縁起の良い出世名と言えないこともない。

 馬吉の金原亭馬玉は二代目となっているが、初代については不勉強で分からない。引き続き調べてみよう。

 さん弥の柳家さん助は、丁髷や寄席の踊りで有名だった先代が四年前に85歳で亡くなっているので、時期をあまり置かずに復活することになった。雰囲気は先代に似ているように思う。

 右太楼の柳家燕弥は、過去にありそうでなかった名。「それで、ええんや!」の洒落かどうかは不明。

 ぬう生の三遊亭彩大は、師匠円丈のブログを読むと、埼玉大学卒業だかららしい^^

 
 右女助、さん助といった懐かしい名跡の復活は、素直に喜びたい。

 鈴本から五月の国立演芸場までの昇進披露興行に何日行けるか分からないが、昨年行っていないので、ぜひ一日でも足を運ぼうと思っている。
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by kogotokoubei | 2015-01-29 00:45 | 襲名 | Comments(4)
今年の笑い初めは、何と言っても落語協会サイトにある小三治会長の新年の挨拶の動画だった。
「落語協会」サイトの小三治会長新年の挨拶

 カンペの字が間違っているのを会長が怒る場面で、吹き出したのだが、その楽しい挨拶の中で、3月21日から昇進披露興行が始まる新真打五人の襲名の内容が紹介されている。


ちなみに、五人は次の通り。

柳家小権太 : 平成11(1999)年柳家権太楼に入門、平成14(2002)年11月二ツ目
鈴々舎風車 : 平成11(1999)年鈴々舎馬風に入門、平成14(2002)年11月二ツ目
三遊亭亜郎 : 平成9(1997)年春風亭小朝に入門、平成13(2001)年三遊亭円丈門下へ、
          平成14(2002)年11月二ツ目
古今亭志ん公: 平成11(1999)年古今亭志ん五に入門、平成15(2003)年5月二ツ目、
          平成22(2010)年志ん橋門下へ
桂才紫    : 平成11(1999)年桂才賀に入門、平成15(2003)年5月二ツ目


 この五人全員が昇進を機に新名跡を襲名する。だから、今春の披露目は真打昇進&襲名の披露となる。

 それぞれの新たな名は次の通り。

柳家小権太 →  柳家東三楼(三代目)
鈴々舎風車 →  柳家三語楼(四代目)
三遊亭亜郎 →  三遊亭究斗(初代)
古今亭志ん公→  古今亭志ん好(五代目)
桂才紫    →  桂やまと(三代目)


 東三楼という名跡は、志ん生が初代三語楼門下時代に二代目として短期間名乗ったことがある。だから、先代は志ん生、と言うことができる。

 その志ん生の東三楼時代の師匠の名を、当代小さんの次に名乗るのが風車だ。この名跡、私は大好きなので復活を喜びたい。古風な(?)見かけの風車には似合っているように思う。

 亜郎は役者(劇団四季)を経てからの入門、そして移籍を経験しているので、歴史のある名跡ではなくオリジナリティを優先した、ということだろうか。

 志ん好も久し振りに復活する名跡。先代は最初に二代目の金馬に入門し、師匠没後は初代三語楼門下に移った人。その後に志ん生の内輪となって四代目志ん好を襲名し、1994年に亡くなっている。20年振りの名跡復活となる。

 そして、やまと。この名は、初代が後の五代目桂文楽。しかし八代目桂文楽に名を譲り、桂やまとを名乗った後に三代目桂才賀にとなった。だから、将来は才賀の名を継がせようという師匠の思いがあるのかもしれない。ちなみに二代目は、漫才コンビのリーガル千太・万吉の万吉が落語家時代に名乗っていた。

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 八代目文楽は、順番なら六代目になるところを“縁起”がいい、ということで八代目と名乗った。だから、先代は五代目文楽。この人について、平凡社から平成元年(1989年)に発行された『古今東西落語家事典』には、次のような記述がある。

五代目桂文楽
 増田のち金坂巳之助
 元治1年(日不詳)~大正14年4月19日 62歳

「黒門町」と称された八代目桂文楽の先代に当たるこの桂文楽は、二代目桂才賀(増田平助)の長男として産まれた。父の才賀は、柳派の古老として若手の稽古台のかたわら芝神明で煙草屋を営んでいた。
 巳之助には秀吉という弟がいて、やはり噺家となり、傳鏡、若枝を経て傳枝を名乗っていたが、明治三十三年に二十五歳の若さで死去した。
 巳之助はのちに金坂惣助の養子となり、本名を金坂巳之助と改姓した。
 (中 略)
 明治三十五年五月上席の日本橋木原店で五代目文楽襲名、真打昇進を披露した。
 若い頃は客を軽蔑したような話し方で客受けが悪かった。晩年は早口で、軽い洒脱な話ぶりになり、地味ではあったが、江戸前の噺家になっていた。
 のち大正九年、翁家馬之助(並河益義)に文楽を譲り、自分は桂やまとを名乗った。



 今春の新真打の襲名の中には、その背景に志ん生や文楽にまつわる歴史を持つ名跡がある。だから、彼等の真打昇進と襲名披露を機に、二人の名人のことや、語られることの少ない五代目文楽のこと、そして初代三語楼や代々の才賀のことなどが振り返られることになるのなら、大きな副次的効果があると言えるだろう。

 昨秋の五人の披露目には行けなかったので、今春はどこかで行こうと思っている。
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by kogotokoubei | 2014-01-07 19:37 | 襲名 | Comments(6)
もう襲名の流れは動かないのだろうから、最近のニュースも無視していたのだが、パーティー会場での発言として、未だに文枝と三枝との両刀使いをするつもりでいることには、抵抗がある。
スポーツニッポンの該当記事

「文枝」襲名の三枝、落語作家は「三枝で続けていきたい」

 上方落語の大名跡「桂文枝」を16日に襲名する落語家の桂三枝(68)の襲名披露パーティーが2日、都内で行われた。テレビ出演にも「文枝で出演する」と表明し、落語作家としては「三枝で続けていきたい」と、あらためて三枝の名も使い続ける意向を示した。

 一門の弟弟子とともに開いた会見では、襲名2週間前だけに「ちょうど三枝と文枝のはざまにいる感じ」と苦笑い。長年親しんだ看板への愛着は大きいようで、三枝の名を誰かに譲ることは「現在のところ全く考えておりません」と明言した。

 また最近、周囲から「痩せた」と指摘されるといい、「祝ってもらうほどにプレッシャーを感じてまして…。いろんな方の訃報があり、私もあんまり(先は)ないな」と自虐的発言で笑わせたが、「19人の弟弟子がついているので、元気に乗り切りたい」と力強く宣言。桂文珍(63)は「民主党は分裂しましたが、われわれは一丸となっていきます」と、兄弟子の後押しを誓った。

 披露パーティーでは、引田天功のイリュージョンでボックスの中から華麗に登場した。パーティーには、鳩山由紀夫元首相(65)や森喜朗元首相(74)、朝丘雪路(76)や三田佳子(70)ら豪華セレブが駆けつけた。
[ 2012年7月3日 06:00 ]



 落語作家で三枝、高座で文枝を名乗るなどという気持ちが残っていては大名跡が泣く。

「別にペンネーム桂三枝だっていいじゃないか!」とご指摘を受けそうだが、大名跡を継ぐ覚悟の問題なのである。この人は、まだ腹が据わっていないのだ。文枝という名跡を継ぐということは、私生活も高座もテレビも含め、すべて六代桂文枝なのだ。もし作家としてのペンネームを別に持ちたいのなら本名の河村静也だろうが何だろうが名乗ればいいわけで、旧名の桂三枝は捨てるべきではないか。以前にも同じようなことを書いたが、三枝の名にそれほど未練と愛着があるのなら、文枝を襲名しなければいい。三枝を捨てる覚悟もなしに、美味しいところだけいただこう、そして吉本と一緒に襲名披露興行で儲けよう、というこの人の態度には閉口する。
 
 好対照なのが、笑福亭だ。六代目の死後しばらくして、大名跡松鶴を復活させたい松竹芸能の意向を踏まえ、強く要望をされながらも自分が継がないことを決めた筆頭弟子仁鶴をはじめとして一門全員がそれぞれの立場で悩みに悩み、結果として仁鶴から指名を受けた松葉が、当初披露目を行う予定の日に亡くなってから七代目を追贈された。こういった六代目笑福亭松鶴一門による大名跡への真剣な関わり方と、三枝の文枝という大名跡へのスタンスは、あまりにも違いすぎる。

 「文枝の名を全国に広めたい」などとも言っているらしいが、落語愛好家の方は十分に知っている。若い落語ファンが五代目を知るためには音源もあるし関連する本だってある。「高座は文枝、作家は三枝で~す」などと言う姿勢で、なにを広めたいと言うのだ。

 国立劇場での高額な木戸銭での興行なども含め勝手にはしゃぐのはいいが、新旧名跡の両刀使いは勘弁願いたいものだ。

 あらためて、こう言いたい。
 河村静也さん、どうぞ六代桂文枝をご襲名ください。しかし、ペンネームも含め、桂三枝の名はきっぱりを忘れ、あなたならではの文枝になってください。

 周囲から「せこ文枝」と言われようが、そんなことは百も承知二百も合点の襲名なのだろう。退路を断ってもらいたい。
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by kogotokoubei | 2012-07-03 18:01 | 襲名 | Comments(4)
三枝の文枝襲名の件、次の記事を読んで、また小言を言いたくなったので書くことにする。スポーツ報知の該当記事

桂三枝、異例の二刀流プラン!「文枝」襲名後も「三枝」使う

 来年7月に「六代桂文枝」を襲名する落語家・桂三枝が、68歳の誕生日となる16日、都内で会見し、襲名後もタレントとして「桂三枝」の名を併用する意向を明かした。司会を務めるテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」(日曜・後0時55分)などのバラエティー番組には「桂三枝」として出演を続ける考え。今後、関係各所と協議を重ねるが、過去に同様の例はなく、実現すれば異例の“二刀流”となる。

 上方落語の大名跡「桂文枝」が復活しても「タレント・桂三枝」は生き続ける。一代で名前を大きくした三枝が、仰天の腹案を披露した。「(三枝の名を)誰かに継がせることは考えていない。テレビ局や(所属する)吉本興業と相談して、うまく残せていけたら」。高座名とタレント名を使い分けるという、前代未聞の計画だった。


 まったく理解できないし、賛成できない。こんな中途半端な襲名なら、やめて欲しい。

 関山和夫さんの『落語名人伝』から、初代桂文枝に関して引用する。関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 明治初年の大阪落語界で最高の名人といわれた初代桂文枝は、明治7年4月3日に没した。惜しいことだったが定命はやむをえない。この人が自分の得意とした落語『三十石』を百両で質入れしたという話は有名で、なかなか面白い。初代文枝は三代目文治の弟子で、上方落語の歴史の上では、桂派中興の祖と賛える人が多い。すぐれた人物は幾多の門弟を育成するもので、年とともに人格の方も深みを増すことがある。初代文枝の門下から多数のすぐれた噺家が出たために上方落語は黄金時代を迎えることができた。



 その初代文枝門下の弟子達は次のような顔ぶれ。

文枝門下の四天王は、初代文三(のちに二代目文枝となる)、初代文之助(のちに曾呂利新左衛門となる)、初代文団治、初代文都(のちの月亭文都)である。これらの人々がそれぞれ一家をなして、はじめて初代文枝が目ざした桂派全盛時代が現出したのである。


 その後、この弟子達によるいろんな葛藤もあることはあるが、ここではそれがテーマではない。あくまで、文枝という名跡のこと。
 
 中途半端に襲名する名前ではないし、どんな名跡だって、それは同じだろう。

 それほど三枝という名前にこだわるなら、文枝を継ぐべきではない。

 「テレビのバラエティは三枝、高座では文枝」などという、いい加減な気持ちで襲名するのなら、大名跡そのものへの冒涜であろう。今ならまだ間に合う、襲名はやめるべきだ。もし、創作落語について文枝を名乗りたくないのなら、本名かペンネームを使えばいいだろう。

 文枝を襲名するなら、高座もテレビ出演も日常生活も、すべて文枝なのである。その重さに耐える覚悟がないのなら、襲名などすべきではない。十年後にでもいい、かい枝が襲名することを望む。それでも、十分に大名跡は残るではないか。

 吉本と三枝の商売優先の襲名、まったく不愉快である。師匠だって「いらっしゃ~い!」とは言ってくれないだろう。
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by kogotokoubei | 2011-07-25 18:33 | 襲名 | Comments(6)
本日、多くのメディアが取り上げているので落語愛好家の方はすでにご存知かと思うが、桂三枝が来年、六代桂文枝を襲名するらしい。aqsahi.comの該当記事

桂三枝さん「文枝」襲名へ 来年7月「一層精進」
2011年7月12日
 
 人気タレントで、上方落語協会会長の桂三枝さん(67)が、桂文枝の六代目を、69歳の誕生日にあたる来年7月16日に襲名する。今週末に記者会見して正式に発表する。文枝は上方落語の大名跡で、幕末に活躍した初代は「近代上方落語の中興の祖」と評され、上方で「桂」を名乗るすべての噺(はなし)家のルーツにあたる。

 三枝さんは堺市出身で、1966年に桂小文枝(後の五代目文枝)に弟子入り。間もなく、ラジオ・テレビ番組で一躍人気タレントとなり、長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」の司会など、第一線で活躍を続ける。高座では80年代から創作落語に精力的に取り組み、息子の塾の問題に悩まされる父を描く「宿題」、いけすの魚たちの物語「鯛(たい)」など、他の一門に受け継がれている噺も少なくない。2003年には上方落語協会会長に就任、定席「天満天神繁昌亭」(大阪市)の開設にこぎつけるなど、リーダーシップを発揮してきた。

 初代文枝は幕末から明治初めにかけての大看板で、話芸の実力のみならず、人望も厚く、明治の落語全盛期を担った優れた門人を残した。05年3月に亡くなった五代目は桂米朝さん(85)、桂春団治さん(81)、故・笑福亭松鶴とともに「四天王」と呼ばれ、戦後滅亡の危機にさらされた上方落語界を支えた。


 
 桂三枝は、吉本興業(持株会社に移行してからは正式には、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)の看板芸人の一人。五代目桂文枝に入門してから、テレビで一躍人気者になったことと、上方落語特有の語り口が出来ないため、師匠の数ある古典を継承することはなく、本人曰く「創作落語」という「新作落語」の噺家。
 彼の創った落語は、なかには楽しいものもあるが、私は本人よりも柳家はん治など他の噺家が演じる高座のほうが好きである。

 桂文枝という名前は小さくない。そして、先代は紹介した記事のように上方落語の歴史に残る人で、戦後の危機的状況を支えた一人である。
 上方落語が不振だったのは、かつて初代桂春団治や三代目三遊亭円馬などを擁し上方落語界を盛り上げた吉本興業が、戦後は落語から漫才に、経営の論理で重点を変更したことも一因である。

 漫才ブームを演出する一方で上方落語の衰退に拍車をかけた吉本所属の、創作落語の三枝が、上方落語の大名席を継ぐ・・・・・・。

 どうしても、襲名のニュースが報道された同じ日に共同通信が配信した次のニュースとの関係を考えてしまう。47NEWSの該当記事

吉本、「京橋花月」の閉館検討 「品川シアター」も 
 吉本興業が、同社運営の「京橋花月」(大阪市都島区)と「品川よしもとプリンスシアター」(東京都港区)の2劇場の閉館を検討していることが12日、分かった。観客数の減少が理由。ともに11月末に賃貸契約期限を迎えるが、更新しない可能性が高いという。

 京橋花月の座席数は500席。年間30万人の来場を目指して08年11月にオープンしたが、立地が悪く、観客数が伸び悩んでいた。

 一方、09年4月に品川プリンスホテル内に開場した品川よしもとプリンスシアター(433席)は東日本大震災後、ホテルの宿泊客が激減した影響で、劇場への入場者も大幅に減った。2011/07/12 15:32 【共同通信】



 吉本は昨年から持株会社に移行し現在は未上場企業。その財務内容の詳細は分からないのだが、決して順調ではないのだろう。漫才ブームの後に、吉本が制作にも関与して大勢の芸人をひな壇に並べて毒にも薬にもならない他愛ない楽屋噺で構成する「バラエティ」とやらで稼げたが、そのバラエティ人気も衰退してきた。

 今回の三枝の文枝襲名は、あくまで商売の論理が優先したように思える。好みの問題としてまったく相応しいと私は思えないし、同じ一門なら十年後位に桂かい枝に襲名して欲しいと思っていた。かい枝は新作も秀逸だが、師匠文枝の十八番に果敢に挑戦していて、今後に大いに期待できる人だ。

 しかし、吉本である。商売なのだ。落語から漫才、そしてバラエティ、それも不振になってきたから、単に算盤を弾いての襲名としか、私には思えない。そして、そろそろ古希に近づいてきた本人も、上方落語協会会長という肩書きや、吉本芸人のトップランナーという存在だけでは飽き足らず、大名席を継ぎたくなったのだろう。吉本と三枝の「Win-Win」なのだ。そこには、上方落語界を長期的に展望する視点や、同じ文枝一門の後輩への配慮などがあるようには、私は思えない。どうでもいいけど、三枝の弟子には「三」の字がつくが果たしてどう改名するのやら。

 この大名跡の復活で、吉本は商売になるかもしれない。しかし、上方落語界全体があらためて勢いをつけることになるようなことは、期待できないだろう。例えば、Sky-Aの「らくごくら」などの落語会が開催されていた「ワッハホール」は、大阪府橋下知事とのいざこざがあったとは言え、結果として「5upよしもと」と名を替えて、落語ではなく若手芸人のためのホールとなった。吉本は落語をする場所を減らしたのだ。

 東京の桂平治による文治襲名に刺激されたのかもしれないが、大賛成の文治襲名とは対照的に、文枝襲名は喜べないし、その背後に算盤が見えてしょうがない。
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by kogotokoubei | 2011-07-12 17:38 | 襲名 | Comments(15)
久しぶりの落語の話題、そして明るいニュースである。桂平治が師匠文治の名を継ぐことになったようだ。
毎日JPの該当記事

落語:桂平治さん、十一代目桂文治を来年襲名
2011年6月7日 18時31分 更新:6月7日 19時1分

 落語芸術協会(桂歌丸会長)は7日、十一代目桂文治を、桂平治さん(43)が襲名することが決まったと発表した。襲名披露は2012年9月の予定。

 初代文治は江戸時代の上方にさかのぼり、三代目は江戸における桂派の祖になった由緒ある名跡。

 平治さんは大分県出身。1986年、十代目文治に入門し、99年に真打ち昇進した。



 芸術協会の中堅実力者。横浜にぎわい座での鯉昇との二人会には何度か行って平治の芸を楽しんでいたので、素直にうれしい。披露は来年9月と先になるが、ぜひ披露興行のどれかには駆けつけたい。

 “ラッキーおじさん”の芸をしっかりと土台にし、明るく楽しい11代目になってくれるだろう。
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by kogotokoubei | 2011-06-07 19:30 | 襲名 | Comments(8)
七代目円生襲名問題に関する話題については、落語ファンもそろそろ“どうでもいいよ”的なムードかと思うし、私自身も真面目に何か書くことに疲れてきた。しかし、先日「ふじ特撰落語会」という新たな催しの第一回として、円丈と鳳楽の“対戦”があることを書いたので、一応後日談としてフォローしたい。2010年10月20日のブログ

 朝日新聞のWebニュースasahi.comに昨夜のことが書かれていた。久しぶりに京須さんのコメントもあったので、後半を引用する。asahi.comの11月18日の記事

今回は円窓さんが不参加のため、円丈さんと鳳楽さんは、円生襲名をかけた落語会とは位置づけていない。が、フジテレビアナウンサーを交えた鼎談(ていだん)では、襲名問題の足踏み状態が続く現状を説明し、それぞれの正統性を改めて主張した。また、鳳楽さんは円窓さんから「円生を継ぐ」旨の文書が送られてきたことも明かした。

 終演後、鳳楽さんは「8月初旬に関係者が集まろうとしたが、円窓さんからは返事がなかった」。円丈さんは「今後も、襲名問題はオープンにしていきたい」と話した。

 落語プロデューサーの京須偕充(きょうす・ともみつ)さんは「襲名は衆目の認める芸や人気のある落語家がするもので、闘って決めるものではない。またメディアが襲名問題を興行化するのは好ましくない」と話している。


 今回の京須さんのコメントで同感できる点は、「襲名問題を興行化するのは好ましくない」の部分。まったくその通りであって、本人同士に戦う気があって精魂込めて高座をつとめるのならともかく、この記事の二人の和気藹々といった写真を見るだけで、この会が“円生”という名跡をダシに使ったただの“二人会”であることは明白。
 塚越という「お台場寄席」の“ナビゲーター”がこの会をナビゲートしているのなら、まったく悪い方向に誘導していると思わざるを得ない。たまにはなかなかいいことも「お台場寄席」のマクラで言うことがあるが、基本的にはしゃべり過ぎ、出しゃばり過ぎなのだ。だから、こんな会を企画してしまうんだよねぇ。
 
 さて、この記事には円窓が本気であるような情報もあるが、そうなら相手に誘われたら堂々と受けて、自分の主張を明確に伝えればいいじゃないか。この人は、やはりよく分からない。円丈のオープンな姿勢とは対照的だ。

 まぁ、こんな茶番はどうでもいいけど、円生という名跡は決して軽くはないので、その名を語って何かを企む動きはウォッチしておこうと思う。

 紀尾井町で柳派のルーツである談洲楼燕枝の大作の仕上げに三三がチャレンジしていた時、神楽坂では三遊派の大名跡をダシにした、まったく“チャレンジしない”二人会があったわけだ。ますます柳と三遊の差は広がるだろうと、ある意味で寂しい思いがする。ライバルが切磋琢磨しなけりゃダメなのよ芸もスポーツも!
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by kogotokoubei | 2010-11-19 11:42 | 襲名 | Comments(4)
6月7日によみうりホールで開かれた立川談志一門会で、談志家元と山中秀樹との対談があり、家元らしい襲名に関する発言があったようだ。朝日新聞の昨日のwebニュースasahi.comの記事から引用する。
asahi.comの記事

立川談志(74)が7日、都内で行われた「談志一門会」に出演した。声が出にくいため、落語はせず、フリーアナウンサー山中秀樹を相手にトークを展開。鳳楽、円丈、円窓が名乗りをあげる三遊亭円生襲名問題には「3人ではなく、円楽が継ぐのがいい。そして空いた円楽の争奪戦をやればいい」と提案。


何人かの落語愛好家の方のブログによれば、この後で“談志襲名”のネタになり、私服に着替えていた志らくを呼び出したりしながら、「総合的には志の輔がいい」という発言があったようだ。
*志の輔本人は、本気にしていないだろうなぁ。襲名する気があるかなぁ・・・・・・。

七代目円生襲名問題には何ら影響のない放言だが、こういう発言ができるということは、まだ・・・大丈夫か!?
楽太郎の円楽が、今さら円生襲名レースに参戦するはずもないだろうし、鳳楽よりベター、とも言えない。個人的には、まだ鳳楽の方が「真面目さ」の分だけ上か。しかし、どっちが本当に「腹黒」かは分からない。

談志襲名問題については、今は「どうせヨタ話さ」と言えるが、先々の火種にならないとは限らないなぁ。しかし、それも百も承知の確信犯なのだろう、家元は。将来、天国から泥沼の談志襲名争いを見物したがっている、そんな気がする。

さて、円生襲名レースの方は、鳳楽が円窓の参戦に異議を唱えているらしい。東京新聞の6月5日のニュースから抜粋。東京新聞の記事

先月十七日の落語協会理事会で、襲名の意思を明らかにした円窓。きっかけとなった長男の署名入り確認書には、止め名の封印を解き、円窓に名跡襲名の許可を与えることなどが記されている。
これに対し、鳳楽は「遺族は五代目の養女になった長女もいて、その方の了解も得ないで親族が話し合った結果といってもまかり通りませんね。十年ほど前に亡くなった次男(円生のマネジャーを務めていた)の息子さんらもいて、円窓さんが継ぐのに反対している」と憤る。


円丈も落語協会の理事会の後には、円窓に遠慮して引き下がるようなことを言っていたが、その後に翻意し戦う姿勢を見せている。(今のところは)

もう、ここまで来たら円窓、円丈、鳳楽の三人で公開レースでもすると、興行としてはおもしろいだろう。
ある意味で円丈と鳳楽は一度は戦ったのだから、仕切りなおしで“巴戦”にしよう!(エンドレスだったりして)

よみうりホールあたりで三戦、六代目の代表作を各自一席づつ三度高座にかける。ネタがかち合ってもいいんじゃないの、それはそれで。トリは順番にする。毎回お客さんに投票してもらって決着をつけるのだ。何なら六代目の親族には一人で十票分の権利をあげてもいい。京須さん、山本さんには五票分かな。
開口一番は各回のトリの弟子が務める。円丈→天どん、鳳楽→鳳志、円窓→窓輝あたりでいいんじゃないの。

どうでもいい襲名を商売にしている人や興行主がいることを考えると、まだ衆目が見放さないうちに商売にしましょうよ、参戦しているお三方!
興行は、やたら大きな会場が好きな○空間あたりで仕切ればいいのでは!
*この襲名問題に関しては、そろそろ真剣な書き込みをする忍耐が切れかかってきたらしい・・・・・・。
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by kogotokoubei | 2010-06-09 15:26 | 襲名 | Comments(2)
円生襲名問題は、また混迷の色を濃くしてきた。

円窓が襲名に名乗りを上げた際の報道では、円丈は先輩を立てて襲名レースから棄権するような発言だったが、どうもまだ未練があるらしい。5月29日付けの東京新聞webページに、円丈への取材記事として次のように掲載されている。
東京新聞の記事

この時、表だっては静観の構えだった円窓が五月十七日、所属する落語協会(鈴々舎馬風会長)の定例理事会で「円生の長男(90)に推された」と、襲名に前向きであることを表明した。

 「この世界は兄弟子は絶対ですから」と言いつつも、「毎朝仏前で手を合わせるたびに、自分が継ぐことを師匠は望んでいるのでは」と感じてきたという円丈。

 この問題では「遺言がなかったので仕方がないが、師匠はどう考えていたのかという問い掛けがないことが、一番合点がいかない」と語気を強める。生きている者の理屈で止め名にしたり、孫弟子に継がそうとしたり…。「鳳楽君はほとんど教わっていないし、円窓さんは最初の師匠が亡くなって来た人。実力主義の師匠が子飼いの弟子で真打ちと認めたのは円楽、円丈の二人しかいないんですから」。かわいがられたという自負もある。


なるほど、円窓が最初から六代目の弟子ではなかったという点で襲名資格に疑問、という指摘は同感できる。記事は次のように続く。
 

「今後は皆で話し合うしかないのでは。そのために来月一日、鳳楽君と遺族の一人に会って、僕もその意思があることを伝える。一度は名乗りを上げたのだから、了解を取りたい」


ほう、明日6月1日にそんな会合があるのか・・・・・・。3月に直接対決した二人が、「後だしジャンケンの円窓さんはずるい!」ということで手を握ろうということか。

この騒動、まだまだ終わりそうにないなぁ。
どうも、結局はしばらく「止め名」というサゲが本命のように思えてきた。しかし、昨日のダービーの例ではないが、本命も当てにならない。

騒動が長引けば長引くほど、前回落語研究会のことで書いたように、充実した柳家一門に比較して、江戸から明治そして大正にかけて光輝いた三遊派の今日の没落ぶりを印象づけるだけである。
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by kogotokoubei | 2010-05-31 11:47 | 襲名 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛