噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:落語会( 425 )

 池袋の先月中席で、昼の部の主任が小のぶだったのだが、都合がつかず行けなかった。
 その小のぶの名をオフィスエムズさんの企画で発見し、休みをとって久しぶりの見番へ。2014年7月の雲助蔵出し以来なので、ほぼ三年ぶりだ。
 この会、他の三人も小満ん、一朝、そしてまだ聴いたことのない春輔である。こんな渋い(?)顔付けはそうあるものではない。

 神保町で途中下車して古書店を少し回ってから、神保町駅の近くのジャズ喫茶Bigboyで涼もうと思ったら、なんと居残り会仲間のYさんに遭遇。彼にこの店を教えたのは私。
 最近、よく立ち寄るらしい。マスターとも馴染みになったようだ。
 彼は夜は中学・高校の同窓との会があるらしい。30分ほどの懐かしい会話の後、先に辞した。
 落語好きでジャズ好きの良き友と会えて嬉しかった。

 さて、神保町散策の後、浅草へ。
 途中、携帯メールに、I女史から都合が悪くなり欠席の連絡。仕方がないよね。
 ということで、佐平次さんとF女史と三人での居残り会になりそうだ。
 
 仲見世の脇を歩いて、見番に行く前に、居残り会の場所候補として考えていた、酒場放浪記で見たことのある店の場所を確認。
 6時にご主人が暖簾を出したので、事情を説明すると、午後八時以降の予約はとらないので、電話をして欲しい、とのこと。ちらっと中を見ると、なるほどそう広い店ではなさそうだ。了解して、見番へ。

 好みの場所の座布団に荷物を置いて席を確保。すると、すぐ斜め前の席にF女史がいらっしゃった。佐平次さんとすれ違ったら、予想通り後部に用意された椅子を確保されたとのこと。

 外で一服し、あらためて会場の桟敷へ。限定100席の会場は、ほぼ八分近く入っていたのではなかろうか。

 出演順に感想などを記す。

(開口一番)柳家小はぜ『富士詣り』 (16分 *18:45~)
 7月1日の山開きの日に、『富士詣り』について記事を書いた。
2017年7月1日のブログ
 あの記事には多くの方からコメントをいただき、当代で演じる噺家さんの情報を頂戴した。
 小はぜが演じることも教えていただいたが、生で聴けて、結構嬉しかったなぁ。
 急な天候の崩れは、登山する中に五戒(ごかい)を破りながら懺悔の足らない者がいるからだと先達さんに言われ、湯屋で下駄泥棒した男、人妻と深い仲になったことを白状する者が出てくる。実はその人妻が先達さんの女房、でサゲた。
 なかなか楽しい高座だったのだが、「五戒」で言い間違いがあったことと、四つまでしか言えなかったのが、残念。
 先達さんが語る、五戒とは次の通り。
 ◇妄語戒(もうごかい):嘘を付いたり人を騙したりすること。
 ◇偸盗戒(ちゅうとうかい):人の物を盗んだり取ったりすること。
 ◇殺生戒(せっしょうかい):殺生して山に登ってはいけない。
 ◇飲酒戒(おんじゅかい):酒を飲んで山に登ってはいけない。
 ◇邪淫戒(じゃいんかい):女を騙したり泣かしたこと。連れ合い以外と交渉を持つこと。
 さぁ、自分はどこまで懺悔しけけりゃならないかなぁ・・・・・・。
 また、この高座の途中、楽屋と思しき場所での会話の声が大きく、実に小はぜには可哀想な状況だった。なんと、廊下を隔てた楽屋部屋に注意に行ったのは、佐平次さんだった^^

八光亭春輔『九段目』 (25分)
 初めて聴くのを楽しみにしていた人。八代目正蔵の弟子。
 この噺も、初めて生で聴く。初ものづくしの日だ。
 マクラでサゲにつながる煙草のことをふって本編へ。
 この段の主役とも言える加古川本蔵役を予定していた者が急病(だったはず)でできなくなり、田舎(三河)訛りたっぷりの医者太田良庵が演るハメになってのドタバタだから、設定は『権助芝居(一分茶番)』に似ている。
 マクラで、大量の科白を覚えなければならない割りに受けない苦労の多い噺と言っていたように、番頭が良庵に口移しで教える科白の、なんと多いこと。
 この番頭が教える場面での、少ないながら良庵の言葉も可笑しい。
 「三方をこわします」「もってぇねぇこった」などで笑わせる。
 本番での良庵先生、絶好調。客席から「よおよお、太田先生」と声がかかると「どなたでしたかねぇ~」と受け答え、患者の様子を訊ねる始末。
 終盤、力弥がまだ刀を突き刺さないのに勝手に脇腹を血だらけにして、持っていた煙草を血止めにし、客席から「血止めのタバコとは、細っかいねェ」 「いやあ。手前切り(自分で刻んだ煙草)だで」 で、サゲ。
 私は活字でしか知らない九段目だが、歌舞伎通の方には、さぞ楽しい高座だったろうと思う。当代で演じる噺家さんは、そういないのではなかろうか。
 芸風は、いたって大人しいように思うが、ネタ選びなどを含めなかなか侮れない噺家さん、という印象を受けた。

柳家小のぶ『へっつい幽霊』 (31分)
 さぁ、お目当ての小のぶだ。
 序盤は、声をあえて小さくしているのか、実際に出ないのか^^
 この人は2013年6月下席で『長短』を聴いて以来。
2013年6月29日のブログ
 その後に、堀井さんの本からは“幻の落語家”の由来、江國さんの『落語美学』からは、ある逸話を紹介する記事も書いた。
2013年7月11日のブログ
 マクラで「納涼ということで、その昔は怪談噺で涼んだものでして」とふったが、納涼という会のお題に相応しいネタは、この一席だけだったのではなかろうか。
 流行らない居酒屋に訪れた客が幽霊の絵を描いて掲げて繁盛したことや、へっついは竈とも言い家の中でも大事なもので、竈を譲るなどの言葉もある、といった今では滅多に聞くことのできないマクラ、私は好きだ。小さい頃、父母は竈を譲るとか分けるなどという言葉を日常的に使っていたことを思い出す。
 筋書きは、今よく演じられるものと違う。
 熊(と思しき)男が、博打で儲かったと喜んでいる場面から始まる。
 竃が壊れているので、新しい竃を買いに行ったら、いわくつきの竃なので、とタダでもらえることになった。そして、夜、八つを過ぎた頃に、青い焔が出て、幽霊登場。
 とにかく、この左官の半次の幽霊が楽しい。手を陰に下げて、ぶらぶら振る様子が、今でも目に焼き付いている。
 科白もなかなか効いている。
 熊「うらめしー、なんてぇことはねぇじゃねえか」、半次「これは、幽霊の枕詞でして」とか、熊の「なかなかいい度胸してるじゃねぇか、惜しい奴を殺しちまった」なども可笑しかった。
 半次が自分で塗り込んだ竃の中の百両を取り戻したいのは、その金で有難いお経をあげてもらうなど、あらためて弔ってもらい浮かばれるため、というのも初めて聴いた。
 場面場面の勘所では、声はしっかり出ていたので、序盤の声の調子は、やはり芸ということか。
 マクラで丁寧に仕込んでいた「寺を建てる」でのサゲも初めて聴くが、悪くない。
 無理に笑わせようなどという姿は微塵も感じないのに、半次の所作、二人の会話で楽しませてくれた高座、今年のマイベスト十席候補とする。

春風亭一朝『紙屑屋』 (20分)
 仲入り後は、この人。
 この噺こそ、この人の自家薬籠中というものだろう。
 紙屑屋で屑の選り分けをすることになって最初に、歌舞伎舞台「紙屑の場」が演じられる。
 若旦那が紙屑屋で発見するしろものは、野菜づくしの手紙、都々逸集、新内の本などだから、一朝の芸の見本オンパレード、という高座。
 ♪箸は右だと教えた親に 左団扇を持たせたい
 なんて都々逸を聞かされると、この会の客席からは拍手が起こるのである。
 ♪夢に見るよじゃ惚れよが薄い しんから惚れたら 眠れない~
 なんてぇのもいいねぇ。
 先輩たちに囲まれ、十八番の小品で埋めた時間、ということだろうが、やはりこの人はいい。

柳家小満ん『中村仲蔵』 (41分 *~21:11)
 この噺と分かった時は驚いた。
 たぶん九時には終演だろうと思っていたことと、春輔の『九段目』があったからだ。
 う~ん、いろいろこの人らしい薀蓄などもあったのだが、場内の蒸し暑さもあって、楽しめない高座だった。
 同じ忠臣蔵のネタになった理由は、いったいなんだったのだろう。
 関内の独演会と比べると、残念な高座と言わざるを得ない。
 別途、この噺を聴き直した時に、その味わいを書けることを期待し、詳細は割愛。


 終演後、例の店に電話すると入れるとのこと。
 三人で居残り会だ。
 最初は気難しそうな顔をしていたご主人も次第に柔和な感じになり、ホヤやハラミとじゃが芋のグリルなど肴も美味しく、お二人との会話も盛り上がる。ご主人のお任せにしたぬる燗の酒も結構、となると、もちろん(?)帰宅は日付変更線を越えたのであった。
 
 今でも、小のぶの半次の幽霊の手つきが、目に浮かぶ。
 実に絵になる噺家さんだと、私は思う。
 

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by kogotokoubei | 2017-08-05 13:49 | 落語会 | Comments(6)
 雨で日曜恒例のテニスが休みになった。
 そうなれば、行きたかったこの二人会に出向かねばと、志ん輔の会、とされている携帯の番号に当日券の有無を確認のため電話したのだが、留守電になっていた。
 チケットが残っているかどうか携帯に返事が欲しいと伝言を残し、一枚位ないはずがないと、国立演芸場に向かった。

 この二人会は、二年前の4月にも聴いている。
2015年4月30日のブログ
 あの会では、龍志の『花見の仇討ち』の楽しさが格別だったし、志ん輔の『幾代餅』も良かった。

 その時の記事に、詳しいプロフィールを掲載したが、龍志は昭和45年4月に立川談志に入門し昭和51年7月二つ目昇進、志ん輔は昭和47年3月志ん朝に入門し昭和52年3月二ツ目昇進。
 龍志が少し先輩だが、前座、二ツ目を同時期に過ごした仲間といえる。

 さて、半蔵門駅近くで昼食をとったが、まだ携帯に返事はない。
 12時少し過ぎに会場に行くと、テーブルに龍志、志ん輔、それぞれのチケット販売窓口があった。
 どちらからでもチケットが確保できれば良かったのだが、今朝電話をしたこともあり、志ん輔の窓口でチケットを入手。私の好みの、少し後ろ目だが中央近くの席が残っていた。

 会場は、最終的には300席の客席が八割近く埋まっただろうか。

 それぞれ二席で、ネタ出しされている。

 開口一番を含め、出演順に感想などを記す。

橘家かな文『一目上がり』 (15分 *13:00~)
 四月の末広亭『たらちね』よりは良い出来だった。
 しかし、ネタのせいもあるかな。私は小さんのこの噺の音源が大好きだ。また、当代の噺家さんがこのネタを演じると、その出来はともかく、こういう噺を大事にしていることだけで、許してしまおう(?)と思いがちなのだ。
 かな文、師匠文蔵譲りの『道灌』のみならずこういう噺も磨き続けて欲しい。

古今亭志ん輔『三枚起請』 (36分)
 前座修業時代、龍志の奥さんの雑司ヶ谷の家にお邪魔してご馳走になったと思い出を語る。
 前夜は12時過ぎに寝たが夜中3時半頃にトイレに起きてから眠れなく、5時前には起床と、目をこすりながら話していた。
 口説き上手な男が羨ましいなど、全体で12分ほどのマクラの後、「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」の高杉晋作がつくったと言われる都々逸から本編へ。
 前半は、それぞれ喜瀬川から起請文をもらった三人をどう演じるかが肝要で、下手に演るとだれる恐れがある。
 志ん輔は、持ち味である軽やかなリズムを刻んで、伊之さん、棟梁、清公それぞれの物語を、過不足なく聴かせてくれた。
 軽い調子の伊之さんが、喜瀬川からもらった起請文での浮かれようが楽しい。起請文を棟梁に見せる際、「手を洗って、口を漱いで、身を清めて」から読んで欲しい、という科白も可笑しかった。
 また、もっとも可哀想な清公の妹を巻き込んでの物語は、涙なくしては聴くことができなかった^^
 後半、榎原へ向かう場面への切り替えは早く、このスピード感がこの人の持ち味。
 終盤は、喜瀬川の気丈夫さがしっかり描かれていた。志ん輔は、顔の表情が豊富なことが持ち味の一つだが、強面の女性もなかなかのものだ。
 「クリープを入れないコーヒー」なんてクスグリは、この日の客席を笑わせる。
 本編20分余りとはとても思えない中身の濃い好高座だった。
 今年のマイベスト十席候補とする。
 
立川龍志『藪入り』 (32分)
 自分が育った鐘ヶ淵や玉の井近辺では下水道ではなく溝(どぶ)で、リボン印の蠅取り紙が活躍した、という話で笑いが多い会場で、私を含め客の年齢層が分かる。鰻のタレのかかったご飯が好きだった、という話にも共感。
 父親の熊は病み上がりで、まだ体が本物ではない、という設定は、この噺では初めて。
 前半は、亀の帰りが待ち遠しい夫婦の会話が中心だが、三年会っていない子供への深い情愛が見事に描かれていた。亀が帰宅してからの騒動も、母親の急変ぶりを含めて楽しく聴かせた。
 サゲは工夫されていたが、私は、通常の「忠のおかげ」で良かったかと思う。
 ここで、仲入り。

立川龍志『酢豆腐』 (33分)
 旬の噺。どうしても文楽や志ん朝の音源を思い出すが、龍志はどうだったのか。
 まず、このネタについて。落語には、その昔の“町内の若い衆”を描いたものがいくつかある。この噺もその一つで、今で言えば、町内の集会場のような場所に泊った連中が、暑気払い、迎え酒で皆で一杯やろう、ということで盛り上がる。
 『羽織の遊び』や『寄合酒』なども同じ部類に入るが、私はこの手の噺は、実に貴重ではないかと思っている。今は失われた世界が、これらの噺にはあると思う。
 次のように、大きく三つの場面がある。
  (1)町内の若い衆たちの酒の肴の算段
  (2)半公への策略
  (3)伊勢屋の若旦那の奮闘
 (1)は、酒はあるが“あて”がない。かと言って宵越しの銭もなく、さて、酒の肴をどう調達するかという算段場面で、龍志はそれぞれ個性的な若者を、楽しく描き分ける。最後に熊ちゃんが、糠味噌桶の底に残った古漬けをきざんで、水で絞ってかくやのこうこにしようじゃないか、という妙案を出したのだ。しかし、誰も糠味噌桶に手を入れたがらない。龍志は、だれるのを避けたのだろう、親の遺言男は登場させなかったが、それも結構。
 そこに通りかかったのが、お馴染みの建具屋の半公ということで、場面は変わる。小間物屋のミィ坊が半公に惚れているという作り話で、のぼせた顔が次第に崩れ、でれでれになっていく半公の姿が、実に可笑しい。結局、金を巻き上げられてしまった上に、酒も飲ませてもらえなかった半公の可哀想なこと。「お前たちは山賊か」で笑った。
 さて、前の晩残った豆腐を、与太郎が釜の中に入れていたから、腐って黄色いカビが生えていた。捨てようとしたものの、そこに通りかかったのが伊勢屋の若旦那。しんちゃん(若旦那は、すんちゃん^^)が一計を案じて、若旦那をおだてて腐った豆腐を食べさせよう、というのが最後の場面。半可通、知ったかぶりを意味するこのネタの題の主役登場だ。昨夜は吉原で「しょかぼのべたぼ」だったとのろける若旦那。懐石料理のようなものは食べ飽きた、近頃はなるべく珍らかなる物を食べるようにしていると若旦那が言うものだから、ついに若い衆たちの格好の餌食となってしまうのだった。
 「その黄色いところが、いいんでげす」と一匙食べさせられた若旦那の苦悶の表情も、大袈裟に過ぎず結構だった。
 上方に移って『ちりとてちん』になったが、それは、知ったかぶりを懲らしめる(3)の場面が強調された噺。『酢豆腐』には(1)や(2)の楽しさもある。それだけ難しいネタとも言えるわけで、なかなか若い人には手におえないだろう。
 龍志の高座、それぞれの場面の楽しさが生き生きと表現され、夏場の江戸の情景がくっきり浮かんだ。迷いなく、今年のマイベスト十席候補とする。
 
古今亭志ん輔『柳田格之進』 (47分 *~16:01)
 マクラなしで本編へ。
 この人のこの噺では、2013年4月、横浜にぎわい座での「志ん輔三昧」での高座が印象深い。
2013年4月12日のブログ
 その年のマイベスト十席にも選んでいる。
 それだけに、私自身の聴き方も、つい厳しい尺度にならざるを得ないのだが、さて、今回はどうだったか。
 三年前の高座は、それまでの師匠の呪縛から解き離れつつある、ある意味歴史的な高座だったような気がするので、比べてはいけないのだろう。
 途中にやや長めの間があったのは、寝不足気味なのが影響していたか。
 地で格之進の人物像を語り、以前より早めに十五夜の場面となったように思う。
 中盤の見せ場は、格之進と娘おきぬの、あの場面。
 格之進が切腹を覚悟し、おきぬに叔母の家に手紙を届け、久し振りだから泊まってきなさい、と言った後、父の覚悟を察して、「父上、お腹を召されてはなりませぬ。その五十両、私が廓に身を売ってつくります。だから、父上は生きて嫌疑を晴らしてください。おきぬは・・・武士の娘です」と言う場面、私は好きだ。
 その後、万屋の暮れの煤掃きでの場面の“動”から、正月に湯島切通しで番頭徳兵衛と格之進が対面する場面の“靜”の場面までは、だれることなく聴かせる。
 しかし、三年前には、湯島に降る雪が見えたのだがなぁ。
 万屋での最後の幕、源兵衛と徳兵衛の命を惜しまぬ主従の真心に打たれた格之進が碁盤を真っ二つにし、「柳田の堪忍袋の一席」でサゲる部分、少し言いよどんだ。
 決して悪い高座ではない。三年前の高座が良すぎたということだろう。やはり、寝不足もあって、二席目の長講はきつかったのかもしれないなぁ。


 一階喫煙室で一服しながら携帯のスイッチを入れると、留守電とショートメールで、今朝の電話に返事ができなかった丁寧なお詫びが入っていた。
 また二階に戻り、志ん輔の奥さんに、無事お聴きすることができたことの伝言をお願いした。

 外に出るともう降りそうな空ではない。
 この二人会に来れたことを、朝の雨に感謝しながら地下鉄の駅へ。
 帰宅後は犬の散歩の後に晩酌。
 あてに、かくやのこうこはなかったが、つい飲み過ぎてブログを書き終えることはできなかったのであった。
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by kogotokoubei | 2017-07-31 12:22 | 落語会 | Comments(4)
 五月の会は、野暮用で来れなかったので、三月から四か月ぶり。

 通算140回目とのこと。

 日中の豪雨は上がり、蒸し暑い中を関内へ。
 いつものように、コンビニで買ったおにぎりを食べながら、モニターで柳亭市坊の『転失気』を聴く。
 市坊のサゲ少し前に会場に入って後ろで待って、市坊が下がってからほぼ中央の空席へ。
 五割ほどの入りか。いつもながら、なんとも残念な客席だ。

 ネタ出しされていた三席について、順に感想などを記したい。

柳家小満ん『王子の幇間』 (22分 *18:45~)
 一席目は、最初の師匠文楽の十八番。初代円遊作と言われるが、文楽は三代目の円遊から稽古してもらったとのこと。
 お店では、その口の悪さで嫌われている、神田の幇間、平助。
 「平助入るべからず」という魔除けの札を門口に張ったが、「この札、十枚集めたら、何かいただけますか」という調子者。
 その平助の、とどまることのないヨイショの体裁をした毒舌の語りが、絶妙。
 最初の標的となった女中おなべどんには、白粉(おしろい)が厚いから話をすると白粉が落ちる、「おひろい、おひろい」やら、「その帯、雑巾をうまくつなぎましたね」とか「その皺だらけの顔・・・あなた、薩摩の生れでしょう・・・かおしま県」などと言って泣かせてしまう。足のアカギレの間から青い物が芽を出していて、それが田舎で踏んでいた粟だという設定が頗る可笑しいが、それを見て「かかとに田地を持っているのは、あなた一人だ。かかとを抵当に借金ができる」と平助絶好調。
 鳶の頭がやって来て、これまた平助の標的に。
 吉原の茶屋の二階で三味線を弾いて歌っていたことを大きな声で暴露したものだから、頭から殴られるが、なかなかへこまない、実に骨太の幇間^^
 実は、旦那と女房が示し合わせて、旦那な留守ということにして悪口を言わせ、出入り止めにしようという策略があった。
 ついその芝居に乗せられた平助、旦那が吉原の花魁を見請けしているから女将さんは追い出されますよと、出まかせを言う。
 女将さんが「それじゃ、私と一緒に所帯を持とう」と言って、つづらに金の延べ棒が六十三本入っているからと言って背負わせ、ついでにからくり時計に鉄びん、猫のミーまで平助に持たせたところで、隠れていた旦那が登場。
 つづらには、石臼に漬物石が二つ三つ入っていると明かされる。これは、重いはずだ^^
 旦那「平助、いったいなんてぇザマだ」に、平助が「御近火のお手伝いにまいりました」と答える。
 後からYoutubeで聴いた文楽版は、ここでサゲとしているが、小満んは、旦那が「火事などどこにもない」と返し、平助が「私の顔から、火が出ています」でサゲた。 

 矢野誠一さんの『落語手帖』によれば、上方落語の二代目染丸作『茶目八』を、三代目染丸が『顔の火事』で演じていたが、全体の筋立ては『王子の幇間』とほぼ同じとのこと。
 小満んは、師匠文楽版に、上方のサゲをブレンドしたのかもしれない。
 いやぁ、この平助、なかなか憎めない^^
 もちろん、今年のマイベスト十席候補だ。

柳家小満ん『大名房五郎』 (37分)
 いったん下がって再登場。
 マクラで説明しなかったが、この噺は宇野信夫が三遊亭円生のために作ったもの。
 宇野信夫による落語、となると、2015年5月のこの会で、『江戸の夢』をかけている。
2015年5月19日のブログ

 また、雲助は師匠馬生のために宇野が作った『初霜』を、浅草見番で演っていた。
2014年1月26日のブログ

 宇野信夫が若い頃から多くの落語家と交流があったことを著作から紹介したこともある。
2015年5月24日のブログ

 マクラで、なぜ「大名」なのか仕込みがなかったのは、残念。

 いつもお世話になる「吟醸の館」サイトの「落語の舞台を歩く」に、この噺が紹介されているので、引用する。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ

房五郎と言うのは、下谷車坂に住む大工の棟梁。茶席を作らせると、この人の右に出る者が無いと言う。仕事も上手いが、今で言う、設計も優れておりまして、頭がいい。歳は二十九で、九代目の市村羽左衛門に生き写しと言う、誠にいい男です。まだ、女房を持ちませんで、お大名や旗本のいいお得意はあるので、かなりの収入はあったが、年中火(し)の車と言う。それは、居候を置きまして「ま、い~やな、俺ンとこへ来ていろ」と、年がら年中貧乏すると言う誠に変わった人でございます。
 余技に書画骨董の目が利いておりまして、見ると「こりゃこう言うもんでございます」とはっきり断定した。目利きの天才でございました。「あれはどうも普通の人間じゃァないね、大名の落とし子かじゃないか」なんてぇ事を言う。そこで「大名房五郎」と言う渾名(あだな)が付きました。

 昨夜の居残り会で、私は大名のように施しをするから「大名」と、お仲間の皆さまにとんでもない嘘をついてしまった^^
 そもそも、大名が、施しをするか!

 佐平次さん、Iさん、Fさん、実はこういうことですので、お詫びして訂正します。

 ということで、筋書きなどは吟醸さんのサイトでご確認のほどを。

 それほど楽しめるネタではなかったのだ、正直なところ。
 房五郎の設定は、ちょっとだけ『名人長二』を思わせ、ケチな質屋をやり込めるという内容は『五貫裁き(一文惜しみ)』に似ていなくもないが、どうも中途半端な作品という印象。
 これは、小満んのせいではない、あくまで、このネタの問題。

 ここで仲入り。

柳家小満ん『湯屋番』 (28分 *~20:29)
 設定が、浜町の梅の湯で、前半にも妄想場面があるから、元は円生版と思われる。
 若旦那は、すでに梅の湯に行っており、二十二~三の美人の女房と、青白い顔をして痩せた(“ハイガラ”)亭主がいることを下調べ済み。
 初回は、のぼせて醜態を見せて湯屋の女房に介抱してもらい、その後に菓子折を持って礼に行った、という設定だから、居候先から紹介状をもらう必要はない。
 それにしても、風呂で一足三十の都々逸にとどまらず、清元二段、常磐津二段、端唄、小唄に、八木節まで唸っていれば、のぼせもするだろう^^
 亭主が死ねば、あの女房と湯屋は自分のものと、前半の若旦那の妄想が楽しい。
 世話好きの吉兵衛さんが湯屋の裏に呼び出して、かんな屑の上で内緒話。
 「まるで、猫のお産だね」で笑った。
 隘路を「英語でネック」なんてぇのも、この人らしい。
 立花町の頭が入ってくれて、話はついている。勇躍、梅の湯に乗り込む、若旦那。
 そこからの妄想は、通常のこの噺とほぼ同じだが、演じ手が違うとこうも変わるかという、なんとも言えない味わいと、楽しさが横溢した高座。男湯の「七ケツ」の中で太った男のそれは燃料になるだろうから、役所に脂肪届をしたらいい、なんてのも実に可笑しい。
 彫りものをした御爺さんの背中の獅子と牡丹は、もちろん、ブルドックとキャベツでブルキャベ。
 清元の師匠との艶っぽい妄想の世界も、若手の落語家とは、一味もふた味も違うのだ。
 若旦那が体をくねらせる様子を女中お清が「まるで、印旛沼の鰻みたい」なんてぇ科白は、なかなか決まるものではない。
 艶っぽい妄想の世界から、男湯の客に現実に戻された若旦那。
 サゲは、下駄の後送りで、「最後の人に、下駄をあずけます」と綺麗に収めた。
 こちらも、今年のマイベスト十席候補にしないわけにはいかないね。

 
 なんとも、楽しい高座の後は、その余韻を楽しむ、居残り会。
 佐平次さん、I女史l、F女史とのよったりで、関内ではお決まりのあのお店。
 定番のくさやはもちろん、岩牡蠣、めごちの天ぷら、ほや・・・などなどを肴に、佐平次さんの初恋談義まで飛び出せば、男山の徳利がどんどん空く。

 看板まで居座っていれば、帰宅はもちろん(?)日付変更線越であった。

 『王子の幇間』といい、『湯屋番』といいい、小満ん落語の真髄とも言える二席、今でも平助や若旦那の名調子が耳に残っている。

 次回は9月19日(火)、『渡しの犬』『酢豆腐』『九州吹き戻し』とネタ出しされている。
 何かと野暮用の多い時期だが、なんとか駆けつけたいものだ。
 ちなみに、会場はまだ関内ホール。


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by kogotokoubei | 2017-07-19 12:12 | 落語会 | Comments(0)
 この会は、なんとも久しぶり。
 調べてみたら、2014年12月の会以来だ。
2014年12月2日のブログ
 いろいろ野暮用もあったし、一時、浅草見番の会を含め、集中的に雲助を聴いたこともあり、しばらく時間を空けようという思いもあった。
 また、できるだけまだ聴いたことのない人の高座に出会いたいということと、寄席を優先した、ということもある。
 
 しかし、たまに寄席以外で、長講を聴きたくなる人である。

 今回は、行こうと決めてから、久しくお会いしていない方を含め、落語愛好家のお仲間にずうずうしくもお声をかけて、居残り会も幹事的に段取りしていた。

 落語会とアフターと、どっちが主役か^^

 会場は七分程度の入りか。
 当初この会には半分位しか埋まらなかったことを考えると、ある程度固定客がついたのだろう。

 こんな構成だった。
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(開口一番 桃月庵はまぐり『子ほめ』)
五街道雲助『千両みかん』
(仲入り)
五街道雲助『菊江の仏壇』*ネタ出し
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桃月庵はまぐり『子ほめ』 (14分 *18:58~)
 何度か聴いているが、これまでではもっとも残念な高座。
 気になるのは、主人公(八五郎?)の口調が乱暴すぎること。
 あえてそういう人物造形をしているのかもしれないし、自分のネタとして発展途上なのでもあろうが、世辞を言って一杯ゴチになろうというのに、あんな伝法な口をきいちゃいけねぇや^^

五街道雲助『千両みかん』 (30分)
 暑くてエアコンをかけっぱなしで、少し喉をやられた、と言っていたが、聴く側としては、あまりそれを感じなかった。
 しかし、体調は十分ではなかったのかもしれない。それは、これまでこの会で経験したことのない、二席のみでの早いお開きにつながったと察する。
 マクラの、お天道様とお月様、雷様が一緒に旅行に行った、というネタは、以前も聞いていると思うが、今度自分が余興で落語をする時に使わせてもらおう。
 今では、氷イチゴなんてぇのはなくなって、氷フラッペ、氷の上に果物の切れっぱしなんかが乗っている、とふって本編へ。
 達者な芸であり、ツボを押さえた高座であるのは間違いないのだが、この人にしては軽い、あっさりとした高座と感じた。
 二席とことわっていたので、トリのネタを考えると、九時までなら、この噺も膨らませて45分位で演じるのではないか、と勝手に思っていた。
 しかし、番頭が若旦那から臥せている理由を聞き出す場面にしても、短く淡泊。
 番頭に笑わないでくれと言って、悩みの元を明かす場面。
 若旦那「ふっくらとした」
 番 頭「ふっくらとした?」(怪訝そうな顔)
 若旦那「丸みのある」
 番 頭「丸み・・・のある!」(察した様子)
 若旦那「艶のある」
 番 頭「艶のある」(頷きながら)

 の会話も、鸚鵡返しすることなく、すぐこの後に

 若旦那「おつゆのたくさんありそうな」
 番 頭「おつゆ・・・・・・・?」
 若旦那「蜜柑が、食べたい」
 
 で謎が解ける。

 好みもあるし、くどすぎるのも問題ではあるが、なんともあっさりとした種明かしは、私には拍子抜けだった。
 三戸前ある蔵の中に、一個だけ腐っていない蜜柑があったのは、神田多町の「万惣」ならぬ「千惣」。
 番頭から蜜柑一個が千両と聞いた若旦那が、あっさり「そう」と答える場面の可笑しさなどは、この人ならではの味があったが、全体としては大人しい高座と言えるだろう。
 近所の八百屋が磔の描写をするのを、番頭が泣きそうになりながら聞く場面は楽しかったが、番頭はもっと感情の起伏があって良かったのではなかろうか。
 久しぶりの会に期待しすぎたのかもしれないが、雲助落語はあんなものではない、と思う。
 ネタのせいもあるかなぁ。
 矢野誠一さんが『落語歳時記』(文春文庫)の中で、金原亭馬生が、あるテレビ番組で翌週放送される本人演じるこの噺について、「あんまり面白い話じゃないン」と語り、聞いていた番組プロデューサーが思わず椅子からころがり落ちた、というエピソードを紹介している。労多くして、なかなか報われないネタであることを、再確認したような思い。
 二席目に期待、と仲入りの一服。

五街道雲助『菊江の仏壇』 (35分 *~20:30)
 仲入り後は、ネタ出しされていたこの噺。
 元は上方。初代円右が東京に移したとされるが、かつては小文治が十八番とした後は演者がなかなかいなかったのだが、雲助の師匠馬生が久しぶりに手がけ、昨今では、さん喬が『白ざつま』の題で演じている。
 馬生の音源は、残念ながら持っていない。

 この噺で思い出すのは、かれこれ六年半ほど前の桂文我の高座だ。
 ゲストの小金治さんに、八代目三笑亭可楽譲りの『三方一両損』で、見事な江戸っ子の啖呵を聴かせていただいた日だった。
2010年12月6日のブログ
 その時の内容と重複するが、このネタにはいろんな噺の要素が入っていると思う。
 次のような場面で他のネタを彷彿とさせる。
・大旦那が若旦那を諌めるシーンは、『船徳』『唐茄子屋政談』他同様の“バカ旦那”シリーズ
・若旦那が番頭の弱みを追及し味方につけるところは、『山崎屋』
・大旦那と定吉が出先から、どんちゃん騒ぎの我が店に戻ってくる件は、『味噌蔵』

 これまた矢野誠一さんの本『落語讀本』(文春文庫)になるが、このネタの「こぼれ話」から引用。
矢野誠一 『落語讀本』(文春文庫)
色川武大さんは、桂小文治の『菊江の仏壇』をきいたことがあるそうだ。敗戦直後の神田立花で、<茶屋遊びの気分、商家の感じ、そうして独特の色気、はじめて小文治を、ただものではない落語家だと思った>と書いているのだが、この感じが私には、とてもよくわかる。
 
 さて、雲助の高座に、“茶屋遊びの気分、商家の感じ、そうして独特の色気”はあったのか。
 若旦那が、番頭佐兵衛が清元の師匠を囲っていることを、じわじわと暴露していく場面は、『山崎屋』でも聴いているが、実に巧みな芸と言える。
 「そのまま、算盤弾いて」と言われたって、佐兵衛も心おだやかなはずがない^^
 若旦那のよく出来た女房お花と柳橋の芸者菊江が、そっくり、というのは師匠馬生譲りなのだろうか。
 番頭に、なぜ病のため里で療養している女房のお花を見舞いに行かないのか、と問い質される若旦那。
 お花は、なんでもよく気が付き、算盤だって番頭並み、若旦那は「なんでも見透かされているようで」気づまりで、顔は似ているが菊江のほうは、一緒にいると心が休まる、と言う。
 こういう若旦那の心理描写も、師匠譲りなのかどうか勉強不足で分からないのだが、男という生き物の心理を言い得ているようだ。出来過ぎた女房は息が詰まる、少しはいい加減なほうが、こっちも楽、ということで、この場面は、実に説得力があった、などと書くと、世の女性から顰蹙か^^
 残念なのは、題にもなっている菊江の姿が、あまり表現されていなかったこと。
 菊江の姿、艶、色気が、今一つ私には映像として浮かんでこなかったのだ。
 髪を洗っている途中に呼び出され、白薩摩の単衣のまま駕籠に乗せられてやって来るわけだが、駕籠を降りて番頭と若旦那の前に姿を現した時に、菊江の科白がなかったのも、影響しているかな。
 帰ってこないはずの大旦那が帰ってきてから二言、三言科白があったものの、菊江像を描くには不十分な印象。
 大旦那が若旦那にお花の最後の様子を聞かせる場面は、サゲの可笑しみを倍加させ、この噺の奥の深さのようなものを感じさせたし、もちろん、人並み以上の好演ではあったのだが、私が期待した雲助ならではの高座とは言い難い印象。

 桂小南もこの噺を十八番としていたようだ。ぜひ、秋に誕生する三代目小南のこのネタを聴きたいものだ。

 さて、私が知るこの会は、三席で九時終演だったが、二席で八時半にお開き。

 雲助の体調のせいなのかは分からないが、短いネタがもう一つ加わっても良かっただろうと思いながら、席を立った。
 

 しかし、落語会の物足りなさは、居残り会が早く始められる喜びに変わったのであった^^

 久しぶりにお会いするOさん、そして、I女史、F女史とのよったりは、四年前にこの会の後に寄って、靴をなくしたあのお店へ。
2013年8月3日のブログ

 若女将に「落語会が早く終わったけど、大丈夫?」と聞くと、「どうぞお二階へ」とのこと。
 良かった、二階なら靴を脱ぐことはない^^

 いろいろと話は盛り上がったなぁ。

 印象深いのは、かつては、見知らぬ人を家に泊めてあげることが多かったという話題。
 I女史が若き日、“ユースホステルの女王”として北海道で顔を売った(?)という話から発展したのだが、私の北海道の実家でも、何度もバイクや自転車でやって来た若い旅行者を泊めたことがある。そして、F女史も若かりし日、その広い実家ではいろんな方をお泊めしたとのことで、帰宅すると知らない人に「お帰りなさい」と挨拶されることもしばしばだったらしい。
 今では、とても考えられない、何ら疑うことなく人を信じることができた時代の思い出だ。
 もちろん、落語や講談、浪曲などにも話題は広がった。子供の頃から寄席体験を積み重ねているOさんは、今ではお嬢さんを浪曲にも連れて行くなど、立派な教育(?)をなさっている。落語の科白もよく覚えていらっしゃるので、「お嬢さんに落語を演って聞かせてあげたら」、と私がふったら、数多の名人の高座を聴いていると、とても人前ではできない、とのこと。
 私が、酒の勢いにまかせて友人に落語を聴かせていることが、どれほどの暴挙なのか、と反省しきり^^
 そんなこんなの楽しい会話が弾み、“ねのひ”の徳利が、さて何本空いたのやら。
 そうそう、I女史が、次の日はゴルフで早起きしなければならないので、「軽くね」ということで始めたのだったが・・・大丈夫だったかな。

 つい、看板まで居座った楽しい居残り会だから、帰宅が日付変更線を越えたのも当然であった。

 今、入場の際にいただいたプログラムを開いてみると、日付には「 月 日」とあり、ネタの部分も空白の中央に「お仲入り(休憩)」と記してあるだけ。

 要するに、どの会でも使えるようになっている。

 コスト削減することも大事ではあると思う。
 しかし、かつては、プログラムのみならず、ロビーにネタの補足説明などを書いたものを貼っていたり、とにかく、手作り感たっぷりの会だったことを思い出すと、正直、少し残念だ。

 このブログは、ある大手の興行会社による大ホールでの、何ら主催者の意図を感じない、出演者への気配りのない落語会への小言がきっかけで始まった。
 その会社のアンケート用紙は、何度もコピーにコピーを重ねて文字が薄くなっている、どの会でも使えるものだった。

 その対極にあるのが、雲助五拾三次のような会だと思っていた。

 始まって二回目から聴いている。あの2013年5月の会では、『髪結新三』を堪能した。
2013年5月14日のブログ


 雲助好きで落語好きな愛好家が始めた、手作りの良心的な会、というのが当初の印象だ。

 久しぶりに出向いて、番組の構成やプログラムなどに、この主催者の今後に不安を抱いたことも事実だ。

 人気があり実力も評価されている若手講談師の会も開催しているらしい。

 もちろん、興行を継続するには、利益も相応になければならないだろう。

 しかし、甘いかもしれないが、そして生意気を承知で書くが、この会を始めた当時の純粋な了見を失わずにいて欲しい。

 二年半ぶりに行った会で、そんな思いも抱いたのだった。

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by kogotokoubei | 2017-07-13 12:58 | 落語会 | Comments(4)
 土曜日の「ざま昼席落語会」の今松の名高座二席の余韻がまだ残っている。
 一席目の『お若伊之助』は、かつて苦手なネタだったのだが、今松のおかげで印象が変わった。

 あの狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面の描き方などで、結構印象は変わるものだ。
 初五郎の根津-両国-根津-両国-根津、という行ったり来たりのドタバタが、まったくダレることなく楽しかった。

 この噺は、志ん朝がホール落語会でも少なからず演じていた。
 亡くなる半年前の朝日名人会の音源も残っている。

 そんなこともあり、朝日名人会がらみでネットを少しサーフィンしていて、Sony Music Directの“otonano”というサイトに、朝日名人会プロデューサーである京須偕充さんの「落語 みちの駅」というコラムがあるのを発見。

 朝日名人会の内容が中心だが、ざっと読んでいて、気になることがあった。

 それは、3月の名人会における柳亭市馬の『御神酒徳利』に関する内容。
Sony Music Direct「otonano」サイトの該当ページ

 引用する。
柳亭市馬さんは「御神酒(おみき)徳利」。数年前にいちどこの会で演じたネタですが、そのとき「東下り」の道中付けに少し乱れがあったので再演してもらいました。三代目柳家小さん以来の「占い八百屋」系「御神酒徳利」が大勢を占める今日、この大坂まで行く版は貴重です。こちらのほうが超現実の部分も含めて噺が格上だと思います。

 柳家の「占い八百屋」が大勢を占めて、それのどこが問題なのか。
 この噺は元が上方の「占い八百屋」で、東京への伝達経路には二つの流れがあると言われる。
 一つは三代目小さんが東京に移植したと言われており、柳家に伝わる「占い八百屋」だ。
 円生の御前口演に代表される番頭が大阪まで行く型は、五代目金原亭馬生が円生に伝え、円生が練り上げたと言われる。
 私はあの型では、円生より三木助の音源の方が好きだ。
 番頭が大阪に行く型は、どうしても時間がかかる。
 「占い八百屋」に比べてあまり演じられないのは、柳家の噺家さんが多いということと、その所要時間も影響しているのではなかろうか。
 柳家でも小満んはどちらの型も演じるし、私は瀧川鯉昇の大阪まで行く三木助版を踏まえたと思しき名演を二度聴いている。
 とはいえ、小満んも、落語研究会からの要望で演じたようだし、朝日名人会では京須さんが柳家の市馬に、柳家ではない型を、あえてリクエストしたわけだ。

 噺の元をたどるなら、番頭&大阪型の噺が「格上」とは言えないだろう。

 古くなるが、私は、第一回大手町落語会で権太楼が「占い八百屋」を演じた会の終演後のロビーで、番頭が犯人の型しか知らないお客さん同士が、「番頭じゃなく、八百屋なんだぁ」」と話していたのを耳にしたことを覚えている。
2010年2月27日のブログ


 それはともかく、気になるのは、“再演”のこと。
 読んでから、これはソニーで音源を発売するための再演なのだなぁ、と察したが、そんなのありか・・・と思う。

 かつて、まだ木戸銭がA席3500円の時代に、よく朝日名人会に行った時期がある。
 小三治の会はすぐにチケットが完売になっていたが、他の顔ぶれでは、それほどチケットが入手できにくいこともなかった。

 今は、木戸銭が高いことと、自分にとってあの会への有難味がなくなって、行く気にはなれない。
 結構“ハレの日”の落語会、という気分の高揚感のようなものが最初はあったが、それも次第に薄れてきた。
 そうそう、仲入りにシャンパンなんぞを飲んでいたことを思い出す^^

 いまだに、年間通し券、半年通し券の案内はもらうが、興味が薄れたことに加え、先の予定などは決められないので、内容に目を通すのみ。

 四月の会の記事では、一朝の初CDがもうじき出ることが書かれている。

 たしかに、志ん朝の音源なども含め、あの会は芸達者たちの音源を数多く出しているが、それが会の目的のようになってはダメなのではないか。

 以前の高座のやり直しで同じ噺家が同じネタ、というのは、決して“お客様ファースト”とは言えないだろう。

 落語研究会は、イーストの今野プロデューサーが人選、ネタ選びをしているようなので、京須さんは、あくまでテレビ用の解説者として関わっているのだろうが、朝日名人会は人選とネタ選びに加えソニーの音源制作にも関わっている。

 これって、結構凄い権力を持っているわけで、危険な面もあるように思う。

 数年前の高座が、残念ながら音源発売に及ばない内容であれば、その噺家のその高座は、残念ながら、二次的な商売と縁がなかったと諦めるべきではなかろうか。

 ソニーの音源発売のための再収録の場に朝日名人会を利用するのは、私は実に野暮なことだと思う。

 他に、その一席の枠を与えるべき噺家もいるだろうに。

 かつて京須さんの落語の本からは多くの示唆も受けたし、勉強にもなった。
 しかし、ここ数年の著作や、新聞などで書かれていることには、疑問を感じることも多い。

 老害とは言いたくないが、権力のある地位に長く居座ることは、政治と同じで、良いことはない。

 あの会についての小言は久しぶりだが、やはり、書かないわけいにはいかないと思う、コラムの内容だった。

 ソニーの音源を作るために朝日名人会が存在しているとするなら、高い木戸銭を払ってその場に足を運ぶお客さんを馬鹿にしていると言えないだろうか。

 生の落語会、寄席は、その一期一会が大事なのであって、その音声や映像は、あくまで二次的なおまけである。

 そのおまけのために、同じホール落語会で同じ噺家とネタが選ばれるというのは、本来の落語会の主旨に反する行為ではないか。

 私は、そう思う。


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by kogotokoubei | 2017-06-12 22:09 | 落語会 | Comments(4)
 なんとか都合がついて、久しぶりに、自宅近くの歴史のある地域落語会へ。
 なんと、2015年8月の正雀・彦丸の親子会以来になった。

 通算207回目とのこと。
 通常は真打二名の二人会なのだが、今回は今松と二ツ目の市童。市童が前座の市助時代にこの会の前座役を長らく務めたご褒美かな。
 電話で当日券があることを確認していた。
 当日券販売は開演一時間前の一時からだが、ちょっと油断して一時半少し前に行くと長蛇の列。
 結局308席の会場には、八割を超え九割ほどのお客さんが入っていたような気がする。
 今松の座間での人気は、なかなかのものだということか。

 次のような構成だった。
-----------------------------------------
開口一番 柳亭市朗『狸の札』
柳亭市童  『棒鱈』
むかし家今松『お若伊之助』
(仲入り)
柳亭市童  『ろくろ首』
むかし家今松『笠碁』
----------------------------------------- 

 感想などを記す。

柳亭市朗『狸の札』 (15分 *14:01~)
 初である。現在二ツ目の市楽の前座時代と同じ名。まだ、先代(?)の印象が残っている。
 見た目は市童より上に見えたので後で調べたら、やはり市童より四歳上の三十歳。
 どうもリズムが悪い。大きな声ではっきり、という基本はできているのだが、途中途中で小さなブレーキがかかるような印象。精進してもらいましょう。
 それにしても、以前、白酒が入門希望者が多く、結構前座になる前の待機児童(?)が多いと言っていたが、この人の落語協会のホームページでのプロフィールも次のようになっている。
2015(平成27)年2月9日 柳亭市馬に入門
2016(平成28)年4月1日 前座となる 前座名「市朗」

 一年余り、待機したということか・・・・・・。

柳亭市童『棒鱈』 (24分)
 久しぶりだ。名は童顔からきているのかもしれない、市朗よりはずいぶん若々しい。
 なかなかの熱演ではあったが、まだ肝腎の主役と言える酔っ払いの男が十分には描けていない。二ツ目としては十分に評価できる高座だが、私のこの人への期待は、もっと高いところにある。
 ぜひ、この噺を十八番とするさん喬など芸達者の高座で勉強して欲しい。
 酒は好きなようだが、酒飲みを演じることは上戸も下戸も関係がないことは、小三治が証明している。

むかし家今松『お若伊之助』 (53分)
 マクラでは、実は私も会場に来る際に気になった、地元を基盤とする、ある政治家のポスターのことにふれた。
 「ひたむきに これからも」というキャッチフレーズの元大臣の看板を見て辟易していたのだ。
 さすが、今松、「ひたむきに これからも 金集め」とひねった^^
 会場には支持者もいただろうが、結構笑いが多かった。今松、なかなかやるねぇ^^
 時事ネタが続き、「こりゃ旨い 安倍のおそばのもりとかけ いつの間にやらキツネとタヌキ」では、会場から大きな拍手。
 そんな私好みのマクラの後に、タヌキからつないだ、この噺へ。
 実はこの噺は苦手だった。それは、狸が登場する噺なのだが、サゲ前の筋書きがメルヘン調にはならず、残酷な印象があるからかもしれない。
 古くなるが、人形町らくだ亭で、さん喬、志ん輔で聴いているのだが、どちらも楽しむことができなかったのは、自分の記事を読んでも分かる。
2010年10月29日のブログ
2013年4月9日のブログ
 しかし、この今松の高座は、この噺への苦手意識を払拭してくれそうだ。

 こんなあらすじ。
(1)横山町三丁目、栄屋という生薬屋の一人娘が、一中節が習いたいと母親にせがむ。母親が出入りの鳶の頭初五郎に師匠を頼むと、もと侍で大変に堅いものがいる、自分が仲に入り保証するというので、その伊之助に来てもらうことになった。
(2)ところがこの伊之助が実にいい男で、お若が惚れ、二人がいい仲になる。気付いた母親は、初五郎を呼んで、三十両を出して二度とお若に逢わないと約束させるよう頼む。一方お若は、母親の義理の兄で根岸御行の松近くで剣術の町道場を開いている長尾一角に預けることとなった。
(3)一年ほどした頃、お若のお腹が大きくなりだした。これは一大事と一角が忍んで来る男を確かめると伊之助だ。翌日初五郎を呼んで話をする。手切れ金は確かに渡したのかと聞かれ頭に血がのぼった初五郎は、昨夜伊之助と吉原の角海老で一緒だったのを忘れ、伊之助のところへ駆けつける。しかし、伊之助に言われて昨夜のことを思い出し、根津に帰って一角に人違いだと告げる。しかし、一角に、伊之助が寝転かし(ねこかし)したのではないか、と言われ、初五郎、また両国に取って返した。しかし、また伊之助に昨夜は一晩中一緒に飲んでいたじゃないですかと指摘され、またまた、根津に戻る。
  (注)「寝転かし」は「ねごかし」とも言い、寝ている人をそのまま
     放っておくこと。特に、遊里で客が寝ている間に、遊女がこっそり
     いなくなってしまうこと。
(4)その夜、初五郎に確かめさせると、昨夜のは伊之助ではないが、今居るのは間違いなく伊之助だと言う。そこで一角が短筒(種子島)で撃ち殺すと、それは伊之助ではなく、大きな狸。その後お若は身籠り、日満ちて産み落としたのは狸の双子。すぐに死に、しばらくしてお若も亡くなった。お若と狸を弔うために御行の松の根方に塚をこしらえた。「根岸御行の松のほとり、因果塚由来の一席でございます」でサゲ。

 この筋書きで、初五郎が根津と両国を行ったり来たりする(3)の場面が一番の聴かせどころだが、今松の高座、なんと楽しかったことか。
 筋を知っていると、ここはダレる危険性があるのだが、今松の高座では笑い続けながら楽しむことができた。
 また、随所に入るクスグリや川柳なども実に効果的。
 たとえば、箱入り娘のお若に美男の伊之助を引き合わせる場面、「猫に鰹節、噺家に現金」で会場から大きな笑い。
 狸が化けた伊之助とお若が出会う場面の、去年(こぞ)別れ今年逢う身の嬉しさに先立つものは涙なりけり、なんてぇのも実に味がある。
 初五郎が根岸に呼ばれた時に門弟が、“に組”を“煮込み”などに聞き間違うところも、なんとも可笑しい。
 これだけこの噺を楽しく聴けたことはない。
 それは、きっと、狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面を、それほど怪談めいた、おどろおどろしい場面にしなかったからかもしれない。
 あの場面を湿らせすぎると、どうも後味が良くないのだ。今松のようにあっさり演じれば、この噺の味わいが大きく変わる。
 この人らしいマクラも含む長講を、まったく飽きさせなかった高座、今年のマイベスト十席候補とする。

柳亭市童『ろくろ首』 (26分)
 前半、伯父さんと松公との会話の場面は、良かった。
 松が兄と同じように「おかみさんが欲しい」と言う場面、なかなか「おかみさん」と言えなくて顔を歪めて苦悶する表情の楽しかったこと。
 この高座は、十分に真打のものだ。

むかし家今松『笠碁』 (38分 *~16:47)
 マクラでは巨人の連敗のことにふれる。私は同じアンチ巨人なので、心地よく聞いていた^^
 そこから、中国、トランプなど時事ネタになり、詳しくは書かないが、十分を超えるマクラがあったので、一席目の長講を考えると何か短めの軽い噺かと思っていたので、この噺と分かって驚いた。
 ネタにまつわる川柳、「ほんの一番と 打ち始めたのは 昨日なり」などをふって本編へ。
 師匠馬生とは若干設定が違う部分もあった。
 たとえば、待ったをする方の旦那、私が持っている馬生の音源では、前日に根岸の碁の先生のところに行き、待ったをしないよう忠告された、という設定。
 今松は、その日、相手を少し待たせたのは、根岸のご隠居のところに寄っていたからで、ご隠居に忠告されたのですが・・・となっていた。
 今松、この根岸のご隠居のことを語る場面、「剣術は、やりませんがね」と、一席目に関わるクスグリを挟み、客席から笑いが起こる。
 待った禁止でやりましょうと決める際の会話、「そうしましょう、そうしましょう、碁を打っているのか、待ったを打っているのかわかりませんからね」は、師匠譲りの楽しい科白。
 言い出しっぺの方が待ったを頼んだ後の会話が、次第に喧嘩腰になる様子の、なんと楽しいこと。
 待ったの旦那の科白は、「あなたが、そんな薄情な人だとは思わなかった」や、「人間の付き合いというものは、そんなもんじゃないでしょう」なども、客席からは少なからず笑いが起こる。二人の表情などが、十分に想像できるからだろう。
 「碁敵は 憎さも憎し 懐かしし」とふった後の再会までの後半の場面もダレることはなく、待ったの旦那が相手が現れたのを見た時の、「来たよ、来たよ」の今松の破れるような笑顔には、その旦那の喜びが溢れていた。
 この高座も、今年のマイベスト十席候補としない理由は、まったくない。

 
 なんとも驚きの二席。
 その余韻に浸りながら、駅までの道をゆっくり歩いていた。

 この日は、高座と客席が一体化した感じがしたなぁ。

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by kogotokoubei | 2017-06-11 20:19 | 落語会 | Comments(0)
 夜の部、はじまりはじまり。

開口一番 桃月庵ひしもち『平林』 (8分 *16:45~)
 初である。前座としては、まあまあ、という印象。
 なんともひよわな印象を与えるが、高座は語り口もしっかりしている。見た目と高座のギャップは、一つの売りになるかもしれない。

林家たこ平『出来心』 (12分)
 本来は、朝之助・一蔵・一左の一之輔の弟弟子による交替出演枠なのだが、その誰でもなく、この人。三人とも都合が悪くなるなんてぇことがあるんだ・・・・・・。
 代演のたこ平は、マクラからリズムが合わない。言いよどみも多い。
 実に残念な高座。2015年の連雀亭初席で聴いた『松山鏡』などは、結構味があったのだがなぁ・・・・・・。
2015年1月4日のブログ

東京ガールズ 邦楽バラエティ (14分)
 一人は「非売品」、相方は「返品」という自虐ネタが、失礼ながら可笑しい。
 ♪ぎっちょんちょんも悪くないし、♪裏路地の~は、何度聴いても、歌った後のあの表情が可笑しい。
 三味線の腕も結構凄いのではなかろうか。
 この人たち、だんだん好きになってきた。

台所おさん『弥次郎』 (11分)
 名前にまつわる逸話などのマクラから本編に入ったが、この短い時間で客席を沸かせた、なかなかの高座だった。
 「柔道二十三段」「そんなのがあるかい」「先生がまけてくれた」なんて科白でも笑った。
 最初に聴いたのは九年前になるが、2008年の厚木で鬼〆時代。あまり良い印象はない。
 その後、連雀亭で聴いて印象は好転し、この高座では、結構唸った。
 そのなんとも言えない風貌も含め、実に個性的かつ古風な、噺家さんらしい人。

春風亭百栄『鼻ほしい』 (14分)
 おさんの次がこの人、という流れは、なかなかに楽しい。
 こういう地噺は、お手のものだなぁ。新作か地噺の百栄、ということか。

 この人のこの噺をいつ聴いたか調べたら、2011年1月25日の新文芸坐だった
2011年1月26日のブログ
 あの落語会には、何度か足を運んだが、2014年4月21日で終了した。
 百栄が『鼻ほしい』を演じた日は、他に三三と一之輔、そして三木男が出演。
 その時の記事で、プログラムに、本来担当されている新文芸坐の永田稔さんが静養中で、「落語ファン倶楽部」編集部の松田健次さんが代筆して出演者を短い言葉で評していたことも引用していたので、再掲しよう。
 □三三
  人心の深い闇をえぐりながらも、その一方で理屈に拠らない人間存在のユーモアを忘れません。
 □百栄
  一瞬「え!」という意外な映像演出を挟むなど新世代らしい遊び心を見せます。
 □一之輔
  あらゆるシーンに縦貫するやるせなさと可笑しみに目を離すことが出来なくなります。
 □三木男
  只今短編で腕を磨きつつ初長編の構想に明け暮れる若き監督の卵でしょうか。

 なかなかに適確な評ではなかろうか。

伊藤夢葉 奇術 (12分)
 いつもながらの技と話芸。いいねぇ。

古今亭菊寿『初天神』 (12分)
 初である。年齢は私とほぼ同じなのだが、もっとふけて見える(はず^^)。
 金坊の演出が際立った。たくさん店が出ているのを眺めながら「りんご・・・はいらないんだよね」「みかん・・・もいらないんだよねぇ」「バナナ!・・・もいらないんだよね」
 「りんごもみかんも、バナナもいらないんだよねぇ・・・・・・」の後に、じわじわと切なさがこみ上げ、次第に顔がくちゃくちゃになって泣き出す様子は、生の落語でなければ楽しめない。
 円菊一門、奥が深い。

橘家円太郎『浮世床ー本ー』 (16分)
 仲入りの一朝が休演で、正朝が仲入りになり、そこに代演のこの人。
 近くの若いカップルが懸命にプログラムを見て不審がっていたので、よほど教えてあげようかと思ったが、高座が始まっていたので、やめた。
 マクラが楽しかった。浅田麻央の父親になりたい、というネタで、ところどころに師匠小朝の前妻のことなども挟んだが、詳細は秘密。
 本編は、私が知る筋書きとは異なり、「まっこう、まっこう」「おい、松公呼んでるぜ」なども、ない。
 とにかく、本を読んでいる留さん(源さん?)が、読もうとして顔と口をゆがめる表情が可笑しい高座。マクラが長くなって短縮したのか、この人はこういう型なのか知らないが、寄席らしい佳品だった。

林家ペー 漫談 (14分)
 ギターではなく、師匠の奥さん(海老名香葉子)からもらった赤いバッグを持って登場。赤いTシャツには「余談」の二字。
 最後に自分の歌「余談ですけど愛してる」を披露し、カラオケで歌ってくれ、と言って退場。
 昭和16年生まれ、今年76歳での、あのパワー、凄いね。
 
桂文生 漫談 (15分)
 二日酔いの様子とは、この日は思えなかった^^
 円生や正蔵の声色を挟んでの漫談は、なかなかに楽しかった。
 寄席のこの人でネタを聴くのは、十回に一度位の確率ではなかろうか。

春風亭正朝『町内の若い衆』 (16分)
 一朝に代わる仲入り。
 こういう噺は、本当に上手い。太った女房を形容する「氷上のトドだね」とか、鼻の穴からタバコの煙を上に吐く女房の様子には「インディアンの狼煙か」で笑わせる。
 仲間が何か褒めるものを探そうと、蜘蛛、あぶら虫、ナメクジなどに溢れた(?)家を「まるで、ファーブル昆虫記だね」なども、センスの良さを感じる。
 弟子の正太郎も順調に成長しているように思う。親子会でもあるなら、行ってみたいものだ。


 -仲入り-

 昼の部の後、椅子席は四割ほどの入りに減ったのが、次第に埋まってきた。仲入り後には七割程度まで入ったのではなかろうか。桟敷は六割ほど。
 二階にはカメラが据えてあったが、撮っているのか、あるいはこの後で何かイベントでもあるのかな。

 さて、休憩も終り。

春風亭柳朝『持参金』 (15分)
 クイツキを主任の兄弟子が務めた。今や弟子10名を数える一朝一門の総領弟子。
 最前列の席の方は、奇術の美智さんにどこから来たか聞かれ北海道と答えていたから、もしかすると、柳朝のつながりの方だろうか。
 この噺も、一門や人によって微妙な違いがある。柳朝は、吉兵衛さんが翌朝、あの女性を連れてくるという設定。
 筋書きをご存じないお客さんから、サゲ前に、番頭ー男ー吉兵衛さんの関係が明らかになり、どっと笑いがくる。
 こんなに顔の表情のある人だったろうか、と思わせる熱演。
 柳朝のブログ「総領の甚六」によると、あの古今亭右朝から稽古をつけてもらったネタとのこと。そして、その歴史をたどると次のようになるらしい。
 春風亭柳朝-古今亭右朝-立川談之助-立川談志-桂米朝。
ブログ「総領の甚六」の該当記事
 なんとも、由緒ある噺ではないか。

ホームラン 漫才 (10分)
 落語協会漫才の重要メンバーという地位を確立しつつある、という印象。
 勘太郎と私は同じ昭和30年生まれだが、彼の方がふけて見えるよなぁ、間違いなく^^
 たにしの腹話術のような相槌が可笑しい。
 しっかり客席を暖め、トリの時間も確保する、名人芸だった。

春風亭勢朝 漫談 (11分)
 十八番の彦六ネタなどを含め、この人ならではの高座。
 
初音家左橋『替り目』 (11分)
 もっとも難しいとも言われる出番のヒザ前は、十代目馬生門下のこの人。
 ちなみに、昼の部では、はん治が務めた。
 なぜ、難しいかは落語愛好家の方なら先刻承知だろうが、盛り上げなくてはならないが、主任を喰っちゃいけない。また、それまで出ているネタと主任のネタにもをつかないようにしなければならない。
 なるほど、そういう位置づけには相応しい芸達者である。
 昼の部から通しで、なぜかこのネタが出ていなかったねぇ。加えて、『親子酒』や『試し酒』、『居酒屋』など酒の噺もなかった。
 何かつまむものはねえか、の後に納豆や、糠漬けの部分を省いておでん屋につなげ、いわゆる『元帳』でサゲたが、実に結構でした。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (10分) 
 仙三郎、仙志郎、仙成の三人が揃って登場。
 今や落語協会の色物で香盤の一番上にある。
 土瓶の芸、和楽とは年季の違いを感じさせるなぁ、やはり。
 しっかり、トリにつなげました。
 それにしても、昼も夜もヒザが太神楽というのは、私のような(数少ない^^)居続けには、ちょっと残念。

春風亭一之輔『蛙茶番』 (33分 *~21:03)
 登場し、会場から「待ってました!」の声。
 少しの間を空けてからマクラに入ったが、前日に国立劇場の歌舞伎教室へ行ったとのこと。券をもらったらしい。高校生(一之輔いわく、北関東のどこかでしょう^^)が団体で来ており、説明役に若いイケメンの歌舞伎役者が出てきたら、女子高生がキャーッやら何やら嬌声を上げた・・・その後、そのイケメンが「ここが、花道」とか説明を始めたが、「あれ位なら私だってできる」と一之輔。
 歌舞伎の食事と寄席のそれ(おいなり)、客の服装、木戸銭などなどで歌舞伎より寄席がいいと言いながら、「早い話が、悔しいんです」と言う。本音なのだろう。
 そんなマクラから、昔は素人芝居が流行っていまして、と本編へ。
 なんとも結構なマクラなのだろう、と思いながら聴いていた。
 このネタのために、わざわざ歌舞伎教室へ行ったわけでもあるまい。こういう、生きのいい(?)ネタに関わりのあるマクラは、好きだ。
 「天竺徳兵衛」のガマ蛙の役を伊勢屋の若旦那が断って定吉にお鉢が回った。しかし、芝居番の半公が来ないので幕が開けられない。番頭に言われて定吉が半公を迎えに行き・・・という筋書きの中で、それぞれの人物が見事に描かれている。
 お店の主人の貫禄。知恵者の番頭のなんとも言えない、したたかさ。定吉の無邪気さ。建具屋の半次の一本気な江戸っ子ぶりと粗忽ぶり。風呂屋から芝居に向かう途中で出会う、鳶の頭(かしら)の鯔背ぶり。芝居の観客・・・・・・。
 聴いていて、素人芝居の舞台、客席が目に浮かんでくる。
 このバレ噺(艶笑噺)を、まったく下品さを感じない、質の高い爆笑噺に仕立て上げた。
 何と言っても、惚れている小間物屋のミー坊が帰っちゃ大変と、自慢の縮緬の褌を締めるのを忘れて湯を出た後、途中で頭(かしら)親娘に、その物を見せて「町内一」とか「これだけあると重い」と言うあたりで、会場がひっくり返るような大爆笑。近くに若いカップルがいたが、女性が大声あげて、泣きながら笑っていた。
 その御開陳のすぐ後に、頭が大慌てで「やめろ、やめろ!」と言って、娘に「見るなぁ!」と叫んで半公を隠そうとするあたりでも笑いが巻き起こる。
 もちろん、この人なりの楽しい演出も加わる。
 たとえば、最初に定吉が迎えに行った時、半公が怒って人差し指と中指で「目ん玉くり抜くぞ」と脅かされたことを番頭に言うと、「こうして防げ」と手の平を縦に目の前に構えてみせる。「足んなきゃ、両手で」と言う。これを、番頭のミー坊作戦の知恵を授かって再訪した場面で定吉が実践するところなども、実に可笑しい。
 科白で印象に残るものもある。定吉が、番頭の作戦を聞いた後の、「番頭さん、凄いですねぇ。味方にしておいて良かった」なども効果的な一言。
 あの禁演落語五十三席の一つであるネタを、女性が大声で笑える見事な噺に仕立てた高座、今年のマイベスト十席候補に選ぶ。いやぁ、笑ったなぁ。


 実は昼の部がはねた後で、末広亭の従業員の女性の方から、一之輔の初日から六日目までのネタをお聞きしていた。
 鰻の幇間・青菜・代書屋・化け物使い・千早ふる・百川、だったとのこと。
 そして、この日の蛙茶番。

 一之輔の2012年3月21日から5月20日までの真打昇進披露興行50日51席のネタは、以前書いた。回数ごとに、次のネタが並ぶ。
2012年5月21日のブログ

 5回(1):茶の湯
 4回(3):百川、子は鎹、粗忽の釘
 3回(4):欠伸指南、初天神、明烏、らくだ
 2回(6):短命(長命)、不動坊、長屋の花見、花見の仇討、青菜、藪入り
 1回(10):竹の水仙、雛鍔、くしゃみ講釈、鈴ケ森、蛙茶番、代脈、大山詣り、鰻の幇間、へっつい幽霊、五人廻し

 あの二十四席と、末広亭の主任興行のネタ、春から初夏までの同じような季節なので、同じネタが並ぶのは当然のことだろう。
 しかし、あの披露目では、代書屋、千早ふる、化け物使い、は演っていない。
 
 ネタも着実に増やしていることが分かる。
 
 そして、その高座に久しぶりに触れて、若さ、勢いを保ったまま、どんどん上手くなっていることを実感した。
 貫禄さえ感じさせる。
 横浜にぎわい座の地下秘密倶楽部“のげシャーレ”で二ツ目時代に聴いた時に、この人のチケットは取りにくくなるとは予想したが、まさか、NHKが「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げるまでになるとは、思わなかった。
 三三、白酒、などには良い刺激になっているだろう。
 
 落語協会は、今春五人、秋にも三人の真打昇進。
 あくまで、増え続ける二ツ目への落語家稼業スタートの儀式、ということか。
 抜擢昇進は、たった五年前のことだが、そんな大きな状況の変化が、ずいぶん前のことにも感じさせるのである。


 九時間近い居続けではあったが、昼の部では、いぶし銀とでも言える芸達者達による高座を楽しみ、最後には一之輔の見事な“芝居”を堪能した。

 やはり、寄席はいいねぇ。
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by kogotokoubei | 2017-06-09 12:36 | 落語会 | Comments(6)
 休みをとっての末広亭居続けを敢行。

 途中で昼食をとりコンビニで助六などを買い込んで、12時15分頃に入場。
 一風・千風という、聴いたことのない漫才の途中だった。
 客席は椅子席で六割位、桟敷はパラパラと四割位。漫才が終わってからいつもの下手桟敷に場所を確保。二階席に修学旅行の団体の生徒さん達がいた。どこの学校か知らないが、先生は偉い。
 トリの時点で椅子席は九割近く埋まり、桟敷も七割方はお客さんが入っていたように思う。

 まず、昼の部について、出演順に感想などを記す。

三遊亭歌実 漫談 (12分 *12:20~)
 初。五月に二ツ目になったばかりの、歌之介の二番弟子とのこと。警察官から落語界入りとは珍しい。明るい芸風は好感が持てる。名前の由来は鹿児島の出身高校。警察官時代の逸話や外人のネタなどで客席から笑いをとる。師匠は一度は入門を断るものだが、歌之介は初対面で即入門となったとのこと。薩摩ということでのことかな^^

柳家三語楼『転失気』 (13分)
 いかつい風貌のこの人は、前座名のバンビ、二ツ目の風車から、三年前の真打昇進を機にこの懐かしい名の四代目を襲名したのだが、風車の時に感じた、いわゆるフラがこの高座からは感じなかった。誰でも通る芸の曲がり角かもしれない。今後に期待しよう。

ひびきわたる 漫談 (14分)
 煙管ではなくフルートを持って登場。実家の両親をネタにして、
 「母は、味噌汁薄いが化粧は厚い、父は耳は遠いがトイレは近い」などで笑わせるが、この人自身が昭和17年生まれで、今年75歳。そう考えると、実に若々しい芸と言えるだろう。

古今亭志ん弥『無精床』 (14分)
 愛犬家の私としては、この噺はサゲ近くで犬の話がやや残酷で好きになれないのだが、そういう点を差っ引いても、楽しい高座と言える。
 床屋の主の「おい、小僧、生きた頭につかまりな」などの科白がなんとも言えず良い。焙烙(ほうろく)のケツで小僧(奴)が稽古、なんて言葉も、焙烙という道具、言葉が失われつつあるだけに、歴史や文化を残すためにも落語が大事であると思わせる。
 寄席で重要な役割を担う噺家さんの一人と言えるだろう。円菊一門は、人材が豊富だ。

五街道雲助『粗忽の釘』 (14分)
 久しぶりの雲助。間違ってお向かいに行った後、「落ち着いて」隣を訪ね、女房とのなれ初めを独演する場面が、やはり頗る可笑しい。八五郎が彼女の八ツ口から手を入れてくすぐる場面は、何度聴いても笑えるし、最後に「そこは脇の下じゃないわよ・・・てな具合で一緒になりました」が、いいんだよ。
 二階席の修学旅行生には、少し刺激が強すぎたかな^^

のだゆき 音楽パフォーマンス (13分)
 三年ぶりだが、自分のスタイルを確立しつつあるようだ。
 コンビニのチャイムや救急車のサイレンの真似などの後で頭で演奏するピアニカ(本人いわく、神-髪-業)、二本同時に吹くリコーダーなどの芸の技量も高いし、なんとも言えないゆる~い語りも、板についてきた、という感じ。
 メールで届く案内で、結構、いろんな噺家さんの落語会の助演として名前を目にすることが増えてきたような気がする。認められてきた、ということだろう。
 夫婦楽団ジキジキも好きだが、ピンのこの人も貴重な」存在になりそうだ。
 
吉原朝馬『源平盛衰記』 (14分)
 地噺でいろいろと自分なりのクスグリを入れることができる噺だが、今一つ遊びの少ない大人しい高座だった。
 途中で「いいくにつくろう鎌倉幕府」や「ふじさんろっくにおーむなく」、元素記号の覚え方などを挟み、「こんなもん覚えても、なんの役に立たない」が、この日二階の修学旅行の団体さんに一番受けていたかもしれない。

松旭斎美智・美登 奇術 (14分)
 この日は、和の衣装。
 キャンディのマジックで二個もいただいた。おもちゃのバドミントンのラケットでは二階は難しいか。

柳家小満ん『金魚の芸者』 (16分)
 仲入りはこの人。昼の部から駆けつけた理由の一つでもある。
 冒頭で「水中に牡丹崩るる金魚かな」(筏井竹の門作)をふってくれるあたりが、小満ん落語の楽しさ。
 初代円遊作の噺を小満んが復活したことは知っていたが、ようやく聴くことができた。
 狸の恩返しの金魚版、とでも言おうか。
 狸は札になったりサイコロになって恩返しするが、金魚は柳橋の芸者になる。
 置屋の面接では、小唄「並木駒形」を聴かせてくれる。
 ♪並木駒形花川戸 山谷堀からチョイトあがる~
 いいなぁ、こういう噺。

 -仲入り-
 
 一服し、席に戻ると、私が来る前から隣にお一人で座っていらっしゃった高齢(私より)の女性から、話しかけられた。よく寄席にいらっしゃる方で、昨日は鈴本だったらしい。「夜もお聴きになるのですか?」と訊ねたら、お帰りになるとのこと。なかなか、居続けする人(馬鹿?)はいないよねぇ^^
 鈴本でもらったプログラムを見せてくれたが、小ゑんが主任の昼の部だったようだ。川柳の名があったので「出てましたか?」と聞くと「えっ、お元気でした」との答えに安心。会場が暗くなり始まりそうなので、それ以上の会話はなかったが、またどこかでお会いしたものだ。

 さて、仲入り後。

桂文雀『虎の子』 (10分)
 クイツキのこの人は、随分久しぶりだ。ほぼ八年前、同じ末広亭で、真打ち昇進を翌年に控えた笑生時代に『八問答』という珍しい噺を聴いた。
2009年6月6日のブログ
 この日も、また珍しいネタを披露。
 後で調べると、上方の『真田山』を元にした噺らしい。
 毎夜お婆さんの幽霊が出て、上野すり鉢山の祠の下に、「虎の子の金」があるから掘り出して欲しい、と言う。気味が悪くなり仲間に話すと、「彰義隊の埋蔵金が埋まっていて、息子の代りに母親が頼みに来てるに違いない」と、上野へ。
 しかし、その場所を掘り返して出てきたのは、何かの骨。
 そこに幽霊登場。それは幽霊の寅さんの子の兼(かね)の骨、「虎の子の金」ではなく、「寅の子の兼」だった、という次第。
 『真田山』は、真田幸村が埋めた軍用金と間違うという筋。
 ネタ選びを含め、実に不思議な魅力のある人だ。

ペペ桜井 ギター漫談 (12分)
 声は若干かすれているが、十八番ネタをしっかり。
 昭和10年10月生まれ、今年82歳の得難い色物の芸人さんだ。まだまだ、高座で見て聴きたい人。

三遊亭歌る多『金明竹』 (15分)
 円歌一門は、とにかく皆、冗舌だ。この高座では、不思議な関西弁を話す人物が、道具屋の女将さんに、あの言い立てをもう一回と言われ、「わてはいいんですが、会場のお客さんが可哀想」とか「本当は四回やるんですが」などと挟む。
 自分なりの工夫とも言えるが、これは好みが分かれるだろう。
 私は、せっかく気持ち良く噺の世界に入っている流れが途切れるような気がして、いきなり素になってのクスグリは、あまり好きではない。

柳家はん治『妻の旅行』 (12分)
 後でメモを読んで、「えっ、あれ12分!?」と驚いた。
 三月の中席で初めて聴いたが、また笑った。
 大変なんだよ、妻と良好な関係をつくるのは^^

翁家社中 太神楽 (12分)
 小楽と和助。和助の土瓶の芸は、仙三郎に迫りつつあるのではなかろうか。
 だから、「寄席のxxxxxです」の役者の名を考えることだ^^

三遊亭歌奴『子は鎹』 (28分 *~16:32)
 四月にもこの場で『初天神』を聴いている。
 この人の清潔感は、ある意味で落語家として不似合かもしれないが、爽やかな高座は好感が持てる。
 いろんな型や工夫などもあって、筋書きは一門や人によって微妙に違うが、歌奴は、こうだった。
 ・八五郎が亀に出会うのは、番頭の仕掛け
 ・地主の倅に駒をぶつけられたと八に話した後、亀は泣く
 ・二人の側で聴いている八百屋は、出てこない
 ・亀と別れた後、八は番頭に礼を言う。こんな感じの会話
  八五郎 もう木場には行かなくていいんですね
  番 頭 さっしがいいなぁ、ばれちまったかい
  八五郎 おかげさまで、いい木口を見せていただきました
 ・かと言って、鰻屋の場面に、番頭は登場しない

 やはり、円歌一門は、冗舌だなぁ、とも思ったが、人物の演じ分け、丁寧な仕草、目と顔だけでの表情の巧みさ、など、歌彦時代からもずいぶん上手くなったと思う見事な高座だった。母親が玄能を持ったまま振り上げないのも結構。
 今年のマイベスト十席候補、とまではいかないが、今後もこの人の高座を聴きたくさせる好高座。


 さて、ようやく昼の部がはねた。

 志ん弥、雲助、小満ん、はん治など、芸達者の寄席ならではの高座が印象に残る。
 歌奴は、もう少し色気のようなものを醸し出せるようになると、凄い噺家になる潜在力があるように思う。

 夜の部は、次の記事までお待ちのほどを。

 やはり、いいね寄席は。


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by kogotokoubei | 2017-06-08 15:18 | 落語会 | Comments(6)
 金曜の池袋まで、いろいろ野暮用で落語に行けなかった。
 その間、ネットで調べていて、この落語会を発見していた。

 あら、日曜の昼だ・・・・・・。
 恒例のテニスの日。

 しかし、どうしても三日間開催の千秋楽、トリの談四楼の高座を聴きたくて、演芸場に電話したところ、チケットが二席残っているとのこと。
 これはご縁があるということと、テニスを休んで隼町へ。

立川流落語会と言っても、人気者は、初日に談笑、二日目に志らくが出るが、志の輔と談春は出演しない。
国立演芸場サイトの該当公演のページ

 これが三日目の顔ぶれ。

28日(日)
落語  立川三四楼
落語  立川小談志
落語  立川志ら乃
落語  立川雲水
  -仲入り-
落語  立川談慶
落語  立川ぜん馬
字漫噺 立川文志
落語  立川談四楼 

 相当前に志ら乃を聴いているが、他の人は初めて聴くことになる。
 いただくコメントで評価の高い古参ぜん馬は、体調が悪いと伝え聞くので、気になっていた。

 名前の売れている四人の誰も出ない三日目、トリが談四楼となれば、私の天秤ばかりでは、テニスより“ら族”の立川流が重くなった^^

 “ら族”については、昨年、談四楼の著書『談志が死んだ』について何度か書いた中で、談志の祥月命日の記事でふれた。
2016年11月21日のブログ

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立川談四楼著『談志が死んだ』(新潮文庫)
 昨年の記事では引用しなかった文章を、『談志が死んだ』より紹介する。
 談志が死んだ際、様々な活字が新聞や雑誌に躍った。中にその後進育成に触れた記事があり、それは概ねこうだった。「・・・・・・談志は名伯楽でもあり、志の輔、談春、志らくらを育てた」。
 その場合は三羽烏などという言葉が添えてあり、そこに談笑を加えて四天王とするメディアもあって、いずれにしても志らくら、談笑らであり、ら族とは志らく、談笑のらなのである。
 談笑が入るんなら生志を入れてやらないとヘソを曲げるぞ等の一門における意見はあったが、その三人もしくは四人が談志によって育てられた代表的な弟子であると、マスコミは報じていた。つまり直弟子二十一人中、十七人がその他大勢の扱いを受けたわけで、先述のように、いいツラの皮であった。

 命日の記事にも書いたように、私は、実は“ら族”こそが、談志のDNAを継いでいる人たちではないかと思っている。

 演芸場の窓口でチケットを受け取り近くの中華料理店で昼食をとってから、会場へ。

 客席は九割ほど埋まっている。
 しかし、客層は志の輔や談春の会とは違う雰囲気。寄席に近い空間とでも言って良いかもしれない。

 出演順に、ネタと感想などを記す。

(開口一番)立川だん子『転失気』 (12分 *12:46~)
 登場して、会場に静かなざわめき。女流で、若い・・・とは言えない。
 談四楼の弟子とのこと。後で調べたら三年前の入門。誕生日は分かったが、生年は不明^^
 高座の方は、前座としてなら決して悪くない。医者と珍念との会話で、「玉子は御所車」など寺の隠語を挟むあたりの工夫も楽しかった。
 それにしても、どういう経緯で落語界に入ったのかなど、少し気になる方ではある。
 なお、だん子と次に登場した三四楼については、談四楼の「だいしろう商店」というサイトの弟子紹介ページでプロフィールを確認できる。
「だんしろう商店」サイトの弟子紹介ページ

立川三四楼『天狗のお願い』 (14分)
 紹介したサイトにあるように、快楽亭ブラック門下から移った談四楼の筆頭弟子らしいが、なんとも不思議な人だ。
 高座で立ち上がって大声でなにやら自己紹介。
 本編は新作。主人公の男の部屋に天狗がやって来て、翌日のTPP(天狗プロフェッショナル会議)参加のために、鼻をカタに一万円を貸してくれと言ったことから始まる噺。鼻用の小道具や天狗のお面なども使うネタに、会場もやや引き気味だったように思う。

立川小談志『お菊の皿』 (17分)
 前座がまとめて破門になった時の被害者(?)の一人。今は龍志の預かりらしい。
 二ツ目で泉水亭錦魚を名乗っていて、その名だけは記憶に残っていた。
 ようやく本来の古典落語を聴けた、という印象。
 なかなか気持ちの良いリズムの語り口。
 「幽霊と貧乏人、どちらも、オアシがない」なんて地口も含め、江戸の風を感じさせる。
 龍志という新師匠の選択は間違っていないようだ。 
 
立川志ら乃『子ほめ』 (18分)
 唯一、聴いたことのある人が登場。
 ブログを始める前にも聴いているが、横浜にぎわい座での2008年9月の「志らく百席」以来なので、9年ぶりになる。
2008年9月4日のブログ
 最初の「志らく百席」には数回行っている。結構、意識的に聴きに行った時期だった。
 志ら乃は、こしらと共にすでに真打昇進が決まっていたので、談志の一周忌での記念落語会に出演しているようだが、家元の孫弟子としては、もっともそのDNAを感じさせる。
 高座での素振りも、意識しているのかどうか分からないが、どことなく、「う~」という言葉や間を含め、家元に似てきた。これは、結構後から悩みの種になるかもしれない。
 マクラでは表参道で教会が実施したホームレス(150人!)への「炊き出し」の余興として落語を披露したという逸話。その時と同じネタを、とこの噺。
 八五郎が「赤ん坊はどこだ~」と言う、なまはげ的な演出などもあったが、基本は大きく変えていない。
 ギャラは炊き出しのカレーライスです、と言ったら会場が不満を訴える雰囲気になり、翌日神父からお礼のメールの中で、ある一人の男が千円札を神父に私、志ら乃に渡してくれとのことだった、というのはもしかするとネタか^^
 先日、菊丸の一席目でもこの噺を聴いたが、違う味わいとはいえ、前座噺を真打がしっかり演じれば楽しいという実例を連続して聴いた印象。家元の孫弟子の筆頭と言えるだろう。

立川雲水『阿弥陀池』 (22分)
 仲入りは、神戸出身で、文都亡き今、立川流で唯一上方落語を演じる人。
 談四楼の著作では、談志が亡くなる前後で、一門メンバーに精力的に連絡役を果たしたらしい。
 現在、立川流の公演情報は、この人のブログで案内されている。
立川雲水のブログ
 なかなか楽しい高座だった。
 たとえば、男が聞いたばかりの作り話、米屋のおっさんが泥棒に刺された一件を友人に語る件の一回目に、心臓と言う場面で「しんねこ」->「しんおおありくい」から「しんぞう」になるあたりも可笑しい。
 しかし、町内を調べつくすことについて、「町内の落合信彦」は、ちょっと古くてマイナーで、客席の大半のお客さんには難しすぎるだろう^^

 なるほど、こういう人もいたんだ、と発見した気分。
 それにしても、東にいて上方落語を演じるにあたっては、稽古するにしても苦労は多いだろうなぁ、と思う。
 
立川談慶『紙入れ』 (17分)
 後半は、かつて立川ワコールを名乗っていたこの人。
 ネタに入る際の羽織の脱ぎ方が粗っぽく座布団の脇に置きっぱなしで、それが最後まで気になった。
 落語をあまりお聴きではないお客さんも多かったようで、会場からこの日もっとも多くの笑いを引き出していたように思うが、一つ一つの所作も大事なのだ。
 雰囲気や芸風は林家種平に似ているような印象。
 笑いのツボは押さえているように思うが、落語家としてのツボもしっかり押さえて欲しい。

立川ぜん馬『唖の釣り』 (22分)
 ようやく聴くことが出来た。昭和56年、二ツ目の朝寝坊のらく時代にNHKで優勝している実力者だ。
 マクラで、二年前に急に声が出なくなり病院に行くと、食道癌のステージ4と言われたと明かす。その後の放射線と抗がん剤の治療で快復しつつあり、なんとか高座に上がることができた、と笑顔で語る。
 声はかすれているが、落語を演じることのできる喜びを全身で表現するような高座だった。
 マクラで釣り好きの小咄をふっていたので、「もしかして、『野ざらし』か?」と思っていたらこの噺。
 生の落語でなければ味わえない楽しさに溢れていた。
 今年のマイベスト十席とはいかないが、何か賞を贈呈したいので、を付けておく。

立川文志 字漫噺 (15分)
 立川流では貴重な色物。
 寄席文字に似た文志流の江戸文字を書く人。
 その内容などは、ご本人のサイトに詳しい。
 立川文志のサイト
 奥さんをネタにした造語を江戸文字にした内容が多かった。
 「一住一妻」などは褒める内容だが、結構恐妻家か、と思わせる内容で笑いをとっていた。

立川談四楼『人情八百屋』 (25分 *~15:54)
 春の国立演芸場でのこの会も、開催からすでに七・八年経ち定着してきたとマクラで語る。また、もう七回忌と言っていたが、そうか、六年経ったか。
 春日清鶴の浪曲を元に談志が創作した噺を、とこのネタへ。
 しかし、浪曲の前に講談があったようなので、講釈->浪曲->落語、という沿革の中で磨かれてきた噺と言って良いのだろう。
 亡くなって約三ヵ月後のBSジャパンの追悼番組で、縁ある人が、家元のネタで何が一番好きか、という問いに、吉川潮がこの噺を挙げていたことを記事に書いた。
2021年2月9日のブログ
 聴いたことがなかったので、嬉しいネタの選択。

 『唐茄子屋政談』で徳が誓願寺長屋(せいがんじだな)の貧しい母子の家を訪れた後から始まるような、こんな内容。

(1)棒手振りの八百屋を営む平助が女房に訊ねる。十日ほど前、霊岸島で貧しい母子に出会った。聞くと、亭主は患って寝たきりとのこと。残った茄子と持っていた三百文を渡してきたのだが、あれっぽっちの銭じゃ、失礼だったか。できた女房に、そりゃ失礼だ、家の有り金全部持ってお行きと言われ再訪。

(2)その親子の住む長屋に着くが、貸家になっている。不審に思い近所の人に聞くと、平助が訪ねた後、因業大家の伊勢勘がやって来て恵んだ銭を店賃の一部だと持って帰ったとのこと。平助に申し訳ないのと、哀しみのあまり夫婦は二人の子どもを残して死んでしまったとのこと。

(3)その話を聞かせてくれた女性の旦那が鳶の頭(かしら)で、その夫婦が、その子供たちを預かっているとのこと。今、夫は出かけているが、八百屋さんに会いたがっているから、線香をあげて、帰りを待っておくれ、と言われた平助。

(4)平助が仏壇に向かって悔やみをつぶやいているところに、頭が子どもとたちと一緒に帰ってきた。この頭、夫婦が自殺したのを知り大家の家に乗り込んだ。伊勢勘はどこかへ引っ越したようだったが、日頃の怨みが募る長屋の連中と一緒に、その家を取り壊したらしい。

(5)町方同心も伊勢勘には厳しくあたり、長屋連中には憐み深いお沙汰になったとのこと。頭から、ぜひ義兄弟になって欲しいと言われた平助。弟文になった頭は、残った子供たちが心配だだ、いつ火消で命を失うかわからない鳶があずかるわけにもいかないから、平助夫婦に預かって欲しいと頼む。

(6)子供に恵まれなかった平助は、喜んで二人を預かると請け合う。あらためて迎えに来ると言って頭の家を去りかけた平助が振り向いて頭に言う。子供を育てたことのない身で、果たして躾ができますでしょうか」

(7)頭の「大丈夫だよ。火消の俺が、とても火付けはできねぇ」でサゲ。

 談四楼の高座で光ったのは、まず、平助夫婦の会話。中でも、女房の優しさと内に秘めた強さがしっかり伝わった。
 そして、群馬生まれの談四楼による鳶の頭の江戸弁も悪くない。
 機会があれば、『大工調べ』など聴きたくなった。
 平助に世話になることになった時、健気に挨拶をする姉のタミ、無邪気ながら平助を慕う弟のゲンの姿も、聴く者の目頭を熱くさせる。
 なかでも印象に残ったのは、頭が最初、二人のうちどちらかを預かってくれ、と言うのだが、平助は「いえ、二人とも預かります。二人いれば、哀しみは半分になり、喜びは倍になると言いますから」の言葉だ。この場面、良かったなぁ。
 初の談四楼で、この人の力量の高さを十分に感じた高座、今年のマイベスト十席候補とする。


 終演後、喫煙室で一服しながら、余韻に浸っていた。
 談四楼、そして、ぜん馬を聴くことができただけでも、来た甲斐があった。

 談志の七回忌記念の秋の落語会は、大きなホールで開催するようなので、行くつもりはない。
 次は談四楼の独演会にでも足を運びたいと思っている。

 “ら族”どころではなく、雲水、ぜん馬、もちろん談四楼も含め、それぞれ一枚看板である。

 私は談四楼のツィッターのファンでもある。
 時事ネタを交えながらも、ユーモアたっぷり。
 さすが、小説も書ける噺家。

 23日の小満んの会には行けなかったが、なんとか、今月も月末に二度、落語会に行くことができた。
 偶然にも菊丸と談四楼の二人は、昭和二十六年生まれ、私の四つ年上で六十六歳。
 団塊の世代の少し下で、私とほぼ同じような時代を生きてきた人たちだ。
 こういう人たちの元気な高座を聴くのは、自分への励ましにもなるような気がする。
 そんな思いのした、金曜と日曜の落語会だった。
 
 
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by kogotokoubei | 2017-05-29 12:27 | 落語会 | Comments(4)
 都内で用を足して、池袋へ。
 予定が決まった当初は末広亭に行くつもりでいたのだが、池袋でこの二人会があることを知り変更。菊丸の名に惹かれたのだった。

 それにしても、この二人、年齢は少し離れているはずなのに、どんな縁があったのだろう、と落語協会のホームページを見て得心。
落語協会ホームページの「芸人紹介」のページ

古今亭菊丸
1975(昭和50)年11月 古今亭圓菊に入門 前座名「菊助」
1976(昭和51)年3月 広島修道大学卒業
1980(昭和55)年6月 二ツ目昇進 「菊之助」と改名
1990(平成2)年3月 真打昇進 「菊丸」と改名

柳家福治
1980(昭和55)年3月 広島修道大学卒業
1981(昭和56)年3月 柳家小三治に入門
1982(昭和57)年2月 前座となる 前座名「つむ治」
1986(昭和61)年9月 二ツ目昇進 「福治」と改名
1996(平成8)年3月 真打昇進


 なるほど、大学の先輩と後輩だった。

 念のため開演30分ほど前に入ると、すでに客席が八割ほど埋まっている。
 開演前には九割がたの入りの大盛況。
 週末とは言え、平日夜の池袋とは思えなかった。

 後で二人のマクラで知るのだが、年に一回15年、今回の15回目で最終回とのこと。

 なるほど、仲入りの際に顔見知りと思しきお客さんの会話で大学の名も聞こえたので、二人を知る人たちが大勢駆けつけたということか。

 長らく開催されているある落語会を、池袋で最初で最後に経験するというのは、二年前の「たまごの会」でもそうだった。
2015年10月24日のブログ

 なんとか縁があって、最後の会に立ち会えたのは僥倖と言えるのだろう。

 福治は初めて聴く。
 菊丸は、五年余り前の横浜にぎわい座で『火事息子』を聴いて以来になる。
2012年12月1日のブログ


 こんな構成だった。
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(開口一番)林家彦星『真田小僧』
古今亭菊丸 『子ほめ』
柳家福治  『だくだく』
(仲入り)
柳家福治  『目薬』
古今亭菊丸 『中村仲蔵』
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林家彦星『真田小僧』 (14分 *18:31~)
 四月の末広亭夜の部の開口一番で初めて聴いて以来。やはり、語り口がはっきりしていない。二列目の席でよく見え、よく聞こえる場所でさえ、会話の切り返しで科白を飲むのが気になる。昨年正雀に入門したばかりなのだから、まずは、大きな声ではっきりと、という基本を大事にして欲しい。
 正直なところ、私の方がうまいぞ^^

古今亭菊丸『子ほめ』 (15分)
 15年目、15回の最終回と聞き、初めて来た身としては、少し驚く。
 昭和26年4月生まれなので、私の四歳上で66歳だが、若々しいなぁ。
 彦星にあえて聴かせたかったのかと思わせる、お手本のような寄席の前座噺だが、芸達者が演じるとこれだけ面白い、ということだ。
 雲助もこの噺が好きで、寄席でまだこのネタがかかっていなかれば好んで演じるとのことだが、この人もこの噺が好きなのだろうなぁ、と思わせる好演。

柳家福治『だくだく』 (28分)
 ちょうど還暦、だから私の二歳下になる。しかし、見た目は菊丸より上に見えないこともない。
 小三治の弟子は、入門順に次のようになっている。

 柳家〆治・柳家喜多八・柳家はん治・柳家福治・柳亭燕路・柳家禽太夫・柳家小多け (1985年入門、1987年破門)・柳家一琴・柳家さんぽ(破門の後に三遊亭圓橘門下となった四代目三遊亭小圓朝)・柳家三三・柳家三之助・柳家小八(喜多八門下より)
 他の一門の噺家さんより寄席への出演などが少ないのが不思議だ。親しみのある雰囲気が私は嫌いじゃないし、この高座も悪くなかった。
 天才的な先生の絵が目に浮かんできた。

柳家福治『目薬』 (17分)
 仲入りをはさんで再登場。
 一席目のマクラで、これまでは二席づつ違うネタを演じてきたが、最終回ということで、お客様の様子を見て、以前にかけた噺をしたいと言っていたが、まさかこのネタとは。
 しかし、トリの先輩菊丸への配慮もあると思われるこの軽いネタは楽しかった。
 女房が尻を出している姿に「その包をほどけ」が妙に可笑しかった。
 この人の持ち味で、下品にならない高座。
 前日の客の入りが良い場合は翌日は天麩羅蕎麦をおごると言っていたが、今日の昼はきっと天麩羅蕎麦だろう。

古今亭菊丸『中村仲蔵』 (30分 *~20:30)
 黒紋付きで登場。マクラもふらずに本編へ。
 圧巻の高座と言って良いだろう。
 二列目なので、その顔の表情、身振り手振りがよく分かるが、過度に劇的にならず、落語としての歌舞伎の世界、とでも言うような「五段目」が登場した。
 果たして誰の型なのだろう。
 役者の身分を、下立役-中通り-相中-相中上分-名題下-名題、と丁寧に説明。
 「夢でもいいから持ちたいものは、金の成る木といい女房」を挟む。
 ざわめくばかりの客席に、「しくじった、ワルオチだった」と落胆して上方へ向かう途中、魚河岸で芝居を見た二人の会話を耳にし、「広い世界でたった一人でも、褒めてくれる人がいた」と呟く、などは正蔵の型だが、他の設定が少し違う。
 妙見様で満願の後に雨で飛び込んだ蕎麦屋で出会う浪人が、実は彼が中村仲蔵であると知っていた。しかし、侍本人は名乗らない。
 サゲ前には、団十郎の家に頭取と師匠の伝九郎が揃って待っているとともに、隣の部屋に女房のお吉がいる、という設定。
 サゲは祝いの肴に八百膳の弁当があると若い衆が言うと、団十郎が、「いやいや、もう仲蔵の前で、弁当へ喰えねぇや」。
 師匠円菊のこの噺を知らないのでなんとも言えないが、自分の工夫もあるのかもしれない。
 ちなみに、私の持っている音源では、志ん朝は正蔵版に近く、たとえば蕎麦屋の場面、浪人は名乗る。そして、浪人は仲蔵を役者と察するが堺屋とは知らない。
 志ん生は、どちらの名も明かさない。
 黒羽二重のひもときや茶献上の帯、蝋色の艶消しの大小落とし差し、などの浪人の姿の形容もリズミカルで、聴いていて心地よい。
 それぞれの人物造形も良く、なかでも仲蔵を慕い、そして元気づける女房おきしが実に良かった。
 一門の伝統とも言えるのかもしれないが、この人も女性が上手い。とはいえ、仲蔵の苦悩する姿、師匠や団十郎の貫禄、などそれぞれの登場人物が生き生きと描かれていた。
 最初で最後の会に出会った僥倖は、この見事な高座にも恵まれた。
 今年のマイベスト十席候補としないわけにはいかない。


 久しぶりの落語、池袋、菊丸・・・最初で最後の福治との二人会に行けたのは、まさに僥倖。
 さて、次の落語はいつ、どこでやら。
 結構近いうちかも^^

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by kogotokoubei | 2017-05-27 10:55 | 落語会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛