噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

カテゴリ:一門( 3 )

立川流で、動きがありそうだ。
 左談次のホームページにある日記で、12月6日の記事に、立川談幸一門が立川流を退会し、左談次は理事を辞任したと書かれている。
立川左談次ホームページの該当記事

 左談次はツイッターで、談幸一門は本年をもって退会し、落語芸術協会(芸協)入りすると発信している。その内容は、立川キウイのブログで確認することができる。立川キウイのブログの該当記事
 肝腎の談幸のホームページやブログには、退会のことは、まだ何ら書かれていない。

 私は、芸協の来年の真打昇進者の告知が遅いことを不審に思っていた。昨年は10月1日に発表されていた。

 談幸一門が芸協へ移籍(?)するのなら、談幸の弟子吉幸が昇進候補者として検討すべき対象になるだろうから、真打昇進者決定の情報が遅れている謎も解けてくる・・・・・・。


 談幸は、唯一、談志の内弟子経験者。人形町らくだ亭で聴いたことがあるが、妙なクスグリなど挟まない、いわば本寸法の高座だった。他の立川流の噺家さんと好対照であることが印象的だった。
 この人は、相模大野の焼肉屋さん「八起」が長年にわたって開催している「八起寄席」に、柳家喜多八、瀧川鯉昇などと一緒に長らく出演してきたこともあり、他流派との交流は少なくない。

 吉幸は平成9年快楽亭ブラックに入門し、平成17年に談幸門下に替わっている。平成19年にやっと二ツ目となった遅咲きと言える人だが、古今亭志ん輔が主催している「たまごの会」の一員であり、他流派との交流は少なくない。
 志ん輔の会で聴いたことがあるが、師匠同様まっとうな古典派の印象。やや大人しい感じもしたが、やたら派手なクスグリなどでウケを狙う若手が多いあの一門の中では貴重な若手だと思っていた。
 入門からすでに17年。吉幸が、今年10月から来年4月にわたって日暮里サニーホールコンサートサロンで6回行われる真打トライアルに参加しなかったのは、このことが理由だったわけだ。

 その談幸には、もう一人二ツ目の弟子幸之進がいる。幸之進はまだ聴いたことがない。平成16年入門、平成23年に二ツ目昇進の若手。

 もちろん、今の段階で、ネット情報を元に断定的なことは言えない。

 あくまで、私の邪推かもしれないが、こういうことは言えるのではなかろうか。

 談幸一門は、立川流に固執する理由がなかったのだろうし、師匠は二人の弟子に寄席に出る機会を増やしてやりたい、という思いも強かったのだろうと察する。師匠も弟子の吉幸も落語協会そして芸協所属の噺家との人脈もあり、いろんな会話も交わされたのではなかろうか。
 そして、吉幸は真打昇進を目前にした重要な過渡期にあり、立川流の真打になるか、二大協会のいずれかで真打を目指すかの判断を迫られたのだろう。その結果、師匠と弟子は、立川流を離れる決断を下したのだと察する。
 談幸は私とほぼ同じ世代の人で、今年還暦。11月の師匠の命日もすぎ、何か期するものがあったのだろう。

 立川流一門のサイトには、まだ談幸も弟子たちも名前が残っている。立川流一門のサイト

 このサイトによれば、いわゆる役員の方は次の通り。

代表
土橋亭里う馬

理事 
立川左談次 立川談四楼 立川談幸 立川志の輔 立川志らく 立川雲水


 代表の土橋亭里う馬には申し訳ないが、家元に替わって一門を束ねるのは難しかろう。
 そして、理事は、左談次と談幸の二人が抜けるということだから、談四楼、志の輔、志らく、雲水が残ることになる。
 あるいは、もっと理事を辞任した人がいるのかどうか、分からない。いずれにしても、二人の理事が抜けることで、理事の再組織化などの必要性に迫られるだろう。それは、立川流としての存続を望むなら、ではあるが。

 里う馬のみならず、志の輔にだって一門を束ねるのは無理だろう。もっと言えば、彼が一門全体のことを憂慮しているのなら、正月のパルコの会などやっていられないのではないか、と私は思う。自分と、せいぜい自分の弟子のことだけで、精一杯なのだろう。

 年が明けてどのような情報が発信されるか興味深いが、私はこのような事態になるのは、時間の問題だと思っていた。

 元来、家元ありきの「立川流」なのであって、組織としての「立川協会」があるわけではない。
 立川流創設からしばらく、二ツ目や真打昇進の数字的な条件はあったが、昇進の是非は、あくまで家元の眼にかなうことが必須であった。
 立川流≒立川談志、と言ってよかったのであって、組織として機能していたとは思えない。

 談志に代わって求心力のあるカリスマは存在しない。だから、私は、談志の死をもって、実質的に立川流は終焉したと思っている。ただし、談志の元に実力のある噺家さんが育ったことは事実だ。
 なかでも、志の輔、志らく、談春、そして談笑は、今のままでも、落語会の開催などで食べていけるかもしれない。
 しかし、その弟子たちの将来は、果たしてどうなのだろうか。
 立川流のサイトを確認すると、志の輔門下には、真打が一人、二ツ目が四人、前座が一人。志らく門下には、真打が二人、二ツ目が七人、前座が五人もいる。なぜこんなにいるのか、いつも不思議に思う。一方、談春には二ツ目が二人。前座には・・・あれっ、名前がない。以前はいたはずなのだが、去って行ったのか。談笑には二ツ目の弟子が二人いる。
 
 また、四人以外の真打やその弟子たちは、いったいどれほどに立川流という看板の恩恵を被っているのだろうか。

 以前に、円楽グループのことを書いた際、協会を芸者の置屋、寄席を料亭にたとえたことがある。
2009年11月12日のブログ

 落語協会と芸術協会の噺家は、置屋(協会)に登録してあることで、都内の老舗料亭(定席寄席)に出ることができる。芸協は鈴本には出られないけど、末広亭、池袋、浅草には出ることができる。

 しかし、立川流という置屋に登録した噺家は、日暮里やお江戸日本橋亭などの小さな永谷の寄席にしか出ることができない。もちろん、そういった場も大事なのだが、噺家を育てる環境としては、老舗の定席にはかなわない。日暮里などの寄席は、固有の贔屓客が多いだろうから、他の定席のような‘アウェー’の環境や、目の肥えた客の鋭い視線にさらされることは少なかろう。老舗の寄席における、太鼓や高座返し、楽屋の雑用などの修業も若手が成長するためには大事なものだ。

 立川流は、談志亡き後、真打昇進といいう重要な通過儀礼を、「トライアル」というイベントにして凌いでいるようだが、それ以外に、一門としての存在意義や団体としての活動とは、いったい何なのだろう・・・・・・。
 そういった疑問は、当事者の中にももちろんあるだろうから、今後も櫛の歯が抜けるように、この一門からの脱退者は増えるに違いない。芸協あるいは落語協会に入会することで、寄席への出番は確実に増えるし、その置屋の仕組みの中で若手は育ち昇進という通過儀礼を迎えることができる。

 私は、立川流を離れる噺家さんは、談志とも交流の深かった市馬が会長になった落語協会が、その受け入れ先となるのではないか、と勘繰っていた。しかし、談幸一門が芸協に流れて行くのであれば、最近、とみに痩せたとの情報のある市馬の健康状態の背景に、このことがあるのかと邪推してしまうのである。

 年明けに正確な情報が発信されるのだろうが、立川流が大きな変動期を迎えているのは確かなのだろう。
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by kogotokoubei | 2014-12-09 06:05 | 一門 | Comments(10)

円楽一門、芸協に接近

ある程度は予測していたことだが、五代目円楽が「立つ鳥、目一杯 跡を濁す」状態で亡くなってから、10月29日で一周忌を迎え、残された一門、というか六代目の円楽(まだ楽太郎の名が頭に残る)が落語芸術協会への接近を公言した。複数の媒体で報じられているが、まずasahi.comの記事から全文を引用する。
asahi.comの10月29日の記事

 5代目円楽一門会(三遊亭鳳楽会長)が落語芸術協会(桂歌丸会長)に友好関係の一層の強化を打診していることが28日、分かった。この日、東京・足立区の易行院で行われた5代目三遊亭円楽一周忌法要で6代目円楽(60)が明かした。

 円楽一門は大師匠三遊亭円生とともに78年に落語協会を脱退。円生死後は円楽一門で活動したが、今年3月の6代目円楽襲名披露興行で落語芸術協会の協力を得て、32年ぶりに寄席出演が実現した。円楽は「その時に落語芸術協会との友好関係を発展させ、一門が寄席に出る機会を増やしたいと思った」という。

 歌丸会長は「協会での話し合いはこれから。何も決まってません」と話したが、円楽は「一門がすぐ協会入りということではない。最初は1人、2人でも出してもらい、大きなお付き合いになればいい」と話した。法要には林家こん平、春風亭小朝らも出席した。



 次にスポニチだが、ちょっとニュアンスが異なる。これまた短いので全文引用。スポニチの10月28日の記事

 昨年10月29日に死去した落語家の五代目三遊亭円楽さん(享年76)の一周忌法要が28日、東京都足立区の易行院本堂で営まれ、六代目三遊亭円楽(60)ら「五代目三遊亭円楽一門会」、落語芸術協会会長の桂歌丸(74)ら約70人が参列した。

 命日の29日に六代目円楽プロデュースの「博多・天神落語まつり」が初日を迎えるため、1日早い法要となった。六代目は「師匠が好きだった演目をやって偲(しの)ぼうかと思います」と話し涙を流した。

 1978年に五代目の師匠にあたる三遊亭円生が落語協会から脱退してから、一門は東京・上野の鈴本演芸場など定席の寄席に出演できない状態が続いていた。しかし日本テレビ「笑点」の仲間の歌丸らが協力し、今年3月の六代目襲名披露興行で32年ぶりの定席出演が実現。六代目は歌丸に「友好団体でも吸収合併でもいい。定期的に定席に出るために落語芸術協会に交ぜていただきたい」と申し入れ。「これが師匠が残していった宿題」と話す六代目に、歌丸は前向きに検討する意向を示した。



 この一門の行く末については、円生襲名問題に関連して何度か書いてきた。
 「笑点」つながりで落語芸術協会入りもありえるだろうし、円生襲名を円窓に譲る見返りで落語協会復帰の可能性もあるか、とも書いた。
2010年2月18日のブログ
2010年5月19日のブログ
 円生襲名問題は、落語のポッドキャスト番組を“ナビゲート”している塚某アナウンサーただ一人がいまだにはしゃいでいるが、落語愛好家のほとんどは、醒めた目で見ている。

 この記事で違和感があるのが、この一門会の会長の鳳楽ではなく六代目円楽の発言が取り上げられている、ということ。実質的には円楽がリーダーということなのかどうか・・・・・・。芸協との関係について何か言うのなら、円楽ということなのだろう。しかし、鳳楽が同意していなければ、こんな発言できないよなぁ。

 歌丸芸協会長の後押しで始まった六代目円楽襲名披露は、鈴本以外の定席が終わっても、今なお全国各地で、「笑点」で顔の売れた客演の噺家を“ダシ”に続いている。性善説に立って考えて、「そこまで襲名で稼ぐのは、先代が経営難で心半ばで潰してしまった寄席“若竹”を再建して、一門が独立してでも高座に上がれる場を作ろうということか?」と、少しだけ思ったが、やはりそんな健気な気持は、“腹黒”な彼にはなかったことが判明。
 やはりどこまでも“笑点つながり”だね、情けない。スポニチの記事にあるように「これが師匠が残していった宿題」というのは、「寄席」「定席」への出演の道ということなのだろうから、もちろん芸協のみならず、落語協会との接近があっても不思議はないのだが、円楽-歌丸のパイプが強固なのに反し、鳳楽が円生襲名問題で、落語協会の円窓や円丈と争っていて、いわば敵対関係にある。私が以前に思いつきで書いたような、円窓に円生襲名を譲って協会に復帰という考えはないということだ。欲しいんだね、七代目の名が。これまでのいきさつを考えると、もし一門全員で芸協入りした場合は、円生襲名を断念するしかなかろう。だけど、この一門全員が芸協に入りたがっているのだろうか。中には違う思いの人もいるのではなかろうか・・・・・・。

 関連して言えば、スポニチの記事にある「友好団体でも吸収合併でもいい」という円楽の発言には、首を傾げざるを得ない。この一門の“団体”“組織”としての存在意義がまだあると思っているのだろうか・・・・・・。そもそも、落語協会や芸術協会でさえ、以前にも書いたが“たかが置屋”“されど置屋”なのであり、組織体として何かを成し遂げるものではないのだ。この一門は、かつては目的や価値観を共有した噺家の“集合体”であったかもしれないが、その旗頭を失い、集合する意味や目的を見失った今は、定席に出れないというマイナスだけを味わっている個人の職業落語家の集団でしかない。だから、所属するそれぞれの噺家の思いは結構微妙に違っているはずだ。

 もし、私が六代目円生の関係者あるいはご意見番で、今のこの一門の事態を落語界全体の問題という認識に立ったら、こうなるように動くだろう。

(1)円楽一門会は、元々が六代目円生を慕ってきた弟子達の集団であり、六代目も総領弟子の五代目円楽も亡き今、存在の意義はなく、速やかに解散する。
(2)円窓、円丈、鳳楽の誰にも七代目円生は継がせない。この三人もそれを受諾する。かつ、円生の名跡は今後最低十年間は止め名とする。
(3)落語協会、落語芸術協会は、円楽一門のそれぞれの噺家が各個人の希望で協会入りを希望した場合は、入会を無条件で認める。

 これで、六代目円楽が何を言おうと、「本当は芸協じゃなくて小三治会長の落語協会に行きたいんだよなぁ」という噺家にも道ができる。やはり、この記事の発言者が円楽であって、会長の鳳楽ではないというところに、今後の火種がいろいろと隠されていると思うなぁ。兼好などは、しっかりとその実力で国立演芸場でも横浜にぎわい座でも、独演会でも客を呼べるから気にしてはいないのかもしれないが、定席への思い入れはあるだろう。

 ともかく、この一門の将来と円生襲名問題の行く末に新たな幕が開いたのかもしれない。さて、外野は冷静かつ楽しみなから、成り行きを眺めているとしよう。
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by kogotokoubei | 2010-11-01 17:25 | 一門 | Comments(2)
昨日の落語協会の来年9月昇進者の件を書いた文中で、円楽一門(グループ)についてあらためて書くと約束(?)したので、書きます。

しかし、テーマの中心は落語界の二大体系と大きな名跡のこと。

東京の落語の歴史には二大系列といえる三遊派と柳派があった(あえて過去形)。

三遊派のルーツは初代の円生。1768(明和5)年生まれで1838(天保9)年に70歳で亡くなっている。当時としては長生きの部類だろう。江戸神田の生まれで 1797(寛政9)年ごろというからほぼ三十歳あたりで山遊亭猿松の名で噺家となったとされるが、初代三笑亭可楽門に転じ東生亭世楽と称したとする説もある。初代の烏亭焉馬門で立川焉笑,さらに落語の爛熟期とも言える文化年中(1804~18)に三遊亭円生となっている。浅草の堂前に住んだところから「堂前の師匠」と呼ばれ,人望厚く二代目の円生や初代古今亭志ん生など多数の門弟を擁し、二代目の弟子であった円朝も尊敬の対象は、あくまでこの初代だった。
この三遊派のルーツにつながる六代目円生の一門が、旧(と言うべきだろうなぁ)円楽一門ということになるのだが、ここからがちょっとややこしい。三遊派の流れにある噺家さんは、落語協会にも落語芸術協会にもいる。古今亭一門がもちろんそうだし、円朝の弟子だった初代からの流れにある芸術協会の三遊亭円遊だってそうだ。遊三も小遊三ももちろんである。

片や、もう一方の大きな系統は柳派。ルーツは初代の麗々亭柳橋だが、三遊派に対する強力なライバルとして柳派の存在を確固たるものとして位置付けたのは、柳橋の弟子であった初代春風亭柳枝の弟子で、江戸時代から明治にかけて円朝一門と張り合った初代談洲楼燕枝(前名は柳亭燕枝)。この両チーム(?)1888(明治21)年には完全に独自に興行を行うことになる。実質的な柳派のルーツ燕枝からつながる大きな名跡が柳家小さんであり、春風亭柳枝であり、柳亭左楽などである。こちらも落語協会にも芸術協会にも子孫(?)がいるねぇ。

要するに、三遊とか柳というのは、芸者の置屋とでも言うべき協会とは別の次元の体系。また、「置屋」とご本人の「マネージメント会社」とは、これまた別。例えば、上方で米朝一門の噺家さんでも上方落語協会に入っている人もいれば入らない人もいるし、協会の所属とは関係なく、米朝事務所がマネージメントをする人もいれば、違う人もいる。だから、本来、東京で協会だろうが芸協だろうが、どちらに籍を置くかということと、三遊か柳かということは関係がないのが今日の状況。

そして、ここからがまたややこしい話。名跡については、これまたその権利所得者が誰かとか、協会はどういう権限を持つのかなどが目一杯グレーなため、いろんな問題の種になる。その例が、まさに円生という名である。故円楽は、昨年の春に自分と師匠の名跡について思いを吐露していたのだが、これが波紋を広げた。円生一門なのに円楽とウマが合わず落語協会に残った円窓さんは怒ったね。

2008年5月2日の三遊亭円窓師匠のブログを、全文引用させてもらいます。
*円窓さんのブログでは「圓」を使っていて、私は「円」を使うので混在しますが、ご容赦ください。
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 夜分、ソニーの京須さんより電話。
「今日の朝日新聞の夕刊に『圓楽(5)の談で、〈鳳楽の圓生(7)、楽太郎の
圓楽(6)の襲名〉が載っていた』」と。
楽太郎の圓楽(6)の襲名は問題はないのだが、鳳楽の圓生の襲名は
横暴の一語に尽きる。
そもそも、圓生の名は、6代目の死後、稲葉修大臣、圓生(6)の未亡人、
山本進(NHK)、京須偕充(ソニー)、それに圓楽(5)の五人が連名して、
「圓生の名前はもう誰にも継がせない」という意をこめて「止め名」にした
のである。
 この企画に奔走したのが、圓楽(5)である。
 五人のうち、稲葉修大臣、圓生(6)の未亡人は他界したが、他の3人はまだ
生存しているし、その文書もちゃんと現存している。

 然るに圓楽(5)は京須さんには一言の相談もなく、また兄弟弟子にはなにも
知らせずに新しい圓生の襲名を新聞に発表してしまった。
 圓生の名は「止め名」にしたのであって、圓楽が所有しているものではない。
 売れっ子が新聞に発表すれば、マスコミもその流れに乗るであろう。が、
偽装を施したものであって、本物ではない。
 圓楽はマスコミに売れていることを利用して、真実を隠して、報道させた。
 マスコミも売れっ子の発言を鵜呑みにしてないで、真実を追究してほしい。
 圓生の名は、止め名にして墓の中へ納めたものである。
 新しい圓生の看板を作りたいのなら、5人のうちの生存者と相談して、
止め名の封印を解いてから、新しい圓生の人選をすべきである。
 にも関わらず、圓楽は5人のうちの一人、京須さんには一言もなく、自分の
弟子に新しい圓生を継がせようとしているのだ。
 まるで、墓荒らしと同じ行為である。
 寺の息子である圓楽がそんな愚行をして恥ずかしくないのか。
 圓楽(5)は暴君のつもりでいるのであろう。
 悲しいことである。
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コメントなども含め確認したい方は、円窓師匠のブログへどうぞ。
三遊亭円窓師匠のブログ

円楽が横暴なら、由緒ある円生の名を勝手に「止め」てしまう人たちは横暴ではないのか、と疑問がわく。
*ちなみに、来年3月真打昇進する窓輝は円窓の息子である。本件には関係ない。
 
このブログから一年余り、円楽死して残ったのは山本進さんと京須さんの二人。え~っ、この二人で円生襲名の是非を決めていいの?山本さんや京須さんの書籍にはお世話になっていますが、それとこれとはまったく別な次元の問題ですなぁ。 

「円楽憎し!」のベテラン噺家は円窓に限らず残っているし、川柳師匠なんかは高座で頻繁にネタにしている。しかし、実は内心は結構寂しいんじゃないかな、川柳さん・・・・・・。
今のままで鳳楽が円生を継ぐのは難しかろう。かと言って、襲名のためだけに頭を下げて協会に戻るなんてことは一門はしないだろうし、許さない協会の古株もまだいるだろう。ここからは、時間が解決する以外には噺家が苦手とする「交渉力」の問題になりそうだが、さて、どうなることやら。

個人的には、現在継承者のいない大名跡はできるだけ相応しい噺家さんに継いでもらいたい。その代々の噺家さんの思い出を語ることができる方がご健在なうちに、語り部として若い人達に伝承して欲しい。志ん生、柳枝、円生、そして円朝だって止め名にしなくてもいいでしょ。何度か書いたけど、職業落語家の元祖である三笑亭可楽という大きな名前は、しっかり残っているじゃないですか。この名は、落語界にとって円生などよりずっと大きい名だと思うよ。

まぁ、今後起こるであろう騒動も、噺家の皆さんはネタにするであろうし、逆にネタにして笑えるようなことが起こることを期待して、この件は終わります。
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by kogotokoubei | 2009-11-12 17:04 | 一門 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛