噺の話

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カテゴリ:落語作家( 1 )

益田太郎冠者

昨日5月18日は、益田太郎冠者(ますだたろうかじゃ)の命日だった。
この名前にピンとこない落語ファンも、『堪忍袋』『宗論』『かんしゃく』といった噺は聞いたことがあるだろう。明治時代の第一回落語研究会の発起人の一人だった、三遊亭圓朝門下の三遊亭圓左のために、数多くの新作をつくった落語作家である。
明治8(1875)年9月25日生まれで、昭和28(1953)年)5月18日に78歳で没した。

 実はこの方、三井物産の創始者・男爵 益田孝の次男であり、ご本人も実業家として後の大日本製糖や台糖の役員を務めている。青年時代のヨーロッパ留学中に本場の芸術に親しみ、その経験を生かし劇作家や音楽家としても活躍したようだ。そして貴族院議員であり男爵でもあった。本名は益田太郎。「今日もコロッケ 明日もコロッケ」と歌う『コロッケの歌』の作詞者としても、知る人ぞ知る。とんでもないマルチな才能を発揮した人である。

『堪忍袋』『宗論』は、今でも多くの噺家さんが手にかける。『かんしゃく』は圓左の後では八代目桂文楽が有名。
春風亭小朝は『苦悩する落語』(光文社発行カッパブックス)の中で次のように書いている。
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 もしも、この本を読んで下さっているあなたが、将来、噺家を夢みている人ならば、
文楽師匠の『かんしゃく』を徹底的に研究することを、おすすめします。
 黒門町のこの噺には、名人のありとあらゆる声の技が集約されていますから、
じっくりこれをお聴きになれば、落語が声の芸術であることがよくおわかりになる
はずです。
 一度「文楽全集」を手にCDをお聴きになってみてください。
『かんしゃく』の冒頭、
「夏のお噺で」というひと言。
これは『船徳』の「四万六千日、お暑いさかりでございます」
と同じように、一瞬で聴き手を説得してしまう声の魔力です。
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 実は、私はこの文章を読んですぐに『かんしゃく』のCDを買った。そして、まさに小朝の指摘通りの素晴らしさに感動すら覚えた記憶がある。ただし、落語家を目指したわけではない。説明するまでもないか・・・・・・。
*今、読み返すと、小朝のこの本は良かったなぁ、文章も丁寧で・・・・・・。この本、ネットでも品切れで現在手に入らない。絶版ということかもしれない。小朝の苦悩がなくなったからか・・・・・・。
苦悩する落語

 もちろん、その演者によって噺が生きもするし、つまらなくもなるが、噺そのものがつまらなければ、いかな噺家が努力しても限界はあろう。明治の実業家にして落語作家。その作品も今では「準古典」ともいえる生命を得た名品がしっかり残っている。

 明治は遠くになりにけり、なのだが、仕事もしっかりしながら、文化・芸能分野にもこれだけ秀でた人がいたことになんとも言えないノスタルジーと憧れのような思いを感じる。神楽坂の菊人形を見ながら各町内に一軒はあった寄席で気軽に楽しめた時代。

 ちなみに第一回「落語研究会」は明治38(1905)年に始まり関東大震災の大正12(1923)年まで続いた。この会の創始者である今村次郎の子息が、後に父を継いで落語研究会を主宰し、『試し酒』の作者としても知られる今村信雄である。昨今の落語作家としては、桂枝雀のために『幽霊の辻』や『雨乞い源兵衛』などを作った小佐田定雄さんが有名だが、中堅・若手ではまだ目立った人が出ていない。

 三井に縁(ゆかり)のある益田太郎冠者である。物産でも銀行でもどこでもいいが三井関連企業がスポンサーになって「新作落語コンテスト 太郎冠者賞」優勝賞金100万円、などという粋なことをやってくれると、うれしいのだが。

 SWAのメンバーはがんばっているが、噺家自身ではなく、落語作者として食べていけるような環境整備、評価という土壌ができることを期待するからである。そうなれば、私もぜひ応募しようと思うのだが、凡人には、なかなか創作できるものでもないという現実に突き当たる。

 あぁ、太郎冠者翁の爪の垢でも煎じて飲みたかったのものだ。
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by kogotokoubei | 2009-05-19 11:52 | 落語作家 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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