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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 251 )

 渥美清、本名田所康雄没後二十年。

 つい、関連する本をめくってみる。

 昨年記事に書いた本も、再読すると、新たな発見がある。

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小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)

 小林信彦の『おかしな男 渥美清』は、新潮社で平成12(2000)年に単行本が発行され、平成15(2003)年に文庫化。
 巻末に著者小林信彦と小沢昭一さんの「渥美清と僕たち」と題する対談が載っている。

 永六輔さんの『芸人』について書いた記事で、次の文を引用した。
 かつて「河原者」と呼ばれた「ヤクザ」「女郎」「芸人」。
 「ヤクザ」は男を売り、「女郎」は身体を売り、そして「芸人」は芸を売るというかたちで、生産手段を持てない人たち。

 香具師はヤクザと同一ではないが、芸人と同様「生産手段を持たない」河原者であることには変わりがない。
 
 以前桂米朝について書いた記事で、『落語と私』の、次の締めの部分を紹介したことがある。
 わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。
 『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』

 米団治が米朝に伝えたかったことも、河原者としての覚悟をしろ、ということなのだろう。


 この対談で、まさに、渥美清という人が河原者という言葉を十分に認識していた役者、末路哀れは覚悟していたことを物語る逸話が語られていた。

職安脇に死す

小沢 あの私生活を、ほとんど完全に隠していたというのは、何なのかなあなんて考えることがあるんです。一緒に帰るときだって、少し離れたところで降りて、家を見せないとかね。何を隠そうとしていたんですかね。本名の田所康雄を見せたくないということもあるでしょうけれども、核心には、何か見せたくない、知られたくないという、梅干しの種みたいなものがあったんじゃないでしょうかね。僕もちょっとその気がないわけじゃないので、彼ほど徹底してやってくれている人がいることで、何となく安心感があったんです。
小林 知り合ったころ、渥美さんからこんな話を聞いたことがあります。なぜか板橋なんですが、「板橋のほうの職安の脇のどぶに頭を突っ込んで死んでいる男がいる。失業者たちが、これは随分前にテレビに出ていた渥美とか何とかいうやつじゃないかって言っている。おれはきっとそういう死に方をする」って言ってましたね。非常に早く、どこかで、人間関係をあきらめているみたいなところがありましたね。何か寂しいんですよ。
小沢 あれはマスコミ嫌いもあったんでしょうね。その頃は何なのかなあなんて思うんですけど。やはり、根堀り葉掘りされるのが嫌だったんでしょうね。
小林 でも、あの人の他人との断ち切り方は、突き飛ばすようですからね(笑)。渥美清は言い方が怖いんですよ。二人きりで話していて、目と目がピッと合ったんです。「おれも以前(まえ)は以前だからよ」って言って、じーっとこっちの目を真っすぐ見たときは相当、怖かったですよ。
小沢 「おれは上野で手鉤(てかぎ)の清って言われてたんだ」って自分で言ってましたね。僕は、「へえー、いいじゃないの」って言ったんですけどね。
小林 私が聞いたのは、「おれは上の人に二つ褒められた。一つは、口跡がいい。もう一つは、おれが他人(ひと)の家の玄関にすっと立っただけで相手が包んだ金を出す」。あまり誇ることじゃないだろうという気がするんですけどね(笑)。
小沢 功成り名を遂げてからは、若いときのことなんかは、おもしろおかしく、笑い話みたいにして話すようになりましたがね。でも、そういう面があるから、あの人のすばらしさがあるんですよ。

 板橋の職安の脇のどぶ・・・・・・。

 それは、河原者としての覚悟でもあっただろうし、将来への不安と両方がないまぜになった感慨だったのかもしれない。


 「男はつらいよ」シリーズの最後の方では、寅さんは、善人すぎる位に描かれる。
 ここ数日放送される特集番組でも、あまりにも、俳優渥美清のことを美しく描き過ぎのように思われてならない。

 私生活を隠すのは、寅さんのイメージを崩さないための配慮だっただろうという観点で評されることが多い。
 
 「おれも以前(まえ)は以前だから」という言葉から、田所康雄がひたすら隠した私生活の内容は、必ずしも“現在”のことだけではなく、“過去”のことも含まれていたように思われてならない。

 しかし、スター渥美清は、それを隠し通すことで、寅さんとして多くの日本人を笑わせ、元気を与え続けてきた。

 それを考えると、今は「芸能人」は山ほどいるが、「スター」はいない。
 今日では、等身大の本人と、その人物が演じるべき役者とが、同一化している。
 マスコミも、知りたくもないプライバシーを取り上げる。


 渥美清没後二十年、本物の「芸人」や「役者」がいない時代、隣の息子や娘のような身近な芸能人ばかりの今の世の中が果たして良い時代なのかどうか・・・そんなことも考えてしまう。

 サラリーマン化した芸能人には、河原者の覚悟など、望むべくもないだろう。

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by kogotokoubei | 2016-08-06 12:31 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 30日土曜日が「土用の丑の日」なので、メディアや街のポスターなど、さかんに鰻の話題で騒がしい。

 月刊誌「Wedge」8月号の特集の一つが“「土用の丑の日」はいらない はびこるウナギの密輸入 台湾・香港ルートを追う”だった。

 ウェブマガジンの「Wedge Infinity」では「土用の丑の日はいらない ウナギ密輸の実態を暴く」となっている。
「Wedge-Infinity」サイトの該当記事

 同サイトから引用する。

土用の丑の日はいらない、ウナギ密輸の実態を暴く
2016年07月28日(Thu)  WEDGE編集部 伊藤 悟

「絶対に名は出さないでくれ」

 台湾のシラスウナギ(ウナギの稚魚、以下シラス)輸出業者は我々取材班にそう告げた。なぜ名を出すことを頑(かたく)なに拒むのか──。それは彼に「罪」の自覚があるからである。

 日本人の好物であるウナギを巡って、台湾、香港、日本を舞台に壮大な「不正」が行われている。今回、取材班はその舞台である台湾、香港へと飛び、関係者らを取材した。

 取材のアポイントメントを入れるのにはかなり骨が折れた。当たり前だが話すメリットなどなく、誰も話したがらないからだ。だが、様々なコネクションを使って、交渉を続けた結果、匿名を条件に複数の人物が取材を受けてくれた。


 この雑誌は、必ずしも私の信条とは合致しない主張も多く、あくまで内容次第で判断しているのだが、この取材記事はなかなか良かったと思う。

 さて、その取材で浮かび上がってきたことを、一部引用する。

 「台湾で採れたシラスは、香港の〝立て場〟に運ばれ、そこから日本へ向けて輸出されます。立て場には日本のウナギ業界でもごく限られた人しか行ったことがありません。詳しい場所も開示されていない知る人ぞ知る施設です。あまり首を突っ込み過ぎると、東京湾に浮かびますよ」

 取材に先立ち、ウナギ業界に詳しい人物からそう忠告を受けた。この人物だけでない。複数の人から同じような話を聞いた。

業界の最高機密施設 香港「立て場」実態

 香港の中心部から車で走ること数十分。舗装もされていない道を進んでいくと、業界の最高機密施設とも呼べる「立て場」が突然目の前に現れた。よく見ると、いたるところに監視カメラが設置されている。門をくぐると番犬が吠えながら近寄ってきた。

 本業は中国本土で賭博の胴元をしているというシラス問屋は「台湾からの密輸入などお安い御用だ。漁船で香港へ水揚げしたことにすればいいし、中国の港まで漁船で運び、(香港と隣接する)深圳(シンセン)から陸路で入ってもほぼノーチェック。航空機を使ったとしても、空港で働く税関の一部の人間と手を握ればよい。何が難しいんだい? この立て場からシラスは日本へ向かっていくんだよ」とお茶を飲みながら淡々と話す(こうした台湾と香港の現地取材の詳細については、Wedge8月号で報じている)。

 詳しいことは、上記のように「Wedge」で確認願いたいが、引用にあるように密輸に関与しているシラス問屋は、中国本土で賭博の胴元をしているということに留意しなくてはならない。

 もう少しだけサイトから引用する。

 多くの日本人にとって、実は「立て場」は無縁の場所ではない。ウナギ好きであれば、立て場に一時保管されたウナギを口にしている可能性は極めて高いからだ。

 「国産のウナギしか食べたことがないから自分には関係ない」と考える方もいらっしゃることだろう。しかし、香港の立て場から日本へ送られたシラスは、養鰻池に入れられて出荷サイズになるまで育てられる。養殖ウナギは主たる養殖地が産地となる。つまり台湾から香港の立て場を経由したシラスはその後「国産ウナギ」として販売され、日本人に「国産だ」とありがたがられながら頬張られているのだ。

 ウナギを生業(なりわい)にしている人であれば誰でも、シラス漁やその取り引きが裏社会と密接なかかわりをもっていることを知っている。昨年のWedge8月号で報じたように、日本国内では暴力団らによるシラスの密漁がはびこっており、輸出が禁じられている台湾からは、香港を経由して国内へ輸入されていることもまた、業界公然の秘密だ。

 私は「土用の丑の日」を、鰻を食べない日と決めている。

 理由はいくつかあるが、紹介したように、この日に多くの日本人がこぞって鰻を食べることが、国際的な犯罪を引き起こす要因ともなっているからだ。

 台湾でいくら規制しても、絶滅に瀕したシラスウナギの違法捕獲から密輸に香港をかませることで法の網をくぐれること、そして、香港の“立て場”から日本に送られたシラスは、堂々と国産として販売されていること、そういったことは、業界では知らない者がいない、ということを、30日の「土用の丑の日」を前に、どうしても書いておきたかったのである。

 歳時記に関するある本によると、土用の丑の日に、「うどん」を食べる習慣のある地域もある。「うーめん」や「ツメリショウ(すべりひゆ)」を食べる風習の残る所もある。油揚げと麺類をこしらえて親類や雇い人たちに振る舞う習わしのある場所もある。

 土用蜆(しじみ)だって、滋養があって旨い。

 何も鰻にばかり執着することはないのである。



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荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 少し前になるが、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん荒井修さんの本『江戸・東京 下町の歳時記』から、土用の暑気払いで、“直し”(柳陰)を飲むことを紹介した。
2011年7月20日のブログ

 この本で、“直し”の焼酎とみりんの割合について、次のように書かれていた。

 直しの場合は、ある説によると、焼酎2に対してみりん1っていうんだけど、この前、実は割り方をいろんな比率で試してみたときに、上方の人間が一人いたんだ。そいつはみりん2に対して焼酎1でいいって言う。だけど東京の人は、「いや、焼酎2でみりん1だとう」って言ったりね。これでかなり度数が違うんですよ。
 ちなみに、あたしは1対1がうまいと思うんだけどね。

 土曜になった「土用の丑の日」(駄洒落か!)は、落語『青菜』を思い浮かべながら、“直し”といこうか。

 さて、割合はどうしよう。

 味見をしながら、つい飲み過ぎそうだなぁ^^


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by kogotokoubei | 2016-07-28 21:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

 18日は「海の日」という国民の祝日。
 1995年に制定され、1996年から施行。
 だから、今年は20周年、ということになる。

 当初は7月20日だったが、2003年から「ハッピーマンデー」の一つとして、7月第三月曜日になった。

 素朴な疑問がある。
 
 たしかに、日本という国は、海に囲まれており、さまざまな海の恩恵に浴している。
 だから、海に感謝するという意図も分からないではない。

 しかし、日本の地域には、海から遠い場所もある。
 海に面していない県は「内陸県」と言うが、次の八つが、その内陸県。

 内陸県:栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県

 これらの県に住む人は果たして、どのように「海の日」を楽しんだら良いのか。
 車で海まで行け、とでも言うのか。

 そして、つい最近も海での遭難事故があったばかり。

 海、という言葉で、悲しい過去を思い起こす人もいるだろう。

 それは、8月11日に今年から祝日となった「山の日」にも言えることだろう。

 もちろん、人それぞれに歴史があるから、他の祝日に悲しい過去を経験している人もいるかもしれないが、それは、個々の人の問題。

 あえて、国民を挙げて「海」や「山」に感謝しろ、という祝日というものの妥当性というか、国民の視線に立っているのか、ということが疑問なのだ。

 海の幸、山の幸への感謝は、日常生活でその都度思うことであるべきで、ある特定の日に、お上に言われてするものではなかろう。

 「ハッピマンデー」制定の際、やたらと「経済効果」ということが言われたように思う。
 実際に経済的な効果があるのかどうかは別として、そろそろ「経済」という観点、いわば、金儲け的な視点だけで物事を考えることから脱しなくてはいけないのではないか。

 もし、戦争をしたら、あるいは、テロの攻撃に遭遇したら、経済効果もなにもあったもんじゃない。

 平和、安全、環境、健康などの視点で、物事を視ることが、「経済効果」などより、ずっと大事なのではないか。

 ハッピーマンデーを前にしても、あまりハッピーには思えないのである。

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by kogotokoubei | 2016-07-16 09:31 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 新暦7月7日に「七夕」の話題を目にすると、どうも気が重くなる。

 最寄の駅から帰宅する途中にある幼稚園で、子供たちがつくった七夕飾りを見て、なおさら憂鬱になった。

 6年前の記事で書いたように、「七夕」は秋の季語。
2010年7月7日のブログ

 旧暦七月七日に出る半月の明るさだから、天の川、牽牛(アルタイル)と織姫星(ベガ)が、程よくきれいに見えるのであって、今日旧暦6月4日(月齢2.7の月の明るさ)では、二人が出会うには、ちと早い。
 どこまで近づいたか見ようと思ったが、曇って見えない。
 だったら、水不足の関東地区、いっそ雨になって欲しい位だ。

 今年は、8月9日が旧暦七月七日だ。

 盛大なお祭りで有名な仙台をはじめ、東北や北海道は、旧暦に近づけて8月7日を七夕としているが、ほぼ近似している。

 ちなみに、今日は二十四節気の小暑。
 梅雨もそろそろ終わり、本格的に暑くなるよ、という目安の日である。
 蓮の花が開き始める頃、でもある。

 自然に則った暦は、夏の始まりを告げている。

 昨今は、「伝統的七夕」と称して、旧暦7月7日に星座を観たり、お祭りをする風習が復活しているとも聞く。

 ぜひ、8月9日、空を見上げましょう。

 それにしても、私はつい最近まで気づかなかったが、8月11日が「山の日」の祝日になっていた。

 その背景は不勉強なのだが、明確な由来があるわけではないようだ。

 「海の日」があるんだから、「山の日」も、ということか・・・・・・。

 根拠もなく新しい祝日をつくることより、自然の営みや農作業との関係が強い旧暦や、二十四節気、雑節などにちなんだ活動を奨励して欲しいものだ。

 かつて旧暦を土台に生活をしてきたアジア諸地域で、新暦(グレゴリオ暦)に移行して、ものの見事(?)に旧暦を忘れているのは、日本だけと言ってよいだろう。

 大袈裟かもしれないが、日本人は、大事なものを失っているような気がしてならない。

 水不足なら、節水しようじゃないか。
 思い出そう。3.11の後には、みんなで節電しようとしたじゃないか。

 いろんなもの、いろんなことが、風化しつつあるように思う。
 そんな小暑の夜だった。

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by kogotokoubei | 2016-07-07 21:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 時々、落語以外のことも書くことがある。

 「噺の話」という看板からは逸れるのだが、「小言幸兵衛」という名前なので、たまには小言を言いたくなる出来事に関して記事を書くことを、お許しいただきたい。

 今回は、「コメンテーター」なる人たちについて。

 元俳優が覚醒剤や大麻を所有していて捕まったというニュースに関するある人物の発言を巡って、こんな記事が目に入った。
スポニチの該当記事

テリー伊藤の高知容疑者への「ふざけんな」発言に依存症問題識者が反論

 演出家のテリー伊藤(66)が29日放送のTBS「白熱ライブ ビビット」(月~金曜前8・00)で行った、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕された高知東生容疑者(51)に関連する発言に対し、識者からブログなどで反論が寄せられた。

 自身がギャンブル依存症だったという、一般社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表理事の田中紀子氏が30日、自身のブログで「テリー伊藤さん!依存症についてコメントしないで!です」と題し、前日のテリーの発言を厳しく批判した。

 「高知東生さんの事件のマスコミ報道は、相変わらず、誰のためにもならないひどい扱いばかりで、依存症問題の対策推進に奔走している、関係者の一人としては大変憤りを感じています」と話を切り出し、「特に、薬物依存症で苦しむ方、またそのご家族の胸中を想うと心が痛いです」とつづり、「ハッキリ申し上げます。依存症のことを何も知らない、素人のあなたが、叩きやすい人を叩くという安直な方法で、薬物依存症に対する、間違った見解をメディアに垂れ流すことは、どうか今後一切おやめ下さい」と糾弾した。

 さらに「日本の薬物問題は、あなたが安直に利用して良いほど、軽い問題でも、安易な問題でもありません。また、薬物依存症者に対する人権問題についても、日本は著しく取り組みが遅れていることを、あなたはご存知でしょうか?」と語り、高知容疑者が護送される際の態度や、逮捕される際に「ありがとうございます」と言ったという発言を「軽い言葉。ふざけんな」と批判したことに対し、筋違いだということを説明。

 依存症者の家族の気持ちを考えるよう諭した上で、「依存症者は、心の病を抱えた病人あって、悪人ではありません。私たちは、高知さんが顔をあげ、移送されていく姿に、「捕まって、これでやめられるとホッとしたんだろうな」と、希望を見出しています。あなたの見方とは真逆です」と、当事者としての経験を語った。

 このブログをリツイートした評論家の町山智浩氏(53)は、「麻薬の使用者は罰しないのが世界の流れです。罪にしないことで使用者は医者や知人に相談しやすく治療しやすくなり、警察にも売人を通報しやすくなる。使用者を社会的に制裁せず更生させて再使用を防ぐ。 ポルトガルではこれで使用者が激減しました」とつぶやき、薬物問題への取り組み方そのものが問われていることを示唆した。 [ 2016年6月30日 15:55 ]

 この問題については、「ギャンブル依存症問題を考える会」代表理事の田中紀子さん、そして、町山智浩の主張を支持する。

 以前、プロ野球選手やバドミントンの日本を代表する選手たちの賭博問題をめぐるメディアの扱いに疑問を感じて記事を書いた。
2016年4月12日のブログ
 あの記事を書いた後に、朝日新聞が、田中紀子さんのを元にした記事を掲載したことを、追伸(p.s.)で紹介した。

 実際にテレビを見たり、スポーツ新聞を買って読むことはないのだが、ネットの時代なので、どうしても目に入るのが、何か事件がある度の「コメンテーター」なる立場の人の発言だ。

 今まで、こういう問題では、固有名詞は出来るだけ書かないようにしていたが、今回は、書くことにする。
 「コメンテーター」の名で問題を掻き回しているだけのタレントは、よく登場する人として次のような名が並ぶのだろう。

 テリー伊藤、尾木直樹、堀江貴文、坂上忍・・・など。

 テレビの雛壇に出演していたり、何か事件などが起きるとコメントを求められたり、ブログやツィッターでの発言が引用されたりすることが多い人たちだ。
 正直なところ、この人たちの“本職”を、よく知らない。

 あぁ、そうか、タレントでいいのか・・・・・・。

 それとも、「コメンテーター」が、本職?

 私は、堀江貴文という人を、なぜテレビに出演させたり、コメントを取り上げたりするのか不思議でならない。
 法的な罰は受けている、という言い分なのだろうが、彼のために人生を台無しにした人、そして、命を失った人がいるという歴史的な事実は消せない。彼の道義的な責任は、決して消えていないと私は思っている。
 

 結論めいたことを先に書くが、この人たちは、ニュース番組が“バラエティ化”するなかで、「世情の粗(あら)」で飯を食う、“にぎやかし”でしかない。

  
 テレビは視聴率が大事、新聞や週刊誌は販売部数、そしてネットのアクセス数が大事なのだろうが、そのために、決して、その道の専門家でもないコメンテーターたちを、いわば「扇動者」として重宝がるのは、大いに疑問である。

 紹介した記事の中で、田中紀子さんが指摘するように、「叩きやすい人を叩く」のは、橋下徹も使った常套手段。

 煽るだけ煽り、叩くだけ叩いて、視聴者や読者に、度々本質から逸れた誤った感情を誘発させている。
 弱い者をみんなで寄ってたかって叩いて、いったい何が変わるのか。

 もちろん、問題の本質に迫ろうとか、事件の構造的な問題を解決しようなどとは、メディア側もコメンテーターも、そして観る方も、まったく思っていないだろう。

 しかし、「公共の電波」を使っているのだ。
 また、視聴者や読者は貴重なお金や時間を消費しているのだ。

 本当に、ギャンブル依存症や薬物依存症の患者を少しでも減らしたいのであれば、発言には慎重になるはずなのだが、“にぎやかし”さん達は、「視聴者の代理」とばかり、感情のままに、しかし、メディア側が喜ぶように、叩きやすい者を叩きのめす。

 そんなことに、カタルシスを感じる人がいれば、それも問題だが、実際に何を生業としているのか私には分からない上述したような人たちに「扇動」させるメディア、そして、その役割を務める「コメンテーター」の方が、責任は大きい。

 たまに、その叩き方が強すぎたり、方向が間違っていることが明らかになると、ブログなどが「炎上」し、これは、またニュースの素材になる。

 ギャンブル依存症に関して書いて記事では、過去のNHK「クローズアップ現代」の内容も紹介した。

 その後番組に、尾木直樹が出演していたのを観て、私は落胆した。
 
 メディアは、彼のブログやツイートを頻繁に取り上げるが、私には、教育問題の専門家とは思えないし、元教師らしいが、彼の言葉に教育者としての重みを感じない。


 「噺家は世情の粗(あら)で飯を食い」という川柳は、今日では、コメンテーターというタレントにこそ相応しいのかもしれない。
 
 しかし、彼らは、気の利いた小咄一つ、聴かせてくれるわけではない。

 もちろん、なぜこういう問題が起こったか、という本質を探ろうとする姿勢もなければ、構造的な問題としての視点などを提示することはない。

 おもしろ可笑しく、あくまで、その個人への攻撃をしているだけである。
 ただ、誰もが同意しやすい、叩きやすい者に対して、「ふざけんな!」、と叫んでいるだけである。

 そんな人たちと、そんな彼らを“にぎやかし”として使うメディアにこそ、「ふざけんな!」、と私は言いたい。
 
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by kogotokoubei | 2016-07-01 08:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 事前に楽日の今日、小三治は末広亭を休演することが案内されていた。

 果たして、誰が代バネかと落語協会ホームページの「本日の寄席」を見たら、三三だった。
落語協会HPの該当ページ

 池袋の高座の後で、新宿へ移動だな。

 私は、昼の主任が夜も出演するより、ずっとこの方が良いと思っていたので、メデタシメデタシ^^

 しかし、行くことはできない。

 知らずに小三治だと思って行かれる方が、散々(三三)な目に遭うことは、ないと思う!

 失礼しました。
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by kogotokoubei | 2016-06-30 12:22 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 新宿末広亭で開催中の6月下席夜の部は、小三治が主任。
 連日混んでいるようだ。

 次の番組表にあるように、23日、26日、30日は休演と案内されている。
新宿末広亭6月下席番組表

 ネット情報や、昨日の落語協会のホームページ「本日の寄席」によると、23日と26日、なんと昼の部主任である市馬が、昼夜とも主任を務めたようだ。

 入れ替えがない末広亭で、昼夜同じ噺家が、トリ!?
 なぜ?

 私も、たまに昼夜居続けをする。
 今年は、入院の前後に居続けをした。
 その楽しみの一つは、それぞれのトリを聴きたいからでもある。

 市馬に限らず、昼夜で同じ噺家のトリを聴きたいという人は、多くないだろう。
 
 膝前の雲助がトリに回ってもいいだろうし、池袋の昼の部に交替出演の三三が務めることだって可能だろう。

 小三治の代バネは、荷が重い、ということで落語協会会長が務めるということか・・・・・・。

 休演は事前に分かっていることのはず。
 事前に、代バネの噺家さんを案内しておけば良いのだ。
 もちろん、その案内を見逃して来られる方もいらっしゃるかもしれないが、代演での僥倖やガッカリも含めて、寄席なのである。

 落語協会には、市馬の他にも実力者は多い。
 権太楼、雲助、さん喬、そして小満んなどが代バネでも、まったく不思議はない。
 もちろん、弟子の三三だっていいじゃないかと思う。

 市馬の昼夜主任、もし、彼が会長としての責任感で考えた、としたら、大きな勘違いだ。

 あるいは、末広亭側がそう考えたのなら、友の会の会員としても、断固反対する。

 落語協会会長には、ホームページが体たらくのままであることを含め、他にやるべき仕事が、たくさんあるはずだ。

 片方の主任の休演日、同じ噺家が昼夜両方で主任という番組は、市馬本人が出演しない場合でも、会長として組んではならない構成と自戒すべきではなかろうか。

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by kogotokoubei | 2016-06-27 12:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

 若者の落語ブームについて書いた記事にいただいたコメントで、確実に落語会や寄席で若いお客さんが増えているという情報に加え、一部の若いお客さんのマナーの悪さについてご指摘があった。

 せっかく、落語愛好家のすそ野が広がっているのに、ベテラン落語ファンとの間で軋轢があっては、いけない。
 しかし、教えなければ分からないこともあるだろう。
 また、いわゆる「マニュアル世代」は、一度教えてあげると守ってくれるような気がする。

 落語会や寄席でのマナー違反は、若い人に限らない問題である。

 落語芸術協会のホームページには、マナーに関して次のようなことが記されている。
 「寄席に行こう-落語はじめの一歩-」というページから引用。
落語芸術協会ホームページの該当ページ

寄席でのマナーって?

寄席は、好きなときに入って好きなときに出ることができます。寄席自体の再入場はお断りしているところが多いですが、基本的に客席は出入り自由。ただし、マナーとして、高座の切れ場(演芸と演芸の間)にするとよいでしょう。
また、飲食も自由です。売店でお弁当を売っているところも多いので、それも寄席の楽しみのひとつです。ただ、こちらもあまり音のするものやアルコール飲料はお控えください。アルコールOKの寄席でも、飲みすぎて芸人に絡まないようにしましょう。
このように、寄席には窮屈なルールはなく、とても自由な空間です。他のお客様や出演者に迷惑をかける行為に気をつければ大丈夫。携帯はマナーモードにしておいてくださいね。


 なかなか良いガイドだと思う。
 “他のお客様や出演者に迷惑をかける行為”に気をつける、ということが基本だね。

 私が気を付けていることや、気になることを踏まえてマナーについて書くなら、こんな感じ。
 
(1)着席は高座の切れ場
  これは、大前提。高座が盛り上がってきた時に、近くで他のお客さんが席に着く
  ためゴソゴソされること位、興醒めなことはない。
  一般的には、開口一番なら高座の途中でもまだ許される。色物も、まぁ途中着席も
  構わない、という風潮がある。
  しかし、私の場合は、開口一番も色物も、できるだけ切れ場になるまでは着席しないよう
  心がけている。演者に、そしてお客さんに耳障り、目障りであることに、変わりはない。
  また、奇術や太神楽の後には、道具の片づけや高座の準備のために少し時間がかかるので、
  着席するのに余裕もできる、ということを付け加えておこう。

(2)音(ノイズ)に注意  
  落語は、見て、そして“聴く”芸。
  人によっては、目をつぶって聴いている。だから、“ノイズ”は大敵である。
  近くで、お菓子の袋やポリ袋でガサゴソと音を立てられる位、気になることはない。
  音を立てそうな場合、これも、切れ場にするよう心掛けたい。
  また、高座の途中で、入場の際にもらったチラシを音を立ててめくっている人
  (だいたいは中高年の女性)がいるが、困ったものだ。
  
(3)携帯・スマホは電源を切る
  私は、マナーモードではなく、電源を切る。
  着信が途中で鳴るのは言語道断だが、バイブレーターの音だって、耳障りだ。

(4)メモは、迷惑にならないように
  私もメモは取る。ほとんどはチラシの裏。
  しかし、高座の噺家や近くのお客さんに迷惑をかけないよう出来るだけポイント
  を絞り、短時間で殴り書きするようにしている。
  場合によっては、前を向きながらペンを見ずにメモる。
  その結果、後から自分の字が判読できないこともあるが、熱心に下を向いて
  メモを取り続けるのは、噺家にも周囲のお客さんにも迷惑なことだ。

(5)高座途中の会話や発言はご法度
  若いカップルもお客さんに増えたようだが、高座の途中での会話はダメ。
  切れ場に小さな声で話すのは構わない。
  最悪な例は、ネタが分かった時に隣りの連れの人に告げる人や、サゲ前に
  サゲを言う人。
  これは、初心者ではなく、少し落語を知っている人なのだが、勘弁願いたい。
  以前、地域落語会で、高座の噺家に話しかけるお婆さんがいたが、実に驚いた。


 主だったマナーは、こういうことかと思う。

 あえて付け加えると、笑い方にも、できれば注意したいものだ。
 なかなか矯正するのが難しい面もあるが、無駄に大きな声で笑う“ゲラ男”さん“ゲラ子”さんが、たまにいらっしゃる。できれば、そのボリュームを調整していただきたい。
 本当は、笑いのツボでもないのに、むやみに笑う人も迷惑なのだが、これは感性の問題だろうから、治らないだろうなぁ。
 他に、座高が高い人や、頭の大きい人が前に座っていると高座が見えにくいが、これは、そういう席を避けるしかない^^

 マナーに関連して、お客さんではなく、落語会や寄席のスタッフにも言いたいことがある。
 お客さんを“高座の切れ場”ではなく、途中で客席に誘導するスタッフがいるが、困ったものだ。
 切れ場になるまでは、後ろで立って待つように注意すべきなのに、お客さんのマナー違反を誘導しているようなものである。
 
 主催者側に言いたいことは、他にもあるが、マナーのことから話が別な方向に進みそうなので、これ位にしておこう。

 結局は、他のお客さん、そして噺家の立場になって行動しよう、ということに尽きる。
 想像力の問題、と言えるかな。

 そういう想像力の豊かな人は、落語を堪能することも出来るはず。

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by kogotokoubei | 2016-06-21 12:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(12)

 最近、若者の落語ブームのことがメディアで取り上げられることが増えた。

 集英社「週刊プレーボーイ」のweb版「週プレNEWS」の6月18日の記事をご紹介。
 見出しは、ややウケ狙いに過ぎる気がするなぁ^^

「週プレNEWS」の該当記事
暴走族の元総長に女子が出待ち? グラドルもハマる若手落語家人気とは
[2016年06月18日]

高座も観客も老人ばかり――そんなイメージもあった落語で、噺家(はなしか)もファンにも“若返り”が起きているという。

■観客席に増える若者&女性

「最近、意外と若いお客さんも多いですよ。平日に行っても混んでますし、ひとりの女性やカップルで来てる方とかいます。昔よりはだいぶ、TVとかにも落語家さん出てきたりとかニュースで取り上げられたりしているので興味のある人が増えたんじゃないですかね」

というのは、グラビアアイドルの川奈ゆうだ。5年前にファンにもらった落語CDを聞いて以来、落語にハマり、時間があれば寄席(よせ)に通っているという落語好きだ。

確かに近年、“落語ブーム”と言われて久しい。2005年に宮藤官九郎脚本・長瀬智也主演でドラマ化された『タイガー&ドラゴン』や2007年の国分太一主演映画『しゃべれどもしゃべれども』あたりから火が付き、大泉洋が売れない落語家役を務めた『トワイライト ささらさや』(2014年)、松山ケンイチが主演を務めた『の・ようなもの のようなもの』(2016年)と最近も落語を題材にした映画がヒット。漫画『昭和元禄落語心中』も今年、アニメ化され、話題となった。

「『行ってみたいんだけど、ひとりで行けない、行きづらい』という友達も少なくないですね。『行きたいから連れてって』といわれて一緒に行ったりしますよ。知り合いのアイドルのコでも好きなコがいて、今度行こうという話をしたりしています」(川奈)

映画やアニメなど普段、落語を観ない層からファンが増える一方、落語界もブームに乗って変わってきている。特に注目を集めているのが、若手の台頭だ。

2014年にスタートした、落語に造詣(ぞうけい)の深いお笑い芸人・サンキュータツオが主催する、若手落語家が中心となった「渋谷らくご」(通称:シブラク)は連日満員。

さらに『平成27年度 NHK新人落語大賞』を獲った柳亭小痴楽(りゅうていこちらく)と瀧川鯉八(こいはち)などが結成した若手落語家ユニット『成金』の公演も満員御礼が続いている。

「今はSNSもありますし、若手落語家自ら発信する機会も増えました。そうしたところから各々アピールして認知され始めていると思います。特に昔と違って、今は元お笑い芸人出身だったり前職のある若手も多く、キャラクターに富んでいるので面白いんですよ」

そう話すのは、演芸情報誌『東京かわら版』の佐藤友美編集長。「落語」という芸だけでなく、その魅力的な人間性でファンを増やしているとのことだ。

 元暴走族のことや、このグラビアアイドルさんが、落語の楽しみ方について、なかなか良く分かっていらしゃることは、リンク先の2ページ目でご確認のほどを。
 同ページにあるのだが、なんと、若者にとっては、柳家喬太郎が“渋めの落語家”らしい。

 紹介した文中では、小痴楽が昨年のNHKで大賞を取ったことになっているが、それでは、桂佐ん吉が可哀想だろう^^
 たしかに小痴楽の高座も良かったけどね。
 ご興味のある方は、拙ブログの感想などの記事をご覧のほどを。
2015年11月1日のブログ


 落語芸術協会が、二ツ目の「成り金」メンバーを売り出そうと後押ししてきたことなどが、実を結びつつあることは、結構だと思う。

 漫画やドラマ、映画をきっかけに、これまで落語に接することのなかった若い人が落語と縁が出来ることも、良いことだと思う。
 「落語女子」が、寄席にかけつけることで、寄席の空間も華やかになるだろう。

 しかし、危惧することもある。

 本当に“人間性”で人気になるのならいいが、決してそうは言えないだろう。

 ブームの中で、果たして冷静にいられるかどうか、少し心配だ。
 人気になることで、また、若い女性に追いかけられて、自分を見失わないで欲しい。

 実力と人気とは比例しない。

 テレビも「イケメン」落語家などということで若手を紹介するのは、あまり感心しない。
 見た目の魅力(?)と落語の実力は、まったく別物である。
 ちなみに、紹介した記事の中でイケメン若手二ツ目として二人の名が挙がっているが、私は、どちらの技量も、まだまだ、と思っている。

 お客様の前で落語を披露する機会が増えるのは、自分の芸を磨くために良いことだが、チヤホヤされることで、勘違いしないで欲しい。

 ブームは、いずれにしても一過性のものである。

 いつブームが去っても不思議はない、という心づもりで、この流れをぜひ芸を磨くための場として活かせるかどうかが、長い落語家生活を左右するだろう。

 繰り返しになるが、今の若者の落語ブームは、落語芸術協会の若手を支援しよう、売り出そうという努力が実を結びつつあることが背景にある。

 そして、その活動は、危機感を背景にしていたと思う。

 2011年師走の同協会納会の席で、末広亭の社長が、落語芸術協会の寄席の客の入りの悪さに対し、他派との合同での開催なども含めたテコ入れを要請した。
 このことは、翌年正月の朝日の記事を引用して拙ブログで書いた。
2012年1月27日のブログ
 この記事で、私は、当時の落語芸術協会のホームページの問題などを含め、結構きつい小言を書いた。

 その後、ホームページは、当日の代演情報の掲載など、一歩づつ改善され、今では適宜最新情報も掲載されているし、二ツ目昇進者の案内も、出演予定の寄席情報を含め掲載されるなど、実に良いホームページとなっている。

 どうしても、落語協会のホームページと比べてしまう。

 五年前と今とでは、両協会のホームページは、まったく逆の状況になっている。

 あえて書くが、柳家喜多八のプロフィールは「物故者」の欄ではなく、現役のページに残ったままだ。
 四十九日までは、このまま、とでもいう規定があるのだろうか・・・・・・。

 7月11日の「お別れの会」についても、何ら案内されていない。

 昨年のNHK新人落語大賞の本選には、落語協会から一人も出場できなかった。

 協会は、これを“危機”として、考えているのかどうか・・・・・・。

 若い落語ファンから“渋め”と形容されている、柳家喬太郎理事あたりが、今何を考えているのか、気になるところだ。

 ネット時代の今日、ホームページは、その組織の「顔」とも言えるものである。

 落語芸術協会のホームページからは、実にニコニコした、元気な協会の顔を拝むことができる。

 一方、落語協会のそれは、“渋め”の色調と同様、なんとも活力のない顔としか見えない。

 若者の落語ブームという記事から、五年前から、ほぼ完全に逆転した両協会の勢いのことなどに思いた至った次第だ。

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by kogotokoubei | 2016-06-20 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

 土日は一泊二日でテニス仲間との合宿だった。

 年二回の恒例で、次回は12月の予定。
 ここ数年は、鎌倉のテニスコートのある宿泊施設を利用している。

 土曜にテニスと夜は宴会、日曜は希望者で鎌倉近辺の観光というのがお決まりのパターン。

 今回は、天候が危ぶまれたが、土曜日にしっかりテニスを、それも大会形式で行うことができた。
 そして芒種の昨日、計ったように関東地区が梅雨入り(した模様?)。
 昨日がテニスなら、ちょっと無理だったなぁ。

 結構、我々の旅行、天候には際どく恵まれている。
 例年5月開催だったが、複数のメンバーの都合が合わず、この時期になり、「梅雨は大丈夫か?」と心配していただが、メデタシ、メデタシであった。

 昨日は雨のため、希望者で江ノ島でボーリングをした後、知る人ぞ知るらしい(私は知らなかった^^)「九つ井(ここのついど)」という蕎麦懐石などのお店へ。
 他にもお店があるようだが、向かった先は本店。

 拙ブログでは「グルメ」系の記事はほとんど書いていないし、居残り会で行ったお店も、あえて名前は明かさないようにしている。
 しかし、このお店は紹介したいので、ご興味のある方はサイトをご覧の程を。
「九つ井(ここのついど)」サイトの「本店」のページ

 竹林の中の古風な佇まいのお店だった。
 離れなどもあり、法事などでの利用も多いようで、昨日も、それらしきご一行が数組いらっしゃった。
 もっと、混んでいるかと思ったが、12時半頃着いて、15分~20分待ち。雨のおかげかな。
 味のある建屋の中もいいが、外に、壁はないが屋根がある小屋の席がある。
 周囲を、竹林と雨に濡れるアジサイが囲む。
 大きさの違う、しっかりした天然木のテーブルが五卓ほどあったが、誰も座っていない。
 屋根があるから濡れることはないし、寒いというほどの雨でもない。
 我々一同「外がいいね!」となった。このへんは、気が合うのだ^^
 「外でいいですよ」と言ったら、思惑通り(?)、すぐに座れた。
 実に客対応が素晴らしい女性店員の方がお茶と品書きを持ってきた。
 私は、迷わず「もり」を頼もうとしていたのだが、品書きには「ざる」しか見当たらない。
 彼女に、「もりはないんですか、海苔はいらないんですけど」と言うと、「ざるに、海苔はついていないんですよ」とのこと。
 このお店、本来、「もり」は“ぶっかけ”のことで、「ざる」は“竹ざる”にのった蕎麦をつけ汁で食べる、という本寸法をわきまえているのだろう。
 もっと言うなら、「もり」と「ざる」は、その汁にも違いがあるのだが・・・細かいことは後日書くことにしよう。蕎麦は、奥が深いのであるよ。

 その、客あしらいが見事な店員さんの言葉を再現。
 「私もお蕎麦が大好きで、ざるの大盛りでも平気で食べますよ。ここのお蕎麦食べたら、他で食べれなくなりました」と、嫌味っ気なしで、笑っておっしゃった。
 お奨めにしたがい、大盛りを注文。ざる800円に大盛りがプラス350円。
 
 たしかに、大盛りでもペロっ、だったし、実に美味かった。
 ネギもついてきたが、私は山葵を少しだけ汁に入れて食べる。
 好みの問題だが、私は、海苔もネギも、本来の蕎麦の味を楽しむには、邪魔になると思う。
 残ったネギ・・・もちろん、酒の肴。
 熱燗の徳利は、お店の窯で焼かれた、鳥にも似ているが、なんとも個性的なものだった。

 いただいた後であの店員さんに確認したら、二八蕎麦。
 蕎麦粉は北海道中心、この日は幌加内産とのこと。
 もちろん、蕎麦はお店で打っているのである。
 原料を吟味しての打ち立て、茹で立て、まずいはすがない。

 借景も良かった。
 芒種の雨に濡れるアジサイを見ながら、しばし、絶妙な蕎麦と熱燗で、池波正太郎気分を味わった。

 我々(私?)の我がままな注文にも嫌な顔一つせず、そば湯も何度も出していただいた。
 そばがきも、酒のあてにはもったいないほど美味。

 運転手の二人は甘党で、蕎麦ぜんざいと、くずきりを楽しみ、私のような辛党は、熱燗をおかわり。
 締めて金額を聞いても、その内容から考えて、満足度は高い。

 このお店、蕎麦以外に懐石料理、炭火焼ステーキ、しゃぶしゃぶなどもあるようだ。
 コースのメニューは、決して安いとは言えないかもしれないが、次回はぜひ蕎麦懐石などを楽しみたい、と思った。
 
 蕎麦と肴、お酒を堪能し、運転手さんには悪かったが、帰りの車の後部座席で熟睡してしまった^^

 帰宅して、ブログを眺め、コメントに返事をしてから、記事を書き始めたが、テニスとボーリングの疲労もあるだろうし、昼の酒もきいてきたようで、途中で断念。


 振り返って、土曜の夜の宴会。
 食堂での懐石料理の夕食後には、カラオケ。
 どうしても踊りたい人がいたので、私はアバの「ダンシング・クィーン」などを歌ったのであった^^
 その後、幹事部屋で宴会。
 「先に落語!」とのご要望に応え、二席ご披露。

 一席は、喜多八の音源を元にした『あくび指南』。
 もう一席は、前座噺でまだ残っていた『転失気』。

 どちらも、自分ではまあまあの出来だと思う。

 しかし、笑いは、圧倒的に『転失気』が多かったは、仕方がないなぁ。

 『あくび指南』のマクラでは、「下地」のこと、吉原を「なか」と呼ぶことなどの前置きをふっておいたので、言葉が分からないので楽しめない、ということはなかったと思うのだが、「大笑い」ではなく「微笑」の噺である。
 演じた後の感想の一つに「落語や昔のことをよく知っている人なら、楽しめるんでしょうね」という言葉があった。
 その通りで、それを百も承知で選んだのだから、私自身は、笑いが少なくても、納得している。

 それに比べて、『転失気』は、予想以上に笑ってもらえた。
 ほとんどの人が初めて聴くので、ネタそのものの可笑しさでウケる。

 昨年冬の合宿では、柳家喬太郎の『夜の慣用句』が、バカ受けだった。
 いろいろ、自分なりのクスグリも入れたしね。
 『子ほめ』では静かだったので、その差が大きかったなぁ。

 これで、思い出す限り、テニス仲間の合宿と大学の同期会で演じたネタは、次のようなものになる。
  『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・
  『小言念仏』・『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・『居酒屋』・
  『うどん屋』・『雑排』・『厩火事』・『買い物ブギ』・『看板のピン』・
  『天災』・『目黒のさんま』・『紙入れ』・『元犬』・『持参金』・
  『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・『親子酒』・『藪入り』・
  『子ほめ』・『夜の慣用句』・『あくび指南』・『転失気』

 自慢でもなんでもなく、次のネタを考えるための備忘録である。

 いつでも、これらのネタが出来るわけでは、ない。当たり前か^^

 11月には大学の同期会、12月には次のテニス合宿。
 まだ、先なのだが、最近は、月日が経つのが、早いこと早いこと。

 さて、次回は、どんなネタで挑もうか・・・・・・。

 「笑い」をとれるネタか、「微笑み」を誘うネタか・・・演じてみると、これが悩ましい。

 やはり、ウケたい、という気持ちもある。
 笑ってもらった時の快感は、演じた人しか分からないだろうなぁ。

 しかし、自分が聴き手の立場からは、やはり、「微笑み」を誘う、いわば、大人のネタにも挑戦したいと思う。
 それは、自分の力量も上がなければならない、ということだ。
 笑いがそれほど多くない噺でも、「いいねぇ、渋いねぇ」とでも仲間が言ってくれるようにならないといけないなぁ。

 さて、次はどのネタにしよう・・・アレ、コレ・・・・・・。

 こうやってネタを考えるのも、実は、楽しみの一つではあるのだ。

 思い出した。
 私が持っているフジテレビお台場寄席の喜多八の『あくび指南』の音源、まくらで「立ち食い蕎麦は、かき揚げ蕎麦」に限ると言っていたなぁ。それも、かき揚げをダブルで、という贅沢な蕎麦。

 それも一理ある。
 立ち食いでは、私も結構、かき揚げ蕎麦を頼むのである。

 手打ちで二八の「もり」もいいが、蕎麦粉が半分も入っていないだろうが、立ち食いでの「かき揚げ」も悪くない。

 ということは、落語も「笑い」をとれるネタもいいが、「微笑み」を誘う噺もいい、ということか。

 なんとも無理のあるサゲとなってしまった・・・・・・。


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by kogotokoubei | 2016-06-06 22:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛