噺の話

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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 247 )


 むのたけじさんが、21日に101歳の天寿を全うされた。

 以前に黒岩比佐子さんの聞き書きによる本『戦争絶滅へ 人間復活へ』から、むのさんが五代目柳家小さんについて語られた内容を紹介した。
2013年10月20日のブログ


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むのたけじ『99歳一日一言』(岩波新書)

 2013年11月に、同じ岩波新書で発行された『99歳一日一言』という本の成り立ちについて、巻末にご子息の武野大策さんが、次のように書かれている。

この本作りにつながって

 この本を作る直接のきかっけは、父、むのたけじが眼底出血を患い、その治療を終えて、横手の実家に送っていった2008年8月31日に、長いいわれを付けて渡された100枚近い色紙にあります。その力強い字体に驚いて、その中の36枚を取り出して、これをこのまま複写して本にできるのではないかと提案しました。私は、10歳くらいですでに父親とは別の道を行くと決めていたこともあり、それまで父親の著作を読むこともほとんどなかったから、父親はそうした提案に驚いたかもしれません。その話はすぐに実現されることはありませんでしたが、こうすれば息子に自分の考えを伝えられると思ってか、折に触れて父は色紙を私に渡すようになりました。その様子の典型的なものを紹介します。
 私は、日ごろの運動不足を解消させるために、隣町にある川越の喜多院というお寺に月に1~2回くらい自転車で行っていました。そのようなサイクリングをしたある日の夕方に、この本で一月一日に紹介した「拝むなら自分を拝め。賽銭出すなら自分に渡せ・・・・・・」という色紙が何枚かのものと合わせて渡されたのです。私のお参りは人並みで特に信心が深いから行くのではないとわかっていながらこのような色紙を渡すかと、それを見た瞬間は反発を覚えましたが、それでもていねいにそれを袋に入れて保存しました。
 こうしたことで保存がしっかりしていると思ったのか、その後渡されるものが増え、「語録」と書かれた大判のノートも加わりました。色紙も増え、渡されるようになって5年近く経過した2013年2月には確実に1100枚を超えましたが、ただこのまま保存しておくのでは埋没させるだけのような気がしました。
 (中 略)
 私はいままで、生物が行っている一つか二つの生理現象を科学的に説明する研究に従事してきました。それは、人間をはじめとする生物の内部で行われていることを明らかにすることで、とりわけ20世紀になって飛躍的に躍進し、細部にわたってまで解明されました。ただ、いまだに「いのち」とは何かは解明されているわけではありません。こうした知識で、人間生活の便利さを増やすことはあっても、本質的な生き方を問うことはほとんどありませんでした。この本作りにかかわって、私はこうした科学研究で得られた知識が人間の生き方そのものを考えさせることに結びつく必要性を痛切に感じたことを話しました。それに対して、父が私に言ったことは、「生命科学のその『いのち』とは何かを問え」です。
 私の子ども時代には家庭生活を顧みることもなく社会活動だと言って外に出ていた父・むのたけじと、この本作りにつながって、そのことの親父の年を超えてから親子の会話・交流が出来たように思います。いずれにしろ、先の世代が後の世代にその経験をキチンとした情報として残すことができるのは、あらゆる生き物でおそらく人間だけが持っている能力です。だから、この能力を存分に利用することが大切です。この本がそうしたものとして受けとめてもらえることを願っています。

 私と年齢の近い大策さんは、次の埼玉新聞の記事にあるように、お父上の最後を看取られた方。
埼玉新聞の該当記事

 色紙や大学ノートでご子息に渡された言葉は、大策さんのおかげで、広く日本国民にとって有益な、硬骨のジャーナリストむのたけじさんの遺言集という財産となった。

 大策さんは、残された数多くの言葉から感じる季節感に従って、365の珠玉の言葉を並べてくれた。
 それらは、「人間がどのような生き方をすればよいか、問うているように思いました」と大策さんは記している。


 本書から、命日となった8月21日の「一日一言」を紹介したい。

八月二十一日

 戦時中、軍の輸送船でボルネオ海を渡ったとき、ひどい嵐にぶつかった。泳げない私は死ぬしかないと腹を決めたら、不思議と心は落ち着いていた。けれど最後に残った残念・無念は、この私が、いつ、どこで、何ゆえ、どんな有り様で死んでいくか。それを妻と子らに知らせる術がないことだった。戦場で死んだ多くの人たちは同じ思いでなかったろうか。

 幸運にも、むのたけじさんはボルネオ海に沈むことなはく、天寿を全うされ、ご家族に見守られて天国へ旅立たれた。
 そのおかげで、残された著作や珠玉の言葉を、大切にしたいと思う。

 合掌
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by kogotokoubei | 2016-08-22 12:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 昨夜はバドミントンの女子ダブルス決勝を見た。

 セットカウントが1:1で、外に出てこっちも休憩。
 雲間から、旧暦7月16日の満月が顔を見せた。
 さて、この月は、どちらのペアに力を与えるものやら、などと思ったが、リオは真昼だったなぁ^^

 ファイナルセットの16:19で、日本ペアの二人は、ともに目も表情も実にしっかりしていた。
 直観として、「これは、そう簡単には負けないな」と思った。
 そして19:19の同点で、四人の表情を見て、「高橋・松友組が勝つ」と確信した。

 そして、今朝はもう少し寝ていようと思っていたが、犬の声で起こされてしまった^^

 先ほど、NHKの朝のドラマを見てから、つい民放にチャンネルをひねって、つまらない番組を見てしまった。

 今は消したが、いわゆる朝のワイドショーで、コメンテーターなる元プロ野球選手が、スポーツの競技人口のことを話題にした。
 高橋・松友の金メダルで、バドミントン愛好家が増えるのではないか、という発言。

 前提は、競技人口が少ない、という認識なのだろう。

 こういう番組で、出演者が事前に自分で調べないのは想定できるが、番組スタッフが統計などのデータを準備しないのが不思議でならない。

 あるいは、知っていて数字を明かさない確信犯かもしれない。

 二年前のサッカー・ワールドカップの放映権の問題で記事を書いた。
2014年6月30日のブログ

 あの記事では、ネットで調べた各スポーツの競技人口のことも書いた。また、バドミントンのメディアの扱いに関する小言も書いていた。


 重複するが、日本人がどんなスポーツに親しんでいるかということについて、あらためて。

 総務省が実施している「社会生活基本調査」なるものがあって、同省サイトから資料がダウンロードできる。
総務省サイトの該当ページ

 調査についてはこう書かれている。
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 少し読みにくいので補足すると、昭和51年から5年毎に実施していて、前回は平成23年10月に約8万7千世帯、10歳以上の約20万人に実施した、とのこと。

 その中のスポーツの調査。これが「行動者率」の順位。
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 質問は、該当スポーツについて、次のような区分で設問があり、この回答結果を統計処理して「行動者率」に換算するらしい。

"年に1~4日"
"年に5~9日"
"年に10~19日(月に1日)"
"年に20~39日(月に2~3日)"
"年に40~99日(週に1日)"
"年に100~199日(週に2~3日) "
"年に200日以上 (週に4日以上) "

 総務省のサイトからはエクセルの「統計表」をダウンロードできる。
総務相サイトの該当ページ

 この統計表によると、各スポーツの競技者数は次の数字になるらしい。
 バドミントンと近い、400万人~600万人の競技を太字にした。
----------------------------------------------------
<スポーツ名>        <競技者数>(千人)
野球(キャッチボールを含む)     8,122
ソフトボール              3,538
バレーボール             4,558
バスケットボール           3,950
サッカー(フットサルを含む)     6,375
卓球                   5,121
テニス                  4,750
バドミントン               5,426
ゴルフ(練習場を含む)        9,240
柔道                    603
剣道                    779
ゲートボール               788
ボウリング               14,621
つり                    9,281
水泳                   12,030
スキー・スノーボード          6,043
登山・ハイキング           10,457
サイクリング              10,110
ジョギング・マラソン          10,956
ウォーキング・軽い体操       40,172
器具を使ったトレーニング      11,243
その他                  6,696
----------------------------------------------------
 
 行動者率、競技者数を見ても、球技の中でバドミントンは、サッカー、卓球、テニス、バレーボール、スキーなどと同じような競技人口群のスポーツと言ってよい。
 
 テレビに出るコメンテーターさん達は、普段、市民体育館で多くの老若男女がバドミントンや卓球を楽しんでいることを知らないのだろう。
 そして、野球やサッカーなどに比べて、とんでもなく競技人口が少ないと錯覚しているに違いない。

 もちろん、競技人口が多い競技が少ない競技より価値がある、などとは思っていない。
 実態をあまりにも知らな過ぎるのではないか、ということ。

 歴史も重要な要素。
 たとえば、レスリングは、1896年第一回の近代五輪アテネ大会から存在する競技。
 
 ちなみに同大会での実施競技は次の通り。

 ・陸上競技
 ・競泳競技(会場はプールではなく海)
 ・体操
 ・ウエイトリフティング(体操の種目として)
 ・レスリング(グレコローマンスタイルのみ)
 ・フェンシング
 ・射撃
 ・自転車
 ・テニス

 ご覧のように、五輪競技のテニスって、歴史があるのですよ。


 総務省統計の「その他」には、2020年の東京で採用される空手なども含まれるのだろう。
 野球・ソフトボールにどうしても注目が集まるが、私は空手の「型」の演技に日本的な美を感じるので、良かったと思う。

 それにしても、メダルの数ばかり強調するが、たとえば、難民選手団のリオでの表情や、現在の様子などについて、もっと報道するメディアはないものだろうか。

 ワイドショーといわれる番組は、その対象が、決して広くもなければ深くもないと、あらためて休日のテレビを見た感想である。

 オリンピックと、宿題のせいで記事が途絶えていたが、観てしまったテレビに刺激されて、こんな記事を書いた次第。

 さて、またジャズでもBGMに流しながら、抱えてきた“夏休みの宿題”に取り組まねば・・・・・・。


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by kogotokoubei | 2016-08-19 09:43 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

 錦織の銅メダルは、実に価値がある。

 準決勝でのマレー戦は完敗だったが、三位決定戦では、ナダルに行きかけた流れを、見事に取り戻した。

 準々決勝のモンフィス戦、タイブレークで相手にマッチポイントを三本握られてからの逆転も、圧巻だった。

 私は、小学校と中学で野球少年だったが、高校と大学では軟式テニスに打ち込み、今は硬式に替わったものの、テニスに長らく親しんできた者として、非常に嬉しいメダルだ。

 一昨年、錦織が全米オープンで準優勝した際、佐藤次郎をはじめ、多くの先人たちの名がメディアに登場した際、記事を書いた。
2014年9月9日のブログ

 96年前にメダルを獲得した熊谷一弥(くまがい いちや)さんのことが、それほどしっかりとは紹介されていないので、二年前の記事と重複するが、あえて、熊谷さんのことについて書きたい。

 二年前、全米オープンでの錦織の躍進の際に熊谷さんのことを、西日本新聞では次のように紹介していた。
 なお、西日本新聞の記事は、すでにリンク切れとなっている。
 宮崎県テニス協会名誉会長の渡邊理さん(83)は、熊谷さんが宮崎にいた旧制中学時代は福岡まで歩いて帰省していたと遺族から聞いた。九州でも熊谷さんのような選手を育てたいと75年に「熊谷杯テニストーナメント」を創設。今年40回目を迎え、毎年九州各地から約400人が参加する宮崎県内最大の大会に育った。

 60年ほど前、デ杯の監督を務めていた熊谷さんを福岡市内のコートで見た九州テニス協会常務理事の西村充生さん(77)は「古武士のような雰囲気が漂っていた。若い人たちはほとんど知らない。九州にもすごい選手がいたと知ることで、錦織選手に続けと励みになるはずだ」と声を弾ませた。

 出身地大牟田の「広報おおむた」のサイトには、地元出身の英雄のことを忘れず、特設のページがある。
 まず、特集ページの冒頭を引用。
「広報おおむた」サイトの該当ページ

特集 日本人初の五輪メダリスト 熊谷一彌
 1920(大正9)年、ベルギーで開催された第7回オリンピック・アントワープ大会。日本人の参加が2度目となるこの大会に、大牟田出身の熊谷一彌(くまがいいちや)は、テニス選手として参加しました。競技の結果は、シングルス、ダブルスともに準優勝、日本人初となるメダル「銀」を2つ手にしました。その後テニスは、第8回大会以後60年の間、オリンピック種目から外れていたこともあって、大牟田市民でも熊谷一彌の名前を知っている人は多くありません。
今回、北京オリンピック開催(8月8日開会)を記念して、テニスプレイヤー・熊谷一彌を特集します。

 なんと、熊谷一弥さんは、五輪における日本人初のメダリストでもあったのだ。
 経歴は、次のように輝かしい。

熊谷一彌 略歴
1890(明治23)年 大牟田町横須村に生まれる
1910(明治43)年 慶應義塾大学入学、庭球部入部
1913(大正2)年 同庭球部が軟式テニスから硬式へ
1914(大正3)年 マニラ選手権大会 単準優勝
1915(大正4)年 東洋選手権大会 単優勝、複準優勝 第2回極東選手権 単、複優勝
1916(大正5)年 大学を卒業し米国へテニス遊学 全米ランキング5位
1917(大正6)年 三菱合資会社銀工部へ入社 第3回極東選手権 単、複優勝 ニューヨーク支店勤務
1918(大正7)年 米国のテニストーナメントに参加
・1918年…全米ランキング7位
・1919年…全米ランキング3位
・1920年…全米ランキング5位
・1921年…全米ランキング7位
1920(大正9)年 アントワープ五輪テニス 単、複銀
1921(大正10)年 デビスカップ準優勝
1922(大正11)年 帰国
1929(昭和4)年 全日本選手権 複優勝、現役引退
1950(昭和25)年 デビスカップ日本チーム監督に
1968(昭和43)年 死去(77歳)



 落語好きの方は、お気づきかと思うが、明治23年生まれは、古今亭志ん生と同じ。
 テニスプレーヤーとしては、熊谷さんは清水善造さんの一歳上だが学年は同じ、佐藤次郎さんよりは18歳年上になる。
 世界への挑戦の歴史を引き続きご紹介。
世界への挑戦
 中学校は伝習館へ1年通ったあと宮崎県へ引越し、宮崎中学校へ転校します。野球部で活動しながらテニスも続けていたようですが、本格的にテニスを始めたのは、1910(明治43)年、慶應義塾大学へ入学し庭球部員となってからです。
同庭球部は世界を目指すために、1913(大正2)年4月に硬式テニスへと転向します。熊谷は、翌1914年1月、初の海外遠征となったマニラ選手権大会でシングルス準優勝を果たします。熊谷の世界への挑戦が始まった年でした。
特に活躍したのは、1917(大正6)年に入社した三菱合資会社銀工部のニューヨーク支店に勤務した5年間です。オリンピックとデビスカップ(男子テニス国別対抗戦)へ出場したのもこの期間内でした。
体格が勝る外国人選手に対して、熊谷の身長は約170センチ。左利きの熊谷は、硬式ラケットを軟式ラケットの標準的な握り方である「ウエスタングリップ」で握り、鋭くドライブ(こすり上げるような回転)のかかった打球を繰り出して、並み居る強豪を倒していきました。軟式テニスの技を、硬式テニスに通用するものに磨いていったのです。
当時アメリカに、テニスの神様といわれたビル・チルデン選手がいました。世界4大大会で10勝をあげた選手で、熊谷とテニスツアーの中で何度か決勝戦などを戦っています。チルデンは著書に「熊谷は、ハード・コートでの試合を得意とする世界で最も偉大な選手の一人。いついかなるときであっても、どんな種類のコートの上であっても、最も危険な対戦相手だ」と残しています。

 中学時代は野球部(主将)、大学で軟式テニスを始め、その後、部そのものが硬式に転向している。
 野球から軟式テニスという経歴が私と一緒なので、とても親近感がある^^

 紹介されているように、熊谷は硬式になっても軟式テニスの標準的なグリップである「ウエスタングリップ」でプレーした。それは、先に紹介した清水善造も同様。

 ウェスタングリップは、俗に「厚い」握りと言うが、地面に置いたラケットを手に持った状態のグリップと思えばほぼ間違いがない。逆に「薄い」グリップと言うイースタンは、ラケットの面を地面に垂直方向にして握る感じ。アマチュアの硬式テニスプレーヤーは、ほぼイースタン気味である。また、熊谷が活躍した当時の他のプロテニスプレーヤーもイースタングリップ中心だったので、熊谷はまったく異色の存在であった。加えてサウスポー。相手はやりくかったらしい。
 現代のプロテニスプレーヤーは、ほとんどがウェスタン気味のグリップになっているから、清水や熊谷のような軟式出身の先人達は、硬式テニスのグリップに関する先駆けと言ってよいだろう。ちなみに、ウェスタンにも、セミ・ウェスタン、ウェスタン、エクストリーム・ウェスタンなどの用語があるように、握り方の違いがある。

 錦織のグリップはナダルやフェレールと同様、地面に置いたラケットを持ってから、また手を右(時計方向)に回したグリップで、エクストリーム・ウェスタンに近く、アマチュアではとても打てないグリップ。彼が子どもの頃から慣れたグリップなのだろう。ボールにスピンがかかりやすい長所はあるが、相手のスライスのボールへの処理が難しいなどの欠点もある。
 
 熊谷一弥さんは、ウェスタン・グリップで左利き、古武士のような雰囲気、となるとナダルをイメージしないでもない。
 そのナダルを破っての錦織の銅メダルというのも、何か因縁めいたものを感じる。

 錦織の活躍のおかげで、清水善造さん、熊谷一弥さん、佐藤次郎さんといった日本テニス界の先人達がもっと回想されて良いと思う。
 12年前にイチローが262本のMLB年間最多安打記録をつくった際、それより84年も前に257本の記録をつくったジョージ・シスラーの名がメディアを賑わわせたではないか。

 さて、これから全米だ。

 イチローが、その後も着実に自分の記録を積み上げているよう、ぜひ、錦織には四大大会での記録にも挑戦し続けてもらいたい。
 そうすることで、また、懐かしい名プレーヤーの名が思い出されるだろうから。


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by kogotokoubei | 2016-08-15 14:58 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 渥美清、本名田所康雄没後二十年。

 つい、関連する本をめくってみる。

 昨年記事に書いた本も、再読すると、新たな発見がある。

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小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)

 小林信彦の『おかしな男 渥美清』は、新潮社で平成12(2000)年に単行本が発行され、平成15(2003)年に文庫化。
 巻末に著者小林信彦と小沢昭一さんの「渥美清と僕たち」と題する対談が載っている。

 永六輔さんの『芸人』について書いた記事で、次の文を引用した。
 かつて「河原者」と呼ばれた「ヤクザ」「女郎」「芸人」。
 「ヤクザ」は男を売り、「女郎」は身体を売り、そして「芸人」は芸を売るというかたちで、生産手段を持てない人たち。

 香具師はヤクザと同一ではないが、芸人と同様「生産手段を持たない」河原者であることには変わりがない。
 
 以前桂米朝について書いた記事で、『落語と私』の、次の締めの部分を紹介したことがある。
 わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。
 『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』

 米団治が米朝に伝えたかったことも、河原者としての覚悟をしろ、ということなのだろう。


 この対談で、まさに、渥美清という人が河原者という言葉を十分に認識していた役者、末路哀れは覚悟していたことを物語る逸話が語られていた。

職安脇に死す

小沢 あの私生活を、ほとんど完全に隠していたというのは、何なのかなあなんて考えることがあるんです。一緒に帰るときだって、少し離れたところで降りて、家を見せないとかね。何を隠そうとしていたんですかね。本名の田所康雄を見せたくないということもあるでしょうけれども、核心には、何か見せたくない、知られたくないという、梅干しの種みたいなものがあったんじゃないでしょうかね。僕もちょっとその気がないわけじゃないので、彼ほど徹底してやってくれている人がいることで、何となく安心感があったんです。
小林 知り合ったころ、渥美さんからこんな話を聞いたことがあります。なぜか板橋なんですが、「板橋のほうの職安の脇のどぶに頭を突っ込んで死んでいる男がいる。失業者たちが、これは随分前にテレビに出ていた渥美とか何とかいうやつじゃないかって言っている。おれはきっとそういう死に方をする」って言ってましたね。非常に早く、どこかで、人間関係をあきらめているみたいなところがありましたね。何か寂しいんですよ。
小沢 あれはマスコミ嫌いもあったんでしょうね。その頃は何なのかなあなんて思うんですけど。やはり、根堀り葉掘りされるのが嫌だったんでしょうね。
小林 でも、あの人の他人との断ち切り方は、突き飛ばすようですからね(笑)。渥美清は言い方が怖いんですよ。二人きりで話していて、目と目がピッと合ったんです。「おれも以前(まえ)は以前だからよ」って言って、じーっとこっちの目を真っすぐ見たときは相当、怖かったですよ。
小沢 「おれは上野で手鉤(てかぎ)の清って言われてたんだ」って自分で言ってましたね。僕は、「へえー、いいじゃないの」って言ったんですけどね。
小林 私が聞いたのは、「おれは上の人に二つ褒められた。一つは、口跡がいい。もう一つは、おれが他人(ひと)の家の玄関にすっと立っただけで相手が包んだ金を出す」。あまり誇ることじゃないだろうという気がするんですけどね(笑)。
小沢 功成り名を遂げてからは、若いときのことなんかは、おもしろおかしく、笑い話みたいにして話すようになりましたがね。でも、そういう面があるから、あの人のすばらしさがあるんですよ。

 板橋の職安の脇のどぶ・・・・・・。

 それは、河原者としての覚悟でもあっただろうし、将来への不安と両方がないまぜになった感慨だったのかもしれない。


 「男はつらいよ」シリーズの最後の方では、寅さんは、善人すぎる位に描かれる。
 ここ数日放送される特集番組でも、あまりにも、俳優渥美清のことを美しく描き過ぎのように思われてならない。

 私生活を隠すのは、寅さんのイメージを崩さないための配慮だっただろうという観点で評されることが多い。
 
 「おれも以前(まえ)は以前だから」という言葉から、田所康雄がひたすら隠した私生活の内容は、必ずしも“現在”のことだけではなく、“過去”のことも含まれていたように思われてならない。

 しかし、スター渥美清は、それを隠し通すことで、寅さんとして多くの日本人を笑わせ、元気を与え続けてきた。

 それを考えると、今は「芸能人」は山ほどいるが、「スター」はいない。
 今日では、等身大の本人と、その人物が演じるべき役者とが、同一化している。
 マスコミも、知りたくもないプライバシーを取り上げる。


 渥美清没後二十年、本物の「芸人」や「役者」がいない時代、隣の息子や娘のような身近な芸能人ばかりの今の世の中が果たして良い時代なのかどうか・・・そんなことも考えてしまう。

 サラリーマン化した芸能人には、河原者の覚悟など、望むべくもないだろう。

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by kogotokoubei | 2016-08-06 12:31 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 30日土曜日が「土用の丑の日」なので、メディアや街のポスターなど、さかんに鰻の話題で騒がしい。

 月刊誌「Wedge」8月号の特集の一つが“「土用の丑の日」はいらない はびこるウナギの密輸入 台湾・香港ルートを追う”だった。

 ウェブマガジンの「Wedge Infinity」では「土用の丑の日はいらない ウナギ密輸の実態を暴く」となっている。
「Wedge-Infinity」サイトの該当記事

 同サイトから引用する。

土用の丑の日はいらない、ウナギ密輸の実態を暴く
2016年07月28日(Thu)  WEDGE編集部 伊藤 悟

「絶対に名は出さないでくれ」

 台湾のシラスウナギ(ウナギの稚魚、以下シラス)輸出業者は我々取材班にそう告げた。なぜ名を出すことを頑(かたく)なに拒むのか──。それは彼に「罪」の自覚があるからである。

 日本人の好物であるウナギを巡って、台湾、香港、日本を舞台に壮大な「不正」が行われている。今回、取材班はその舞台である台湾、香港へと飛び、関係者らを取材した。

 取材のアポイントメントを入れるのにはかなり骨が折れた。当たり前だが話すメリットなどなく、誰も話したがらないからだ。だが、様々なコネクションを使って、交渉を続けた結果、匿名を条件に複数の人物が取材を受けてくれた。


 この雑誌は、必ずしも私の信条とは合致しない主張も多く、あくまで内容次第で判断しているのだが、この取材記事はなかなか良かったと思う。

 さて、その取材で浮かび上がってきたことを、一部引用する。

 「台湾で採れたシラスは、香港の〝立て場〟に運ばれ、そこから日本へ向けて輸出されます。立て場には日本のウナギ業界でもごく限られた人しか行ったことがありません。詳しい場所も開示されていない知る人ぞ知る施設です。あまり首を突っ込み過ぎると、東京湾に浮かびますよ」

 取材に先立ち、ウナギ業界に詳しい人物からそう忠告を受けた。この人物だけでない。複数の人から同じような話を聞いた。

業界の最高機密施設 香港「立て場」実態

 香港の中心部から車で走ること数十分。舗装もされていない道を進んでいくと、業界の最高機密施設とも呼べる「立て場」が突然目の前に現れた。よく見ると、いたるところに監視カメラが設置されている。門をくぐると番犬が吠えながら近寄ってきた。

 本業は中国本土で賭博の胴元をしているというシラス問屋は「台湾からの密輸入などお安い御用だ。漁船で香港へ水揚げしたことにすればいいし、中国の港まで漁船で運び、(香港と隣接する)深圳(シンセン)から陸路で入ってもほぼノーチェック。航空機を使ったとしても、空港で働く税関の一部の人間と手を握ればよい。何が難しいんだい? この立て場からシラスは日本へ向かっていくんだよ」とお茶を飲みながら淡々と話す(こうした台湾と香港の現地取材の詳細については、Wedge8月号で報じている)。

 詳しいことは、上記のように「Wedge」で確認願いたいが、引用にあるように密輸に関与しているシラス問屋は、中国本土で賭博の胴元をしているということに留意しなくてはならない。

 もう少しだけサイトから引用する。

 多くの日本人にとって、実は「立て場」は無縁の場所ではない。ウナギ好きであれば、立て場に一時保管されたウナギを口にしている可能性は極めて高いからだ。

 「国産のウナギしか食べたことがないから自分には関係ない」と考える方もいらっしゃることだろう。しかし、香港の立て場から日本へ送られたシラスは、養鰻池に入れられて出荷サイズになるまで育てられる。養殖ウナギは主たる養殖地が産地となる。つまり台湾から香港の立て場を経由したシラスはその後「国産ウナギ」として販売され、日本人に「国産だ」とありがたがられながら頬張られているのだ。

 ウナギを生業(なりわい)にしている人であれば誰でも、シラス漁やその取り引きが裏社会と密接なかかわりをもっていることを知っている。昨年のWedge8月号で報じたように、日本国内では暴力団らによるシラスの密漁がはびこっており、輸出が禁じられている台湾からは、香港を経由して国内へ輸入されていることもまた、業界公然の秘密だ。

 私は「土用の丑の日」を、鰻を食べない日と決めている。

 理由はいくつかあるが、紹介したように、この日に多くの日本人がこぞって鰻を食べることが、国際的な犯罪を引き起こす要因ともなっているからだ。

 台湾でいくら規制しても、絶滅に瀕したシラスウナギの違法捕獲から密輸に香港をかませることで法の網をくぐれること、そして、香港の“立て場”から日本に送られたシラスは、堂々と国産として販売されていること、そういったことは、業界では知らない者がいない、ということを、30日の「土用の丑の日」を前に、どうしても書いておきたかったのである。

 歳時記に関するある本によると、土用の丑の日に、「うどん」を食べる習慣のある地域もある。「うーめん」や「ツメリショウ(すべりひゆ)」を食べる風習の残る所もある。油揚げと麺類をこしらえて親類や雇い人たちに振る舞う習わしのある場所もある。

 土用蜆(しじみ)だって、滋養があって旨い。

 何も鰻にばかり執着することはないのである。



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荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 少し前になるが、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん荒井修さんの本『江戸・東京 下町の歳時記』から、土用の暑気払いで、“直し”(柳陰)を飲むことを紹介した。
2011年7月20日のブログ

 この本で、“直し”の焼酎とみりんの割合について、次のように書かれていた。

 直しの場合は、ある説によると、焼酎2に対してみりん1っていうんだけど、この前、実は割り方をいろんな比率で試してみたときに、上方の人間が一人いたんだ。そいつはみりん2に対して焼酎1でいいって言う。だけど東京の人は、「いや、焼酎2でみりん1だとう」って言ったりね。これでかなり度数が違うんですよ。
 ちなみに、あたしは1対1がうまいと思うんだけどね。

 土曜になった「土用の丑の日」(駄洒落か!)は、落語『青菜』を思い浮かべながら、“直し”といこうか。

 さて、割合はどうしよう。

 味見をしながら、つい飲み過ぎそうだなぁ^^


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by kogotokoubei | 2016-07-28 21:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

 18日は「海の日」という国民の祝日。
 1995年に制定され、1996年から施行。
 だから、今年は20周年、ということになる。

 当初は7月20日だったが、2003年から「ハッピーマンデー」の一つとして、7月第三月曜日になった。

 素朴な疑問がある。
 
 たしかに、日本という国は、海に囲まれており、さまざまな海の恩恵に浴している。
 だから、海に感謝するという意図も分からないではない。

 しかし、日本の地域には、海から遠い場所もある。
 海に面していない県は「内陸県」と言うが、次の八つが、その内陸県。

 内陸県:栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県

 これらの県に住む人は果たして、どのように「海の日」を楽しんだら良いのか。
 車で海まで行け、とでも言うのか。

 そして、つい最近も海での遭難事故があったばかり。

 海、という言葉で、悲しい過去を思い起こす人もいるだろう。

 それは、8月11日に今年から祝日となった「山の日」にも言えることだろう。

 もちろん、人それぞれに歴史があるから、他の祝日に悲しい過去を経験している人もいるかもしれないが、それは、個々の人の問題。

 あえて、国民を挙げて「海」や「山」に感謝しろ、という祝日というものの妥当性というか、国民の視線に立っているのか、ということが疑問なのだ。

 海の幸、山の幸への感謝は、日常生活でその都度思うことであるべきで、ある特定の日に、お上に言われてするものではなかろう。

 「ハッピマンデー」制定の際、やたらと「経済効果」ということが言われたように思う。
 実際に経済的な効果があるのかどうかは別として、そろそろ「経済」という観点、いわば、金儲け的な視点だけで物事を考えることから脱しなくてはいけないのではないか。

 もし、戦争をしたら、あるいは、テロの攻撃に遭遇したら、経済効果もなにもあったもんじゃない。

 平和、安全、環境、健康などの視点で、物事を視ることが、「経済効果」などより、ずっと大事なのではないか。

 ハッピーマンデーを前にしても、あまりハッピーには思えないのである。

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by kogotokoubei | 2016-07-16 09:31 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 新暦7月7日に「七夕」の話題を目にすると、どうも気が重くなる。

 最寄の駅から帰宅する途中にある幼稚園で、子供たちがつくった七夕飾りを見て、なおさら憂鬱になった。

 6年前の記事で書いたように、「七夕」は秋の季語。
2010年7月7日のブログ

 旧暦七月七日に出る半月の明るさだから、天の川、牽牛(アルタイル)と織姫星(ベガ)が、程よくきれいに見えるのであって、今日旧暦6月4日(月齢2.7の月の明るさ)では、二人が出会うには、ちと早い。
 どこまで近づいたか見ようと思ったが、曇って見えない。
 だったら、水不足の関東地区、いっそ雨になって欲しい位だ。

 今年は、8月9日が旧暦七月七日だ。

 盛大なお祭りで有名な仙台をはじめ、東北や北海道は、旧暦に近づけて8月7日を七夕としているが、ほぼ近似している。

 ちなみに、今日は二十四節気の小暑。
 梅雨もそろそろ終わり、本格的に暑くなるよ、という目安の日である。
 蓮の花が開き始める頃、でもある。

 自然に則った暦は、夏の始まりを告げている。

 昨今は、「伝統的七夕」と称して、旧暦7月7日に星座を観たり、お祭りをする風習が復活しているとも聞く。

 ぜひ、8月9日、空を見上げましょう。

 それにしても、私はつい最近まで気づかなかったが、8月11日が「山の日」の祝日になっていた。

 その背景は不勉強なのだが、明確な由来があるわけではないようだ。

 「海の日」があるんだから、「山の日」も、ということか・・・・・・。

 根拠もなく新しい祝日をつくることより、自然の営みや農作業との関係が強い旧暦や、二十四節気、雑節などにちなんだ活動を奨励して欲しいものだ。

 かつて旧暦を土台に生活をしてきたアジア諸地域で、新暦(グレゴリオ暦)に移行して、ものの見事(?)に旧暦を忘れているのは、日本だけと言ってよいだろう。

 大袈裟かもしれないが、日本人は、大事なものを失っているような気がしてならない。

 水不足なら、節水しようじゃないか。
 思い出そう。3.11の後には、みんなで節電しようとしたじゃないか。

 いろんなもの、いろんなことが、風化しつつあるように思う。
 そんな小暑の夜だった。

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by kogotokoubei | 2016-07-07 21:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 時々、落語以外のことも書くことがある。

 「噺の話」という看板からは逸れるのだが、「小言幸兵衛」という名前なので、たまには小言を言いたくなる出来事に関して記事を書くことを、お許しいただきたい。

 今回は、「コメンテーター」なる人たちについて。

 元俳優が覚醒剤や大麻を所有していて捕まったというニュースに関するある人物の発言を巡って、こんな記事が目に入った。
スポニチの該当記事

テリー伊藤の高知容疑者への「ふざけんな」発言に依存症問題識者が反論

 演出家のテリー伊藤(66)が29日放送のTBS「白熱ライブ ビビット」(月~金曜前8・00)で行った、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反(所持)の疑いで逮捕された高知東生容疑者(51)に関連する発言に対し、識者からブログなどで反論が寄せられた。

 自身がギャンブル依存症だったという、一般社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表理事の田中紀子氏が30日、自身のブログで「テリー伊藤さん!依存症についてコメントしないで!です」と題し、前日のテリーの発言を厳しく批判した。

 「高知東生さんの事件のマスコミ報道は、相変わらず、誰のためにもならないひどい扱いばかりで、依存症問題の対策推進に奔走している、関係者の一人としては大変憤りを感じています」と話を切り出し、「特に、薬物依存症で苦しむ方、またそのご家族の胸中を想うと心が痛いです」とつづり、「ハッキリ申し上げます。依存症のことを何も知らない、素人のあなたが、叩きやすい人を叩くという安直な方法で、薬物依存症に対する、間違った見解をメディアに垂れ流すことは、どうか今後一切おやめ下さい」と糾弾した。

 さらに「日本の薬物問題は、あなたが安直に利用して良いほど、軽い問題でも、安易な問題でもありません。また、薬物依存症者に対する人権問題についても、日本は著しく取り組みが遅れていることを、あなたはご存知でしょうか?」と語り、高知容疑者が護送される際の態度や、逮捕される際に「ありがとうございます」と言ったという発言を「軽い言葉。ふざけんな」と批判したことに対し、筋違いだということを説明。

 依存症者の家族の気持ちを考えるよう諭した上で、「依存症者は、心の病を抱えた病人あって、悪人ではありません。私たちは、高知さんが顔をあげ、移送されていく姿に、「捕まって、これでやめられるとホッとしたんだろうな」と、希望を見出しています。あなたの見方とは真逆です」と、当事者としての経験を語った。

 このブログをリツイートした評論家の町山智浩氏(53)は、「麻薬の使用者は罰しないのが世界の流れです。罪にしないことで使用者は医者や知人に相談しやすく治療しやすくなり、警察にも売人を通報しやすくなる。使用者を社会的に制裁せず更生させて再使用を防ぐ。 ポルトガルではこれで使用者が激減しました」とつぶやき、薬物問題への取り組み方そのものが問われていることを示唆した。 [ 2016年6月30日 15:55 ]

 この問題については、「ギャンブル依存症問題を考える会」代表理事の田中紀子さん、そして、町山智浩の主張を支持する。

 以前、プロ野球選手やバドミントンの日本を代表する選手たちの賭博問題をめぐるメディアの扱いに疑問を感じて記事を書いた。
2016年4月12日のブログ
 あの記事を書いた後に、朝日新聞が、田中紀子さんのを元にした記事を掲載したことを、追伸(p.s.)で紹介した。

 実際にテレビを見たり、スポーツ新聞を買って読むことはないのだが、ネットの時代なので、どうしても目に入るのが、何か事件がある度の「コメンテーター」なる立場の人の発言だ。

 今まで、こういう問題では、固有名詞は出来るだけ書かないようにしていたが、今回は、書くことにする。
 「コメンテーター」の名で問題を掻き回しているだけのタレントは、よく登場する人として次のような名が並ぶのだろう。

 テリー伊藤、尾木直樹、堀江貴文、坂上忍・・・など。

 テレビの雛壇に出演していたり、何か事件などが起きるとコメントを求められたり、ブログやツィッターでの発言が引用されたりすることが多い人たちだ。
 正直なところ、この人たちの“本職”を、よく知らない。

 あぁ、そうか、タレントでいいのか・・・・・・。

 それとも、「コメンテーター」が、本職?

 私は、堀江貴文という人を、なぜテレビに出演させたり、コメントを取り上げたりするのか不思議でならない。
 法的な罰は受けている、という言い分なのだろうが、彼のために人生を台無しにした人、そして、命を失った人がいるという歴史的な事実は消せない。彼の道義的な責任は、決して消えていないと私は思っている。
 

 結論めいたことを先に書くが、この人たちは、ニュース番組が“バラエティ化”するなかで、「世情の粗(あら)」で飯を食う、“にぎやかし”でしかない。

  
 テレビは視聴率が大事、新聞や週刊誌は販売部数、そしてネットのアクセス数が大事なのだろうが、そのために、決して、その道の専門家でもないコメンテーターたちを、いわば「扇動者」として重宝がるのは、大いに疑問である。

 紹介した記事の中で、田中紀子さんが指摘するように、「叩きやすい人を叩く」のは、橋下徹も使った常套手段。

 煽るだけ煽り、叩くだけ叩いて、視聴者や読者に、度々本質から逸れた誤った感情を誘発させている。
 弱い者をみんなで寄ってたかって叩いて、いったい何が変わるのか。

 もちろん、問題の本質に迫ろうとか、事件の構造的な問題を解決しようなどとは、メディア側もコメンテーターも、そして観る方も、まったく思っていないだろう。

 しかし、「公共の電波」を使っているのだ。
 また、視聴者や読者は貴重なお金や時間を消費しているのだ。

 本当に、ギャンブル依存症や薬物依存症の患者を少しでも減らしたいのであれば、発言には慎重になるはずなのだが、“にぎやかし”さん達は、「視聴者の代理」とばかり、感情のままに、しかし、メディア側が喜ぶように、叩きやすい者を叩きのめす。

 そんなことに、カタルシスを感じる人がいれば、それも問題だが、実際に何を生業としているのか私には分からない上述したような人たちに「扇動」させるメディア、そして、その役割を務める「コメンテーター」の方が、責任は大きい。

 たまに、その叩き方が強すぎたり、方向が間違っていることが明らかになると、ブログなどが「炎上」し、これは、またニュースの素材になる。

 ギャンブル依存症に関して書いて記事では、過去のNHK「クローズアップ現代」の内容も紹介した。

 その後番組に、尾木直樹が出演していたのを観て、私は落胆した。
 
 メディアは、彼のブログやツイートを頻繁に取り上げるが、私には、教育問題の専門家とは思えないし、元教師らしいが、彼の言葉に教育者としての重みを感じない。


 「噺家は世情の粗(あら)で飯を食い」という川柳は、今日では、コメンテーターというタレントにこそ相応しいのかもしれない。
 
 しかし、彼らは、気の利いた小咄一つ、聴かせてくれるわけではない。

 もちろん、なぜこういう問題が起こったか、という本質を探ろうとする姿勢もなければ、構造的な問題としての視点などを提示することはない。

 おもしろ可笑しく、あくまで、その個人への攻撃をしているだけである。
 ただ、誰もが同意しやすい、叩きやすい者に対して、「ふざけんな!」、と叫んでいるだけである。

 そんな人たちと、そんな彼らを“にぎやかし”として使うメディアにこそ、「ふざけんな!」、と私は言いたい。
 
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by kogotokoubei | 2016-07-01 08:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 事前に楽日の今日、小三治は末広亭を休演することが案内されていた。

 果たして、誰が代バネかと落語協会ホームページの「本日の寄席」を見たら、三三だった。
落語協会HPの該当ページ

 池袋の高座の後で、新宿へ移動だな。

 私は、昼の主任が夜も出演するより、ずっとこの方が良いと思っていたので、メデタシメデタシ^^

 しかし、行くことはできない。

 知らずに小三治だと思って行かれる方が、散々(三三)な目に遭うことは、ないと思う!

 失礼しました。
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by kogotokoubei | 2016-06-30 12:22 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 新宿末広亭で開催中の6月下席夜の部は、小三治が主任。
 連日混んでいるようだ。

 次の番組表にあるように、23日、26日、30日は休演と案内されている。
新宿末広亭6月下席番組表

 ネット情報や、昨日の落語協会のホームページ「本日の寄席」によると、23日と26日、なんと昼の部主任である市馬が、昼夜とも主任を務めたようだ。

 入れ替えがない末広亭で、昼夜同じ噺家が、トリ!?
 なぜ?

 私も、たまに昼夜居続けをする。
 今年は、入院の前後に居続けをした。
 その楽しみの一つは、それぞれのトリを聴きたいからでもある。

 市馬に限らず、昼夜で同じ噺家のトリを聴きたいという人は、多くないだろう。
 
 膝前の雲助がトリに回ってもいいだろうし、池袋の昼の部に交替出演の三三が務めることだって可能だろう。

 小三治の代バネは、荷が重い、ということで落語協会会長が務めるということか・・・・・・。

 休演は事前に分かっていることのはず。
 事前に、代バネの噺家さんを案内しておけば良いのだ。
 もちろん、その案内を見逃して来られる方もいらっしゃるかもしれないが、代演での僥倖やガッカリも含めて、寄席なのである。

 落語協会には、市馬の他にも実力者は多い。
 権太楼、雲助、さん喬、そして小満んなどが代バネでも、まったく不思議はない。
 もちろん、弟子の三三だっていいじゃないかと思う。

 市馬の昼夜主任、もし、彼が会長としての責任感で考えた、としたら、大きな勘違いだ。

 あるいは、末広亭側がそう考えたのなら、友の会の会員としても、断固反対する。

 落語協会会長には、ホームページが体たらくのままであることを含め、他にやるべき仕事が、たくさんあるはずだ。

 片方の主任の休演日、同じ噺家が昼夜両方で主任という番組は、市馬本人が出演しない場合でも、会長として組んではならない構成と自戒すべきではなかろうか。

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by kogotokoubei | 2016-06-27 12:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛