噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:幸兵衛の独り言( 251 )

フジポッド「お台場寄席」のことを何度か書いているが、同じフジポッドの新企画として「ふじ特撰落語会」というイベントが始まるらしい。
ふじ特撰落語会のHP

 「お台場寄席」や、そのコンテンツの一つである「目玉名人会」で司会を務めるアナウンサーの塚越孝が次のように口上を述べている。

こんにちは。フジテレビアナウンサーの塚越 孝です。
11月18日に神楽坂・赤城神社参集殿のこけら落しとして「ふじ特撰落語会」が開催される運びとなりました。
3月17日、浅草・東洋館での「圓生杯争奪」では、両師匠に評論家の方々も加わって、私が討論会の進行を致しました。
今回は小さなホールなので、両師匠を挟んで鼎談。私が互いに「圓生」を譲る気はないのかなど、質問をぶつけます。
あの討論会から8ヶ月後に実現した二人会。フジテレビの動画配信サービス「フジポッド」では、この模様を、11月22日から毎週月曜日更新の4~5話シリーズ(予定)で無料配信します。ぜひご期待下さい。


そして、第一回の「番組概要」として、こう書かれている。

第一弾は、今、落語界で大きな話題となっている「七代目圓生襲名問題」の渦中にある二人が、奇跡の揃い踏み。題して、「やっぱり圓生は俺だ!『円丈・鳳楽二人会』~あの対決から8ヶ月!!」。
1979年に古典落語の名人・先代三遊亭圓生が亡くなってから永く空席となっていた名跡。生前の円楽が弟子の鳳楽を圓生に指名。これに円丈が異議を唱え、ここから円丈・鳳楽による「圓生」を巡った争いが始まりました。
円丈が「芸の上で決着を」と呼びかけ。鳳楽がこれに「一回やりましょう」と応じたことから、3月17日に浅草東洋館で「圓生争奪杯」が開催されました。落語界内外の話題をさらった対決から8ヶ月。ついに両師匠が再び競演する日が訪れました。

【番組情報】
収録:2010年11月18日 第一回『ふじ特撰落語会』(神楽坂・赤城神社参集殿)
配信:
フジテレビ動画配信サービス「フジポッド」にて11月22日より無料配信。
毎週月曜日更新 全4~5回(予定)

【出演者】
三遊亭円丈 / 三遊亭鳳楽

【解説】
塚越 孝(フジテレビアナウンサー)


 HPには二人の写真、プロフィールも掲載されているが、円丈と鳳楽の“再戦”が、さて、あれから半年以上も過ぎて、落語界では「大きな話題」になってるの?
 主催は「粋まち」、制作協力がフジテレビジョン、協賛は冨士フィルムとなっている。

 まぁ、「神楽坂のまち興し」「赤城神社参集殿のPR]を考えるチームと、自前のコンテンツが不足で少しでも配信できる素材が欲しいフジポッドが意気投合し話題性のある落語会を企画した、つもりなのだろう。

 ちなみに「粋まち」という組織は、NPOから発展した株式会社らしい。
「粋まち」のHP


 会場の赤城神社のHPに、この神社の提唱する“キーワード”である「ヒトイキ」という言葉の説明が次のように書いてある。赤城神社のHP


赤城神社では、コレまでの伝統と地域に根ざしながら、これからのくらしを育む新しい文化活動をはじめます。
キーワードは「ヒトイキ」。
これは、一息であり、人息、人粋、人意気であり、神の域に接する人の粋と考えています。あわただしい日常の中で、自分を見つめて、気持ちを確認し、人が集い、つながる場をつくっていきたいと思います。



 「そうか、塚越が仲に入って円丈と鳳楽の抗争(?)をなだめ、あらたに二人を“つなげる”ためのイベントか」などと深読みしても、まず間違いなくハズレだろう。*分かってて書くな、と言われそう・・・・・・。

 まぁ、配信されるようだから聞いてはみようと思うが、とても神楽坂に行く気にはなれない。特に「鼎談」が想像できてしまい、とても“粋”な内容になるとは思われないからだ。盛り上がるとは思えないなぁ。

 さて、この企画が円生襲名問題に「一息」入れることになるのか、それとも「一息」入れるべきところを、マッチポンプ役がはしゃいで無駄な混沌を作り出すのか・・・・・・。どうしても後者のような気がしてしょうがないのだが、どうなることやら。

 正直、私の中では関心が急激に冷めつつある襲名争いであり、冷却期間をおいて近い将来に兼好に継いでもらいたいという思いもある。以前にも書いたが、円丈も鳳楽も、そして円窓も“ニン”ではない。誰が継いでも、芸風、力量、年齢(将来性)などで違和感がある。逆に言えば、誰が継いでも「セコ円生」として中継ぎをして、次につなげてもらっても結構。
 そんな思いで、秋の夜は過ぎていく・・・・・・。(なんてね!)
[PR]
by kogotokoubei | 2010-10-20 18:28 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
昨日10月16日に行われた平成22年度NHK新人演芸大賞<落語部門>の結果が、落語協会のHPや本人のブログ、さまざまなニュース、そして落語愛好家の方のブログで発信されているので、11月の放送の前に私も書くことにした。
落語協会のHPのニュース
春風亭一之輔のブログ“いちのすけえん”
MSN産経ニュス
 一之輔のブログに書いている通り、放送は、11月6日(土)15時50分~16時55分のNHK総合。

『初天神』だったんだ・・・・・・。

 さて、受賞するか否か関わらず、私は一之輔の来年真打昇進を期待しているが、受賞したほうが昇進はしやすいだろう。先日書いた通り、“年功”では先輩がたくさんいるが、十○人抜きがしばらくぶりにあってもよいだろう。2010年10月13日のブログ

 一之輔には、それだけの実力と人気が間違いなくある。落語協会が、来年は一之輔、再来年に菊六、この二人の昇進を英断することを強く期待している。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-10-17 15:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 今週末16日(土)に、恒例の「NHK 新人演芸大賞」の落語部門の本選(決勝)が行われる。観覧募集はもう終了したが、今年は東京での開催。下記の案内にあるように、渋谷の「NHKみんなの広場 ふれあいホール」での開催。
「NHK 新人演芸大賞」の日程や場所
落語部門は午後1時半:から3時半の2時間で収録するらしい。たしかに一人の持ち時間10分余りしかなかったはず。審査も含め2時間あれば撮れてしまうわけだ。しかし、審査時間も1時間に満たないいうことだろうなぁ。声の大きな人の言いなりにならなければいいが・・・・・・。

テレビ放映は例年通りなら11月23日だろうが、芸能ニュースや会場へ行かれた落語愛好家の方のブログでその模様や結果が速報されることと思う。私もニュースやブログを楽しみに待つ。

本選出場者は、複数のブログ情報によると次の通りらしい。

春風亭一之輔、立川志らら、立川談修、桂まん我、笑福亭由瓶

それぞれの入門年と師匠は次の通り。
一之輔:平成13(2001)年に一朝に入門。平成16(2004)年に二ツ目昇進。
志らら:平成9(1997)年に志らくに入門。
談修:平成7(1995)年に談志に入門。
まん我:平成11(1999)年に文我に入門。
由瓶:平成9(1997)年に鶴瓶に入門。

一之輔は平成19(2007)年以来。三年前の演目は十八番の『鈴ケ森』。なかなかの出来だったが、桂よね吉の『七段目(芝居道楽)』には勝てなかった。私の採点では、二人はほぼ同点だったので異存なし。二人に続いて良かったのが菊六の『権助提灯』だったと記憶する。
志らら、まん我は一昨年、平成20(2008)年に出場。志ららは『壷算』、まん我が『野ざらし(骨つり)』だった。まん我も良かったのが、それ以上に感心したのは菊六の『やかん』。しかし、なぜか王楽が大賞。この結果にはブログで疑問を書いた。
2008年11月24日のブログ

 談修と由瓶はこれまで聞いたことがないので、コメントできない。

 さて今年の興味は、関東の落語愛好家の多くが本命と思うだろう一之輔が、果たして大賞を取るかどうか、ということ。
 昨年の菊六は入門年次でもっとも若かったが、四年連続本選出場という実力を発揮して栄冠を獲得した。まったく異存のない結果だった。
2009年11月23日のブログ
 菊六は平成14(2002)年の入門なので、一之輔の一年後輩だが、先に大賞を受賞した。だから、今年の出場者の中で入門年次がもっとも若いことは一之輔のハンディにはならないはず。同じ落語協会からの出場者はいないので、立川流二人と上方二人との戦いということ。予選に誰が出たのか知らないが、落語協会と落語芸術協会の二ツ目代表と言ってもよいだけの人気と実力を有していると思うので、個人的にはぜひ大賞を取って欲しい。予選の演目は分からないが、時間と彼の持ちネタから想像すると『短命』あたりかなぁ。どう刈り込んでも、とても『五人廻し』や『らくだ』をかける時間はないだろう。『抜け雀』もあるか・・・・・・。まぁ、それは当日の楽しみということにしよう。

 そして、大賞を受賞してもしなくても、小三治新体制になった落語協会には、一之輔を来年真打に昇進させて欲しい。もう十分に真打の実力と人気があるし、個人的にはチケットが取りにくくなり困ったものだが、独演会での動員力はたいしたものである。

 もし一之輔が昇進する場合、いわゆる“何人抜き”になるかを予想してみる。
彼より入門年次と二ツ目昇進の両方で先輩の二つ目は、次のような名が並ぶ。
(落語協会HPより。名前の五十音順)
-------------------------------------------------------------
三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
三升家う勝:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家右太楼:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
金原亭馬吉:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
金原亭馬治:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬之進:平成12(2000)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
桂才紫:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家さん弥:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
柳家初花:平成12(2000)年入門、平成16(2004)年二ツ目。
古今亭志ん公:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
入船亭遊一:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
柳家麟太郎:平成11(1999)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
-------------------------------------------------------------
 同期は別として、同じ二ツ目の一之輔の先輩は、この二十一名。

 ちなみに、今秋の真打昇進者五名は、平成8(1996)年と平成9(1997)年の入門で、二ツ目昇進は全員が平成12(2000)年。入門年次と二ツ目昇進の時期を考えると、従来通りの年功序列なら次の方々は、よほどのことがない限り、来春の昇進当確者。
金原亭小駒:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
川柳つくし:平成9(1997)年入門、平成12(2000)年二ツ目。
三遊亭天どん:平成9(1997)年入門、平成13(2001)年二ツ目。
三遊亭金兵衛:平成10(1998)年入門、平成13(2001)年二ツ目。

そして、春のもう一人と秋は、平成14(2002)年の二ツ目昇進者も対象となり、次のような名前が並ぶ。
三遊亭亜郎:平成9(1997)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家喬四郎:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
柳家小権太:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。
鈴々舎風車:平成11(1999)年入門、平成14(2002)年二ツ目。

この八名の次に入門が古く悩ましいのは、入門が平成10(1998)年で二ツ目昇進が平成15(2003)年のこの二人。
古今亭朝太:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。
三遊亭司:平成10(1998)年入門、平成15(2003)年二ツ目。

もし、この十人が来年の春と秋に真打に昇進すると、綺麗な従来通りのエスカレーターである。

さて、それでいいのか!?

 非常に身勝手な案を出す。

 春の昇進は小駒、つくし、天どん、金兵衛、そして亜郎の五名として、秋は年功基準を取りはずして、あえて思い切った実力主義で昇進者を決めて欲しい。競馬の天皇賞だって春と秋のレースは場所も距離も違うじゃないか。
*ちょっと無理があるか・・・・・・。

 たとえば、秋の昇進の基準は、「NHK 新人演芸大賞」本選出場の実績や大賞受賞、その他の賞の受賞歴、寄席席亭の評価などを加味し、決めるというもの。
もし一之輔が昇進したら、上述した春の昇進者五名以外の先輩十六人抜きである。
ただし、菊六が昇進した場合はあと六人ほど多い先輩を抜くことになるので二十二人抜き。過去にはそれ以上の例がある。実績、実力を考慮したら、まったく問題ないと私は思うが、一之輔が来年昇進するなら菊六は再来年でも結構。*少しは譲歩もしないと(!?)

 落語協会は、来年の昇進者の名をまだ発表していない。大幅な改革を水面下で検討しているのではないか、と内心期待しているのだが、まったく勘違いかもしれない。
志ん五師匠の四十九日過ぎに、新たな常任理事を含む役員の任命などがあってから、いろいろと動き出すのだろうとも思うが、ぜひ実力とやる気のある若手噺家に夢を持たせるような昇進者の選抜があることを望んでいる。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-10-13 17:38 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
今日9月19日の朝日新聞の「天声人語」で、明日が命日である(初代)林家三平のことを書いていた。噺家のことを題材にしてもらえたことは落語愛好家としてはうれしくもあるのだが、その内容にもう一つ納得できず、書くことにした。部分的に引用するが、全文はasahi.comでご確認のほどを。朝日新聞 9月19日付「天声人語」

 “マクラ”はこうだ。

ある時代、「型破り」はほめ言葉だった。逆に、無難を旨とし、勢いと遊びを欠いたデジタルの世からは、破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる▼若い頃の古典落語はとっちらかり、噺がまとまらない。ところが、生来の明るさゆえにそれがまた受けた。大御所たちの渋面をよそに、客席での人気はテレビの登場で全国区になる▼世相小話をつないで、歌あり客いじりありの異形の高座。



 “揚げ足”をとるような言い方になるが、かの「天声人語」なのであえて書く。
 この文章では誤解を招く。三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けた、ということはないはず。あくまで“異形”と筆者が評する芸が受けたのだ。人気が出てから唯一ともいえる古典(らしき)ネタ『源平』は別にして、若い時の三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けたという話は聞いたことがない。
 東宝名人会の専属であった七代目林家正蔵という偉大な父を持ち、強いプレッシャーや周囲の目があったはずだ。当時は、“親の七光り”でなんとかなる時代ではない。若い時に古典では芽が出ずもがき苦しんだ結果として、テレビという新たなメディアを意識したあの「異形」の三平の芸が生まれたはずだ。もちろん、はかま満緒たちブレーンの存在も大きかっただろうが、三平が経験したであろう過酷な修練の日々は想像できる。

 そして、文章の真ん中あたりに次のエピソードが紹介されている。

時事ネタを求めて7紙を購読していたそうだ▼出番前、共演者と談笑していても父親の手は冷たく汗ばんでいたと、次男の二代三平(39)が『父の背中』(青志社)に書いている。はぐれぬよう楽屋でずっと手を握っていた者だけが知る緊張だ。指先から血の気を奪ったのは「爆笑の使命」の重さだろう


 出番前には三平でなくても緊張はする。あの志ん朝師匠が、出番前に必ず手に「人」と指で書いて飲み込む御まじないしていた、という逸話だってある。「爆笑の使命」の重さを象徴するエピソードなら、別にあの次男の本などから引用する必要もなく、いくらでもあるはず。
 そして、サゲがこうだ。

型にとらわれず、目の前の客を笑わせたい。初代三平の誠心誠意は、皆が明日の幸せを素朴に信じた時代に呼応する。爆笑王への郷愁、詰まるところ右肩上がりへの憧れらしい。懐かしむつもりが、ついつい無い物ねだりになった。


 このサゲがもっともがっかりする。三平を題材にして、サゲがこれ?
 筆者は「三平に郷愁を感じる。そして、三平が活躍していた頃の右肩上がりの日本にも思いは募る。ついつい、三平への郷愁で今の日本の無い物ねだりをすることになってしまった」、ということを言いたいわけか?
 竜頭蛇尾というか、一貫性に欠け、なんとも味わいの不足した文章と言わざるを得ない。「昭和の爆笑王」の命日、ということで書き始めたはずなのに、最後がコレ?
 テレビというメディアに相応しい芸を生み出したから三平は時代の寵児になったのだから、例えば、“ネタ見せ”お笑いテレビ番組の終了を引き合いにして、サゲにすることもできたように思う。私ならそうするなぁ。例えば、「三平はテレビというメディアに相応しい芸を開拓した革命児ともいえるだろう。昨今相次ぐテレビの“ネタ見せ”お笑い番組の終了を思うと、取替えの可能なタレント達と唯一無二の芸人との大きな違いを考えざるを得ない」とかね。でもこんなこと書いたら、同じ系列のテレビの人間と喧嘩になるか・・・・・・。

 三平の最大の貢献は、テレビ的な演芸を生み出したことで人気者になり、結果として寄席にも大勢の客を集めたこと、と多くの方が指摘している。当時二ツ目で主任を務めたのは三平と円歌の二人だけのはず。三平が出る日の寄席に主演した噺家の“ワリ”は間違いなく多く生活の足しにもなっただろうし、何より三平をきっかけにして寄席に通い始めた客も多いだろう。

 テレビというメディアの存在は彼の人気爆発への必要条件ではあるが、「右肩上がり」の景気が三平人気の必要条件であったわけではなかろう。筆者がそういう連想をしたとしても、「天声人語」って、そんな個人的な感慨だけで書いていいの?そもそも、この筆者は落語やその歴史をどれだけ知っているのだろうか。

 ・言葉足らずのマクラ
 ・引用するエピソードの不適切さ
 ・サゲの唐突さ、話の一貫性のなさ、味わいのなさ
 天声人語って、いつからこんなレベルになったのだろう、と購読者として余計な心配をしてしまった。

 一時大学試験に頻繁に出題されるということで受験生の家庭で朝日新聞の購読が多かった、という時代があった。あるいは、未だに試験に出るのかもしれない。このような内容ばかり書いていると、数年後にこの筆者は、“大学受験のために『天声人語』を読みなさい、と高校の国語の先生が言っていた時代”への郷愁を感じるかもしれない。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-09-19 18:04 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
e0337777_11123350.jpg

写真はNHKのホームページにある、“夏の「戦争と平和」関連番組”の同番組紹介ページからの借用。
NHKのHP内 “夏の「戦争と平和」関連番組”
この時期に戦争にまつわる番組が多くなるのは、それはそれで悪くないとは思うが、毎年似たような番組ばかりで閉口することもある。
しかし、8月11日のNHK(総合)のこの番組は、寄席・演芸の“お笑い”の切り口から、あの愚かな、そして二度と繰り返してはいけない戦争をテーマにした好企画だった。
この番組を見ながら、「わらわし隊」を含め、戦中・戦後のことを落語を中心に芸能分野から振り返った名著、小島貞二さんの『こんな落語家(はなしか)がいた-戦中・戦後の演芸視-』(うなぎ書房)を思い出した。
小島貞二 『こんな落語家(はなしか)がいた-戦中・戦後の演芸視-』
この本は2003年8月発行だが、6月に84歳で亡くなった小島さんの遺著となった。まさに「語り残したい」という思いの溢れた本である。番組と関連する部分を引用したい。

 戦時中、日本軍は“皇軍”と呼ばれた。
外地にいるその皇軍のため内地から駆り出された「演芸慰問団」の数は大変なものだった。芸能人と呼ばれる人で行かなかった人はいないといわれたほどに、みんな出かけている。
 因みに昭和十三年四月から十六年八月にかけて外地に行った慰問団の資料がある。
 陸軍恤兵部派遣が満州に21団、166人、970日。北支に38団、435人、1594日。中支に43団、382人、2182日。南支に20団、197人、1160日。計122団、1180人、のべ5906日。
 このほか各府県派遣が満州に45団、405人、2525日。北支に72団、647人、3026日、中支に66団、609人、2831日。南支に54団、422人、2010日。計237団、2083人、のべ10392日。
 おどろくべき数字といえる。


 あの戦争が日中戦争からの一連のものであり、慰問団もそういった時期に合わせて行動していることがわかる。しかし、「おどろくべき数字」という表現を超える、なんともすごい数の慰問があったものだ。
 さて、この本から“わらわし隊”のことも少し引用。

 昭和十三年に朝日新聞と吉本がタイアップして「わらわし隊」という慰問団を結成した。当時、陸軍の飛行隊は「陸の荒鷲隊」、海軍は「海の荒鷲隊」と呼ばれ、時代の花形であった。それを「笑鷲隊」とモジったネーミングで洒落ていた。命名は吉本の長沖一(漫才作家)と伝わる。


 NHKの番組では、この慰問団のこと、そして慰問団「わらわし隊」のスーパースターであったミス・ワカナのことを、生き残られた数少ない当時の兵士の方々への取材で振り返るとともに、芸能人からは、今年で83歳になる喜味こいしさん、そして共に今年90歳になる森光子さん、玉川スミさんが当時の回想を貴重な映像として残してくれた。
 喜味こいしさんは当時を振り返り、有無を言わせず慰問団に順番に派遣されていく先輩達の顔を見ると、「これが最後か・・・・・・」という万感の思いだった、と語る。
 玉川スミさんが、いまだに艶やかな舞台を勤めた後で、たぶん滅多に口にされないはずの、残酷な戦争という名の殺人シーンを回顧された言葉は、胸に重く突き刺さる。
 そして、ミス・ワカナに可愛がってもらい、舞台『おもろい女』でワカナを演じた森光子さん。正直な感想として、この番組を見ながら、「森さんの遺言か・・・・・・」という思いが募った。彼女が語る戦争体験とワカナへの思慕、結果として伝わる強烈な反戦の主張。演技ではない、人間“森光子”として語り残したいことを振り絞っている、という印象を強く受けた。

 ミス・ワカナは、番組でも紹介されていたが「ヒロポン中毒」で若くして世を去っている。再び、小島貞二さんの本から引用。

 「ヒロポン」というのも、戦中戦後の芸能界をゆさぶった。
 上方漫才の生き字引だった吉田留三郎さん(演芸評論家)にきいたところによると、初見は昭和十六、十七年ごろ。所は松島の八千代座。初代のミス・ワカナ(玉松一郎とコンビ)が、強行軍の巡業を終えて、グロッキーの状態で楽屋入りしたものの、とても高座はつとまりそうもない。支配人は医者よ薬よと大あわて。
 と、そこへ現れたのが陸軍の軍医大尉。ちょうど休暇の帰省中で、支配人の顔見知りだったらしい。一発ブスっと射ったところ、ワカナは生気はつらつ、体の疲れも頭のモヤモヤも吹っ飛んで、元気に高座をつとめた。
「この薬は眠気さましにもきくが、一刻を争う戦争に対し、一時的にエネルギーを集中出来る」という軍医の説明をきき、「兵隊の薬」は大したもんだと、吉田さんは驚いたという。どうやらこれが芸能界における「ヒロポン事始め」らしい。
 結局、ワカナは戦後間もなくの昭和二十一年十月十四日、三十六歳の若さで亡くなったがはっきりとヒロポン中毒であった。天才といえる稀有の才能の持ち主だっただけに惜しまれた。


 ワカナも、数多くの悲惨な現場を見たことだろう。たしかにヒロポンは、当時超売れっ子の彼女が激増する仕事をこなすための「魔法の薬」だったかもしれない。しかし、中毒になった場合の危険性を、ワカナがまったく知らなかったとは思えない。邪推であるが、私には、ワカナはヒロポンを服用することによる自殺であったのではないだろうか、と思うのだ。なぜなら、彼女が戦地で笑わせてきた兵士の多くが、ワカナの漫才で最後に腹を抱えて笑ったことを思い出として、死の戦場に戻って行ったのである。

 小島貞二さんも森光子さんや玉川スミさんとほぼ同年齢だったが、小島さん自身は終戦(敗戦)を南方の島で迎えている。思い出とともに、芸能に携わった一人としての反戦への思いをこの本に残したかったに違いない。

 森光子さん、玉川スミさん、そして喜味こいしさんには、まだまだあの戦争のことを語り残していただきたい。「敗戦」を「終戦」に言い換える誤魔化しに加え、時の流れは確実に「この前の戦争」を風化させていくのだから。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-08-11 20:15 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
今日の昼食は、会社の近くのショッピング・ビルにあるトンカツ屋さん。
チェーン展開している大手企業と言えるのだろう。たまに食べたくなるんだなぁ、トンカツって。
週に一回は行っていると思う。だから、従業員の皆さんは、きっと私の顔を知っている、はず。
頼んだセットが来て、ここからがいつもストレスがたまる。
「御飯、味噌汁、キャベツのお替りはサービス、ソースはこの皿をお使いください、ドレッシングは・・・・・・」と一連のマニュアル通りの内容を言い始めたので、「御飯、味噌汁」あたりで口をはさんで遮った。
「仕組みは知っていますので!」一瞬、険悪なムードが漂う。
当の店員さん、間違いなく私が一見の客ではないことは知っている。
しかし、「規則だから」「マニュアルにあるから」と、責務を果たすために定番の口上をするのであろうことも、百も承知、二百も合点。ご本人に非はない。このお店、当たり前だが日本のチェーン店である。

ハンバーガー屋の小咄でこんなのがある。
お客「コーヒー10杯とチーズバーガー10個、お願い」
店員「店内でお召し上がりですか、お持ち帰りですか」

あのなぁ、一人で食べるか、そんなに!
きっと会社の仲間から頼まれて買出しにでもに来たんだろう。

外資系外食チェーンで、十代のアルバイトだったらマニュアル通りでもしょうがないとも思えるが、日本のトンカツ屋さんの店員さん(パートさんだろうなぁ)は、酸いも甘いも知り尽くしていようと思われる(?)年齢の日本女性。
もっと臨機応変な対応ができないものか、あるいは店長やチェーン店の経営者がそういった配慮や指導をすべきではなかろうか。

海外にだって有名な「ノードストローム」というデパートがあるではないか。
シアトルに本部があり、「ノー」と言わない店、社員個人に大きな裁量を与える店として、数多くの伝説を残している経営的にも優良企業だ。

伝説-その1-
お客がセール商品を気に入ったのだが、合うサイズが在庫になかったため、従業員がライバル店で買ってきてそのお客にセール価格で販売した。

伝説-その2-
航空券を店に忘れたお客がいたので、従業員がタクシーで空港まで行ってそのお客を見つけ忘れ物の航空券を渡した。

伝説-その3-
アラスカのノードストロームでは扱ってない商品である「タイヤ」を、買った店を勘違いして返品しに来たお客に、レシートもないのに、その場で返金に応じた。

その3は、ちょっと首を傾げざるを得ない内容だが、いずれにしても「マニュアル」で行動を規定されたお店ではあり得ないサービスである。こういう店は、客が離れない。だから、経営内容も良い、という好循環になるわけだ。いわゆる「フォーチュン500」に入る企業。

こういう店がアメリカにだってあるのに、和食チェーンでは外資系ハンバーガー屋と基本的には同様の思考で、従業員の「顔」の見えないサービスをさせている。

日本の外食チェーン店経営者の苦労も分からないではない。マニュアルという便利な道具があれば、パートさんの力量によるサービスの差は出にくいだろう。しかし、外国人のパートではないのだから、もっと「日本」「和」「美」「個」「ソフト」あるいは「やさしさ」といったキーワードでサービスを考えて欲しいものだ。もちろん、従業員を一人前に扱った上での指導も含めて。
「日本的」という言葉は、海外では「クール」なもの、いかしたもの、という認識をされているのに、日本のサービス業はまったく「クール」じゃないわけだ。

今日は、結構待たされていて急いで食べなければならない状況でもあったので、ついつい大人気ない態度をしてしまったことは反省。しかし、いつも感じていたんだよ、紋きり型のサービスは客の心に届かないよって!
バスの運転手の、「バスの中では携帯電話の電源はお切りください」という虚しいアナウンスや、電車の車内放送で、「優先席近くでは携帯電話の電源をお切りください」と言っている時、その優先席に五体満足な若者が座って携帯で通話してたり、ゲームをしている不思議。
「こんなことをしている国のどこがクールなんだ、頭にクール」、というなんとも情けない地口でサゲ。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-06-03 16:38 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
素人芸能人で落語を演じる人が出演する落語会について、率直な気持を書く。
 俳優の風間杜夫や月亭方正(山崎邦正)が出演する“有料”の落語会がある。共演者の“プロ”の落語家の名前で検索しスケジュールも都合がよくて一瞬チケット購入への食指が動くが、その横に彼ら素人芸能人落語家の名前が並んでいるので、「げっ!」となり断念する。
 WOWOWで三三や遊雀といった落語家がお笑い芸能人に落語の稽古をつける企画があったが、これは稽古のプロセスが中心の番組なので、楽しめないこともない。
 しかし、上述したお二人は、落語会への出演である。たしかに、風間杜夫は器用だし、『火焔太鼓』は“素人ばなれ”しているとは思う。しかし、“玄人”ではない。山崎邦正という人は、おおかたのイメージと違って頭も良く多彩な人のようだし、聞いたことはないが落語も素人としては上手いのだろう。でも、あくまで素人の余興なのだ。
 私はこういった会に行こうと思わない。そして、共演する好みの落語家には、素人と付き合うそんな閑があったらまともな落語会や独演会にその貴重な時間を使って欲しいと思う。共演者には結構多忙な顔ぶれが並んでいるのだ。

 「落語がそれだけ普及した証拠だから、いいじゃないか?」「彼らの落語を楽しみたいという客だっているだろう」という声もあろう。
 しかし、落語ファンの大半は、当たり前だがプロの芸を楽しみたいのだ。素人が落語を披露するなら、仲間内で無料か、もし有料の会場を借りて演じるならその費用支援のカンパ程度でお願いしたい。
 「落語映画だって落語素人の俳優さんが出演しているじゃないか」と指摘する人もいるかもしれないが、映画は落語会ではない。俳優は落語家のみならず、いろんな人物になりきって演じるのはあたりまえのことである。
 「落語は一人芸だからいいじゃないか」という抗議もあるだろう。違うのだ。独演会ではなく落語会となって複数の出演者が登場するイベントは、プログラムそのものが素人出演者を意識した構成にならざるを得ない。だから、プロだけの落語会とは自ずと違った“空気”、ちがった“演出”になるし、座談会などが組まれれば間違いなく素人さんが中心になる。
 
 私自身が気のあった仲間と行く旅行で、夕食後の余興に下手な落語を酒の勢いで演じるので、よく分かる。仲間うちだからいいんだよ。とてもとてもプロの落語の世界は奥が深い。あまり“図に乗る”のは野暮ってもんでさぁ。素人芝居だって、全員素人だったら結構。落語も全員素人の会なら、それはそれで楽しめる。先日、岐阜で2月に行われた“落語のインカレ”とでもいうべき安楽庵策伝大賞をBSで見たが、なかなか面白かった。しかし、彼ら彼女たちが精一杯奮闘する姿にスポーツにも似た見どころがあるのであって、今後プロの道に入って大成しそうな素材は何人かいるにしても、芸はやはり“おちけん”のそれなのである。

 素人芸能人落語家の方々、プロと一緒に落語を演じるその「勇気」は認めましょう。しかし、度が過ぎた「稚気」を私は認めない。どうぞ、仲間内で酒の肴におやんなさい。
[PR]
by kogotokoubei | 2010-03-30 11:59 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
堀井憲一郎さんの『落語論』で、噺家さんの“声”に関する考察があったのを、昨日や今朝の通勤のバスの中や、今日昼食のために出かけたとんかつ屋さんで思い出した。二日間で、違った年齢層の「ボリューム故障症候群」(Volume Failure Syndrome、略してVFSと名付ける)の方に出会ってしまった。要するに、周囲の状況や語っている相手の距離などに無関係に、むやみに声が大きい病のこと。どうも、世の中にはご自分の声の「ボリューム」が壊れている人がいるらしい。

(1)やや高齢者の女性
 まず、昨日の帰宅のため最寄駅に向かうバスの中。途中のバス停から乗った、60歳台後半と思しき女性二名。ご近所のお知り合いが、たまたまバス停で一緒になったらしい。このお二人、同じ健康食品関係の会に参加しているようで、共通の知り合いの話題になった。それが、どちらかと言うと“悪口”である。お二人のうちのうち一人、仮にAさんとする、が「VFS」である。知り合いの方の実名を堂々と公表しながら「○○さんはズルイ」などと、バスの乗客全員が聞こえる大きな声で、終点までしゃべりまくっていた。もう一人の御婆さん、Bさんとする、はごく普通の声の大きさで、かつノーマルなマナー感覚をお持ちのようなので、Aさんがしゃべり出すたびにBさんは、少し周囲を気にするそぶりを見せる。しかし、注意をするわけではない。Bさんのその時の心境は「早く終点について、Aさんから逃げたい!」ということだったと察する。もしバスの中に「○○さん」の親戚や近所の方が乗っていたら、どう思っただろうか。ともかく、Aさんの「独演会」には、バス中が閉口した。

(2)女子高校生
 今朝会社へ向かうバスでの話。会社に行く途中に、この周辺では進学校として一応名前の通った公立高校がある。夏休みのクラブ活動に行くらしい女子高校生が三人、駅で待ち合わせでもしたのであろう、バスに乗った。この三人のうちの一人が「VFS」だった。好きな同級生の男の子の話題あたりは、まあそう害のないネタでもあったが、家族の秘密めいたエピソードというか、いわば身内の恥までを、ほとんどのバスの乗客が、いやでも知ることになった。女子高校生には、この患者が実は多い。理由はわからない。

(3)子供
 今日の昼休みは、買い物(と言っても、100円ショップだが)する都合もあり会社の近くのショッピングセンターの中にある、とある“とんかつ屋”に行った、いわゆるチェーン店である。蜆の味噌汁のお替りができる。これ以上は明かさない。父親も夏休みをとったのだろう、両親と小学校低学年と思しき女の子、そして4~5歳と察する男の子の四人家族が、私が坐ったテーブルの隣に来た。私が店に入ったのが12:15位。この家族が来たのは12:30位。私はすでに定食を出されており食べ始めていた。さて、この家族の女の子が若いVFS患者である。目の前に母親がいるのに、とんでもない大きな声で、どんな些細なことでも「お母さ~ん!」と叫ぶような声を出す。相手は目の前だよ。顔と顔の間隔50センチという状況で、周囲の客の全員が振り向きかねない声を出す。やや、グズッテいたこともあるが、まるで志ん生の『風呂敷』でのギャグ、「船見送るような声を出すんじゃないよ!」なのだ。しかし、父親はビールを飲みだして少しいい気分、母親もまったく注意などしない。

聞こえるか聞こえないかという小さな声の人も困るが、周囲への迷惑度合いでいけば、間違いなく「VFS」の人たちのほうが厄介だ。落語会や寄席で、周囲と遊離した“間”と大きな声で笑うお客さんがたまにいるが、まだその人たちは、同じ場と空間を共有する落語好きの同好の士として、なんとか我慢できないことはない。しかし、まったく見ず知らずなのに、他人の実名入り悪口の独演会をする御婆さん、自分の家族の恥を堂々を曝す女子高生、顔を見合わせていながら“船を見送る”小学生には困ったものだ。あ!全員、女性だ。「VFS」は、女性だけの病ではないと思うが、昨日と今日はこの病の男性には出会わなかったなぁ。しかし、女性に多いような気もする・・・・・・。待て待て、「口は災いの元」!「VFS」ウォッチャーになりたくはないのだが、この件、今後男性を見かけたら報告します。

さて、この病はどうすれば治るのかというと、ともかく自分が「病気」だと気づくことが先だと思う。しかし、自覚していないからこうなっているのだから、他人が注意しないと分からないかもしれない。とは言っても、家族、学校の先生、クラブ活動の仲間も注意しにくいのだろうなぁ。周囲の人間も「VFS」として認識していないかもしれないし。また、小言幸兵衛が嫌われ者になって注意する日が近いうちに来るのだろう、とイヤ~な気分でのエンディングになっってしまった。でも、ホント迷惑なんだよ、あなた達!
[PR]
by kogotokoubei | 2009-07-31 17:48 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
7月10日は、六代目尾上菊五郎の祥月命日だった。明治18(1885)年8月26日生まれ、 昭和24(1949)年の7月10日に亡くなった。大正から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者であり、屋号はもちろん、音羽屋。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指すらしい。初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉(きくきち)時代」の全盛期を築いた人。ちなみに、初代中村吉右衛門は明治19(1886)年3月24日生まれで六代目より一つ年下、亡くなったのは昭和29(1954)年9月5日である。屋号は播磨屋だが、「大播磨」の掛け声で知られたらしい。

古今亭志ん生(五代目、明治23年生まれ)は、この二人に贔屓にされており、酒席などにも数多く誘われていたようだ。『なめくじ艦隊』(ちくま文庫)によると次のような記述がある。少し長いが六代目との初対面の思い出が書かれた、なかなか心温まる話なので引用する。
古今亭志ん生_なめくじ艦隊
--------------------------------------------------------------------------
 音羽屋(六代目菊五郎)とも、あたしはしたしくしていました。あるときあたしに
一席きかしてくれというんです。はじめあたしは、音羽屋という人は傲慢で、ぶっ
きらぼうで何だかつきあいにくい人だときいていたから、行くのがあんまり気が
すすまなかった。
 とにかく、あたしだって、音羽屋になにかしてもらわねば食っていけないという
訳じゃない。もしも気にくわんことがあったら、サッサと帰ってきちゃおうとハラを
きめて、築地のやしきへ出かけていったんです。
 するとそこに、さきごろ亡くなった三升がいて、音羽屋を火鉢をかこんで何か
話をしている。あたしがその部屋へスーッと入っていくてえと、
 「いくつになったい?」
 音羽屋はぶっつけにこう言った。その調子ったらないんです。たいていの人
だったら、おたがいに一礼して、それから初対面のあいさつをして、年配だから
「あなたはいくつになられました」とくるのが常識でしょう。それなのに座敷に入っ
て行ってあたしが、坐るかすわらないうちにこうきくんですよ。文字にしてしまっ
たんじゃわかんないでしょうけれど、その発音間合がとてもうまくて、なんとも
いえぬ親しみがある。で、あたしがそれに答えると、
 「そうかい。いつのまにかお互いに年をとったね、ハハハハ・・・・・・」
 といった調子なんです。あたしはそれがスッカリ気にいっちまいましてね。
そのぶっきらぼうなことばの中にこもっているあたたかい親しみぶかい気持が、
あたしの心をスーッとほぐしてくれたんです。あたしはうれしくなりましてね。
 「おらァ、なんだよ、おめえの師匠とは、すいぶんいろんなことがあったよ」
 といった話っぷり、まるで肩をたたいて話しあっているようで、まったく十年も
つきあった友達に出くわしたような気持になったんですよ。
--------------------------------------------------------------------------

話し言葉そのままのような楽しい文章を読んでいると、まるで二人が旧知の仲のように軽口をたたいているその初対面の光景が現れてくるようだ。

さて、六代目で思い出すのは、「菊吉爺(きくきち じじい)」という言葉である。その前の時代なら「團菊爺(だんぎく じじい)」である。
歌舞伎好きの中で用いられる俗語が一般化した言葉である。九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎が最高の歌舞伎役者であって、他の若い役者を認めない頑固爺が「團菊爺」であり、その対象が六代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門になると「菊吉爺」となる。
“菊吉爺”は言う。
 「六代目に比べりゃあ、今の役者なんて・・・」
 「初代吉右衛門を知らないって、それじゃあ話にならん」

自分が同時代でその至芸を経験した名人・達人を、ノスタルジーもあるのだろう、過大に賛美するあまり、ついつい若者に憎まれ口をたたく爺(あるいは婆!?)は、間違いなく後輩世代から煙たがれる。しかし、この「爺」たちはどんな世界にでもいた。もちろん、落語の世界でもである。
たとえば、小島貞二さんが「四代目橘家圓喬爺」だったのは有名。先日取り上げた『祇園会』も、圓喬が最高だった、と小島さんは書いている。志ん生や文楽なら小島さんの噺を聞いても実際に圓喬の芸に接し尊敬していたから納得できたのだろうが、圓喬の生の落語に接することができなかったそれより若い世代は、小島さんの話を聞いて、さぞやストレスがたまっただろうと思う。

しかし、「菊吉爺」達は、ある意味で伝統芸能の歴史に関する「口承者」であると思うし、その芸の詳細に渡って語ることができる場合は、「口伝」の役割さえ担っているように思うのだ。
もちろん、今や昭和や平成の名人上手の芸はCDやDVDで再現することはできる。しかし、ある特定の「一期一会」に居合わせた人にしか語れないことは間違いなくある。特に、「落語の神」が舞い降りたと思われるような至芸の場に出会った場合など、その時の「背筋がぞっとする」感覚などは、同じ時間と空間を共有した者しか語れないことである。

もう数年すると、「談志爺」とか「志ん朝爺」、あるいは「談朝爺(?)」が登場するのだろう。
私は残念ながら全盛期の二人の“生の芸”にほとんど接していない。もっぱらCDの音源を楽しむばかりなので、「志ん朝爺」と言う資格はない。もし15年後、20年後になれるとしたら、「さん喬爺」とか「鯉昇爺」かな・・・・・・。そして、このブログを見ている私より若い落語ファンの方々も、これから先には次のように後輩の落語愛好家から言われるだろうか。「談春爺」「喬太郎爺」・・・・・・。
「xxx爺」のxxxに入るだけの名前になったら、それは凄いことなのである。もしこの先、いろんな「xxx爺」が存在感を持つことができたら、それは今が落語ファンにとって素晴らしい時期にある、ということなのだろう。間違いなく落語家の人数は昔に比べ格段に多い。好きな噺家のバリエーションが増えるということは、きっと良いことに違いない。

でも、よく考えたら、いくら「xxx爺」のxxxが増えようと、自分より若い人達に嫌われるのを承知で「xxx爺」になる人そのものが少なくなるだろう。煙たがられるのが嫌で小言を言う人が少なくなるのと同じ理屈である。せっかく後輩達に自慢できるだけの、自分が同時代で経験した贔屓のエンターティナーの思い出があるのに、それを嫌がられてでも語ろうとする「爺」は少なくなるのは、世の中にとって寂しいこと、もったいないことだと思う。

昔は、日本全国、家の近所には“恐い”おじさん、おばさんが必ずいて、他人の子であっても、マナーやルールを守れない子供を叱ったものだ。だからこそ、「これはやっちゃいけないことなんだ」と、身をもって学ぶことができた。小刀やナイフで鉛筆を削り、刃を滑らせて怪我をするからこそ、刃物による人の痛みが分かる、のと同じ道理であろう。
昨今は市町村合併やら道路拡張やらで、伝統的な地名は消え去るばかりだし、地域の共同体としてのつながりは、ますます希薄になっている。こういうことがボディブローとなって、他人の迷惑を省みない子供と親が充満する世の中になるのではなかろうか。モンスターペアレントなんていうのは、この悪い風潮の最悪な事例だと思う。私が小学校、中学校時代、先生に叱られ殴られて帰ると、親は先生にお礼を言いこそすれ抗議するなど考えられなかった。もちろん、先生の能力も権威も、そして品格も昔とはまるで違うのではあるが・・・・・・。

話はちょっと脱線気味になってきたが、「團菊爺」や「菊吉爺」といった言葉も死語になりそうな趨勢が、誠に寂しいじゃないですか。いいじゃないの、自分より若い人に嫌われても。どんどん「xxx爺」になりましょう、とあえて言いたい。子供の頃、近所や銭湯などで叱られた恐いおじさん達のことって、結構覚えていて、「あ~、そういえばあのおじさんに、あんなこと教わったなぁ」なんて今になって思い出すのである。恐い人達って、それだけいろんなことも知っていたなぁ、とも思う。そんなことを思い出しながら、こんなブログでもそれなりにがんばって「小言」を書いていこう、と気持を新たにするのである。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-07-13 12:02 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

匿名性の功罪

このブログを見ていただいている人の中には、すでにお気づきの方もいらっしゃるのだろうが、私はAmazonで落語関係本中心にブックレビューを書いている。(ニックネームは幸兵衛ではない。)
今日、久しぶりに自分のレビューの状況を見て驚いた。たった4~5日で、ある自分のレビューの「参考にならない」という数が30ほど増えている。通常ではありえない数だ。ここまでカミングアウト(?)したのだから、そのレビューの対象も明らかにしよう。昨年発行間もない頃に読んだ立川談春の『赤めだか』である。通勤電車の中で読了し、ついつい涙が出たことを今でも思い出す。もちろん星5つで評価した。しかし、なぜ今になって、あえて「No」という意思表示を一日平均5~6件も受けたのか・・・・・・。これは普通ではない。高い評価の定まった本であり、ここ数カ月は、私のレビューへの投票は2~3週間に一つあるかどうかという状況だったのだから。そう思って最近書かれた他のレビューを見ていると、以前にはなかったネガティブなレビューが並んでいた。加えて、そのレビューへの支持が、短期間では考えられないレベルで多い。一週間で20も30も「参考になった」という投票があるのは、よほど話題性のある新刊の場合くらいである。非常に不思議だ。また、そのレビューを読むと、「この本は楽しめた。しかし・・・・・・」と、本そのもののことではなく、この本を高く評価することが過剰な「談春礼賛」だと短絡している。「本」は本であり、「高座」は高座、「人」は人である、という当り前のことが分からないレビューが、なぜそんなに支持されているのか?

あえて勘ぐるなら、何らかの「談春憎し」といった意図を持った人が『赤めだか』憎し的な動きにつながったのだろう。そして、ポジティブなレビューの中で「参考になった」という支持の多いものに、意図的にネガティブな評を入れているように察する。技術的にどんな手法を使っているか分からないが、私以外の高い評価のレビューにも同様の現象が見られるのだから、尋常ではないと思う。もちろん私は談春の身内ではないし、出版社の回し者でもない。良い本と思うから良いと言うのであって、それは本という作品への評価ではあるが、著者を「礼賛」するものではない。

しかし、私のレビューへの「賛成票」とともに「反対票」の数の多さは、これから初めて読もうとする人への影響もあるだろう。また、何らかの作為的な、あるいは不自然な動きに自分のレビューが曝されるのは許せない。自分のレビューを本日削除した。
もちろん『赤めだか』が素晴らしい本であるという思いは今でも変わらない。

なぜ、一年も前のブックレレビューに、いきなり「No」「No」「No」という意思表示をされなくてはならないのか・・・・・・。匿名であることは、メリットもたくさんある。匿名だからブックレビューも書きやすいし、このブログも書いていると言える。しかし、今日は匿名であることの、特にネットでの危険性を、身にしみて感じた。よく「ブログ炎上」という表現があるが、これはたぶんに「便乗派」の付和雷同がもたらしているのだと思う。“みんなで渡れば怖くない”というギャグは笑えるかもしれないが、特定のポジティブ、あるいはネガティブなキャンペーンをするのに「匿名性」は“みんなで渡りやすい”、格好の隠れ蓑ともなり、この現象は笑って見過ごせない恐さがある。「匿名」であることは、群がりすごいエネルギーで流れを突き動かすこともあるが、反面大きな危険性も持つ。2チャンネルも氏名を公表するのなら成立しない。身をもって匿名性の功罪を再認識したのだった。

しかし、これからも「良いものは良い」「悪いものは悪い」と、幸兵衛は書く。もし、何らかの作為的な意図でこういうことをする人がいるのなら、私はその人を心底かわいそうに思う。また、やたらネガティブなレビューばかり投稿している人にも、憐れみを感じる。私のレビューの基本姿勢は、ほんの一部の例外を除き、「ぜひこの本を他の人にも読んでもらいたい」というポジティブなお奨め本紹介である。お奨めできない本は、レビューを書かなければいいのだ。どうも、世の中には良い面を発見することがヘタで、悪い面ばかり見えてしまうかわいそうな人もいるようだ。小言は言うが、幸兵衛は“良いもの”がわかるつもりだから、その目指すレベルと現状とのギャップに小言を言っているのである。最後はちょっと偉そうだが、自分が受けたショックから立ち直るには、これ位は許していただこう。
[PR]
by kogotokoubei | 2009-07-01 23:50 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛