噺の話

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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 247 )


 メリル・ストリープのゴールデングローブ賞授賞式でのスピーチが話題になっている。
 
 いくつかのネット・メディアが、翻訳文を掲載している。

 「ハフィントンポスト」にもスピーチの全文が掲載されている。
「ハフィントンポスト」の該当記事

 訳文は「クーリエ・ジャポン」が良さそうなので、少し紹介したい。
「クーリエ・ジャポン」の該当記事

ここにいる皆さん、私たち全員はいま、米国社会のなかで最も中傷されている層に属しています。だって、ハリウッド、外国人、記者ですよ。

それにしても、私たちは何者なんでしょう。ハリウッドとはそもそも何なんでしょう。いろんなところから来た人たちの集まりでしかありません。

私はニュージャージーで生まれ育ち、公立学校で教育を受けました。ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナの小作人の小屋で生まれ、ロード・アイランドのセントラルフォールズで世に出ました。サラ・ポールソンはフロリダで生まれ、ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオで8人兄弟のなかで育ちました。

エイミー・アダムスはイタリアのヴィチェンツァ生まれです。ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。

この人たちの出生証明書はどこにあるんでしょう。

あの美しいルース・ネッガはエチオピアのアディス・アババで生まれ、ロンドンで育ち──あれ、アイルランドだったかしら──今回、ヴァージニアの片田舎の女の子役で受賞候補になっています。

ライアン・ゴズリングは、いい人たちばかりのカナダ人ですし、デヴ・パテルはケニアで生まれ、ロンドンで育ち、今回はタスマニア育ちのインド人を演じています。

そう、ハリウッドにはよそ者と外国人がうじゃうじゃしているんです。その人たちを追い出したら、あとは、アメフトと総合格闘技(マーシャルアーツ)くらいしか見るものはないですが、それは芸術(アーツ)ではありません。

こうした皆さんが私に3秒間くれたのは、次のことを言うためです。

役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。

しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。

それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。

我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。

特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。

その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。

このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。

軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。

さあ、やりたければやればいいでしょう。

さて、この話が記者につながります。私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが──。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。


 私は、ストリープの発言内容、そして彼女の勇気に拍手を送りたい。

 ロバート・デ・ニーロが、賞賛する手紙をストリープに送ったことがニュースになっている。
「朝日新聞デジタル」の該当記事
 朝日新聞デジタルから、引用されている米ピープル電子版の内容を紹介する。

デ・ニーロは手紙の中で、「君が言ったことは素晴らしい。君は、言われる必要があったことを見事に言ってのけた。世界が君の業績をたたえている時に、発言したことを非常に尊敬している。私も君とまったく同意見で、(トランプ氏の)くだらないたわごとや、弱い者いじめには本当にウンザリしている」と書いている。

 過去に2度、オスカーを受賞しているデ・ニーロと、3度にわたりオスカーを受賞しているストリープは、映画「ディア・ハンター」(1978年)や「恋に落ちて」(1984年)など、4本の作品で共演している。


 「ディア・ハンター」、懐かしいなぁ。

 印象に残っているのは、あのロシアン・ルーレットもそうだが、ラストシーンで、葬儀の後に仲間が集まって食事をしている場面だったりする。


 さて、ストリープのスピーチについて、ネットでは批判的な内容も飛び交っているようだ。

 それは、ハリウッドの“セレブ”たちへの妬みも背景にあるのだろう。

 たしかに、ストリープやデ・ニーロのレベルの俳優は、裕福な部類に入るだろう。
 日々の暮しに困ることもないだろうし、ましたや仕事を移民などに奪われる恐れもないだろう。

 しかし、重要なことは財布の中身ではなく、心の中身なのだと思う。

 いくら有名な俳優であろうと、次期大統領に対する反対意見を、大衆が注目する場で敢然と表明することは、大きな危険を伴う行為である。

 それでも、言わずにはいられない、そんな強い衝動と覚悟がストリープにはあったのだろう。

 さて、そこで日本だ。

 今まさに「共謀罪」を成立させようとする安倍政権に対し、俳優やタレント、あるいはメディアの従事者は、いったいどう発言、行動しようとしているのか・・・・・・。

 テロ対策、2020年オリンピック、国際的な条約批准、などという理由を元に、600を超える犯罪を対象にして、恣意的に拡大解釈して国民を逮捕できる法律をつくろうとしている。

 
 日本弁護士連合会(日弁連)のサイトから、共謀罪に関するパンフレットがダウンロードできる。
「日弁連」サイトの該当ページ

 一部をコピペでご紹介。
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 まさに、“警察国家”“監視社会”に向かう恐れがある。

 レッドパージ、東宝争議などの悪夢が繰り返されようとしているのではなかろうか。

 「言論の自由」「表現の自由」の危機である。

 昨年後半から年初にかけて、紅白(あかしろ)がどうしたとか、あの四人組が解散するとか、誰かが不倫したとか、あるバンドがしばらく休むなど、私にとってどうでもいいことでメディアは賑わっているが、その背後で着々と暗い時代への逆コースへの道を日本が辿ろうとしているという危機感を、どれほどの人が抱いているのだろうか。

 昨年、お上に批判的な人物が相次いでメディアから去って行った。
 それは、さまざまな政府からの圧力があったり、メディアの経営陣が「忖度」しての結果なのだろう。

 そして、NHKも、いわば民放化し、民放はますますバラエティ番組ばかりとなる。

 引用したメリル・ストリープのスピーチの最後に、「報道の自由」という言葉があり、「記者」の奮起を求めている。

 アメリカでさえ、次期大統領に反旗を翻すのが容易ではないことが察せられる。

 日本でもそうかもしれない。
 
 もし反政府的な発言をしたら、仕事を奪われる危険性もあるだろう。

 しかし、今、沈黙していていいのだろうか。

 メディアの関係者や、影響力のある俳優やタレントは、いつまで頭を下げて、自分に火の粉が飛んでこないように屈んでいるのだろうか・・・・・・。


 日本には、ストリープもデ・ニーロも、いないのか・・・・・・。

 成人の日に、大人ってなんだろう、という素朴な疑問を感じて記事を書いた。

 自分の意見を持つこと、そして然るべき時にはその思いを勇気を出して表明すること、その発言に責任を持つこと、なども大人としての重要な条件ではないか、と思う。

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by kogotokoubei | 2017-01-11 12:46 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

 1月15日ではなく、“ハッピーマンデー”とやらの悪法(?)で、今日が成人の日。

 ここ数年、成人式が荒れる、というニュースが目立つ。
 一日早く昨日式典を実施した会場でも、ひと騒動あったようだ。

 還暦を過ぎ、ずいぶん前になった自分の二十歳の成人の日を思い起こす。

 大学で運動部に所属していて、いわゆるオフは遠征費稼ぎにアルバイトに明け暮れた。
 京都という土地柄、修学旅行生や観光客のお客さんで忙しかった、三条のある旅館でのアルバイトが長かった。

 あの成人の日にも、その旅館でアルバイトをしていた。
 
 そういえば、先輩アルバイトでその後は社員になった方には、卒業後その旅館に来ないかと誘われたなぁ。

 数年前、その旅館は廃業したということを知り、なんとも寂しい思いがしたものだ。

 二十歳のころ、自分なりに「大人とは何か?」を模索し、山口瞳の本を読んで、ジッポーのライターを持ったりしたものだ。

 形から入る、というやつ^^

 社会人になり、いわば地方の勤務地で長く務めたが、良い先輩に恵まれたこともあり、大人、あるいは“男”のあり方を学ぶことができたように思う。

 その当時、先輩の薦めで読んだ本がある。
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池波正太郎著『男の作法』

 池波正太郎の『男の作法』だ。
 昭和59年、新潮文庫の初版発行。
 二十代最後の年で、ちょうど転職を考えていた頃だった。

 池波正太郎が編集者たちとの旅行で語り合ったことが元になっている本。
 外で何かを食べる時のことなどを中心に、本来、大人の男がとるべき“作法”が、並んでいる。
 初めて読んだ時、「これこそ、大人の男のバイブル!」と感動しながら読んだものだ。

 今思うと、その当時の私は、実に生意気な男で、酒の席でも、この本から得た“作法”を会社の同僚などに無理やり“伝授”したものだ。

 例えば、次のようなこと。

ちゃんとした鮨屋は“通”ぶる客を軽蔑する

  (よく鮨屋で、飯におことをシャリと言ったり、生姜のことをガリ
   と言ったりする客がいますが、やっぱりああいうほうが、「通」
   なんでしょうか・・・・・・)

 いや、客がそういうことばを使って通ぶるのを喜ぶような鮨屋だったら駄目だね。ちゃんとした鮨屋だったら、客がそんなことを言ったらかえって軽蔑されちゃう。
 だからね、鮨屋へ行ったときはシャリだなんて言わないで普通に「ゴハン」と言えばいいんですよ。トロぐらいは、いま、どこでもそう言うんでしょうから「中トロください」と言えばいいけれども、ぼくらの時分はトロのところなんかでも、
「少し脂のところを・・・・・・」
 と、こういうふうに言ったものだよ。
 飯のことをシャリとか、箸のことをオテモトとか、醤油のことをムラサキとか、あるいはお茶のことをアガリとか、そういうことを言われたら、昔の本当の鮨屋だったらいやな顔をしたものです。それは鮨屋仲間の隠語なんだからね。お客が使うことはない。
 普通に、
「お茶をください」
 と言えば、鮨屋のほうでちゃんとしてくれる。だけど、いま、みんなそういうことを言うね。鮨屋に限らず、万事にそういう知ったかぶりが多い。


 今思うと、良き先輩の教えや、こういう本に巡り会う前の二十代、鮨屋で平気で「アガリください」なんて言っていた自分が、なんとも恥ずかしい^^

 あらためて「大人ってなに?」と問うなら、そういう恥や失敗の数々を積み重ねた“子供”時代の体験を、少しでもその後の人生に生かすことができるのが大人、なのかなぁ。

 あとは、“常識”と“非常識”の区別ができる、ということも大人の条件かもしれない。

 成人の日の残念なニュースに接して思うのは、「大人とは」「男とは」ということを、行動や言葉で示してくれる“大人”が周囲に少なくなった、ということだ。

 子供の頃、親以外にも、近所には親身になってくれる大人や、悪さをすると叱ってくれる怖いおじさんやおばさんがいたものだ。

 では、自分はあの頃出会ったような“大人”になれているのだろうか。

 まだまだ子供から大人になる途中のままでいるように思う。

 知ったかぶりから始まって、それがしっかりと身につけば良いのだろうが、まだまだ“形”だけのような気がする。

 たぶん、それは一生変わらないのだろう。

 大人になる、男になる、というのは、永遠に続く課題かもしれない。

 どうも、しっくりこない、1月15日ではない成人の日、こんなことを考えていた。


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by kogotokoubei | 2017-01-09 11:33 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)
 ここ数年は、連れ合いの越後長岡の実家で年を越す。

 そこから近い金峯(きんぷ)神社、地元の方の愛称で蔵王様に昨日元旦の午後に出向いたのだが、今年は雪がなく足元が良いからなのだろう、いつにない人の出があって長い行列があったので、出直した。

 これが、本日2日の午前中の金峯神社の鳥居を望む、雪のない珍しい風景。

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 こちらの写真の左側にあるのは、「松代藩士の墓」の案内板。

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 五年前にこの案内板に初めて気づき、記事を書いた。
2012年1月3日のブログ

 案内板のアップ。
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 ちなみに、五年前、蔵王様の鳥居を望む写真が、これ。こっちが越後の正月なんだけどねぇ。
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 さて、案内板には、松代藩が、「東軍」(徳川幕府側)ではなく、「西軍」として戦ったと記されている。

 松代藩は元和8(1622)年に上田藩から真田信之が入封した後、明治まで真田が十代治めた藩である。

 父昌幸、弟信繁と袂を分けてまで徳川への忠誠を誓った信之から続く真田の松代藩が、なぜ戊辰戦争で徳川と戦うことになったのだろう・・・・・・。

 実は九代目の藩主幸教が病弱だったため、伊予宇和島藩主伊達宗城の長男であった幸民を養嗣子に迎えた段階で、男系も女系でも信之とは血がつながらなくなったのである。

 この幸民が十代藩主となった翌年に、幕府が崩壊。

 もはや、信之の徳川への忠誠心を継ごうとする思いは、血が途切れたこともあり消え去ったのだろう。松代藩は速やかに新政府に対して恭順の姿勢を示し、戊辰戦争では官軍の一員として奥羽戦線に藩兵を送り出したのである。

 池波正太郎は、信之が九十を過ぎても松代藩の永続のために奮闘する姿を『獅子』で描き、その後の同藩存続の危機をどのように耐えて真田が永らえてきたかを、『真田騒動-恩田木工ー』として記した。

 果たして、あの世で信之は、戊辰の役で徳川方と戦う松代藩の姿をどんな思いで眺めていたのだろう。

 雪のない蔵王様へのお詣りの帰り道に、そんなことを思っていた。


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by kogotokoubei | 2017-01-02 15:24 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 本年も、我が家のシーズーの年始のご挨拶です。
 左がミミー(Mimy)、今年四月で八歳になる、永遠のお嬢さん。
 右がユウ(You)、今年九月で七歳になるヤンチャ坊主。

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 江ノ島のイルミネーションをバッグにした写真なのですが、これではどこにいるか不明^^

 いつものように、越後長岡での正月ですが、雪は雨に流され、街の中には積雪がありません。

 昨年、いろいろあった悪いことや何やらも、この雪のように水に流したいものですね。

 皆さんにとって今年が良い年でありますことをお祈りいたします。
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by kogotokoubei | 2017-01-01 10:23 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

 真珠湾訪問のニュースは、別として、政府の悪行について。

 「統合型リゾート(IR)整備推進法案」なんて誤魔化しのお題をつけ、与党が賭場(博打場)の開設を推進しようとしている。

 法案の実態は、「博打推進法」である。

 そもそも「IR」は、“Investor Relations”という株主・投資家向けの情報活動という言葉の略として定着している。言葉自体が、混乱の種になっている。

 衆議院のサイトに、この法案の内容が掲載されている。
衆議院サイトの該当ページ

 「第一章 総則」から引用する。

第一章 総則

 (目的)
第一条 この法律は、特定複合観光施設区域の整備の推進が、観光及び地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものであることに鑑み、特定複合観光施設区域の整備の推進に関する基本理念及び基本方針その他の基本となる事項を定めるとともに、特定複合観光施設区域整備推進本部を設置することにより、これを総合的かつ集中的に行うことを目的とする。

 (定義)
第二条 この法律において「特定複合観光施設」とは、カジノ施設(別に法律で定めるところにより第十一条のカジノ管理委員会の許可を受けた民間事業者により特定複合観光施設区域において設置され、及び運営されるものに限る。以下同じ。)及び会議場施設、レクリエーション施設、展示施設、宿泊施設その他の観光の振興に寄与すると認められる施設が一体となっている施設であって、民間事業者が設置及び運営をするものをいう。

 第一条の(目的)、“特定複合観光施設区域の整備の推進が、観光及び地域経済の振興に寄与するとともに、財政の改善に資するものであることに鑑み”という前提が、そもそも間違いではないのか。

 「特定複合観光施設」に限らず、地域経済の振興のためには、他にもいろんな対策が検討されてしかるべきである。

 第二条で「特定複合観光施設」が、“カジノ施設及び会議場施設、レクリエーション施設、展示施設、宿泊施設その他の観光の振興に寄与すると認められる施設が一体となっている施設”と定義されているが、カジノが必然なのだろうか。

 兄弟ブログの「幸兵衛の小言」の2014年10月28日の記事で、「内田樹の研究室」の記事の引用を中心に、カジノ法案に関する記事を書いた。
「幸兵衛の小言」の該当記事
 同記事と重複するが、あらためて、今回の政府の暴挙について。

 昔の人は、寄席に行くのにも、後ろめたい思いを抱いていた、ということを本などで読むことがある。

 悪場所、悪所、という表現もある。

 さすがに、今日の寄席通いには、そういった心情と縁遠くなってきたが、賭場に行く場合は、この‘後ろめたさ’を感じるだろうし、そういう感覚、結構大事なのではなかろうか。

 人によっては、地下に潜る感覚が、楽しみを倍加させる効果もあるだろう。

 本来、そこは秘密の場所なのである。

 落語では、たとえば『品川心中』などで博打をしている場面で、「大きな声を出すな。俺たちゃ親孝行してるんじゃねえんだ」という科白を挟むことが多いが、この感覚である。

 博打は、そもそも陽の当たる場所で行うものではないのだ。
 それこそ、国が率先して賭場を作ろうなんてことは、大間違い。

 ギャンブル依存症者を増やすだけである。

 立川談春は『文七元結』において佐野槌の女将に、「その場で朽ちるから、博打なんだ」と言わせる。

 勝つにしたって、まさにあぶく銭。

 あぶく銭か、その場で朽ちるか、という世界は決して真っ当な場所とは言えまい。

 『文七元結』は落語だから、左官の長兵衛が博打で首が回らなくなっても、吉原に沈んでくれようとする娘のお久がいて、五十両貸してくれる佐野槌の女将がいる。
 そして、長兵衛がその五十両を、吾妻橋から飛び込もうとしている初対面の文七に恵んでくれたことに感謝し、お久を請け出してくれる鼈甲問屋、近江屋卯兵衛がいるのだ。

 現実の世界なら、長兵衛一家には悲惨な末路が待っているに違いない。

 
 石破茂は、当初否定的だったがシンガポールのカジノの管理体制を見て、考えが変わったらしい。
朝日新聞の該当記事

 では、韓国の実態も見ろ、といいたい。
 
 あの国に一か所だけある韓国の人が行くことのできる賭場「江原ランドカジノ」が、どれほど多くの不幸を作っているのかを。

 昨日の「報道ステーション SUNDAY」でも長野智子が現地で取材した内容を取り上げていたが、「Business Journal」の記事から引用する。
「Business Journal」の該当記事

 1967年、韓国では外貨獲得のためにカジノが解禁され、当初は韓国人も使用できたが、さまざまな不正が発覚し、2年後には外国人専用となり韓国人は出入り禁止になってしまう。その後、70年~90年にかけてカジノ建設ラッシュとなり、外国人専用カジノが全国に16カ所も建設されたのだ。2000年になり、ようやく韓国人でも楽しめるカジノ「江原ランドカジノ」がオープンし、1年目に約170億円もの利益を上げた。

「一時は炭鉱の町として栄えていた江原に活気を取り戻すべく、カジノを誘致しました。毎年300万人の人々が訪れるようになり、街に活気は戻ったのですが、カジノ中毒に陥る韓国人が続出したのです」(韓国一般紙記者)

 韓国政府は月15回までの入場制限を定め、2カ月続けて15回通うと「賭博中毒センター」でのカウンセリングが義務付けられ、現在までに約5万人の人が利用したという。

「江原ランドカジノの近くには質屋が立ち並び、異様な雰囲気が漂っています。貴金属や宝石を売り払うならまだしも、自分が乗ってきた自動車を売り払う人もいます。今、問題になっているのは“カジノホームレス”。カジノで財産を失った人が行く当てもなく、カジノ周辺に住み込み、その数は100人以上に上るといわれています」(同)

 昨日の「報道ステーション SUNDAY」では、質屋への取材が放送され、駐車場に多くの車が並んでいる映像も紹介された。

 小さな韓国の町の賭博場を石破が見て、果たして、彼はどう言うだろう。

 「日本は、韓国とは違う」とでも言うかもしれない。

 しかし、同じ人間なのだ。

 射幸心をあおられ、ついつい抜けられなくなり、質屋に通い、あげくの果てにホームレスになる日本人も間違いなく増えるだろう。
 最近では、高齢者のパチンコ、パチスロ依存症者が増えているらしい。
 きっと、そういう人たちも、“カジノ”に行くことだろう。

 ‘カジノ’とか統合型リゾートなどというカタカナで誤魔化されてはいけない。

 博打であり、賭場なのだ。

 横浜の林市長まで、賛成しているようだ。
日本経済新聞の該当記事

 おいおい、ちょっと待って欲しい。

 地域“経済”は、別な方法で活性化させることを考えようじゃないか。
 博打の上がりに頼らない方法は、必ずあるはずだ。

 真っ当に税金を払えない国民を増やしては、元も子もなくなるじゃないか。


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by kogotokoubei | 2016-12-05 21:16 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
 昨日と今日は、テニス仲間との合宿だった。
 年に二回行っており、今回は、初めての場所。
 宿泊は、あしがら温泉の宿、テニスコートはその近くの公営の運動場のコート。
 テニスコートもオム二で問題なかったし、宿も料理、温泉を含めなかなか良かった。
 チェックアウトの際、来年5月の予約をした。

 夕食後はカラオケで懐かしい曲を皆で歌ってから幹事部屋で三次会。
 そして、余興の落語を披露。
 
 同期会とテニス合宿のそれぞれの高座(?)において、一度演じたネタはやりたくないので、最近はネタ選びに悩む。

 これまでは、こんな噺を酒の勢いで披露してきた。

 『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・
 『小言念仏』・『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・
 『居酒屋』・『うどん屋』・『雑排』・『厩火事』・『買い物ブギ』・
 『看板のピン』・『天災』・『目黒のさんま』・『紙入れ』・
 『元犬』・『持参金』・『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・
 『親子酒』・『藪入り』・『子ほめ』・『夜の慣用句』・
 『あくび指南』・『転失気』

 これに、先月の同期会で演じた『二人癖(のめる)』が加わる。京都でのもう一席は、テニス合宿でウケた『夜の慣用句』だった。

 しかし、この喬太郎の新作、京都でのウケは今一つだった。すべった、あるいは、蹴られたと言って良いだろう。少し油断していたのかもしれない。
 飲みすぎたこともあり、飛ばした部分もあった。
 なんとか、『二人癖』で面目は保った、と自分では思っている。

 今回の一席は、京都でまあまあだった『二人癖』に決めていた。元になる音源は八代目春風亭柳枝。
 もう一席は何にするか迷っていた。
 最近はラジオ番組を録音しておいて、後で携帯音楽プレーヤーで聞くことが多く、NHKラジオの「すっぴん」で喬太郎二人会という企画の日に、林家彦いちが、彼がNHK新人演芸大賞で優勝した時の新作『睨み合い』を披露していたのを聞いた。
 短縮版でもなかなか楽しく、「これかな」と思い、京浜東北線を田園都市線に替えるなどして演じることにした。

 さて、昨夜どうなったのか。

 まず、『睨み合い』を10分ほどで披露。おばちゃん達の会話のギャグ(缶詰に蛾が入って解雇(蚕)になった)などは結構ウケた。
 続いて『二人癖』。こちらもまあまあ。
 テーブルの上に座布団を敷いた高座から降りようとすると、いつもは寝る人が、「もう、終わるの・・・・・・」。
 他の人からも、「もう一席!」という無茶ぶり。
 要するに、短くした『睨み合い』は、少し長いマクラという理解だったようだ。
 
 ゲッ、と思ったが、これも酒の勢いだろうなぁ、やる気になった^^
 実は、最近よく聴いていたのが、志ん朝と小三治の『子別れ』だった。
 志ん朝は大須での「上」「下」で、「中」の部分は地での説明が中心。
 小三治は、しっかり「中」も語った、本多劇場での歴史的な名作。
 次回のネタとしては「下」の『子は鎹』を考えていたものの、今回披露するつもりはなかった。もちろん、聴くだけで稽古もしていない。

 しかし、せっかくのアンコール(?)の声。
 思い切って、小三治版を元に『子は鎹』を始めたのだった。

 番頭さんが熊さんを長屋に訪ねる場面から。
 どうなるかと思いながら進めたのだが、この噺、結構頭に入っていた。
 また、演っていて、自分で楽しくなったのだ。
 熊さんにも、亀にも、お徳さんにも、結構感情移入できたように思う。

 一瞬だが、登場人物が勝手に話し出す、という感覚もあった。

 聞き手は皆、鎹も玄能も知っている年齢層^^
 サゲも無理なく分かってもらえたようで、終わってからも「良かったよ」の」声。

 不思議だねぇ。
 演るつもりのなかった噺なのだが・・・・・・。

 以前演じてウケたネタは、やはり甘く見た部分があるのだろう、先月の『夜の慣用句』は、すべった。

 そして、次回のネタのつもりで、小満んの高座との違いを確認するためもあり、結構集中して小三治の音源を聴いたこと、そして、あの小満んの名演に出会ったことが、予想外の三席目を、なんとか無事に演じさせてくれたように思う。

 自分で演じてみて、あらためて落語という芸の難しさを京都で感じ、今回の合宿では、その楽しさを味わった。

 しかし、来年9月開催となった同期会で、図に乗って甘く見ると、またすべるに違いない。

 とはいえ、人情噺への扉を開いてくれた今回の『子は鎹』の経験は、きっと忘れないだろう。
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by kogotokoubei | 2016-12-04 17:59 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

平尾誠二の死を悼む。

 平尾誠二の訃報には、心底、驚いた。

 まだ、53歳・・・・・・。

 私は、あの昭和60年1月15日に、国立競技場にいた62000人の一人だ。
 その頃住んでいた越後の町から、歴史的な一戦を生で観るため、そして同志社を応援するために駆けつけたのだった。
 
 大学選手権三連覇の同志社と、日本選手権七連覇を目指す新日鉄釜石の試合は、それだけの魅力があった。
 また、まだ独身で、そういう行動が可能な時期でもあった。

 松尾雄治の引退試合ともなる決戦は、前半を13対12で同志社がリード。
 日本ラグビーのリーダーが、松尾から平尾に引き継がれる試合、という思いに胸が躍った。
 しかし、後半には新日鉄釜石の“鉄の男たち”に逆転され31対17でノーサイド。

 それでも、両チームの持ち味を十分に発揮した素晴らしい試合だった。
 今のように肩パッドをしていない時代の、体と頭を極限まで使っての死闘だったと思う。

 説明するまでもなく、平尾はその後、神戸製鋼の七連覇に貢献し、日本代表の監督も務め、協会の幹部としての役割も担った。
 2019年に迫ったワールドカップ日本大会において、彼の活躍が大いに期待されていた。

 しかし・・・・・・。

 私は知らなかったが、昨秋から急に痩せたことが話題になっていたようだ。

 つい、思い出すのは、他の一時代を築いたラガーマンのこと。
 上田昭夫が昨年、満62歳で旅立った。
 十年前には、宿沢広朗が、55歳で逝去。
 
 短絡的にラガーマンが早死にする、などと言うわけでは、毛頭ない。それぞれに、惜しんで余りある早世だ。
 
 日本ラグビー代表の昨年のワールドカップでの活躍は、平尾誠二や上田昭夫、宿沢広朗といった人々が積み重ねてきた歴史の上に為し得たことだと思う。

 そして、まだまだ挑戦すべき課題があることも事実。そのために、平尾誠二の存在は大きかったはずだ。

 まだ、空虚感から脱することができない。

 2012年の1月にNHK BSで、あの1985年1月15日の死闘を、松尾と平尾が振り返るという実に興味深い番組があったことを思い出す。

 松尾雄治のコメントは、まだ目にしないが、落胆は小さくないだろう。

 平尾誠二という素晴らしいラガーマンの冥福を心より祈りたい。


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by kogotokoubei | 2016-10-20 21:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 スウェーデン・アカデミーがノーベル文学賞を授与すると発表して以来、ボブ・ディランとノーベル賞事務局との連絡がつかないらしい。
 
 朝日新聞から引用する。
朝日新聞の該当記事

ディランさんへ、もう連絡しません ノーベル賞事務局
ロンドン=渡辺志帆
2016年10月18日01時12分

 今年のノーベル文学賞を米国のミュージシャンのボブ・ディランさん(75)に授与すると発表したスウェーデン・アカデミーは17日、ディランさん本人への連絡を断念すると明らかにした。サラ・ダニウス事務局長が地元ラジオに語った。

 それによると、アカデミーは授与発表から4日がたった現在も、ディランさん本人と連絡が取れていない。ディランさんが文学賞を受けるつもりがあるかや、12月10日にストックホルムである授賞式に出席するかも不明だ。ダニウス氏は「受諾してくれると思う。そうでなければ悲しいが、栄誉は彼のものだ。心配はしていない」と語った。関係者への連絡は続けるという。

 ディランさん本人は、受賞についてコメントしていない。公式ツイッターは、受賞当日の夜にオバマ大統領からの祝福メッセージをリツイートして以後、更新が途絶えている。(ロンドン=渡辺志帆)

 私は、ディランは、受賞すべきかどうか迷っているのではないかと察する。

 昨夜、私はアメリカ人とドイツ人と一緒に夕食をとったのだが、この話題になり、二人とも今回の受賞に否定的なのは、私の思いと同じだった。

 他の多くの方と同じく、私は今回の授章に疑問を抱く。

 ディランは「シンガー・ソング・ライター」であり、「作詞家」としてだけの存在ではない。
 だから、「文学」の範疇に彼を取り込もうとすることに、無理がある。
 
 「詩人」としての範疇では括り切れない彼の存在を考えて、今回のスウェーデン・アカデミーの決定は多くの人に違和感を与えている。

 そして、何より、彼は「プロテスト・ソング」の担い手である。

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Amazon Bob Dylan「The Freewheelin'」

 ボブ・ディランの「風に吹かれて」を含む、デビュー二作目のアルバム「The Freewheelin'」は、今更説明の必要もない、傑作だ。

 デビューアルバムは、当時5,000枚しか売れなかった。
 この二作目は、RIAA(アメリカ・レコード協会)から100万枚以上のセールスを記録したプラチナ・ディスクとして認定されている。

 1963年11月にリリースされたのだが、収録曲の録音は、1962年4月24日から1963年4月24日までに渡っている。
 1962年の10月に、あの「キューバ危機」が起こっている。

 次のような曲が含まれている。

Side 1
1.「風に吹かれて」 Blowin' in the Wind
2.「北国の少女」  Girl from the North Country
3.「戦争の親玉」 Masters of War
4.「ダウン・ザ・ハイウェイ」 Down the Highway
5.「ボブ・ディランのブルース」 Bob Dylan's Blues
6.「はげしい雨が降る」 A Hard Rain's a-Gonna Fall
7.「くよくよするなよ」 Don't Think Twice, It's All Right

Side 2
1.「ボブ・ディランの夢」 Bob Dylan's Dream
2.「オックスフォード・タウン」 Oxford Town
3.「第3次世界大戦を語るブルース」 Talking World War III Blues
4.「コリーナ、コリーナ」 Corrina, Corrina
5.「ワン・モア・チャンス」 Honey, Just Allow Me One More Chance
6.「アイ・シャル・ビー・フリー」 I Shall Be Free

 公式サイト「bobdylan.com」から、「戦争の親玉」(Masters of War)の歌詞を引用。
ボブ・ディラン公式サイトの該当ページ

Masters Of War
Written by: Bob Dylan

Come you masters of war
You that build all the guns
You that build the death planes
You that build the big bombs
You that hide behind walls
You that hide behind desks
I just want you to know
I can see through your masks

You that never done nothin’
But build to destroy
You play with my world
Like it’s your little toy
You put a gun in my hand
And you hide from my eyes
And you turn and run farther
When the fast bullets fly

Like Judas of old
You lie and deceive
A world war can be won
You want me to believe
But I see through your eyes
And I see through your brain
Like I see through the water
That runs down my drain

You fasten the triggers
For the others to fire
Then you set back and watch
When the death count gets higher
You hide in your mansion
As young people’s blood
Flows out of their bodies
And is buried in the mud

You’ve thrown the worst fear
That can ever be hurled
Fear to bring children
Into the world
For threatening my baby
Unborn and unnamed
You ain’t worth the blood
That runs in your veins

How much do I know
To talk out of turn
You might say that I’m young
You might say I’m unlearned
But there’s one thing I know
Though I’m younger than you
Even Jesus would never
Forgive what you do

Let me ask you one question
Is your money that good
Will it buy you forgiveness
Do you think that it could
I think you will find
When your death takes its toll
All the money you made
Will never buy back your soul

And I hope that you die
And your death’ll come soon
I will follow your casket
In the pale afternoon
And I’ll watch while you’re lowered
Down to your deathbed
And I’ll stand o’er your grave
’Til I’m sure that you’re dead

Copyright
© 1963 by Warner Bros. Inc.; renewed 1991 by Special Rider Music


最初の段落を、微力ながら和訳したい。

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Come you masters of war
You that build all the guns
You that build the death planes
You that build the big bombs
You that hide behind walls
You that hide behind desks
I just want you to know
I can see through your masks

戦争の親玉諸君よ
鉄砲を作る諸君よ
殺人飛行機を作る諸君よ
大きな爆弾を作る諸君よ
壁の後ろに隠れている諸君よ
机の後ろに隠れている諸君よ
あんた達に知ってもらいたい
あんた達の魂胆はお見通しだってことを
---------------------------------------------

最後の段落の一つ前は、こうだ。
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Let me ask you one question
Is your money that good
Will it buy you forgiveness
Do you think that it could
I think you will find
When your death takes its toll
All the money you made
Will never buy back your soul

質問させてくれないか
そんなに金っていうものはいいのかい?
その金で許しを買おうというのかい?
そんなことができると思っているのかい?
あんた達も、いつかは気づくだろう
あんた達が死ぬときに有り金全部積んでも
魂は買い戻せやしないってことを
---------------------------------------------

 1963年、ディラン22歳の時の歌に込めた反戦の思いは、75歳になる今も変わらないのではなかろうか。

 彼が讃えられるべきなのは、プロテスト・ソングの作り手てあり歌い手であった人生そのものであろう。

 その彼が、「ノーベル文学賞」授章の知らせがあって以降、ライブ会場でもまったくそのことに触れず、また、ノーベル賞事務局との連絡を断っているいるのは、なぜか・・・・・・。

 「ノーベル文学賞」という分野の問題よりも、ディランにとって重要なのは「ノーベル賞」という権威の背後にあるものではなかろうか。

 アルフレッド・ノーベルは、ニトログリセリンを実用化し、ダイナマイトを発明した人だ。

 Wikipediaのアルフレッド・ノーベルから、引用する。
Wikipedia「アルフレッド・ノーベル」
アメリカに渡って4年間化学を学んだ。そこで短期間だが発明家ジョン・エリクソンに師事している。その後、父の事業を手伝う。最初の特許を出願したのは1857年のことで、ガスメーターについての特許だった。

クリミア戦争 (1853–1856) では兵器生産で大儲けをするが、戦争終結と同時に注文が止まったばかりでなく、軍がそれまでの支払いも延期したため事業はたちまち逼迫し、父は1859年に再び破産する。父は工場を次男のリュドビック・ノーベル(英語版) (1831–1888) に任せ、ノーベルと両親はスウェーデンに帰国した。なお、リュドビックは受け継いだ工場を再開して事業を発展させた。ノーベルは爆発物の研究に没頭し、特にニトログリセリンの安全な製造方法と使用方法を研究した。ノーベル本人がニトログリセリンのことを知ったのは1855年のことである(テオフィル=ジュール・ペルーズの下で共に学んだアスカニオ・ソブレロが発見)。この爆薬は狙って爆発させることが難しいという欠点があったので起爆装置を開発。1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発実験に成功。1863年にはスウェーデンで特許を得た。1865年には雷管を設計した。ストックホルムの鉄道工事で使用を認められるが、軍には危険すぎるという理由で採用を拒まれる。

1864年9月3日、爆発事故で弟エミール・ノーベルと5人の助手が死亡。ノーベル本人も怪我を負う。この事故に関してはノーベル本人は一切語っていないが、父イマニュエルによればニトログリセリン製造ではなくグリセリン精製中に起きたものだという。この事故で当局からストックホルムでの研究開発が禁止されたためハンブルクに工場を建設。ニトログリセリンの安定性を高める研究に集中した。また合成者のアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero) に対し充分な対価を支払った。1866年、不安定なニトログリセリンをより安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明。彼の莫大な利益を狙うシャフナーと名乗る軍人が特許権を奪おうと裁判を起こしたがこれに勝訴し、1867年アメリカとイギリスでダイナマイトに関する特許を取得する。しかしシャフナーによる執拗な追求はその後も続き、アメリカ連邦議会にニトロの使用で事故が起きた場合、責任はノーベルにあるとする法案まで用意されたため、軍事における使用権をシャフナーに譲渡。

1871年、珪藻土を活用しより安全となった爆薬をダイナマイトと名づけ生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、世界中で採掘や土木工事に使われるようになり、一躍世界の富豪の仲間入りをする。1875年、ダイナマイトより安全で強力なゼリグナイトを発明。1887年にはコルダイトの元になったバリスタイトの特許を取得している。

 ニトログリセリンやダイナマイトは、必ずしも兵器としての使用にとどまらず、医療分野や土木の分野で重要な役割を果たしている。
 しかし、爆薬として兵器にもなり得る。

 何より、アルフレッドと父を含めたノーベル一家が、兵器製造によって財を蓄えた事実は、動かしようがない。
 
 「ノーベル賞」の背後にある財の源泉を、ディランが知らないはずはなかろう。

 「プロテスト・ソング」の担い手であったディランが、その「ノーベル賞」を受けることは、いわば、彼の哲学と反することではなかろうか。
 
 ディランは、ノーベルを、“masters of war”の一人としてみなしているのか、どうか・・・・・・。

 ノーベル賞事務局がディランと連絡がとれない謎の答えは、ディランの歌を借りるなら、「風」の中にあるのだろうか。

 ディラン自身が、受賞すべきかどうか、「風」の中に漂う答えを探しているのかもしれない。

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by kogotokoubei | 2016-10-18 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
 新しいNHK朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」で、気になることがある。
 
 主人公の母親坂東はなの役で出演している菅野美穂が「語り(ナレーター)」も務めているのだが、その関西弁に違和感がある。
NHKサイトの「べっぴんさん」のページ

 神奈川県伊勢原生まれで埼玉育ちの菅野の関西弁は、何ともたどたどしいし、私には生粋の関西人の言葉とはかけ離れて聞こえてしまう。
 
 なぜ、彼女が「語り」までをする必要があったのか疑問だ。

 私は北海道生まれで学生時代を関西で過ごしただけでその後は越後経由で関東に住んでおり、とても本物の関西弁は話せないが、聞く耳は持っているつもり。

 関西の方は、菅野の「語り」を聞いていてどう思われているのだろうか・・・・・・。

 「とと姉ちゃん」は、花森安治という反戦、反権力のジャーナリストの真相を描くのを避けた。
 それは、歴史の歪曲ではあったが、捏造とまでは言えない。

 あえて書くが、菅野の「語り」は、言葉の捏造だ。
 
 江戸っ子の言葉、上方の人の言葉、そして全国各地の方言は、その土地の歴史、文化と密着したものである。
 聞く人の耳に、その言葉がどう響くのかということに、もっとメディアは気を配るべきではなかろうか。
 関西弁と言っても、大阪、京都、神戸では違う。
 「べっぴんさん」の舞台は神戸。
 しかし、菅野美穂の言葉には、神戸に限らず関西のどの土地の香りも、私は感じない。

 もちろん、菅野美穂も含め、出演者にも関西出身ではない人が、関西弁を話す人もいる。
 しかし、演者の場合、動的な演技全体の流れの中での言葉なので、その演技の中で「言葉」の問題を緩和することもできようが、「語り」は姿のない「言葉」そのものである。
 ドラマの底流となる重要な「言葉」なのだ。

 もし、関西弁でナレーターを行うなら、関西出身の、“地”で関西弁を語れる人にすべきではなかろうか。

 ドラマを見ていて、彼女の語りが入ることで流れが途切れるような気がして、興が削がれるのである。

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by kogotokoubei | 2016-10-07 12:27 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 前回、NHKの「とと姉ちゃん」について書いた。

 重要な登場人物の一人は花森安治をモデル(モチーフなどではない)にしているが、彼の反戦、反権力を底流とするジャーナリストとしての生き方は、適確に描かれたとは言えない。それは、前回の記事で引用した、花森の薫陶を受けた「暮しの手帖」の元編集者の方が指摘する通りだ。

 「とと姉ちゃん」でも、その様子が一部紹介されていたが、花森は敗戦まで、大政翼賛会の外郭団体に籍を置いて国策広告に携わっていた。有名な「欲しがりません 勝つまでは」は花森が考案したと言われることがあるが、事実ではない。大政翼賛会と新聞社による標語募集に応募しされたものを花森が採用したのだった。しかし、この点について花森は一切弁明しなかったという。
 あの標語が自作ではないにせよ、自分が国策広告に携わっていた事実への自責の念が、そうさせたのだろう。

 彼が語らなかったことの意味を慮ることも大事だが、花森が書き残した言葉を読むこともできる。

 その中の一つが、日本ペンクラブの「電子文藝館」のサイトにある、「見よぼくら一銭五厘の旗」だ。
「日本ペンクラブ 電子文藝館」の該当ページ

 作者および掲載された内容の説明を含む部分を、先にご紹介する。
花森 安治
ハナモリ ヤスジ
はなもり やすじ 編集者 1911・10・25~1978・1・14 兵庫県神戸市に生まれる。東大在学中、扇谷正造、杉浦明平らと帝大新聞の編集に携わり、戦後1948(昭和23)年、「暮しの手帖」を創刊、雑誌の全面に花森の手と息吹がかかっていた。

掲載作は1970(昭和45)年10月、「暮しの手帖」第2世紀8号に掲げた胸にしみるマニフェストである。なお、改行の仕方について今や筆者に確認をとれない微妙な点があり、雑誌初出時の改行(組体裁)のママに従っている。

 「マニフェスト」という言葉には、少し違和感があるが、花森安治というジャーナリストの意図を示す「声明文」あるいは「誓約書」という意味では、間違いではないのだろう。

 本文を、まず冒頭から引用する。
見よぼくら一銭五厘の旗

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた

どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった

その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた


 「とと姉ちゃん」には、この「一銭五厘」のことは、一切登場しない。

 実際には存在しなかった、安かろう悪かろうという製品を作っていた電気メーカーとの戦いは描かれた。
 
 しかし、花森安治が戦ってきた相手は、違うのである。

 この文章の中盤には、公害問題に対する花森の強い思いが綴られている。
 
 なぜ、政府が自動車を規制しないのか、なども書かれている。
 ぜひ、全文を読んでいただきたい。

 後半から最後の部分を、引用したい。

さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く

ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
(8号・第2世紀 昭和45年10月)


 前回の記事で、「とと姉ちゃん」のプロデューサーが、素顔の花森安治のことを描くにあたっての「ハードル」があると発言している。
 それは、たとえば、引用した次のような言葉に象徴されているだろう。

 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
 かったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
 かったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ


 「企業を倒す」も「政府を倒す」も、あくまで「ぼくらの暮し」とぶつかったら、という条件だ。
 そして、公害や粗悪な製品開発などは、花森にとっては「ぼくらの暮し」とぶつかることなのである。
 「ぼくら」という立ち位置を描くために、プロデューサーは、なんとかその“ハードル”を乗り越える努力をしたのだろうか。
 もっと言えば、プロデューサーの立ち位置は、果たして「ぼくら」の側にあったのか。
 
 「企業批判」は、民放では難しいかもしれない。
 しかし、広告のないNHKは、もっと花森安治の真実に迫ることができたのではなかろうか。

 「暮しの手帖」が広告を掲載しないからこそできた「ぼくらの暮し」を守る活動を、なぜ、広告収入に依存しないNHKは、同じように、「ぼくら」の立場で描かないのか。

 それは、了見の違い、なのだと思うし、経営管理層の問題なのだろう。

 「とと姉ちゃん」では割愛(?)された花森安治という一人のジャーナリストの真の姿は、あの番組が終わるからこそ、もっと振り返られて良いように思う。


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by kogotokoubei | 2016-09-26 22:46 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛