噺の話

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カテゴリ:幸兵衛の独り言( 251 )

ある日の鳥取の夜。

 この度の相撲界の暴力事件について何か書こうと思っているが、その前に、オチャラケから。


 10月のある夜、鳥取のカラオケスナック「寿限無」で、こんなことがあった。

158.pngムンフバティーン・ダワージャルガル 
  おい、ダワーニャミーン・ビャンバドルジ、最近生意気なアデヤギーン・バーサンドルジを、
  少し可愛がってやれ。

159.pngダワーニャミーン・ビャンバドルジ
  へい、分かりやした、ムンフバティーン・ダワージャルガル。最近生意気な、アデヤギーン・
  バーサンドルジを、少し可愛がってやります。
  こら、アデヤギーン・バーサンドルジ、スマホなんかやらずに、こっちを向け!
 (やおら、カラオケのリモコンを持って、一発、アデヤギーン・バーサンドルジの頭をなぐる)

141.pngアデヤギーン・バーサンドルジ
  痛っ!痛いじゃないですか、ダワーニャミーン・ビャンバドルジ。
  瘤(コブ)ができました。

159.pngダワーニャミーン・ビャンバドルジ
  アデヤギーン・バーサンドルジ、最近、お前が生意気だから、可愛がってやってるんだ。
 (今度は素手で、アデヤギーン・バーサンドルジの頬を数発なぐった)
  こら、アデヤギーン・バーサンドルジ、これからは先輩への礼儀をわきまえろ。
  分かったか!

141.pngアデヤギーン・バーサンドルジ
  何で、こんなにぶたれなきゃならないんですか、ダワーニャミーン・ビャンバドルジ。
  (と、ムンフバティーン・ダワージャルガルとダワーニャミーン・ビャンバドルジの
   顔をにらむ)

159.pngダワーニャミーン・ビャンバドルジ
  なんだ、その目は、アデヤギーン・バーサンドルジ!
 (また、素手でアデヤギーン・バーサンドルジを、殴り続ける)
  これで分かったか、ムンフバティーン・ダワージャルガルや俺の言うことが、
  アデヤギーン・バーサンドルジ!

158.pngムンフバティーン・ダワージャルガル 
  おいおい、ダワーニャミーン・ビャンバドルジ、アデヤギーン・バーサンドルジが
  大怪我しない程度にしておけよ。
  アデヤギーン・バーサンドルジの親方はあの人だ。瘤なんかあったんじゃまずいぞ。

159.pngダワーニャミーン・ビャンバドルジ
  いえ、大丈夫です、ムンフバティーン・ダワージャルガル。
  モンゴルの長い本名を言っているうちに、瘤が引っ込みました。


 こうだったら、表沙汰にならずに収まったのにね^^

(どの名が誰の本名かは、ご想像のほどを)

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by kogotokoubei | 2017-12-04 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 NHK新人落語大賞の結果が、ニュースにもなり、落語協会のホームページでも、いつものように素っ気なく、案内されている。

 私の予想(希望?)は、まったく外れた。

 まぁ、11月4日の放送を見て、感想などを書くことにしよう。

 さて、昨夜の「超入門!落語 THE MOVIE」の三遊亭兼好の『六尺棒』と古今亭菊之丞の『権助魚』は、どちらも結構面白かった。

 特に『六尺棒』という地味な(?)ネタを取り上げたのが嬉しい。
 初めて聴き、見た方も多いと察するが、こういう落語もあることを知っていただくのは、良いことだと思う。

 兼好のスピーディな高座を、中村芝翫親子が楽しく演じていた。
 なんとも、贅沢な歌舞伎役者の使い方だ^^

 サイトで確認すると、30日の午前3時45分~ 午前4時10分再放送されるようなので、ご興味のある方は、ぜひ録画のほどを。
NHKサイトの番組ページ

 来週は、喬太郎の『井戸の茶碗』。これも、見なきゃ。

 この番組を見ながらいつも思う、素朴な疑問。

 どう見ても、あの高座は新宿末広亭。

 NHKのサイトに、公開放送の案内を見つけることができなかった。
 
 さて、いつ収録しているのだろうか・・・・・・。

 通常の寄席興行がある以上、収録は昼の部の前か、夜の部の後、場合によっては深夜かもしれない。

 まとめて収録するだろうから、最低二席、多くて四席位の収録だってあるかもしれない。

 あの顔ぶれである。
 木戸銭取っても、客は集まりそうだな。

 あの番組はいつ収録しているのか・・・ちょっとした、疑問なのであった。

 
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by kogotokoubei | 2017-10-27 12:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)
 「約束の地。メンフィス~テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー~」の余韻から、まだ醒めない。

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 本棚から、昔買った「ジャズ批評」の一冊を取り出した。

 第44号(昭和58年2月20日発行)「特集黒人雑学事典」だ。
 約600頁と分厚い。

 この本から、“伝説(レジェンド)”達のことや、彼らにとっての“伝説”のことを拾ってみた。

 この本の「ビッグO(Otis Redding)のデヴューから20年 メンフィス/サザン・ソウル その後」(塩月俊明)から引用。

 60年代の黒人音楽の表面的な動きを追ってみれば、トゥイスト・ブーム、タムラ=モータウン・レーベルによるポピュラー化したソウルの大躍進が目に付く。しかし本質的な部分に目を向けてみれば、やはりメンフィスを中心としたサザン・ソウルの台頭だろう。

 そうそう、私もそれを言いたい^^

 タムラ=モータウン系のソウルが'50年代のブルース/R&Bをより洗練させ、白人にもアピールして全国的な規模で成功を収め、70年代へと脱皮していったのに対し、メンフィス/サザン・ソウルが同じ意味で成功した時期は短かった。
 '62年、ウィルアム・ベルの「ユー・ドント・ミス・ユア・ウォーター」のヒットで幕を開けたメンフィス・ソウル界は同じ年にはオーティス・レディングの登場。'65年にはアトランティック所属のウィルソン・ピケットのスタックス録音「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」のヒット、'66年にはスタックス入りしたサム&デイブの「ホールド・オン・アイム・カミン」と続くが、'67年には早くも雲行きが怪しくなる。それはいうまでもなく、ナンバーワン・スター、オーティスの死である。

 ほら、ウィリアム・ベルだ、などと読みながらあの映画を思い出す。
 
 あの飛行機事故は、大きな転機だったなぁ。

 1967年12月10日、自家用機で移動中のオーティスとバッグバンド、バーケーズのメンバーは、事故に遭遇した。
 たまたま安全ベルトをしていず湖に放り投げられたトランぺッターのベン・コーリーと、別の便に乗ったジェイムス・アレキサンダーが助かったが、ベンもジェイムスも「約束の地。メンフィス」に登場していたなぁ。
 映画では収録されていなかったが、サウンドトラックのボーナストラックとして、再結成されたバーケーズの一員としてジェイムスはベースを担当している。

 残念ながら二年前、ベン・コーリーは旅立った。

 たしかに、あの事故は、メンフィス・ソウル、とりわけスタックス・レコードにとって大きな分岐点となった。
 一時は所属のソウル・アーチストのほとんどを南部に送り込み録音させていたアトランティックも、'69年には見切りをつけ、スタックスの配給も打ち切っている。

 これより少し前のメンフィスのことについて、「シカゴ・ブルースの成立とそのR&B化」(川副正大)からも紹介したい。

 ハウリン・ウルフについて書かれた部分。

 彼はこの時代ずっとメンフィスに住んでいたわけだが、'49年、ようやく地元のラジオ番組に登場するチャンスが訪れた。タフマン、ウルフがこれを逃すはずはなかった。彼の人気はウナギ登りに上がって、クラブ出演の仕事もたくさん得られるようになっていったのだ。それから彼は自分自身のブルースに対して、サポートするバック・バンドの必要性をしっかり認識していたので、クラブ出演の時には、必ずバンドがついた。しかも、人気者の彼の回りには、秀れたメンフィスのミュージシャンが集まってきたのだ。たとえば、マット・マーフィー、ヒューバート・サムリン、バット・ヘア、ジェームス・コットン、ジュニア・パーカー、ウィリー・ジョンソン、ウィリー・ラブといった連中だったわけだ。
 (中 略)
 '54年頃まで彼のバンドの中心は、レコーディングでもライブの時でも、メンフィス時代の古顔で構成されていたため、マディのデルタ・ブルースサウンドとは一寸違ったシカゴ・ブルースサウンドが生まれたのだが、この事は実に興味深い。彼らのほとんどは、おそらくデルタ地方出身だったのであろうが、戦後メンフィス体験(40年代後半)によって、そのサウンドに独特のムードを出している。

 ヒューバート・サムリンも、「約束の地。メンフィス」でその生前の姿を見ることができたなぁ。

 あの映画の興奮から、つい、本棚から引っ張り出したこの本を読んでいた。
 ジャズに比べて、それほどR&Bやソウル、ブルースに詳しいわけではないが、好きではある。

 この本を読みだしたら止まらなくなった。

 BGMはもちろん、あの映画のサウンドトラック。

 映画では登場しなかったボーナス・トラックも、悪くないのだ。


 ホワイト・ハウスでウィリアム・ベルが「You Don's Miss Your Water」を熱唱している映像があったので、ご紹介。
 オルガンは、もちろん、ブッカー・T.ジョーンズだ!

 ああ、オバマのアメリカが懐かしく思える、今日この頃。

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by kogotokoubei | 2017-08-26 10:23 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 このブログを書き始めてからの年月について、自分で少し勘違いをしていた。

 2008年6月から始めたので、丸九年がすぎ、なんと十年目に入っている。
 てっきり、まだ九年目に入ったところ、と思っていた。

 ちょうど九年前の七月十日に、『船徳』のことを書いていた。
 今まで通算1620の記事の、12本目だった。
2008年7月10日のブログ

 昨日と今日は、今年も浅草寺の「ほおずき市」。
 あらためて、浅草寺のサイトから引用。
浅草寺サイトの該当ページ

平安時代頃より、観世音菩薩の縁日には毎月18日があてられてきたが、室町時代末期(16世紀半ば)頃から、「功徳日」といわれる縁日が設けられるようになった。功徳日とは、その日に参拝すると、100日、1,000日分などの功徳が得られるという特別な日を指す。功徳日は寺社によって異なるが、現在、浅草寺では月に1度、年に12回の功徳日を設けている。このうち7月10日は最大のもので、46,000日分の功徳があるとされることから、特に「四万六千日」と呼ばれる。この数の由来は諸説あり、米の一升が米粒46,000粒にあたり、一升と一生をかけたともいわれるが、定かではない。46,000日はおよそ126年に相当し、人の寿命の限界ともいえるため、「一生分の功徳が得られる縁日」である。 四万六千日の縁日の参拝は江戸時代には定着し、われ先に参拝しようという気持ちから、前日9日から境内は参拝者で賑わうようになった。このため、9日、10日の両日が縁日とされ、現在に至る。 四万六千日にともなうほおずき市の起源は、明和年間(1764〜72)とされる。四万六千日の縁日は浅草寺にならって他の寺社でも行なわれるようになり、芝の愛宕神社では四万六千日の縁日にほおずきの市が立った。「ほおずきの実を水で鵜呑み(丸飲み)すれば、大人は癪(なかなか治らない持病)を切り、子供は虫気(腹の中にいると考えられた虫による腹痛など)を去る」という民間信仰があり、ほおずきを求める人で賑わったそうである。その愛宕神社のほおずき市の影響を受け、四万六千日の大本である浅草寺にもほおずき市が立った。ちょうどお盆の季節でもあり、ほおずきを盆棚飾りに用いる方も多い。 かつては、四万六千日の縁日に赤とうもろこしを売る屋台もあった。これは赤とうもろこしが落雷除けのお守りになる由の民間信仰により、文化年間(1804〜18)頃に境内で売られるようになったという。ところが明治初年(1868)頃、不作によって赤とうもろこしが出回らないことがあった。これに困ったご信徒が浅草寺に雷除けのお守りを求めた縁から、浅草寺では竹串に挟んだ三角形の守護札を授与するようになった。これが今も四万六千日に授与されている雷除札【かみなりよけ】である。 9日・10日の両日、いなせな恰好の売り子たちが声をあげてほおずきを売り、境内は朝から晩まで参拝者で埋まる。観世音菩薩の功徳に感謝して参拝し、ほおずき市を散策して江戸情緒を味わいたい。

 126年分の功徳、ですよ!

 かつての「四万六千日」は、もちろん旧暦の七月十日。
 今年は閏五月があったこともあり、旧暦七月十日は、新暦八月三十一日。

 七夕が秋の季語であるように、季節は秋だ。

 だから、桂文楽の科白で有名な『船徳』の「四万六千日、お暑いさかりでございます」は、新暦の七月十日でなければ当てはまらない。

 同じ功徳日の歳時だが、浅草より先に「ほおづき市」(なぜか、「ず」ではなく「づ」)を開いていた芝の愛宕神社では、今でも6月に「夏越しの祓え」の一環として催されている。
 同神社のサイトから引用。
愛宕神社サイトの該当ページ

【千日詣り ほおづき縁日】6月23日~24日この両日に社殿前にしつらえた茅の輪(ちのわ)をくぐりお参りすれば千日分の御利益(ごりやく)があると昔から信仰され、境内で自生してていたほおづきを飲めば子供の癇・婦人病に効くと言われていた。
現在はお祓い済みのほおづきを受けると特別に社殿の中で本人もお祓いしてくれる。
ほおづき市と言うと浅草が有名だが、もともと愛宕神社から始まったもの。蛇足ながら羽子板市も当社が発祥。
その賑わいは平岩弓枝氏著「犬張り子の謎」にも記されている。

【中祭式】6月24日 11時自分の厄を移した形代(ひとがた)を神社に納め半年間の厄を祓い清める行事。年末の大祓いに対し、夏越し(なごし)の祓えと言う。

 ほおづき市のみならず、羽子板市も愛宕神社が先であると、“蛇足ながら”主張している^^
 
 ほおずき市で思い出すのは、落語を題材とした2007年の映画『しゃべれども しゃべれども』だ。
allcinameサイト「しゃべれども しゃべれども」

 国分太一演じる二つ目の落語家今昔亭三つ葉が、ひょんなことから開くことになる「話し方教室」に通う女性、十河五月(香里菜)との淡い恋の舞台として、ほおずき市が登場する。

 あの映画では、原作では主人公が演じる師匠の十八番ネタが『茶の湯』であるのに、『火焔太鼓』に替えていたなぁ。

 「話し方教室」に通う生徒は他にもいて、元プロ野球選手で野球解説者の湯河原太一(松重豊)と、関西育ちで東京の小学校でいじめられているのが森永悠希演じる村林優少年。
 優は、桂枝雀にぞっこん惚れており枝雀版の『まんじゅうこわい』を演じる。実に上手い。凄い、と言っても良い。
 森永悠希という俳優さんは、この映画の後にテレビや映画に数多く出演して存在感のある役者に成長しているが、私は、十年前のデビュー作村林優役が、もっとも輝いているのではなかろうかと思っている。
 同じ発表会で「まんじゅうこわい」対決をするはずの五月が、ネタを急遽変更して、科白を立て板に水とはいえ、登場人物すべて同じ口調の『火焔太鼓』を演じる。
 その五月の『火焔太鼓』を酷評する三つ葉は、自分自身が師匠小三文十八番のそのネタに挑む。
 今昔丁小三文役の伊東四朗は、とにかく上手い。
 三つ葉の祖母役で八千草薫も、実に良いアクセント。

 ほおずきのことに戻るが、三ツ葉と五月は、実際に浅草寺のほおずき市でほおずきを買うわけではない。
 しかし、ほおずきは大事な小道具として登場する。
 そうだ、大川と船、ということでこの映画と『船徳』は共通点があるなぁ。
 監督は平山秀幸で、同じ2007年に『やじきた道中 てれすこ』も撮っている。
 この映画については以前記事を書いた。
2012年12月8日のブログ

 ほおずき市のことから映画に発散してしまったが、落語に話を戻す。

 『船徳』の時期を七月十日に設定したのは、三代目小さんだと言われている。
 新暦の七月十日、ほんとに今日もお暑いさかりだった。

 この時期の年中行事で思い出したが、先週、近所の幼稚園に七夕飾りがあって、園児のさまざまな願いが短冊に書かれて吊るしてあった。
 しかし、先週七月七日は、旧暦閏五月十四日で、月齢十三の月が明るく輝き、天の川を見ることはできなかった。

 園児に、天の川が見れないことを、旧暦のことなどを含めて説明できる先生は、果たしていただろうか。

 昨夜の閏五月十六日の満月、そして今夜の月齢十六日の月も、実に綺麗だった。

 以前にも書いたが、旧暦七月七日の半月は、満月の約十二分の一の明るさだからこそ、天の川も牽牛と織姫星も、きれいに見えるのである。

 今年は、八月三十一日に、ぜひ天の川を見るのを忘れないようにしなきゃ。


 さて、今年もすでに半分が過ぎ、来週19日から、夏の土用入り。
 今年は土用の丑の日が二日あるので、スーパーもコンビニも中国産ウナギの販売ノルマが増えて、働く方は大変だろうなぁ。

 私の場合は、一年で鰻を食べないと決めているのが、土用の丑の日。

 鰻にまつわる噺はいくつかあるが、同じ原話から、文楽で有名な『素人鰻』と、志ん生が得意にした滑稽噺の『うなぎ屋』がある。
 
 私は、『うなぎ屋』にならって、鰻職人がいない鰻屋を、なんとか見つけたいと思っている^^
 間違っても、神田川の金のような酒乱の職人のいる鰻屋には行きたくない。

 四万六千日のお暑いさかり、落語や映画など、鰻のようにいろんなことに思いがいったりきたり、であった。

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by kogotokoubei | 2017-07-10 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 昨日のアクセスレポートの数字に驚いた。
 全体のアクセス数が1000を超え、ダントツで一位の記事が四年ほど前に書いた、「成田屋のこと。」だった。
2013年2月4日のブログ

 この記事へのアクセスがほぼ200。
 異例だ。
 海老蔵の奥さんのことでのアクセス増であることは、間違いないだろう。

 この記事は、十二代目の団十郎の訃報に関し、成田屋は短命が多いとか、ケネディ家にたとえて、呪われているというニュアンスの記事が多かったので、本当にそうなのか、と思って調べたことから書いた記事。

 私の調べの結果は、若くして団十郎を襲名した場合は夭折した人はいるが、決して呪われているわけでも、際立って短命であるとも言えない、ということ。

 それはそうとして、当代海老蔵の亡妻については、そのブログの読者(アクセス数?固定ファン?)が200万人を超えていた、とのことでブロガーとして、驚くばかりだ。

 彼女が出演していたテレビは、まったくと言ってよいほど見ていないし、あまり関心もなかったので、特に何か感想などを書くつもりも、その資格もない私だが、同じブロガーとして凄い管理人だったなぁ、とは思う。

 拙ブログは落語を中心としているものの、いろんなことを書きなぐっている。

 果たして、病で旅立つ直前まで書き続けることができようか・・・・・・。
 まず、無理だろうと思う。
 気力も体力もなくなるだろう。

 不謹慎なことかもしれないが、今思うことは、ブログとブロガーの寿命。
 ブログの生命は、もちろん管理人のそれに準じる。
 読者のアクセスも、また然り。
 このブログも、書き始めて丸九年が経った。

 以前頻繁にコメントをいただいていた方からの音信がなくなり、寂しく思うこともある。

 コメントが途絶えた理由としては、いろんな事情があるだろう。

 私と同様に還暦過ぎ、あるいはそれ以上高齢の方も読者として数多くいらしゃると察する。

 介護やご本人の体調なども、関係してくる年齢だ。

 そういった読者の方がこの記事をご覧になっていて、お元気ならば、管理人だけ閲覧モードでもいいので、ご一報いただければ、大変嬉しい。
 実に勝手な願いを綴ってしまったが、今回のことで思っている素直な心境である。

 一人の素晴らしいブロガーが旅立った。

 ご冥福をお祈りする。
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by kogotokoubei | 2017-06-24 14:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 今日は、「寄席の日」。

 その由来などは別として、定席寄席で木戸銭の値引きや記念品の配布などがある日だ。

 落語協会ホームページから「寄席の日」の案内記事を紹介する。
落語協会HPの該当ページ

今年の寄席の日は6月5日(月)です

毎年6月第一月曜日は「寄席の日」、今年は6月5日(月)です。

各寄席では下記のような入場料となります。

・鈴本演芸場 入場料半額 ¥1,400(学生も一律)
・末広亭 入場料半額 ¥1,500(学生・シニアとも一律)
・浅草演芸ホール(芸術協会の興行です) 入場料半額 ¥1,400(学生も一律)
・池袋演芸場 入場料半額 ¥1,200(学生・シニア・着物とも一律)
・国立演芸場 入場料 ¥1,470円(前売チケットには適用されません)

 私は行くことができないが、落語愛好家の中には、この記念の日に寄席に駆けつける方もいるだろう。

 ところが、その日に、落語芸術協会のホームページは、夕方までサーバーメンテナンスを行なっており、サイトを見ることができない。
落語芸術協会のホームページ
 トップページにこう案内されている。

サーバーメンテナンスのお知らせ

日頃より、当会ホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。
只今、サーバーメンテナンスを実施しております。

期間:2017年6月5日(月) 9:00~16:00
※作業状況により期間が前後する場合がございます。

上記時間中は、本サイトの閲覧が出来ません。
ご不便をおかけいたしますが、何卒ご理解いただきます様よろしくお願い申し上げます。

本日の定席スケジュールは以下のPDFファイルにてご覧いただけます。

 主催する寄席の番組をPDFで見ることはできるようにしているが、この平日の日中でのサーバーメンテナンスは、ちょっといただけない。

 日頃、落語協会のホームページへの小言を書くのに比べ、数年前から落語芸術協会のホームページが充実してきたことを高く評価してきた私としては、実に残念なメンテナンスの日程選択である。

 通常サーバーメンテナンスは、担当者にとっては大変な作業となるかもしれないが、あくまでお客様であるサイト来訪者の便宜を優先して、深夜などに行うことが多い。
 あるいは、メンテナンス中は別なサーバーに間借りすることもある。

 どういう理由があるのか知らないが、平日真昼間、それも「寄席の日」にサーバーメンテナンスでサイトが見れないというのは、落語愛好家にととっては、実によろしくないことで、今後、ぜひ改めてもらいたい。


p.s.
16時過ぎには、通常に戻ってたが、今後の改善を期待し、この記事の公開は継続する。
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by kogotokoubei | 2017-06-05 12:29 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 安倍昭恵という人は、いろいろとお忙しいらしい。

 半月ほど前の朝日新聞の記事よりご紹介。
朝日新聞の該当記事

昭恵氏、加計学園でも「名誉園長」 職員連れて催し参加
2017年5月17日22時41分

 獣医学部の新設計画に関し、文部科学省が内閣府から「総理のご意向だと聞いている」などと言われたとする文書が明らかになった加計学園については、加計孝太郎理事長と安倍晋三首相が懇意にしているほか、妻の昭恵氏も関わりがある。

 学園によると、昭恵氏は15年6月から、学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」の名誉園長を務めている。これまでの国会の質疑で、15年9月には政府職員2人を連れて施設のイベントに参加していたことも明らかになっている。

 国有地売却の経緯が問題視されている学校法人「森友学園」でも、昭恵氏は開設予定だった小学校の名誉校長に就任していた。財務省や国交省が、そうした事情を踏まえて、売却交渉などを学園側に有利になるように運んだのではないかと野党が追及している。


 夫婦揃って、お友達へは実に義理堅いのだ。

 「友達ファースト」が、ご夫婦共通の信条。

 神田で「uzu(うず)」という居酒屋を経営しているのは有名。

 旦那は、早く店を閉めて欲しいらしいが、アッキーはそんな夫の言うことを聞くような、お姐ぇさんとは、お姐ぇさんの出来が違う。

 「昔の名前で出ています」を借りてみた。

 169.png大阪にいるときゃ 名誉校長と呼ばれたの
   神戸じゃ 名誉園長と名乗ったの
   神田のお店で お酒を飲みながら
   あなたがさがして くれるの待つわ
   いろいろ名前が 出ています


 オソマツ。


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by kogotokoubei | 2017-06-02 12:58 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)
 女優、月丘夢路さんの訃報に接した。
朝日新聞の該当記事

 大正11年生まれ、94歳での旅立ち。

 先日帰郷して会ってきた北海道の父と同じ戌年の生まれだ。

 宝塚出身で、数多くの映画に出演された。

 原爆に関する映画に出演されたことでも知られている。

 昭和25(1950)年の「長崎の鐘」は、戦後最初に原爆をテーマとして日本映画だ。当時の長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井隆の随筆に基づいている。永井が原爆爆心地に近い同大学で被爆した状況と、右側頭動脈切断の重症を負いながらも被爆者の救護活動に当たる姿などが描かれている。
 GHQの検閲もあり原爆を直接批判する映画には出来なかったので、永井の半生を描く映画となっており、月丘さんは永井の妻役を演じた。

 そして、出身地でもある広島に関する映画、その名も映画「ひろしま」に、ノーギャラで主演された。

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                (写真はWikipedia「ひろしま」より)
Wikipedia「ひろしま」

 同映画は、日教組プロにより昭和28(1953)年に製作され、昭和30(1955)年に第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞した。

 この映画は、後に新藤兼人監督・脚本で映画化された『原爆の子』と同じ長田新編纂による文集『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店、1951年)を原作としている。

 八万人の広島市民がエキストラで出演している、市民参加の反戦映画と言えるだろう。

 上映にあたっては、GHQへの忖度などから批判的な意見も出たようだ。

 しかし、フランクリン・ルーズベルトの妻、エレノア・ルーズベルトが高く評価したり、ベルリン国際映画祭で長編映画賞を受賞したことが、この映画の価値の証左である。

 月丘さんが、この映画について語っているYoutubeを見つけたので、掲載する。



 松竹専属だったが何度も嘆願して出演した映画だったことや、現地で目にしたアメリカの映画人や歌手のように、富を得た者が何等かの形で社会に還元することの大切さなどが語られている。

 残念ながら、この二つの映画を見ていない。

 「長崎の鐘」、「ひろしま」をぜひ見たい。

 月丘さんの追悼の意味でも、ぜひ地上波でもBSでもCSでもいいので、放送して欲しいと思う。


 月丘夢路さんのご冥福を、心よりお祈りする。


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by kogotokoubei | 2017-05-08 20:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 NHKの朝のドラマ「ひよっこ」の一週間分(通算で第五週)をBSで見た。
NHKサイト番組ページの該当週のあらすじ

 このドラマの評価はいろいろあるだろうが、少なくとも効能があるとしたら、かつての日本の電気製品やその作られ方を知ることができることだろう。

 主人公は茨城から東京に出て、向島電機に就職。
 トランジスタ・ラジオのプリント基板に部品を手作業で挿入していくラインで仕事をすることになる。

 足がついた部品(DIP:Dual Inline Package)を基板に順に差し込んで行く製造ラインの建物は、「鳥小屋」と呼ばれいた。
 なぜなら、二本足の部品を基板に差し込む様子が、鳥がエサを啄(ついば)む姿に似ていたから。

 主人公のみね子は不器用で、最初はラインを止めてばかりいる。
 後に続く人が間違いに気づくとブザーを鳴らしてラインを止めるのだが、みね子は何度もブザーを鳴らす張本人となる。

 この番組では、かつての女性マラソンランナーがナレーションを務めていて、当時のトランジスタラジオについて、どんな部品で構成されているか説明もあった。

 なかなか、ためになる。
 
 東京オリンピック開催時期の頃が時代だが、日本で最初の携帯型のトランジスタラジオは、昭和30(1955)年にソニーから発売された「TR-55」だ。
 ソニーのサイトに、その写真を含め説明されている。
ソニーのサイトの該当ページ

 ソニーのラインにも、多くの女性社員が並んで、基板にトランジスタや抵抗、コンデンサなどを流れ作業で装着していた。

 彼女たちは、トランジスタ・ガール(トランジスタ・グラマー、ではなく^^)、と呼ばれていた。
 

 今、スマホが当たり前の道具と考える若者こそ、この番組を見るべきかな、などと思って見ていた。

 世界最初のコンピュータは、アメリカが第二次世界大戦でのミサイルの弾道計算に使おうとしていた「ENIAC(エニアック)」。しかし、完成は戦中には間に合わなかった。
Wikipedia「ENIAC(エニアック)」

 エニアックは、1秒間に10万回のパルスで各電子機器の同期をとっていたので、動作周波数0.1メガヘルツ(MHz)となる。
 現在のパソコンのマイクロ・プロセッサの動作周波数はギガヘルツ(GHz)の単位となっていて、1GHz=1,000MHz。
 動作原理が異なるので単純比較はできないが、同期をとる周波数で考えると、今日のパソコンはエニアックの1万倍以上速いということになる。

 もちろんスマホに搭載されているプロセッサも、もちろんギガヘルツのレベルだ。
 エニアックで使用された真空管は17,468本、その広さは、床面積450㎡で136坪だ。なんと、重さは30トン。
 Wikipediaによれば、ペンシルベニア大学の学生が1995年にENIACを7.44mm x 5.29mmのシリコン基板上にエニアックを再現した、とのこと。

 「TR-55」は、ソニーで8ミリビデオの製品名でも復活した栄誉ある名。
 昭和30年生まれなので、トランジスタラジオの「TR-55」は、私と同じ年に生まれたことになる。
 私はラジオ、カセットデッキ、βビデオ、8ミリビデオなど、ソニー製品の愛用者だった。
 そのソニーが、今のような停滞した状況になるのは、どうにも残念でならない。
 
 向島電機は、ソニーが先鞭をつけた後に続くトランジスタラジオの町工場の風景を、ある程度のデフォルメを許せば、結構大事な日本の戦後の復興の姿として再現してくれている。

 
 個人的なノスタルジーもあるが、たしかに、あの頃を懐かしく思うであろう視聴者を期待して作られた作品なのかもしれない。

 ドラマとしての「ひよっこ」は、失踪した主人公の父親が田舎の人間にはどうしても見ることができないなど不満もあるが、かつての日本の電気産業勃興期の製品のことや、それを作ってきた多くの人々のことを知る効能はあるようだ。

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by kogotokoubei | 2017-05-06 12:55 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)
 三代目三遊亭円歌の訃報を、旅の空の下で知った。
 落語協会のHPによれば、今日がお通夜、明日が告別式のようだ。喪主は奥さん。
落語協会HPの訃報

 拙ブログの「三遊亭小円歌が、二代目立花家橘之助を襲名」という記事へのアクセスが急増しているのは、師匠の訃報と無関係ではないだろう。


 実は、日曜から昨日まで、二泊三日で北海道の両親の家に、十三年ぶりに帰っていた。記事の間隔が空いたのは、そのせいなので、ご容赦のほどを。

 九十五歳の父は、昨年転んだ際に古傷の膝の皿を痛め車椅子ではあったが、内臓には悪いところはなく、一緒に酒も飲めた。
 九十歳の母も、歩くと腰が痛いとは言うが、いたって元気。
 その母の喜寿の祝い以来の帰郷だった。

 近くに住む兄二人や、兄の子どもと孫たち(両親にとっては曾孫)も集まっての宴会は、大いに盛り上がった。


 さて、そうそう円歌のこと。

 私が訃報に接してすぐに思い出した彼の言葉がある。

 それは、春風亭一之輔の真打昇進披露興行における口上でも述べられた言葉だ。
 私は、大千秋楽の前日、5年前5月19日に聞いた。
2012年5月19日のブログ

 かつての名人たちは、それぞれ個性的な口上の言葉を持っていた。

 円歌の「手を取って 共に登らん 花の山」は、真打になってからあらためて始まる落語家としての人生は、奥さんとの二人三脚である、ということを言いたかったのだろう。

 きっと、会場の片隅にいた一之輔の奥さんにも聞いてもらいたかったであろうこの言葉は、私の胸に深く沁み込んだ。きっと同じような感慨を抱いたお客さんも多かったと思う。
 真打昇進披露の口上において、あれほど厳粛な一瞬を今まで感じたことはない。


 円歌の傑作『中沢家の人々』は、内容は老人たちの行動や言葉の滑稽さで笑いを取るものだが、親子の愛情が底流に流れている前提があるからこそ、いつ聴いても楽しめる普遍性を持つネタになったのだと思う。


 円歌は、奥さんと一緒に、手を取り合って花の山に登ることができたのだろう。

 実は、北海道の両親が、周囲の草木やツツジなどの花が眺められるお寺に墓を用意してあると聞いた後で円歌の訃報に接したため、あの言葉がすぐに頭に浮かんだのだった。


 「北の湘南」と言われる地域ではあるが、桜はまだ咲いていなかった。
 
 しかし、庭のツツジが綺麗だった。
 町(市)の花にもなっている。
 私のガラケーでは上手く撮れなかったので市のホームページから拝借。
北海道伊達市のHPの該当ページ

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 老いた両親は、しっかり手を取り合って人生の花の山を登ってきたように思う。

 円歌の言葉をしみじみ思い出す、北への旅だった。

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by kogotokoubei | 2017-04-26 12:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛