噺の話

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2017年 06月 23日 ( 1 )

 前の記事で、円生の本から、「噺が箱にはいる」ということや、「未完成の完成」という記述について紹介した。

 いただいたコメントから、弟子が師匠の真似から脱することの難しさということに思いが至った。

 しかし、師匠から継承すべきもの、自分自身の芸として発展させるもの、という問題は、なかなか深い問題を孕んでいると思う。

 そんなことを考え、書棚にある何冊かの本に目を通してみた。

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榎本滋民著『古典落語の力』(ちくまライブラリー)

 榎本滋民さんの『古典落語の力』に、実に示唆に富んだ内容を見つけた。
 章の題が、この記事の題でもある。
 引用する。

伝えるものと創るもの

 落語が古典の名に値するには、伝統の継承と個性の創造という、古典の必要条件を、みたさなければならない。
 まず、規矩がなければ、古典ではない。落語は堅苦しい「型」のない、自由無碍な芸能であると、よくいわれるが、これは、はなはだ誤解されやすいいいかたで、絶対不動の定型こそなけれ、流動性をもつ「型」、無形に近い「型」はあるものであり、それが、芸能をして芸術たらしめる、規矩というものなのである。

 我が意を得たり、という内容。
 
 以前紹介した十代目金原亭馬生に関する本の記事では、馬生が弟子に発した「何でもいいんだよ」という印象的な言葉を紹介した。
2014年9月18日のブログ

 しかし、あくまで、規矩を大事にした上で、何でもいいんであって、「型」をないがしろにしては、それこそ、かたなしだ。
 
 榎本さんの本の続きを紹介。
 実は、この中に、円生の『寄席育ち』からの引用がある。
 規矩を余分な障害と思い、不自由さを劣悪な状態と考えることが、そもそもまちがっている。芸術にとっての規矩は、内燃機関や圧力釜における圧力のように、望ましい爆発や燃焼や噴出を得るために加える、不可欠の手段なのであり、不自由であればこそ、豊かな創造がなされるのである。だから、規矩は守られなければならない。
「初心のうちは師匠の教えてくれたとおりを演るべきもんだと思います。ものまねだと言われても結構、教わったとおりにちゃんとまねをするだけでも容易なことではありません。ましてやそれを本当の自分の芸にするまでには、随分年月がかかります。おのれの力を出せるだけの域に達しなければ、むやみに師匠を離れるべきもんじゃアない」(三遊亭円生『寄席育ち』)
 一方、規矩は、とらわれてはいけないものでもある。
「落語は、教わったとおりに演らなくても良い。従来できているそのまま演るのは死芸であって、咄家の手柄が表われない。他人と違うのが良い」(『四代目柳家小さん・遺稿』)
 これは、前説と矛盾しているようでありながら、決してそうではない。三遊派と柳派の落語観や芸能論の特色は出ているものの、一つの本質を両面からとらえた、二つの正論であり、継承と創造に関する、段階論でもあると、受けとるべきだろう。
 先人の芸はなぞってなぞってなぞり抜けという教えと、師匠の影法師や模型になるなという教えは、どちらも正しい。

 読んでいて、なんとも複雑な思いになった。

 前回の記事にいただいたコメントで、円生の“影法師”と言われた三遊亭好生、その後の春風亭一柳のことを思い出した。
 とにかく、師匠円生が大好きで落語家になった人だ。
 円生を“崇拝”していた、とも表現されている。

 しかし、円生は、高座姿から語り口まで、自分にそっくりな好生の芸を嫌ったと言われる。若い時分の下手だった自分の姿を見ているように思ったらしい。
 
 円生は、榎本さんが引用した著書の文章にあるように、芸の発展途上段階では、“ものまねだと言われても結構”と思っていたのではないのか・・・・・・。

 あるいは、円生が、当時の好生は“おのれの力を出せるだけの域”に達していることを、認めていた、ということか・・・・・・。

 最初の集団真打昇進で好生が真打に昇進しても、披露目に師匠が出ることはなかった。
 結果、昭和53年の円生一門落語協会脱退の際、好生と川柳は落語協会に残った。
 好生は円生とは犬猿の仲の八代目正蔵の門に入り、春風亭一柳と名乗った。
 彼のことは、後日また書くことにしよう。

 
 さて、伝えるもの、そして、創るもの・・・・・・。

 落語という芸の深さをあらためて感じた、榎本さんの文章だった。


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by kogotokoubei | 2017-06-23 21:27 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛