噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2017年 06月 07日 ( 1 )

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立川談四楼著『シャレのち曇り』

 さて、後半。
 立川談四楼著『シャレのち曇り』の「第一章 屈折十三年」から、昭和五十八年五月に行われた落語協会の真打昇進試験で、立川小談志と談四楼が落された後のお話。

 談志は二軒の家を持っている。一軒は新宿柏木のマンションで、そこに家族を住まわせ、もう一軒は練馬の一戸建、来客用、書斎として使っている。談四楼が小談志とともに午前十一時、その練馬の方の家へ行くと、居間には四人の知った顔の女がいた。ブレーンとも言うべきか取り巻きと言うべきか、正確にはそこにいたのは三人で、一人はなぜかトイレで寝ていた。三遊亭楽太郎の女房であった。前夜、宴会があったのは明らかで、男達は皆帰ったと言う。
「師匠は」ときくと、中の一人が、
「二階で寝(やす)んでる。二時には出かけると言ってたから、十二時に起こすことになってんの」と、張れぼったい顔をこちらへ向けた。
 昼少し前、「どしたい」と談志が顔を出した。思ったよりさっぱりした顔付きだった。
 談四楼と小談志は逆に、女友達と同じような顔をしていたはずで、重度の宿酔のように青白く、しかも強張っていた。
「師匠、申し訳ございません。揃って試験に落ちました」
 思わず目をつむった。案の定、
「何ィ、もういっぺん言ってみろ」
 殴られた記憶はないが、この時ばかりは覚悟した。談志は、声の調子を落とした。
「そんな筈はねえだろうよ。それが証拠にゆンべ、三平さんとこの源平が受かりましたと報告に来て、パーティに出てくれとかなんとか、大はしゃぎして帰ったぞ。じゃあなにか、てめえ達の方が源平よりマズイってことか、俺の弟子が三平の弟子よりマズイのか、そんなバカなことがあってたまるか」
 談志は興奮してきた様子で、急に声を張り上げると受話器に飛びついた。
「俺だ、渡辺を出せ」

 前回も登場した“渡辺”とは、落語協会の事務局長を務めた人。
 2001年の9月に亡くなっている。志ん朝が旅立つ少し前。

 さて、その後どうなったのか。

 電話をかけた先は落語協会事務所で、談志だ、と名乗らずともそれが誰かを察したようだった。渡辺は留守だった。談志は受話器を叩きつけた。ポケットベルでも使用しているのか、電話はすぐにかかってきた。
「いいかよくきけ、二度とは言わねえぞ。小さんに電話させろ、他の理事でも誰でもいい、うちの弟子が落ちた理由を明確に述べろ。もしそれが納得できなかったら、俺にも考えがあるぞ」
 談志は、ドスの効いた声で捲し立てた。
 更に数人の理事の名前を出し、即刻理事をやめさせろと続けた。
 話を終えた談志の顔には、皮肉な笑いが浮かんでいた。
「ナベが俺に何と言ったと思う」
 両名怪訝な顔をすると、
「そのまま小さん師匠にお伝えしてもよろしいんでございましょうかだとよ。呆れ返(けえ)った大馬鹿野郎だ」
 実際、この渡辺という男、血も涙もない丸太ン棒である。
 試験が済んだその目白(小さん)宅で、結果はいつ発表になるのか、どういう方法で発表するのかという二ツ目の問いに、
「存じません、あたくしは何も知らされておりません」の、一点張り。何も知らない筈の男がその晩、受かった四人にオメデトウと電話を入れ、落ちた六人には知らせなかったのだ。

 談志の怒りの凄さが分かる。
 さて、この後、事態はどうなっていったのか。

 後日の話になるが、二日目も三日目も梨の礫だった。五日ほど経ってようやく一通の茶封筒が届いた。中身は事務用の横書きの便箋が一枚で、
『先日の審査会の結果、下記の四名の方が、合格致しました。なお、本年秋に審査会を催します。日程等につきましては、あらためてご連絡致します。社団法人落語協会』
 とあった。その下に合格者四人の名が連ねてあり、「以上」としてあった。おつかれさまでしたでもなければ、ごくろうさまでもない、ただそれっきりの紙っぺらだった。せめて、『サクラチル』ぐらいはあってもよい。ま、ほんとにあったら喧嘩になること必定であるが。
「なお、本年秋に審査会を催します」というのは追試験のことである。誰が受けるかそんなもン、この大馬鹿野郎。
 試験の結果について、ある事情通はこう言い切った。
「会長の弟子小里ん、副会長の弟子花蝶、三平門下三人のうちの総領弟子源平、それに抜擢の正雀、以上四人ゴウカーク」
 鋭い見方をすると思ったが、それはいかにも協会幹部の考えそうなことだった。

 この“茶封筒”“事務用便箋”の“紙っぺら”と、その内容には、何らそれを受け取る相手への気遣いが感じられない。
 どこか、改悪された今の落語協会ホームページの味気なさにも似たものがあるように思う。事務方が“丸太ん棒”である、ということだ。
 ともかく、正式に(?)不合格が伝えられたのだ。
 文中の“ある事情通”が誰かは分からないが、たしかに、政治的な力が働いているとしか思えない結果である。
 この後、談志の協会への電話の後のことに、話は戻るが、印象的な談志の長科白がある。

 渡辺との電話を切り、そこで女達のいれたお茶をひと口啜った談志は、とうとう、
「よくやった、でかした」とまで言い出した。
 ぶん殴るられるかと思っていただけに、その展開は意外だった。
 オレ達のせいで談志の名を汚した。二人の背中に押された、ヘタクソ印の大きなスタンプ。「弟子も満足に育てられないのか」という談志に対する世間の集中砲火。次から次に押し寄せる悪い連想。
 談四楼と小談志は、物事を悪い方にとるという小心な体質を有していた。申し訳なさで、その胸は張り裂けんばかりであったのだ。
「よオしこいこい、面白くなってきゃあった。やりゃあったねあいつら、いつかこういうことになんのはわかってた。よし、俺は協会を出るぞ。どうする、ついてくるか。ま、俺が出ても彼奴(きゃつ)らにはまだわからんだろうがな。しかし、危機感を持っている者には何らかのインパクトは与えるだろう。落語界を活性化させる為にも、出なきゃしゃねえだろ。喜ぶ奴がいやぁんだろうな、うるせい奴がいなくなったてんで、目に浮かぶねまったく。
 俺がいなくなっても、協会はしばらくは保(も)つだろう。だが、いずれ滅びる、これは言える。俺の改革案ひとつも取り上げねえんだ、そらまあ見事なもんだ。
 こないだ言ってやったんだ師匠に、このまんまじゃ保たねえと。したら小さん何てったと思う。後のことなんぞ俺は知らねえってんだ。わかるかこの意味。つまり俺が死ぬまで保ちゃいいってんだ。無責任と片づけるのは楽だが、小さんにしてもそういう状態に追いこまれてんだ。仮に後のことはおまえに任せると、とりあえず俺が言われたとしようか。断わるね、まっぴらだね、束ねていく自信がねえもん。現状はお手上げだ。言っとくが円歌や金馬じゃもたねえぞ。志ん朝でも無理だろう。な、そんなとこにいる理由がねえだろ。だから出ると、こういうこった。
 小さんは俺の師匠だ。誰が何と言ってもそうだ。だがな、今、俺と小さんの間にあるのは、師弟、すなわち親子という血の繋がりだけなんだ。芸、つまり落語に関する接点は最早ない。心配するな、そこは俺が何とかする。快楽の代償は高いというわけだ。おまえ達二人の為に出るんじゃねえぞ、勘違いするな。いいキッカケなんだおもえ達の一件は、いいか、試験に落とされたからってペコペコ卑屈になるんじゃねえぞ、胸張って堂々と歩け、落された、陰謀で落されたって大騒ぎしろ、方々行って喋りまくれ。こんなもん、受かった方がみっともないってぐらいのもんだ。よし、ビールでも抜けや」
 談志は、出かけるのをやめて、両名に檄をとばした。
「これは面白い、是非出るべきよ」
「あたしもそう思う、賛成だわ」
「ねえ、それ脱退ということでしょ。カッコイイー」
 女達は、自分のことではないので気軽に言いたいことを言ったが、悪い気はしなかった。

 談志の長科白は文字にして約800字、原稿用紙二枚分。

 談四楼の記憶と若干の創作によるものだろうが、あの試験結果への談志の思い、そして落語協会脱退、立川流創設の理由や背景は、この800字にほぼ込められていると思う。

 それにしても、あの場にいた女性陣、楽太郎の奥さん以外は、どんな顔ぶれだったのか・・・・・・。
 ま、それはいいか^^

 昭和五十八年の真打昇進試験についての記事ということでは、これにてお開き。
 とはいえ、本書『シャレのち曇り』からは、今後もご紹介する機会があるだろう。

 さて、今日は休みととったので、これから落語協会の寄席に行くつもりだ。

 あの時、談志が「このまんまじゃ保たねえと」と言った状況から、30年余り経った。

 志ん朝も談志当人も、今はいない。

 しかし、なんとか保ってきたその現場を見に行くことにしよう。
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by kogotokoubei | 2017-06-07 09:32 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛