噺の話

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2017年 05月 29日 ( 1 )

 金曜の池袋まで、いろいろ野暮用で落語に行けなかった。
 その間、ネットで調べていて、この落語会を発見していた。

 あら、日曜の昼だ・・・・・・。
 恒例のテニスの日。

 しかし、どうしても三日間開催の千秋楽、トリの談四楼の高座を聴きたくて、演芸場に電話したところ、チケットが二席残っているとのこと。
 これはご縁があるということと、テニスを休んで隼町へ。

立川流落語会と言っても、人気者は、初日に談笑、二日目に志らくが出るが、志の輔と談春は出演しない。
国立演芸場サイトの該当公演のページ

 これが三日目の顔ぶれ。

28日(日)
落語  立川三四楼
落語  立川小談志
落語  立川志ら乃
落語  立川雲水
  -仲入り-
落語  立川談慶
落語  立川ぜん馬
字漫噺 立川文志
落語  立川談四楼 

 相当前に志ら乃を聴いているが、他の人は初めて聴くことになる。
 いただくコメントで評価の高い古参ぜん馬は、体調が悪いと伝え聞くので、気になっていた。

 名前の売れている四人の誰も出ない三日目、トリが談四楼となれば、私の天秤ばかりでは、テニスより“ら族”の立川流が重くなった^^

 “ら族”については、昨年、談四楼の著書『談志が死んだ』について何度か書いた中で、談志の祥月命日の記事でふれた。
2016年11月21日のブログ

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立川談四楼著『談志が死んだ』(新潮文庫)
 昨年の記事では引用しなかった文章を、『談志が死んだ』より紹介する。
 談志が死んだ際、様々な活字が新聞や雑誌に躍った。中にその後進育成に触れた記事があり、それは概ねこうだった。「・・・・・・談志は名伯楽でもあり、志の輔、談春、志らくらを育てた」。
 その場合は三羽烏などという言葉が添えてあり、そこに談笑を加えて四天王とするメディアもあって、いずれにしても志らくら、談笑らであり、ら族とは志らく、談笑のらなのである。
 談笑が入るんなら生志を入れてやらないとヘソを曲げるぞ等の一門における意見はあったが、その三人もしくは四人が談志によって育てられた代表的な弟子であると、マスコミは報じていた。つまり直弟子二十一人中、十七人がその他大勢の扱いを受けたわけで、先述のように、いいツラの皮であった。

 命日の記事にも書いたように、私は、実は“ら族”こそが、談志のDNAを継いでいる人たちではないかと思っている。

 演芸場の窓口でチケットを受け取り近くの中華料理店で昼食をとってから、会場へ。

 客席は九割ほど埋まっている。
 しかし、客層は志の輔や談春の会とは違う雰囲気。寄席に近い空間とでも言って良いかもしれない。

 出演順に、ネタと感想などを記す。

(開口一番)立川だん子『転失気』 (12分 *12:46~)
 登場して、会場に静かなざわめき。女流で、若い・・・とは言えない。
 談四楼の弟子とのこと。後で調べたら三年前の入門。誕生日は分かったが、生年は不明^^
 高座の方は、前座としてなら決して悪くない。医者と珍念との会話で、「玉子は御所車」など寺の隠語を挟むあたりの工夫も楽しかった。
 それにしても、どういう経緯で落語界に入ったのかなど、少し気になる方ではある。
 なお、だん子と次に登場した三四楼については、談四楼の「だいしろう商店」というサイトの弟子紹介ページでプロフィールを確認できる。
「だんしろう商店」サイトの弟子紹介ページ

立川三四楼『天狗のお願い』 (14分)
 紹介したサイトにあるように、快楽亭ブラック門下から移った談四楼の筆頭弟子らしいが、なんとも不思議な人だ。
 高座で立ち上がって大声でなにやら自己紹介。
 本編は新作。主人公の男の部屋に天狗がやって来て、翌日のTPP(天狗プロフェッショナル会議)参加のために、鼻をカタに一万円を貸してくれと言ったことから始まる噺。鼻用の小道具や天狗のお面なども使うネタに、会場もやや引き気味だったように思う。

立川小談志『お菊の皿』 (17分)
 前座がまとめて破門になった時の被害者(?)の一人。今は龍志の預かりらしい。
 二ツ目で泉水亭錦魚を名乗っていて、その名だけは記憶に残っていた。
 ようやく本来の古典落語を聴けた、という印象。
 なかなか気持ちの良いリズムの語り口。
 「幽霊と貧乏人、どちらも、オアシがない」なんて地口も含め、江戸の風を感じさせる。
 龍志という新師匠の選択は間違っていないようだ。 
 
立川志ら乃『子ほめ』 (18分)
 唯一、聴いたことのある人が登場。
 ブログを始める前にも聴いているが、横浜にぎわい座での2008年9月の「志らく百席」以来なので、9年ぶりになる。
2008年9月4日のブログ
 最初の「志らく百席」には数回行っている。結構、意識的に聴きに行った時期だった。
 志ら乃は、こしらと共にすでに真打昇進が決まっていたので、談志の一周忌での記念落語会に出演しているようだが、家元の孫弟子としては、もっともそのDNAを感じさせる。
 高座での素振りも、意識しているのかどうか分からないが、どことなく、「う~」という言葉や間を含め、家元に似てきた。これは、結構後から悩みの種になるかもしれない。
 マクラでは表参道で教会が実施したホームレス(150人!)への「炊き出し」の余興として落語を披露したという逸話。その時と同じネタを、とこの噺。
 八五郎が「赤ん坊はどこだ~」と言う、なまはげ的な演出などもあったが、基本は大きく変えていない。
 ギャラは炊き出しのカレーライスです、と言ったら会場が不満を訴える雰囲気になり、翌日神父からお礼のメールの中で、ある一人の男が千円札を神父に私、志ら乃に渡してくれとのことだった、というのはもしかするとネタか^^
 先日、菊丸の一席目でもこの噺を聴いたが、違う味わいとはいえ、前座噺を真打がしっかり演じれば楽しいという実例を連続して聴いた印象。家元の孫弟子の筆頭と言えるだろう。

立川雲水『阿弥陀池』 (22分)
 仲入りは、神戸出身で、文都亡き今、立川流で唯一上方落語を演じる人。
 談四楼の著作では、談志が亡くなる前後で、一門メンバーに精力的に連絡役を果たしたらしい。
 現在、立川流の公演情報は、この人のブログで案内されている。
立川雲水のブログ
 なかなか楽しい高座だった。
 たとえば、男が聞いたばかりの作り話、米屋のおっさんが泥棒に刺された一件を友人に語る件の一回目に、心臓と言う場面で「しんねこ」->「しんおおありくい」から「しんぞう」になるあたりも可笑しい。
 しかし、町内を調べつくすことについて、「町内の落合信彦」は、ちょっと古くてマイナーで、客席の大半のお客さんには難しすぎるだろう^^

 なるほど、こういう人もいたんだ、と発見した気分。
 それにしても、東にいて上方落語を演じるにあたっては、稽古するにしても苦労は多いだろうなぁ、と思う。
 
立川談慶『紙入れ』 (17分)
 後半は、かつて立川ワコールを名乗っていたこの人。
 ネタに入る際の羽織の脱ぎ方が粗っぽく座布団の脇に置きっぱなしで、それが最後まで気になった。
 落語をあまりお聴きではないお客さんも多かったようで、会場からこの日もっとも多くの笑いを引き出していたように思うが、一つ一つの所作も大事なのだ。
 雰囲気や芸風は林家種平に似ているような印象。
 笑いのツボは押さえているように思うが、落語家としてのツボもしっかり押さえて欲しい。

立川ぜん馬『唖の釣り』 (22分)
 ようやく聴くことが出来た。昭和56年、二ツ目の朝寝坊のらく時代にNHKで優勝している実力者だ。
 マクラで、二年前に急に声が出なくなり病院に行くと、食道癌のステージ4と言われたと明かす。その後の放射線と抗がん剤の治療で快復しつつあり、なんとか高座に上がることができた、と笑顔で語る。
 声はかすれているが、落語を演じることのできる喜びを全身で表現するような高座だった。
 マクラで釣り好きの小咄をふっていたので、「もしかして、『野ざらし』か?」と思っていたらこの噺。
 生の落語でなければ味わえない楽しさに溢れていた。
 今年のマイベスト十席とはいかないが、何か賞を贈呈したいので、を付けておく。

立川文志 字漫噺 (15分)
 立川流では貴重な色物。
 寄席文字に似た文志流の江戸文字を書く人。
 その内容などは、ご本人のサイトに詳しい。
 立川文志のサイト
 奥さんをネタにした造語を江戸文字にした内容が多かった。
 「一住一妻」などは褒める内容だが、結構恐妻家か、と思わせる内容で笑いをとっていた。

立川談四楼『人情八百屋』 (25分 *~15:54)
 春の国立演芸場でのこの会も、開催からすでに七・八年経ち定着してきたとマクラで語る。また、もう七回忌と言っていたが、そうか、六年経ったか。
 春日清鶴の浪曲を元に談志が創作した噺を、とこのネタへ。
 しかし、浪曲の前に講談があったようなので、講釈->浪曲->落語、という沿革の中で磨かれてきた噺と言って良いのだろう。
 亡くなって約三ヵ月後のBSジャパンの追悼番組で、縁ある人が、家元のネタで何が一番好きか、という問いに、吉川潮がこの噺を挙げていたことを記事に書いた。
2021年2月9日のブログ
 聴いたことがなかったので、嬉しいネタの選択。

 『唐茄子屋政談』で徳が誓願寺長屋(せいがんじだな)の貧しい母子の家を訪れた後から始まるような、こんな内容。

(1)棒手振りの八百屋を営む平助が女房に訊ねる。十日ほど前、霊岸島で貧しい母子に出会った。聞くと、亭主は患って寝たきりとのこと。残った茄子と持っていた三百文を渡してきたのだが、あれっぽっちの銭じゃ、失礼だったか。できた女房に、そりゃ失礼だ、家の有り金全部持ってお行きと言われ再訪。

(2)その親子の住む長屋に着くが、貸家になっている。不審に思い近所の人に聞くと、平助が訪ねた後、因業大家の伊勢勘がやって来て恵んだ銭を店賃の一部だと持って帰ったとのこと。平助に申し訳ないのと、哀しみのあまり夫婦は二人の子どもを残して死んでしまったとのこと。

(3)その話を聞かせてくれた女性の旦那が鳶の頭(かしら)で、その夫婦が、その子供たちを預かっているとのこと。今、夫は出かけているが、八百屋さんに会いたがっているから、線香をあげて、帰りを待っておくれ、と言われた平助。

(4)平助が仏壇に向かって悔やみをつぶやいているところに、頭が子どもとたちと一緒に帰ってきた。この頭、夫婦が自殺したのを知り大家の家に乗り込んだ。伊勢勘はどこかへ引っ越したようだったが、日頃の怨みが募る長屋の連中と一緒に、その家を取り壊したらしい。

(5)町方同心も伊勢勘には厳しくあたり、長屋連中には憐み深いお沙汰になったとのこと。頭から、ぜひ義兄弟になって欲しいと言われた平助。弟分になった頭は、残った子供たちが心配だだ、いつ火消で命を失うかわからない鳶があずかるわけにもいかないから、平助夫婦に預かって欲しいと頼む。

(6)子供に恵まれなかった平助は、喜んで二人を預かると請け合う。あらためて迎えに来ると言って頭の家を去りかけた平助が振り向いて頭に言う。子供を育てたことのない身で、果たして躾ができますでしょうか」

(7)頭の「大丈夫だよ。火消の俺が、とても火付けはできねぇ」でサゲ。

 談四楼の高座で光ったのは、まず、平助夫婦の会話。中でも、女房の優しさと内に秘めた強さがしっかり伝わった。
 そして、群馬生まれの談四楼による鳶の頭の江戸弁も悪くない。
 機会があれば、『大工調べ』など聴きたくなった。
 平助に世話になることになった時、健気に挨拶をする姉のタミ、無邪気ながら平助を慕う弟のゲンの姿も、聴く者の目頭を熱くさせる。
 なかでも印象に残ったのは、頭が最初、二人のうちどちらかを預かってくれ、と言うのだが、平助は「いえ、二人とも預かります。二人いれば、哀しみは半分になり、喜びは倍になると言いますから」の言葉だ。この場面、良かったなぁ。
 初の談四楼で、この人の力量の高さを十分に感じた高座、今年のマイベスト十席候補とする。


 終演後、喫煙室で一服しながら、余韻に浸っていた。
 談四楼、そして、ぜん馬を聴くことができただけでも、来た甲斐があった。

 談志の七回忌記念の秋の落語会は、大きなホールで開催するようなので、行くつもりはない。
 次は談四楼の独演会にでも足を運びたいと思っている。

 “ら族”どころではなく、雲水、ぜん馬、もちろん談四楼も含め、それぞれ一枚看板である。

 私は談四楼のツィッターのファンでもある。
 時事ネタを交えながらも、ユーモアたっぷり。
 さすが、小説も書ける噺家。

 23日の小満んの会には行けなかったが、なんとか、今月も月末に二度、落語会に行くことができた。
 偶然にも菊丸と談四楼の二人は、昭和二十六年生まれ、私の四つ年上で六十六歳。
 団塊の世代の少し下で、私とほぼ同じような時代を生きてきた人たちだ。
 こういう人たちの元気な高座を聴くのは、自分への励ましにもなるような気がする。
 そんな思いのした、金曜と日曜の落語会だった。
 
 
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by kogotokoubei | 2017-05-29 12:27 | 落語会 | Comments(4)

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