噺の話

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2017年 05月 15日 ( 1 )

 先週末のテニス合宿、宴会の余興で『鈴ヶ森』と『野ざらし』をご披露したのだが、合宿前に落語愛好家仲間である佐平次さんのブログで目にした小三治の言葉が、実にタイミングの良い助言となった。

 佐平次さんの「梟通信~ホンの戯言」の5月6日の記事で目にした、ある本からの引用だった。
「梟通信~ホンの戯言」の該当記事

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『落語の愉しみ』(岩波書店「落語の世界」第一巻)

 佐平次さんの記事を読んで、引用されていた本『落語の愉しみ』を私は読み返した。
 岩波書店「落語の世界」全三巻の第一巻に掲載されている柳家小三治へのインタビューは、聞き手が大友浩さんで、時期は2003年1月。

 あらためて小三治の言葉を確認しよう。

ー落語は、口調でトントンと運んでいくものではなく、人物をそこに浮き立たせるように演ずるのが本寸法だというお考えをお持ちでしょう。
小三治 そんなことはありません。人物を描くってことは、不可欠です。だけど、ぽんぽんしゃべっていくことが人物を表さないことにはならない。
ーああ、なるほど。
小三治 そういう基本的なことに心をとめて探究しようという姿勢をあまり感じないというか、そういうことに気がついてるんだろうかと・・・・・・。『二ツ目勉強会』へ行っても、わたしはいつも同じことしか言わないんですよ。
 それは、「そこにいる人に向かって話しかけろ」ということですね。ご隠居さんと八っつぁんの会話なら、ご隠居さんは八っつぁんに向かって話しかけろ、ということです。それがどうも、客席全体に向かって話しかけている人が多い。これでは人物は出てこない。
 (中 略)
 人物が出るってことは、年齢や職業ということは当たり前ですけれども、それに加えて、距離感、空気感のようなものが出ないと・・・・・・。
 それは技術ではないんですよ。心にそういうことを思ってしゃべれば、自然と表に出てきて、お客さんにそれが伝わるんです。速くしゃべろうと、遅くしゃべろうと、そういう気持ちがあればお客さんに伝わるんですよ。 
 お客さんに向かってひけらかすのではなくて、自分に向かって表現する。すると、その姿がお客さんに見えてきて、お客さんが舞台を覗き込むようになるんですね。
 まあ、いろんな芸の形があっていいんでしょうけれども、あまりにも客席にぶつけるようにして笑わせるというのは、一人でやってる漫才あるいは漫談と同じようなものになってしまう。わたしだって、マクラをしゃべるときはお客さんの興味を喚起するようにもっていきます。だけど、(登場)人物と人物でドラマをつくっていくときには、舞台の上に世界をつくって、それに対してお客さんが首をぬーっと伸ばしたくなる、というのが理想だと思ってるんです。

 この小三治の言葉で、「ハッ」とした。

 これまで、宴会の余興で、自分の落語は誰に向かって語っていただろうか・・・・・・。
 聴いているお客さん(仲間)に向かっていて、笑いを取ろうとばかり思っていなかっただろうか・・・・・・。

 このインタビュー記事では、もう一つ印象的な小三治の言葉がある。

ー師匠が「そこにいる人に向かって話しかけろ」ということをお考えになったのはいつ頃からですか?例えば前座さんの頃からとか・・・・・・。
小三治 入ったときは、そんなことは考えませんねェ。はっきり覚えてないです。噺の稽古っていうのは、昔から「三遍稽古」といって、初日に師匠にやってもらい、「ありがとうございました」って帰って、二日目にまたやってもらう。三日目に行くときは、教わる者が師匠の前で演じる。それでああだこうだ言われて、その後また師匠がやってくれるというのが原則らしいんです。わたしはいっぺんもそういう稽古はありませんでしたけど、そういうことを頭に入れて「本当はそうなんだよな」と思いながらやっていました。
 入って何カ月ですかねェ、今の(柳家)つば女と、もう一人ほとんど同期の三人がいっぺんに『道灌』を師匠の前でやることになったんです。一人目がやり終えると、師匠が何かいうわけですよ。二人目、何かいう。三人目がわたしだったんです。
 途中までやったらね、「もういいよ、お前。今までやったの聞いてたんだろ」(笑)。
 そのときだったか、あるいは別の機会だったかよく覚えていないんですが、当然、隠居さんは隠居さんらしくやらなきゃいけないということは知っています。隠居さんらしくといても、年をとってなきゃいけないというぐらいしか頭にないんんですよ。おじいさんなんだろうと。そこへ来る八っつぁんは、若い者で威勢がいいと。そのぐらいのつもりで始めたわけです。
 隠居さんと八っつぁんは、その時点でわたしは見事に演じたと思いましたよ。隠居さんは隠居さんらしく、八っつぁんは、職人のべらんめい口調で、威勢よくぽんぽんと。
 そこですごいことを言われたんです。本当に雷に打たれたっていうのは、あのことですね。
「お前の隠居さんと八っつぁんは、仲が良くねェな」。
 これはねェ、大ショックでしたねェ。「うわァ、すごいッ」と思いましたよ。
 年をとってるのと若いのとだけをやれば噺ができるわけじゃない、ってことですよ。二人はどういうつながりで、どういう付き合い方をしてきたのか・・・・・・。そこから後は、自分で考えろ、ですよ。放っとかれますから。徹底的に放っとくんです。怖いでしょう、放っとかれたら。

 凄いね、五代目小さんの言葉。

 小三治の『道灌』では、2013年9月の、県民ホール寄席第300回記念の高座を思い出す。
2013年9月26日のブログ

 あのご隠居と八っつぁんは、実に仲良しだったなぁ^^


 先週土曜の夜、昼のビールに夕食のワインと日本酒が加わって、話せるかどうか実に危ない状況だったが、なんとか「登場人物に向かって話せ」と心に言い聞かせて、せめて一席だけでもと、一之輔のニフティ寄席の音源で稽古した『鈴ヶ森』を話しはじめたら、結構、泥棒の親分とマヌケな子分との楽しい会話になってきた。
 鈴ヶ森に着いて、子分が尻を端折ってしゃがんだら、そこにタケノコが・・・という場面では皆大爆笑。
 人が通りかかり、子分が飛び出したものの逆に凄まれて謝るところでサゲ、これで今日は勘弁という感じで高座(実はベッドの上)から降りようとしたら、「え、一つだけ!?」という抗議(?)の声。
 つい、そのまま八代目春風亭柳枝版を元にした『野ざらし』にとりかかった次第。
 「四方の山々雪溶けて、上げ潮南にどぶーりどぶーり」のあたりで若干口ごもったものの、なんとか尾形清十郎と八五郎の掛け合いをこなし、舞台は向島。八五郎が妄想している最中つい釣竿を振り回して針を顎にひっかけ、その針を抜いて捨てたところで、サゲた。
 
 二席とも、あくまで落語の人物に話しかける、ということを意識して演じたら、噺の中に自分もどっぷり入り込めた気がした。
 
 小三治の助言に大いに感謝。

 今回の二席を含め、これまでテニス仲間と大学同期の仲間の前で演じた噺は、次のようになった。

 『道灌』・『金明竹』・『寿限無』・『牛ほめ』・『替り目』・
 『小言念仏』・『千早ふる』・『代書屋』・『高砂や』・『居酒屋』・
 『うどん屋』・『雑排』・『厩火事』・『買い物ブギ』・『看板のピン』・
 『天災』・『目黒のさんま』・『紙入れ』・『元犬』・『持参金』・
 『三方一両損』・『たらちね』・『そば清』・『親子酒』・『藪入り』・
 『子ほめ』・『夜の慣用句』・『あくび指南』・『転失気』・『二人癖(のめる)』・
 『夜の慣用句』・『子別れ(子は鎹)』・『鈴ヶ森』・『野ざらし』

 合宿や同期会の直前に音源を聴き込んで稽古したからなんとか出来たものばかりで、もちろん、これだけの持ちネタがあるというわけではないので、念のため。


 私のような落語好きが、実際に人前で落語を披露することにより、失敗も含めその難しさを体感し、寄席や落語会でプロの噺家の高座を聴く姿勢、態度が変わる。
 
 今回の、登場人物に向かって話せ、という教訓は、今後の高座を聴く時の重要な視点になるだろう。

 お客に向かって話しているのか、その登場人物に話しているのか・・・これは、実に大きな違いであるが、結構、客席に向かって話している人が多いのである。

 小三治の言葉、若手の噺家さんに、しっかり噛みしめてもらいたい、実に有難味のある助言だと思う。

 小三治が指摘するような、距離感、空気感が漂い、つい首をぬーっと伸ばしたくなる、そんな高座に少しでも多く巡り合いたいものだ。

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by kogotokoubei | 2017-05-15 12:59 | 落語の本 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛