噺の話

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2017年 04月 17日 ( 1 )

 ものぐさなせいで、普段持ち歩くバックの中に古い資料などが詰まったままになっており、紙も量が増えると、結構重くなる。

 少し中身を整理した。

 落語会のチラシや自分のメモやら寄席のプログラムやらに交じって、ずいぶん前に、落語愛好家仲間のIさんからいただいた新聞の切り抜きが出てきた。

 それが、これ。
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 「親父の小言」として普及していた内容の元となる資料が発見された、という記事。

 調べてみると、この新聞の記事は、NHKの解説者による情報が元になっていたようだ。
 「視点・論点」でも取り上げたらしいが、NHKサイトの解説者のページに、嘉永版と昭和版との違いなどを含めて載っていた。一部を紹介する。
NHKサイトの該当ページ

 結局、仏教図書館の写本は、江戸末期までに出版された教訓書10点を写して合本したものでした。その一つが「親父之小言」で、本文は嘉永5年板と同じ81カ条です。正確な書写年代は不明ですが、他の教訓書の内容から、江戸末期から明治初年にかけての写本と推定されます。
 したがって、江戸時代の「親父の小言」は、今のところ嘉永5年板の81カ条以外には存在しません。さらに古いものが見つかる可能性は十分ありますが、81カ条と同系統のものと考えられます。いずれにしても今回の発見で、『親父の小言』は昭和3年を約80年遡る嘉永年間には成立していたことが明らかとなったのです。
 この情報をマスコミ数社に伝えたところ、ある新聞社がいちはやく取り上げてくれ、東京版では「親父の小言、起源は江戸」、大阪版では「ガミガミ親父、江戸にいた」の見出しで報道していたのが印象的でした。

 さて、嘉永5年板『親父の小ごと』は、思いつくままに81カ条を列挙したようで、関連する箇条が前後に分散しがちです。また、嘉永板と昭和版とでは箇条数が大幅に異なるため、各箇条を分類・整理してみました。
 すると、両者の小言の構成比は大差ないことが分かりました。

 この分類では、①の対人関係の心得が最も多く全体の2割を占めます。その三分の一は、老人、病人、困窮者、身寄りのない人など弱者に対するものです。この点は「小言」の大きな特徴です。
 ②の家業・家政の心得が多いのは当時の教訓書の通例です。また、③の危機管理も家業・家政と関連しますが、特に、火事や天災に対する心構えは「小言」の強調点の一つです。
 その一方で、⑥の修己・修身や、⑦の家族・家庭の心得が極端に少ない点が目立ちます。当時の教訓書では、むしろ⑥や⑦に関する事柄に比重を置くのが一般的です。
 このように、「親父の小言」は、対人関係の箇条が際立っています。そこには、世間の人を「人様」と呼ぶ精神が息づいているように思います。「小言」を読むと、私はいつも評論家の草柳大蔵さんの逸話を思い出します。
 石屋に生まれ育った大蔵少年が中学三年のある夏の日。これから銭湯へ行こうというのに、わざわざ父親が井戸端で行水をして、体を奇麗に拭いていました。それを見た大蔵少年は、「銭湯へ行くのに、どうして体を拭くの。それは不合理じゃないの」と言いました。すると、父親は「銭湯で着物を脱いで汗臭かったら、人様の迷惑だろうが!」と叱ったそうです。
 私もそうですが、現代人の多くの人が、大蔵少年と同じ発想になるのではないのでしょうか。
 そう言えば、最近は「人様」という言葉もあまり聞かなくなりました。ややもすると、「人様」より「俺様」の時代かもしれません。江戸時代に庶民道徳を説いた「石門心学」の教えも、「俺が俺がが増長すると、一生おかしな人間になる」と戒めています。

 嘉永板を公開後、多くの方々から感想を頂きました。160年前の『小ごと』は今や懐かしい「頑固親父」の象徴であり、そこから、多くの人が日本人の心を感じ取っているようです。特に、対人関係を重視する『小ごと』は、江戸の「もてなし」や「ふるまい」の心を現代に伝えるメッセージと言ってもよいでしょう。
 本来、無名の「小言」を国民的な格言に引き上げたのは、紛れもなく大聖寺の45カ条であり、暁仙和尚の尽力によるものです。そして、今回の嘉永板の発見は、江戸時代の文化や歴史の痕跡が意外と身近な所に残っている事を示す一つの証であり、江戸文化の奥行きを感じさせるものでしょう。
 45カ条にしろ、81カ条にしろ、「親父の小言」が時空を超えて語り継がれ、近い将来、その文言が「ことわざ辞典」に採録されることを密かに願う次第です。

 小言という言葉を名前に持つ身としては、実に貴重な資料の発見と、あらためて感じ入っている次第。
 Iさん、遅ればせながら、切り抜き記事ありがとうございます。

 嘉永版を入手された小泉吉永さんは、『江戸に学ぶ人育て人づくり』(角川SSC新書)や『江戸の子育て十カ条』(柏書房)など、往来物を元にした著作を多数書かれている。
 「往来物倶楽部」というサイトも運営されており、嘉永版の古書の写真や、「八十一カ条」の内容も、同サイトで紹介されている。希望者には冊子も送ってくれる。
 
「往来物倶楽部」の該当ページ

 NHKで取り上げたことや、毎日や他のメディアでの掲載についても、このサイトで紹介されている。
 実は、Iさんからいただいた新聞の切り抜きは、ところどころ破けてしまっていたので、小泉さんのサイトに掲載されていた新聞画像を拝借して掲載した次第。

 一つ一つの小言は、あくまで「庶民」の立場での処世訓であり、「俺様」という発想を排し、目上の人や相手を敬う「人様」という姿勢が根底に貫かれている。


 昭和版の普及に貢献した大聖寺は、あの福島県浪江町にある。
 
 その浪江町では、20ミリシーベルトというとんでもない基準を基に、3月末をもって多くの地域で避難指示が解除されるという状況になっている。

 こちらも、毎日から引用。

毎日新聞の該当記事

浪江町
避難指示解除へ 町長「苦渋の決断」 危機感も

毎日新聞2017年2月28日 09時59分(最終更新 2月28日 10時08分)

 東京電力福島第1原発事故で福島県浪江町に出ている帰還困難区域を除く避難指示について、馬場有町長は27日、3月31日に解除する政府案を受け入れた。町民説明会などでは町内の除染の効果や生活インフラへの不安から解除を疑問視する声が目立つものの、町長は、町に帰りたい住民の思いを尊重した「苦渋の決断」であることを説明。住民帰還を進めて人口を確保しないと、将来的に町が存続できなくなるという危機感もうかがえた。【土江洋範】

 同県二本松市の仮役場であった町議会全員協議会の冒頭、馬場町長は町議の意見を聞いた上で自らの考えを述べると説明。一部町議は「解除は時期尚早」と訴えた。

 「空間放射線量が比較的低い場所だけを解除すべきだ」、「避難指示が解除されると、避難者への支援策が打ち切られる不安を拭えない」、「第1原発の廃炉作業は安全が確保されているのか」--。町長は腕を組んでうつむき、時々顔を上げた。

 町議から賛否両論の意見が出た後、町長は立ち上がり、政府案の容認を表明。声を詰まらせながら「町を残すためには、今この時期に解除することが必要だ。この6年間、町民の塗炭の苦しみを振り返ると、悲しみ、悔しさ、無念の思いがあふれ、言葉にすることもできない。その中で誰もが強く願ってきたのは、浪江をなくしてはいけないということだ」と語った。意思表明は約12分にわたった。

 復興庁などが昨年9月に実施した世帯アンケートでは「戻りたい」17.5%▽「判断がつかない」28.2%▽「戻らない」52.6%--との結果になり、前年より帰還意欲が下がった。

 全員協議会後、町長は報道陣に対し、「これまで『町長。早く戻してくれ』という町民の声が頭にこびりついている。その言葉があったので苦渋の決断をした。これ以上(避難指示の期間を)長くすると帰りたいという方の心が折れてしまう」と述べた。解除のタイミングの限界を「今回が最終ステージ」と表現した。一方で、住まいや買い物などの生活環境は最低限との認識を示し、住民帰還を促進するために環境整備を急ぐ考えを説明した。

 町は27日、町長名で「避難指示解除に関する町民の皆さまへのメッセージ」をホームページに公開した。


 兄弟ブログ「幸兵衛の小言」に、20ミリシーベルト基準の問題などを書いた。
「幸兵衛の小言」2017年3月8日の記事

 国が「大丈夫」と言ったって、まだ放射線量は危険値を上回っている。
 チェルノブイリの基準と比べてみれば、20ミリシーベルトという基準がどれほど問題かは明白だ。

 なぜ、日本政府がチェルノブイリに学ぶことができないのか、不思議でならない。

 それは、「人様」という考え方が欠落しているからではないのか。

 浪江町の人々にとっては、戻りたくても戻れない故郷なのだ。

 その浪江町のことを忘れないためにも、「親父の小言」の内容を噛みしめたい。

 教育勅語を復活させようとする「俺様」たちがいるが、「人様」への気配りを最優先にする「親父の小言」の方が、はるかに「教育」的だと思う。


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by kogotokoubei | 2017-04-17 12:54 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛