噺の話

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2017年 03月 30日 ( 1 )


 三月三十日は、二代目露の五郎兵衛の祥月命日。

 昭和7(1932)年3月5日生まれで、八年前の平成21(2009)年3月30日に、満77歳で旅立った。

 このところ“江戸前”の笑いについて書いてきたが、今回は上方の噺家さんについて。
 昨年、笑福亭松枝の本の引用で、露の五郎兵衛一門のことを書いた。
2016年2月21日のブログ

 米朝、松鶴、春団治、文枝などの一門と比べると、東京での知名度は低いように思うが、最近は露の新治が東京での落語会や寄席への出演で評価を高め、昨年は芸術祭優秀賞を受賞するなどにより、その名が浸透しつつあるように思う。

 以前記事で書いたが、新治が演じる『中村仲蔵』は、師匠の五郎兵衛が八代目林家正蔵に稽古してもらったものを継承している。

 そのことからも分かるように、五郎兵衛という噺家さんは、東京との縁が薄からぬ存在で、鈴本や国立演芸場への出演もあったらしい。

 新治の東京での活躍は、そういった師匠が作ってくれた財産が大いに役立っているということだろう。
 
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 露の五郎兵衛の著書『上方落語夜話』(執筆時は、露乃五郎)から、五郎兵衛の落語という芸の捉え方が伝わる文章を紹介したい。

 本書は、朝日カルチャーブックスの一冊として、昭和57(1982)年、大阪書籍より発行された。

 この本からは以前にも『蛸芝居』に関する記事で、初代桂文治について書かれた文章を紹介したことがある。
2014年2月1日のブログ


 朝日カルチャーセンターで二時間づつ五回に渡って話した内容を元に、神戸のタウン誌『センター』に連載した記事、そして神戸新聞や京都民報、『上方芸能』に書いた内容などを補って整理した内容で、上方落語を知る上で非常に有益だ。

 第一章から第四章までは、自分の体験談も交え上方落語の歴史を説明しているが、第五章は趣が変わって「落語の楽しさ」となっている。 その第五章から引用。

 落語はドラマです

 約三百年の間にそれぞれの演者が工夫をこらしながらみがきぬかれ現代に語りつがれてきた落語ですが、今日でも、その工夫はつみ重ねられているわけで、俗に古典落語といわれている落語でも、いたずらに故人の遺産を守っているだけではありません。と、いいますのが、落語はその時代その時代に生きているもので、その時、その場所、そのお客に合った演出で演じなければ、落語自体が死んでしまいます。ですから、落語家は出演者であると同時に演出家でもあるわけで、演出家の目で演者としての自分をみつめ、似合わない役柄の人物は出てくる場面をへらしたり、別の人物に代弁させたり、作品(ネタ)の中の人物を自在にあやつれる演出家としての力がなければなりません。

 最初この文章を読んだ時、「それは、当たり前じゃないか」と一瞬思った。
 しかし、すぐに、その当り前のことがなかなか難しいのだよな、ということも痛く感じた。

 引用を続ける。

その物語の背景になる時代はいつにするか。江戸時代か、明治か、現代か。たとえば、それによって、物のねだん一つでも変わってくるわけです。そうして演出家としてねににねった作品を演者として充分に演じきったときにはじめて、面白い落語が出来るわけで、基礎をきっちり習うことはもちろん大切ですが、それを、そのままくりかえすだけでは何にもなりません。その作品にその演者の息吹きがふきこまれて、だれそれの何、と、言われる落語になるのです。

 基礎ができている上で、演者の息吹きをふき込む、という言葉は重要だ。

 この部分を読んで、露の新治の『中村仲蔵』のことを思った。

 仲蔵が、自分の工夫した斧定九郎の演出に客席から何ら反応がなく、「しくじった」と思い江戸を離れるつもりでいたのだが、街で仲蔵の芝居を褒める声を耳にする、という場面。
 師匠五郎に伝わった正蔵版は、上方へ行く道すがらの魚河岸で、芝居を観てきた河岸の人たちの会話で、自分を褒める言葉を耳にする、という設定だった。
 新治は、上方に行こうと決めて家を出たものの、つい足が中村座の方に向かってしまい、そこで、小屋から出てきた客が仲蔵を褒める言葉を耳にしてしまう、という設定。
 師匠から継承したものかどうか勉強不足で分からないが、この演出の工夫は悪くない。特に、上方で演じる場合は、魚河岸という場面設定は違和感があるかもしれない。
 
 何より正蔵、師匠五郎兵衛から継承している大事なのは、「たった一人」でも褒めてくれる人がいたことを仲蔵が知ること、である。
 そこに、あの噺が、よりドラマチックになることは聴いていて、よく分かった。

 落語とドラマ、については続けてこのように書かれている。

そして、そのすぐれた落語が文字になった時に、文学!! とさえ思われる者が出来上がるわけで、だれのどの落語でも活字になって文学的であるわけではありません。けれども、演出の上手下手はともかく、落語がドラマであることにはまちがいありません。目のつかい方で遠近や感情、仕草の一つ一つが、舞台装置や小道具をおぎなって、扇子と手拭いだけで、時にはパントマイムすれ演じるのです。
 ご覧いただく方の頭の中に、その場面が浮かび上ってこそ、その落語の味わいがわかるのです。高座と客席の知的な遊びの交流がなければ、ドラマとは程遠い、単にギャグでゲラゲラ笑っておしまい、と、いう、つまらないものになってしまいます。
「いや、俺は、その方が好きなんだ」
 と、おっしゃられれば、それまでですが・・・・・・。

 いやいや、ゲラゲラ笑うだけでは、私は嫌だ^^

 こんなことも書かれている。

昔は「はなし二百の節三百」と、申しまして、落語は二百人、節のついた浄瑠りや浪曲は三百人くらいが最適といわれていました。これは、マイクのない時代、声の通りの問題でもありましょうが、演者の目の動きが最後列のお客様からでも見える範囲をいったものといわれています。近ごろは、上方ではホール落語その他、会場が広くなってまいりましたせいと、話芸という概念、マイクが良くなった、まァいろいろいな条件が重なって、どうも、本当の面白さが、演じる方も、見る方も、ちょっとちがってきているような気がしています。

 よく分かるなぁ。

 私は、今では千人を超えるような会場の落語会には行かない。

 「はなし二百」という言葉、覚えておこう。

 ちなみに、私が好きな末広亭は、一階の椅子席が117席。桟敷は上手側、下手側で各38席と、末広亭のサイトには記されている。これは、座布団を目一杯詰めて並べての数字だとは思うが、合計で一階がほぼ二百、「はなし二百」に合致。
 
 鈴本は285席と少し広い上に、昔の佇まいがなくなっているのが、残念。

 池袋は93席。高座から噺家の唾が飛ぶ距離で迫力満点ではあるが、少し狭すぎる。
 浅草演芸ホールは一階239席、二階101席。名前からしてホールなので、寄席の雰囲気は味わえない。

 国立演芸場は、300席だが、結構好きだ。前の方の席なら、十分に噺家さんの表情が見てとれる。

 上方の天満天神繁昌亭は、一階153席、二階63席のようだ。
 ほう、合計で、ほぼ「はなし二百」ではないか。

 小満んの会を楽しんでいる関内ホールの小ホールは264席。あれくらいがちょうどいいね。

 つい、「はなし二百」から、詳細に至ってしまった^^


 昨年2月の記事で紹介した笑福亭松枝の本には、桂枝雀一門と上方落語協会会長になった際の露の五郎兵衛とのぎくしゃくした関係についても、少し書いていた。
 具体的な内容までは松枝は明かさなかったが、どうもネットなでで流れている情報によれば、枝一門総領弟子南光と五郎兵衛との相性の悪さが背景にあったと察せられる。
 その件は、これ以上ほじくり返してもしょうがないだろう。
 
 私も、露の五郎の第一印象は、良くない。
 少年時代にテレビで見た五郎兵衛は下がかって話が好きな好色じじい、という印象で、長らく私にとっては贔屓の噺家ではなかった。

 しかし、新治を知ることからその著作などを読み、印象は一変した。

 早い話が、知らず嫌いだった。

 二代目露の五郎兵衛、もっと評価されてしかるべき人である。

 上方落語に関する著作も貴重だし、もちろん、その芸そのものも半端じゃなかったと思う。

 『大丸屋騒動』の音源を聴き、生の高座ではないにしても、芸の深さを痛感した。
 聴いていて、噺の場面がはっきり目に浮かんだ。
 引用した文にあるように、「その場面が浮かび上ってこそ、その落語の味わいが」わかったのだ。

 
 明日31日、天満天神繁昌亭では、「第八回 露の五郎兵衛追善落語会」が開かれる。
天満天神繁昌亭サイトの該当ページ

 きっと、それぞれの高座に“ドラマ”があるはずだ。

 こういう会のことを知ると、上方の落語ファンの方が羨ましくなる。

 江戸前もいいが、上方もいいのだ。


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by kogotokoubei | 2017-03-30 22:31 | 上方落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛