噺の話

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2017年 03月 26日 ( 1 )


 冷たい雨で、恒例のテニスが休み。

 最近買った本を読んでいた。

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高田文夫著「誰も書けなかった『笑芸論』」(講談社文庫)
 
 講談社文庫で発行されたばかりの高田文夫の本。

 高田文夫の「笑芸」に関する本ということでは、ずいぶん前に、彼が編集した「江戸前で笑いたい」について記事を書いたことがある。
2008年9月6日のブログ

 また、先代の文治について、高田文夫が日刊スポーツに書いていたコラムをまとめた「毎日が大衆芸能」から紹介したことがある。
2013年1月30日のブログ

 この「誰も書けなかった『笑芸論』」は、2012年4月に、不整脈で八時間の心肺停止から奇跡的に助かった後で、リハビリがてら2013年から「小説現代」に連載したコラムと、書き下ろし(第三章)による本。

 真っ先にめくったのが。古今亭志ん朝のページ。

 志ん朝の弟子だった右朝と高田が日大芸術学部の落研で同級だったことは有名な話。
 なんとこのいページの写真は、右朝の葬儀で弔辞を読む志ん朝の姿・・・・・・。
 同じ年の10月1日に、志ん朝も旅立った。

 その志ん朝の葬儀について、新発見。
 
 2001年10月6日、文京区の護国寺での告別式。木遣に先導された棺は江戸前そのものだった。
「名人!」「矢来町!」「朝サマ!」。
 それぞれが心の中で叫んでいた。
 そして静かに、薄く聴き慣れたメロディが流れてきた。なんとサザンオールスターズの曲に送られての出棺だった。あまりにその芸風と生き方にドンピシャで、涙があふれて止まらなかった。
 惣領弟子の志ん五が私に教えてくれた。
「うちのジャリ(娘)が選曲したの。師匠にカラオケ連れてってもらうと、必ずサザン歌うからだって」
 意外だった。言われてみればサザンと志ん朝、おしゃれな青春のにおいがする。

 私にも、この選曲は意外だった。
 好きなジャズなら、さもありなん、だったが。

 ほぼ同世代のサザンは嫌いじゃないが、昭和13年生まれの志ん朝がカラオケでサザンのファンだとは、思わなかった。
 

 以前書いたが、私はしばらく落語を聴くことのない時期があったが、2001年10月1日、その偉大な噺家の旅立ちを契機に、音源を中心に落語をまた聴き、その数年後、かつての赴任地越後ではかなわなかった寄席や落語会に通い始めた。

 だから、護国寺の告別式には行っていない。
 
 行かれた落語ファンの皆さんにとってはご周知のことなのだろうが、本書で初めて志ん朝葬送のBGMを知った次第だ。

 なぜ護国寺だったのか。

 護国寺を選んだのはこの数年前、芝居の師とあおぐ三木のり平先生の葬儀がここでとり行なわれ、とても良かったので自分の時もここでやって欲しいと言い残していたから。

 想い出した。のり平先生のお通夜の清めの席。数ヵ所にビデオが置いてあり、モニターからのり平芝居の名作が次々と流れていた。「らくだの馬さん」やら「文七元結」やら。
 それを観ながら私と高平哲郎が呑んでいるのをみつけた志ん朝師が、「あン、実に弱ったもんで」と例によって鼻を広げながらやって来て、一緒に一杯やりながら、「子の芝居はこうで、この時はこうで」と嬉しそうに教えてくれた。
 志ん朝師は、のり平とジャズが人一倍好きだった。

 この後、高田文夫が学生時代に聴いた「二朝会」の思い出が語られる。
 そして、放送作家となってからの志ん朝との関係などの思い出を語った後、次の言葉で締められている。

 志ん朝がいてくれた豊かな時代、それは我々東京っ子の“若い季節”だったのかおしれない。
 昭和23年生まれの高田文夫は、志ん朝のちょうど十歳年下になる。
 まったくの偶然だが、一昨日の記事で紹介した荒井修さんと同じ年生まれの団塊の世代だ。

 八時間の心肺停止から命を取り戻したのは、天がこの本の内容のように、得難い「笑芸」の記録、記憶を残すことだったのか、などとも思いながら、半分くらいを読み進んだところ。


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by kogotokoubei | 2017-03-26 16:26 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛