噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2017年 03月 17日 ( 1 )

 午前中は、毎年この時期恒例(?)の人間ドックを予約していたので、一日休みをとって、午後から小里んが主演の末広亭の昼の部へ。

 今回は、居続けはできない。
 
 入場した際は、夢葉の手品の途中。
 なんと、平日とはいえ椅子席は九割ほど埋まっていた。
 仲入り時点では、椅子席はほぼ埋まった。

 壁に貼ってあった出演一覧を見ると、開口一番の後の二ツ目以外は代演がない。
 実に珍しいのではなかろうか。

 夢葉の後に、まだ、数名しかいない好みの下手の桟敷、前寄りに落ち着くことができた。

 登場順に感想などを記したい。

柳家海舟『金明竹』 (11分 *12:25~)
 初めて聴く。二年前に真打昇進した主任の小里んのお弟子さんだが、なんと、私よりたった二歳下で今年還暦。入門が四十二歳だからねぇ。
 年齢よりは若く見えるが、語り口は相応に渋い^^
 松公の地で状況を簡単に説明し、奇妙な関西弁を話す男が登場。
 サゲにつながるキーワードを印象付けようということなのかもしれないが、「木ィが違うとります」を繰り返すのは、いただけない。
 これが師匠の型とは思えない。短い時間で演じるための工夫かもしれないが、初めて聴く人にもサゲを悟られるような演出は良くないなぁ。
 自分の年齢を武器にできるだけの古風な良い雰囲気を持っている人なので、本来噺が持つ味わい、可笑しみで演じて欲しい。

柳家喬之助『つる』 (15分)
 マクラからの丁寧さはいつもの通りなのだが、そろそろ若手から中堅の域にかかる時期、噺にもう少し深さというか、重さのようなものが欲しい。
 明るく元気な高座は好感が持てるが、師匠さん喬、兄弟子喬太郎から、もっと盗めるものがあるはずではなかろうか。

ホンキートンク 漫才 (8分)
 何度聞いても、ことわざの現代風言い換えが可笑しい。
 「海老で鯛を釣る」→「エビはタイから輸入する」は、今度使わせていただこう^^

宝井琴調 講談『赤垣源蔵 徳利の別れ』 (17分)
 初である。落語協会に三名しかいない講談の一人。
 見た目も、髪をオールバックにし、さも講談師然としている。
 討ち入りを前にし別れに寄った兄の家。留守の兄の代わりに羽織を相手に酒を酌み交わす源蔵が、討ち入り後に、下男の市助に見せた爽快さ、そして気配りが(日本人なら)泣けてくるのだ。まさに、「講釈師、見てきたような嘘」が結構だった。
 源蔵のモデルである赤埴重賢(あかばね しげかた)は、実は下戸であったらしい。また、兄はなく、討ち入りの前に妹の嫁ぎ先に行って、妹の舅から仇討ちをしないことで罵られた、と言われている。
 あくまで、歌舞伎も講談も、「忠臣蔵」は“お芝居”であり創作であるが、そこに聴く者の胸を打つものがあれば、それが芸というものだろう。
 
三遊亭吉窓『狸の札』 (13分)
 どうも、この人とは相性が悪い。この高座も、駆け出しの真打クラス、という印象。

柳家小菊 粋曲 (11分)
 「お酒ひと樽 千両しようとままよ 主の寝酒は絶やさせぬ」なんて、我が家の同居人に聞かせたいぞ。
 都々逸の新内のアンコ入りや、さのさも挟んで、この時間。
 「水攻め火攻めは厭わねど 油攻めとはーあぁ~情けなや」と豆腐が嘆くのは初めて聞いたような気がするが、忘れただけかもしれない。「親たちゃ在所で豆でいる」とは、目出度い目出度い。
 両協会を含め、三味線の技術、歌、見た目を含む総合力でトップであることを再認識。

柳家はん治『妻の旅行』 (16分)
 当代文枝作シリーズの一つだが、初めて聴いた。
 定年を迎え、女房が沖縄旅行に出かけ、犬と一緒に留守番の亭主が、息子に向かって嘆く女房と二人暮らしの悲哀(?)が、なんとも説得力があることか。
 オリジナルのサゲまではいかなかったが、小さなテレビで野球を楽しんでいる時に、三時間のサスペンスドラマを観ている女房から「こっちを見て」と声がかけられ、「この人が犯人よ」とか、橋から何者かに突き落とされた人物の姿に「あれ、人形よ」と話す女房に辟易する様子が、実に可笑しい。
 やはり、文枝の作品は、この人が演じる方が、ずっと面白い。

林家種平『ぼやき酒屋』 (14分)
 あら、はん治の十八番を、この人も演るんだ。
 同じ寄席の席で文枝の新作を二つも聴くのは初めてだなぁ。
 独自のオヤジギャグ風クスグリ満載。
 「モズク酢 レーニン主義」「漬け物 名を名乗れ」など。
 この人では以前に『お忘れ物承り所』を二度聴いているだけなので、古典はまだ一度も出合っていないことになる。
 前座時代に、立川談四楼、らぶ平、柳家権太楼(当時ほたる)の四人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコード(CDじゃない^^)を出している。
 芸風からは、こういう噺の方が合っているのだどろうが、古典滑稽噺も聴いてみたいものだ。結構、悪くないと思うのだがなぁ。

林家正楽 紙切り (13分)
 ご挨拶代わりの「相合傘」の後、お客さんの注文に応じたが、「雪の穴に落ちたシロクマ」というお題を出したお客さんは、本当は、ただの紙一枚を希望したのだろうか^^

柳家小満ん『素人鰻』 (16分)
 仲入りはこの人。神田川の金が酔って飛び出すところまでの短縮版で下がったが、もう少し聴きたかったなぁ。
 幕末のことに関するマクラで、ペリー艦隊を脅かそうと、台場に寺から集めた釣鐘を大砲の代わりに並べたという逸話で「唐人に釣鐘・・・本当は提灯に釣鐘ですが」と元ネタを説明しなければならないもどかしさが表情からうかがえた。来週関内で開催される独演会(小満んの会)などでは、説明のいらないクスグリだろうが、寄席のお客さんの反応を見ての種明かしだったのだろう。
 「提灯に釣鐘」は、つり合いがとれないという意味だが、ホンキートンクなら、どう現代風に言い換えるかな、なんて思いながら聴いていた。

林家木久蔵『やかんなめ』 (14分)
 クイツキは、この人。マクラでこの名前を襲名して十年、と言っていたが、そうか、早いものだ。ということは、この九月で真打昇進からも十年、ということだ。
 高座は、それだけのキャリアなら、まぁ、当たり前という印象。親の七光りを隠すこともなく、天然キャラで売ってきたが、今後の十年が、本当の勝負だろう。

ロケット団 漫才 (12分)
 上手側、ツッコミ役の倉本剛が入院していたことを知っているお客さんから「治ったのぉ?」と声がかかり「治ったよう!」と返した。
 胃に三つ穴が開いて、先月五日間ほど入院していたらしい。
 ボケ役の三浦は去年膝の手術で入院したようだ。 
 ともかく、二人元気になり、メデタシ。
 テレビではできない危ないネタで会場を沸かすこのコンビ、好きだなぁ。
 「大麻・コカイン・タンジェント」なんてぇギャグも秀逸。
 最後は、三浦が出身地山形弁を使った十八番ネタで会場を沸かした。
 なお、倉本のブログ「ギョロ日記」は、結構マメに更新されていて、入院のことや、退院後の様子なども、細かく書かれている。入院中や節制中の相棒や同じ事務所のサンドウィッチマンからのイジメ(?)が結構楽しく、ついつい読んでしまった。
ロケット団倉本剛のブログ「ギョロ日記」

柳家小ゑん『すて奥』 (14分)
 動かない主婦を自由に扱うリモコンがあれば、五千円位なら買う、という話に、つい頷く。
 足立区の築85年、7.5坪の三角形の家に住む夫婦の会話による本人の新作。
 同世代なので、ふんだんに散りばめられるクスグリも素直に笑える。
 この人の新作は、おでんを擬人化した『ぐつぐつ』が他の噺家さんでも演じられていて有名だが、他にも数多くあるようだ。しかし、生で聴くのは実は二度目で、まだ、聴いたことのない噺ばかり。
 私より少し年上で今年九月で64歳になるとは思えないエネルギッシュな高座。新作でも古典でもいいので、もっと聴きたい人、のリストに加わった。

柳家小はん『馬のす』 (14分)
 三木助から小さん門下、という今年喜寿の噺家さんが、文楽が軽い出番で十八番としていたネタを披露。
 いいなぁ、この人。夫婦の会話の途中で、「隣の婆さんは丈夫だねぇ、死ぬのを忘れたんじゃないかねぇ」なんて科白も、何とも可笑しいのだ。
 馬の毛を抜くと「大変なことになる」という謎をふったまま、酒を二合じっくり飲みながら、枝豆を美味そうに食べる勝ちゃんの姿に、こっちも喉が鳴るのだ。
 池袋では、小のぶが出ているので、どちらへ行こうか迷ったのだが、この人や小のぶは、私のまだまだ聴きたい人リストの筆頭と言える。
 寄席の逸品賞候補として、色を付けておきたい。
 
翁家社中 太神楽 (10分)
 小楽と和助の二人。
 和助の、ハラハラさせる土瓶芸が見応えがあった。
 小花をしばらく見ないが、元気なのだろうか。

柳家小里ん『山崎屋』 (32分 *~16:39)
 吉原の花魁のことなど、この噺に今では不可欠な仕込みのマクラが約五分。
 その後、若旦那に妾を囲っていることがバレた番頭が、若旦那と花魁と一緒になるための狂言を創作し、その芝居をすることに若旦那が合点するまでが、約14分。ほぼ同じ時間で後半が演じられた。
 それぞれの場面をしっかり演じ、聞かせどころ、笑いのツボを外さないながら、実に品のある高座だ。
 かつては円生、そして正蔵が十八番とし、今でも多くの噺家がこのネタを演じるのは秀逸なサゲの魅力のみならず、談志が言う人間の「業」を描いているからだろう。
 初出は「文藝春秋」昭和49年11月号で、その後『真二つ』に収められ、作品社「日本の名随筆」の「落語」の巻の一篇にも選ばれているが、山田洋次は、“あっぱれな親不孝「山崎屋」”と題して、この噺のことを書いている。
 その骨子は、親には孝行しろ、夫婦は仲良くしなさいという健康な道徳意識に、時にはみ出してしまいたい、と思うのが人であって、「つまり、山崎屋の若旦那とその父親は、両方とも民衆の心の中に矛盾しながら生きて」いて、「人間の意識をそのようにとらえて物語にして見せるところに、落語というリアリズム芸術の近代性があるのだ」と山田洋次は言う。なるほど、合点だ。
 この噺では、どうしても五街道雲助の名高座を思い出すのだが、雲助が演じる山崎屋の大旦那は、さもケチであろう、という個性が見た目からも浮かび出ているような気がする。対して、小里んの大旦那は、見た目には気品があり、その吝嗇な性癖が見えにくい。
 だからこそ、その内面が表出する場面が、効果的でもある。
 番頭に言われ、鳶頭(かしら)の家に息子が落した(ということになっている)百両を拾ってくれた礼に山崎屋の大旦那が行くが、番頭の思惑通り、最初は十両の目録を鳶頭が返そうとするのだが、横から女房が「せっかく、大旦那ご本人がわざわざ持ってきてくれたんだから」と、ニンベンの切手と一緒にもらってしまう際の、大旦那の落胆ぶりに、そういった内面が現われていた。また、お茶を出しに来た花魁を見て、その美しさに驚き誰かと問えば、鳶頭の女房の妹とのこと。その際の「おかみさんとは・・・似てないねェ」の呟きにも、この人の本音の部分が窺えて、味がある。
 そういった民衆の代表たる(?)親子の姿を中心として、番頭や鳶頭、そして花魁を配して見事に描いた高座、今年のマイベスト十席候補としたい。


 久しぶりの寄席は、やはりいいねぇ。
 なかでも、小ゑん、小満ん、小はん、そして、小里ん・・・そうか、この席は小さん門下での、小(ショー)タイムだったか。


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by kogotokoubei | 2017-03-17 12:57 | 落語会 | Comments(8)

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by 小言幸兵衛