噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2016年 12月 09日 ( 1 )


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 なんとか、柳家三三の『嶋鵆沖白浪』の最終公演に駆けつけることができた。

 三遊派の円朝と同時代で芸を競った柳派の初代談洲楼燕枝の作品だ。

 この噺から独立した一篇『大坂屋花鳥』は、先代馬生一門を中心に複数の噺家さんが手掛けている。

 しかし、通し、となると三三の独壇場だ。

 5月31日の拙ブログ記事でも紹介したが、今年の開催が決まってから、毎日新聞でインタビュー記事が4月に掲載された。
2016年5月31日のブログ
毎日新聞の該当記事

 毎日の記事から引用。

 口演速記などを基に練り上げ構成、2010年11月に3日連続で口演。端正な語り口が躍動する物語を紡ぎ、大きな評判を呼んだ。さらに翌年、横浜にぎわい座では、6回にわたりほぼ全編を演じた。

 3度目となる今回。「この数年で、噺に対する感覚が変わった。今の時点でやってみたらどうなるか」と、また新たな気持ちでの挑戦だ。

 「いろんな所でやらせてもらうようになって活動の幅が広がり、調子に乗ってやっていると、自分の勉強会と位置づけていた『月例』を、何となく“こなす”ようになっていた。二つ目、真打ちと蓄えた貯金を、その場しのぎに吐き出してやっていた。気持ちがダレてるな、いかんなあと思いました」

 昨年の会から気持ちを巻き直し、「僕にしては驚異的に」稽古(けいこ)にこれまでより時間をかけ、一つの噺を丁寧に見つめ直すことを始めた。

 「スポーツ選手じゃないですけど、稽古は嘘(うそ)をつかないですね。一回ちゃんと体に噺を通しておくと、以前と同じ出たとこ勝負でも、噺の中で登場人物がどうこうしようというのを、落ち着いて楽しめるようになりました」

 実は噺家になって初めて登場人物が勝手に動き出すという体験をしたのが、「嶋鵆沖白浪」の初演だった。「エーッて言うくらい、どんどん勝手にしゃべり出した。今回、またどんな景色が見えて、どんな人たちと出会えるか」

 ほう、登場人物が勝手に動き出しましたか。
 先日、少しだけ私も経験した(^^)、あの感覚だな。

 私は、三三のこの噺と、縁がある。

 初演の2010年11月の紀尾井ホール「談洲楼三夜」に、私は初日のみだが行くことができた。
2010年11月16日のブログ

 この会に触発されて初代談洲楼燕枝のことを知りたくなり、記事にも書いた。
2010年11月19日のブログ

 紀尾井ホールの会で、三三は希望者には自筆のあらすじを送ると言ってくれたので、希望したところ、少し時間が経ってからだが、しっかり送ってもらえたのは嬉しかった。
2011年2月2日のブログ

 この、あらすじの最後に、この噺には後段があると書いていた。
 三三は、毎日の記事にもあるように、翌年、六回十二話に噺を練り直して横浜にぎわい座で公演。

 私は七月の第三夜(『大坂屋花鳥』に相当)と八月の第四夜(題をつけるなら『島抜け』)を聴くことができた。
 
2011年7月7日のブログ
2011年8月5日のブログ

 あの時は、毎回、ワープロのあらすじを渡してくれた。きっと、スタッフの方がパソコンで書いたのだろう。

 当時、私は、翌2012年にも、都内で再演するのではないかと思っていた。
 しかし、にぎわい座から五年を経て、今年開催のニュースを目にしたのだった。

 何かと野暮用もあり、これまでの五回の公演には行くことができなかった。
 都合が良い場合も、気が付いた時は、チケット完売。その人気の高さを感じたものだ。
 
 最終回は都合がつきそうなことと、チケット発売日が日曜で、テニスコートのすぐ脇にコンビニがあることに、私は縁を感じた。
 仲間に断って、午前10時になるのをコンビニで待ち、なんとか入手したチケットで行くことができたという次第。

 結果として、2010年の紀尾井ホールで前半、翌2011年の横浜にぎわい座で中盤、そして今回終盤を聴くことができた。

 イイノホールは2013年12月の、さん喬一門会以来、ほぼ三年ぶり。
 あの年は、一月には一之輔をゲストに迎えた三三の会にも行ったなぁ。

 大きさはほどほどだが、落語には似合わないなぁ、という印象は変わらない。
 立派過ぎるのだ。ドアも重すぎる^^

 500席のチケットは発売から時間をおかずに売り切れていたが、私の席の近くを含め、ちらほら空席もある。
 最近はチケット発売が早く、事前に購入していても都合が悪くなる人だっているだろうと思うので、あり得ることだ。

 次のような構成だった。
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柳家ろべえ『替り目』
柳家三三 『嶋鵆沖白浪』<十一>
(仲入り)
柳家三三 『嶋鵆沖白浪』<十二>
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柳家ろべえ『替り目』 (21分 *19:01~)
 久しぶりだ。昨年1月、横浜にぎわい座で白酒の会で聴いた『ぐつぐつ』以来。
 マクラで本人からも説明していたが、来春真打昇進し小八となる。
 落語ブームとやらでイケメンの若手が人気らしいが、年齢は三十前後の二ツ目が該当するらしく、自分は三十九だし、イケメンでもないので・・・などと語っていたが、結構この人も、いい男だと思うよ。他の流派の若手との交流も増えたが、中には酒癖の悪い人もいて・・・と本編へ。
 酔っ払い亭主としっかり者女房の掛け合いを、楽しく聴かせてくれた。この人らしい味わいが出てきたような気がする。いわゆる“フラ”がある。師匠は、あちらから見守ってくれているはずだ。来年昇進からの一層の飛躍を期待する。そのうち二代目を継いで欲しい。


 さて、三三の高座の前に、関連情報を。
 受付でもらったプログラムに、六人の主な登場人物の紹介と併せて、前回までのあらすじが載っていた。
 せっかくなので(?)で、あらすじを引用したい。
流罪になった三宅島で再会し結ばれた佐原の喜三郎と花鳥のお虎は、小菅の勝五郎、三日月小僧庄吉、僧侶の玄若と小舟で島抜けとし、銚子の浜に流れ着く。お虎とともに馬差しの菊造を討ち念願を果たした喜三郎は、弟・吉次郎に店や両親を託し別れを告げ、江戸へ出る。金に詰まり吉原時代の馴染み客を脅すお虎と喜三郎、そこに声を掛けたのは春木道斎と名乗る浪人。さらに道斎家の女中で梅津長門と父の仇と狙うお峰がいったいどう絡んでくるか・・・。
 馬差しの菊造とお虎、喜三郎との因縁は、紀尾井ホールで聴いている。
 『大坂屋花鳥』に相当する吉原放火事件、そして、島抜けは横浜にぎわい座で楽しんだ。
 なるほど、銚子に漂着した後、喜三郎とお虎は、菊造への仇討ちに成功したわけだ。

 あらためて、三三の高座。
 ややネタばれの内容も含むが、今回のあらすじが送られてくることはないので、備忘録として、お許しのほどを。

柳家三三『嶋鵆沖白浪』<十一>(「勝五郎仇討ち」、32分)
 さて、その後のお虎と喜三郎は、とすぐには進まず、この<十一>は、いわば「外伝」的な内容。
 主役は小菅の勝五郎だ。
 千住の旅籠小菅家の倅に生まれたが、道楽の挙句父から勘当された勝五郎。彼は、父の後妻お仙と情夫湯屋の重吉二人の策略で、父殺しの罪を着せられて島流しになったのだ。
 その勝五郎が、庄吉と一緒にお仙と重吉に、父殺しの仇を討つ話を、エンディングの前に挟んだのだった。
 この噺は、なかなか聴かせどころが多い。庄吉を先に小菅屋に行かせ、勝五郎は八年ぶりに会う女房のお吉に別れを告げに小菅に行く。島流しになった時には、まだお吉の腹の中だった倅の勝之助の顔も拝みたいのだ。
 あばら屋に住むお吉と再会した後の勝五郎夫婦の会話は、一幕の芝居だ。
 『子は鎹』を思わせる面もあるが、任侠の道にいる男と妻なのでやりとりは伝法だ。

 ・勝五郎が小菅屋にお仙と重吉を殺しに行くと聞いて、最初は止めるお吉。
 ・俺の女房なら威勢よく送り出してくれ、と勝五郎。
 ・「行っといで!」と気丈な姿を見せるお吉。
 ・寝入る勝之助の顔を見て、涙をぬぐう勝五郎。

 三三、女性を描くのが、ますます冴えてきたと思う。
 小菅屋でのお仙と重吉を殺す場面、あえて地で語ったのは、やや物足りなさもあったが、血生臭さを抑えようとしたのだろう。
 小菅屋の奉公人と飯盛り女を全員集め、頬被りを取った勝五郎。古参の弥助爺さんが、「勝五郎さんじゃないですか・・・・・・」と、驚く。この弥助爺さんは、お吉が食べるのにも困って小菅屋に来た時、お仙と重吉の二人から「父親殺しの女房に、くれてやるものなどない」と追い返されたのだが、そのお吉に優しい声をかけ、金を渡したのだった。その後も、店の若い者に金を届けさせてくれたから、なんとか八年の間、お吉と勝之助が暮らしてこれたのである。
 勝五郎は「蔵にある金をみんなで分けてくれ。女たちの証文は全部焼く。何か聞かれたら、二人連れの強盗が金を持ち去り、証文を焼いたと言ってくれ」と伝える。
 勝五郎と庄吉は、天保四年十二月二十日、小塚っ原で打ち首となり、短い生涯を終えたのだった。
 まさに、かつての東映の任侠映画を見るような、高座。
 五年前、紀尾井ホールの初日に喜三郎に感じたカッコの良さを、この高座では勝五郎に見た。
 この「外伝」、勝五郎を主役の一篇として独立した噺の可能性を感じたなぁ。単独の高座「勝五郎仇討ち」として、今年のマイベスト十席候補としたい。

柳家三三『嶋鵆沖白浪』<十二>(51分、*~21:00)
 仲入りの後は、ついに大団円。
 とは言っても、この噺だから、ハッピーエンドではない。いや、そうとも言えないか・・・・・・。
 前回、金に困ったお虎と喜三郎が、お虎(花鳥)の吉原時代の馴染みの客、通り四丁目の大文字屋の番頭に、喜三郎を強請りに行かせたところに登場したのが、春木道斎という浪人だったわけだが、今回は、その道斎に家を、お虎が訪ねた場面から。

 お虎は、喜三郎が道斎宅から十両をもらって帰ってきて「まるで、鏡を見ているようだった」と聞いて、道斎が梅津長門ではないかと察していたのだ。
 さて、この男に惚れ、大坂屋に放火までして長門を逃したために、三宅島に島流しとなったお虎。
 そのお虎の長門への復讐が始まる。

 その悪さ振りが、たまらない。
 目を三角にして、道斎を睨みつける。
 記憶をたどると、こんな感じ。
 

 お虎「まさか、たった十両で、終りにしようってんじゃないだろうね」
 長門「・・・・・・」
 お虎「あたしが、どれほど泥水を飲んできたか」
 長門「今は、せいぜい素読の指南位で日々をしのいでいる。十両が精一杯だ」
 お虎「そうかい。それじゃ、大音寺前の殺しのことをバラしてもいいんだよ」
 長門「・・・・・・」
 お虎「通りがかった商人から、二百両盗んで斬り殺したのは誰だったかねぇ」

 ちょっと、私の創作も入っているかも^^

 さて、この会話を聞いていたのが、長門に殺された商人与平の娘、お峰だった。
 探していた父親殺しの敵に仕えていたなんて・・・あくまで物語。
 
 さて、三角の目でじっと道斎を見つめ、あらたな十両をひねり出させて、お虎が家に帰る道すがら、その姿を見かけてついてきた、一人の乞食がいた。
 長屋の外でお虎と喜三郎の会話を確認して、「ごめんくだせえ」と乞食は声をかける。
 なんと、それは、病気で瘡蓋だらけの姿になった、島抜け仲間の湯島の納所坊主、玄若だった。
 さすが、死の淵をともに歩いた島抜け仲間の喜三郎とお虎は、熱い湯で玄若の躰を洗ってやり、食事もとらせる。
 疲れ切っていた玄若は、二階で眠りについた。
 喜三郎は、十両持って賭場へ。
 残ったお虎が一杯やっていると、玄若のとんでもない寝言が聞こえる。
 「お冬、許してくれ。お前がいたんじゃ、喜三郎、お虎と島抜けできねぇんだ」
 三宅島で玄若は、親切に世話を焼いてくれるお冬といい仲になったのだが、島抜けについて行くと言ってきかないので、首を絞めて殺したのだった。
 お虎にとって、玄若の寝言は、薄い壁一枚の長屋の住人には聞かれたくないものだった。
 何度も寝言を言い続ける玄若。怖い目で玄若を見つめるお虎。左手に握りしめた手拭いを丸めて玄若の口を塞ぎ、右手の短刀で心臓を突き刺し・・・とどめは首すじに。
 この場面、お虎が鬼に見えた。

 お虎が布団に玄若をくるんで、ようやくの思いで外に出し、捨て場を探しているところに、御用、御用の提灯が取り囲む。
 あのお峰が、番所に梅津長門のことを訴え出たのだ。長門も捕縛され、そこからお虎のことも明らかに。
 場面替わって、賭場からそろそろ帰ろうとしていた喜三郎の耳に、お虎捕縛のことが伝わる。
 そして、小塚っ原で、勝五郎と庄吉が打ち首になったことも知った喜三郎は北町奉行に自首。その後、牢名主となってしばらく後に釈放となって、島抜け仲間で唯一、畳の上で亡くなった。
 他の人物の最後は、どうだったのか。
 梅津長門は、武士らしく、と切腹となったのだが、怖気づいたのか嫌がり、最後は役人に刀に手を添えられて、形だけの切腹となった。
 対照的なのが、お虎。取り調べにも何も答えず、終始気味の悪い薄笑いを浮かべ、処刑の際も最後まで笑いながら死んでいった。
 果たして、どちらが男で、どちらが女なのか。
 いや、もしかすると、いざという時には、女の方が肝が据わっている、ということか。
 紀尾井ホールで六年前に聴いた第一話、神田三河町で人入れ稼業をしていた父が亡くなってから人生の歯車が狂い出し、成田で芸者をしていたお虎。
 その後、数奇な運命をたどり、最後に笑みを浮かべながら、いったい何を思っていたのだろうか。
 この噺は、喜三郎とお虎の物語と言えないこともないが、どちらかと言うと、主役はお虎だなぁ、と強く感じた。
 
 この回、火事や島抜け、大立ち回りなどドラマティックな場面に欠けるとはいえ、お虎と長門の冒頭の会話、お虎の玄若殺しなどに、見せ場、聞かせどころがしっかりあった。
 喜三郎があまり登場しなかったが、その分、お虎、そして玄若の不気味さが際立ったように思う。主役が何人もいては、ハレーションが起きる。

 とにかく、三三が、新聞のインタビューで答えたように、登場人物が勝手に話し始めるようなテンポの良さ、スピード感が素晴らしかった。
 迷わず、こちらも、今年のマイベスト十席候補とする。

 
 あらためて思うが、新聞記事にもあるように、よほど稽古したんだろうなぁ、と思わせる高座だった。

 そして、実に結構な芝居を観ているような気がしていた。

 十一と十二の、話の組合せも悪くない。

 しばらくぶりに聴いた三三だが、やはりこの人は凄い。
 
 アンケートに、無理は承知で、来年の横浜にぎわい座で再演希望、と書いたが、よく考えると、寄席で十日間通しにも作り替えることができるのではなかろうか。
 そして、毎年恒例にしても良いだけの噺である。
 演出だって、いろいろ替えていいだろう。
 たとえば、十一話相当の内容なら、勝五郎と庄吉がお仙と重吉を倒す場面を地ではなく、立ち回りにするなど、いろいろと試して欲しいとも思う。

 十二話から十話にするのは、可能だと思うなぁ。

 何も、円朝の怪談ばかりが、寄席の通し口演のネタでもなかろう。

 柳派に、その昔の頭取、初代談洲楼燕枝作の噺が見事に復活した、という嬉しい思いで帰路を急いだ。
 帰ってから、湯豆腐と一緒に呑む酒が、なんとも旨かったこと。

 師走に、なかなか結構な芝居を観させていただいた。そんな思いである。
 

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by kogotokoubei | 2016-12-09 12:54 | 落語会 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛