噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2016年 08月 05日 ( 1 )


 昨日8月4日は、渥美清の祥月命日だった。

 亡くなって20年ということで、メディアでも何かと取り上げていた。
 私は一昨日3日、NHK BSプレミアムのアナザーストーリーズ「映画“男はつらいよ”~寅さん誕生 知られざるドラマ~」を観た。

 ちなみに9日の午後11時45分から再放送がある。
NHKサイトの該当ページ

 この番組では、先にテレビ版を作った当時のフジテレビ制作スタッフの証言なども興味深くはあったが、何と言っても、渥美清こと田所康雄と結核療養所で同じ病室にいた梅村三郎さんのお話が貴重だった。

 死も覚悟した手術で右肺を摘出した“やっさん”(田所康雄)は、もう体を張ったドタバタコメディは無理と考え、病床で香具師の啖呵売の稽古を熱心に繰り返していたという。
 子供の頃から慣れ親しんで覚えた口上を生かし、俳優として香具師の役をやりたかったのである。

 テレビ化され、やっさんの晴れ姿を観た梅村さんは、テレビを抱きしめて泣いて喜んだというのだ。
 
 当時不治の病と言われた結核と向かい合った戦友としての絆が、二人にはあったのだろう。

 番組全体としては、正直な感想として、やや物足りなかった。
 主題と言える映画化へのプロセスについて、掘り下げ方が浅かった印象だ。

 映画化は、そんなに簡単なことではなかったはずだ。
 松竹内部でも、渥美清の扱い方について、いろいろと意見が分かれたはず。

 小林信彦が『おかしな男 渥美清』という本を書いており、映画化される前の状況などが詳しく書かれている。昨年6月に三回にわたって同書を元に記事を書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2015年6月9日のブログ
2015年6月14日のブログ
2015年6月21日のブログ

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 久しぶりに、シナリオ集の本『男はつらいよ』の第一巻(立風寅さん文庫、昭和51年発行)を開いてみた。
 シリーズ第一回「男はつらいよ」、第二回「続男はつらいよ」、第三回「男はつらいよ・フーテンの寅」が収められている。

 巻末の解題を遠藤周作が書いていた。
 
 興味深い内容だったので、一部引用したい。
 私は寅さんのうしろに江戸の滑稽本や落語の主人公たちを感じてしまう。鯉丈や一九の主人公たちと同じ血液を嗅いでしまう。一九の弥次さんや喜多さんと寅さんとを比較するといい、寅さんが結局、根をおろす家も家族もなく、いつかは旅に出ねばならぬように、弥次、喜多もただ面白おかしいだけではない。膝栗毛の序篇を見ればわかるように、この二人は故郷の静岡からも追われ、江戸でも住めなくなったゆえに旅に出た男たちで本来「根なし草」なのだ。「膝栗毛」を今でも我々が愛するのはこの「根なし草」の哀しみ、寂しさがその旅するうしろ姿にまつわり、そのはしゃぎ方にも言いようのない空虚感があるからであろう。寅さんにもそれがある。我々は寅さんやその仲間に大いに笑うのだが、同時に寅さんのなかに「膝栗毛」に見出す寂しさと哀しさも感ぜざるをえないのだ。
 「根なし草」のもつ笑いと寂しさ。それは山田監督の作品を流れる主題のように思える。「家族」や「同胞」のような彼の別な作品には家を捨てねばならない家族たちが描かれている。彼等は言いかえれば根をおろすべき故郷を去り、家を離れた寅さんと同じではないのか。山田洋次氏の作品のテーマは「根なし草」なのである。

 
 この文章を読んで、実は、真っ先に喜多八のことを思い浮かべていた。
 そして、亡くなった中村勘三郎と柄本明による映画『やじきた道中 てれすこ』を思い出した。
 勘三郎が演じたのは弥次さんの方だったなぁ。
 あの映画は、スタッフが『幕末太陽傳』を意識しており、落語ネタもふんだんにちりばめられた楽しい映画だった。
 かつて記事にしたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2012年12月8日のブログ

 あらためて遠藤周作の文章のこと。
 寅さんと弥次さん・喜多さんには、同じ「根なし草」としての笑い、寂しさ、哀しさが共通しているという指摘、よく分かる。

 定住地を持たない人々の旅は、気楽でいいなぁ、という羨望と同時に、一人ぽっちの人間の哀愁を感じさせる。

 山田洋次の映画の主題としての「根なし草」か・・・・・・。
 浅丘ルリ子扮するリリーも、まさに「根なし草」だった。

 遠藤周作の文章で思い浮かべるのは、あの三部作。
 昭和45(1970)年の『家族』は、『男はつらいよ』が始まった翌年の公開作品だ。
 いわば、長崎から北海道へのロードムービーとでも言える、まさに家族丸ごと「根なし草」の作品。
 開催中の大阪万博での撮影もあった。
 渥美清や三崎千恵子も、通りすがりの人物として登場していた。
 祖父役の笠智衆は、ようやくたどり着いた北海道中標津での歓迎会で「炭鉱節」を楽しく歌った夜、息を引き取る。
 
 倍賞千恵子扮する“民子”三部作の第一作で、『男はつらいよ』撮影以前から山田洋次が持っていた構想だ。

 昭和47(1972)年に『故郷』、昭和55(1980)年に『遙かなる山の呼び声』が封切り。
 どの作品も、私は好きだ。
 第二作から第三作まで間隔が空いたのは、やはり、『男はつらいよ』で多忙だったからだろう。
 

 山田洋次が、あの頃、寅さんだけではなく、社会的なメッセージを込めて“民子三部作”を作っていたことは、忘れてはならないと思う。
 松竹からは、寅さんを三作つくったら好きな映画を撮っていい、と言われていたらしいから、山田が本来作りたかったのは、こっちなのである。

 望むと望まざるとに関わらす、「根なし草」となった人々のことを描く山田洋次の思いは、何だったのだろうか・

 遠藤周作の文章の続きをご紹介。
 最後の部分には、実に興味深い山田洋次との対談での会話が登場する。

 根なし草には祈りがある。「家族」や「同胞」は勿論のことだが、我々が「寅さん」を愛するのは、そこに山田氏の祈りが感じられるからだ。でなければ、すべての喜劇作品はウェル・メイド・コメディで終ってしまうであろう。寅さんのような人間は現実には存在しない。そして彼を囲む世界は一種の均衡によって成立していることは誰でもわかっている。だからこそ観客は寅さんを愛し、寅さんの世界に心ひかれるのだ。
 いつだったか、山田洋次と対談した時があった。その時、寅さんは晩年、幼稚園の小使さんとなり、子供と遊んでいるうちにポックリ死に、町の人が彼の思い出のために地蔵さまをつくる、そんな結末を時々、考えますと氏は語っておられた。何という優しい。美しい結末であろう。

 「祈り」か・・・・・・。
 遠藤周作ならではの言葉とも言えるかもしれないが、たしかに山田映画からは、伝わるものがある。
 あるいは、もっと平易な言葉で、観る不特定多数の日本人への「励まし」と言ってもいいのかもしれない。

 最終作では、阪神淡路大震災の傷跡の残る神戸に、山田洋次は寅さんを訪ねさせる。
 あの街で復興へのエールを寅さんに送らせるのは、「根なし草」にならないこと、家族の絆を断ち切らせないことを祈ってのことなのだろう。

 『家族』では、旅の途中で亡くなった幼児と源蔵の二人の十字架が、北の大地に並んだ。
 そして、牛に、民子に、新たな生命が宿る。
 家族再生への祈りがこもる筋書きだ。

 『男はつらいよ』最終作となった第48作で、寅さんは幼稚園の小使さんを務め、ポックリ亡くなるという優しい結末にはならなかった。だから、お地蔵さんも作られなかった。

 しかし、寅さん地蔵は、寅さんを愛し、平和な生活を祈るすべての人の心の中にあるに違いない。
 
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by kogotokoubei | 2016-08-05 22:35 | 寅さん | Comments(4)

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by 小言幸兵衛