噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2016年 02月 21日 ( 1 )

 最後の上方落語四天王だった三代目も、彼岸の人となってしまった。

 そこで、ふと考えた。
 もしかすると、今、東京(関東)地区の落語愛好家の中で、もっとも評価の高い現役の上方の落語家は、露の新治ではなかろうか。

 そして、この度の芸術祭優秀賞受賞。

 私も何度か聴いているが、どの高座も実に素晴らしい。
 
 その新治の師匠は、亡くなる前の名で書くなら、露の五郎兵衛。

 東京では、この一門のことは、米朝一門、松鶴一門、五代目文枝一門、そして三代目春団治一門などに比べると、あまり知られているとは言えないだろう。

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笑福亭松枝著『当世落語家事情』(弘文出版)

 先日、三代目のことで引用した本から、この一門について書かれた部分を紹介したい。
 ほぼ20年前、平成8(1996)年2月に発行された、笑福亭松枝の『当世落語家事情』の「露の五郎・湖」の章からの引用。
 ちなみに、各一門について書いてある章の他の題は、「米朝山脈」「春団治の海」「文枝平野」「故六代目松鶴・火山帯」「可朝の月」「染丸の丘」など。
 なんとなくイメージが伝わるものもあるが、ややこじつけっぽいのもあるかな。

 「露の五郎・湖」の冒頭は、ある別の一門の上方落語協会からの脱会事件から、始まる。

 平成六年、露の五郎は上方落語協会、第五代会長に就任した。
 直後、待ち構えていたように桂枝雀一門が脱会を表明。少し遅れてざこば一門もその後を追う。マスコミが取り沙汰。世間も大いに関心を寄せた。
 一般にこういう騒動が起こった場合、その原因と渦中の人物の本心など、興味本位に邪推され、歪んだ形で流布、結論づけられることが多い。困ったものである。
 その一つ。
「枝雀一門、特に南光は、かねてより露の五郎に好意的ではなく、彼を盟主に戴くことは耐えがたく・・・・・・」など、誠しやかに言われたが・・・・・・誠である。筆者、署名の上捺印する。あたわず。
 また、一つ。
「元来、米朝が何代も前に会長になっていなければならないところを先送り、怒りが募り、表明するべく・・・・・・」とも言われたが、それは根も葉も・・・・・・ある。幹もウーンと太い。
 しかし、その真相は細々ここに記す気はない。紙数に限りもある。もし何としても知りたければ、私の許へ意思表示をして欲しい。一万人を超えたら、本にする。
 枝雀一門の上方落語協会脱会騒動は、知る人ぞ知る、知らない人は知らない、上方落語界の事件。

 この本の発行が平成9(1997)年。

 まだ、生々しい話題だったに違いない。
 
 そろそろ時間も経ったから、松枝に、ぜひ本にしてもらうべく意思表示しようか・・・迷うところだ(^^)
 この件、別途何か書くとして、露の五郎について。

 さて、「露の五郎」は、二代目・春団治に付いて、現・幹部連の中では最も落語家らしい修業をした一人であろう。いかんせん他に比べて年が若く、不利があったことがかえって持ち前のバイタリティに繋がっている。多芸多才、万事に精力的である。本業の落語は無論、大阪仁輪加、演劇、著述その他、業績は輝かしい。サービス精神と研究心で、一つの素材(ネタ)でいかに多くの笑いを取るか、涙を絞るか、怖がらせるかを限界まで追及する、翻って、素顔の五郎は至ってきさくで、話がしやすい。つい話題が下ネタに行く傾向も愛嬌である。熱烈で息の長い支援者が多い。

 “年が若く、不利があった”という表現は、たぶんに「上方四天王」と比べているのだろうと思う。

 露の五郎と、四天王の生年月日を並べてみる

 ◇六代目笑福亭松鶴 大正7(1918)年8月7日生まれ。
                    *昭和61(1986)年9月5日没。
 ◇三代目桂米朝    大正14(1925)年11月6日生まれ。
                    *平成27(2015)年3月19日没。
 ◇三代目桂春団治   昭和5(1930)年3月25日生まれ。
                    *平成28(2016)年1月9日没
 ◇五代目桂文枝    昭和5(1930)年4月12日生まれ。
                    *平成17(2005)年3月12日没。
 そして、
 二代目露の五郎兵衛 昭和7(1932)年3月5日生まれ。
                    *平成21(2009)年3月30日没。
 
 「若い」と言っても、三代目、文枝とは、たった二歳の違いだ。
 五郎が「上方落語四天王」とは距離感を持たれてしまうのは、若かったこともあるだろうが、それよりも、彼が落語に限らず芝居や仁輪加などの芸道を歩んでいたことの方が、大きく影響しているように思う。
 
 私は、子供の頃に初めて露の五郎をテレビで見たことを、ぼんやりと覚えている。何か艶笑噺をしていたのか、下ネタの話題だったのか、いずれにしても、下がかった印象を露の五郎に対して根強く持つようになった。
 だから、あまり、良い第一印象とは言えない。

 しかし、今は違う。
 新治を知るようになってから、五郎の『大丸屋騒動』などの音源を聴き、実にびっくりしたのである。
 「あれ、ただのエロ爺ぃじゃなかったんだ!」と思ったのだ。
 きっと、上方落語を長らくお聴きの方は、その力量を十分に評価されていたのだろう。

 本書から、五郎の弟子達について書かれている部分を、引用。
 あらためて、本書は20年前の発行ということをお忘れなく。

 立花家千橘(たちばなやせんきつ)は、露の団丸を改め、襲名。温厚な人柄は周囲をほっとさせる。持ちネタを巡ってこんな逸話がある。
 若江岩田寄席という長年続いた若手の勉強会があった。千橘は兄貴格として数回客演していたが、ある時、そのネタ帳を偶然に五郎が目にした。千橘の演じたソレはことごとく五郎の十八番で、しかも一度も稽古をつけてないものばかりだったという。
 『慎悟』は最近、糖尿病と結核で別々の病院に通院している。一向に回復の兆しが見られない。聞けば糖尿への投薬が結核の症状を悪化させ、結核への療法が糖を増やすという。医者同士の話し合いが待たれる。
 『都(みやこ)』は、数少ない東西女流落語家達の姉貴分。平成7年十一月、再婚。前の相手は造幣局員、この度はNTT職員とおカタい。本人は何かにつけてヤハラかい。若い頃、笑福亭松葉にほのかに憧れ、出した年賀状でしくじっている。宛名を「笑福“停”松葉様」としてあったという。
 『団四郎』は、師・五郎になくてはならない存在である。まず仁輪加の相手(一輪亭花咲の名を持っている)、次に五郎演じる怪談の幽霊。色あおざめて白く、小柄で身のこなしがこの世の者とは思われず、幽霊になるために生まれてきたような・・・・・・。
 『団六』が来て、五郎宅のふまえつき(踏み台)は押し入れに仕舞われた。182センチの長身。神戸大出身で、物事の本質をズバリ、バッサリ。ラジオ関西の「団六のニュース大通り」は好評で、長寿である。
 『新治』も負けず、大阪市立大学出身。学校の先生であった経験を生かしての講演もよく依頼される。師匠宅の新年会でベロベロに酔い、帰りのタクシーのシートに大便をしたという豪傑でもある。
 八年前である。某地区会館の和室で一門の勉強会が開かれた。入門間もない『吉次(きちじ)』が、前座で『平林』をやりだしたところ、会の常連で目の不自由な女性客が伴っていた盲導犬が、突如「ウー、ウー」唸り出した。盲導犬は主人に危険を知らせる以外、絶対にそういう反応はしない。と、断言するほどその方面の知識に明るくないが、多分そうだろう。吉次の『平林』が、主人に危害をもたらすと予測したのだろうか?誰よりも驚いたのは犬の主人で、“人いきれに犬が苦しんで”と判断し、空気の入れ替えに、とっさに横手の襖を開けた。なんと、そこは出演者の控え室になっていて、折しも次の出番の都が長襦袢一枚の姿でたたずんでいた。犬はさらに激しく唸り声をあげたという。主人に及ぶさらなる危機を感じたのだろうか。会は中断、女性客は帰り、その後、姿を現さないと聞く。
 ・・・・・・たいした話だ、ヒラリンは。

 あの新治が、そんなしくじりをしていたなんてねぇ(^^)

 この本の発行後、弟子はもう一人増えている。
 実の娘の、露のききょう 、だ。女優の綾川文代でもある。

 露の五郎一門、なかなか個性的な顔ぶれが揃っていそうなのだが、生で聴いたことがあるのは、新治と都のみ。

 天満天神繁盛亭のサイトに「上方落語家名鑑」がある。
 その中の「露の五郎兵衛(二代目)」一門のページを確認すると、都には五人も弟子がいる。
天満天神繁昌亭サイト「上方落語家名鑑」の該当ページ

 都の弟子の一人、紫は、2013年NHK新人演芸大賞のテレビ放送で聴いている。
 馬ること同点での決選投票の結果、4対3で負けはしたが、私は彼女の優勝でも、まったく異論はなかった。
2013年10月20日のブログ

 新治にも弟子が一人いるようだ。

 二代目春団治の弟子なので、、三代目と兄弟弟子だった露の五郎兵衛。

 人数の面では「春団治の海」に対して「湖」かもしれないが、新治に代表されるように、透き通るように澄んだ、綺麗な湖なのではなかろうか。
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by kogotokoubei | 2016-02-21 19:46 | 上方落語 | Comments(8)

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by 小言幸兵衛