噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2015年 06月 14日 ( 1 )

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小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)

 この本から、第二回目。
 
 それにしても、昨日のBSジャパン「男はつらいよ 噂の寅次郎」(第22作)は、冒頭から、落語ファンには嬉しい内容だったなぁ。
 『堀の内』や『お見立て』のパロディが、なんとも楽しかった。

 さて、今回は、渥美清という役者が、昭和44(1969)年に『男はつらいよ』が始まる前のお話。
 前回は、昭和36(1961)年、著者小林信彦と渥美清の初の出会いと、小林が渥美清のアパートで夜明けまで話す仲になった、ということを中心にご紹介した。

 その次の年、昭和37年の夏のことからご紹介。

 8月19日(日曜)の夜、ぼくは裕次郎の「零戦黒雲一家」を渋谷で観て、井上究一郎の「プルーストの作品の構造」を読み、十一時半に渥美清のアパートに行った。
 あとで考えれば、第一次渥美ブームの前夜なのであるが、渥美清は自分の予定を一切語らないから、何もわからない。そうしたことを語らないのが彼の主義であった。
 弘田三枝子の噂から、坂本九とジェリー藤尾は仲が悪い、といった他愛ない話をしたあとで、北海道放送の仕事を受けるつもりだ、と彼は言った。片っぱしから断る男なのに、とぼくは少なからず驚いた。 
 芸術祭参加作品であるのに惹かれたのは間違いない。しかし、彼はそんなことは言わない。
 たしか「不知道」(フウチイダオ)といったその作品のことは殆ど忘れている。戦時中の話で、北海道の炭鉱で働かされていた劉連仁という中国人が脱走し、中国大陸を求めて草原を歩きつづける-そんな物語だったと思う。
「いいじゃないの。北海道放送なんて、プロデューサーからして素朴でさ。東京のテレビ関係者みたいに、この時間帯に出るのがお得です、なんて言わない。時間帯なんて言葉使うんだぜ、あいつら。・・・・・・ま、二週間ぐらいかな。北海道の自然の中で、のんびり仕事をしてきますよ」

 「不知道」の脚本を書いた山川方夫(まさお)に渥美を引き合わせたのが、小林だった。
 このドラマは、日本軍に強制連行され日本にやってきた中国人、劉連仁の実話をもとにしたものだったらしい。
 後日の話になるが、この作品は賞を一つもとれなかったと記憶する。しかし、<渥美清が芸術祭参加作品に出る>という話題は大きく広がった。
 渥美清の名をAクラスにするのは、十月に始まる「大番」(フジテレビ)の主役であるが、<芸術祭ドラマに出た>こともかなりの要因になった。芸術祭に権威があった時代のせいでもあるが、出世のチャンスを掴む彼の嗅覚は見事といわざるをえない。
 その夜は三時まで話したが、二台の電話は一度も鳴らなかった。いつも深夜とはいえ、電話が鳴るのを聞いたことがない。
 地方のテレビ局の制作とはいえ、<芸術祭参加作品>に出演し、いわば役者としての“箔”をつけた渥美清。
 実際の人気のほうは、獅子文六のヒット小説「大番」で獲得する。

 小林は、当時の渥美清について雑誌に書いた文章を含め、次のように記している。
 当時、ぼくは雑誌にこう書いている。
<テレビの「大番」を観ていると、初めて自分の実力を叩きつける機会に恵まれた役者の幸福といったものが、こちらの胸に伝わってくる。>
<人間が「天才型」と「試行錯誤型>に分けられるとすれば、彼は明らかに後者である。その彼が才人、器用な役者のように見えるとすれば、それは絶え間のない勉強のおかげだろう。彼は才能のある努力家だと私は睨んでいる。>
 二十九歳のぼくの予見が気味が悪いほど当たったのがわかっている現在、こういうことは書くもんじゃないな、とつくづく思う。
 これからの七、八年間、彼はぞっとするような試行錯誤を続けるのである。

 この“ぞっとするような試行錯誤”とは、いったいどんなものだったのだろうか・・・・・・。

 巻末にある「略年譜」から引用したい。
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1963年(昭和38年) 松竹映画「拝啓天皇陛下様」に主演。この年の四月までつづ
           いた「大番」と併せて、第一次渥美清ブームがくる。
1964年(昭和39年) 東京映画「ブワナ・トシの歌」に主演。アフリカに長期ロケを
           する(翌年、ロードショウ。翌々年、一般封切)。
1965年(昭和40年) 十二月、明治座で谷幹一、関敬六と「恋や恋物語」を上演。
1966年(昭和41年) 五月、新宿コマ劇場で翻訳ミュージカル「南太平洋」に
           ルーサー・ビリス役で出演。以後、二度と舞台を踏むことは
           なかった。東映映画「沓掛時次郎 遊侠一匹」(中村錦之助
           主演)にヤクザ志望の男の役で出演。一部で高く評価される。
1968年(昭和43年) 十月からフジテレビのドラマ「男はつらいよ」に主演(演出・
           小林俊一/脚本・山田洋次ほか)。
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 この時代、映画産業は冬の時代を迎えていた。
 1966年(昭和41年)はマスコミ的には<ビートルズ来日>の年であるが、日本の人口が一億を突破し、交通事故死者が史上最高になり、<交通戦争>なる言葉が流行した。カラーテレビ・カー・クーラーの3Cは<新・三種の神器>と呼ばれた。
 
<映画スター>をめざす渥美清にとっては、すべての状況が悪化しつつあった。
 映画界がいかに下降しているか、数字で見てみよう。
 日本映画界のピークは1958年であり、映画館の入場者数は十一億人を超えていた。1966年を見ると、三億四千五百八十一万人に減少している。約三分の一である。
 分かりやすくいえば、日本人の一人が、
 1958年 年に十一回、映画館に行っていた。
 1966年 年に三回半になった。
 こういうことである。興行ベストテンを見ると、クレイジー・キャッツと高倉健の映画だけが当たっている。
 そういう時代に、浅草から這い上がってきた渥美清は、<映画スター>を目指していたのである。

 紹介したのは、「略」年譜なので、他にも多数のドラマや映画に出演しているのだが、省略されている。
 1967(昭和42年)にだって、東映の<列車>シリーズに出演しているし、翌年、テレビの「男がつらいよ」が始まる前にだって複数の映画に出ている。
 1968年正月の「初詣列車」で彼は東映での仕事を終えた。
 正確に書けば「喜劇・初詣列車」であり、こんな風に<喜劇>と上に付くようになってから、日本の喜劇映画はつまらなくなった。
 続いて、小沢昭一主演の「<経営学入門>より ネオン太平記」という日活映画にゲスト出演している。ぼくは観ていないが、小沢昭一は<渥美ちゃんがゲイバーのマダムを快演して全員が食われた>と回想していた。
 五月十五日に松竹で「喜劇・爬虫類」が封切られている。外人ストリッパーをめぐる男たちの話で、西村晃、大坂志郎、小沢昭一というあくの強い役者たちが共演している。
 この年、渥美清が松竹で撮った「喜劇・爬虫類」「白昼堂々」「スクラップ集団」の三作はいずれも集団劇である。

 東映の<列車>シリーズ、何本か観ているなぁ。
 たぶん、北海道の片田舎の映画館で、東宝の怪獣映画との二本立てではなかったかと思う。
 封切り後に一年も経つと、配給会社なんか関係ない二本立て、三本立てがあった。怪獣映画とプレスリーとかね(^^)

 「大番」で顔を売り、芸術祭作品への出演で、箔をつけた渥美清も、その後は足踏みがあり、翌年の映画化につながる、テレビの「男はつらいよ」が始まる昭和43年においても、松竹で、彼一人を主演とする映画を制作する気はなかったのである。

 時代は、少し戻って、東京オリンピックの年の正月のこと。

 明けて1964年、東京オリンピックの年である。
 正月早々、赤ん坊は風邪をひき、下痢がつづいた。暗い正月だったが、四日の昼ごろ、渥美清から電話があった。暮に電話をするといって、そのままになっていたのだ。
 植木等、谷啓からは年賀状がきた上に、一月一日の夕方にハナ肇、植木等から電話で新年の挨拶があった。
 三十一になったばかりのぼくに対して、恐縮するほど礼儀正しい。
 渥美清は<思いついたら連絡する>という態度で、赤ん坊の病気で困っているぼくは気分を害した。
 -おたく、ハナ肇の芝居をうまいと言ったんだって?
 相手は低い声を出した。
 -たまたまテレビ局で顔を合わせたら、自慢してるんだぜ。やっと、あの男も、おれの芝居を理解するようになたって。・・・・・・そんなこと、言ったのかい?
 -うまいとは言わないさ。
 ぼくも低い声になる。
 -だって、ハナちゃんに、おれは芝居が下手なのかと迫られて、下手とは言えないだろう。
 -そっか。そんならわかる。・・・・・・本気でうまいと言ったんなら、おたくの目が信用できないと思えたんだ。そんな人じゃないと思っていたからね。おれは・・・・・・。
 家の中が暗いのに、よけいに暗くなるような言葉だった。
 この男とはもう少し距離を置いた方がいい、とぼくは思った。

 渥美清という俳優の負けず嫌いな性格と、当時の心境を推し量ることができる逸話だ。

 この年、渥美清は、世の中がオリンピック一色の頃、日本を離れて羽仁進の映画「ブワナ・トシの歌」に出演するためにアフリカのロケに行っていた。

 そんな昭和三十年代も終わり、しばらくして、あの国民的映画が始まることになるが、その時代については、次回。
 
 最終、第三回目は、“ぞっとするような試行錯誤”のことを、もう少し詳しく書きたいと思う。もちろん、「男はつらいよ」についても書きたい。しかし、あくまで、俳優渥美清、本名田所康雄を中心にして、である。

 この本には、車寅次郎からは想像できない、競争心が強い俳優渥美清が登場するし、決して明るくない田所康雄という男が存在する。
 しかし、そういった生身の人間の側面を知ることが、彼が演じた寅さんを楽しむことを、決して阻害するものではないと思う。

 また、寅さんのみならず、渥美清という名優が出演したほかの作品のことが、もっと振り返られてよいように思う。

 などと思いながら、第二回目は、これにてお開き。

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by kogotokoubei | 2015-06-14 20:06 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛