噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2015年 06月 09日 ( 1 )

 
 最近の土曜はBSジャパンの「男はつらいよ」シリーズが楽しみだ。
 昨日書いたように、先週6日が第21作「寅次郎わが道をゆく」。木の実ナナ扮するSKDの花形スターがマドンナ、今週13日は「とらや」で住み込みで働いている大原麗子がマドンナの第22作「噂の寅次郎」である。

 そろそろ、48作の半分になろうとしている。

 マラソンではないので、「折り返し」、ではない。
 俳優も、監督も、“山田組”のスタッフも、そして観客も、皆一年に一歳づつ年齢を重ねる。
 だから、「もうじき五合目」という感じだろうか。

 昨日、グラフを掲載したが、観客動員数が増え、夏と冬の国民的な年中行事に近い映画になるなかで、寅さんの人物造型は、次第に変わってくる。

 5月にBSフジで、映画化につながったフジテレビ「男はつらいよ」の、残っている映像の第一回と最終回を放送したのを録画していたので、あらためて観た。
 
 テレビ版で、渥美清が演じる寅さんは、自分のことを「あっしは」と言っているのが印象的だ。
 言葉遣いからも、堅気ではない人物造形が明白だ。

 最終回放送の後のインタビューで、山田洋次は、テレビ版で寅がハブに噛まれて死ぬラストシーンについて、寅さんのような人は、あのような無残な最後でなければならないのだろう、世の中はそんなに甘くないと当時の若かった自分は思っていた、と語っている。

 当たり前だが、渥美清は寅さん本人ではない。
 本名田所康雄、芸名渥美清、役名車寅次郎、ではあるが、渥美清は、他にも多くのテレビや映画に出演している。
 しかし、四半世紀以上も続いたギネス級の映画「男はつらいよ」によって、寅さん≒渥美清、という印象が流布していたのも事実だろう。

 寅さん->渥美清->田所康雄・・・・・・。
 私には、一人の人間への興味がわく。

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小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)

 小林信彦の『おかしな男 渥美清』は、新潮社で平成12(2000)年に単行本が発行され、平成15(2003)年に文庫化されていた。

 しかし、私が読んだのは、つい三年ほど前だ。

 この本の存在は、知っていた。小林信彦の本は、中原弓彦名義も含め、何冊か読んでいた。
 小林信彦が小学生一年生の時になりたかった職業が、第一に上野動物園園長、第二が落語家だったらしい。落語には詳しい。『名人-志ん生、そして志ん朝』というエッセイもある。

 しかし、寅さんファンの私は、この本を読むのを怖がっていたのだと思う。

 渥美清という俳優を知ることが、車寅次郎のイメージからどんどん離れていきそうな気がして、この本を自然に避けてきたのだろう。

 しかし、本屋でたまたま見つけ、怖いものを見たさの心境で最初のページをめくってからは、つい5~6ページを読み進めていた。その後レジに急いでで購入し、一気に読んだ記憶がある。
 
 その最初の章、小林信彦と渥美清との出会いから、まずご紹介。
 リハーサル中のスタジオの片隅に、黄色いポロシャツにグレイの夏ズボンをはいた男が背筋をのばして立っていた。天然パーマのかかった豊かな髪にはポマードがばったりついている。
 他人のリハーサルを見ているのか、考えごとをしているのかは判断ができない。
 男の出番がまだであるように、ぼくの出番もまだであった。テレビ局での長いリハーサルほど退屈なものはない。
 細い目の男は歩きだした。ぼくに向って歩いてくると、突然、挨拶代りででもあるかのように、小声で「金が欲しいねえ・・・・・・」と言った。
 渥美清こと田所康雄との出会いである。
 
「金が欲しいねえ」と彼が言ったのは、本気ではない。ぼくが何者かわからないので、そういう言葉を投げかけて反応を見たのである。(こうした時、相手の様子を見るためにコメディアンが発する言葉として、もう一つ、「お互い、もうからないねえ」がある。)
 渥美清が不審に思うのは当然で、ぼくは場違いであった。それをも含めて、少し説明が必要であろう。
 1961年(昭和36年)の夏であった。60年安保が終り、世の中は平穏で、高度成長などという言葉を人々はまだ知らなかった。なんとなく日溜まりにいるような毎日である。
 だが、ぼくこそ金を必要としていた。小さな雑誌の編集長をしながら、それでは生活できないので、テレビやラジオに出ていた。とはいえ、生活の中心は原稿料で、安い原稿を書きまくっていたが、その中に原稿用紙三百枚の長い喜劇映画論、ギャグ論があった。
 それに着目したのがNHKテレビのヴァラエティ番組「夢であいましょう」の台本作者・永六輔である。
「夢であいましょう」はこの年の春にスタートしたが、いまひとつ調子が出ていなかった。だから、ギャグ特集をやりたい、ひいては、みずから画面で解説をして欲しい、と、旧朝日新聞社八階のレストラン「アラスカ」で、永六輔と末盛ディレクターにアイスコーヒー一杯で口説かれ、ぼくは承知した。
 当時、内幸町にあったNHKの日比谷スタジオにぼくがいたのは、そうした事情による。
 このように、結構、この先の展開が気になる、実にそそられる書き出しなのだ。

 NHKのスタジオで、かたや売り出し中の役者、かたや、ギャグ作家として出会った二人は、その後、何度か会うことになる。
 この本は、渥美清が亡くなってから、新潮社の「波」に三年近く連載されたものが出版されたものだ。
 
 巻末に「略年譜」がある。一部を紹介。
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1953年(昭和28年) 数々のストリップ劇場を経て、この年、浅草フランス座に入る。
1954年(昭和29年) 結核治療のため入院(右肺摘出)。療養生活に入る。
1956年(昭和31年) 退院。
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 記されているように、渥美清は、26歳から28歳の時期、結核で入院、療養しており、右の肺を摘出している。
 渥美清は、兄を肺結核で失っている。著者小林は、父親を結核で亡くしている。
 当時の社会における結核という病気について、本書では次のように書かれている。
 この時代の<結核>という言葉の響きは現在では全くわからないと思うので、つけ加える。
-空気の良い土地で、牛乳とバターを充分に摂ってぶらぶらしていれば治るかも知れない。
 昭和十年代から二十年代にかけてのこの病気の治療法である。
 軽井沢、サナトリウム-といった堀辰雄的雰囲気がここから生まれた。
 一方、貧乏人がかかったら悲惨である。狭い家の中だと、家族が感染してしまう。療養所にはいれるのはましな方だが、大部屋のベッドはまた一つの地獄である。

 私が小学生時代だったかと思うが、療養所に行かれた先生がいたのを思い出す。

 渥美清にとって、この療養経験、そして彼自身が「片肺飛行」と表現していた右肺摘出は、彼の役者としての行き方を、大きく左右していたと思われる。

 この本は、「あとがき」によると、新たな取材を一切行わず、<自分が実際に見聞したことだけを書く>というポリシーで書かれているらしい。
 
 記憶と備忘録を元に、小林が初めて渥美のアパートに行った日のことが、次のように記されている。
 昭和37年4月28日の夜のことだ。まず先に、六本木のイタリア料理屋に二人は行った。

「アントニオ」の奥の席にすわり、ワイン、サラダ、ピザを注文する。酒を飲まない渥美清はスープを注文して、いきなり、
「永六輔のコマ・ミュージカルは評判が良くないね」
 と言った。
 新宿コマ劇場の四月公演は<春のコマ踊り>とミュージカル・コメディの二本立てで、そのコメディ「初めましてママ」を永六輔が書いていた。
 大会社の社長が急死すると、社長が世界各地の女性に生ませた子供が集まってくる。未亡人(越路吹雪)はきりきり舞いする、といった他愛もない話だった。
 出演は坂本九、森山加代子、ジェリー藤尾、渡辺トモ子といった曲直瀬(まなせ)プロのアイドル総動員で、若い観客が集まるに決っている。放送作家の永六輔が商業演劇で成功するかどうかの一点に内輪の興味が集まっていたのだが・・・・・・。
「あなた、観たの?」
 ぼくの質問に相手は答えず、
「儲けたのは菊田一夫だよ」
 とだけ言った。
 新聞の広告では<演出 菊田一夫>となっている。だが、菊田一夫は東宝の演劇担当重役であり、いわばきわものといえる舞台を商業的に成功させたことになる。
「二十九日までやってるよ」
 ピザを食べ終え、エスプレッソを飲んでいるぼくにそう言って、
「ここは話がしにくいや。おれのアパートにくるかい」
「どこ?」
「穏田(おんでん)てとこ」
「うちのすぐそばだ。ぼくは神宮通りだから」
「そうなるかね」
 渥美清は立ち上った。

 二人は、朝まで語り明かしたのだが、なぜ、他人をアパートに近づけることのない渥美清が、小林を誘ったのか。
 渥美清がぼくに興味を持ったとすれば、ぼくが太平洋戦争以前の、あるいは戦争中のロッパ、エノケン、高勢實乗(たかせみのる)の舞台を観ていて、それらがいかに面白かったかを具体的に語ることができたからではないかと思う。その時でも、すでに二十年かそれ以上経っていて、年輩者ならともかく、二十代の若者でそんな話ができる男はいなかったのである。
  岸井明
  竹久千恵子
  渡辺篤(最盛期の)
 といったマニアックな名前も出た。
 渥美清がそれれの舞台を観ていたかどうか、ぼくは知らない。観ていたとしても、浅草系の清水金一らであり、ぼくの好んだ丸の内系のコメディアンではなかったと思う。

 『ヒッチコックマガジン』の編集長という経歴もあるが、『世界の喜劇人』『日本の喜劇人』などの著作でも分かるように、和洋問わず喜劇映画、喜劇人に通じていた小林信彦の引出しには、渥美清という役者にとって、実に興味深いネタが豊富だったに違いない。

 この二人、アパートで朝まで語り明かす仲にはなったが、決して仲の良い‘友人’という関係になったとは言えない。

 この本からは、小林信彦が、本名である田所康雄、役者渥美清、そして車寅次郎のそれぞれの姿を、実に客観的に見つめていたことが伝わってくる。

 売れない時代の渥美清の心の葛藤などは、小林でしか描けないのではなかろうか。

 この本については、あと数回にわたり書いていきたい。
 
 次のようなイメージの章立てで、今後も掲載するつもり。
 
 第一章 田所康雄との出会いと夜明けまでの会話
 第二章 寅さん以前の渥美清
 第三章 渥美清と車寅次郎、そして田所康雄
 
 それでは、第一章は、これにてお開き。
 二階に上がって寝るとしましょう。

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by kogotokoubei | 2015-06-09 23:35 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛