噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2015年 06月 05日 ( 1 )

 先日、三代目桂春蝶が、「特攻」をテーマにした『明日ある君へ〜知覧特攻物語』という噺を手がけていることを書いた。
 一昨日6月3日、「天満天神繁昌亭」で春蝶がこの噺が披露したことを、NHK(関西)がWebニュースで、動画付きで伝えているので紹介したい。
NHKニュースの該当記事
落語で戦争の悲惨さ伝える
06月04日 05時30分

 特攻隊員をテーマにした創作落語で戦争の悲惨さや命の大切さを伝える活動を続けている落語家の桂春蝶さんの公演が大阪で行われました。
公演は戦後70年にあわせて、3日夜、大阪・北区の「天満天神繁昌亭」で行われました。
 3代目、桂春蝶さんは鹿児島県の知覧特攻平和会館を訪れたことをきっかけに、特攻隊をテーマにした創作落語をつくり、2年前から全国で公演する活動を続けています。
 内容は現代に生きる主人公が終戦間際の昭和20年の知覧にタイムスリップして、特攻隊の祖父と出会い、隊員の使命感や国のために犠牲になる葛藤などを知って戦争の悲惨さや命の大切さを理解していくというものです。
 会場には仕事帰りのサラリーマンや学生など、およそ250人が訪れ時折、笑いを誘う場面もありましたが特攻隊が家族にあてた手紙を読む場面では、涙を流す人もいました。
公演のあと50代の男性は、「落語で戦争の話をするとは、驚きましたが、春蝶さんの演技力に引き込まれとても良かったと思います」と話していました。
 また、10代の女性は、「戦争については、教科書でしか知らなかったのでどれだけ残酷だったか知りました。本当に、あすがあることを大切に生きていきたいと思いました」と話していました。

 この記事を読む限り、なかなか良い高座だったようだ。

 戦後70年ということや、戦争法案の審議などが背景にあるのだろうが、定席寄席の特定の高座のことを関西ローカルとはいえNHKが取り上げるのは、珍しいのではなかろうか。


 春蝶が、この噺を創作するきっかけとなったのは「知覧特攻平和会館」を訪ねたことだった。
 この会館のサイトに「特攻作戦に至る経緯」が説明されているので、引用したい。
知覧特攻平和会館のサイト


特攻作戦に至る経緯

 大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう)は、1941年(昭和16年)12月8日、ハワイの オアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍基地への奇襲攻撃によって開始されました。 日本の陸・海軍主力は、真珠湾攻撃の後、東南アジアに進攻しました。先に述べたように、当時東南アジアのほとんどの国々が欧米列強の植民地となっており、現地守備隊しか残っていなかったこともあって、奇襲攻撃が成功し瞬く間にオーストラリア北側の線まで進出しました。

 ところが、1942年(昭和17年)8月になるとアメリカを中心とする連合軍が態勢を回復し反撃に転じました。その後の日本軍は連合軍の強大な戦力に押され防戦一方になり、開戦から3年後の1945年(昭和20年)初頭になると、沖縄はもちろん日本本土も空襲を受けるようになりました。特に1945年(昭和20年)5月7日、同盟国であったドイツが降伏すると、連合軍の攻勢は日本だけに集中するようになり、日本全土が苦戦を強いられるようになったのです。

 当時、日本政府は沖縄を本土の最前線と考えていましたので、その最前線を守るために採られたのが、特攻作戦でした。

 この段階では、圧倒的な物的戦闘力に勝るアメリカの進攻を阻止する日本軍としては、兵士一人一人の精神力を武器とした特攻戦法しか他に手段がないとの結論に達したのでした。

 つまり、日本の軍人が命を懸けた特攻を重ねることで、アメリカ軍にも大きな被害を与え、そうなると嫌戦気運(戦争を嫌がる気持ち)が広がっていき、お互いに損害を出したくないから、そのうち停戦になるのではないか・・・という期待を、政府はしていたのではないでしょうか。

 あの戦争を起こしたのも、そして、特攻という暴挙を国民に強いたのも、政府の愚行と言うより他にない。

 そして、70年という月日の経過がそうさせるのか、一人の軍国主義首相が、この国に歴史の間違いを繰り返させようとしている。

 落語という芸能が、戦争を知らない世代を含め、戦争のない平和な暮らしを希求するきっかけとなることができるなら、それは素晴らしいことかもしれない。

 ますます、一度聴かねば、と思う。

 
[PR]
by kogotokoubei | 2015-06-05 20:45 | 落語のネタ | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛