噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2015年 04月 30日 ( 1 )

 
 志ん輔の日記風ブログ「日々是凡日」で知った落語会。
 予定がはっきりしなかったので事前にチケットを入手することはできなかったが、なんとか都合がついて朝電話し、チケットが残っていることを確認してから隼町へ。
 
 志ん輔をしばらく聴いていなかったこともあるが、立川龍志は初なので、楽しみだった。

 龍志の公式ウェウブサイトから、プロフィールをご紹介。
立川龍志 公式ウェブサイト

昭和45年4月 立川談志に入門 前座名「金志」
昭和51年7月 二つ目昇進、「金魚家錦魚」
昭和62年3月 真打昇進、「龍志」
国立花形若手演芸会にて新人賞 銀賞を受賞
平成3年 国立花形演芸会にて金賞を受賞
出囃子 砧
紋 丸に左三蓋松
生年月日 昭和23年9月17日(おとめ座)
 団塊の世代。志ん輔より五歳年上になる。受賞歴からしても、実力者には違いないだろう。「おとめ座」ってぇのが、なんとも可笑しい(失礼^^)

 落語協会の旧ホームページ「芸人紹介」ページから、志ん輔のプロフィールを確認。
落語協会旧ホームページの「芸人紹介」ページ

1972(昭和47)年03月 故古今亭志ん朝に入門 前座名「朝助」
1977(昭和52)年03月 二ツ目昇進 志ん朝の前名「朝太」を襲名
1982(昭和57)年04月 NHKテレビ「おかあさんといっしょ」にレギュラーとして出演 【1999年(平成11年)3月まで】
2000(平成12)年 NHK FM「名曲リサイタル」のパーソナリティー
【2003年(平成15年)まで】
1985(昭和60)年09月 真打昇進 「古今亭志ん輔」を襲名
2000年(平成12年)から、新日本フィルハーモニー交響楽団とのファミリーコンサートが好評。現在も進行中。その他のオーケストラとコラボレーションも多くなっている。
2010(平成22)年 落語協会理事に就任
 志ん輔は昭和28年9月25日生まれ。あら龍志とはちょっとの違いで、てんびん座。

 志ん輔がマクラで“修業仲間”と語っていたが、入門と二ツ目昇進が近い二人なのである。

 開場の一時少し前に着くと、すでにお客さんが並んでいる。そう、自由席なのだ。志ん輔の奥さんからチケットをいただき、喫煙室で一服して列に並んだ。
 見た目は結構埋まった印象だ、実際には八割から八割五分ほどの入りだったろうか。

 二人のネタ出しされていた二席を含め、次のような構成だった。
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(開口一番 橘家かな文『やかん』)
古今亭志ん輔 『茶の湯』
立川龍志   『子別れ-上・中-』
(仲入り)
立川龍志   『花見の仇討ち』
古今亭志ん輔 『幾代餅』
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橘家かな文 『やかん』 (13分 *13:30~)
 後で確認したら、文左衛門の弟子。初である。二年前の秋入門で、今年から前座のようだが、実にしっかりした高座だった。
 見た目や口調は違うのだが、初めて小辰(当時は辰じん)を聴いた時と同じような好印象。鯨から始まり、ほうぼうまで続く魚の名の由来を巡る問答も楽しく演じたし、川中島の決戦の言い立ても悪くない。しっかりと隠居と八五郎を描き分けている。こんな前座さんがいるとは、知らなかった。

古今亭志ん輔『茶の湯』 (23分)
 マクラで、国立演芸場の祝日の昼は初めてで、借りられる時間が一時から四時の三時間。夜の部が五時から九時の四時間あるのよりは安いが、超過すると割り増しがかかるので、今日は時間厳守で、と説明。
 この人でこの噺は初めてではないかと思う。食べ物のネタでは、これまで瀧川鯉昇がどうしても他の噺家さんとは一線を画している、という印象だったが、なるほど、志ん輔がいたか、という印象。長屋の連中を含む隠居の茶の被害者を、あの顔の表情で見事に描く。
 長屋の手習いの師匠が、生徒たちに向かって「よんどころない事情で引っ越すことになった」という言葉に、自分のブログの引越しを思い浮かべてしまった^^
 椋の実や‘むくろじ’などについても、簡潔な(時間厳守なので^^)が説明があったが、ご興味のある方は、以前にこの噺について書いたことがあるので、ご覧のほどを。
2009年11月5日のブログ

立川龍志 『子別れ-上・中-』 (43分)
 羽織を着ないで登場したのは、志ん輔が説明したように、時間厳守のため^^
 初めてで楽しみにしていた人だ。
 この噺は、上が「強飯の女郎買い」、中は「浮名のお勝」、そして下が「子は鎹」とそれぞれ名がついている。
 今では、下の「子は鎹」が圧倒的に多く、たまに通しで演じられることもあるが、上と中、というのは珍しいのではなかろうか。六年ほど前に、NHKの「日本の話芸」(だから、東京落語会の映像)で柳家権太楼の中「浮名のお勝」のみ、という高座を見たが、なかなか貴重な内容だった。
 さて、龍志の高座だ。
 時間厳守である(^^)、「弔いが 山谷と聞いて 親爺行き」、「弔いが 麻布と聞いて 人頼み」などの川柳をふった短いマクラから本編へ。
 主役である熊が自然に本人と同化している印象。向島の生まれ育ち、という江戸っ子の啖呵も実に小気味よい。聴いていて実に楽、というと誤解を生むが、無理な負担をかけない。見た目や口調は重厚なのだが、高座全体は良い意味での軽快感のようなものがある。
 誰かに似ている・・・・・・。そうか、会場で今松ファンでブログ「毎日が落語日和」の管理人である喜瀬川さんにお会いしたら、龍志が好き、とおっしゃっていたが、今松に似た雰囲気もあるかもしれない。
 そして、この噺、今松の通しで座間で聴いて驚いたことがあったなぁ。
2012年2月12日のブログ
 龍志は、基本はほとんどいじらないのだが、効果的なクスグリを挟んで演じていた。
 酔った熊が、通夜で一緒になった伊勢屋に向かって「おめぇさんの弔いは、どしゃぶりだ。なんなら、降れ降れ坊主を上げてやらぁ」なんて科白も、良い調子だ。
 さすが、江戸っ子である。
 家に帰ってから女房に遅くなった言訳をする熊。最初は、嘘で誤魔化そうとするのだが、焼き場で通夜をした、と言っておいて、起きてから‘お茶に小梅’でおつな朝を迎える、などと言うものだからついつい嘘がばれていく。紙屑屋の長さんからすでに吉原通いがばれているのを知ると、開きなおったかのように、「七人の敵を背負って立つような女」お勝の女っぷりの良さを話し出す。
 このあたりの熊の姿が、だらしのない男を描いていて、共感(?)できてしまうのだ^^
 しかし、吉原で居続けした顛末のついでに、のろけ話を聴かされた女房はたまらんなぁ。
 ついに、女房が切れる。切れたら怖いのだが、それでも、龍志の女房は、あの「子は鎹」の母親としては、かくあるだろうと思わせる気丈さに加え、しっかりと女らしさを漂わせていた。
 女房が金坊と一緒に出て行ってからの請け出したお勝とのことを描く「中」は、地を中心に短めに語って、この後が子は鎹に続く、としてさげた。
 実に結構な高座だったのだが、最後の最後、お勝が「どこかの女にひっかかって出て行った」と“男”と“女”を言い間違えたのが、なんとも残念。とはいえ、この人の持ち味と実力を十分に示した高座だったと思う。
 この噺の作者などについては、以前書いたことがあるので、ご興味のある方はご覧のほどを。 2009年4月18日のブログ

立川龍志 『花見の仇討ち』 (30分)
 仲入り後、羽織は相変わらず着ていないが、袴姿で登場。
 結論から書くが、これだけ、この噺で笑ったことはないだろう。かつて、若手中堅の兼好、三三、一之輔でこの噺を立て続けに聴いたことがあったが、もっとも印象に残った三三の高座でも、これだけは笑えなかったし、楽しめなかった。
 それは、会場の空気の良さも一因だと思う。志ん輔と龍志が好きな方を中心とするベテラン落語愛好家が多い客席。笑いのツボを皆さん知っているし、聴くべき場面には、シーンと静寂が訪れる。
 落語が高座と客席との一期一会の楽しみである、ということをあらためて感じた。
 六部役となった八五郎が、飛鳥山に向かう途中で本所の叔父さんとバッタリ会ってからの場面などに、その可笑しさが象徴されていた。「この叔父さん、耳は遠いのだが、馬鹿に、目が良い」という科白の型が、足の速さ、力の強さ、酒の強さでも繰り返されるのだが、「この叔父さん、耳は遠いのだが、馬鹿に・・・・・・」の科白の途中から笑いの渦が巻き起る感じ。いいんだよね、こういう運の良い日の寄席のような空間^^

 敵討ちをする巡礼に扮した亥さんと竹さん兄弟が、飛鳥山の雑踏で、練習をしようとして仕込み杖を侍に当ててしまう。
 起こる近藤をなだめる侍が、
 「何か訳がありそうだ。大望があるのであろう?」
 の後に少し間をおいて、兄が大望と体毛を勘違いして、
 「へえ、兄弟とも毛深いほうでして」
 と返答するのには、笑った。
 初めて聴いたように思うが、もしかすると以前に誰かで聴いたかもしれない。
 しかし、場面の雰囲気との見事なギャップで、この人ならではの可笑しさがあった。
 ようやく桜の木の下で朝から待っていた敵役の熊のところにたどり着いた巡礼役の兄弟。兄の亥さんが、科白を言う際に「じゃあ、言うよ」「いちいちことわるんじゃねぇ」のやりとりが二三度あるのだが、この場面も実に楽しい。
 場所の設定を上野ではなく飛鳥山にしたのも史実から正しい。江戸時代の上野での花見は、酒肴も趣向も禁じられていたからね。
 『子別れ』も、ほとんど今年のマイベスト十席候補に近い内容だったので、二席目はどうかと思っていたが、この高座は、文句なくマイベスト十席候補とできるものだった。龍志、これからも聴こう!

古今亭志ん輔 『幾代餅』 (30分 *~16:01)
 マクラで修業仲間の龍志が好きな理由として、「欲がない」と言っていたが、なるほどと思った。
 そう、上手く演じよう、というような前のめり感が一切ないように思えたなぁ。古くからの友人は、よく知っていなさる。
 その後で、欲の強い人がいますから、と、何かを言いかけたような気がしたが、気のせいかな^^
 ほぼ10分づつの三部構成、という内容。
 (上)0~10分 
   清蔵が浮世絵の幾代太夫を見て恋煩いになったが、搗米屋の親方に一年
   頑張って金を貯めたらお前だって会えると諭され、立ち直るまで。
 (中)10~20分 
   一年貯めた給金の十三両二分に、親方が一両二分乗せてくれて、
   病気は治せないが遊びの大家である藪井竹庵と吉原に出かけるまで。
 (下)20~30分 
   吉原で僥倖に恵まれ幾代と一夜を共にした清蔵。朝を迎え、つい自分の   
   身の上を正直に告白したところ、その正直さに打たれた幾代が来年三月
   年が明けたら女房にしてくれと言い、その日が来て二人は結ばれ、餅屋を
   開店して、サゲまで。

 龍志が目一杯笑わせてくれた後は、志ん輔が、次の場面で泣かせてくれた。
 清蔵が、幾代から次はいつ来てくれるのか、と問われ、「一年たったら・・・・・・」と言葉を少し詰まらせる。清蔵、意を決して、実は野田の醤油問屋の若旦那ではなく搗米屋の職人であることを白状し、その誠意を感じた幾代が年が明けたら女房になると言う場面、目が潤んだ。
 前半の搗米屋夫婦と清蔵との会話も楽しいし、一途な清蔵の姿も印象的。
 四年前の5月中席で主任の際にも同じ会場で聴いて感心したが、あの時は、それほどお涙ちょうだい的な演出にはしなかったように思う。志ん輔も、狙って人情噺風にしたわけではなかろうが、この日は、時間厳守で全体的に間を短くしたように思うのだが、それが功を奏したのかもしれない。結果として、あの場面が際立った、そんな印象だ。
 無駄を省きながらも、肝腎な場面はしっかり、という感じで、実に心地よい高座。今年のマイベスト十席候補とするのを迷わない。


 帰り際、演芸場の係の女性に、「超過料金は取らないでね」と言ったら、笑っていた^^
 先日の、小柳枝と小里んの二人会は、落語芸術協会と落語協会。この日は、立川流と落語協会の二人会。芸達者同士の所属協会を越えた会も、実に良いものだ。
 そして、仲入り後の二席とも、きっちり30分というところに、この二人の技を感じる。
 実に良い気分で帰宅し、連れ合いと犬の散歩の後、一杯やりながら記事を書き始めたのだが、心地よい眠気が襲ってきて書き終えることはできなかった。
 翌朝書き続けながらも、あらためて、二人の高座の良さを思い出す。
 龍志、好きになったなぁ。まだまだ聴いたことのない素敵な噺家さんがいることと、志ん輔の芸の進化を痛感した会であった。
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by kogotokoubei | 2015-04-30 08:45 | 落語会 | Comments(5)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛